« 続・押尾裁判判決下る | トップページ | 「検察は正義」神話の崩壊 »

巷に雨の降るごとく

              ポール・ヴェルレーヌ

       雨はしとしと市にふる  アルチュール・ランボー

  巷に雨の降るごとく
  わが心にも涙ふる。
  かくも心ににじみ入る
  このかなしみは何やらん?

  やるせなき心のために
  おお、雨の歌よ !
  やさしき雨の響きは
  地上にも屋上にも !

  消えも入りなん心の奥に
  ゆえなきに雨は涙す。
  何事ぞ ! 裏切りもなきにあらずや?
  この喪そのゆえの知られず。

  ゆえしれぬかなしみぞ
  げにこよなくも堪えがたし。
  恋もなく恨みもなきに
  わが心かくもかなし。

         (詩集『無言の恋歌』-堀口大學訳)
…… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 ポール・ヴェルレーヌ    略歴は『落葉』参照のこと。
 アルチュール・ランボー  略歴は『そゞろあるき』参照のこと。
 堀口大學(ほりぐち・だいがく) 1892年~1981年。東京都生まれ。詩人・翻訳家。外交官の父と共に南米・ヨーロッパ各地で暮らす。訳詩集『月下の一群』(大正14年)は、昭和初期の若い詩人たちに強い影響を与えた。

 堀口大學がこの詩を訳して発表したのが1937年(昭和12年)。以来堀口の名訳詩によって、この詩は我が国でも広く人口に膾炙(かいしゃ)されてきました。
  巷に雨の降るごとく
  わが心にも涙降る
 冒頭のこの2行は特に有名です。

 この詩でいう巷(ちまた)とは何処なのでしょう?ヴェルレーヌの生涯を少したどってみただけで、それは19世紀末の巴里(パリ)の街並みであることが明らかです。それもシャンゼリゼ通りのような華やかな大通りではなく、往年の名画『モンパルナスの灯』や『リラの門』などに出てくる、名もなき巴里の場末の方がこの詩の情趣にはふさわしいようです。

 巴里のとある巷にしとしと雨が降っているのです。季節はいつかは分かりません。いやむしろ季節に関係なく、雨の日なら年中味わえる詩だと思います。ただ強いて言うなら、この詩全体を流れる哀切調から秋雨がふさわしいようにも思われます。
 秋雨に煙る街並みのように、「わが心にも涙降る」というのです。まるで巷に降る雨は、詩人の陰鬱な心の反映であるかのようです。

 「かくも心ににじみ入る/このかなしみ」「やるせなき心」「ゆえなきに雨は涙す」「消えも入りなん心」「ゆえしれぬかなしみ」…。
 それにしても何という悲嘆調の詩語の連なりなのでしょう。この詩を読みながら、当時の巴里の雨の巷を詩人と共に追体験しようにも、降る雨はいよいよ陰鬱の度を加え、たどる街並みはいよいよ憂愁の色を濃くしていくようです。

 第4聯(最後の聯)の「ゆえしれぬかなしみぞ」…「わが心かくもかなし」と、この「かなしみ」はまるで不定愁訴のように、原因もないのにただ心の奥から湧き出てくるかなしみなのだと行間から訴えかけてきます。
 この「ゆえしれぬかなしみ」は、昭和4年芥川龍之介が「ぼんやりとした不安」とだけ書き遺して自殺したように、都市に生きる近代的自我に共通した普遍的な暗い感情、さらに言えば病理であるのかもしれません。

 ただこの聯の「恋も恨みもなきに」という独白(独り言)とは裏腹に、この時期はマルチナ・モーテとの結婚、普仏戦争(1870年)、パリ・コミューンの騒擾、年少の詩人ランボーとの同棲(ランボー17歳-1871年)、妻との離婚騒動、ランボーへのピストル発砲、同収監(1873年)など、フランスの世情もヴェルレーヌ自身も激動の時期でした。
 そういうことが、この詩に投影されているとみることもできそうです。

 (大場光太郎・記)

|

« 続・押尾裁判判決下る | トップページ | 「検察は正義」神話の崩壊 »

名詩・名訳詩」カテゴリの記事

コメント

この記事へのコメントは終了しました。