« 泉に水飲みに | トップページ | 生きることは学ぶこと »

己のルーツに誇りを持て

 - NHK『こころの遺伝子-あなたがいたから-』-人気パティシエ・辻口博啓編 -

 NHK総合の『こころの遺伝子』、W杯などがあって最近観ていませんでした。久しぶり観ましたら、もう第14回にもなっていました。今回のゲストは、今人気のパティシエ・辻口博啓(つじぐち・ひろのぶ)です。

 辻口博啓は、1967年(昭和42年)石川県七尾市の町一番の和菓子屋『紅屋』の、3代目跡取りとして生まれました。朝早くから夜遅くまで和菓子作りにいそしむ父の姿に憧れ、子供の頃から和菓子職人になることを夢見ていたと言います。
 さらに小学校3年生の時、友だちの誕生日会で出された“ショートケーキ”を初めて食べそのあまりのおいしさに感動し、「和菓子とともに洋菓子を並べて売る店」を夢に加えることになったそうです。

 しかし地元の高校に入学した頃から、実家の和菓子屋に暗い影が射しはじめます。父が知人の借金の保証人になり、多額の借金を背負うはめになってしまったのです。
 そんな高校3年の時担任となったのが、辻口にとっての「運命の人」である四柳嘉章(よつやなぎ・かしょう)でした。四柳は社会科の教師ながら、実家は平安時代から続く神主の家の出で、地元の輪島塗の研究家でもありました。
 四柳の授業は教科書をあまり使わず、巧みに人生訓などを織り交ぜながら自在に進めていくユニークなものだったといいます。辻口は四柳先生から発信される「言葉の力」に魅せられ、『この人は知らないことがないんじゃないか?』と驚嘆したと言います。
 そして四柳の感化により、応援団長や生徒会長など、人が嫌がることを進んで引き受けたそうです。

 卒業が迫った頃四柳は、生徒たちに「己のルーツに誇りを持て」という言葉を贈ります。その時はその言葉の深い意味など分からずに、辻口は四柳が徹夜で書いたという紹介状を頼りに、東京の洋菓子店に就職していきました。
 しかし2ヶ月後遂に実家の和菓子屋が倒産、父は行方をくらましてしまいます。帰郷した辻口に母は、「地元に就職してくれないか」と懇願しますが、洋菓子職人の夢を捨てきれず、「3年後に一人前になるから」と再上京します。

 しかし現実は厳しいものでした。朝から晩まで皿洗いや掃除に追われる日々、肝心の技術はいっこうに教えてもらえないのです。焦りまくって四柳に相談しました。すると先生は、「自分のルーツに誇りを持て。君には和菓子職人の血が流れているじゃないか。“ワザ”は目で盗むんだよ」とアドバイスしたのです。
 感じるところがあって辻口は、以後先輩職人の動きを目で覚え、夜になって同じ動きを研究するようになります。同時に「コンクールで優勝してスポンサーを見つけ、家業の和菓子屋を再建したい」と、菓子の研究にも没頭していきます。

 その頃の後輩が語るには、「この人はなぜこんなにも夢中になれるんだろうか」と驚き呆れるほどの熱中ぶりだったと言います。その甲斐あって、1992年全国洋菓子コンクールで史上最年少の23歳で総合優勝。次いで94年には洋菓子の本場フランスでの世界コンクールに出場し銀メダルを獲得します。しかし肝心のスポンサーは現われませんでした。

 帰国後報告を兼ねて訪れた四柳先生に、辻口はフランスの素晴らしさを語ります。が、四柳は「辻口。君は日本についてどれだけのことを知っているんだ?例えば庭に咲いている“ワジマキリシマツツジ”。あの花の美しさはフランスにはないんだぞ」と手厳しく言い放ちます。
 辻口が「己のルーツに誇りを持て」について、真剣に考えざるを得なかったのはその時だったと言えます。

 輪島塗を代表とする漆塗りは西洋に伝えられ、フランス革命の悲劇の王妃、マリー・アントワネットも漆器を愛用するなど、西洋では「漆=JAPAN」と評されたそうです。
 その漆塗りの技法は、江戸時代に発達し完成したと言われていました。しかし近年の発掘調査の結果、鎌倉時代既に漆器の技法が存在していたことが明らかになりました。その上さらに、四柳嘉章が全国の漆器文化の研究を重ねた結果、何と漆塗りは9千年も前から始まっていたことが分かったと言うのです。
 
 「漆器」一つ取ってみてもかくも奥が深いのです。それらが基層となって、重層的な影響を与え合い今日の「日本文化」の奥深さを形成しているわけなのです。

 四柳の言わんとするところはー。確かにフランスにはフランスの優れた文化があることは認める。しかしフランスが本場の洋菓子ではあっても、それをいくら真似(まね)したところでそれではしょせん「猿真似」にすぎないではないか。それよりも、奥の深い日本文化、そして郷土の輪島塗などの「己の文化的ルーツ」に目を向け、独自の洋菓子作りを目指すべきなのではないか?と言っているように思われます。

 この時から辻口博啓は、単なるケーキ作り、洋菓子職人から、日本文化に深く根ざした「菓子道」という領域に踏み込んだと言えます。辻口はそれ以降、日本文化そして輪島塗の研究に没頭していくことになったのです。

 研鑽の成果として、1996年洋菓子のW杯ともいえる「クープ・デュ・モンド」に出場し、日本訳で“人生”を意味する「セラヴィ」と銘うったケーキを出品します。それは異なる風味と食感が組み合わさったケーキでした。これで日本予選を1位で突破しました。
 本大会では得意の飴細工を出品したところ、会場に出品されるや参加者たちから驚嘆の声が挙がったといいます。オリジナリティ溢れる「日本の美」をそこに認めたからです。それもそのはずです。辻口はこの作品を8時間もかけて考え抜き、漆塗りの深みに生花の美を加味した作品に仕上げたのです。同作品は、飴細工部門で栄えある最高点を獲得しました。

 辻口はある時、失踪した父がガンで入院中であることを知ります。見舞いながら、自身が作ったケーキ・セラヴィを食べてもらったそうです。父は食べ終わってただ一言、「うまい」。
 また大会直後スポンサーを得て、東京の自由が丘に洋菓子店『モンサンクレール』をオープンさせました。さらに2004年には、二子玉川の百貨店内に『和楽紅屋』をオープン。念願の実家和菓子屋の再建を果たしたのです。
 現在では、全国で1日1万個売れるという人気パティシエです。しかしそんな成功も通過点、辻口はさらなるチャレンジを続けると言いきっています。

 「己のルーツに誇りを持て」。これは辻口博啓のみならず、私たち一人一人が深く考えてみるべき言葉であるように思います。

 (大場光太郎・記)

|

« 泉に水飲みに | トップページ | 生きることは学ぶこと »

映画・テレビ」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。