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映画『魔法使いの弟子』

 「神こそが究極の魔術師である」 (マーリン・メッセージ-『時を超える聖伝説』より)

 28日(土)午後横浜市の顧客に伺った帰り、海老名駅で降り、いつもの映画館「ワーナー・マイカル・シネマズ海老名」(海老名サティ2F)に入りました。
 前から観たい映画があったのです。それは今評判の『借りぐらしのアリエッティ』や『ハナミズキ』ではなく、ニコラス・ケイジ主演の『魔法使いの弟子』です。いつもはハリウッド映画をくさしてばかりの私ですが、以前テレビの最新シネマコーナーで同映画が紹介され、『おっ。これは面白そうだぞ !』と思ったのです。

 何せ当ブログプロフィールで「森羅万象探求者」を自称している私としては、当然のことながら不思議大好き、怪奇現象大好き人間です。その延長線上で「魔法」「魔術」という言葉を聞いただけで、条件反射的に『観たい !』となってしまうのです。
 もし私にまつわる諸々(もろもろ)の制限、制約がすべて取り払われたとして、一番なりたいものは?それは「魔術師」であるかもしれません。ただしタネも仕掛けもあるショー的なトリックスターではなく、かのマーリンのような正真正銘の魔術師に。

 とは申しましても、私の知識はすべて「広く浅く」ですから、こと「魔法」について一家言(いっかげん)があるわけではありません。実際はそんな知識はゼロに近いのです。そこで今回の映画を「魔術師の弟子の弟子のそのまた入門者」のつもりで観てみようというわけです。

 夕方6時25分から予告編上映となりました。そしたら何とそのスタートが、魔法ファンタジーの最高峰である『ハリーポッター』ではありませんか。早いもので同シリーズもいよいよ完結編なのだそうです。そういえば第一作『賢者の石』ではまだ幼い感じだったハリーポッター役のダニエル・ラドクリフも、今ではすっかり大人びて、そろそろ「魔法が消え失せる年頃」、同シリーズの終了もむべなるかなという気がします。
 ハリーポッター完結編は二部作だそうです。前編の日本公開は11月26日から、後編は来年夏公開予定のようです。

 『魔法使いの弟子』本編は、伝説の王・アーサー王の時代がプロローグです。同王統治の末期らしく、この物語にはアーサー王もランスロットら円卓の騎士も登場しません。しかしアーサー王、魔法とくれば、何といっても魔術師マーリンです。
 物語では、この時代マーリンと史上最強の魔女モルガナ・ル・フェイの「魔術大戦争」が熾烈を極め、プロローグでマーリンは最期の時を迎えている設定です。マーリンには3人の弟子がおり、そのうちの一人はモルガナに寝返ってしまい、マーリンは後継者を見つけ出すよう後事を弟子のバルサザール(ニコラス・ケイジ)に託して息を引き取ります。

 舞台は800年の時を超えて、いきなりニューヨークに移ります。現代に甦ったバルサザールは、頼りなげな物理学オタクの大学生ディヴを見つけ出し、彼こそがマーリンの後継者であることを突き止め、弟子のとして修行を始めさせます。
 そこに魔女モルガナに降ったもう一人のかつての仲間が現われ、バルサザールと弟子のディヴの行く先々に現われては執拗に妨害を企てます。両者は魔法の限りを尽くした死闘を繰り広げます。NYを舞台に、CGテクノロジーを駆使した息詰まる魔法合戦は、一観客である私自身が異次元的な魔法体験をしている感覚にとらわれます。

 これ以上ストーリーを述べるべきではないと思いますが、この映画も結局ハリウッド映画お得意の、「善と悪の戦い」に単純化されたストーリーといえます。ただやはり現代ではよほどの物好きでなければ関心を示さない「魔法」を、大真面目で取り上げているのが大異色です。
 なるほど円形の魔方陣、ペンタゴン(五芒星)の防御の図形など、魔術の基本に則った考証はしっかり描かれています。それにバルサザール役のニコラス・ケイジの魔法使いぶりはさすが堂に入ったものです。今後私が魔術師を思い出す際は、この映画の中のニコラス・ケイジを思い浮かべることになるかもしれません。

 思えば「魔法」は古代にあっては、錬金術や占星学とともに、最高の科学、テクノロジー、知の体系であったわけです。しかしそれは例えば原子力がそうであるように、誤用、悪用、乱用される危険性が常にありました。
 マーリンvsモルガナのような、白魔術(ホワイトマジック)と黒魔術(ブラックマジック)の闘いは、アトランティスの昔からいつの時代にも存在したのです。現代においても、「フリーメーソン」がホワイトメーソンとブラックメーソンに分かれて、ハルマゲドンの熾烈な闘いをしているように…。
 本来「魔法都市」であるNYがこの映画の舞台であるのは意味深です。

 「夢見る頃を過ぎても」なお夢を見続ける昔の少年・少女たちは、世知に長けた普通人が心の奥深くに閉じ込めている「インナーチャイルド」を、かなり解き放っている人といえます。そういう人はまた「魔法を信じる心」もお持ちのことでしょう。インナーチャイルドとは、別の言い方をすれば「マジカルチャイルド」に他ならないからです。
 この映画によって、私の内なるマジカルチャイルドが解き放たれたかのように、しばし常ならぬ開放感が味わえました。

 ピュアな少年の心を持った、マーリンのような老賢人がこの世のどこかに存在するとしたら。何と素敵なことではないでしょうか !

 (大場光太郎・記)

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