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生きることは学ぶこと

  「友よ。生きるほどますます学ぶ」 (ラーマクリシュナ)

 22日猛暑の日盛りの午後、業務で本厚木近辺に行きました。業務が終了しある文房具の購入を思い立ち、本厚木駅前の有隣堂書店3階に立ち寄りました。つり銭受取りで少し間があき辺りを見回してみますと、カウンター下部に『有隣』という“社紙”を二つ折りにして置いてあるのが目に止まりました。

 一面上部がざっと見られるわけですが、それはある人の寄稿による巻頭文のようでした。本文そのものは小活字で読めず、タイトルだけが目に飛び込んできました。『生きることは学ぶこと』というタイトルです。

 私は店員がなおも手間取っている間、そのタイトルが少し気にかかったのです。『なるほど“生きることは学ぶこと”ねぇ』。そしてふと冒頭に掲げたラーマクリシュナの言葉を思い出し、『さて、どんなことが書いてあるんだろう?』と興味を持ったのです。
 「よろしかったらお持ちください」ということらしいので、結局私はその社紙を一部もらっていくことにしました。

 帰宅後少し時間をかけて同紙を読んでみました。広げるとタブロイド版、全部で四面あります。一面最上部中央の『有隣』の文字は、その左隣に「題字は、武者小路実篤」と小さく書いてあります。

 武者小路実篤(むしゃこうじ・さねあつ)は、今の若い人にとっては「それって誰?」でしょうが、私以上の世代なら知らぬ人がいないくらい超有名な、有島武郎、志賀直哉と並ぶ白樺派を代表する作家でした。久しぶりでその名を目にして、大正から昭和初期に武者小路が中心となって興したユートピア「新しき村」運動や、晩年の自然豊かな武蔵野(仙川)の寓居(現「武者小路実篤記念館」)のこと、そこで色紙に野菜の絵とともに書いた「仲良きことは美しき哉(かな)」などのこと、そして高校時代に『友情』という彼の作品を読んだ時の鮮烈な読後感などが思い起こされました。

 紀伊国屋書店や三省堂書店なども、社紙を出していることでしょう。いずれにしても、このようなものが出せるということは、(株)有隣堂は大きな書店に違いないわけです。確かに同書店は、横浜市中区伊勢佐木町の本店をはじめ、都内や神奈川一円に29店舗を有する老舗書店なのです。

 さて『生きることは学ぶこと』というタイトルのさらに右に、「2010年、国民読書年」「じゃあ読もう」というコピー文がありました。『えっ。今年が国民読書年?』、私はまったく知りませんでした。
 本文末尾にもありますが、これは「文字・活字文化振興法」の制定、公布5周年を記念して、2010年を国民読書年にしようと、08年の6月衆参両院で「国民読書年に関する決議」を全会一致で採択したことによるものだそうです。

 この秋には、東京・上野の旧奏楽堂をメイン会場にして、国民的な記念祭典を開催する予定で、今その準備を進めているそうです。それまでの間、新聞社、大学、自治体、図書館関係者などと連携したシンポジウムや講演会を開き、文字・活字文化に関する世論の喚起を図っていくそうです。

 申し遅れましたが、本文の作者は福原義春(ふくはら・よしはる)という人。1931年(昭和6年)東京生まれで、(財)文字・活字文化推進機構会長、資生堂名誉会長。著書『だから人は本を読む』ほか多数という人です。
 つまり福原氏は、制定された法律そのままの財団法人の会長さんですから、この一文は「文字・活字文化」つまり「読書」についてのアピール文であるわけです。

 だから「学ぶ」とは本来多方面にわたる「学び」だと思いますが、ここでは「学ぶ」とは「読書」に絞りこんで述べられています。つまり福原義春版「読書のすすめ」といったところです。

 文中アメリカの言語学者スティーブン・クラッシェン著『読書のパワー』などを引用し、例えば本を読み、国語力を身につけた子どもは、本を読まない子どもに比べて基礎学力が伸びるという説が有力になってきたとしています。
 またクラッシェンは、「読書をたくさんする人ほど良い文章を書く」「読書は最も確実に読解力、語彙力、速読力を向上させる」といい「読書は、読み書きの技能を発達させる唯一の方法である」と断言していると述べています。

 以下「読み聞かせと子守唄」「読書による知的連鎖」「本と電子メディア」そして結びの「国民読書年」と続いていきます。要は「読書」「本」は、一個人の知的形成にとっても国民全体にとっても必要不可欠なものである、しかし近年読書人口はがた減り、本の売上げも減少の一途である。そういう切実な現実を踏まえて、国民読書年に制定された今年、子どもも大人もお年寄りも、もっと本を読んでいきましょうと訴えている一文です。

 確かに「お説ごもっも」です。でもそもそも法制化しかつ「国民読書年」を定めてまで、国民に読書の必要性を訴えなければならなくなったのはどうしてなのか?その辺の掘り下げた議論こそ必要なのではないでしょうか。

 深刻な我が国の活字離れ、本離れによって、国民なかんずく伸び盛りの子どもたちの学力の低下は、各種国際的な指標からも明らかです。しかし片一方で、「1億総白痴化メディア」で「活字離れの元凶」であるテレビメディアは、好き勝手な野放し状態です。そこにきちんとメスを入れ対策を講じないで、いくら「国民の皆さん、本を読みましょう」と訴えても効果薄だと思うのですがいかがでしょうか。

 なお、「本」などとは無縁で劣悪な環境に生まれ育った私がどうして「本好き少年」になっていったのか、またあまり知られていませんが19世紀のインドで「大聖」と仰がれたラーマクリシュナの事跡などもご紹介するつもりでしたが、紙面が尽きてしまいました。またいずれかの機会にと思います。

 (大場光太郎・記)

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