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続・寒戸の婆

  盆荒れのたびに山姥現わるる   (拙句)

 先日『遠野物語』中の神隠し譚の代表例として、「寒戸の婆」を取り上げました。そうしましたら、ある人が「寒戸の婆」という検索フレーズでアクセスしてこられました。『えっ?』。まさかこんな一説話中のマイナーな(と思われる)名前で?と意外でした。
 そこで興味を持ち、グーグルからのようでしたので、私もそれをたどってみることにしました。

 その結果グーグルでの「寒戸の婆」、何と7万項目以上もあったのです。普段人名検索をしている人ならご存知でしょうが、今をときめく著名人でもこの数字を越えることはそう多くはありません。「寒戸の婆」はかくも“有名人”だったのです。
 また同検索項目のトップ面の何番目かに、早くも当ブログ『寒戸の婆』が載っていました。それを知った私は、『こりゃ大変だ』と思いました。前回記事は世間にあまり知られていないことを前提に、よく調べもせずに私の勝手な推測で書いてしまったからです。

 グーグル同項目トップ面には、『寒戸の婆-Wikipedia』というものまであります。寒戸の婆さまは、かのウィキペディアでも取り上げるほどメジャーな名前だったとは。
 そこで遅ればせながらウィキペディアや他の2、3のサイトをのぞいて読んでみました。その結果『これは少し補足しておく必要があるな』と思い、今回『続・寒戸の婆』として再度取り上げることにしました。

 今回は紙面の関係で、『ウィキペディア』による解説のみ参考に述べていきます。
 いきなりですが、遠野地方に「寒戸(さむと)」という地名は存在しないそうです。その代わり「登戸(のぼと)」という地名ならあり、柳田國男に元ネタを提供した遠野出身の民話蒐集家の佐々木喜善は、当初から「登戸」と柳田に伝えていた可能性があります。
 というのも、佐々木自身が後に著した『東奥異聞』にこれと酷似した話を載せ、そこでは「ノボト」という地名を用いているからです。参考までその一文を以下にご紹介します。前回の『寒戸の婆』で掲げた『遠野物語』中の一文と比較してみてください。

<松崎村のノボトの茂助という家の娘が、梨の木の下に草履を残して消息を絶った。何年か経った嵐の日に娘が帰ってきたが、その姿は山姥(やまんば)のように奇怪な老婆に成り果てていた。老婆はその夜は村に一泊したのみだが、それから毎年やって来て、そのたびに暴風雨が起きた。村人たちは困り果て、老婆が来ないように巫女(みこ)や山伏に頼み、村境を封じる石塔を建てたことで、老婆は来なくなったという。>

 「ノボト(登戸)」という地名が上閉伊郡松崎村に実在することから、こちらの話が原話だったと考えられます。この話を聞いた柳田國男の聞き違いか、あるいは別の意図があって「寒戸」に変えたものと思われます。
 また実際登戸のある旧家では、明治初期に茂助という当主の娘が消息を絶ち、数十年後に山姥のような姿に成り果てて村に現われたと伝えられており、これが伝説のモデルといわれているようです。

 実際この伝説により現地では「モンスケ婆」と恐れられ、強風が吹く日などは「モンスケ婆が村に姿を現わす」といわれたり、上閉伊郡土淵村(現・遠野市)では泣き喚く子供を「モンスケ婆様来るぞ」といって叱りつけたりもしていたそうです。
 ですから本来ならば「登戸(ノボト)の婆」または「モンスケ婆」であるべきですが、『遠野物語』が有名になったことにより、「寒戸の婆」の名で遠野の伝承として定着していったもののようです。

 読み比べてみますと、『遠野物語』と『東奥異聞』の二つの文には、それ以外にも違っているところがあります。
 大きな違いは、『遠野物語』では消息を絶った女は、「風の烈しく吹く日」に30余年ぶりで一度村に帰ってきただけです。ところが『東奥異聞』では女は、「嵐の日」に帰ってきてその日は村に一泊したことになっています。それのみか、毎年のようにやってきたというのです。
 これは老婆出現の劇的効果を高めるために、柳田國男が「一度きり」ということに改変したのだと考えられます。ただ佐々木喜善の、老婆はその後も毎年のようにやってきてそのたびに決まって暴風雨が起きた、困った村人たちは祈祷を頼み、村境を封じる石塔を建てたことで老婆はやって来なくなったという話には、より土俗的な物語性が感じられ、こちらもなかなか捨てがたいように思われます。

 その他何十年かぶりで現われた老婆を、『遠野物語』では「きわめて老いさらぼえて」としているのに対して、『東奥異聞』ではズバリ「山姥のように奇怪な老婆」としています。先の村人たちの伝承などからも、こちらの方が現われた老婆のよりリアルな表現だったのでしょうか。
 「山姥」は多義なとらえ方のできる存在です。またいずれ『山姥考』といった一文をと考えますが、いずれにしても山の奥に棲むことに変わりありません。その点で、「山人にさらわれた」という私の推測もあながち間違いではないようです。

 すべて一つのエポックメーキングな出来事というものは、「核(コア)」の部分はそのまま残るとしても、当事者や目撃者、その聞き取り、伝聞の過程で尾ひれがついて流布され、さまざまなヴァリアントを持つ伝承、伝説、説話となって伝播されていくのだろうと思わせられます。
 そしてそれらを読み比べることもまた、昔話や民話探求の楽しみの一つでもあるわけです。

 (大場光太郎・記)

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