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パンドラの匣

 - かくも人間くさい神々の物語。だからこそギリシャ神話は面白い ! -

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絵画:ローレンス・アルマ=タデマ 「パンドラ」(1881)



 豊穣な物語を内包するギリシャ神話は、昔から西洋を中心に多くの文学や詩、音楽や絵画のモチーフとして用いられ、無数の文学者、芸術家たちにインスピレーションを与えてきました。「パンドラの匣(はこ)」の物語もその一つです。
 つい先日の押尾事件記事でたまたまこの用語を用いました。私たちは普段何気なく使っている用語や成句について、案外由来など知らないことがあるものです。そこで今回は、元々のギリシャ神話の『パンドラの匣』を簡単にまとめることにしました。
 なお参考にしたのは、阿刀田高(あとうだ・たかし)著『ギリシャ神話を知っていますか』(新潮文庫)です。
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 昔々ある所に、プロメテウスとエピメテウスの2人の兄弟が暮らしていました。この兄弟は名前からして既に寓意的です。物語の前書きを“プロローグ”後書きを“エピローグ”と呼びますが、この兄弟がそもそもの語源となっています。“プロ”には“前の”という意味があり、“エピ”には“後の”という意味を含んでいるのです。
 兄のプロメテウスは“前もって考える人”であり、弟のエピメテウスは“後で考える人”ということです。日本語の慣用句的に言えば、プロメテウスは「先見の明」のある人であり、エピメテウスは「下衆(げす)の後知恵」ということになります。

 ある時エピメテウスが独りで留守番をしていました。すると門の前に世にも美しい女が立っているではありませんか。いやエピメテウスは“女”と考えることさえできなかったのです。なぜならそれまで、この地上には“女”というものが存在しなかったからです。
 そこでこの“美しい生き物”の出現に驚いたエピメテウスは、「お前はなんだ?」と聞きます。美しい生き物は「私はパンドラ」と答えました。ここで「パンドラ」という名前にも寓意が込められています。“パン”とは“すべての”の意味、“ドラ”は“贈り物”。つまりこの美しい生き物(女)は、神々が「すべての贈り物」としてこの世の男どもに遣わした存在だったのです。

 立っているのは途方もなく美しい生き物です。かねて知恵者のプロメテウスから、「ゼウスの贈り物にはロクなものがないから気をつけろ」と教えられていましたが、エピメテウスはそんなことも忘れて、請われるままにパンドラを家に招じ入れてしまいます。
 こうして館の中に入った美貌のパンドラはいつしか、美の女神アフロディーテ(ローマ神話のヴィーナス)仕込みの取って置きの性愛術を繰り出して、エピメテウスの身も心もメロメロにしてしまいます。
 人間として最初の性の交わりを経験したエピメテウスは、強烈な官能の歓びに目覚め、パンドラなしでは夜も日も明けぬまでになっていきます。

 ところでパンドラが地上に降りてくるにあたって、壷(つぼ)を一つ抱えていました。後代には「匣(はこ)」になってしまいましたが、元々のギリシャ神話では「壷」だったのです。その中に何が入っているのか、パンドラ自身にもよく分かりませんでした。
 エピメテウスはその壷に気がついて「何だ、それは?」と聞くと、「わからないの。神様がくださったの。けっして開けてはいけないって、そう言われたの」とパンドラは答えます。エピメテウスはそれ以上その壷に関心を抱くことはありませんでした。

 むしろその壷を気がかりなものと思ったのはパンドラの方だったのです。
 「何かしら?」。まるで押しかけ女房のように身一つでエピメテウスの館にやってきたパンドラとしては、天上からのプレゼントを差し出した方がより居心地がよくなると判断したのかもしれません。  
 日本の昔話にも「見るなの座敷」というのがあり、戯曲『夕鶴』では与ひょうが鶴に戻ったつうの機織りの姿を見てしまうように。「決して開けてはならない」というゼウスの厳命も、そう言われれば言われるほど余計見たくなるのが人情というものです。

 そこでエピメテウスが外出していたある日ある時、無聊(ぶりょう)をかこっていたパンドラは、壷を取り出ししげしげと眺めて見ました。壷には固く封が施されている以外、見れば見るほど何の変哲もないただの壷です。
 『少しだけ覗いてみようかしら?』。長い逡巡の末、とうとうパンドラは我慢できなくなり、壷の封を切り、そっとフタを動かしました。
 その瞬間壷の中から、モヤモヤと怪しい形のものが立ち上り、周囲を満たし、たちまち四方に飛び散ってしまいました。「あっ、いけない」。パンドラが叫んだ時は、もう後の祭り。

 壷の中のものはあらかた飛び散り、その底にたった一つのものが残っただけでした。この時壷から飛び散ったものは、病気、悪意、戦争、嫉妬、災害、暴力など、ありとあらゆる忌まわしい「悪」だったのです。
 かろうじて壷の底に取りとめたのは「希望」でした。

 それまで地上には何一つ邪悪なものは存在しませんでした。人間たちはいとも穏やかに、幸せに暮らしていたのです。だがパンドラが壷を開けたことにより、中から諸悪の根源が飛び散ってしまいました。もうこれらを取り押さえることはできません。さながら処女地に広がる伝染病のように、さまざまな悪は地上に広がり、以来人間たちは不幸に身をさらさなければならなくなったのです。
 ただ一つ「希望」だけは残りました。数々の不幸に苛まれながらも、私たちが希望を拠り所として生きていけるのはこのためなのです。

 (追記)ギリシャ神話は、小学校高学年時の呉茂一著『少年版ギリシャ神話』以来(時たま)親しんできました。今回は登場しませんでしたが、兄のプロメテウスはこの物語とどう関わることになるのか等、他の物語も随時ご紹介できればと思います。

 (大場光太郎・記)

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コメント

 本記事は10年9月8日公開でしたが、今回トップ面に再掲載します。いつぞやの豊洲新市場移転問題記事の中で「小池都知事はパンドラの匣を開けた」というように表現しましたが、本記事はそのいわれとなったギリシャ神話中の物語をまとめたものです。なお今回冒頭に「パンドラ」の絵を掲げました。

投稿: 時遊人 | 2016年10月12日 (水) 04時23分

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