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2010年7月

米国発「在沖海兵隊不要論」

 - 菅政権は“日米安保マフィア”の言いなりだが、本当にそれでいいのか !?-

 7月30日付「日刊ゲンダイ」3面に、大変興味深い記事が載っていました。米国で最近「在沖海兵隊不要論」が盛り上がっているというのです。これが本当なら、普天間基地移設問題は、根底から見直しを迫られることになります。
 今回は同記事を参考に、この問題を探ってみたいと思います。

 今回の参院選では、菅総理の予期せぬ「消費税増税発言」の陰に隠れて、たいした争点にならなかったのが普天間移設問題です。悪徳旧勢力の「官」の両横綱である財務省と外務省が示し合わせて、普天間問題の争点隠しのために消費税問題を菅総理にたきつけたのでは?とつい勘ぐりたくなります。
 
 また例によって始末が悪いのが、悪徳旧勢力の「電」である新聞・テレビです。同問題では鳩山前首相の迷走ぶりをことさら煽り、同首相を退陣にまで追い込む報道を連日繰り広げました。ところが彼らが属する「日米安保マフィア」の思惑どおり、辺野古沖案で政府決定を見るや、「今までの過熱報道は何だったの?」と思われるほど、ピタッと普天間移設報道は影をひそめてしまいました。
 とかく新聞・テレビに影響されやすい私たち“B層”大衆は、このことからも大メディアなるものがいかに歪曲と恣意的な報道に終始していることか、いい加減気がつくべきです。

 よれよれの菅政権が、年内いっぱい存続出来たと仮定してー。普天間移設問題が大きな時限爆弾であることに変わりはありません。8月末までに日米の専門家による検討作業を終え、今秋には最終決着を迫られることになるからです。
 基本方針は辺野古案への逆戻りですが、9月には名護市長選、11月には沖縄県知事選を控えています。名護市民は「辺野古沖移設反対」沖縄県民は「県内移設反対」が総意である以上、地元無視の決着を強行すれば大荒れ必至の情勢です。

 ところがそんな中、米国では今「海兵隊の役割を見直す」議論が出てきていると言うのです。わが国の大手メディアはほとんど報じていませんが、米民主党の重鎮が「沖縄に海兵隊は不要だ」というびっくり仰天のことを言い出したのです。
 きっかけは米民主党のバーニー・フランク下院歳出委員長が、今月6日ネットに寄稿した論文です。同氏は「米国が世界の警察だという見解は冷戦の遺物であり、時代遅れだ。沖縄に海兵隊がいる必要はない」と断じたのです。

 同論文は大きな反響を呼び、ウォールストリート・ジャーナル紙は「普天間の県外・国外移設を望む沖縄に強力な助っ人が現われた」と報じています。
 フランク氏はまたラジオで、「1万5000人の在沖縄海兵隊が中国に上陸し、何百万人もの中国軍と戦うなんて誰も思っていない」とも言っています。民主党や自民党の「対“戦争屋”隷属議員」たちが大上段に振りかざす、「沖縄の海兵隊は東アジアの軍事的緊張の“抑止力”である」という前提が、本場オバマ政権与党の重鎮によってあっさりひっくり返されてしまったのです。

 昨年政権交代した民主党の党是をこの問題に当てはめると、「沖縄県民第一、米国二の次ぎ」であるべきです。だとすると菅政権は辺野古沖案を白紙に戻して、「県外、国外移設」に向けた根本的解決に取り組むべきなのではないでしょうか?
 なのに今、民主党と「戦争屋系」米国の間では、別の妥協案が話し合われていると言います。米軍関係者によりますと、それは「ズバリ、普天間だけでなく嘉手納基地も返還。その代わりキャンプシュワブに大きな代替基地を造る。V字滑走路ではなく一本。しかし幅や長さを大きくする。鹿児島県種子島沖の馬毛島にも施設を造る。この線で話し合いが進んでいます」ということです。

 果たして、この案で沖縄県民が納得するのでしょうか?肝心の米国で「在沖海兵隊不要論」が盛り上がっているのに、小手先の妥協案で沖縄に基地を固定化させるとしたら最悪の選択です。
 新聞・テレビが「公平・中立」な報道機関であるのなら、米国発のフランク見解を大きく取り上げるべきです。と共に菅政権も、米オバマ政権の真意がどこにあるのか、慎重に見定めながら、普天間問題に対して白紙の状態で一から取り組むべきです。

 ところで。ここのところ、岡田克也外相、前原誠司国交相(兼沖縄担当相)、北澤俊美防衛相がそろって、「9月の代表選では菅総理を支持する」と表明しています。
 おっと、その前に。オタクら「対“戦争屋”隷属」3閣僚は、普天間問題で退陣した鳩山前首相とは「連帯責任」のはずでしょ?それなのに、ヌケヌケと留任なんておかしいじゃないの、えっ?

 (大場光太郎・記)

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政界あヽ無情

 -述べていくのは菅政権についてだが、まともなタイトルが見つからないほどヒドイ-

 民主党は29日夕方、東京・永田町の憲政記念会館で、参院選の大敗を総括する両院議員総会を開きました。菅直人総理(党代表)は、消費税をめぐる自らの発言について「不用意な発言で、大変重く厳しい選挙を強いてしまった。心よりお詫び申し上げます。多くの仲間を失ったことに責任を痛感している」と、あらためて謝罪しました。
 また枝野幸男幹事長ら執行部の進退については、「(9月の)党代表選まではこの態勢で対応させてほしい」と、続投させる考えを示しました。

 菅代表など現執行部としては、参院選大敗の責任を誰も取らずに全員引き続き職にとどまる以上、党所属議員や党員サポーターそして国民有権者に対して、何らかのケジメをつける必要がありました。
 参院選から3週間ほどして、ようやくその“総括”をする場として、両院議員総会開催の運びとなったわけです。

 執行部はこの場を“ガス抜き”とし、出来るだけ穏便に、その責任論の収束を図りたいところだったことでしょう。しかし菅総理の冒頭挨拶、党執行部による敗因を分析した総括案などに続いて始まった議員発言では、菅政権では徹底的に排除されている小沢グループからの執行部批判は、想定以上に凄まじいものだったようです。

 「これほどの大敗をして誰も責任を取らないとはどういうことだ」「通常の組織ならあり得ないのではないか」「ここにいる誰も知らない間に、衆院マニフェストが変えられた。いつから(民主党は)北朝鮮になったんですか」というような激しい口調の批判が相次ぎました。
 そして「菅総理自らが責任を取るべきだ」という、総理の辞任を迫る声まで公然と挙がりました。

 これに対して、執行部擁護論も出ましたが、ほとんど菅総理以下執行部の“吊るし上げ”総会の様相を呈したようです。それに肝心の小沢一郎前幹事長が同総会を欠席したことも、壇上の執行部の面々は無言の圧力を感じたことでしょう。
 まあ菅総理以下、何とも冴えない顔でした。最後に菅総理が再度登壇し、9月の代表選で「審判」を受けるとし、自身が立候補する意思を表明しましたが、いつになくか細い声での表明となりました。

 野党時代の「攻め菅」の、あの颯爽とした姿はどこへ行ってしまったのか?それに人相まで「シブ菅」に変わってしまったようですが、やはり良心はごまかせないもの、総理になるにあたっての「諸々の変節」が、そのまま人相の変化となって現われているのではないでしょうか?
 とにかく一国のトップリーダーは、常に自信に満ち満ちた言動であっていただきたいものです。

 そもそも一体誰の発議によるものだったのか?政権発足時「小沢さんにはしばらく静かにしていただいた方が、日本の政治のためによい」と自らおっしゃったのだから、すべては菅総理の最終決断だったのでしょう。現在政界最高の政治的力量を持つ小沢一郎を排除し、また党内最大の小沢グループを徹底排除して、参院選や政権運営を乗り切ろうとしたのは、あまりにも下策だったと言えます。
 代わって主流派に躍り出たのが、小鳩体制で公然と小沢、鳩山批判を繰り返していた、仙谷、枝野、玄葉など前原誠司のグループです。毎度申し上げている通り、これは「クーデター政権」と言うべきで、政権としての正当性を欠く上、この連中に何をやらせてもまるで「学芸会」レベルの低劣さですから呆れてしまいます。

 今後の重大局面を考えた場合、小沢一郎の豪腕はどうしても必要なのではないでしょうか?1ヶ月前「しばらく静かに」と言っていた菅総理は、参院選後「小沢さんとも会って話をしたい」と少し変わってきましたが、結局会えずじまい。それもそうでしょう。早くも泥舟状態の菅体制に、小沢氏はもうとっくに見切りをつけているでしょうから。
 「小沢さん。私が間違っていました。官房長官の仙谷と、幹事長の枝野は辞めさせ、その人選は小沢さんにお任せします。ですから何とか助けていただけませんか」と言うことなら話は別でしょう。しかし菅直人にはそんなつもりはさらさらないのですから、小沢氏にしてみれば会っても何のメリットもないわけです。

 今総会では一先ず、「現執行部で引き続き」ということになりました。しかし問題は30日から始まる臨時国会です。野党各党は満を持して大攻勢をしかけてくることでしょう。ただ救いは会期わずか8日間と短いことです。
 ここはまあ何とか乗り切れることでしょうが、秋からはいよいよ長丁場の本格的な国会が待っています。重要各法案はどうやって通すのか?多くの国会同意人事を野党にストップされて立ち往生しないのか?来年度予算案は無事通過できるのか?難問山積です。

 「政界再編」がなければ、今後6年以上は確実に続く「衆参大ねじれ」状態。その原因を作った張本人たちが何の責任も取らないで、次々と待ち受ける難局を乗り切っていけたとしたら、これは「あり得ざる奇跡」というものです。

 (大場光太郎・記)

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辻元議員、社民党離党

 - 結局は私利私欲のため、恩義ある社民党を離党した「恩知らず」辻元清美 -

 辻元清美衆院議員(50)が、27日社会民主党(以下「社民党」と略称)を離党しました。国民にとっては「なぜ今なの?」と突然の離党騒ぎのように思われます。しかし永田町事情通の間では、辻元議員の離党はかなり前から噂に上っていたようです。
 とにかく、辻元は民主党に入りたくて仕方なかったようなのです。今年5月の社民党の連立離脱に伴って国交省副大臣を辞任した際も、「寂しい」「つらい」と泣き言ばかりで、今にも離党しそうなムードだったといいます。

 その後思いとどまってはいましたが、今回離党が現実となった裏には、社民党の参院選惨敗と福島瑞穂党首の責任問題があったとみられています。
 社民党内には、連立離脱を主張した福島党首の責任を問う声がくすぶっていて、又市征治副党首は執行部の刷新を要求し、新党首に辻元を担ぐつもりだったといいます。しかし辻元にしてみれば、党首に祭り上げられてしまっては、離党など金輪際できなくなってしまいます。そこで慌てて先週金曜日に重野幹事長に面会し、離党の意思を伝えたということです。
 この機会を逃したら、社民党に骨を埋めるしかなくなる、そんな焦りが“季節外れ”の離党騒動の発端であるようです。

 結局今回の離党騒動に見え隠れするのは、辻元清美の私利私欲です。
 一つは国交副大臣というイスに座った「権力の味」が忘れられなかったこと。もう一つは先の衆院選挙では、民主党全面支持により当選を果たしましたが、連立離脱した社民党に残っていては民主の支持は得にくく、いかに人気者の辻元と言えども次回選挙での当選は覚束ない。
 このような「計算づく」の上での離党だったのです。

 振り返れば辻元清美を政界に導いてくれたのは、土井たか子元社民党党首です。土井元党首は他の議員がやっかむほど、辻元をことのほか可愛がりました。辻元が党首になることを誰よりも望んでいたのは、他ならぬ土井たか子だったのです。
 辻元は足を向けて寝られないくらい、土井元党首には大変な恩義があるはずです。今回の離党にあたっては、土井さんに真先に相談すべきですが、辻元は果たしてそうしたのでしょうか?

 確かに人気者に去られた社民党にとっては痛手でしょう。しかし今回の行動で分かったとおり、辻元清美は元々社民党には必要なかったのです。
 「護憲」「沖縄の基地反対」「消費税反対」を愚直に訴える社民党のような存在は、今後とも絶対必要です。福島党首が言うように、民主党と自民党の「対米隷属」二大政党ばかりでは、「辺野古沖移設」や「消費税増税」は簡単に国会を通ってしまうのです。
 社民党首脳部には、これ以上「ジリ貧」にならないような善後策を講じていただきたいものです。

 辻元清美は、後ろ足で砂をかけるようにして、恩義ある社民党を出て行きました。今後当面は、民主党と会派を組みながら無所属としての議員活動だそうです。
 とはいっても民主党に加わるのは、時間の問題でしょう。その場合真先に飛び込むのは、国交副大臣の時の直属の上司である、前原誠司のグループだとみられています。政権交代の最大の立役者・小沢一郎を、新聞・テレビという“虎の威”を借りて排除した、党内クーデターグループ「凌雲会」入り確実とみられているのです。

 さすが辻元清美は、お目が高い ! 同グループは凄いですから。
 「対米隷属派」「市場原理主義者」「小泉偽改革信奉者」の巣窟ですから。最近とみに、“偽黄門”渡部恒三と共に「民主党のガン」との呼び声高い、“阿波狸”官房長官の仙谷由人。小沢前幹事長の責任を厳しく問いながら、自身は参院選の惨敗の責任には知らんぷりの鉄面皮男で“子ども”幹事長の枝野幸男。菅総理と共に消費税増税の旗振り役を務めた“ミスター対米隷属”政調会長の玄葉光一郎。そして頭目は小沢批判の急先鋒で党内クーデターの首謀者にして、八ッ場ダム建設中止問題や日航再建問題で二転三転した、“お子ちゃま”国交大臣の前原誠司などなど。

 まあ前原凌雲会には、「魑魅魍魎(ちみもうりょう)」じゃなかった、綺羅星のごとき大人材が揃っておいでですから、「尻軽女」辻元清美が所属するこは、まさにうってつけのグループと言うべきでしょう。

 (大場光太郎・記)

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「12」と「13」という数字考

 - 「12」が銀河的に神聖な数字なら、「13」は宇宙的な神聖数である -

 つい先日『宇宙の暦は13ヵ月』記事を公開しました。その中で現在の世界共通暦であるグレゴリオ暦は「12:60」を基本とし、近未来それにとって代わると思われる「13の月の暦」は「13;20」を基本とすることを示唆しました。
 今回はそのうち両方の暦に現われている、「12」と「13」という数字について若干の考察を加えてみたいと思います。

 世界を席捲してきた、西洋近代原理では完全に黙殺された「マヤ暦」は別として。現歴史で最初に暦(こよみ)が現われたのは古代バビロニアで、BC1900年(今から3900年前)頃だったと言われています。
 バビロニアで用いられた暦は、月の運行に基づく太陰暦でしたが、月の1サイクルを約30日とし、30×12=360日を1年としていたようです。ですからこの頃、「12」という数字が初めて歴史に現われてきたとみられています。
 1年を12ヶ月とみなすような「12進法」は、改良されながら、暦の上でもユリウス暦、現グレゴリオ暦へと受け継がれていくことになります。

 また暦以外でも12は、世界各地でさまざまな分野で用いられることになりました。例えば、(1日)12時間×2、十二支、(1ダース)12個など。さらに加えれば、イスラエルの12部族(うち「10部族」はBC722年に失われる)、イエスの12弟子(12使徒)、黄道12宮、仏教の十二神将などが挙げられます。
 これだけ、古今東西の事物の中に「12」が重用されているということは、古代バビロニアで気まぐれに用いられた数字ではなく、もっと根源的な意味がありそうです。

 話はいきなり飛躍しますが。実は「12」は「この銀河系」でも、重要な数字であるようなのです。1987年以来それまでの「鎖国状態」が解かれて、銀河のセントラルサン(中心太陽)から虹の7光線を超えた「12光線」が届き始めているようなのです。
 またある銀河情報では、この銀河系は「12のセクター(エリア)」に区分され、我が地球が属する太陽系は、“オリオンアーム”と呼ばれる渦状の一角にあり「第9セクター」に属しているそうです。

 12に対して「13」はどうでしょうか?我が国や東洋ではそうではありませんが、オカルト映画『13日の金曜日』シリーズですっかりおなじみのように、欧米では昔から「忌(い)み数」として嫌われてきました。そもそも西洋社会では、モテモテの数字である12の隣の素数である「13」は、調和を乱す「不吉の数」と考えられてきたという経緯があるようです。
 例えばキリスト教に先行する「北欧神話」の中でも、「12人の神が祝宴を開いている最中に、招かれざる客であるロキという13番目の神が乱入してきた。このロキがその後、神々の秩序を乱したことで、後の“ラブナロク”という(北欧神話にとっての)終末の勃発の原因になる」という物語があるようです。

 これが後に、サタンは「13番目の天使(堕天使)」などとして、キリスト教体系に取り込まれていくことになります。
 キリスト教伝説で特に有名なのは、イエスを裏切ったユダは最後の晩餐で「13番目の席」についていたとか、イエスの処刑は13日の金曜日だったという言い伝えです。
 しかしキリスト教の原典(カノン)である『新約聖書』には、そのような記述は一切出てきません。これは13という数字を「忌むべき数字」として固定化したかった、中世キリスト教会による創作の可能性が高いのです。

 実は世界最古の暦である「マヤ暦」を受け継いだ「13の月の暦」は、そんな「13」を基数にした暦です。1年を「13ヵ月」としているのです。
 1月は「磁気の月」2月は「月の月」3月は「電気の月」というような独特な呼び方をします。そしてひと月は、月の満ち欠けや1年間の月の公転日数などから導き出された「28日」。13ヵ月×28日=364日。これに「時間をはずした日」(グレゴリオ暦の7月25日)を設け、合計で365日。(太陽暦に太陰暦を内包しているのです。)
 グレゴリオ暦と同じく一週7日ですから、これだと1日は日曜日、10日は火曜日、20日は金曜日というように、どの月でも同じ日は同じ曜日に固定されます。例えばクリスマス・イヴは決まって木曜日の夜なのです。ただし13日は決まって「金曜日」となります。

 グレゴリオ暦で用いている「12」は、以上述べましたとおりの「神聖数」です。この数字自体に問題があるわけではありません。ただ1年を12ヶ月にする根拠がまったくないのです。それに便宜上ある月を28日、30日、31日というように適当に割り振っています。前記事でも述べたとおり、これらが同暦が自然のサイクルを無視した、「人工的サイクル暦」である所以なのです。

 「13という数字」は、ローマカトリック教会などが、民衆に対して必死に隠したい情報の一つだったのです。しかし「彼らの伝」で言えば、今は「アポカリプス(黙示録)の時代」です。すなわち「覆いが取り払われて真実が顕われる時代」なのです。
 他の「秘密」もそうですが、もう隠しおおすことはできません。13について言えば、「13の月の暦」が徐々にグレゴリオ暦に取って替わろうとしているのもその一例です。
 また西洋占星術(これも「彼ら」が迷信と信じ込ませてきた一つ)では、従来の12星座(12宮)に替わって、「13星座占星術」が現われてきています。これは天文学上の発達とともに生まれたもので、黄道上に現実に存在する星座に対応しています。さそり座といて座の間に新しく加わることになった星座は「へびつかい座」(11月/30日~12月/17)。

 13 = 蛇 = サタン?ということは「13」の復活とは、「蛇であるサタン」の復活?
 しかし、そういうキリスト教の「善悪二元論的ドグマ」ではとらえない方がいいと思います。私たちに隠されてきた13という数字は、「宇宙的な広がり」をもっている数字なのです。もっとコスモロジー的に自在にとらえるべきです。

 (大場光太郎・記)

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                   レールモントフ

  空ゆく雲、永遠のさすらいびとよ !
  るり色のステップを真珠の鎖さながら、
  わたし同様追われる身のお前たちは駈ける、
  いとしい北から南をさして。

  お前たちを追うのは身の運命(さだめ)か?
  ひそかなねたみか?明らさまな悪意か?
  それともおかした罪がお前たちを苦しめるのか?
  それとも友の毒ふくむ中傷にはかられたのか?

  いやいや、実りなき畑にお前たちは飽いたのだ……
  お前たちは情熱にも悩みにも縁がない。
  永遠にひややかで永遠に自由な
  お前たちに祖国はない、追放はない。

                 (一条正実訳)
 …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 ミハイル・レールモントフ 1814年~1841年。没落貴族で退役陸軍大尉を父としてモスクワに生まれる。モスクワ大学で学ぶも2年で中退。ペテルブルグの近衛士官学校を1834年卒業後、近衛軽騎兵少尉に任ぜられ、ペテルブルグの上流社会に入る。
 プーシキンを決闘に追い込んだ、宮廷貴族への憎悪に貫かれた詩『詩人の死』によって有名になり、同詩は筆写によって流布されたが、転任の形式でカフカスへ流される原因となった。1年足らずで首都に戻されるが、危険人物として政府に監視されることになる。その後フランス公使の息子との決闘事件により、1840年再度カフカスへ。些細なことが原因で同僚士官と2度目の決闘をし、ビヤチゴルスクで死す。
 ニコライ1世の反動政治への怒り、幻滅や絶望などの気分が、雄々しくも憂愁を帯びた詩人としている。また小説の中で、自分と同じように絶望した人間を描き、プーシキンの『オネーギン』に続くロシア・インテリゲンチュアの典型を創造した。抒情詩『詩人』『予言者』、叙事詩『悪魔』『ムツイリ』、戯曲『仮面舞踏会』、小説『現代の英雄』など。 (フリー百科事典『ウィキペディア』より)

 少し前に『世界青春詩集』をご紹介しました。私が21歳の時求めた詩集です。同詩集の中でも、この詩とシュトルムの『町』が、当時最も引きつけられた詩でした。(『町』は、ふさわしい季節に取り上げたいと思います。)
 この私にもかつて「青春のロマンチシズム」というのがあったとするならば、この2つの詩は、まさにそれに適う詩だったと言えると思います。

  空ゆく雲、永遠のさすらいびとよ !

 この一行だけでもういけません。この詩は、詩人が2度目の追放の憂き目にあった時に作られたものだそうです。
  「永遠のさすらいびとよ」「追われる身の」「いとしい北から南をさして」
 私自身も心のどこかに、『北の故郷から、南の“首都圏くんだり”に追われて来てしまったなあ』という落魄の気分が当時は強くありました。
 「永遠のさすらいびとよ !」と、空ゆく雲に仮託した詩人の想いは、当時の私もまた共有するものだったのです。

 そのことがこの詩に深く共鳴した大きな理由だったと思われます。それともう一つ。
 レールモントフの生涯を少し知り、詩人の哀しいほどに短い生涯に対する思い入れもまたあったかもしれません。

 追放、決闘そして夭折(ようせつ)。これが、帝政ロシア末期の没落貴族の子弟でもあった、レールモントフの運命(さだめ)であったようです。レールモントフは自ら「早い死」を望み、それは2度目の決闘で叶えられます。わずか27歳の死でした。
 「神々の愛(め)でにし者は夭折する」。このような劇的で鮮烈な「生と死」は、凡人に与えられるものではありません。多分私は、レールモントフという詩人の「天才性」にも魅せられたものなのでしょう。

  お前たちには情熱にも悩みにも縁がない。
  永遠にひややかで永遠に自由な
  お前たちに祖国はない、追放はない。

 この詩の最後の聯では、雲である「お前たち」を現わすのに、「ない」という否定形が連ねられています。しかしながらレールモントフ自身には、「情熱」も「悩み」も「祖国」も「追放」もすべて「ある」のです。
 詩人を夭折に駆り立てたのは、ことごとく「ある」のに、「ない」ことを希求する想いだったのではないだろうか?今あらためて読みなおしてそう感じます。

 (注記)本詩の訳者・一条正実という人について、今回確かめることができませんでした。よって生没等不明ですが、もし著作権保護期間に該当しておりましたら、ご関係の方どうぞご寛恕ください。

 (大場光太郎・記)

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『宇宙の暦は13ヵ月』

 -自然のリズムが心と体を変える- 小原大典著、KKロングセラーズ発行

 1年365日を通して見た場合、「7月26日」は、現在私たちが使用しているグレゴリオ暦では別に取り立ててどうということのない日です。しかし近年、人類の前にグレゴリオ暦に替わる新しい暦が提示されています。
 「13の月の暦」です。これはマヤ暦とマヤの数学体系を長年にわたって研究してきたホセ・アグエイアス博士によって創り上げられた画期的な暦です。

 「13の月の暦」は少し学んでみますと、同じ1年365日でありながら、現グレゴリオ暦とはあまりにも違いすぎていることに驚かされます。
 最大の違いは、「13の月の暦」とあるとおり、1年12ヵ月ではなく「1年13ヵ月」であることです。そして1年の始まりは現在の1月1日ではなく、何とそれとは真反対の季節である「7月26日」であるのです。これはマヤ暦を引き継ぐ形で決められたもので、太陽の南中時刻の変動という天体現象に根拠を持つと考えられます。
 対してグレゴリオ暦で1月1日を1年の最初にしている理由は、天文学的にはっきりした根拠はないのです。

 たまたま本日が7月26日、すなわち「13の月の暦」の新しい1年のスタートの日です。そこで同暦を当ブログでも紹介しようと、久しぶりに引っ張り出したのが、本タイトルの『宇宙の暦は13ヵ月』という本です。

 私は数年前「13の月の暦」に興味を抱き、同暦をじっくり研究し、出来れば日常的に取り入れてみるつもりで、この本を入手しました。
 著者の小原大典(おはら・だいすけ)氏は1969年生まれ、私より20歳も若い人です。この本の初版発行は平成10年(1998年)といいますから、同氏が28、9歳の若さで書き上げたことになります。同氏は東京学芸大学卒業、専攻は自然環境科学で、主にカオスやフラクタルといった“複雑系”について学んだ人のようです。
 そのためか同書は読み易い新書版ながら、内容的にはなかなかのものがあります。同氏の該博な知識を駆使して、「13の月の暦」についてのより深い理解へとガイドしてくれます。同時期関連書を2、3冊求めましたが、同暦を体系的に学ぶには同書が最も優れているようです。

 参考まで、この本の各章のタイトルだけを以下に列記してみます。
   はじめにー新しい時間のリズムを知ると何が変わるか?
   第1章 自然と人をつなぐ「13の月の暦」
   第2章 宇宙のリズムで健康になろう
   第3章 心の時間とシンクロニシティ
   第4章 物語は、今、ここから始まる
   第5章 地球の健康と生物のリズム
   第6章 過去と未来の記憶を生きる
   第7章 時空のサーファーを目指して

 この本の一番の特徴は、「13の月の暦」を理解して、日常レベルで活用できるように、各章末ごとに「ワーク」が設けられていることです。同ワークは、初歩的理解から徐々に高度な理解へと進めるように工夫されています。
 ホセ・アグエイアス直伝というワーク中の図表を、私はその主だったものをコピーし、ノートに貼り付けたりしながら読み進めていきました。これまで何度か述べてきましたように、私は25年前くらいから、スピリチュアルな方面のアプローチをしてきました。ですから一般の人より、同書や同暦への理解はし易かったはずです。
 しかしそんな私でも足踏みしてしまうほど、読み進めるのにかなりてこずりました。

 これは私自身、現グレゴリオ暦に深いレベルで“コントロール”されていることが一因だろうと思われます。当時は『難しいなあ』ということもさることながら、グレゴリオ暦とのあまりの相違に違和感すら覚え、『ついていけんな』というのが正直なところでした。
 そのため当時は、ほぼ半分の第4章のワークあたりで学習を止めてしまいました。

 私たちは普段自覚していませんが、「暦(こよみ)」というものは、私たちを無意識的な根本のところからコントロールする装置でもあり得るのです。古代ローマ帝国のユリウス・カエサルによる「ユリウス暦」(グレゴリオ暦の原型)など、洋の東西を問わず、時の最高権力者にとって「暦の制定」は重大事業であったのです。
 古代ローマ帝国を引き継いだローマカトリック教会(バチカン)は、「暗黒勢力」にとって人類支配のための要となる宗教組織でした。(注 現在では、国連やIMF、アメリカ政府などが同教会に取って替わっている)。16世紀に時の教皇グレゴリウス13世が、ユリウス暦を改良して定めたのが、今日の世界共通暦であるグレゴリオ暦です。

 この暦の制定と共に、ヨーロッパで「大航海時代」が始まり、世界の隅々まで征服し植民地化が進んでいったのは、新暦の制定と決して無縁ではないのです。実際征服された土地土地では、キリスト教に強制的に改宗させられると共に、それまでの暦を捨てて、同暦を使用することを強要されたわけですから。

 グレゴリオ暦は、宇宙的リズムや自然のサイクルをまるで無視した、それゆえそれらと同調も調和もできない「狂った暦」です。このような暦を元に生き続けている私たちが、グレゴリオ暦の「12:60」の時間に追いまくられ、さりとて「生きがい」「喜び」「幸福感」が得られず、ともすると心身の不調を訴えがちなのは、もっともなことなのです。
 本来「自然の子」であるべき私たちは、いかに自然と切り離された生活を余儀なくされ続けていたことか。はっきり自覚し改めるべき時にきています。

 「13の月の暦」は「13:20」を基本としており、1日1日や各サイクルに独特の意味があります。同暦には幾つもの周期が重層的に隠されており、優れたリーディング能力を持つ者には、そこからいくらでも深い意味を汲み取ることができるのです。

 ということで、私もこれを契機に、今度は最後までこの本を読み切りたいと思います。また折りにふれて「13の月の暦」について取り上げていければと思います。

 【追記】 当日は「13の月の暦」では何月何日になるか、またその日の意味するものとは?というようなことが簡単に分かるサイトがあります。
   13の月の暦「コズミック・ダイアリー・インターネット・バージョン」
 なお「新年」につき、ブログ背景も変えました。と言っても、以前からご訪問の方には、毎度おなじみの背景ですが。

 (大場光太郎・記)

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悪徳旧勢力の一翼・菅民主党

 - 第二自民党化している菅民主党。こんな不快な悪夢は見たくなかった ! -

 11日の参院選で大幅に議席を減らしたことにより、今後菅政権は、片肺飛行的なダッチロール状態での厳しい政権運営を余儀なくされることになります。
 最近出された来年度概算要求の骨子に見られる迷走ぶりから明らかなとおり、およそ政権の体を為していない、よれよれの菅政権です。それでも曲がりなりにも政権維持出来るのは、「政官財外電」という悪徳ペンタゴン構造に支えられているからです。

 「政」は従来は自由民主党を意味していましたが、菅民主党も今やその伝統(?)を自民党から引継いだ「政」になっているのです。悪徳勢力の仲間入りした菅政権を、他の「官、財、外、電」がこぞって支えている構図です。
 参院選公示直前、「消費税増税」をぶち上げてくれた官総理を、消費税の推進役である「官中の官」財務省が支えないはずがありません。それのみか菅政権は今や、財務省の手引きなしでは満足に政策立案できない状態です。「脱官僚」「政治主導」など、今は昔のお話です。

 また「財」界の雄である経団連の米倉弘昌会長は、「消費税の問題を掲げたために(民主党が参院選で)負けたとは思っていない」と、菅政権延命に助け舟を出してくれています。また「電」であるマスコミも、例えば“世身売り(読売)”新聞は「参院選の敗因は、首相が消費税率引き上げに言及したことではない。(中略)消費税増税への理解は国民の間に深まっている」と、さらに踏み込んだご託宣をのたまわっています。
 言うまでもなく「消費税増税発言が敗因」であることは明らかです。なのに悪徳旧勢力は、消費税問題が敗因ではないと言い張る。そこには菅「政」権を延命させ、消費税を引き上げさせることによって生じる、「官、財、電」の巨大利権の存在抜きにはあり得ないわけです。

 「政官財外電」の悪徳ペンタゴンの中で、直接的な影響力はないようでいて、その実奥からしっかりコントロールしているのが、「外」であるアメリカです。日本国内の「政官財電」はすべて、国外勢力であるアメリカから首根っこを抑えられ、好いように操られていると言っても過言ではないのです。
 例えてみれば、戦後60余年の現ニッポンとは、“人形遣い”であるアメリカ様に自在に操られているマリオネット(人形)のようなものなのです。情けない話ながら。

 菅直人は今年4月財務相として訪米した折り、米アーリントン墓地に赴き献花している映像が突如流されました。その時既に現ニッポンのご主人筋であるアメリカ様は、例の普天間移設問題でなお「国外、最低でも県外」を模索する鳩山由紀夫に見切りをつけ、「もっと意のままに操れるヤツはいないか?カンナオトはどうか?」と踏んでいたものと思われます。
 菅直人の訪米をいい機会として、先方の要人の一人が菅と密談、「ヘイ、ミスターカン。次のニホンのリーダーはアナタね。そのためにはナニをすればいいか、ワカッテイマスネ?」「ははーッ。重々承知致しておりまする」てな具合で、しゃんしゃん手打ちとなった可能性があります。副総理であるにも関らず、菅直人はなぜかその後も、普天間問題ではダンマリを決め込んでいましたし。

 戦争屋、CIA、アメリカユダヤ…。とにかくアメリカ様の“虎の威”をパワーとしているのが「政官財電」です。対して、小沢一郎や鳩山由紀夫ら旧田中派、経世会出身者たちは、「自主独立」「日米対等」が基本的スタンスですから、アメリカ様と、その子分である「政官財電」にとっては邪魔な存在でしかないわけです。
 だから「官」の一角である東京地検や「電」である大手マスコミから、目の仇のように執拗に攻撃されるわけなのです。

 菅直人の対米従属化を裏づけるように、菅政権を支える仙谷由人、枝野幸男、前原誠司、玄葉光一郎らは悉く、民主党内の「対米隷属派」です。なお言えば、6月2日前後の党内クーデターによって主流派となった彼らは、全員そろって市場原理主義者であり、小泉構造改革同調者です。そのため政権内部からは、「みんなの党や公明党との連立が難しい以上、自民党内の中川秀直、小池百合子、塩崎恭久など小泉・竹中路線の信奉者たちを離党させ、我が党と合流させるべきだ」という見方すらあるといいます。
 昨夏の衆院選での民主党大躍進は、国民による「小泉政治の否定」でもありました。にも関らず、「小泉路線継承」をエサにそんな“禁じ手”を使ってでも、参院がダメなら「衆院で2/3」を目論んでいるようなのです。
 こんなところにも、菅民主党は「何でもあり」の自民党そっくりになってきています。

 以上のような「戦後体制」を引きずったままでは、この日本は破滅に向かっていくばかりだ。民主党よ、何とかこういう悪しき構造を根こそぎ改革してくれ。無血革命にも等しい昨年の政権交代を成し遂げたのは、そんな国民の「声なき声」だったのではないでしょうか?
 しばしば迷走があったにせよ、鳩山前首相には「国民との約束を果たさなければならない」という姿勢が感じられました。しかし菅政権になってから、「国民生活第一」の視点は完全に失われてしまいました。のみならず、「官、財、外、電」にがんじがらめに取り込まれてしまっているから余計始末が悪いのです。

 くり返しますが、「日本の政治」の大まかなグランドデザインを決めているのはアメリカ様、それを国内の「政官財電」がより具体的に肉付けし現実化しています。
 政権交代してまだ1年足らず。なのにこの体たらく。心ある国民有権者には、不快で見たくない悪夢のような、民主党の成れの果ての姿にしか映りません。

 (追記) 当ブログ記事『第1検審「不起訴不当」議決』が、またまたasahi.com『WEBRONZA』で取り上げられました。同記事では少し過激な新聞・テレビ批判がありました。にも関らずお取り上げくださった同サイトの英断には、このスペースを以って敬意を表し、感謝申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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豪雨から一転猛暑へ

 「あなたが行うことと考えることは、あなたのまわりのすべて、すなわち地球、動物、そして天候につながっているのです」  (ある存在たちからのメッセージ)

 梅雨末期の集中豪雨は列島各地に甚大な被害をもたらしました。いざ梅雨が明けてみると、今度は間髪を入れずうって変わった連日の猛暑です。勢力の強い太平洋高気圧に列島全体がすっぽり覆われ、連日30℃の真夏日などあっさり越えて、全国各地で35℃以上の猛暑日を記録することも珍しくないほどです。

 これは何も今に始まったことでも、我が国特有の現象でもありません。近年このような極端な気候変動は、世界的にますます顕著になってきています。
 まさに「地球温暖化」「異常気象」がさまざまな気候の激変となって、地球全体に襲いかかってきていると見ることができます。

 この猛暑の中特に注意しなければならないのは「熱中症」です。テレビなどで繰り返し「水分をこまめに取ること」「塩分の補給も忘れずに」「帽子などで直射日光を避けること」などと注意を呼びかけていますから、皆様も注意おさおさ怠りないことでしょう。
 最近よく言われるように、熱中症は外出時のみならず家の中にいても起こることがあり、「家の中の風通しをよくする」「クーラーで室温を適度に保つ」などの対策も必要なようです。
 さらに日盛りの日中だけでなく、夜でも熱中症になることがあるというのですから驚きです。もっとも夜でも30℃近い大熱帯夜が続いている状況では、さもありなんという気にもさせられます。

 ところで総務省消防庁によりますと、今夏(5/31~7/18)熱中症の疑いで救急車で搬送された人は5,574人、うち12人が死亡していたそうです。梅雨期間まででこれですから、梅雨明け後この数値はさらに跳ね上がっていることでしょう。
 熱中症による死者の数は増加傾向で、厚生労働省の人口動態統計によりますと、1999年から2008年までの10年間に熱中症と見られる死亡者は3,954人。これは1969年から78年(658人)の6倍にも増えていることになります。
 また最近の死者の6、7割は65歳以上のお年寄りで、京都女子大学の中井誠一教授は「体力が弱っていたり、病気などがあったりすると死に至りやすい。冷暖房などに慣れて、気候の急激な変化に対応する力が衰えている可能性もある」と指摘しています。

 また東京都と大阪府の72年から96年までの熱中症による死者と、1日の最高気温の関係を調査した国立環境研究所の小野雅司氏は、「30℃を超えると死者が増え始め、33℃を超えると急増していた。最高気温が高いと夜の気温が25℃以上の熱帯夜となり、寝苦しい夜で体力が奪われるという悪循環になる」と語っています。
 さらに小野氏の調査では、同じ気温でも東京都の方が大阪市より死者の割合が多かったそうです。これについて小野氏は、「湿度の影響」と見ています。平年の8月の湿度は東京都心の72%に対して、大阪市は67%。ここから「湿度が高いと汗が乾きにくく、体温も下がりにくい。気温だけでなく、湿度にも注意してほしい」と話しています。

 近年の急激な都市化、大都市への一極集中化、それに伴う「ヒートアイランド現象」が、集中豪雨、ゲリラ豪雨の多発や熱中症の急増などと決して無縁ではないと思われます。
 それを裏づけるような気象庁のデータとして、東京都心、名古屋市、大阪市、福岡市の4大都市で35℃以上の「猛暑日」の変化を見ると、69年から78年の10年間の4大都市の合計は142日だったのが、99年から08年では400日と約3倍に増えているといいます。

 また最近の民放報道番組で、横浜市の鶴見川一帯のコンクリート被覆率(アスファルト舗装等も含む)の推移を取り上げていました。
 それによりますと同地域の被覆率は1950年代は地域全体の20%だったものが、最近では80%に跳ね上がっているそうです。これではいつ強烈なヒートアイランド現象に見舞われてもおかしくないわけです。

 今となってはどうにも詮方ないことながらー。このようなことを取り上げると、思い起こすことがあります。
 大正時代既に今日的な事態を見越して、警鐘を鳴らしていた人物がいたのです。大本聖師・出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)です。出口聖師いわく「人口十万以上の都会を造ってはならぬ」。その心は、「“邪気”が発生して、世の中の“気”が乱れるから」と言うことでした。

 近年「大本」「出口王仁三郎」への関心が高まりご存知の方も多いかと思いますが、出口聖師は「世の立替え、立直し」を主目的として、昭和初期全国的大運動を巻き起こしました。これに脅威を感じた戦前の旧天皇制国家は、大本を二度に亘って徹底的に弾圧しました。特に昭和10年から始まった2度目の弾圧は、「近代世界宗教史上類を見ない」と言われるほど凄まじいものでした。

 歴史に「if(もしも)」はないけれど。ここで詳述はできませんが、もし仮に2度の大本弾圧なかりせば、したがって「太平洋戦争」も「敗戦」も「米国隷属」もなかったのです。
 そして「世界の霊的中府である」日本の主導により、今日の(暗黒勢力による)世界システムとは根本的に違う平和社会に移行できていたことでしょう。

 但し「天の経綸」はその後も着実に進行中なのであり、近未来「世の大峠」は必ず起こるものと思われます。
 それを無事乗り越えさえすれば、そこから「五風十雨」という極めて理想的な天候に恵まれた「地上天国」のスタートです。共々それまでの辛抱です。

 (大場光太郎・記)

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生きることは学ぶこと

  「友よ。生きるほどますます学ぶ」 (ラーマクリシュナ)

 22日猛暑の日盛りの午後、業務で本厚木近辺に行きました。業務が終了しある文房具の購入を思い立ち、本厚木駅前の有隣堂書店3階に立ち寄りました。つり銭受取りで少し間があき辺りを見回してみますと、カウンター下部に『有隣』という“社紙”を二つ折りにして置いてあるのが目に止まりました。

 一面上部がざっと見られるわけですが、それはある人の寄稿による巻頭文のようでした。本文そのものは小活字で読めず、タイトルだけが目に飛び込んできました。『生きることは学ぶこと』というタイトルです。

 私は店員がなおも手間取っている間、そのタイトルが少し気にかかったのです。『なるほど“生きることは学ぶこと”ねぇ』。そしてふと冒頭に掲げたラーマクリシュナの言葉を思い出し、『さて、どんなことが書いてあるんだろう?』と興味を持ったのです。
 「よろしかったらお持ちください」ということらしいので、結局私はその社紙を一部もらっていくことにしました。

 帰宅後少し時間をかけて同紙を読んでみました。広げるとタブロイド版、全部で四面あります。一面最上部中央の『有隣』の文字は、その左隣に「題字は、武者小路実篤」と小さく書いてあります。

 武者小路実篤(むしゃこうじ・さねあつ)は、今の若い人にとっては「それって誰?」でしょうが、私以上の世代なら知らぬ人がいないくらい超有名な、有島武郎、志賀直哉と並ぶ白樺派を代表する作家でした。久しぶりでその名を目にして、大正から昭和初期に武者小路が中心となって興したユートピア「新しき村」運動や、晩年の自然豊かな武蔵野(仙川)の寓居(現「武者小路実篤記念館」)のこと、そこで色紙に野菜の絵とともに書いた「仲良きことは美しき哉(かな)」などのこと、そして高校時代に『友情』という彼の作品を読んだ時の鮮烈な読後感などが思い起こされました。

 紀伊国屋書店や三省堂書店なども、社紙を出していることでしょう。いずれにしても、このようなものが出せるということは、(株)有隣堂は大きな書店に違いないわけです。確かに同書店は、横浜市中区伊勢佐木町の本店をはじめ、都内や神奈川一円に29店舗を有する老舗書店なのです。

 さて『生きることは学ぶこと』というタイトルのさらに右に、「2010年、国民読書年」「じゃあ読もう」というコピー文がありました。『えっ。今年が国民読書年?』、私はまったく知りませんでした。
 本文末尾にもありますが、これは「文字・活字文化振興法」の制定、公布5周年を記念して、2010年を国民読書年にしようと、08年の6月衆参両院で「国民読書年に関する決議」を全会一致で採択したことによるものだそうです。

 この秋には、東京・上野の旧奏楽堂をメイン会場にして、国民的な記念祭典を開催する予定で、今その準備を進めているそうです。それまでの間、新聞社、大学、自治体、図書館関係者などと連携したシンポジウムや講演会を開き、文字・活字文化に関する世論の喚起を図っていくそうです。

 申し遅れましたが、本文の作者は福原義春(ふくはら・よしはる)という人。1931年(昭和6年)東京生まれで、(財)文字・活字文化推進機構会長、資生堂名誉会長。著書『だから人は本を読む』ほか多数という人です。
 つまり福原氏は、制定された法律そのままの財団法人の会長さんですから、この一文は「文字・活字文化」つまり「読書」についてのアピール文であるわけです。

 だから「学ぶ」とは本来多方面にわたる「学び」だと思いますが、ここでは「学ぶ」とは「読書」に絞りこんで述べられています。つまり福原義春版「読書のすすめ」といったところです。

 文中アメリカの言語学者スティーブン・クラッシェン著『読書のパワー』などを引用し、例えば本を読み、国語力を身につけた子どもは、本を読まない子どもに比べて基礎学力が伸びるという説が有力になってきたとしています。
 またクラッシェンは、「読書をたくさんする人ほど良い文章を書く」「読書は最も確実に読解力、語彙力、速読力を向上させる」といい「読書は、読み書きの技能を発達させる唯一の方法である」と断言していると述べています。

 以下「読み聞かせと子守唄」「読書による知的連鎖」「本と電子メディア」そして結びの「国民読書年」と続いていきます。要は「読書」「本」は、一個人の知的形成にとっても国民全体にとっても必要不可欠なものである、しかし近年読書人口はがた減り、本の売上げも減少の一途である。そういう切実な現実を踏まえて、国民読書年に制定された今年、子どもも大人もお年寄りも、もっと本を読んでいきましょうと訴えている一文です。

 確かに「お説ごもっも」です。でもそもそも法制化しかつ「国民読書年」を定めてまで、国民に読書の必要性を訴えなければならなくなったのはどうしてなのか?その辺の掘り下げた議論こそ必要なのではないでしょうか。

 深刻な我が国の活字離れ、本離れによって、国民なかんずく伸び盛りの子どもたちの学力の低下は、各種国際的な指標からも明らかです。しかし片一方で、「1億総白痴化メディア」で「活字離れの元凶」であるテレビメディアは、好き勝手な野放し状態です。そこにきちんとメスを入れ対策を講じないで、いくら「国民の皆さん、本を読みましょう」と訴えても効果薄だと思うのですがいかがでしょうか。

 なお、「本」などとは無縁で劣悪な環境に生まれ育った私がどうして「本好き少年」になっていったのか、またあまり知られていませんが19世紀のインドで「大聖」と仰がれたラーマクリシュナの事跡などもご紹介するつもりでしたが、紙面が尽きてしまいました。またいずれかの機会にと思います。

 (大場光太郎・記)

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己のルーツに誇りを持て

 - NHK『こころの遺伝子-あなたがいたから-』-人気パティシエ・辻口博啓編 -

 NHK総合の『こころの遺伝子』、W杯などがあって最近観ていませんでした。久しぶり観ましたら、もう第14回にもなっていました。今回のゲストは、今人気のパティシエ・辻口博啓(つじぐち・ひろのぶ)です。

 辻口博啓は、1967年(昭和42年)石川県七尾市の町一番の和菓子屋『紅屋』の、3代目跡取りとして生まれました。朝早くから夜遅くまで和菓子作りにいそしむ父の姿に憧れ、子供の頃から和菓子職人になることを夢見ていたと言います。
 さらに小学校3年生の時、友だちの誕生日会で出された“ショートケーキ”を初めて食べそのあまりのおいしさに感動し、「和菓子とともに洋菓子を並べて売る店」を夢に加えることになったそうです。

 しかし地元の高校に入学した頃から、実家の和菓子屋に暗い影が射しはじめます。父が知人の借金の保証人になり、多額の借金を背負うはめになってしまったのです。
 そんな高校3年の時担任となったのが、辻口にとっての「運命の人」である四柳嘉章(よつやなぎ・かしょう)でした。四柳は社会科の教師ながら、実家は平安時代から続く神主の家の出で、地元の輪島塗の研究家でもありました。
 四柳の授業は教科書をあまり使わず、巧みに人生訓などを織り交ぜながら自在に進めていくユニークなものだったといいます。辻口は四柳先生から発信される「言葉の力」に魅せられ、『この人は知らないことがないんじゃないか?』と驚嘆したと言います。
 そして四柳の感化により、応援団長や生徒会長など、人が嫌がることを進んで引き受けたそうです。

 卒業が迫った頃四柳は、生徒たちに「己のルーツに誇りを持て」という言葉を贈ります。その時はその言葉の深い意味など分からずに、辻口は四柳が徹夜で書いたという紹介状を頼りに、東京の洋菓子店に就職していきました。
 しかし2ヶ月後遂に実家の和菓子屋が倒産、父は行方をくらましてしまいます。帰郷した辻口に母は、「地元に就職してくれないか」と懇願しますが、洋菓子職人の夢を捨てきれず、「3年後に一人前になるから」と再上京します。

 しかし現実は厳しいものでした。朝から晩まで皿洗いや掃除に追われる日々、肝心の技術はいっこうに教えてもらえないのです。焦りまくって四柳に相談しました。すると先生は、「自分のルーツに誇りを持て。君には和菓子職人の血が流れているじゃないか。“ワザ”は目で盗むんだよ」とアドバイスしたのです。
 感じるところがあって辻口は、以後先輩職人の動きを目で覚え、夜になって同じ動きを研究するようになります。同時に「コンクールで優勝してスポンサーを見つけ、家業の和菓子屋を再建したい」と、菓子の研究にも没頭していきます。

 その頃の後輩が語るには、「この人はなぜこんなにも夢中になれるんだろうか」と驚き呆れるほどの熱中ぶりだったと言います。その甲斐あって、1992年全国洋菓子コンクールで史上最年少の23歳で総合優勝。次いで94年には洋菓子の本場フランスでの世界コンクールに出場し銀メダルを獲得します。しかし肝心のスポンサーは現われませんでした。

 帰国後報告を兼ねて訪れた四柳先生に、辻口はフランスの素晴らしさを語ります。が、四柳は「辻口。君は日本についてどれだけのことを知っているんだ?例えば庭に咲いている“ワジマキリシマツツジ”。あの花の美しさはフランスにはないんだぞ」と手厳しく言い放ちます。
 辻口が「己のルーツに誇りを持て」について、真剣に考えざるを得なかったのはその時だったと言えます。

 輪島塗を代表とする漆塗りは西洋に伝えられ、フランス革命の悲劇の王妃、マリー・アントワネットも漆器を愛用するなど、西洋では「漆=JAPAN」と評されたそうです。
 その漆塗りの技法は、江戸時代に発達し完成したと言われていました。しかし近年の発掘調査の結果、鎌倉時代既に漆器の技法が存在していたことが明らかになりました。その上さらに、四柳嘉章が全国の漆器文化の研究を重ねた結果、何と漆塗りは9千年も前から始まっていたことが分かったと言うのです。
 
 「漆器」一つ取ってみてもかくも奥が深いのです。それらが基層となって、重層的な影響を与え合い今日の「日本文化」の奥深さを形成しているわけなのです。

 四柳の言わんとするところはー。確かにフランスにはフランスの優れた文化があることは認める。しかしフランスが本場の洋菓子ではあっても、それをいくら真似(まね)したところでそれではしょせん「猿真似」にすぎないではないか。それよりも、奥の深い日本文化、そして郷土の輪島塗などの「己の文化的ルーツ」に目を向け、独自の洋菓子作りを目指すべきなのではないか?と言っているように思われます。

 この時から辻口博啓は、単なるケーキ作り、洋菓子職人から、日本文化に深く根ざした「菓子道」という領域に踏み込んだと言えます。辻口はそれ以降、日本文化そして輪島塗の研究に没頭していくことになったのです。

 研鑽の成果として、1996年洋菓子のW杯ともいえる「クープ・デュ・モンド」に出場し、日本訳で“人生”を意味する「セラヴィ」と銘うったケーキを出品します。それは異なる風味と食感が組み合わさったケーキでした。これで日本予選を1位で突破しました。
 本大会では得意の飴細工を出品したところ、会場に出品されるや参加者たちから驚嘆の声が挙がったといいます。オリジナリティ溢れる「日本の美」をそこに認めたからです。それもそのはずです。辻口はこの作品を8時間もかけて考え抜き、漆塗りの深みに生花の美を加味した作品に仕上げたのです。同作品は、飴細工部門で栄えある最高点を獲得しました。

 辻口はある時、失踪した父がガンで入院中であることを知ります。見舞いながら、自身が作ったケーキ・セラヴィを食べてもらったそうです。父は食べ終わってただ一言、「うまい」。
 また大会直後スポンサーを得て、東京の自由が丘に洋菓子店『モンサンクレール』をオープンさせました。さらに2004年には、二子玉川の百貨店内に『和楽紅屋』をオープン。念願の実家和菓子屋の再建を果たしたのです。
 現在では、全国で1日1万個売れるという人気パティシエです。しかしそんな成功も通過点、辻口はさらなるチャレンジを続けると言いきっています。

 「己のルーツに誇りを持て」。これは辻口博啓のみならず、私たち一人一人が深く考えてみるべき言葉であるように思います。

 (大場光太郎・記)

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泉に水飲みに

           中村 苑子

  生前も死後も泉に水飲みに

…… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 中村苑子(なかむら・そのこ) 大正2年(1913年)3月25日、静岡県伊豆大仁町生まれ。昭和15年(1940年)三橋鷹女の存在を知る。同19年より「馬酔木」「鶴」に投句、水原秋桜子、石橋秀野の選を受ける。同24年「春灯」に入会、以後8年間久保田万太郎に学ぶ。同33年高橋重信と「俳句評論」を創刊、同58年高橋の急逝により同誌終刊。現代俳句協会、日本文芸家協会会員。現代俳句協会賞、現代俳句女流賞、詩歌文学館賞、蛇笏賞などを受賞。著書に、句集『水妖詞館』『花狩』『中村苑子句集』『吟遊』『花隠れ』、エッセイ集『俳句自在』『私の風景』など。平成13年(2001年)1月5日永眠。  (あのひと検索『SPYSEE』より)

 まずはじめに指摘しておくべきは、中村苑子はこの句に見られるように「生と死」「死後」などを題材とした幻想的な句を好んで作っていることです。その意味では、近代俳句の伝統である“写生主義”という方向とは違う、俳句を「詩」ととらえる方向性を志向した俳人の一人と言えると思います。

 この句における季語は「泉」です。泉はあらためて言うまでもないでしょうが、「地下水から湧き出て湛(たた)えられているところ。湧き出る際のかすかな音が涼味を誘う」と、角川文庫版『俳句歳時記・夏』にあります。
 緑陰も極まった幽玄ともいえる場所に泉はあります。それはもちろんどの季節にも見られますが、格別「涼味」をかもし出す場所であることから、近代のいつしか夏の季語として定着していったものと考えられます。

 それに「湧く知恵泉の如し」と言われるように、「泉」からは芸術的なインスピレーションや詩的イマジネーションの源泉というようなことも連想されます。
 とこのように「泉」を定義し直してから、この句をもう一度読んでみますと、この句における泉の象徴的な意味が新たに浮かび上がってきそうです。

  生前も死後も泉に水飲みに
 中村苑子にとって「死後」は、もはや仮定、想像、空想の世界ではなく、生前と同じタイムラインに連なる自明の世界と確信されているようなのです。
 それは、この世の生存にとっての基本行為の一つである「水飲み」というものを、死後も続けると詠んでいることでも明らかです。

 生前である今に水を飲むという行為があるのなら、死後にもその行為はあるのだろうという観念が作者にはあるわけです。
 こうして「泉」が、生前と死後を結びつける“装置”になろうとは ! 中村苑子以外には誰も思いつかなかったことでしょうから、それは中村苑子による「新発見」と言うことができます。

 以上のことから、この句で読み取られるのは、生前から死後へと続く「命の連続性」です。それこそが中村苑子の「希求」であるようです。そのためには生前と死後に断絶があってはいけません。「中村苑子としての」生前のパーソナリティが、死後もそのまま引き継がれてこその「命の連続性」であるからです。
 それを保証するものこそが、生死を超えた「泉に水飲みに」という行為であると見ることができます。

 (大場光太郎・記)

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朝日系『WEB RONZA』

 - 光栄なことに、同サイトで当ブログ記事『美しすぎる女スパイ』が紹介された -

 今まで知りませんでしたが、朝日新聞社によるウェブサイト:asahi.comの一環として『WEB RONZA』というサイトがあります。これは「ウェブ上の“論座”」という意味になるのでしょう。
 そういえばかつて、朝日新聞社系で『論座』という月刊誌がありました。岩波書店の『世界』と並ぶ、リベラル・左派系論壇を形成するものとして一定の読者を確保していたものの、徐々に売上げが落ちていき、2008年9月に同年10月号を最後に休刊を余儀なくされたようです。

 今回この『WEB RONZA』をなぜ知ったかといいますと、同サイトで、当ブログ記事『美しすぎる女スパイ』が紹介されたからです。当ブログの同記事、19日12;30過ぎから「http//webronza.asahi.com…」からのアクセスが急増し始めたため、気になって同サイトを訪問して分かったのです。
 19日付「政治・国際」のテーマは『スパイは今、いったい何を』で、それに春名幹男氏、加藤千洋氏などがそれぞれ論を展開しているのです。(残念ながら全文を読むには、「有料」。)そのテーマに沿った「ブログ一覧」として、5記事紹介され、たまたま当ブログ記事もそのうちの一つだったというわけです。

 同サイトの主旨は、「いち早くニュースを読み解き、激変する社会に確かな明日を提示する。時代と向き合う新言説空間」ということのようです。
 編集長は一色清という人。筆者は「政治・国際」で加藤千洋、春名幹男、星浩など20名。「経済・雇用」で磯崎哲也、浜矩子、湯浅誠など20名。「社会・メディア」で魚住昭、倉沢鉄也、斉藤環など20名。いずれも錚々たる論客60人が、各分野を担当して折々の出来事に対して健筆をふるっているようです。

 さて当ブログ記事を取り上げてくれたように、『WEB RONZA』は本体である朝日新聞よりずっと自由度の高い「新言説空間」であるようです。08年に休刊した月刊誌『論座』のリベラル・左派論説という基調を、そのまま引き継いでいこうという意思が感じられます。
 それは例えば「経済・雇用」で、小泉・竹中ラインによる新自由主義に基づく弱肉強食容認政策を厳しく非難してきた、浜矩子女史が筆者に加わっていること。さらに「社会・メディア」では、例の小沢捜査問題で検察のあり方、朝日新聞など大メディアの小沢バッシング報道を一貫して指弾してきた魚住昭氏が加わっていることなどを見ても明らかです。

 当ブログ記事とともに紹介されているブログ記事として、『CIAが「統治」した戦後の日本』があります。これは『池田信夫blog旧館』からの引用です。
 同記事はそれ以前の『CIAと岸信介』と共に、戦後の日本政治史特に55年の保守合同以降の自由民主党に、CIAが資金援助などを通していかに隠然たる影響力を行使してきたか、そしてそのCIAのために岸信介、佐藤栄作ら自民党「清和会」がいかに重要な役割を担ってきたかをあぶり出した論考です。
 これは今日の普天間基地「辺野古沖決着」や、「対米隷属」菅政権にまで及ぶ重大問題です。いずれ改めて私なりに咀嚼してご紹介できればと思います。

 それにしてもこのような“ヤバイ”一文を紹介して、asahi.com系『WEB RONZA』さん、本当にいいんですか?と思ってしまいます。少なくとも、本体の朝日新聞で取り上げることは金輪際ないことでしょう。
 このウェブサイトをはじめとして。故筑紫哲也氏が編集長だった頃の『朝日ジャーナル』、『AERA』、『論座』、『週刊朝日』など、かなり自由活発な論陣を展開してきました。『週刊朝日』などは、小沢捜査が喧騒を極めていた頃、マスコミに捜査情報をリークした検察幹部は大鶴基成であると特定しセンセーションを巻き起こしました。

 なのに、本体の朝日新聞そして共通資本で結ばれているテレビ朝日の報道の、何と歪曲、捏造、世論操作に満ちていることよ。
 新聞購読者は何百万人単位、テレ朝の『報道ステーション』などの視聴者は何千万人単位にのぼることでしょう。ここでの「言説」は世論に即直結してしまいます。極端なことを言えば、一人の政治家の政治生命を奪うことも、一つの政権を退陣に追い込むことも、逆に延々と延命してやることも「意のままに」出来るわけです。

 朝日新聞やテレビ朝日は、他の新聞・テレビ共々深いところで実はCIAにからがんじがらめにコントロールされている。それで息苦しくてたまらない加藤千洋氏あたりが、こちらのウェブで適当な「ガス抜き」を図っている。そんなんじゃあ、ないですよね?

 (大場光太郎・記)

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梅雨の爪跡

  空一面希望の色に夕焼けぬ   (拙句)

 気象庁は17日(土)、九州北部から関東地方に及ぶ列島の広い範囲で「梅雨が明けたとみられる」と発表しました。また18日には東北地方の梅雨明けも発表され、これで明けていないのは意外にも九州南部だけとなりました。
 もっとも関東地方の一部、東京、神奈川、千葉など太平洋沿岸部は、2、3日前から太平洋高気圧の圏内に入り、お天気図でもその部分だけはぶ厚い雲が切れていて、実際晴れの暑い日が続き既に梅雨明けを思わせました。
 
 神奈川県県央地区に位置する当地でも、連日30℃を超す真夏日が続いています。ただ救いといえば、いずれの日も少し強めの風が吹いていることです。そのため体感として、外を歩いていても少し涼しく感じられます。まだ幾分は梅雨前線の名残りがあるということなのでしょうか。
 いずれにしても、暑いさ中の風はまさに“涼風”、特に通りを歩いていて西寄りの片陰に入ると風の効果はてき面です。汗まみれの全身を、つかの間颯(さっ)と冷やしてくれます。
 
 とそんな悠長なことを言ってばかりもいられない事態が、梅雨明け1週間前くらい各地で起こりました。列島各地で集中豪雨、ゲリラ豪雨が発生し、甚大な被害がもたらされたのです。
 
 これは例年梅雨の終わり頃起こりやすい、いわば年中行事的なものらしいのです。しかしここ数年は特に被害の度合いをより激甚化、深刻化させているように思われます。
 大河川の氾濫による住宅地や各住宅への浸水、裏山の土砂崩壊による家屋倒壊並びに生き埋めなど人的被害、一山の円弧滑り的大規模崩落による土石流により部落全体の壊滅的被害、その他竜巻や突風による家屋被害等々。
 年々より凶暴化して襲いかかってきている印象すらあります。

 このような自然災害は、いかに気象観測が発達しても、今もって予測が出来にくい側面があります。今年も梅雨前線と太平洋高気圧のせめぎ合いから、気象レーダーなどにより九州地方、四国地方、中国地方などのどの辺がより多量に降雨し、被害が出やすいかおおまかには分かっても、ピンポイントで特定河川の護岸が崩壊しそうな個所、がけ崩れが確実な個所の特定などはおよそ不可能に近いわけです。
 そしていざ災害が起った時には、まったく地元の方々も防災関係者も寝耳に水に近い状態で、どうしても対応が後手後手となってしまいがちです。

 特に痛ましいのは、近年この時期あるいは台風時期の豪雨や家屋倒壊によってお亡くなりになるのは、後期高齢者の方々が多いことです。まさか自然災害もそれらの方々を狙い撃ちしているわけでもないでしょう。
 これは行政上防災の対応が未整備な過疎地、限界集落に、災害が集中しやすいということなのかもしれません。菅総理が就任時訴えた「最小不幸社会」とは、経済のみならず災害でも格差を生まない地方救済、弱者救済を目指す、まさに民主党的理念といえます。
 ただ菅政権発足1ヵ月余で、早くもこのような立派な理念を放棄したのでは?と見受けられるのは大いに気になるところです。

 反面自然災害は、「都市」の意外なもろさや弱点を露呈することもあります。
 今回で言えば大河川の大増水によって堤防が決壊し、そこから市街地に大量の川水が流入し、住宅地や田畑は一面湖のような状態。その中に車が埋没している、人が足の半ばや腰まで浸かってやっとこさ歩いている、地下鉄が入り口まで水で満々と溢れている、救命ボートが各戸を訪ね回っている、住宅や店舗が床上何十cmも浸水し後片付けに1ヶ月もかかる、というようなことです。
 そのような光景は何やら、黙示録の一バージョンを見る思いがします。

 末尾ながら。被害に遭われた地域の方々には心よりご同情申し上げます。またお亡くなりになられた方々には深くお悔やみ申し上げます。  

 (大場光太郎・記)

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続報・美しすぎる○○

 - 先日の『美しすぎる○○』記事好評につき、その続編を -

 『美しすぎる○○』記事最近になく好評でした。久々にココフラッシュ「日常」「日々のこと」両カテゴリーで「ディリー1位」になりました。
 また直後15日の「検索フレーズランキング」では、1位「リケルメ」2位「木村拓哉」3位「ラリッサ・リケルメ」4位「美しすぎる尼さん」5位「ヌード」8位「ヌードモデル」9位「木村拓哉 ブログ」と、10中7つが同記事関連フレーズとなりました。
 ところで、あまたある「美しすぎる○○」の中で「美しすぎる尼さん」が4位に入っています。実際何人もの方が同フレーズでご訪問になりました。やはり「美しすぎる尼さん」には、格別“そそられる”エロティシズムがあるということなのでしょうか?

 ともあれ。今回すっかり気をよくして、「続編」としてその関連をまた述べてみたいと思います。

 まず何と言っても、圧倒的に人気の高かった「美しすぎるサポーター」、パラグアイのラリッサ・リケルメさん(25)に関するその後の情報です。
 リケルメさんはW杯大会中、「母国パラグアイがベスト4になったらヌードになる」と公言してしましたが、結果的にベスト8に終わり、世界中の男どもが「リケルメ嬢のヌードが見られないのか~」とがっかりしていました。ところがリケルメ嬢は、「がんばった代表選手たちへのごほうびに」と、ピチピチのヌードを地元紙「ディアリオ・ポピュラル」とネットで披露してくれました。
 以上は前記事でご紹介したところです。

 これにより、リケルメ嬢の国際的な知名度が一気に急上昇したようです。例えば4年後のW杯開催国に決定しているブラジルでは、同国のファッションブランド「ロス・ドス」が、それまでは無名のヌードモデルに過ぎなかった彼女を、同社のキャンペーンモデルに起用する方針を固めたというのです。
 夕刊紙「日刊ゲンダイ」3面では、リケルメ嬢をこれまで2度ほど取り上げてきました。さらに13日ブラジルの首都・サンパウロで行われた撮影でのワンシーンを、つい先日も掲載していました。

 とは言っても、もうブラジルきってのファッションブランドのモデルとしてです。ですからこれまでのようなヌード写真ではないわけです。白いタンクトップに、超ミニのデニム地のスカート。右の腰のあたりに黒でアレンジされたサッカーボールをそっと抱えて、にこやかに微笑んだ姿です。いやあ、美女はどんなかっこうしても絵になりますなあ。
 
 とにかくリケルメ嬢、これを契機として「スーパーモデルへの変身」も視野に入ってきたようです。
 もしそうなれば、彼女を取り上げた私としても慶賀に堪えません。ただ国際級のモデルともなると、残念なことに、リケルメ嬢のヌードは金輪際拝めなくなることでしょう。
 そこで彼女のまぶしすぎるゴージャス肢体が見られるのは今のうちとばかりに、彼女の以前のヌード画像を何点か掲載しているサイトをご紹介します。(←ご興味がおありの方はクリックのこと。)

 次は「美しすぎる女スパイ」アンナ・チャップマン(28)のその後についてです。
 チャップマン元被告らは、その後米ロ両国の協定に基づいてモスクワに送還されました。英国内務省は13日、アンナ・チャップマンについて「英国籍の剥奪」を決定したというのです。ここ7、8年活動の拠点を米国に移し、同国でスパイ容疑で逮捕されたアンナでしたが、国籍は英国にあったわけです。
 これはアンナが英国人男性のチャップマン氏と結婚し、その時英国籍を取得したことによるものです。同氏との離婚後も国籍はそのままだったのです。

 英内務省はまた、「チャップマン元被告の英パスポートを無効とする」と発表しました。アンナは先週弁護士を通じて、「かつて住んでいた英国で暮らしたい」意向を示したそうですが、これにより今後の渡英は事実上不可能になってしまうわけです。
 この措置について同省スポークスマンは、「内相は二重国籍者の英国籍を取り消す権利を有しており、(剥奪された人物を)英国から排除することが公共の福祉に適する場合はそうする」と述べ、「公益」のための措置であることを強調しているようです。

 一度は「米国でこのまま住み続けたい」と駄々をこね、それがダメだと分かると「英国で暮らしたい」。社会主義国家ロシアで生まれ、20代を英米という二大自由主義国家で暮らしてきたアンナにとって、何だかんだ言って、英米と母国ロシアの「自由度の違い」を肌で実感したのに違いありません。
 「女スパイ」などというヤバイ仕事に手を染めず、善良な市民として暮らし続ければ、いつまでも米英で暮らしていけたものを…。

 (大場光太郎・記)

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『世界青春詩集』

 - 今では信じられないことに、昭和40年代は一種の「詩集ブーム」でもあった -

 ここに一冊の詩集があります。タイトルは『世界青春詩集』。今となっては少し(大いに)気恥ずかしさを覚えるタイトルです。
 書籍の場合何版と言うのかよく分かりませんが、文庫本より一回り大きなサイズです。元々は確か箱入りだったかと思います。さらに詩集本体は厚くて透明なビニールでカバーされています。かなり昔ながら、なかなか美麗な詩集です。

 表紙をめくって直ぐの右片面は余白、左片面に暗灰色で少し古めかしいヨーロッパの街並みが描かれています。さらにめくると、4ページ分カラー写真となっていて、それぞれに詩集中の詩の一節が紹介されています。
 全部で82篇の世界的に有名な詩人たちの詩が収録してあり、ページ数は250ページほど。

 最後の方の「奥付」を見ますと、発行所は三笠書房、編者は藤原定(ふじわら・さだむ)、1970年1月31日発行で、定価は¥450となっています。奥付の次、つまり裏表紙の直ぐ前のページは、右片面にやはり街並みが描かれ、左片面は余白です。その余白の左下に青いボールペンの縦書きで、
 「一九七〇年七月二日(木)」「我弐壱歳也」「大場光太郎」
の書き込みがあります。そして名前の下にはご丁寧にも少し大きなハンコまで押してあります。

 それにしても「我弐壱歳也(我21歳なり)」とは、何と大仰(おおぎょう)なのでしょう。これには少し理由があります。
 当時私は現居住市内の某測量事務所に勤務していました。同事務所は、土地家屋調査士業務が大半を占めていました。同業務の主要なものに、土地・建物表示登記申請があります。法務局の出先機関に提出する同申請書類には、所在地番、地積(土地の面積)、建物の床面積などを表記するのに、当時は「壱、弐、参…拾」という特殊でいかめしい漢数字を使う決めになっていたのです。ですからその表記は、多分に当時の仕事の影響があったわけです。

 ところで1970年といえば「70年安保闘争」「全共闘学生運動」の真っ只中、大激動の年でした。
 同年3月31日には「よど号ハイジャック事件」が起き、同事件の一部始終がテレビ中継され世間を震撼させました。また11月25日には「三島事件」が起き、よど号事件以上の強い衝撃を当時の社会に与えました。
 
 身近なところでも、昨年の『成人式の思い出(1)(2)』で述べましたように、この年の1月厚木中学体育館で行われた私たちの成人式では、成人代表として登壇した早大生のО君が、挨拶途中突如「この式を新成人による対話集会に切り替えることを要求する !」と言い放ちました。壇上来賓席のI市長が慌ててかけ寄り、しばらく両者が激しくやり合う前代未聞の成人式となりました。

 そんな世の喧騒とは別に、昭和40年代は意外なことに「詩集ブーム」でもあったのです。今となっては信じられないことでしょうが、町の書店には日本そして世界の著名な詩人たちの各種詩集が溢れるように並んでいました。各出版社が競って、とりどりの詩集を出し合っているような状況でした。

 私らより一世代前の昭和30年代は、ロマン・ローランの『ジャン・クリストフ』やマルタン・デュ・ガールの『チボー家の人々』などの世界文学を読むことが、知的な若者たちのステータスの一つであったようです。それが私たちの世代では、詩集を読むことがそれと同じことを意味していたのかもしれません。
 作家・小説家と同じく詩人も、ある種の「畏怖の念」をもって受け止められていた、そんな時代だったように思われます。

 当時の仲間の中には、本式に詩作している人もいました。私より1歳年上の人でしたが、ある時その人の下宿を訪ねたことがあります。その若さで、一室に大きな書棚がズラッと並び、日本と世界の文学全集とともに、同じく大判の詩集がこれまたズラッと並んでいました。
 その人が果たしてそれらを全部読破していたかどうかは不明です。当ブログでも高校あたりからの下手くそな詩を載せていますが、当時私はもう少し詩がうまくなりたくて、その人を訪ねたのです。しかし私は『世界青春詩集』を含めて、詩集はちょぼちょぼしか持っていませんでした。
 その書籍群の壮観さに『いやあ、これは適わん』と、私はスッカリ気圧(けお)されてしまいました。

 この『世界青春詩集』が当時どれだけ読まれたのか、私は知る由もありません。しかし私のみは、当時繰り返し読み、40年後の今もこうして持ち続けてきたわけです。
 レールモントフの『雲』、シュトルムの『町』など。13篇の詩には、しっかりと「レ点(チェック)」を入れています。それらの詩を私は特に気に入って繰り返し読んだのです。

 「たかが詩、されど詩」。今詩は特別な人以外は見向きもされません。スッカリ「無用の長物」になってしまった感があります。 しかし人生には「無用の用」というのも、またあるものです。
 例に挙げては何ですが。かつて『パンツをはいたサル』で一世を風靡した栗本慎一郎は、バブル全盛の頃「私の時間単価はウン万円だ」などと豪語していたことがあります。このようにすべてを「カネ」に置き換えしまう価値観では、まさに詩などクソの役にも立たないものでしょう。
 しかし学者ですら「時間単価」を言い出す社会とは、本当にまともな社会なのでしょうか?ちなみに栗本慎一郎は、その後脳梗塞で倒れだいぶリハビリできたものの、以前ほどのパワフルさは戻っていないようです。

 詩は金銭的欲求は充たせなくても、「魂の欲求」は充たすのです。
 何十年かぶりで『世界青春詩集』を手に取り、時折りその中の一詩を読んだりしながら、自身の時間単価を意識しまた意識せざるを得ない社会とは、「ホント、困った世の中だ」と思ったりします。

 (大場光太郎・記)

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第1検審「不起訴不当」議決

 -「起訴相当」or「不起訴不当」で、いちいちマスコミが大騒ぎ。しょせん一般市民にすぎない素人審査員たちが出した議決に、何か意味があるのか?-

 民主党の参院選敗北の悪夢覚めやらぬ中、小沢一郎前幹事長の資金管理団体「陸山会」を巡る事件で新たな動きがありました。

 同事件を巡っては、4月に「起訴相当」の議決を出した東京第5検察審査会が大きくクローズアップされていましたが、今度こわかに「新手の」第1検察審査会が登場し、07年分の政治資金収支報告書の虚偽記載容疑について「不起訴不当」の議決を出したのです。
 同議決は8日付で、第1検察審査会は、「『秘書に任せていた』との小沢氏の弁解は不自然。不問にすれば司法手続きに対する信頼を損なう」と指摘し、不起訴不当とした上で東京地検特捜部に小沢氏の再聴取などを求めたものです。

 東京地検→検察審査会への流れとしてはー。2月4日の東京地検特捜部の1回目の「嫌疑不十分で不起訴」処分を不服として、活動実態や代表者・事務所所在地など一切不明の右翼系の「偽装市民団体」である『真実を求める会』が、検察審査会(以下「検審」と略称)に「不起訴」不服申立てを行ったわけです。
 この正体不明の市民団体の告発や不服申立てに対して、東京地検や検審は、他の案件については“棚上げ”“棚ざらし”がいっぱいある中で、超スピードの最優先で捜査、審査を行わなければならない特殊事情、裏事情があったらしいのです。
 
 それはともかく。その際陸山会の資金の流れのうち04年、05年の収支報告書虚偽記載分については東京第5検審で、そして07年の虚偽記載分については東京第1検審でと、それぞれ分けて審査することになったもののようです。

 一般国民にとっては降ってわいたような、今回の第1検審の「不起訴不当」です。ただし不起訴不当の場合は第2段階の審査はなく、これにて07年分の審査は終了したことになります。特捜部は今回の議決を受けて、小沢氏に4回目の聴取を要請することも含めて(07年分について)再捜査を検討しますが、新証拠を得られる可能性は極めて低く、再び不起訴となる見通しです。
 
 第1検審の議決が「起訴相当」でなかったことに、小沢氏側からは安堵の声が漏れているようです。もっか“雲隠れ中”の小沢氏に代わって、小沢氏に近い高嶋良充参院幹事長は、国会内で記者団に「小沢前幹事長は、一つの問題をクリアーされたものと思う」と語り、小沢氏が抱える懸案が軽減したとの認識を示しました。
 また小沢グループに属する衆院議員の一人も、「(不起訴不当議決は)小沢氏に風が吹いている」と歓迎の意向を示しています。

 しかし既にご承知のように、問題は4月に「起訴相当」を出した第5検審の「2度目の議決」がどうなるかです。もし次回も「起訴相当」なら、小沢氏は「強制起訴」となり、政界に大激震が走ります。
 政治的事件の捜査にかけては、我が国に並ぶものなきプロ集団の東京地検特捜部が、捜査の限りを尽くして「不起訴」としたものを、市民からクジで選ばれた法律の素人の11人の審査員が「起訴相当」議決を出す。それが検察による処分以上の法的価値を置かれ、一人の政治家の政治生命や一国の政治状況すらも一変させかねない。
 こんな検審制度は、根本的におかしいはずです。

 しかし小沢一郎の政治生命の抹殺を執拗に画策している新聞・テレビは、仮に第5検審が2度目の「起訴相当」議決でも出そうものなら、検審の問題点などそっちのけで、それこそ蜂の巣を突っついたような大騒ぎ報道を繰り広げることでしょう。今度は「小沢議員辞職」一大キャンペーンを展開するのは明らかです。
 
 もし第5検審の議決が今月末なら、再度「起訴相当」→「強制起訴」の可能性が高いとみられていました。しかし15日にわかに、同議決は、民主党代表選が行われる9月以降に先送りされる公算が高まったようです。少なくとも今月中に結論を出すことはなさそうです。
 今月中の再議決がないとなると、4月に「全員一致」で起訴相当議決を出した当時の11人の審査員全員がいなくなります。8月1日からは当時とはまったく違う審査員によって、新たに審査し直すことになるのです。それに「全員一致議決」に誘導した、当時の審査補助員でいわくつきの“ヤメ検弁護士”米澤敏雄も、世間やネット上で大騒ぎとなったことから、次回は担当しないそうです。
 以上のことから、前回よりは公平な審査が期待できそうなのです。

 今は雲隠れ状態の小沢一郎ですが、9月の代表選には小沢氏本人が打って出る可能性もありそうです。それを何としても阻止したいテレビマスコミは、「もし起訴相当になれば…」と強調し、新審査員を暗に起訴相当議決をするよう誘導しています。また「直後に起訴されるかもしれない代表候補者を、民主党員は果たして支持するのでしょうか?」というような煙幕も張っています。
 
 大マスコミは本当に性質(たち)の悪い「悪徳旧勢力」です。こんな大マスコミ、霞ヶ関官僚たちの利権構造を根こそぎひっくり返し、「日本をもう一度洗濯致し候(そうろう)」ためにも、ネットでは「小沢首相待望論」が根強いのです。

 (大場光太郎・記)

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菅総理は小沢氏の協力を仰ぐべきだ

 - このような事態に立ち至った以上、「小沢排除」などとは言ってられないだろう -

 参院選敗北を受けて、菅総理は13日元代表、両院議長、最高顧問らを相次いで訪問しました。今後の政権運営に理解を得、協力を求めたものと思われます。そして菅総理は、「小沢前幹事長とも近いうちにお会いしたい」と語りました。

 今回44議席しか得られなかったということは、民主党全体にとって相当深刻な事態です。政策ごとのパーシャル連合(部分的連立)などは、まるで手品師か曲芸師のような非現実的なお話。かといって恒久的な連立相手を探そうにも、おいそれとは見つからない厳しい状況です。
 どうしてこのような深刻な事態を招いてしまったのでしょうか?すべては6月の両院議員総会で、菅直人が新代表に選出された直後の、「小沢幹事長はしばらく静かにしていただいた方が日本の政治のためにもよい」という「小沢外し発言」から始まったのです。

 それが単なるポーズでなかったことは、その後小沢グループを徹底排除した、閣僚人事、党執行部人事から明らかでした。一連の小沢バッシングでは、新聞・テレビという“虎の威”を借りてキャンキャン吠えまくった、仙谷由人、枝野幸男、前原誠司、玄葉光一郎など反小沢グールプメンバーを最要職に就けたのです。
 これは間近に迫った参院選にこの体制で勝利することによって、小沢一郎の影響力を徹底的に削ぎ、小沢抜きでの長期政権を目指したものと思われます。多分新政権発足時、「菅-仙谷-枝野」という新トロイカが、雁首そろえて練り上げた方針だったことでしょう。

 しかし結果はどうだったのか?今さら言うまでもないほどの大敗北です。今回の改選組の任期が終わる6年間は、民主党中心の政権が続く限り、「衆参ねじれ状態」が確実に続くのです。衆院2/3以上で再可決の奥の手が使えない以上、場合によっては法案が一本も通らなくなる可能性もあり得ます。
 そこまではいかなくても、各野党とは妥協に次ぐ妥協の連続。各法案は野党のイチャモンによって修正や骨抜きを余儀なくされ、菅直人変節総理によって既にかなり失われている「民主党らしさ」は見る影もなくなることも考えられます。
 そんな弱体政権に野党は一段と攻勢を強め、政権は立ち往生、年内にも「衆院解散、総選挙」などという最悪の局面を迎えないとも限りません。

 そういうシミュレーションが誰よりも出来ていた小沢一郎は、今回の参院選で過半数を得ることの重要性をよく分かっていました。
 だから小鳩体制では、マスコミという悪徳旧勢力の邪魔にあいその目標には届きそうもないと読んで、鳩山首相とともに幹事長職を辞任することにしたわけです。菅直人は政治の素人じゃあるまいし、その辺の機微をしっかり読み、選挙のプロの小沢氏の力をうまく借りるべきだったのです。
 そうすれば、選挙公示を直前にして消費税増税を持ち出す愚も犯すこともなかったことでしょう。地方の一人区で8勝21敗という大敗北も、二人区で2人目の候補者が軒並み落選というような事態も避けられ、損失は最小限に抑えられた可能性があるのです。

 しかし菅総理は「小沢排除」を徹底し、枝野幸男、玄葉光一郎、安住淳、小宮山洋子などというド素人たちに選挙を任せきりました。上記のように民主党の今後の政権運営に決定的なダメージを与える結果しか出せなかった、この者たちの責任は極めて重いものがあります。

 なかんずく、選挙の実質的責任者である幹事長の枝野幸男の責任は重大です。直後の世論調査では、「菅総理の辞任は必要ない」が過半数を超えたようです。ですから菅総理自らの続投はまあいいとして、枝野幹事長は辞任させるべきです。また枝野は、菅総理からいくら慰留されても強く自ら辞任を申し出るべきなのです。
 小沢一郎には強い口調で再三辞任を迫りながら、いざ自分がその立場になると居直る。枝野幸男はロクに責任の取り方も知らない、卑怯で腹黒くずるがしこい、口先だけの男だったことが満天下にばれてしまいました。
 今後この者がテレビの討論番組などで、いくらうまいことをしゃべりまくっても誰もまともには聞いてくれないことでしょう。

 さて菅総理から「近いうち話しあいたい」と持ちかけられても、小沢一郎にしてみれば「何を今さら」という気分でしょう。しかし菅直人は、自身の保身などかなぐり捨てて「民主党政権存続」のために、小沢氏に謙虚に教えを乞い、また今後の協力を仰ぐべきです。
 迷走鳩山、老醜渡辺、お子ちゃま前原、対米隷属岡田などは、会うだけ時間の無駄というものです。どう考えても今後の難局を切り開けるのは、小沢一郎しかいないのです。それには菅直人は、まず一連の「小沢外し」の非礼を心から詫びるべきです。お詫びが単なるポーズでない証拠として枝野は即刻辞任させ、小沢系に幹事長職を委託するべきです。

 とは言っても、肝心の小沢一郎は投票日前から“雲隠れ”で、ほとんどの議員がどこにいるのか所在が掴めない状態のようです。ある小沢系議員によると、「八丈島でのんびり釣りでも楽しんでんじゃないの?」ということです。
 それならば少し早い夏休みでけっこうですが、小沢一郎には例の東京第五検察審査会による「再議決」が今月25日頃にも出されるという観測がもっぱらです。その結果次第では、小沢氏本人はもとより、日本の今後の政治全体が大きく左右されることになります。

 検審の議決が出るまで雲隠れは続くのかもしれません。小沢一郎は今、どこで何を考えているのでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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美しすぎる○○

 -当節は「美しすぎる○○」流行り。まあさまざまな「美しすぎる○○」がいるものだ-

 『美しすぎる女スパイ』記事で、今話題のロシア人女性スパイ、アンナ・チャップマンを取り上げました。同記事を作成しながら私は、『そう言えば最近やたらと「美しすぎる何とか」というのが多いよなぁ』と思ったのです。
 世の人々特に我々男共は、身の程知らずにも「美人好み」が圧倒的に多いわけです。そういう世の風潮におもねってなのか、テレビマスコミなどで確かに「美しすぎる」という形容がしきりに使われることが最近多いように思われます。

 ちなみにグーグル検索で「うつくしすぎる」と打ち込もうものなら、待ってましたとばかりに、その下窓に関連項目がずらりと表示されます。
 「美しすぎる八戸市議」「美しすぎるサポーター」「美しすぎる尼さん」「美しすぎる書道家」「美しすぎる獣医」「美しすぎる公認会計士」「美しすぎる車掌」など、あるわあるわ。今回はそのうちのいくつかを以下にご紹介してみたいと思います。

 まずトップに表示されている「美しすぎる八戸市議」です。
 これはそもそも「美しすぎる」「美人すぎる」という言葉が生まれるキッカケともなリ、2、3年前テレビなどで盛んに喧伝されましたから、ご存知の方も多いことでしょう。ネット上でもその画像は多数出されていますが、なるほどマスコミ各社が追いかけるほどのことはあります。
 青森県八戸市議の藤川ゆり(本名:藤川優里-30)を指しています。自民党の津島雄二系の元八戸市議副議長を父に持つといいますから、固いことを言えば二世議員には違いないわけです。自民党員?二世議員?本来ならば自民党嫌い、世襲嫌いの私は「断然NO !」とすべきところです。が彼女の美人度に免じて、今参院選で比例当選した三原じゅん子ともども大目に見ることに致しましょう。

 次に気になったのは「美しすぎるサポーター」です。
 つい先日スペインの優勝(対オランダ決勝戦1-0)で幕を閉じた南アW杯での、ある女性サポーターを指しています。
 各国とも大勢の女性サポーターが詰めかけた今大会で、栄えある「美しすぎる」という称号を得たのは、パラグアイの女優、ラリッサ・リケルメさん(25)です。パラグアイといえば、日本代表がPK戦の末敗れ、ベスト8進出を阻まれた対戦国でした。このリケルメさん、以前からパラグアイがベスト4入りすれば「脱ぎます」つまり「ヌードになります」と公言していたそうです。

 しかし母国は準々決勝でスペインに敗れてしまいました。しかし心根の優しいリケルメさんは、「国中を沸かせてくれたから、お肌のプレゼントを贈りたいの」と、地元紙『ディアリオ・ポピュラル』で国旗を背にスッポンポンのフルヌードを披露してくれたのです。
 その写真が過日の『日刊ゲンダイ』3面に掲載されていました。日本女性ばりの艶やかで長い黒髪、褐色の肌、プロポーション抜群のナイスバディ。その上もちろん飛び切りの美人ときていますから。
 そもそも脱ぎっぷりのよさは、彼女は元々ヌードモデルだったからのようです。どおりでポーズの取り方も堂に入ったものでした。
 私は鼻の下を長くしながら(笑)、今大会一の美神リケルメのヌードにしばし見惚れたのでした。

 さらに「美しすぎる獣医」をご紹介します。
 この女性も日本人ではありません。台湾大学の卒業生で、現在獣医系を目指している台湾美人の劉乃潔さん(年齢不詳)です。この劉さん、「美しすぎる獣医」として日本のネット上で話題になっていると、中国新聞社が伝えているのです。
 そもそもことの起こりは、台湾大学の掲示板サイトの「台大十三妹」(台湾大学の13人の美女)というブログコーナーで劉さんの写真が掲載され、書き込みが殺到したことに始まるそうです。
 劉さんはそれとは別に、さらに「台大五姫」にランクアップされ、台大五大美女の一人(卒業生も含む)にも数えられ次々とネット上に露出され、現在ではさらにアクセス数を伸ばしているといいます。

 台湾といえば。忘れてならないのが、台湾出身の国際的女優、リン・チーリンさん(35)です。昨年記事『続・レッドクリフパートⅡ』でも触れましたが、同映画で彼女は、周諭の妻で絶世の美女だったと伝えられる小喬役を演じていました。その類い稀な美貌に加えて、そこはかとなく漂う気品。私はたちまちファンになってしまいました。
 リン・チーリンは今年になって日本でも活躍し始め、つい先頃のフジテレビの月9ドラマ『月の恋人』(主演:木村拓哉)にもヒロインとして出演、またCMにも出演し、世のおじさんたちをとりこにしているようです。
 そんなことで私は個人的に、リン・チーリンを「アジア最高美姫」と評価しているのですが、いかがでしょうか?

 以上“短夜”(みじかよ)の「美女談義」の一席でした。

 (大場光太郎・記)

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惨敗でも誰も責任を取らない !?

 - 大惨敗を喫した菅民主党。しかし誰も責任を取らないとは呆れた話だ ! -

 開票を待つまでもなく、与党菅民主党が負けるだろうことはある程度予想されました。私は選挙期間中『官(菅)民主党には50議席以上を与えるな !』という記事を出そうと思っていましたが、途中にW杯関連記事などを割り込ませ、結局日の目は見ませんでした。

 私個人としては、菅総理が予め低く設定した「改選前の54議席」という勝敗ラインすらも、「悪徳旧勢力取り込まれ政権」には多すぎると思っていたのです。そこで菅総理以下現執行部が昨年の政権交代時からいかに道を踏み外しているか、それに気づいてもらいお灸をすえるためにも、ある程度の議席減となった方がいい。50議席以上では厚顔無恥な菅総理以下執行部は「へ」とも思わないだろうから、49議席くらいにとどまった方がよいと思ったのです。

 ところがいざ開票が始まってみるとどうでしょう?私の思惑などはるかに下回る「44議席」。改選前の54を10議席も下回る大惨敗です。おまけに当面の連立相手である国民新党は3→0と、両党合わせた参院における新勢力は、106+3=109議席どまり。参院の過半数の122には「13議席」も足りません。

 かつての安倍、福田、麻生旧自公政権下でも、「衆参ねじれ現象」はありました。3内閣のいずれもが、そのため苦しんだわけです。しかし菅政権と違うのは、小泉デタラメ政権下で行われた、“1億総(悪)霊がかり”的郵政選挙で得た衆院2/3以上の議席により、一つの法案が参院で否決されても衆院に差し戻され、「衆院2/3以上で再議決」という奥の手が使えたことです。
 現に安倍以降の自公政権では、国民の迷惑など委細構わず「2/3再議決」を使いまくりました。

 しかし衆院で2/3に届かない菅政権では、その奥の手すら使えません。枝野幹事長は戦前からある程度の「負け」を予測し、全国で候補者が戦闘の真っ只中にも関らず、敵軍の一角である「みんなの党」に連立の秋波を送り始めました。“口先男”の枝野とは器が違うみんなの党代表の渡辺喜美代表からは、「何を寝言ほざいてるんだ。顔を洗って出直して来い !」と、赤っ恥の一喝をくらう始末でした。
 今回の大敗は、そんな“小利口者”枝野の思惑など遥かに超える深刻な結果となり、みんなの党と仮に組もうともなお足りないほどの惨敗です。

 この国民の審判は、菅総理、執行部、各閣僚に対して、「この結果にどう責任を取るんだよ」と迫っているのではないでしょうか?
 大敗の大きな要因は菅総理自身の“オウンゴール”です。党内論議をすっ飛ばして、突如消費税増税を威勢よくぶち上げたはいいが、少し旗色が悪くなりかけると「ああでもない、こうでもない」のブレブレの「ブレ菅」ぶりが招いた結果なのです。
 即刻辞めるのがトップリーダーとしての潔い身の処し方と言うべきです。

 しかし開票後の11日夜、菅総理はなかなか姿を現わさず、与党内の開票センターはあろうことか無人状態が長時間続きました。こんな事態は、不誠実な自民党政権下でもかつてなかったことです。
 菅総理が会見に応じたのは日付が変わった、12日深夜午前0時半すぎでした。まずギリシャ危機があったから云々かんぬんの言い訳から始まり、挙句の果ては「改めてスタートラインに立ちたい」と、いけしゃあしゃあと続投の意向を示したのです。

 今永田町では、「自民党らしさ出てきた民主党」というおちょくった川柳が流れているそうです。確かに普天間問題でも、消費税問題でも、そういう傾向が顕著になっている民主党ですが、菅直人のこのような国民に対する不誠実な対応は、(菅が密かに手本にしているらしい)希代の無責任男・小泉純一郎と甲乙つけがたいと言うべきです。
 菅総理の続投のみならず、枝野幹事長や安住選対委員長ら現執行部も続投の意向とのことです。さらに驚いたことには、おらが神奈川選挙区で民主新人やみんなの党新人に抜かれて落選の千葉景子法務大臣まで続投だと言うのですから。

 およそ「開いた口がふさがらない」とはこのことです。一国のトップリーダーたちがきちんとケジメを示さないでどうするんだよ、という話です。これでは全国の小中学校の生徒たちに、「ケジメの大切さ」など教育できるわけがないでしょうが。

 選挙で大敗しても誰一人責任を取ろうとしない。各閣僚たちはお互いに傷の舐め合いで、「責任を云々している場合ではない」と。『菅民主党内閣は利用のしがいがあるぞ』と踏んでいる、悪徳旧勢力の新聞・テレビが続投を後押ししているから余計です。(こういう事態になった場合菅政権をどうやってフォローすべきか、電通あたりから例の「極秘指令書」がとっくにマスコミ各社に配られていることでしょう。)

 テレビ各局の選挙開票特番が始まる直前、NHKの大河ドラマ『龍馬伝・第2部』の完結篇が放映されました。(同第2部につきましてはいずれ記事にする予定ですが)その中で武市半平太が、吉田東洋暗殺や土佐勤皇党の活動などの責任を取って切腹する場面がありました。演じた大森南明の壮烈な同シーンには、思わず熱いものがこみ上げてきました。
 しかしものの数時間も経つと、何とも言えない「この嫌な現実」。この国は一体いつからケジメのつけられない「歪んだ国」になってしまったのでしょうか?

 大きな要因はやはり、希代のデタラメ総理・小泉純一郎だったと見るべきです。小泉政権下の5年余、同政権と小泉本人がどれだけ国民に不誠実な対応をしてきたことか。「小泉政治の総括」を、新聞、テレビ、言論界のどこもいまだきちんとしていません。それがこういうところにモロに出てきているのです。

 3年前の参院選で同じく大敗した安倍晋三元総理も「続投表明」しました。偉大な無責任男・小泉の政治手法に右ならえしたのです。しかし結果は政権運営に行き詰まり、その後2ヶ月も持たずに病気を理由に辞任に追い込まれました。
 「賢者は歴史に学び、愚者は経験に学ぶ」。本当は今ここで歴史に学ぶべき菅直人は、そのうち安倍元総理と同じ轍を踏み政権は今後七転八倒、「思いっきり痛い目にあって」己の過ちを学ぶことになるのではないでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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美しすぎる女スパイ

 - マタ・ハリ、川島芳子など、美貌の女スパイの系譜に連なるアンナ・チャップマン -

 米連邦捜査局(FBI)は6月28日、ロシア人スパイとしてニューヨークやバージニアで一斉逮捕した男女10人のうち、アンナ・チャップマン(28)が今、全米中で「美しすぎる女スパイ」として話題になっています。逮捕後全米メディアで連日取り上げられ、映画や小説さながらの暗躍ぶりに、米国民の熱い視線が注がれたのです。
 動画サイト「YouTube」にはチャップマンがNYで撮影したものとみられるインタビュー映像もアップされアクセスが集中、米紙『ワシントンポスト』も「魅惑的な女スパイが米国内のネットを席巻している」と伝えました。

  一躍世界的な「時の人」となった感のある、アンナ・チャップマン とはどんな女だったのでしょうか?
 アンナは2003年、ロシア諸民族友好大学で経済学の学位を取得した後、イギリスの航空会社や投資銀行のバークレイズを経て、ヘッジファンドのマーティング部長として勤務。なかなかのキャリアウーマンぶりがうかがえます。
 2001年にロンドンのダンスクラブでイギリス人のアレックス・チャップマン氏と出会い翌年学生結婚し、チャップマン姓を名乗り、イギリス国籍を取得しました。2006年に離婚するも姓は変えず、投資会社やベンチャー企業を立ち上げ活躍していたようです。

 その後活動の拠点を米国に移し、同国でのビジネスのかたわら諜報活動に携わっていたとされています。
 チャップマン被告は、米国で核弾頭開発計画などの情報を収集し、街角の喫茶店で窓際の席に座り、ノートパソコンを使って店の外のミニバンに潜んでいるロシア当局者とデータ通信しながら、ロシアの対外情報局(SVR、旧KGB)の指示を受けたり、報告したりしていたとされるのです。
 FBIは7年以上前から彼女の動向を把握、捜査の目を光らせていたといいます。ということは、今まではさんざん泳がせていたわけで、何でこの時期に?という疑問は残ります。

 ともかくメディアがそろって驚きを隠せないのが、チャップマン被告の「開けっぴろげ」な姿勢だそうです。インターネット上で不動産事業を手掛ける女性実業家としてNYで活動しながら、会員制交流サイト(SNS)の「フェースブック」や「リンクトイン」で自身の写真や映像を多数公開していたほか、前述のようにYouTubeにも映像を残していたのです。従前のスパイのイメージとは大きくかけ離れた、目立ちたがり屋な女であることがうかがわれます。

 国際ジャーナリストで名古屋大特任教授の春名幹男氏は、次のように述べています。
 「かつてのスパイは、ロシア外務省の外交官やタス通信記者、技術者の肩書きを持っていた。表の仕事からスパイじゃないか、と想像できたものです。ところが今度のチャップマンは、どこにでもいる普通の女性、ロシアのスパイ網が市民レベルまで広がっているということで驚きました。冷戦終結後、東西スパイ戦争は沈静化しているように見えたが、裾野が広がっていたことになります。ロシアがこういう活動をしているのであれば、当然中国もやっている。普通の市民を装って諜報活動をしている人物がいるのでしょう。スパイは新しい時代です」

 米司法省は8日、アンナ・チャップマンを含むロシアスパイ団事件で起訴した男女10被告について、「欧米のスパイとしてロシアで服役していた4人と交換することで米ロ両国政府が合意した」と発表しました。10被告は同日、NY連邦地裁で開かれた公判の罪状認否で全員が罪を認め、強制送還処分を言い渡されました。
 AP通信は、10被告の弁護士は10人は数日以内に空路でロシアに出国する見通しだと報じています。
 これについて前出の春名氏は、「(スパイ交換の)背景にあるのは、米ロ戦略核兵器削減交渉の批准でしょう。裁判になって、ヘタな事実が出てくると、外交交渉の障害になる。オバマ、メドベージェフ両大統領にとって、お荷物になるのでしょう」と述べています。

 ただチャップマン被告は、米国の暮らしにかなり未練があるらしく、「アメリカで居住できなくなっちゃうの?」と弁護士に泣きついたそうです。
 アンナ・チャップマンよ。あなたの大先輩のマタ・ハリも川島芳子も、捕らえられて銃殺刑だったんですよ。「命あっての物種」じゃないの。ここはおとなしく母なるロシアへ帰りなさい。しばらくおとなしくしていれば、そのうちハリウッドから声がかかるかもしれないよ。映画『美しき女スパイの逆襲』の主演でどうかって。
 
 (大場光太郎・記)

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ほうたるの窓辺に寄れば

               黛まどか

  ほうたるの窓辺に寄れば君も寄る

…… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 黛まどか(まゆずみ・まどか) 1962年(昭和37年)7月31日神奈川県足柄下郡箱根町生まれ。本名は黛円(読み方は俳号と同じ)。父は俳人の黛執(まゆずみ・しゅう)。1983年(昭和58年)フェリス女子短期大学卒業。富士銀行勤務時代に杉田久女を知り俳句の世界に魅了される。1990年(平成2年)俳句結社「河」に入会し、吉田鴻司に師事。1994年(平成6年)「B面の夏」50句で第40回角川俳句賞奨励賞を受賞、初の句集『B面の夏』を出版。同年女性のみの俳句結社「東京ヘップバーン」を立ち上げる。1996年(平成8年)女性会員による俳誌『月刊ヘップバーン』を創刊、代表となる(同俳誌は100号で廃刊)。2001年(平成14年)句集『京都の恋』で山本健吉文学賞を受賞。  (フリー百科事典『ウィキペディア』より)

 短歌界の超新星が俵万智ならば、俳句界の超新星は黛まどかです。黛は略歴にあるとおり、平成6年『B面の夏』によって、新進の女流俳人として鮮烈デビューを果たしました。偶然にも俵と黛は、同じ昭和37年生まれ。歌壇と俳壇は近接しており、黛には俵に対する対抗意識が多分にあったことでしょう。

 黛まどかはその時32歳。「美人俳人」という俳句本来の評価とはまったく別の要素でも注目され、テレビなどで盛んに取り上げられ、当時はタレント並みの扱いでした。

 今日の俳句人口は大変裾野が広く、全国で何百万人もが何らかの作句活動に携わっていると言われています。しかしテレビマスコミで“俳人”がクローズアップされるのはまず皆無です。
 そんな中にあって黛まどかは例外中の例外。黛の出現によって俳句人口はその裾野をさらに広げたことを思えば、その功績は大いに評価すべきものと思われます。

   ほうたるの窓辺に寄れば君も寄る
 黛まどかの句として、私はこの句くらいしか知りません。そこでこの句が果たして黛の代表句なのかどうかは分かりませんが、少なくとも私に限って言えばそうなるわけです。
 
 俳句という制約の多い超短詩型で男女の機微を描くことは意外と難しく、そのせいか「恋愛句」というのはそれほど多くはないようです。また近代俳句の在りようを決定づけた高浜虚子の「花鳥諷詠」という、俳句は四季折々の自然の事物と向き合い詠み込んでいくべきものという方向性も、恋愛というテーマを遠ざけてきたと言えそうです。

 それからすればこの句は「恋愛句」として立派に成立していて、その点では画期的な作品と見ることができます。シャレた現代的感性による句とも言えそうです。まるで今風の恋愛ドラマのワンシーンを見るようです。洋館風の一室にいる、セレブな一組の男女の姿が思い浮かびます。

 機密性の高い窓サッシで完全に仕切られた内と外。何気なく外を見ると蛍がふわふわ飛んできた。それに気がついた男は、反射的に窓辺に寄っていった。それを見ていた女は、そんな男をより好ましく思って、少し遅れて同じく寄っていって、二人並んで蛍のようすをしばし見ていた。……

 しかしこの句は実は、平安朝以降の日本的美意識に深く根ざしているとも言えるのです。

 例えば、
  蛍の窓辺に寄りしを見給ひて源氏の君も寄り給ひける
とでも言い替えれば、それはもう平安朝絵巻の一場面です。すなわち、藤壺や夕顔といった愛人との“逢ひびき”の窓辺に蛍が飛んできた、光源氏がその光につられて窓の方に寄っていったというような絵柄の。

 ですからこの句は少し辛辣なことを言えば、表現的に「擬“現”調」を装ってはいても、古来からの伝統的な美意識から一歩も脱け出していないとも言えるのです。
 その点では、俵万智の『サラダ記念日』の中の作品群のような「革新性」に比して、幾分評価を下げざるを得ないのかな?と感じるところはあります。

 (大場光太郎・記) 

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占いタコ、ドイツ敗退を的中 !

 - 今世界中で評判の占いタコ「パウル」。ドイツ敗退も大当たりで的中率100% ! -

 しかしこんなことがあるものでしょうか?というのも、W杯準決勝戦のスペイン対ドイツ戦、占いタコ「パウル」がドイツの敗退を予想し、これが0-1で本当の話になってしまったのです。

 今や世界的に“引っ張りダコ”になった感のある、占いタコの「パウル君」(果たしてタコに性別があるのかどうか定かではありませんが、一応仮称)は、ドイツ西部のオーバーハウゼンの水族館「シー・ライフ」で飼育されている大タコです。このタコのパウル君、今W杯のドイツの予選からの試合結果を占わせたところ、100%的中させたのです。
 テレビなどでその映像が流されましたからご存知の方も多いこととは思いますが、占いの方法はいたってシンプルなのです。まず国旗を張ったエサ入りのプラスチック製の水槽を2つ並べておきます。そこにパウル君が入ってエサを食べた方の国を勝利とするという占いの方法です。

 問題のスペイン対ドイツ戦に当たっても、その映像が事前に世界中に流されました。くだんのパウル君、最初は『日頃からお世話になっている国でもあるし。ドイツの水槽に入ろうかな?』と迷っているようすでした。しかしそちらには入らず、意を決したようにスペインの水槽の方にスッポリ入り込んでしまったのです。
 その時点で、同試合は「スペインの勝ち」「ドイツの負け」との判定が下されたわけなのです。

 私はつい先日の『W杯準々決勝戦』記事で、ドイツ対アルゼンチン戦を取り上げ、ブラジルが敗退した以上今後はドイツを応援すること、同試合でドイツがいかに強い戦いをしたかなどを述べました。
 直後にパウル君が、次戦となるスペイン戦で「ドイツ敗退」を予想していることを知り、末尾の【速報】の中でそのことにも触れました。

 あんな強いドイツが、パラグアイ相手に1-0辛勝、いまだもたつき気味のスペインに負けるわけがないだろう、とは思いつつも。同時に、いやひょっとしてこのタコの予想通りドイツは負けて準決勝で姿を消すことがあるかもしれんぞ、とも思いました。
 ただしその場合ワンサイドで負けるのではなく、パウル君が一旦はドイツ水槽に入りかけたように、相当もつれた末のスペインの辛勝なのでは?とも。

 さて肝心のスペイン対ドイツ戦。展開はまさにそのとおりになりました。スペイン戦でのドイツは、前の2試合とは明らかに動きが違っていました。イングランド、アルゼンチン戦の時のように、相手の動きを封じ込め自軍のペースに持ち込む、キレとスピードのある動きがまるで見られなかったのです。
 これぞ「パウルの呪い?」。まさかクローゼやエジルらドイツ代表がパウル君の予想を知って、ガックリ気落ちし一気にモチベーションが下がっていた、ということでもないでしょうが。

 スペインはドイツを相当研究していたフシがうかがえます。むしろ序盤からスペインの方が、それまでのドイツのお株を奪う戦い方を仕掛けてきました。素早いパス回し、そしてチャンスと見るや果敢にドイツゴールに襲い掛かる迫力。それまでとは別のチームのような変わりようでした。
 前半ドイツはスペインの猛攻を何とかしのぎ0-0に。前の2試合では、前半の早い時間帯で速攻の先取点を挙げたことからすると、予想外の展開といえました。

 後半はようやくドイツ本来のシャープな動きも見られだし、「ドイツの時間帯」が続き、『ひょっとしてドイツが先取点を取り、パウル予想も外れるんじゃないか?』と思われた矢先の、後半28分。スペインはコーナーキックのチャンスを得、DFプジョルに豪快なヘディングを決められ痛すぎる1点を与えてしまいました。
 この試合のドイツには、残り20分弱でそれをはね返し同点に追いつく力も残っていないようでした。結果1-0でスペインの勝利で試合終了となったのです。

 この試合より先に行われたもう一つの準決勝の試合オランダ対ウルグアイ戦は、1-0でオランダが勝利しました。
 フランス、イタリアはあろうことか予選で早々と姿を消す大番狂わせ。そしてイングランド、ブラジル、アルゼンチン、ドイツという優勝候補国も次々と姿を消し、今W杯決勝はオランダ対スペインという、少し意外な組み合わせとなりました。

 しかし考えてみれば、スペインもオランダも世界で名だたる強豪国です。スペインは自国リーグのバルセロナ、レアルマドリードは世界NO.1を争うクラブチームです。それにスペインは08年同じくドイツを破ってヨーロッパチャンピオンにもなっています。今大会5得点のビジャ、シャビ・アロンソ、ドイツ戦で得点をたたき出したプジョルなど良い選手がそろっています。
 一方のオランダもスナイダー、ロッペンなどを中心に順調に決勝戦まで勝ち上がってきた、攻守にバランスの取れたチームです。それにオランダは08年9月から25戦無敗を誇っているそうです。この強さはただものではありません。

 オランダはこれが3回目の決勝進出、しかしまだ優勝はありません。一方のスペインは意外なことにこれが初めての決勝進出。どちらが勝つにせよ、初のW杯優勝となります。またこれも意外ですが、ヨーロッパ勢はヨーロッパ以外の開催では一度も優勝した国がなかったそうで、今回はこのジンクスも破られるわけです。

 オランダ対スペイン。決勝戦のキックオフは、日本時間の12日午前3時30分。
 さて勝つのはどっちか?これだけは何とも分かりません。いっそのこと、例のパウル君に最後の占いをしていただきましょうか?

 【追記】
 本文でも紹介しましたとおり、今や世界的に知られる占いタコ・パウル君ですが、少し困ったことも持ち上がっているようです。対ドイツ戦で敗退を予想されたアルゼンチンは、血の気の多いラテン系のお国柄。アルゼンチンサポーターの間から、「あんなタコは殺しちまえ !」という、物騒な発言が飛び出しているというのです。
 また勝ちを予想されたスペインも、フラミンゴなどでお分かりのように情熱の国。そのスペインサポーターの中には、「変な予想をすると“ゆでだこ”にして食っちまうぞ !」などと騒いでいる者もいるそうです。
 これにはパウル君、『おヽ恐っ !』と首をすくめたかどうか。オランダ対スペインの決勝戦は、「スペイン勝利」とのご託宣だったようです。

 (大場光太郎・記) 

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期日前投票済ませました

 - お約束どおり民主党には投票せず。選挙区は社民党、比例区は国民新党に -

 参院選投票日の11日(日)まで後4日と迫った、雨の7日の夕方5時過ぎ、「期日前投票」に行ってきました。
 投票当日バタバタするのが嫌だったからかどうなのか、私はここ20年ほど決まって期日前投票です。もっとも以前は「不在者投票」と銘うたれ、投票日当日投票できないのはどんな理由だ、仕事で出張するのなら行き先を書け、などと小うるさいことと言ったらありませんでした。

 その点数年前から期日前投票に切り替わり、所定のカードの“理由欄”の「仕事、レジャーなどのため」というような、大雑把な1番目の項目にチェックを入れればそれでオーケーです。そのためか、期日前投票数は国政選挙のたびごとに増加の一途を示しているようです。

 今回は「政権交代」が大テーマだった昨夏の衆院選より、与党民主党への投票は、今のところ同投票では下回っているようです。同投票は全体投票の10数%くらいらしいですから、それだけで今参院選の帰趨を推定するのは早計です。
 とは言うものの、鳩山前政権下での普天間問題における辺野古沖決着、それに菅現政権が突如持ち出した消費税増税問題など、明らかに昨夏の民主党のマニフェストから大きく後退、公約違反状態にあるわけで、それはむしろ当然の帰結と言うべきです。

 さて私が期日前投票してきたのは、厚木市役所です。投票所は同市役所の3階ですから、エレベーターに乗り込みます。先に乗った60代半ば頃のご夫人も同じ目的のようで、3階のボタンを押してくれました。少し遅れて70代と思しきご夫婦もあわてて乗り込んできました。
 私たちは係員の誘導で、通路に並べられた机で、備え付けの所定のカードの必要記入欄に書き込んでいきます。書き終えて私が一番先に投票所に入りました。中では2人ほどが投票の最中です。

 何人か机越しに並んだ選挙管理委員の方々の指示により、順々に横にたどって、選挙区と比例区2枚の投票用紙をもらい、幾つにも仕切られた投票スペースに向かいます。私は何のためらいもなく、選挙区は社民党候補者の木村えい子、比例区は国民新党と書き込みました。
 普天間問題や郵政改正法案問題で、きちんと筋を通した社民党、国民新党に報いたかったのです。
 本当は選挙区で国民新党、比例区で社民党としたいところでした。しかし神奈川選挙区(定数3)には国民新の候補者がおらず、やむなく逆の投票としたわけなのです。

 神奈川選挙区は、民主党現法務大臣の千葉景子、自民党現職の小泉昭男は確実。後の1議席をめぐって民主新人とみんなの党新人の争いと見られています。
 千葉法相は、一連の小沢捜査などに見られた「検察ファッショ」では何の対抗意思も示さず検察様々の言いなり、その他検察などの取調べにおける可視化法案は今やお蔵入り状態。まあ何をなさっていたお大臣なのかさっぱり分からず、影の薄い大臣です。そんな千葉法相が、菅内閣でも留任とは。これぞ現内閣の七不思議の一つと言うべきです。

 残念ながら私が投票した木村えい子候補の当選は、限りなくゼロに近いものと思われます。しかし元来“天邪鬼”な私は、選挙に限らず負け戦と分かっていても突っ込んでいく傾向がありました。それで、今までずい分損ばかりしてきたわけですが…。
 したがって私には、「勝ち馬に乗る心理」も「バンドワゴン現象」も関係ありません。だいぶ前の“おたかさん”こと土井たか子社民党元党首の言葉ではないけれど、「ダメなものはダメ !」と、民主党を、返す刀で自民党もぶった斬りたい感じです。

 投票を済ませて帰るさ、市役所正面玄関前に1人の男性が立っていました。30代前半くらいのメガネをかけた男性です。その人が、私のところにつかつかと歩み寄ってきたのです。
 「NHKの者ですが。今投票されてきましたか?」「はぁ、してきましたけど」「実は調査を行っておりまして。少しお時間をいただけないでしょうか?」
 さてはこれが当今盛んな「出口調査」というやつだな。私は「けっこうです」と断るほどの理由もないので、喜んで協力することにしました。

 その男性は、A4版の大きさのアンケート用紙を挟んだバインダーを、私の前にぬっとばかりに差し出します。見れば簡単な幾つかの質問があり、各項目の該当する番号に丸をくれる方式のようです。
 性別/年齢/選挙区は誰に投票しましたか?/比例区は何党に入れましたか?/いつも投票している党はどこですか?(回答「民主党」。しかし“悪代菅”政権が続くかぎり支持しませんよ)/最も取り組んでもらいたい政治的課題は何ですか?(幾つもある中で、迷わず一番最初にあった「景気対策」。自営業の1人として、景気悪化はひしひしと実感されますから)

 くだんのNHK職員男性、最後の項目を指でたどりながら、「消費税についてはどうですか?」と。私はためらわず「反対」に丸をくれました。そして「反対です。絶対反対です」と言わずもがなのことを口走ってしまいました。
 男性は笑いながら、「あヽそうですか」。そして大きな声で「ご協力ありがとうございました」

 一言申し添えておきますけど。「絶対反対」とは言いましたが、公務員改革、独法廃止、特別会計見直しなどで毎年20兆円くらいの財源をまず生み出す。そこまで血を流して、それでも社会保障、福祉、介護目的の財源が足りません。間違っても霞ヶ関官僚利権、大企業優遇には使いません。ですから国民の皆様、どうか消費税増税にご理解いただけないでしょうか。
 そうであるのなら、賛成するのはやぶさかではありせん。

 (大場光太郎・記)

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たなばたさま

  梅雨なるに小笹を持ちし少年よ   (拙句)

 折角の七夕(たなばた)なのに、きょうはあいにくの小雨がちの一日となりました。あらためて『そうだ、きょうは七夕だったんだ』と思い起こさせられた小さな出来事がありました。午後街の中で、小学校低学年と思しき男の子が、小笹の一枝を持って歩いていたのです。小雨の中、一方の手に傘を持ちながら、もう一方の手に笹を前に突き出すように持ちながら。
 まだ若そうな母親が連れ添うように、すぐ後ろを歩いています。

 小雨に濡れて笹の葉はよけい緑鮮やかです。それを見ながら私は、『あヽ残念なことに今晩の七夕は雨だよね』と、母子とすれ違いざま思ったのです。
 しかしたとえ雨で天の川や彦星、織女星は見られなくても、その小笹に少年や両親などの願いを書いた短冊やとりどりの飾りつけをして、玄関先辺りに掲げることでしょう。

   笹の葉さらさら             五しきのたんざく
   軒端にゆれる              わたしがかいた
   お星さまきらきら             お星さまきらきら
   きんぎん砂子(すなご)        空からみてる
      (『たなばたさま』 作詞:権藤花代/林柳波 作曲:下総晥一)

 この少年と同じ年頃、と言っても昭和30年代とだいぶ昔、私は山形県東置賜郡宮内町(現南陽市宮内)町立母子寮にお世話になっていました。同母子寮では毎年七夕の頃には、寮内にある集会場の一角にやはり七夕飾りが設けられていました。
 集会場は20畳ほどもある板敷の広い部屋です。当時母子寮には、東寮、西寮合わせて都合20所帯ほどの大所帯が暮らしていました。それくらいですから、七夕飾りも大きな竹で、寮の職員の方々が丹精込めて飾りつけした豪勢なものでした。

 確か七夕の夜は、寮内のお母さんたち、子どもたちがこの集会場に集まって、「七夕の会」のようなものが催されていました。それぞれにお菓子などが配られ、各自前に出て歌や俄かアトラクションなどを披露し合って、その夜を楽しく過ごしたのです。
 小学校5年生の頃、学校から同学年児童に縦笛が配られました。私はそれに夢中になり、そのうちドレミの音階はもとより、シャープ、フラットの半音もマスターし、学校で教わった歌は譜面なしでスラスラ吹けるようになりました。家の中でも練習していて、笛の音はよく徹りますから、寮内に私の笛の腕前(?)が知れ渡り、その年の七夕会で私は、フォスターの『故郷の人々』を披露しました。

 同母子寮は昭和50年代、その社会的使命を終えて取り壊されました。帰郷の折り訪ねてみますと、かつて建物があった所は今では何もない広々とした更地になっています。あの頃同じ屋根の下で共に暮らした人たちは、今いずこ。改めて「故郷の人々」のことが偲ばれます。

 (追記)
 夜になると本降りの雨がしばらく続きました。しかし深夜外に出てみましたら、何と雨は上がって雲も切れているではありませんか。
 そして中空には、こと座のベガとわし座のアルタイル、つまり織り姫星と彦星のペアが。またこの2星を底辺とした、「夏の大三角」の頂点に位置する白鳥座のデネブもくっきりと見えていました。夜通し明るい街灯などの光に消されて、さすがにベガ(織り姫星)とアルタイル(彦星)を隔てているはずの天の川はほとんど見えません。
 また東の中ほどの空には、新月になろうとする手前の眉月が、うすい雲を透かして冴え冴えと輝いています。
 雨上がりの深夜であるからか、夏にしてはやや肌寒いくらいの風が吹き渡っていました。

 (大場光太郎・記)

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W杯準々決勝戦

 - 準々決勝の4試合とも、さすがレベルの高い白熱した好ゲームだった -

 岡田ジャパンのベスト8進出を阻まれ、ドイツ対イングランド戦、アルゼンチン対メキシコ戦では“世紀の大誤審”が続いた、ベスト16同士の各ゲーム。そこから勝ち上がってきたベスト8のチームによる準々決勝戦4試合が行われました。
 夏の甲子園・高校野球でも「準々決勝が一番面白い」と言われます。それはW杯大会でもまったく同じで、ベスト8まで絞られたチームともなると、現時点におけるFIFAランクの1位から8位といっても過言ではなく、互いに実力伯仲。4試合とも白熱した攻防戦が展開されました。

 まず最初の試合は、オランダ対ブラジル戦でした。
 ところで(日本代表は別として)私のひいきチームの第一は、ブラジルということになっています。次いでドイツ、フランス、イタリアなどと続きます。どうしてそうなったのかは、あまり定かではありません。過去4大会を観てきて、それらのチームの強さ、活躍などが知らず知らずの間に私の中にインプットされたからなのかもしれません。

 ですから、予選E組で岡田ジャパンを破るなど、向かうところ敵なしの状態でここまで勝ち上がってきたオランダの今大会の強さは重々知りながらも、前半1点を先取しなお猛攻を止めないブラジルに、『このまま最後までブラジルペースで行くんじゃないか?』と安心して観ていました。
 しかし勝負は怖いものです。後半間もなくセットプレーからゴールめがけて上がってきたオランダボールを、ブラジルディフェンダーのオウンゴールによって相手にやらずもがなの1点を献上、1-1の振り出しに戻されてしまったのです。これでブラジルのツキが一気に落ち、逆にオランダは息を吹き返し、2点目を決めたのはオランダの方でした。

 こうなると後半はすっかりオランダペース。ブラジルは浮き足立ち、攻守のちぐはぐさが目立つようになりました。あろうことか危険なファウルによってレッドカードの一発退場により、リードされているオランダより1人少ない10人で戦わざるを得なくもなり、結局万事休す。ブラジルはベスト8で今大会を去ることになりました。
 今回のドゥンガブラジルは、これまでにない守備力重視の良いチームでした。しかしリードしながら追いつかれるという試合は未経験で、意外なもろさを露呈した形です。
 ともあれこの試合は、『オランダ強し』を改めて再認識させられた試合でした。

 次の試合はウルグアイ対ガーナ戦。アフリカ初のW杯大会ながら、開催国南アフリカは史上初の1次リーグ敗退、その他アフリカ勢のほとんどが姿をした中で、唯一ガーナだけがベスト8まで駒を進めてきました。そのため全アフリカがガーナの応援といった趣きで、珍民族楽器ブブゼラの音終始けたたましく。
 試合は互いに1点ずつ取り合うも、どちらも次の1点が奪えず、延長戦へ。延長後半のしかもロスタイム、ペナルティエリア内でウルグアイがファウルを犯し、ガーナのPKへ。これを決めればアフリカ勢悲願のベスト4進出です。
 
 ところが、これをガーナのギャンが決められず、頭を抱えただただ天を仰ぐのみ。しばしかのブブゼラも鳴りをひそめて、寂(せき)として声なし。これで流れはウルグアイに一気に傾き、PK戦を制しました。アフリカ勢はベスト8で姿を消すことになったのです。

 3番目の試合は今大会屈指の好カード、ドイツ対アルゼンチン戦。ブラジルが敗退した以上、ドイツに決勝戦、優勝の望みを託すことになり、私はドイツの動きを注視しながら観戦しました。
 アルゼンチンのマラドーナ監督、メッシ、テベスなどの名選手には申し訳ないながら。ドイツは1点を先取するや、あれよあれよの4得点。気がついてみれば、優勝候補の一角のアルゼンチンに、4-0の大差の試合。これも『今回のドイツはホントに強いぞ』と思わせられました。

 W杯史上最も名高い名選手だったマラドーナの、「監督としてもW杯優勝杯を」の夢は潰えました。また戦前は「今大会はメッシのための大会になるか?」といわれたメッシも去りました。次回また再チャレンジしてくだされば、その時は全面的に応援することをお約束します。

 それにしてもドイツは凄い。今のところ、攻守いずれにも死角が見当たりませんから。点取り屋(FW)クローゼはこの試合で2得点、これで母国の偉人ゲルト・ミュラーに並ぶ歴代2位の通算14得点。1位のロナウド(ブラジル)の15得点まで後1得点、単独1位も十分可能です。
 それに凄いのは、今大会彗星のように現われた、21歳のファンタジスタ・エジルです。ゲームの流れの上を行くスピードに乗って、ピンポイントでゴールをアシストするパス能力はまさに天才的です。今後の活躍次第では、「今大会はエジルの大会だった」となる可能性すらあると思います。

 最後のスペイン対パラグアイ戦。紙面の都合上詳述できませんが、予選から少しもたつき気味のスペインでしたが、そこはやはり優勝候補の一角、徐々に持ち味を発揮し出し、日本をPK戦の末下したパラグアイに1-0で勝利し、ベスト4に駒を進めました。

 W杯も大詰め。間もなく準決勝の、オランダ対ウルグアイ戦(日本時間7日午前3:30~)、ドイツ対スペイン戦(日本時間8日午前3:30~)が始まります。

 【速報】 オランダ対ウルグアイ戦、既に終わりました。オランダが3-2でウルグアイを下し、32年ぶりの決勝進出を果たしました。
 一方のドイツ対スペイン戦は明日ですが、今評判の「占いタコ・バウル」の予想では、ドイツはスペインに敗れるとのこと。ドイツファンにとっては『エーッ、そんなあ』という予想です。ドイツ西部オーバーハウゼンの水族館「シー・ライフ」のタコ・バウルは、今大会のドイツ戦の勝敗をことごとく的中させてきたといいます。ただドイツにとってわずかな望みは、バウルの過去の的中率は80%と、100%ではないことです。

 (大場光太郎・記)

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サラダ記念日

                             俵 万智

  「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 … * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …
《私の鑑賞ノート》
 俵万智(たわら・まち) 昭和37年、大阪生まれ。早稲田大学在学中に歌人佐佐木幸綱に出会い、作歌をはじめる。58年「心の花」入会、61年第32回角川短歌賞を受賞。62年、歌集『サラダ記念日』を出版、翌年同歌集により第32回現代歌人協会賞を受賞。歌集は『とれたての短歌です。』(共著)『もうひとつの恋』(共著)『かぜのてのひら』。ほかにエッセイ集『よつ葉のエッセイ』『りんごの涙』など。 (講談社学術文庫・高野公彦編『現代の短歌』より)

 かつて大ベストセラーとなった、俵万智の歌集『サラダ記念日』のタイトルのもととなった短歌です。略歴にあるように、同歌集が出されたのは昭和62年。ついこの前のことのように思われますが、もう四半世紀近い前のことだったわけで、この時代の「時の速さ」を痛感させられます。

 ここで詠まれているのは、類い稀な風景美でも画期的な社会的出来事でもありません。この短歌より更に前の何かの歌に、「♪どこにもあるような男と女…」というフレーズがありました。この短歌の中の「君そして私」はそのような無名に近い男と女です。

 ハリウッド映画の“秘宝探し譚”のヒーロー、ヒロインのような、めくるめくスリルとサスペンスなど望んでも叶わない、営々と積み重なっていく平凡な日常。そんなある時、食事に出されたサラダを食べながら、男は「この味がいいね」と誉めてくれたのです。それ以前はイマイチの味だったらしく、なかなか「いいね」とは言ってくれなかった。否むしろ「ウーン、この味少し違うなぁ」というダメ出しすらあったのかもしません。

 サラダを一所懸命作った女にとっては、「この味がいいね」と言ってもらえたことが無性に嬉しかったのです。その日はたまたま七月六日だった。女は『よしっ。七月六日を“サラダ記念日”にしちゃお』というような軽いノリです。

 描かれているのは等身大の日常の一こまです。だからそれを詠むには、古語も雅語も必要なく、しゃちこばった文語調でも無論伝えられない。一読誰にも意味が分かるような日常会話の延長上の言葉(口語短歌)こそがふさわしいのです。これを「何だ。小市民的な幸福を歌っているだけじゃないか」と批判するのはたやすいことです。

 しかし発表当時この短歌はテレビや雑誌などで取り上げられ、あっと言う間に有名な短歌になったのです。この短歌に見られる平凡な日常の一こまこそが、全国津々浦々の無名性を帯びた無数の男女、人々の共感を得たものと言えます。

 この短歌によって、「7月6日」は本当に「サラダ記念日」として広く認知されていったようです。それのみか、この短歌以降ごくありふれた日が「何とか記念日」と命名され、今では365日が「記念日だらけ」という様相を呈しています。
 すべてはサラダ記念日から始まったことを考えると、俵万智は大きな社会現象を巻き起こした「革命女(かくめいじょ)」と言えそうです。

 それと少しうがった見方をすれば。7月6日の2日前の7月4日は、ご存知のとおり「アメリカ独立記念日」です。俵万智がそれを知らなかったはずがありません。だから彼女には、『歴史上名高い一国の記念日があるんだったら、平凡な人間にとっての私的な記念日があってもいいじゃないの?』という発想があったのかもしれません。
 そこで俵万智はイマジネーションの中で、同棲中の男が「この味がいいね」という一連の物語を想い描いた。この短歌の成立には、そのような仮定も成り立つように思われます。

 もしそうであるなら。アメリカ独立記念日との対比をより際立たせるために、私ならズバリ「七月四日はサラダ記念日」としたことでしょう。しかし俵万智は、戦略的にわざと2日ずらして「七月六日」。

 当時俵万智は、大卒間もない神奈川県立橋本高等学校(相模原市)の25歳の一教諭でした。しかし歌人としての颯爽デビューを虎視眈々と狙っていたものと思われます。その頃の俵万智は、したたかで野心的な“女流歌人の卵”だったと言えそうです。

 (大場光太郎・記)

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続・『生きがいの創造』

 - 今、一人ひとりの「生き方」「考え方」の質的転換が強く求められている -

 『生きがいの創造』において飯田博士は、「人間死んだら無に帰る」という考え方から、「死んでも生命は続く」という考え方に転換することによって、「生きがい」に決定的な変化が生まれる、そういう実例が多く見られたと力説しています。
 「生まれ変わり」を確信することによって、ともすれば埋没しマンネリ化しやすい日常の一こま一こまに、新しい意味を見出すことができるというのです。

 どうやら私たちは、無目的でこの世に生まれてくるわけではないらしいのです。自身の魂とガイド(守護霊)との綿密な事前計画のもとに国、地域、人種、性別、両親などを選んで、「自分の意思」で生まれ変わってくるようなのです。(子どもたちの中には、現在の母親の胎内に宿る前、雲の上からガイドと一緒に両親になると決めた人と家の様子を見ていた、と語っている例もあります。)
 何のために?比較的安穏な「中間生(あの世)」では学び得ない、「学び」をこの世でするために。どうやら何かと制約、制限が多いこの3次元物質世界で、不自由を忍びながら努力を重ねることによって、自己の魂が磨かれていく仕組みらしいのです。

 それでは「学び」とはどんな学びか?それは究極するところ「愛の学び」、これに尽きるようです。まことこの世こそが壮大な「愛の学校(クオレ)」であるのです。そのため最も重要となるのが、一生涯の中での無数の「人間関係」であるようです。
 日々瞬々出会う人たち(隣人)とどう関わるのか?愛をもってか、無関心でか、憎しみをもってか。この集積が見えざる「魂のバランスシート」となって、この世の将来はおろか、次に赴く世界の高低も決定されるというわけです。

 何十生、何百生と生まれ変わりをくり返すのも、ひとえに「人間関係の達人」言いかえれば「愛のマスター」になるのが目的だったのです。
 とうの昔に「輪廻転生」のくびきから開放されている(解脱している)、ブッタ、イエス、聖母マリア、エル・モリヤ、クートフーミ、ヒラリオン、聖ジャーメイン、聖ババジなどの「光の領域」のアセンデット・マスターたちも、かつては今私たちがたどっているステップをすべて経てきている。これを知ることは大いに励みになることでしょう。

 いずれにしても私たちは、決してこの世でポツンと孤立して生きているわけではない。どんな悪人でも、この世を遥かに超えた大きなスキームにつながっていて、生きそして生かされている。
 「生まれ変わり」「死後の生命」という壮大な生命観を持つことによって、人は新たな生きる意味、困難に立ち向かう勇気、生きる希望、積極性、自信といったものを得ることができるのだ、と飯田博士はこの本の中で強調しているのです。

 人は死んであちらの世界に行って一段落した頃、ガイドたちの前で、その人間の「生前の回顧」をさせられる場面があるそうです。大きなスクリーンに、生前の主だった行為が大写しで映し出されるのだそうです。その時抱いた感情、あるいは例えば人を傷つける行為をした場合、その時の憎しみの感情はおろか、その傷つけた人の心の痛みまでリアルかつストレートに感じることになるというのです。
 中には己の行ってきたあまりの愚行に、恥じ入ったり泣き叫ぶこともままあるそうです。私もおそらくその口でしょう。寅屋のおじさんの口癖の「バカだねぇ、寅は」ではないけれど、自分に対してそう思うことが数多くありましたから。

 でも過ぎたことは致し方ありません。前非を悔い改めることは、60歳でも80歳でも十分有効なことのようです。生前から越し方を振り返り、顧み、改善することを心がけていれば、向こうに行ってから、そのことについて改めて「大映し動画」を見せられる必要はないかもしれないのです。

 この本はまた、日々の生き方の再考も迫ります。ついついムダにやり過ごしている一日一日、一瞬一瞬がかけがえのない尊いものであることに気づかされるのです。
 当ブログ『今この時&あの日あの時』のURL(アドレス)は、冒頭が「be-here-now」です。この「be here now」は、「今この時」「この場所」にフォーカスして生きることの重要性を込めて命名したつもりです。
 しかしかく言う私自身、ともすれば「過去の後悔」「未来への不安」に生きて、「今この時」「この場所」に十全に生きていないと感じることがままあります。このことも、今回この本を読んで気づかされたことです。

 ただ今今日、世界も日本も各個人も、多くの困難や課題を抱えて大変だろうと推察します。その根本的要因は、「この世中心」「肉体中心」「モノ、カネ中心」で突っ走ってきたことにあるのです。
 「真のチェンジ」とは、そういう生き方を根本から改めることです。すなわち今後はどうしても「スピリチュアル中心」の生き方をしないと、世も人も立ち行かなくなるのです。なぜか?それが本来の「宇宙の法則」「自然の法則」であるからです。
 そのための絶好の入門書として、『生きがいの創造』はお奨めです。  - 完 -

 (大場光太郎・記)

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『生きがいの創造』

 - 久しぶりで、「生き方の再考」を迫られるような本を読んだ気がする -

 『生きがいの創造』 飯田史彦著 PHP研究所刊
 これは新刊本ではなく、<第1版第1刷発行> は1996年7月4日となっています。アメリカ独立記念日にあたる日で、奇しくも今からちょうど14年前の発行だったわけです。当時(平成8年)はバブル崩壊後の混乱の真っ最中で、日本社会全体が浮き足立っていて、価値観の転換を迫られているような危機的状況にありました。

 ちょうどその頃、「資本主義の終焉」を予見し、旧来の物質的価値観に代わる新たな価値観として、「スピリチュアルな観点」から当時の一思潮を形成していたのが、(株)船井総合研究所所長の船井幸男でした。
 当時は船井氏のその方面での活動がピークの時で、氏が提唱した「エゴからエヴァへ」は社会的に大変な反響を見せていました。私もその一端に触れるイベントに参加したことを、一昨年記事『東京ベイサイト(1)~(5)』シリーズで述べました。

 この本の著者の飯田史彦(いいだ・ふみひこ)は、船井氏によって世に名前が知られるようになった一人です。この本の「発刊に寄せて」は船井幸男が寄稿しています。
 飯田史彦は1962年(昭和37年)広島県生まれ。学習院大学院経営学研究科博士課程を経て、27歳にして国立福島大学経済学部助教授に赴任、同大学教授へ。その他東北大学講師、日本広報学会理事などを務める、レッキとした経済学の専門家なのです。福島大学教授退任後の09年から、飯田史彦メンタル・ヘルス・マネジメント研究所所長、飯田史彦スピリチュアル・ケア研究所「光の学校」校長をしています。

 この『生きがいの創造』のサブタイトルは、「“生まれ変わりの科学”が人生を変える」。上記のような飯田博士の経営学者としての経歴とはマッチしない、「生まれ変わり」などのテーマを学問的に大まじめで述べた本なのです。
 これは、「人事管理論」の研究の過程で「働きがい」「生きがい」「幸せ感」を追及し、また自身の超常体験から、いつしか導かれていったもののようです。
 一体どんなことが書かれているのでしょうか?目次の主なものを列記してみます。

 第一章 過去生の記憶
  第一節 退行催眠の方法
  第二節 よみがえった過去生
  第三節 過去生記憶の検証
 第二章 「生まれ変わり」のしくみ
  第一節 「あの世」への帰還
  第二節 人生の回顧と反省
  第三節 人生の自己計画
  第四節 因果応報の壮大なドラマ
  第五節 すべてのことには「時」がある
  第六節 ソウルメイトたちとの再会
  第七節 「この世」への再訪
 第三章 死者とのコミニュケーション
  第一節 死者との再会
  第二節 死者からのメッセージ
 第四章 「死後の生命」を科学する
  第一節 「死後生仮説」の説得力
  第二節 「死後生仮説」の優位性
 第五章 「生まれ変わり」の生きがい論
  第一節 信じることの価値
  第二節 「生きがい論」からのメッセージ
  第三節 「生きがい」の神様

 以上ざっと目を通しただけで、この本が言わんとしていることの大略が見えてきます。これらのテーマに沿って飯田博士は学者らしく、ホイットン博士、グロフ博士、ワイス博士、キューブラ・ロス博士など、先駆的研究の成果を数多く紹介しながら論を展開していくのです。
 
 既に学術的な検証を経た成果であるだけに、「生まれ変わり」「死後の生命」「退行催眠」「臨死体験」「胎児記憶」「ソウルメイト」「光の存在(ガイド・守護霊)」「中間世(あの世)」などが、より説得力を増して読者の心に響いてくるのです。  (以下「続」につづく)

 (大場光太郎・記)

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枝野幹事長こそ「大衆迎合」だ

 -「大衆迎合」によって幹事長ポストを強奪したのは、枝野の方ではないのか?-

 参院選も、7月11日の投票日まで10日を切りました。いわばもう最終コーナーに差し掛かっているこの時期に、官(菅)総理は自身が突如ぶち上げた消費税増税をめぐって、ブレブレの「ブレ菅」ぶりを発揮しています。
 かと思うと、早や過半数確保が難しいと読んだ“小利口者”枝野幹事長は、みんなの党との連携を口にするも、渡辺喜美代表から「顔を洗って出直して来い」とのきつい一言をもらい、また各候補者からもブーイングの嵐で、今度は一転前言を翻してみんなの党批判に転ずる「ブレ枝」ぶり。
 こんなツートップで、予選突破じゃなかった、参院選勝利できるのか?というお粗末さです。

 これには、菅総理から公衆の面前で「しばらく静かにしていていただきたい」と釘をさされた小沢前幹事長もたまらず。小沢一郎は言わずと知れた選挙のプロ中のプロ。それゆえ“ひよっ子集団”の民主党に政権交代をもたらしたわけです。
 そんな小沢一郎からすれば『何やってんだ。参院選勝つつもりあるのか』となり、矢も盾もたまらず、今や自民党優勢が伝えられる全国各地の一人区、そして二人区の小沢系候補の応援に乗り出し、その中で現政権や現執行部批判を展開しています。

 例えば6月29日に訪れた山形県鶴岡市での演説では、「選挙を通じて約束したことは、やり遂げなれば、皆さんの信頼を勝ち得ることはできない」と訴え、「子ども手当」「高速道路無料化」「消費税は4年間上げない」など、昨夏の衆院選時のマニフェストを守るべきだとの考えを改めて強調しました。

 これに早速噛みついたのが、枝野幹事長です。同日夜香川県綾川町で記者団に対して、「法人税収の大幅な落ち込みにも関らず硬直的な考えをするのは、結果的に国民に迷惑をかける大衆迎合だ」と応じたのです。
 『ははあ、官(菅)民主党が財務省の唆(そそのか)しによって消費税を持ち出したのは、社会保障、福祉、介護目的ではなく、つまりは法人税優遇のためだったんだな』ということはさておき。

 この枝野幹事長の、小沢前幹事長への反論として「大衆迎合」という言葉を使ったことには違和感を覚えます。『アンタこそ“大衆迎合”の最たるものじゃないのか?』と思えてくるのです。

 小沢幹事長は、要するに「昨年の衆院選そして民主党政権発足時掲げた、国民との約束つまり「公約」は苦しくてもしっかり守れ。まだ1年も経っていないのに、いとも簡単に反故(ほご)にしてしまっては、国民の信頼を失うぞ。今参院選も負けるぞ」と極めてまっとうな正論を述べているだけなのです。
 それに対して「大衆迎合」とは、何たる言い草か。枝野はハナから「子ども手当」「高速道路無料化」「消費税4年据え置き」という、自党の基本政策は「大衆迎合政策だった」と否定したのです。

 枝野幸男といい、仙谷由人官房長官といい、グループの頭目の前原誠司といい、現政調会長の玄葉光一郎といい。鳩山、小沢体制では、面従背腹の獅子身中の虫だったことが、この発言からも明らかです。

 枝野は子どもの時から弁の立つ口先少年、少壮にして弁護士資格も得た、頭のいい御仁らしい。しかし実は、肝心の「深い叡智」はからきしダメらしい。
 枝野はそもそも今の幹事長ポストを、どうやって手に入れたのか?そういう自己省察がまるで出来ないらしいのです。
 それは、事あるごとに小沢前幹事長を批判してきた結果、転がりこんできたものです。枝野、前原、仙石、玄葉らは何を利用して批判してきたのか?主にテレビカメラに向かって、つまり「大衆」に向かって小沢の非をあげつらってきたのです。

 そもそも枝野らが公然と小沢批判ができたのは、新聞・テレビという悪徳旧勢力が連日連夜、小沢バッシング報道を展開してくれたたまものです。大マスコミが「小沢氏は幹事長を辞任すべきだ…80%」という、世論誘導をやってくれたお陰なのです。
 枝野、前原、仙谷らは、新聞・テレビという“虎の威”を借りて、幹事長を守るべき要職にありながら批判し続けた、卑怯者、裏切り者、獅子身中の虫なのです。本当の意味で「大衆迎合」政治家は、枝野幸男自身らなのです。

 そうして枝野幸男は、「党内クーデター」という暗いプロセスを経て幹事長職を略奪した。そんな暗い過去を棚に上げて、政権交代の最大の功労者で「国民生活が第一」を掲げる小沢前幹事長に向かって「大衆迎合」とは。
 枝野幸男は、とんでもない「人非人」と言うべきです。

 (大場光太郎・記)

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岡田監督、北海道で「自然塾」主宰 !?

 - 岡田監督の「農家をやりたい」発言。一時的逃避ではなく、どうやら本物らしい -

 パラグアイ戦を終えた岡田ジャパンが帰国し、1日午後5時過ぎ関西空港に到着しました。同空港には4千人以上もの人たちが出迎え、姿を現わした岡田ジャパンメンバーに大きな声援をかけていました。
 空港内で行われた記者会見で岡田監督は、「予定より少し早い帰国になってしまったことは残念。素晴らしいチームで、できればもう一試合やらせたかった」と語り、また「私はたくさんのチームを作ってきたが、一、二を争ういいチーム。脈々とつながる日本の魂を持って戦ってくれた。本当に誇りに思う」と選手を讃えました。

 ともかくこれで今W杯大会での岡田ジャパンは終わりました。今大会をもって日本代表の引退を表明した中村俊輔は別として、川島、闘莉王、松井、駒野、大久保、遠藤、阿部、長谷部、長友、本田ら20代の選手たちは、次回大会でベスト8進出以上という今回の宿題を果たすチャンスは十分あるわけです。そのためJリーグで、海外で早速そのためのスタートを切ってもらいたいものです。

 ところで岡田武史監督(53)はどうなのでしょう?岡田監督は、今大会前から「ベスト4入り」を目標に掲げていました。しかし残念ながら今回その目標には及ばなかったわけです。「ベスト4に至るには何をどうすればいいのか?」。監督自身一番よく分かっているはずです。目標に至れず、一番悔しい思いをしているのも岡田監督でしょう。
 ならば次のブラジル大会も岡田監督で行くのが、日本にとってベストの選択なのではないでしょうか?

 しかし岡田氏本人は、「しばらくサッカーから離れたい」と、退任の意思は固いようです。これは大会前からそのつもりだったようで、日本サッカー協会は内々で次期代表監督の人選を進めているようです。元アルゼンチン監督のペケルマンや、今大会同じくチリをベスト16に導いたピエルサ監督、ブッフハルト元浦和監督、西野G大阪監督、果ては今大会の優勝を目指して驀進中の現ブラジル監督のドゥンガ(元磐田)など、さまざまな名前が取りざたされています。

 気になるのが、岡田監督の今後です。どうするのでしょう。今後代表監督復帰はあるのでしょうか?
 そこで俄然浮上するのが、先日の『時の話題(9)』でも触れました、南ア入りしてから語ったという「W杯が終ったら農家をやりたい」というあの発言です。
 同記事では、鳩山前首相もまったく同じことを当時の側近に口走ったことがあることから、極度のプレッシャーとストレスにさらされているリーダーにとっての、一時逃避的発言だと結論づけました。

 一方の鳩山由紀夫氏は、首相辞任後1ヵ月経過しても、農業の「のの字」に従事するむねの意向すら伝わってはきません。それもそのはずです。鳩山氏は一生遊んで暮らせるほどの超資産家のお坊ちゃま。それに幸(みゆき)夫人も元タカラジェンヌで、「夢でUFОに乗って金星に行って来た」とぶっ飛び発言をなさるお方です。これほど「農業」とミスマッチなご夫婦はないのです。
 よって鳩山前首相の場合は、定義どおりの「逃避的発言」だったということで万事解決です。

 しかし岡田監督の場合は、鳩山前首相とはだいぶ事情が違うようです。某サッカー関係者は、「(岡田さんは)以前から南アから帰ったら“北の住人”になると決めていた」と証言しているのです。
 どうやら同監督の「農家をやりたい」発言は、一時の逃避的発言などではなかったようです。それのみか、日本代表をベスト16に導いた強固な意志同様、そのための具体的なプランを想い描いているようなのです。

 そもそも岡田監督が「農業」に関心を持ち出したのは、札幌の監督時代(1999~2001年)北海道富良野市在住で往年の名テレビドラマ『北の国から』などの脚本家・倉本聡氏と付き合いが始まり、倉本氏が05年に立ち上げた環境問題系NPО法人の活動に共鳴したことにあるようです。その頃からエコについて、やたら口にするようになったというのです。
 岡田氏は北海道で、「岡田自然塾」みたいな団体を主宰し、その塾長に就任する意向をもっているといいます。

 もっとも同自然塾は、「エコ系にとどまらず、スピリチュアル系、精神世界系のような体裁の団体になるかもしれない」と前出の関係者は語っています。続けて「岡田さんは香川県にある禅道場の主催者に心酔し、大会直前にもメールのやりとりをする関係で、頻繁に訪れては泊りがけで座禅や農作業に精を出したりしている。そうした分野とエコを合体した私塾になるようです。岡田さんの役割は“教祖”みたいなものでしょうか」とも語っています。

 そうなると当然運営費もそれなりにかかります。そこで岡田監督は、京セラの稲盛和夫名誉会長ら親交のある実業家をスポンサーにして、私塾を運営していく腹積もりともっぱらなのだそうです。
 仮にこれが実現すれば、今大会で一躍“カリスマ監督”となったことから、若者や脱サラ者が岡田氏を慕って同自然塾に殺到するかもしれません。
 
 そういえば(言い方はおかしいかもしれませんが)、岡田監督は浅黒い肌でどことなく農夫然とした風貌に見えなくもありません。出身大学の早稲田の創立者・大隈重信の向こうを張って、北の大地に「岡田自然塾」。大いに結構ではありませんか。
 
 (注記)本記事は、7月2日付「日刊ゲンダイ」終面を参考、引用してまとめました。

 (大場光太郎・記)

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「今までで一番悔しい負けだった」

 -岡田ジャパン、ベスト8進出ならず。でも「約束が違う」と責める気にはなれない-

 6月29日W杯日本対パラグアイ戦が行われました。結果は先刻ご承知のとおり、90分でも、さらに30分の延長戦でも決着つかず、PK戦へ。
 テレビ観戦していたどなたもそうだったかも知れませんが、私は後半途中から『こりゃあ、とても決着つかんぞ。PK戦だ、PK戦だ』と思い始めたのです。そして私の中でイメージが浮かんでいました。もちろん「日本がPK戦に勝った」のイメージです。
 しかしPK戦はかなりの部分、運頼み、神頼み。結果日本は3-5で、惜しくも敗れ去りました。

 敗戦が決まった瞬間、ピッチ上の選手の多くが涙を流していました。試合には勝ちもあれば負けもあります。実際過去何回かのW杯大会で、日本代表が勝った試合負けた試合を幾つも見てきました。
 しかしこの試合ほど、多くの選手が公衆の目をはばかることなく涙するのを見た記憶はありません。そしてかく言う私自身、その姿に不覚にも涙がこぼれて仕方なかったのです。
 タイトルの「今までで一番悔しい負けだった」は、試合後の大久保だったか誰だったが漏らした言葉です。

 ホントに悔しかったんだろうなあ。勝ちたかったんだろうなあ。勝ってその上へ、さらにベスト4に進みたかったんだろうなあ。全世界の視聴者が観ている中で、誰はばかることなく涙が流されるなどは、そう出来るもんじゃない。90分、30分そしてPK戦まで、持てる力を出し尽くしたからだろう。理屈もへったくれも何もない、とにかく勝って次の戦いに進みたかったんだろうなあ。

 日本もパラグアイも「守って攻める」組織力重視のチーム。戦前から互いにやりづらい相手と言われていました。試合は果たしてその予想どおりの展開になっていきました。120分を通してみれば、数少ないながら、互いに決定的な得点チャンスがないわけではありませんでした。しかしそのつど互いの鉄壁のディフェンス力と、日本でいえばGK川島のファインセーブにより、互いが絶好の得点機を逃し合いました。
 海外メディアの中には、「今大会もっとも退屈な試合の一つだった」との酷評もありました。しかしそれは互いの組織力が相拮抗して、華々しく試合が動かなかっただけのこと。真のプロの目から見れば、両チームとも随所に好プレー、光るブレーが見られた好ゲームに違いないのです。

 ただプロならぬ素人の私は、「退屈」ではなく、言いようのない「重苦しさ」は感じました。これが同じくPK戦にまで至っても、2-2とは言わずとも1-1と試合が動いていたのならまた違ったことでしょう。
 とにかく得点の動きがない0-0の試合というものは、まして自国代表の試合だけに余計疲れもしストレスも増幅されました。とはいっても、一観客ですらそうなのですから、ピッチ上で120分フルに戦った選手たちの疲労と消耗ぶりは、それこそ大変なものだったと思います。

 結果として日本代表はまたしても、ベスト8進出の壁に阻まれた形です。今大会岡田ジャパンは、組織的守備力では、どんな強豪国と対戦しても決して引けをとらないことを世界に証明して見せました。
 しかしそれは同時に、日本サッカーの弱点、現時点での限界を浮き彫りにする結果ともなりました。組織的守備力にいかに優れていようとも、サッカーはつまりは点取りゲーム。それだけでは、この先ベスト8以上に進出するのは、難しいのかもしれないということです。

 試合を現地で観戦していた中田英寿は、「前半の早い時間帯で日本は点を取っていてもおかしくなかった」と語っていました。仮にそうであれば、この試合は日本の1-0の90分決着となっていたはずです。
 しかし実際そうならなかったのはなぜなのか?言わずと知れた、ここ一番の日本チームの「決定力不足」です。ベスト8の分厚い壁を突破するには、どうしても国際級のエースストライカーを中心としたチーム全体の「攻撃への強い意識」が日本には不可欠です。

 今回その役割を期待されたのが本田圭祐でした。本来MFである本田は、大会直前岡田監督からFWに急遽指名されたのです。“にわかFW”にも関らず本田は2得点。彼の活躍は(もちろんそれ以外の全員サッカーでですが)1次リーグ突破に大きく貢献しました。
 退任の意思が固いとされる、岡田監督の後を引き継ぐ新監督(多分外国人)は、日本本来の持ち味である組織サッカーに加えて、エースストライカーをどうやって育成してくれるのか。本田圭祐をさらに国際級に育てるのか。それともポルトガルのクリスチィアーノ・ロナウドやスペインのダビド・ビジャ級の選手を、金に糸目をつけずJリーグに引っ張ってきて、日本に帰化してもらうのか。
 4年後の「ベスト4」に向けた、新日本代表の課題はその一点に尽きるものと思われます。

 とにかく。岡田監督以下選手の皆さん。お疲れ様でした。そして夢と勇気をありがとう。胸を張って帰国してきてください。

 (大場光太郎・記)

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