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寒戸の婆

  盆荒れや寒戸の婆はまだ来ぬか   (拙句)

 「寒戸の婆」(さむとのばば)と聞いてすぐピンと来た人はかなりの通(つう)です。何の通か?柳田國男の『遠野物語』の。そうなのです。寒戸の婆は『遠野物語』に登場する人物なのです。

 『遠野物語』は岩手県遠野地方に伝わる民話を、柳田國男が遠野出身者から聴き取って、流麗な文語体としてまとめたものです。その後の我が国民俗学の嚆矢(こうし)となった記念碑的作品です。
 各民話は120近くの短章として語られています。その中で「寒戸の婆」の話は、八番目に出てきます。短いですから、全文を以下にご紹介してみます。

八 黄昏(たそがれ)に女や子供の家の外に出ている者はよく神隠しにあうことは他の国々と同じ。松崎村の寒戸というところの民家にて、若き娘梨の樹の下に草履(ぞうり)を脱ぎ置きたるまま行方を知らずなり、三十年あまりすぎたりしに、或(あ)る日親類知音の人々その家に集まりてありしところへ、きわめて老いさらぼいてその女帰り来たり。いかにして帰って来たかと問えば人々に逢いたかりし故帰りしなり。さらばまた行かんとて、再び跡を留めず行き失(う)せたり。その日は風の烈(はげ)しく吹く日なりき。されば遠野郷(とおのごう)の人は、今でも風の騒がしき日には、きょうはサムトの婆が帰って来そうな日なりという。  (岩波文庫版『遠野物語』より)

 これはいわゆる「神隠し」についてのお話です。神隠しといえば近年、宮崎駿監督の『千と千尋の神隠し』がハリウッドでも高く評価されるなど大評判でした。このアニメ映画のように、何かしらスリリングな怪異さを感じさせるのが神隠しです。
 しかしこれは柳田が一文で触れているとおり、昔々はどの国々(地方)でもあった現象のようです。

 この物語では、ある日の夕方急に姿を消した“若き娘”が、30年余後にひょっこり“老いさらぼえて”帰ってきたことが述べられています。姿を消したきり所在が分からない、一方通行の行方不明譚が神隠しの本旨であることを思えば、遠野郷で以前あったことを伝え聞いてまとめられた、この話などは極めて珍しいことと言わねばなりません。
 ともかく女はどこかでしっかり生きていたのです。いったいどこでどうやって?親類知音や読者が最も知りたいことは語られません。女はその後の身の上話を一切しなかったのです。「会いたいから帰ってきたのだ」とばかり言って、寒戸の婆は再び姿を消してしまいます。その日は怪異譚を盛り上げるには好都合なことに、風の烈しく吹く日だったというのです。

 この場合「神隠し」とは言っても、若い娘を本当に神が隠したのではありません。長年月が経過して老婆となって帰ってきたわけですから、女は元々の村落に比較的近接したどこかで生活してきたと見てさしつかえなさそうです。
 それではその場所とはどこだったのか?あくまでも推測ですが、この物語の他の個所でも述べられている「山人の世界」だったのではないだろうかと考えられます。「サンカ」や「マタギ」と呼ばれ、山奥で動物の狩猟などで生活している人々の世界です。それは「皮はぎ」などとして蔑まれた、被差別の民の世界でもありました。

 山奥の彼らの居住区は、里の村落とは隔絶した世界です。村落の村はずれの墓地の向こう、川向こう、山のたもとから先の山の中などは、当時の村落共同体から見れば、十分「異界」だったのです。ですから村人にとっては、山中でたまに姿を見かける山の民は災いをもたらす「異人」として怖れられたのです。

 ところで山の民は、古来役の行者(えんのぎょうじゃ)以降の修験者ネットワークとも関わりがありました。がなにぶん山奥ということもあり、通常の場合家族単位で通常世間とは没交渉的に生活しています。その一家族の息子に嫁が必要になったのです。とは言っても嫁候補はおいそれとは見つかりません。
 そこで家長は『里のどこかの家の娘を…』と考えます。普段里とは交流などないのですから、非合法的にかっさらってくるしかないわけです。そこで目をつけられたのが、くだんの娘だったのです。

 こうしてその日の黄昏時、計画は実行に移されます。村人に知られぬよう、家長や息子など何人かが松崎村に忍び入って、家の外に出ていた娘を力づくで拉致したのでしょう。山の民の仕業と怪しまれぬよう、娘の草履を脱がせて梨の樹に置き、さも忽然と姿を消したように偽装工作もしました。

 哀れを誘うのは、30年余後に「きわめて老いさらぼえて」帰ってきた女です。その姿は元の貧村以上に過酷な生活だったことを物語っています。しかし「女三界に家なし」という昔の言い伝えどおり、一旦異界に入った者にとって、生まれ育った村といえども既にわが身が安らげる場所ではなくなっているのです。
 だから寒戸の婆は多くを語らず、山の住まいに戻って行ったのです。一陣の烈しい風とともに去りぬ、です。

 この物語では「季節がいつか」は述べられていません。烈しい風の吹くさまから、あるいは早春の春一番の頃かな、とも思われます。しかしかなり前にこれを読んだ時から、私はなぜか旧盆の頃なのではと思い込んだのです。『死んだはずの老婆がひょっこり現われたからには、きっとお盆だろう』と、短絡的に考えたのかもしれません。
 それに都合のいいことに、俳句にも「盆荒れ」という季語があるように、旧盆の頃にわかに強い風が吹いて荒れることがあるようです。冒頭の句は、俳句を始めたての10余年前に作った句です。   - 旧盆の中日に

 (大場光太郎・記)

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『続・寒戸の婆』
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『「遠野物語]発刊100周年』
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コメント

 この地味な記事に、今でも数は少ないながらアクセスがあります。根強い「遠野物語ファン」が、全国に幅広くおられるということなのでしょう。
 私自身も一遠野物語ファンであり、この記事はけっこう力を入れてまとめたものだけに、読み継がれていることを嬉しく思います。
 神隠し、河童、オシラサマ、まよいが、座敷わらし…。本日は、昔から日本人の心の原点の行事の一つである旧盆の中日ですが、『遠野物語』の浸透によって岩手県遠野地方は日本全体の「心の原郷」になった感があります。

投稿: 時遊人 | 2012年8月13日 (月) 13時21分

 昭和40年の夏のこと。高校1年だった私は夏休みを地元の町役場でアルバイトした。仕事は町内の住宅調査である。町役場職員の人と一緒に担当地区の一軒、一軒を訪ね、住宅の間取り図を描き、家族構成などを聞いて回る仕事だった。漆原地区、ここは昔話「夕鶴」の発祥地の一つとされているところだが、そこの高台にある農家を訪ねていた時、四人ほどの若い男女がやってきた。家の人に「民話収集のため、東京からやってきた大学生です。何か伝わっているお話があれば聞かせていただけませんか」というのである。当時は全国的に民話採集ブームだったようだ。彼らの地道なフィールドワークのお陰で、本来なら散逸してしまったはずの民話が残されることになったのである。さて民話は何も昔のことばかりではない。今でも各地で民話的な出来事は起きているはずである。本記事のような優れた物語の語り部が各地で残っていてもらいたいものである。

投稿: 時遊人 | 2016年8月15日 (月) 04時11分

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