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泉に水飲みに

           中村 苑子

  生前も死後も泉に水飲みに

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《私の鑑賞ノート》
 中村苑子(なかむら・そのこ) 大正2年(1913年)3月25日、静岡県伊豆大仁町生まれ。昭和15年(1940年)三橋鷹女の存在を知る。同19年より「馬酔木」「鶴」に投句、水原秋桜子、石橋秀野の選を受ける。同24年「春灯」に入会、以後8年間久保田万太郎に学ぶ。同33年高橋重信と「俳句評論」を創刊、同58年高橋の急逝により同誌終刊。現代俳句協会、日本文芸家協会会員。現代俳句協会賞、現代俳句女流賞、詩歌文学館賞、蛇笏賞などを受賞。著書に、句集『水妖詞館』『花狩』『中村苑子句集』『吟遊』『花隠れ』、エッセイ集『俳句自在』『私の風景』など。平成13年(2001年)1月5日永眠。  (あのひと検索『SPYSEE』より)

 まずはじめに指摘しておくべきは、中村苑子はこの句に見られるように「生と死」「死後」などを題材とした幻想的な句を好んで作っていることです。その意味では、近代俳句の伝統である“写生主義”という方向とは違う、俳句を「詩」ととらえる方向性を志向した俳人の一人と言えると思います。

 この句における季語は「泉」です。泉はあらためて言うまでもないでしょうが、「地下水から湧き出て湛(たた)えられているところ。湧き出る際のかすかな音が涼味を誘う」と、角川文庫版『俳句歳時記・夏』にあります。
 緑陰も極まった幽玄ともいえる場所に泉はあります。それはもちろんどの季節にも見られますが、格別「涼味」をかもし出す場所であることから、近代のいつしか夏の季語として定着していったものと考えられます。

 それに「湧く知恵泉の如し」と言われるように、「泉」からは芸術的なインスピレーションや詩的イマジネーションの源泉というようなことも連想されます。
 とこのように「泉」を定義し直してから、この句をもう一度読んでみますと、この句における泉の象徴的な意味が新たに浮かび上がってきそうです。

  生前も死後も泉に水飲みに
 中村苑子にとって「死後」は、もはや仮定、想像、空想の世界ではなく、生前と同じタイムラインに連なる自明の世界と確信されているようなのです。
 それは、この世の生存にとっての基本行為の一つである「水飲み」というものを、死後も続けると詠んでいることでも明らかです。

 生前である今に水を飲むという行為があるのなら、死後にもその行為はあるのだろうという観念が作者にはあるわけです。
 こうして「泉」が、生前と死後を結びつける“装置”になろうとは ! 中村苑子以外には誰も思いつかなかったことでしょうから、それは中村苑子による「新発見」と言うことができます。

 以上のことから、この句で読み取られるのは、生前から死後へと続く「命の連続性」です。それこそが中村苑子の「希求」であるようです。そのためには生前と死後に断絶があってはいけません。「中村苑子としての」生前のパーソナリティが、死後もそのまま引き継がれてこその「命の連続性」であるからです。
 それを保証するものこそが、生死を超えた「泉に水飲みに」という行為であると見ることができます。

 (大場光太郎・記)

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