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2010年10月

続・星落秋風五丈原

 土井晩翠(どい・ばんすい) 詩人、英文学者。本名:林吉。本来の姓は「つちい」だったが、「どい」と呼ばれることが多かったため、1932年(昭和7年)「どい」に改姓。
 1871年(明治4年)仙台で質屋を家業とする土井家の長男として生まれる。小学校在学時から『新体詩抄』『十八史略』などを愛読。東京帝国大学英文科に進学。東大時代「帝国文学」を編集し詩を発表、1898年カーライルの『英雄伝』を翻訳、出版する。
 1899年第1詩集『天地有情』を刊行。この詩集で島崎藤村と並び称される代表的詩人となる。続いて詩集『暁鐘』『東海遊子吟』などを刊行後、大正期は英文学者として活躍。1924年(大正13年)には、バイロン没後100周年を期して『チャイルド・ハロルドの巡礼』を翻訳刊行。1952年(昭和27年)没。  (フリー百科事典『ウィキペディア』より)

《私の鑑賞ノート》
 『星落秋風五丈原』は詩集『天地有情』に収められています。同詩集の棹尾(とうび)を飾るのが、滝廉太郎作曲で後に日本を代表する愛唱歌の一つとなる『荒城の月』です。
 この詩は冒頭で蜀の丞相(じょうしょう-総理大臣)諸葛亮が、蜀軍の陣営のある五丈原で陣没せんとする蜀軍の沈痛悲愁のさまを詠います。以後諸葛亮の生涯の主な事跡を詠い、最後に今まさに息を引き取ろうとする不世出の丞相を讃え上げる構成となっています。

 土井晩翠の同詩は、『三国志』や中国史に通暁し、漢学の素養の高さが遺憾なく発揮された名詩と言うべきです。諸葛亮の生涯を荘重典雅な文語調で格調高く描き出しています。
 これだけ見事で完璧に諸葛亮を描き切った詩は、おそらく本場中国でもかつてなかったはずです。漢学の精華のようなこの詩から、江戸時代に溯る武士階級を主とした我が国の漢学の浸透、レベルの高さが推し測られます。
 戦前この詩が与えた影響は大きく、昭和初期の5・15事件や2・26事件の際青年将校らによって歌われた『青年日本の歌(昭和維新の歌)』などは、歌詞からもこの詩の影響が顕著です。

 諸葛亮(「孔明」は字-あざな)については、一昨年の『レッドクリフ&三国志(3)-孔明登場』以後でも触れました。魏の曹操、呉の孫権、蜀の劉備という三国鼎立の立案者が諸葛亮なのです。特に蜀の建国は、諸葛亮がいなければ実現不可能だったといっても過言ではありません。

 そもそも「三顧の礼」を尽くして、「南陽の旧草蘆(きゅうそうろ)」を訪ねた劉備玄徳に、孔明は「天下三分の計」の大計画を披露し劉備の度肝を抜きます。この時諸葛孔明は弱冠27歳の白面の青年でした。
 草蘆に隠棲していてさえ、「隆中に臥龍(がりょう)あり」との名声は天下に知られていました。そして孔明自身は、自分を常々春秋戦国時代の名宰相の管仲や楽毅になぞらえていたのです。漢室の流れを汲む劉備の「臥龍先生。塗炭に苦しむ民百姓救済のためにどうぞお力をお貸しください」との懇願に心動かされ、諸葛亮はついに出蘆(しゅっろ)を決意します。

 諸葛亮は確かに軍略家の側面もありますが、その本領は名政治家たるところにありました。三国一の弱小国・蜀の経営の隅々まで目が行き届き、優れた手腕を発揮したのが諸葛亮です。ずっと後世にまとめられた『三国志演義』の神出鬼没の天才軍師・諸葛孔明は、明らかに虚像です。赤壁大戦(208年)直前の「七星壇に東南(たつみ)の風を祈る」や、後の北伐の際魏軍に包囲されながら「空城の計」で難を逃れたというのは、後世の創作なのです。
 しかし諸葛亮には、天才軍師として伝説化したくなるような要素を持っていたことも事実です。その元となるのは、有り余る雄略の大才のほかに、謀略や下克上が当たり前の中国史上比類なき「忠烈無比の人」だったことが、後世の人々の心を強くとらえたのだろうと思われます。

 223年劉備は、(荊州の牧だった関羽の弔い合戦の)呉との「夷陵の戦い」に大敗し白帝城で死病を得ます。成都から諸葛亮を呼び、「君は曹丕(曹操の長子・魏の初代皇帝)の才に十倍する。わが子劉禅がまともな君主の器ならこれを補佐していただきたい。しかし禅にその器量なくば、君が皇帝になって蜀の民を安んじていただきたい」と遺言します。
 以後「君王のいまはの御こと畏みて」、暗愚の君主劉禅を陰に陽に必死で補佐し続けるのです。

 同年劉禅が皇帝になるや、諸葛亮は蜀の政治のすべてを任されます。関羽の死でこじれた呉との関係を修復し、南征して南方を平定します。後顧の憂いをなくしておいて、諸葛亮のその後のライフワークとなる、魏に対する「北伐(ほくばつ)」に着手するのです。
 最弱小国の蜀は、常に魏の大軍に攻め込まれる危険性があり、それを防ぐには「攻撃こそ最大の防御」で、蜀側から魏に戦いを仕掛けるしかなかったのです。また先王の「漢室による再統一」の遺志の実現ということもありました。

 227年準備を終えた諸葛亮は、いよいよ北伐を決行します。それにあたって上奏した『出師表』(すいしのひょう)は古来名文の誉れ高く、私も高校3年時漢文で習いました。その中の「危急存亡の秋(とき)」は、成句として今日の我が国でも使われます。
 魏という大国相手に「北伐」の趨勢は一進一退、なかなか雌雄を決することができません。有名な「街亭の戦い」では馬謖(ばしょく)を重用し、これが裏目に出て蜀軍は一時壊滅的打撃をこうむります。この時の「泣いて馬謖を斬る」も有名な故事となりました。

 結局北伐は、諸葛亮が五丈原(ごじょうげん)で陣没する234年(旧暦)8月まで「第五次」に渡って続けられました。途中から魏軍の総指揮官が司馬懿仲達(しばい・ちゅうたつ)に替わり、第四次で手痛い敗北を喫した司馬懿は、以後徹底した専守防衛策に転じ、両軍のにらみ合いは持久戦の様相を呈してきます。
 自分の余命いくばくもないことを悟った諸葛亮は、しびれを切らし「お互い武将なら堂々と雌雄を決しようではないか」と、司馬懿に女物の衣装を贈って挑発します。それでも司馬懿は動こうとしません。諸葛亮の病状を把握していたのです。

 こうして同年秋(旧暦)8月23日、不世出の丞相諸葛亮は五丈原にて53歳の生涯を終えたのです。まさに「巨星落つ」です。
 なお「五丈原」は、諸葛亮終焉の地として以後有名な史蹟となります。現在の陜西省宝鶏市付近にあります。高さ20mの高台に位置し、北に渭水(いすい)が望めます。丘の上には孔明を祀った諸葛廟があり、廟堂や衣装塚を見ることができ、「三国志ブーム」の日本からの観光客の来訪も多いようです。 

 遺言により、魏軍はもとより自らの全軍にもその死を公にせず、蜀軍は成都に向けて速やかな撤退を開始します。諸葛亮の死を察した魏軍は追撃を開始しますが、見事に統制の取れた撤兵の前に為すすべなく追撃を断念します。そのため後に「死せる孔明生ける仲達を走らす」という故事が生まれました。

 諸葛亮亡き後北伐は中止され、成都では劉禅の暗愚をいい事に、宦官(去勢された男子役人)が専横を極め蜀政は腐敗、堕落の一途をたどります。それでも諸葛亮善政の余徳により、蜀はその死後29年間余命を保ち、263年魏の実権を掌握した司馬懿の子の司馬昭の軍(鍾会、鄧艾)によって滅亡します。
 司馬昭の子の司馬炎(武帝)は、魏から禅譲の形で帝位を奪い、265年「西晋」を建国。司馬炎は280年呉も滅ぼし、三国時代は終わりを告げたのです。

 (大場光太郎・記)

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星落秋風五丈原

              土井 晩翠

一、
  祁山(きざん)悲愁の風更(た)けて
  陣雲暗し五丈原(ごじょうげん)
 
 零露(れいろ)の文(あや)は繁くして
  草枯れ馬は肥ゆれども
  蜀軍(しょくぐん)の旗光無く
  鼓角(こかく)の音も今しづか
  丞相病あつかりき
  丞相病あつかりき

二、
  夢寐(むび)に忘れぬ君王の
  いまはの御こと畏(かし)みて
  を焦し身をつくす
  暴露(ぼうろ)のつとめ幾とせか
  今落葉の雨の音
  大樹ひとたび倒れなば
  漢室の運はたいかに
  丞相病あつかりき

三、
  四海の波瀾収まらで
  民はみ天は泣き
  いつかは見なん太平の
  のどけき春の夢
  群雄立てりことごとく
  中原(ちゅうげん)鹿を争ふも
  たれか王者の師を学ぶ
  丞相病あつかりき

四、
  嗚呼(ああ)南陽の旧草廬(きゅうそうろ)
  二十余年のいにしへの
  夢はたいかに安かりし
  光を包み香をかくし
  隴畝(ろうほ)に民(たみ)と交れば
  王佐(おうさ)の才に富める身も
  ただ一曲の梁歩吟(りょうほぎん)
  丞相病あつかりき

五、
  成否(せいひ)を誰れかあげつらふ
  一死尽くしし身の誠
  仰げば銀河影冴えて
  無数の星斗光濃し
  照すやいなや英雄の
  孤忠の胸ひとつ
  其壮烈にじては
  鬼神も哭(な)かむ秋の風

六、
  嗚呼五丈原秋の夜半
  あらしは叫び露は泣き
  銀漢清く星高く
  神秘の色につつまれて
  天地微かに光るとき
  無量の思(おもい)齎(もた)らして
  千載の末今も尚
  はかんばしき諸葛亮
  名はかんばしき諸葛亮


…… * …… * …… * ……
 上に掲げた詩は、明治の詩人・土井晩翠の長大な叙事詩『星落秋風五丈原』(←全詩)(ほしおつしゅうふうごじょうげん)のうち、後に六番までを抜粋して曲をつけ歌としたものです。三国時代の名宰相・諸葛亮(孔明)が、今まさに五丈原で陣没せんとするまでの代表的な生涯の場面が描かれています。
 後のことは《私の鑑賞ノート》として、続編で述べたいと思います。作曲者は不明ながら、詩の内容にふさわしく曲は心に響く悲壮調(←混声合唱視聴)、是非一聴をお奨めします。

 (大場光太郎・記)

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ヘラクレスの誕生秘話

 -エロ大神ゼウスと人妻との交わりで生まれた、最強の勇士ヘラクレス-

 『プロメテウスの刑罰』で見ましたように、来る日も来る日もプロメテウスの肝臓を啄ばみ続けた大鷲を、ゼウスの命を受けて射ち殺したのがヘラクレスでした。
 ヘラクレスは、トロイア戦争の勇者アキレウスと並んでギリシャ神話中の英雄です。二人の大きな違いは、アキレウスが人間であるのに対し、ヘラクレスは半神半人でありより神話的な性格を帯びていることでしょうか。
 アキレウスの事跡は“トロイア戦争の項”で述べるとして、今回はヘラクレスの誕生秘話に迫ってみたいと思います。

 ヘラクレスの母はアルクメネ。この女性は、同じくトロイア戦争の英雄オデッセイアの妻ペネロペイアと共に「貞淑な女」として知られています。ここでなぜ「父」を初めに持ってこないかと言いますと、ヘラクレスにとって名目上の父はアルクメネの夫であるアムピトリュオンですが、実際の父は大神ゼウスであるからです。
 この際、エロ大神ゼウスと貞淑なアルクメネがどういう次第で結ばれ、ヘラクレスが生まれたのかを明らかにせねばなりません。

 下界(人間界)でアルクメネは、夫のアムピトリュオンと仲睦まじく暮らしていました。そのようすを天上界から見ていたゼウスは、またぞろむらむらと浮気の虫が騒ぎ出します。神話でアルクメネについては、“貞淑な女”以上の記述はありません。しかし大神ゼウスが手をつけたくなるほどですから、今流行りの言葉で言えば、さぞやムチムチの飛びぬけた“美熟女”だったのに違いありません。

 矢も盾もたまらず人妻をモノにしたくなったゼウスは、常に側用人のように従えているヘルメスを呼び、「わしはあの女が好きになった。なんとか一夜を共にしたい」「またですか?」「それを言うでない。ワシの性分なのじゃ。どうすればいいか良い策を教えてくれ」てな問答の末、しばらく思案していたヘルメスは、手に持っていた杖で大地をポンと叩いて、「いい知恵が浮かびました」と言いました。

 ちなみにこの杖は「ヘルメスの杖」といい、二匹の蛇が巻きつき上端に二枚の羽が開いているものです。これはその後の秘教学派では、「人間が能力を全開させた状態のシンボル」とされています。モーセが出エジプト時、紅海を真っ二つに分けた際用いたのが同じような杖だったと言い伝えられています。
 このようにヘルメスは、(この物語では変な役割を与えられていますが)本来はギリシャ神話上最重要の「叡智の神」なのです。いずれ別項目でそのことを検証してみたいと思います。

 ヘルメスが「良い知恵が浮かびました」と言えば、ゼウスも以心伝心で「うん、なるほど。いつもの手か !」と膝を打ち、相談がまとまりました。
 いつもの手って?前例はスパルタ王の妻「レダの誘惑」です(このエピソードもいずれ)。今回も似たような手を使って、貞操堅固な人妻を落とそうと言うのです。アルクメネはただひたすら夫のアムピトリュオンを愛しています。ならばそれを逆手に取って、ゼウスがアムピトリュオンに身を変えて近づけば目的を達することができると踏んだわけです。

 そうと決まって下界を見下ろすに、好都合なことに夫のアムピトリュオンは、今戦いの真っ最中で家を離れているところです。そこでゼウスは人間界に降りて、その夫の姿に身を変えてやすやすとアルクメネの臥所(ふしど)に忍び込み、人の妻を寝取ってしまったのです。
 この結果生まれたのが、ギリシャ神話中最強の英雄ヘラクレスだったのです。

 神話では、最愛の妻の不貞を知ったアムピトリュオンは初めは愕然としたものの、相手がゼウスだったことを知り、むしろ光栄に思うようになります。それは、その時生まれたヘラクレスへの彼の熱愛からも十分推察されるところです。

 それにしてもオリュンポスの最高神ゼウスは、何という不道徳でスケベなエロ大神なのでしょう。 
 しかし実はゼウスのみならず、“神的存在”が天上界から降りてきて人間の美しい娘と交わる話は、旧約聖書をはじめ世界中の多くの神話に共通してみられることなのです。
 これは現代的解釈では、高度な地球外生命体(代表例はプレアデス星人)が、実際地球上の娘たちの美しさのとりこになったということのほかに、地球人類進化のために、彼らの高度なDNA提供を目的としたものだったということもあるようです。

 ですからゼウス浮気物語など他の神話は、超太古の記憶が投影されていると言えそうです。そして何より注目すべきは、私たち現人類もその“神的DNA”を受け継いでいることです(鍵は未解明の「ジャンク(くず)DNA」にあり)。今まで私たちは“二重螺旋”の制限内に閉じ込められていただけで、太陽系にとってのセントラルサンからの“フォトンベルトの光”が強まっている「今この時」は、その封印が破られようとしているのです。
 何の変哲もない平々凡々たる私たちに、ヘラクレスや他の神々のような「神的能力」を開く機会が今まさに訪れようとしているのです。

 (大場光太郎・記)

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検察審査会事務局との応答

 『和順庭四季おりおり』様ブログで、以前の当ブログ記事『森英介前法相を証人喚問せよ !』が転載されていました。それはそれとして、同ブログ拝見しましたら、『晴耕雨読』『杉並から情報発信です』ブログからの転載もありました。「小沢一郎議員を支援する会」世話人等が検察審査会事務局に乗り込んで、小沢元代表に対する第五検察審査会の「起訴相当」議決の不当性をめぐって、かなり突っ込んだ質問をしたもようが再現されています。「これは拡散の要あり」と判断し、当ブログでも以下に転載させていただきました。 (大場光太郎・記)
                        *

10月26日  検察審査会事務局に乗り込みました。 疑惑だらけでした。

前回ブログで、「審査会事務局は存在しない審査員で架空議決した?」と書いた。

「検察を正すはずの検察審査会が架空議決をした!」などと言うのは、一般的に言うと不見識かもしれない。

だが、事務局の説明は矛盾だらけ。それに審査員の存在が見えてこない。考えに考えた末、「審査員を選ばなかった」として推理した。すると全てに説明がつくではないか。
 (中略)
疑惑だらけの第5検察審査会事務局に行って、真実を確認したいと思った。そんな矢先、ツイッターで、「東京第五検察審査会への抗議文・質問書を持っていくので、同行してみたい方はどうぞ」という「小沢一郎議員を支援する会」からの案内を目にした。

10月25日朝、地裁前に集まった方達と一緒に、東京第5検察審査会事務局に乗り込んだ。

以下その報告をする。

<検察審査会事務局と「小沢一郎議員を支援する会」世話人とのやり取り>

世話人の方が、ご自身のブログ「杉並から情報発信です」で、当日のやりとりを掲載されたので、以下に紹介させて頂く。
http://blog.goo.ne.jp/yampr7/e/c960809ad38f81ff7f16a361d9f0f27d

<略>

<一市民Tと長瀬事務局長と手嶋総務課長とのやりとり>

どうも、怒りが収まらないし、聞きたりない。一市民Tが一人残り、前述の長瀬事務局長と手嶋総務課長に質問をしてみることにした。約1時間半、嫌がられつつ質問を浴びせ続けた。

主なやりとりは以下の通り。

のっけから、直接一市民Tが推理したストーリーをぶつけた。

一市民T「"1回目の審査員選出は事務局が選択的に選んだ。2回目は選出を行わなかった"と確信している。」(ブログに書いたストーリーを説明した)
長瀬「それは貴方の見方だ。法に従って処理している。私達はやましいことは一切していない。」

一市民T「多くの国民は、法に違反したことをやったのではないかと思っている。」
長瀬「(報告した内容は)事実です。やましいことはしていない。」

一市民T「事実などと言えないはず。あなたは審査員選出の現場を見たのか。議事しているところを見たのか。違反していないのなら、第5審査会事務局担当者が、どのようにして審査員を選んだのか、そしてどのような議事をして議決に至ったのかを証拠を提示しながら明らかにすべきだ。国民に説明する責任がある。」
長瀬「選出には立会人が立ち会っている。」

一市民T「第5審査会事務局長と担当者と補助審査員が結託したら、選出しないで済ませることが容易にできる。これなら、議決は簡単に創作できる。」
長瀬「......」(無言)

一市民T「読売新聞記事によると、"9月7日に吉田審査補助員が就任。14日議決した"とある。この間、平日は4日しかない。10月までに議決すると言っていたのに、どうして短期間に一気に決めることになったのか?
集中的に何度も11人の審査員を集めるのは難しいのでは?
この4日で、膨大な検察捜査資料の説明を、素人の審査員に理解させ、議論をさせ、結論をまとめあげられるとは到底考えられない。」
長瀬「審査会は、読売記事の内容を公表していない。」(疑問には答えない)

一市民T「"審査会関係者の話では"となっている。読売が嘘の記事を書いたのか。」
長瀬「読売に確かめてほしい。」

一市民T「"審査補助員が決まらないので、議決が10月に延びる"と報道していた。審査補助員を決めるのにそんなに長い時間がかかるのか?」
長瀬「審査会では、そのようなことを公表していない。」

一市民T「多くのメディアがそのような報道を流している。これも嘘というのか。」
長瀬「......」(無言)

一市民T「5~7月は審査会を開かなかったのでしょ?」
手嶋「そんなことはできません。他案件の審査もあるので。」

一市民T「申し立て書を持ってきても、第5検察審査会は小沢案件で一杯など、適当な理由をつけて、他の審査会に回すこともできますね。どこの審査会でも受付けられるということを確認しました。」
手嶋「......」(無言)

一市民T「1回目6回のくじ、2回目5回のくじで11人を選び、平均34.55歳を選び出す確率はきわめて低い。2度目の選出でも、 34.55歳と小数点2桁まで同じ値になった。このように数字が全く同じになる確率は天文学的に小さい。発生することはありえないということだ。」
長瀬「実際にそうなった。私達はやましいことはしていない。」

一市民T「貴方は報告だけで確認しているので、報告をもって事実とは言えないはずだ。担当者は審査員データを創作することぐらいいとも簡単だ。担当者が使った資料を提示して説明しなければ納得できない。」
長瀬「私達はやましいことはしていない」(これの一点張り)

一市民T「事務局の説明では、"平均年令計算を選出時期別に、別の担当が行った。一人の担当者は就任年令で、もう一人の担当者は議決年令で計算した"と言っているが、その通りか。」
手嶋「その通り。」

一市民T「すると、6人全員が5月1日~9月14日までの間に全て誕生日を迎えたとしても、最大で0.54歳(6÷11)しか上がらないはず。それにしては、年齢差0.64(=34.55-33.91)は大きすぎて辻褄が合わない。」
手嶋「いや、外の理由も......」(しどろもどろだ)

一市民T「年令だけでも、公表できないのか?」
長瀬「できない。」

一市民T「会議議事録は見せられないのか?」
手嶋「会議議事録はない。議事録を作らなければいけないという法律上の規約がない。」

一市民T「議事録がないと、次の会議が進められないのでは。職務上とるのが当たり前だ。」
手嶋「......」(無言)

一市民T「審査員には日当を払っているはず。支払の帳簿を見せてほしい。名前を隠してもらってもいい。」
長瀬「見せられない。」

一市民T「第5審査会事務局局員が不正を行ったため、検察審査会全体への不信が大きくなっている。不正を行ったものを自首させるべき。放置しておくと、貴方だって、監督責任等を問われますよ」
長瀬「......」(無言)

一市民T「少数の事務局員と補助審査員の画策で、大々的な操作で不起訴になった案件を強制起訴にしてしまったと見ている。これは重大問題だ。事実が明らかになるまで、何度も追及する。」

<検察審査会を訪問して感じたこと>

大部屋に、第1から第6検察審査会事務局の6つのブロックが並んでいた。

どこのブロックが、問題の第5検察審査会かあきらかにしなかった。また、伝田(?)第5検察審査会事務局長は、2.5時間の間、席に戻らなかった。

カウンター越しに事務局局員が全て見える前での、長時間の対話だった。

一市民Tは声が大きいので、局員全員に全ての会話が耳に入る状況だ。仕事どころではないだろう。
誰かが、「うるさくて仕事ができない」「不正とは何事か」などと怒り出しても良さそうだが、咳としてその声もない。

一番不思議だったのは、"局員が大きな不正をしている"とこちらが断定しているのに、対応した責任者が怒らないことだ。

小沢事務所の方、民主党議員の皆様も、直接事務局に出かけ、事実確認と抗議をしてほしいと思う。

2010年10月26日

http://civilopinions.main.jp/2010/10/1026.html   (以上転載終わり)

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日々雑感(10)

  横浜の夕の街角時雨(しぐれ)たり   (拙句)

 26日、日本列島は今年初めて西高東低の冬型の気圧配置となったようです。そのため札幌、八甲田山、蔵王山などでは初雪が降るなど、全国的に寒い一日となりました。
 ついこの前まで記録づくめの猛暑が続いたと思ったら、一転秋を十分堪能しないまま冬が確実に近づいてきているようです。

 大陸の北方から吹き付ける北風の影響なのか、神奈川県内もきょうは「雨降りみ降らず」のはっきりしないぐづついた一日となりました。それにきょうは時折り強い風が吹きつけ、それが案にたがわず小寒い北風なのです。
 夕方などはあまりに強い突風にあおられ、『さてはこれが“木枯らし1号”か?』と思ったほどでした。そんな寒い風に身をさらしながら歩いていてふと足下を見ると、なるほど路面には風で飛ばされてきた桜落葉の何枚かが所在なさ気に舞っているではありませんか。

 後で分かったことには、気象庁発表では近畿地方で確かに木枯らし1号が吹いたことが確認されたそうです。同地方10月では8年ぶりのことだそうです。ちなみに「木枯らし」とはこの季節西高東低の気圧配置のもと、北寄りに吹いてくる最大風速8m以上の風をいうのだそうです。
 『あの風は8m以上あったぞ』。しかし関東地方については言及されませんでした。さては木枯らし1号には及ばないものの、その走りのような北風だったということなのでしょうか?

 話は変わりますが。愛猫「ズンズ」が死んだのが今月2日。早いものでもう20日以上が過ぎてしまったわけです。よく飼い猫や飼い犬などペットが死ぬことによって、「ペットロスシンドローム」と呼ばれる症候群に悩まされる飼い主の方が多くいるようです。場合によっては、肉親の死以上に長期間立ち直ることができないような深刻なケースもあるといいます。
 私もズンズの生前、これだけ可愛がっていると死んだ後相当こたえるだろうな、と思っていました。
 今でも何かの拍子で在りし日のズンズの姿、最末期の弱った姿などがひょいと浮かんできては、ズキンと心が痛むことがあります。しかしズンズは少しずつ私の“思い出の領域”に入ってくれているようで、時にはその愛嬌いっぱいの姿を思い浮かべては、思わずくすくす笑うことができるようになりました。

 ズンズの死直後の『愛猫の死』、その後毎日何人かの人からのアクセスがあります。ずばり「愛猫の死」という検索フレーズでのグーグルなどからのアクセスです。ためしにそれをたどってみました。同検索フレーズやはり相当関心が高そうです。その数32万件。そして何と私の『愛猫の死』が、今現在トップ面の最上位にあるではありませんか。
 もう死んでしまったとはいえ、こうして生前“無名猫”だったズンズは世の中にほんの少し知られていくわけです。「よかった二ャー、ズンズーゥ !」。どこに行ってしまったのか皆目分からないズンズに、つい語りかけたりしています。なおズンズの遺骸は、死後2日後の深夜、近くの「ここなら大丈夫」と思われる所に、少し深い穴を掘って埋葬してやりました。

 今は12年以上前にもどって、親猫のミーだけとなりました。このミーは猫にしてはベタベタしすぎるところがあり、時に煩わしくなることがありますが…。次にミーも死んだら、もう猫は飼わないつもりです。

 ところで「アクセス」と言えば。ここ2日ほど、当ブログアクセス急上昇中(ただしあくまでも、当ブログだけの基準では)です。キッカケはやはり、「木嶋佳苗再逮捕」のニュースが流れたことのようです。
 その時から俄然、昨年の『かなえの殺人レシピ(1)~(15)』シリーズへのアクセスが引きもきらずなのです。全アクセスの7、8割が「かなえ関連」といった状態です。ちなみに2日間のユニークアクセス数(訪問者数)とアクセス数の推移は、25日453人-1133件、26日636人-1633件です。

 今年2月上旬の朝青龍暴行事件の時には及ばないものの、それでも1年も前の記事がこうして改めて読み返されるというのは、かつてなかったことです。そういえば『かなえの殺人レシピ』シリーズは、後々木嶋佳苗事件を誰かが調べたい時、同シリーズを当たってもらえばそのおおまかなアウトラインが分かるようにという意図もあったのでした。
 それにしても既にご存知のとおり、木嶋佳苗は「デブ」「ブス」「老け顔」の類い、決して「美人詐欺師」「美人毒婦」ではありません。なのに(いささか不謹慎な物言いながら)この「かなえ人気(?)」の高さはどうしたことなのでしょう?いずれじっくり検討してみる価値がありそうです。

 本記事は、こんな寒い日に午後から横浜に行って来たことをメーンにするつもりでした。 最初市内の某社に行き、用事が済んでそこの社長さんに神奈川県庁まで車で送ってもらいました。その車中一向に景気が上向かないイライラはピークらしく、社長さんの政治談議が始まり、「菅も仙谷も“アカ”だからダメだよ。知ってる?菅なんか拉致実行犯のシン・ガンス釈放に署名したんだぜ。民主党に票を入れたヤツはバカだよ」(私もその一人。その後反省し今夏の参院選では投票しませんでした)など、なかなか面白い話が飛び出したことを少し詳しくご紹介するつもりでした。
 しかしその前にスペースが尽きてしまいました。そこで本日の横浜行の総括として、冒頭の句を掲げました。

 (大場光太郎・記) 

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ドラゴンズ、日本シリーズへ

 -「巨人第二黄金期」と放言する、ナベツネの鼻をあかしてくれてありがとう !-

 プロ野球セ・リーグのクライマックスシリーズ(CS)ファイナルステージ第4戦が23日、ナゴヤドームで行われ、既にリーグ優勝を決めている中日ドラゴンズが4-3で、ファーストステージ勝者の巨人にサヨナラ勝ちしました。
 これで中日は、1勝のアドバンテージを加えた対戦成績を4勝1敗とし、2007年以来3年ぶり通算9度目の日本シリーズ進出を決めました。

 この試合中日は9回、浅尾拓也投手が2点を失い同点に追いつかれたものの、その裏の攻撃で1死1、2塁の好機に和田一浩外野手がレフト越えのサヨナラ打を放って、CSシリーズそのものの勝利を掴んだのです。
 これにより中日ドラゴンズは日本シリーズに進出し、パ・リーグ3位からCSを勝ち上がったロッテを相手に、3年ぶり3度目の日本一を目指すことになりました。日本シリーズは30日(土)にナゴヤドームで開幕しますが、両チームの同シリーズの対戦は1974年(昭和49年)以来、36年ぶりのことだそうです。

 当ブログ、プロ野球情報はほんのたまにしか取り上げません。10年くらい前までは、ペナントレースはもとよりオープン戦からテレビ中継に釘付けだったことを思えば、何というさま変わりかと思ってしまいます。今年に限ってみても、ペナント開幕ゲームも真夏のオールスターゲームも全く観ていません。
 ようやく少し気になって、先日のCSシリーズ第2戦のもようを少しのぞいてみました。中日が2点先取し、それを6回くらいまで堅守しているのを確かめて、『あヽこれで中日の勝ちだな』と確信し、テレビから離れたような具合です。

 結局その試合は勝ち、中日がその時点で一つのアドバンテージを加えて3勝、つまり中日が王手をかけたわけですから、もうCS制覇は確実と以後の試合も観ませんでした。次の第3戦は終盤の阿部捕手のホームランにより、守護神・岩瀬が打たれて1敗を喫したようですが、それで今CSの流れが変わるとも思われませんでした。
 そうしたら翌日の第4戦で日本シリーズ進出を決めてくれました。まずはめでたし、めでたしです。

 巨人軍の原辰徳監督は、09年3月のWBC優勝により新たに「監督開眼」でもしたものか。去年の巨人の強さは一種異様なものがありました。巨人の永遠のライバル・阪神はもとより、智将・落合博満率いる中日ドラゴンズも、この2年間ほどまともな戦いをさせてもらえず、巨人の強さは群を抜いていました。
 巨人本来の超強力な攻撃力に加えて、投手陣の駒もそろったようで、攻守のバランスが取れた本当に強いチームでした。日本一を決めたシーズンオフの読売のドン・渡邉恒雄の「原巨人でV9を超える第二黄金期を目指す」という宣言も、まんざらウソではないぞと思わせられました。
 そして始まった今ペナントレース。風のたよりでは、今年は序盤から巨人がブッチギリで独走の気配。大の“アンチ巨人”の私などは、『あーぁ、つまんねぇーな。今年も巨人が間違いなく優勝、日本一だぁ』と、早々とあきらめかけていたのです。

 しかしそれがどうでしょう?オールスターゲームに差しかかる前半折り返しの頃には、巨人、阪神、中日の差が見る見る縮まり、さながら三つ巴の様相。それに高田監督休養後にわかに勢いづいたヤクルトも参戦し、セ・リーグが俄然面白い展開になってきました。
 ペナント終盤の巨人の息切れは誰の目にも明らかで、代わって去年までパリバリの大リーガーだった城島捕手が加わった真弓阪神が優勝をうかがう勢い。しかし落合監督が常日頃「キャンプの練習量はウチが一番。これが終盤の大事なところで必ず生きてくる」と公言していたように、最終盤では遂に中日が首位に躍り出たのでした。

 私などは今年の中日の戦いぶりから、『中日はホントにそんなに強いのか?』と不思議でなりません。勝っても、巨人のビックイニング・一発攻勢のような華々しさがなく、気がついたら勝っていたというように、とにかく地味なのです。それでいていつの間にかするすると頂点にまでたどり着いてしまう。それこそがやはり、自慢の投手力を中心とした「守り勝つ野球」の本領というものなのでしょう。

 落合監督は、現役時代日本プロ野球界で前人未到の三冠王3回の輝かしい実績があります。また04年中日の監督になってからでも、リーグ優勝3回、日本1回。監督としても、押もしも押されもせぬ名監督の一人と言っていいのではないでしょうか?

 日本シリーズの相手は、パ・リーグ3位からCSを勝ち上がってきたロッテです。パ・リーグ優勝のダイエー相手に、1勝分のハンデがありながら接戦に持ち込んで日本シリーズ進出を決めたのは立派です。その勢いは決して侮れないはずです。
 そんな勢いのあるロッテに対して、落合中日はどう戦うのか?チェンや浅尾といった自慢の投手陣が、ロッテの勢いをストップできるのか?
 今シリーズ、視聴率はあまり期待できないそうです。それはともかく、なかなか面白いシリーズになりそうで今から楽しみです。

 (大場光太郎・記)

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かなえ&のりピーの近況

 - 昨年世間を騒がせた“かなえ&のりピー”。その近況は好対照である -

 振り返れば昨年後半は、押尾学事件、酒井法子事件、木嶋佳苗事件、上田美由紀事件と、世間の関心がいやが上でも高まるドエライ事件が連続して起きました。
 それに代わって今年は、年初以来小沢一郎元代表の「政治とカネ」問題という超ど級の政治事件一色。そのため昨年9月に政権交代した、民主党を取り巻く政治的状況は一変してしまいました。

(1)かなえの場合
 その中で首都圏で相次いだ、結婚詐欺にまつわる男性怪死事件の木嶋佳苗被告(35)は、しばらく名前が伏せられていたものの、怪死者数名ということから「平成の大毒婦」との異名を取りました。
 私も木嶋佳苗による一連の事件に興味をそそられ、当ブログでも『かなえの殺人レシピ』として(1)~(15)までのシリーズとし、おかげ様で大好評でした。
 その木嶋関連の報道は、既に同シリーズで述べましたように、事件が明らかになり大騒ぎになった直後、埼玉地検が埼玉県警などに「みだりに捜査情報を漏らさぬこと」と異例の通達を出したことにより、大出嘉之さん(当時41)車中練炭殺害による殺人罪での起訴時以外、木嶋関連ニュースはばったり途絶えてしまいがちでした。

 今回ようやく東京都青梅市の会社員・寺田隆夫さん(当時53)を殺害した疑いが強まったとして、警視庁捜査1課は近く木嶋被告を再逮捕する方針を固めたと報じられました。
 寺田隆夫さん殺害は昨年1月下旬に行われ、同年2月4日青梅市東青梅4丁目の自宅マンション内の寝室の布団の上で中毒死しているのが見つかったものです。その少し詳しい経緯は『かなえの殺人レシピ(6)』で述べてありますが、この事件で木嶋被告は初めて「練炭」を使用し、一酸化炭素中毒死を計画したことが注目されるところです。

 ただこの事件は、取調べにあたった警視庁青梅署は「練炭自殺」と断定し、当然のことながら司法解剖もせずに一件落着させたことが問題です。寺田さんの携帯電話の通話記録から浮上した木嶋被告には、かたどおり電話で寺田さんとの関係を聞いただけ。「別れるなら死んでやると言っていた」という木嶋被告の言葉を信用し、それ以上の追及はしなかったのです。
 そのため後に、木嶋被告による連続殺人事件の一つである可能性が高まってからも、寺田さん殺人事件の立件は困難だろうとみられていました。

 しかし警視庁捜査1課のその後の捜査により、寺田さんが木嶋被告に約1,700万円を渡していたことなどが判明。寺田さん宅で採取した練炭の灰を分析するなど地道な捜査により、木嶋被告が直前にインターネットで購入した練炭と同じ成分を含む微物が検出され、「状況証拠の積み重ねにより立証できる」と起訴に踏み込む方針となったもののようです。

 かなえの連続殺人事件は“裁判員裁判”の対象となります。当初捜査にあたった埼玉県警のベテラン捜査員が木嶋には、「いやぁ、こんなしぶとい女は初めてだ」と舌を巻いたといいます。同法廷で木嶋被告がどんな対応を見せるのか、興味深いものがあります。

(2)のりピーの場合
 かなえの場合と違って、のりピーこと酒井法子の場合は、覚せい剤取締法違反罪で執行猶予3年付きの判決後もその動向が時折り報道され、そのつど当ブログでも近況を記事にしてきました。
 のりピーのごく最近の動向として注目すべきは、のりピーの“育ての親”であるサンミュージックの相沢正久氏が10月1日で社長に復帰したことであるようです。相沢氏は昨年9月酒井事件の責任を取り、自ら副社長に降格していたのです。父親でサンミュージック設立者の相沢秀禎会長も相談役に退きました。それがこの度、両氏とも元の役職に戻ったのです。

 「事件から1年以上経過した」というのがその理由です。ただ同社のこの動きを、「のりピー(芸能界)復帰」のサインと受け取る関係者が少なくないようです。というのも既報のとおり、酒井法子は事件によるCMなどの損害賠償額2億円をサンミュージックに肩代わりしてもらっています。
 そのためこれから働いて弁済していくしかないわけで、そうなると7月の高相祐一との離婚成立に続いて、相沢氏の社長復帰は重要な意味を持ってくるというのです。

 当面考えられるのは、年内の「告白本発売」と「テレビ出演」のセットによる復帰だそうです。告白本は朝日新聞出版からの発売が有力視されているようです。朝日新聞としても「ベストセラー間違いなし」ののりピーの単行本の期待は大きいといいます。
 またテレビでの復帰があるとしたら、当初TBS『金曜日のスマたちへ』が最初とされていましたが、ここにきて日本テレビ『金曜スーパープライム』もオファーしているといいます。同番組は日テレが最も力を入れている今秋の新番組(2時間番組)で、枡方勝広副社長も「酒井法子登場もあり」を匂わす発言をしているそうです。

 のりピーこれならば、中国企業オファーの「AV出演」という際どいことをしなくてもよさそうで、何よりです。

 (大場光太郎・記)

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前原よ、米国にも「強気発言」してみろ !

 -米国没落、中国台頭。国益を損ねる「対米隷属」前原外相は辞任せよ !-

 中国漁船衝突事件ではその不手際を露呈した菅政権ですが、船長釈放後ともかく日中関係の修復を目指しています。ところが外交の要の大臣である前原誠司外相が、ここのところ中国に対する強気発言を繰り返し、中国側のやり玉に挙げられています。

 前原は18日参院決算委員会で、同衝突事件を受けた中国側の対抗措置を「極めてヒステリック」と厳しく批判したのを手始めに、19日には中国外務省の反日デモに関する談話について「理解できない」と噛みついたのです。
 一連の前原発言に中国外務省高官は、「毎日のように中国を攻撃する発言がある。耐え切れない」と反発を強めています。同時に同高官は、今月末にハノイで行われる予定の「日中首脳会談に影響しかねない」との懸念を示したのです。

 これに慌てたのが、菅内閣の“実質的総理”の仙谷由人官房長官です。22日の会見で「お互いあまり片言隻句をとらえて過剰に反応しないで、ゆとりある気持ちで日中関係をつくっていくべきだ」と、双方に冷静な対応を呼びかけました。
 しかし今回の場合、双方の「口撃」のキッカケをつくったのは前原誠司です。国際関係に人一倍留意した物言いが求められる外務大臣でありながら、中国側に「売り言葉に買い言葉」式の捉え方をされかねない不用意な発言をしたのが発端です。

 これにはさすがに身内の政府与党内からも、「前原氏は思ったことを口に出しすぎる。政治家として未熟だ」「不用意な発言が中国に利用されている」といった批判が続出しています。
 前原の政治的未熟は、何も今始まったわけではありません。古くは前原が民主党代表だった時に起きた「偽メール事件」です。耐震偽装問題などで悶死寸前だった小泉自民党を生き返らせ、逆に飯島秘書官らの策謀により民主党解党の危機にまで追い込まれ、責任を取って代表を辞任しています。あの時、前原の政治的力量の底が見えたはずなのです。

 そんな前原は、鳩山前政権下国交相に就任しました。「オレがオレが」の前原が真っ先にぶち上げたのがマニフェストで掲げた「八ッ場ダム建設中止」でした。大勢の報道陣を引き連れて現場に乗り込むパフォーマンスまで繰り広げました。
 しかし同ダムはその後どうなったでしょうか?しょせん政治的力量のない前原は、ほどなく国交省官僚に言いくるめられ、いつの間にか「建設容認」に傾いていったのです。
 その他高速道路無料化問題、JAL再建問題などでは、言っていることが二転、三転、あきれ返った一部有識者からは「お子ちゃま大臣」とヤユされる始末です。

 前原誠司の言動は一時が万事この調子です。単なる「人気取り」のため、その時の思いつきでモノを言っている側面が多分にあると思われるのです。以前の『前原誠司に物申す』でも述べましたが、このような前原の軽はずみな“パフォーマンス的言動”は、真の責任ある政治家の言動からはほど遠いものがあります。

 要職にある政治家の不用意な言動は、時に重大な国際問題に発展しかねません。今回の中国漁船衝突事件がまさにそうで、そもそもは前原国交相(当時)の海上保安庁への「漁船船長を逮捕しろ」の命令に端を発したのです。
 対中国強硬派(裏を返せば「対米隷属派」)の前原ならではの政治決断だったと言うべきです。しかし大前研一氏などは「前原国交相はあまりにも尖閣諸島問題に疎かった。同問題への深い理解の上で慎重な対応を取るべきだった」と、船長逮捕の決断を厳しく批判しています。あの場合、最善の策は速やかに尖閣海域外に「即時退去」させるべきだったと言うのです。
 そうすれば逮捕、拘置しながら起訴もしないで釈放という“国際的赤っ恥”をかくことも、外交面のみならず貿易面や民間交流などで今日なお尾を引く、日中関係の悪化も回避できたはずなのです。その意味で前原は、今回多方面で著しく国益を損なった元凶であると言えるのです。

 そんな前原の言動には、ある共通したパターンがみられます。彼のパフォーマンス的言動は、常に「大きなものの力」をバックにしているとみられるのです。漁船衝突時から今回の強気発言は、米国のバックなしでは考えられません。というのも以上見てきましたとおり、政治的力量に限りなく疑問符がつく前原ですが、親米派として米国の“その筋”からは高い評価を得ているというのです。それもあってか、早晩行き詰る「菅総理の次は前原だろう」ともっぱらの噂なのです。
 また小沢元幹事長が「政治とカネ」というマスコミの造語によって叩かれていた時は、老害・渡部恒三に続いてキャンキャン吠えまくったのが前原です。その時は「小沢氏は幹事長を辞任すべきだ…70%以上」という「マスコミ世論」の数字の力に乗っかったわけです。

 これを見ても前原誠司は、卑怯な「虎の威を借る狐」であることが明らかです。
 もし「いや、そうではない」と言うのなら職務上ちょうど好都合だ。現政権にとっての大懸案の「普天間基地移設問題」、外務大臣としてきちんと解決していただきたい。ということは、先月の名護市議選でも示されたとおり、沖縄県民の強い民意は「辺野古沖はもとより沖縄県内のどこにも移設するな。県外または国外に」です。そのような県民の意思を外務大臣として米国にきちんと伝え、先方の担当高官を再度交渉のテーブルにつかせ、一から見直しの協議を行うべきです。

 ともかく。またぞろ強気発言で中国を挑発している前原外相には、一連の日中関係悪化の原因が自分にあることを、どれだけ自覚しているのでしょうか?もし無自覚だとしたら、前原誠司はいかなる大臣としても欠格です。外相などという最要職にあることはもってのほか、即刻辞任すべきです。

 (大場光太郎・記)

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NО ! と言えない日本

 -中国漁船衝突事件などの「弱腰外交」の根っこにあるのが「対米隷属」-

 尖閣諸島海域内の中国漁船衝突により逮捕、拘置していた漁船のセン船長を、「このままではAPEC開催が危ぶまれるから」など仙谷由人官房長官の“高度な”政治判断を受けて、那覇地検は突然釈放決定をしました。「弱腰外交」「検察への政治圧力」などの非難を浴びたものの、衝突事件以降悪化の一途をたどっていた日中両国関係は、徐々に改善の兆しを見せ始めています。
 ただ中国国内における、若者らを中心とした反日感情は収まっていないらしく、数日前から成都や武漢といった中国内陸部の諸都市で、連日のように大規模な反日デモが続きました。

 同デモは、学生らを中心とする中国政府への日頃の不満が「反日」という名を借りて行われているガス抜きだ、との見方もあるようです。ただそのために当該諸都市に進出している日系店に対して、一部暴徒化したデモ隊による破壊活動が見られたことも事実です。
 中国側のこのような過剰反応に対して、つい何日か前某民放テレビの報道番組で、街の人にインタビューをしていました。その中で30代くらいの男性の、「日本は中国に対してモノが言えない属国だから…」という声がありました。
 私はそれを聞いて『えっ、日本が中国の属国?それを言う前にほかの国の“属国状態”をもっと問題にすべきなんじゃないの?』と思ったのです。

 “ほかの国”とはほかでもない「アメリカ」です。戦後間もなくの1951年(昭和26年)のサンフランシスコ講和条約により、我が国は独立国としての地位を獲得したはずでした。そこからいかなる大国とも対等な立場での外交交渉を貫く、真の独立国としての確かな歩みが始まったと思いきや。
 同条約と同時に密かに旧日米安保協定が結ばれ、当時の米ソ冷戦下で我が国はアメリカの軍事力の庇護の下、一旦有事がある場合我が国は米国の“極東の橋頭堡”としての役割を担わされたのでした。

 以来全国各地何十ヶ所もの米軍基地が、我が物顔にでんと居座ることになったのです。その後1960年(昭和35年)の安保闘争を経て、新日米安保条約は一段と強固なものとなり、その後の我が国の「対米隷属」が決定づけられたのです。そして今年は、同安保改定50年の節目に至っているわけです。
 確かに米ソ両大国を頂点とする東西冷戦時代は、日米安保もそれなりの意義があったのかもしれません。何より我が国はアメリカの軍事力、核の傘のおかげで、専守防衛ならぬ「専守高度経済成長」に邁進し、世界に冠たる経済大国になることができたのですから。

 しかしその間我が国がアメリカ様に払い続けた“各種上納金”はまさに天文学的数字に上ることでしょう。一例だけでも“思いやり予算”などの米軍基地関係費は世界中の米軍基地国でも類を見ないほど突出した予算を年々計上されられています。これなどは真っ先に「事業仕分け」の対象とすべきものです。
 これは上納金とは別の話ですが、ついこの前のニュースでもあったとおり、何年か前沖縄で起きた米軍兵士の運転する車に衝突され地元高校生が死亡した事件では、先方に全面的に非がありながら“地位協定”にしっかりガードされ、米軍兵士はいまだ何のお咎めもなしだそうです。

 以前小泉政権下でのイラク戦争時、岡崎某なる外務省ОBがテレ朝の『サンデープロジェクト』(当時)に出演し、「アングロサクソン民族は近代以降世界的な戦争でただの一度も負けたことがない。日本は孫末代までアメリカに付き従っていくのが、正しい外交のあり方だ」というような、思わず絶句するようなことを平然と言っていました。
 ご存知米合衆国は多くがアングロサクソン移民の末裔です。だから日本は、無敵のアメリカ様に永久的に追随していくのが理想的な外交だと言う奇態な論法です。岡崎某なる者がその時漏らした「対米観」が、我が国外務省が戦後間もなくから貫いてきた伝統的考え方なのでしょう。

 「対米従属」は外交面のみならず、我が国の防衛面など各分野のすみずみまでを規定しています。普天間基地移設問題では、「出来れば国外、最低でも県外」を目指す鳩山前首相に対して、昨年の政権発足後早々と米国と外務省などのお役人に取り込まれた、岡田克也外相(当時)と北澤俊美防衛相はいち早く「着地点は辺野古案しかありませんよ」と主張していたと言います。
 我が国が最早“オンボロ国”である米国の国債を買い支えていることも大問題です。その額200~300兆円とも言われますが、これは当然二度と取り戻せないのです。また郵政民営化による郵貯マネーの米国への流出などなど。

 アメリカ様に対してまったく「NО ! と言えない日本」が、他の大国に対しても「NО !」と言えるはずがありません。もし仮に強気に出たとしても、とうの昔に我が国の基本スタンスである「弱腰外交」を見抜かれているわけですから。今回海上保安庁に「中国人船長を逮捕しろ」という自民党もびっくりの命令を出した、前原誠司国交相(当時)のように超強気に出ても、その後の事態を決定的にこじらせ、つまりは“お子ちゃま大臣・前原”の後見人である“オレ様”仙谷が、事態収拾のため譲歩に次ぐ譲歩をせざるを得なくなるのです。

 かつて尖閣諸島問題で自民党は、「強制送還」処置で大問題化を回避したことがありました。今回日中大騒動の発端となった前原は、何の責任も追及されず菅改造内閣の外相にしれっとして横滑りです。それのみか、次期か次々期かの有力総理候補だそうです。
 つくづく「対米隷属派」は得だねぇ。

 (大場光太郎・記)

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雨降りお月さん

  1番 (雨降りお月さん)
    
    雨降りお月さん 雲の蔭
    お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
    ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
    傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
    シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
    お馬にゆられて 濡れてゆく    

  2番 (雲の蔭)                                                 
    いそがにゃお馬よ 夜が明けよ
    手綱(たづな)の下から ちょいと見たりゃ
    お袖でお顔を 隠してる
    お袖は濡れても 干しゃ乾く
    雨降りお月さん 雲の蔭
    お馬にゆられて 濡れてゆく

 年配の方ならどなたもご存知の昔懐かしい、作詞:野口雨情、作曲:中山晋平の童謡です。1925年(大正14年)の『コドモノクニ』正月創刊号で楽譜付きで発表されました。野口雨情は初め題名を『雨降りお月』としていましたが、中山晋平のすすめで『雨降りお月さん』にしたという経緯がありました。
 
 『雨降りお月さん』が好評だったため、同年の『コドモノクニ』3月号では『雲の蔭』という続編が発表されました。このように両者はもともと別の歌であり、中山晋平がつけたメロディも若干異なっています。
 それが昭和に入ってからレコードが普及しだし、この歌もレコード化されることになった際『雨降りお月さん』だけでは短いので、中山晋平の提案により『雲の蔭』と合せて一つの歌とすることにしたという経緯もまたありました。  (以上、フリー百科事典『ウィキペディア』より)

 この歌は、『雨』『花嫁人形』などとともに好きな童謡の一つです。以前の『雨-哀愁ただう童謡」』で述べましたように、こういう昔の童謡は「時代が違うから」「暗い歌だから」などの理由から、今の小学校教育ではあまり教えられないようです。ただこの歌は、2007年文化庁と日本PTA全国協議会の選定で『日本の歌百選』に選ばれました。

 さてこの歌は、文句なしで叙情性溢れる名童謡です。何より私はこの歌の基調をなすものは、「寂しさ」「哀しさ」だと思います。晴れのお嫁入りに、どうして「雨の夜更け」に「ひとりで」「夜が明ける前」に行かなければならないのでしょうか?何かのっぴきならない、隠された事情がありそうです。
 通り一遍に歌っているだけでは事情は皆目分かりません。その辺のことを論考した優れたサイトがあります。
   フナハシ学習塾その他23 童謡のなぞ14
 ご興味のある方は同サイトの全文をお読みいただくとして。その核心と思われるものを、以下にかいつまんでご紹介してみたいと思います。

 数多くの童謡などの作詞家として名高い野口雨情は、この歌が作られるまで二人の娘を亡くしているのです。まず長女みどりを、明治41年3月に生まれてすぐの8日目で。ここで思い起こされるのが、雨情の童謡『しゃぼん玉』の
   ♪ しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた
     生まれてすぐに こわれて消えた…
という歌詞です。したがって『しゃぼん玉』は、「生まれてすぐに」亡くなってしまった長女みどりへの鎮魂歌であるとともに、合せて大正10年に授かった次女恒子ばかりは、せめて健やかに育ってもらいたいという願いを込めた歌だったのです。

 ところが悲劇は続きます。次女恒子も、『雨降りお月さん』を発表する直前の大正12年(1924年)9月23日にわずか2歳で亡くなってしまったのです。ですからこの『雨降りお月さん』は、人生を謳歌することなく亡くなってしまった恒子へのせめてもの手向けに、父・雨情の親心として、恒子が成人して嫁入りする姿を想い描いて作った歌だったのではないだろうかと推察されるのです。

 既に死んでしまった我が子に対して、いくら親でも連れ添ってあげるわけにはいきません。死者の嫁入りは、月も出ない雨の夜更けに「ひとりで傘 さしてゆく」しかないのです。それではあまりにも可哀想だから、「シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた お馬にゆられて 濡れてゆく」…。

 そういう悲しい事情が野口雨情にあったとすると、この歌の「寂しさ」「哀しさ」が理解されてきます。またもしそうだとすると、この歌を通り一遍に聞き流したり口ずさんだりしては、野口雨情に申し訳ないのかなとも。
  - 雲がち、雨がちの今年の十三夜に

 (大場光太郎・記) 

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検察審査会を聖域化するな !

 -与党幹部までもが20代審査員の検審議決をありがたがってどうする !-

 強制起訴を決めた東京第五検察審査会(以下「第5検審」)の議決は「無効」だとして、国を相手に「行政訴訟」を起こした小沢一郎民主党元代表の控訴が、18日東京地裁によって却下されました。
 東京地裁の却下理由は、「検察審は準行政機関であり、行政訴訟にはそぐわない。議決は行政処分には当たらず、行政訴訟の対象とならない。刑事手続きで争うべきだ」というものです。

 小沢氏側が同訴訟を起こしたのは15日のこと、それがわずか3日にして「門前払い」なのです。何事もチンタラの行政、司法当局としては、何というスピード却下かと思ってしまいます。
 こと「小沢関連」となると、なぜか司法当局の動きはいつも異様に迅速なのです。昨年暮れの“変な行政書士ら”による怪しげな市民団体の東京地検への告発、それを即時受け付けての地検特捜部の世田谷土地購入問題への捜査の着手。4月初旬に東京地検が「不起訴処分」を出すと、これまた怪しい在特会代表・桜井誠(仮名)の検察審査会への即時告発、これも即受理。同月中には第5検審が1回目の「起訴相当議決」を出す早業です。

 今回の2回目の第5検審の実質審議が始まったとされる(というのも「密室審議」のため、実際審議されたのかどうなのかも不明だから)のは、9月7日。それが翌週の9月14日にはもう「起訴相当」議決が出されていたのです。
 この日が代表選当日だったこと、同議決が公表されたのは20日も経過してからだったことなど、あまりにも奇妙なことが多すぎる点につきましては、以前の記事でも既に述べたところです。

 例えば1月の『地検特捜部は、こちらも直ちに捜査せよ !』記事で触れた、大阪の正式な市民団体「公金の違法な使用をただす会」による、昨年衆院選後の麻生政権最末期における河村建夫元官房長官の「2.5億円官房機密費持ち逃げ事件」への1月の東京地検への告発は、半年もたなざらし状態。ようやく形ばかりの捜査に着手したのは7月下旬頃で、まだ捜査の決着がついたという報道はありません。
 これは小沢氏の一連のケースのような「限りない冤罪」などではなく、国民の血税の背任、横領 という国家的重大犯罪です。しかし小沢氏のありもしない「政治とカネ」ではあれほど大騒ぎしたマスコミも、なぜか同事件をほとんど取り上げようとはしません。
 
 また昨年4月に出された、森田健作千葉県知事の県知事選にからむ公選法違反容疑(虚偽事項の発表)などに対する、「森田健作を告発する会」の告発に対して、千葉地検がようやく重い腰を上げて形ばかりの捜査をして「不起訴処分」としたのが昨年9月30日。それを不服として、昨年12月16日千葉第二検察審査会に審査申し立て(完全無所属詐称容疑)を起こしたのに対して、同検審の「不起訴相当」議決は今年7月下旬です。

 彼我のスピードの違い、検察の捜査や処分、検審の議決の違いは明らかです。これでは見る人が見れば、うさんくさい市民団体、検察上層部、検察審査会、裁判所がグルになって小沢一郎の政治生命抹殺のための謀略捜査、審査を行ったことは一目瞭然のことでしょう。
 いずれにしても、今回の小沢氏サイドの行政訴訟が「そぐわない」の一言で却下されたのは、官報複合体プラス政(仙谷“菅”邸)による「小沢潰し」の意図が根底にある以上、現状ではどうしようもないことです。

 ただ今回の却下は、小沢氏サイドにとってはある程度織り込み済みだったとみるべきです。同弁護団は「議決は重大な瑕疵(かし)があったのに、起訴前に救済されないのは遺憾である」として、近く即時抗告する構えのようです。
 さらに小沢氏サイドは、“ウルトラC”も検討しているといいます。第5検審に対する「国家賠償」です。すなわち2回目の議決を出した審査員11名を相手に賠償請求を行うというのです。賠償金云々は抜きにして、そうすれば「匿名」の裏に隠れている11名を法廷の場に引っ張り出せる可能性が出てくるのです。

 これについて裁判官出身の弁護士は、「検審の審査員は任期中(8月から10月)は“みなし公務員”ですから、理屈としては個人への賠償請求は可能です。11人は個人の判断で議決しているからです。誤審をした裁判員に対して賠償請求できるのと同じ理屈です」との見解を述べています。
 とにかくこの11名については、一旦平均年齢30.9歳と発表されたのに、一部マスコミから「異常に若すぎる」と批判されると、検審事務局は慌てて「実は33.91歳の誤りでした」と訂正する始末です。裁判員のように記者会見に応じるでもなく、一体どこのどんな連中なのか匿名に隠れて氏素性がまったく分かりません。そしてこの者たちが、政局を大きく左右する重大案件に対してどれだけ慎重審議したのか、これまた皆目不明なのです。

 そこでもし審査員個々への賠償請求訴訟が認められ裁判にでもなれば、「なぜ起訴相当という判断を下したのか」、第5検審は可能な限り明らかにせざるを得なくなります。また11名の審査員を出廷させ、証人として尋問する場面も出てくるかもしれません。
 いくら訂正しても大半が20代の若者だったことに変わりはなく、この11名はかなり乱暴でいい加減な審査をした可能性があります。もし裁判になれば、そんな審査員の実態が国民の前に明らかにできるのです。

 普段はリーガルマインド(法的思考)などあまり持ち合わせていないであろう、アンちゃん・ネエちゃんら素人審査員の「疑問符だらけの議決」が、検察の処分の上位に置かれるのは明らかに異常です。マスコミ、野党のみならず与党内の現幹部連中も、「検察審査会至上主義」とばかりに検審を不可侵の聖域のようにみなしているのは、これまた非常に危険です。

 (大場光太郎・記)

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林檎の秋

                ヨルゲンセン

  秋の色あざやかな花々が
  庭という庭に燃え
  秋たけた野づらでは
  最後の穂もすでに乾いている

  家は家にぴっちりと並んで立ち
  みんな ly で終る名前をもっている
  私は立ちどまって通りすがりの人に聞く
  「これは何という町ですか?」

  小さい娘が乳母車に人形をのせて
  傍(かたわ)らを通りすぎる
  娘は挨拶してうなづいてお辞儀をする
  ー 私のいるのは礼節ある教区なのだ

  車のわきで男の子が叫ぶほかは
  すべてが平和だ
  一人の老人が庭に立って
  林檎をもいでいる

  私は北に南に旅し
  西に東にさすらった
  だが、私の林檎園はどこにあるのだろう
  どこに私の林檎の秋は?
                    1942年10月

                      (山室 静訳)
 …… * …… * …… * …… * …… * ……
52254

《私の鑑賞ノート》
 ヨハンネス・ヨルゲンセン 1866年~1956年。デンマークの詩人。聖フランチェスコを慕ってアッシジ(イタリア)に巡礼し、自身もプロテスタントからカトリックに改宗。西洋一のカトリック詩人と評された。『ヨルゲンセン詩集』のほか、評伝『アッシジの聖フランシスコ』などの名著がある。

 『世界青春詩集』に収録されている詩です。一読すがすがしい感にうたれる詩で、20代前半当時くり返し読み返した詩の一つです。

 秋も深まりゆく10月、ヨルゲンセンはとある町を通り過ぎたのです。町に入る手前の野原から町の中へ、そしてふたたび反対側の野へ。その道中で見て感じた印象的な場面を、詩人は簡明に描き出しています。

 2聯目の通りすがりの人への「何という町ですか?」という問いの答えとして、詩人は小さな娘が挨拶とお辞儀をしながら通り過ぎるのを見て、次の聯で『ここは“礼節ある教区”なのだ』と納得し自答します。
 今でもヨーロッパ各地方には、町の人皆の信仰が篤く「“礼節ある教区”の町」があるのかもしれない、とそう信じたくなります。
 我が国でも各地方の田舎町では、今でも都会人がとうに忘れ去った純朴な“人情”に触れ合え、思わずほっとすることがありますから。

 略歴によるとこの詩は、ヨルゲンセン76歳の時の作品ということになります。そんな高齢に関わらず、何というみずみずしい感性の詩なのだろうと驚かされます。今回その略歴を調べて初めて知ったことですが、彼の聖フランチェスコへの傾倒はひとかたならぬものがあったようです。それこそが詩人にとって、若々しい詩想の源泉であったのかもしれません。

 ところでこの詩には、珍しいことに末尾に「1942年10月」という日付が入っています。これも詩人の重要なメッセージと捉えるべきです。1942年といえば、1939年9月1日のヒットラーのナチスドイツによるポーランド侵攻を端緒として、既に第二次世界大戦は全ヨーロッパに拡大していた時代です。
 そんなただ中で「すべてが平和な町」。分けても一人の老人が庭で林檎(りんご)をもいでいる寸景などは。

 子供の頃を山形の郷里で過ごし、近くにいくつもの林檎園があった私の記憶からも、林檎から「平和」を連想するのはうなずけるところです。
 真っ赤に熟した林檎からは実りの「安らぎ」を与えられこそすれ、「怒り」や「戦いの心」などが呼び起こされることはまずあり得ませんから。

 林檎そして林檎園があるからには、ここはやはり寒冷な北欧の町なのでしょう。この時代はヨーロッパ全体が隈なくどす黒い戦火に覆われていたと思いがちですが、このような平和な町もあったわけです。
 いやヨルゲンセンは、現にヨーロッパ中を席捲している「戦争」の対極にある「平和」を、このような町に仮託した「祈りの詩」として結晶化させたかったのかもしれません。
 
 ただ知識人としてまた信仰者として、「戦争」のことが絶えずこびりついて離れない詩人は、「私の林檎園はどこにあるのだろう」「どこに私の林檎の秋は?」と自問しながら、なおも「人生巡礼の旅」を続けるのです。

 (大場光太郎・記)

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続報・チリ鉱山救出劇

 -超バラ色のウルスア氏、漁夫の利のピニェラ氏。他の作業員の今後など-
 
 『日本雛型論』で述べましたとおり、「南米大陸の雛形は台湾」という捉え方があるのでした。しかし台湾は、日清戦争直後から戦時中までの我が国の統治から、第二次世界大戦後は中華民国が実効支配することとなり、日本人の心の中の距離感として少し遠い島国になってしまいました。
 台湾との距離感のせいなのか、日本では北米やヨーロッパなどに比べて南米は、よほどの関係者でなければさほど関心を抱く人は多くはないはずです。

 しかし地球全体にとって最重要ボルテックスである、「地球上の13のチャクラ」を考えた場合、宇宙とのつながりを可能にする12番目と13番目のチャクラは、いずれもが南米にあることを私たちは認識しておかなければなりません。
 すなわち「コズミック・ポータル」である12番目のチャクラは、南米ペルーのマチュピチュ、そして地球を「この宇宙」最深奥のグレートセントラルサン(中心大太陽)に結び付けている13番目のチャクラは、ペルーとボリビアの国境をまたいだチチカカ湖であるのです。ちなみに我が国の富士山は、6番目の「太陽神経叢(しんけいそう)のチャクラ」に相当します。

 そういう意義を有する南米で、ある一国の出来事が全世界の注目を浴びることになりました。言うまでもなく、チリのサンホセ鉱山の落盤事故で長期間地中に閉じ込められていた33人の作業員の救出劇です。これにつきましては、『チリ落盤事故、救出続く !!』で既にその大まかなところをお伝えしました。その続報として、今回も取り上げてみたいと思います。

 何といっても69日間もの地中生活の間、仲間全員の地上生還を可能とした強いリーダー、ルイス・ウルスアさん(54)に関心が集中したようです。それは当ブログ同記事への「ルイス・ウルスア」などの検索アクセスが圧倒的に多かったことでも明らかです。
 今や世界的英雄となった感のある、ウルスア氏が冷静沈着に仲間を統率できた優れたリーダーシップは次の二つによって養われたようです。一つには父親が幼児の時亡くなり、以後長男である同氏が4人の弟妹の面倒を見てきたこと。もう一つは鉱山幹部だった義父の影響で20代から鉱山に潜り、自身が過去に遭遇した鉱山事故の経験が今回の事故で生かされたこと。

 難破船を最後に後にする船長のように、一番最後の33番目に地上に生還したウルスア氏は、低迷していた支持率急上昇で浮かれ放しのピニェラ大統領に、「次はアナタの番です。こんなことが二度と起きないようにしてほしい」と、ピシャリと言い放ったそうです。いやはや、どこまでも“出来すぎた”リーダーです。
 そんなボスのウルスア氏を待ち受けるのは「超バラ色の人生」です。既に日本を筆頭に世界中のメディアが、ウルスア氏の単独インタビューを獲得しようと札束が乱れ飛んでいるそうです。「月収の5倍いや年収と同額で」などのオファーが次々に舞い込むなど、同氏をめぐる争奪戦はますますヒートアップする一方のようです。

 また各国の出版社は、ウルスア氏の手記を勝ち取ろうと必死だといいます。もし出されれば世界的ベストセラーは間違いなし。出版権のオファーは1億ドルとも2億ドル(80億円~160億円)ともいわれています。
 ニュースでも流れていましたが、映画界も手ぐすね引いていて、救出前からチリ人監督による『33人』というタイトルの映画化が決定しているそうです。既に家族の待つキャンプ村でカメラを回しているといいます。
 またチリ国内では、ウルスア氏の政界転出も噂され、大統領の任期が切れる4年後にはピニェラのライバルになるのでは?という見方も早や出ているようです。気の早い向きは、同氏が今後稼ぐ額を「200億円」と、一気に世界的大富豪の仲間入り間違いなしの試算をしています。

 ウルスア氏にとっては“超バラ色”でも、救出された全員を考えた場合、今後の問題点も残りそうです。今回これだけドラマチックな出来事に遭遇したことによって、今後の人生に思わぬ波乱が待ち受けることも予想されます。また69日間という長期の地中生活によって、後々PTSD(心的外傷後ストレス障害)が発症する可能性も指摘されています。
 また救出された作業員にもさまざまなオファーが来ていて、「仲間内のお金の配分などの問題が大変だろう」と不安視する向きもあります。

 そんな中、今回の救出劇で「最大の恩恵を受けたのはピニェラ大統領だった」と評する見方があります。というのも今年3月に大統領に就任し、2月に発生した「チリ大地震」からの復興に尽力したものの、支持率は必ずしも高くはなかったようなのです。(事故発生前46%)それが救出活動が始まるとともに回復し、10%アップの56%まで上昇したのです。
 救出当日は現場に張りつき、救出された一人一人を出迎え、抱き合う姿が映像として世界中に流されました。それもあってか、国民から「事故の政治利用だ」という声も挙っていたようです。

 もっともピニェラ氏は、世界最高学府である米ハーバード大学で学び、テレビ局を所有し、チリのラン航空会長を務めたセレブだといいます。米国誌『フォーブス』によると、22億円の資産家でもあるようです。今回の事故によって、もともとの巨冨の上、さらに世界的名声を手に入れるという“漁夫の利”をせしめたのがピニェラ大統領のようです。

 (大場光太郎・記)

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“やわらかなファシズム”は今や“ハード”に…

 -政権交代は意味を失い、暗黒国家化する今の“米官業政電一体”の状況-

 今から20年も前のことです。平成に入るか入らないかの頃、当時言論活動で意気軒昂だった作家の野坂昭如が、「やわらかなファシズム」と表現したことがあります。定かな記憶ではないものの、何かの月刊誌に寄稿した野坂の小論かエッセイかの一文の中にこの造語があったのです。
 この国のバブルが崩壊したことがまだ明らかになってはおらず、今よりずっと社会全体に活気があり自由度もまた高かったように思われた当時、野坂昭如の独特の感性は「やわらかなファシズム」的危うい状況をいち早く察知していたものと思われます。

 野坂昭如は「(戦後)焼け跡派」と称されることがあります。終戦当時旧制中学生だった野坂は、戦中戦後の実情をリアルに見て育ったのです。野坂のそんな戦争体験からも、そう表現せざるを得ない状況がこの国に徐々に醸成されつつあったということなのかもしれません。

 以後20余年たった今年、にわかに『こりゃ、やばいぞ』と思わせられる政治的状況を何度も目にしてきました。この国をアフガン侵攻、イラク戦争など米国の戦争に無条件で追随し続けた小泉政権以来感じてきたことが、今年はますます顕著に現われてきたように思われるのです。
 それはもはや「やわらかな」というような生やさしいものではなく、より露骨で「ハードなファシズム」に向かいつつあるのではないだろうか?と大いに危惧の念を抱かざるを得ないのです。

 それを知るための格好の“指標”は、何と言っても一連の「小沢事件」です。
 この問題がなぜ「ファシズム」と結びつくかと言いますと、昨年春の西松建設事件以来“米官業政電”一体となって、常軌を逸した「小沢一郎潰し」を狙っていると思われるからです。まさに「米官業政電一体」ということが、ファシズムに他ならないのです。
 小沢元代表がなぜこうも執拗にターゲットにされるかと言えば、何度も言いますが小沢氏に政権を掌握されてしまうと、米国を含めた彼らの既得権益が根こそぎ奪われかねないからです。

 代表選の演説で小沢元代表は、「明治維新以来140年間温存されてきた官僚機構を抜本的に改革しない限り、この国の真の再生は有り得ない」と力説しました。そう名指しされている霞ヶ関官僚群の小沢への警戒感は相当なものです。
 また記者クラブ制度の廃止、クロスオーナーシップの規制による新聞とテレビの分離などの改革に手を突っ込まれかねないマスコミの危機感も相当なものがあります。「第二経団連」構想をぶち上げられた経済界もまたしかりです。
 「小沢ならやりかねんぞ」、彼らは内心そう思っているはずです。小沢が政治の表舞台に登場できないよう封じ込めてしまえば、現菅政権が実証しているように、いとも簡単に“第二自民党化”出来てしまう民主党政権でも何の不都合はないのです。

 国内の“官業政電”を奥からコントロールしているのが「米国」です。
 今と戦前戦中との酷似性がよく引き合いに出されます。例えば戦時中の「特高警察」と現在の「特捜検察」。また戦時中は新聞などが戦争遂行内閣を翼賛し、今のマスコミも「米官業政」を強力にバックアップしています。そんな翼賛新聞によって国民は「戦争遂行」にいとも簡単に誘導されましたし、現在も小沢報道により「嫌小沢」の強固な世論が形成されています。
 そして戦時中のスローガンは「軍国主義」「天皇中心主義」でしたが、今現在は「対米隷属主義」が国民全体の暗黙の了解事項です。

 ところで15日小沢元代表に大きな動きがありました。一つは「柔道からの引退」を表明した、“ヤワラちゃん”こと谷亮子参院議員の記者会見の場に小沢氏も同席したこと。そしてもう一つが、東京第五検察審査会の起訴相当議決を不当として、東京地裁に「起訴議決の取り消し」を求めて行政訴訟を起こしたことです。
 これは同検審が非公開、匿名性などまったく不透明な密室議決であることとあいまって、元の告発や第1回の議決時にはなかった“犯罪事実”を勝手に付け加えていたのですから、当然の訴訟と言うべきです。
 もしこの訴訟を東京地裁が「門前払い」するようだと、いよいよもって仙谷内閣、検察、裁判所、日弁連一体となった“ファシズム体制”は紛れもない事実であることが明らかです。

 現在は、「やわらかな」から「ハードな」ファシズムへのプロセスが進行中とみられます。戦前戦中より見えにくい、それゆえより悪質なファシズムだと言えます。それに対しては、名ばかりとは言え今は主権在民の時代ですから、「国民が第一」にしっかり監視していかなければなりません。
 しかしマスコミに好いように誘導され放しのB層ばかりでは、甚だ心もとありません。最初水の中に入れられたカエルは、徐々に温度を上げられても気がつけず、終いには“茹で殺し”にされてしまうそうです。今の我が国の状況はまさにそのとおりであることを、多くの国民は早く気がつくべきです。

 (大場光太郎・記) 

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プロメテウスの刑罰

 -人類の恩人は、人跡未踏の地で永遠とも思われる刑罰を受けた-

 プロメテウスの入知恵により“賢くなりすぎた人間たち”には、『パンドラの匣』で見ましたように、罰として「諸悪の根源」を与えたのでした。そして次にゼウスは、「プロメテウスはどう罰してやったらいいものか?」と思案します。
 「あの野郎、何かオレの弱みを握っているらしい」。ゼウスはそこに一抹の不安があり、プロメテウスの好き勝手し放題を手をこまねいていたのでした。しかし事「天上の火」(『プロメテウスの火』)まで盗まれてしまったとあっては、もう我慢も限界です。

 ついに堪忍袋の緒が切れてゼウスは、断固制裁の手段に出ます。権力の神クラトスと暴力の神ビアに命じて、知恵の神プロメテウスを捕まえさせ、人類未踏のこの世の果てまで連れていかせたのです。
 その地でプロメテウスは磔(はりつけ)にされ、その胸に杭を突き刺され、その杭には一羽の鷲(わし)が止まっています。鷲はプロメテウスの肝臓を啄(ついば)むのです。一日かけて食い荒らすと、次の日にはまたプロメテウスの中に新しい肝臓が育ち、その日もまた鷲に突かれるのです。来る日も来る日もその繰り返しです。
 こうしてプロメテウスは、永遠の責め苦を味わわなければならなくなったのでした。

 磔の刑といえばイエス・キリストが受けたことで有名です。しかし歴史的にはイエスの磔刑(たくけい)が史上最初のものだったわけではなく、この神話に投影されているとおり古代ギリシャ時代既に存在したのです。ギリシャでは、不名誉な罪に対する刑罰として磔刑が行われたようです。
 それが古代ローマにも伝わり、特にローマでは国家の裏切り者に対して、イエス以前にも磔刑は行われていました。
 人類の恩人プロメテウス、そして人類の贖罪主イエス。共に「不名誉な罪」「国家の裏切り者」などの汚名を着せられて磔刑に処せられたことは興味深いところです。

 さてプロメテウスの刑罰は「3万年」と定められていました。しかししばらくして開放されたようです。ゼウスは彼を“肝臓啄まれ地獄”へ送る前、「お前が知っているオレの弱みとは何なのだ?」と尋ねます。ギリシャ神話中の主神でありながら、ゼウスは全能でも聖なる神でもなく、「人間くさい神」「好色な神」なのです。この辺は多神教のギリシャ神話と、「全智、全能、普遍」を標榜する一神教のユダヤ教、キリスト教との大きな違いです。

 ともかく。プロメテウスはその質問に、「さあ、何でしょうかね」とはぐらかし沈黙のうちに地獄へと落とされていったのです。
 しかし随一の知恵者もさすがに地獄の苦行はこたえたらしく、ある時とうとう「大神ゼウスよ。例の重要な情報を教えるから、ここから逃がしてくれ」と懇願しました。「よし分かった。話してみろ」。ゼウスはその取引に応じます。

 “前もって考える人”だから予知できた秘密とはー。
 好色神ゼウスはある時一人の少女を見初めました。その少女の名はテティス。プロメテウスの予言はそれに関わるもので、「もしゼウスがテティスと交われば男児が生まれ、その子は父ゼウス以上の全知全能の神となり、ゼウスを追放するだろう」というものでした。
 それを聞いたゼウスの顔色はみるみる曇ります。というのもゼウスは折りしもテティスという娘と巡り合い、その類い稀な美しさに触手を伸ばそうとしている矢先だったからです。

 実はゼウス自身が、かつて父クロノスを天界から追放し、大神の座に就いた後ろめたい経歴を持っていたのです。「因果は巡る」は、無知な人間ばかりかと言うとさにあらず。今度はゼウスが、我が子に追い落とされる可能性は十分有り得ることだったのです。
 それを考え浮気者のゼウスも、この時ばかりはテティスをあきらめたのでした。
 かくしてゼウスはプロメテウスとの約束を守り、ヘラクレスに命じて肝臓を啄む鷲を射ち殺させ、鎖から解き放ってやりました。
 こうして老いたるプロメテウスはゼウスと和解し、晩年はオリュンポスの神々の良き助言者として平穏に暮らしたと言います。

 (大場光太郎・記)

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チリ落盤事故、救出続く !!

 -今取り上げる話題としては、この救出のニュースが一番だろう !-

 チリ北部のサンホセ鉱山の地中700mもの地下に閉じ込められていた、33人の鉱山関係の人たちが全員、70日目にしてようやく救出されようとしています。8月5日の落盤事故そして18日目にして、ボウリング掘削機の先端に見つかった「地中にいるのは33名。全員元気でがんばっている」の手紙の切れ端。
 それ以降のチリ政府をはじめとしたチームの救助作業のことは、逐一映像として私たちのもとに届けられました。その結果このニュースはチリ国内にとどまらず、もはや全世界の人たちが一日も早い救出を待ち望む、世界的な大関心事となっていました。
 
 日本時間14日午前0時現在、既に15人ほとが無事救出され、元気な姿で地上に生還することができました。その間12時間ほどが経過したといいますから、救出に一人当たり50分くらいの時間を要したことになります。
 一人一人が救出カプセル「フェニックス」を出るなり、地上で今か今かと待っていた家族と真先に抱き合う姿には、見ていてジーンとさせられました。
 現場にはチリのピニェラ大統領もいて、その話では「救出作業に慣れてきたので、今後はもっと時間を短縮でき、後8時間くらいで全員救出できるだろう」と話しています。

 13日深夜の某民放報道番組では、「奇跡の救出劇」と評していました。まさにその感を深くします。とにかく地中700mに長期間閉じ込められるなどは、地上生活者たる私たちの想像を超えた世界です。それもまったく予期せぬ落盤事故によって、地上への出口を完全に塞がれてしまったのですから。
 特に、ラッキーにも生存を知らせる手紙片が地上の救助隊に発見されるまでの17日間は、本当に大変だったろうと思います。食料はたちまち底をつくし、中はけっこう暑いし…。『オレたちは見捨てられた。もうダメだ』という深い絶望が、広さ30畳ほど(一人当たり1畳弱)の狭い地下シェルターに蔓延していてもおかしくなかったはずです。

 しかし地上との音信不通の最初の17日間も、それ以降の53日という長い日数もものともせず、三十三勇士は頑張って耐え抜いたのです。これは「いざとなれば人間はここまで強くなれる !」という、格好の見本を全世界の人に示したものではないでしょうか?
 私は「いよいよ救出が始まる」というニュースに接して、『ここまで頑張ってこれたのには、中にずば抜けたリーダーがいたからなのでは?』と思いました。想像を絶する極限状態では、各人が『自分だけが助かればそれでいいや』式のバラバラな考え方では、時ならずして仲間割れ、喧嘩、発狂者、自殺者、病死者などが続出してもおかしくはないからです。
 
 予想通り「優れたリーダー」がいたようです。現場監督のルイス・ウルスアさん(54)です。他の人たちはウルスアさんの強いリーダーシップの下、事故当初から食事の量や時間割、各人の役割分担などの規律をしっかり守った、チームワークの取れた行動をしていたようです。
 ウルスアさんは今回の救出に当たっても、「自分は“リーダー”だから、一番最後に出たい」「難破船から最後に脱出する船長のようなものだ」と、地上の救助チームに伝えたそうです。大変な危急存亡の時に、このような優れたリーダーがいたことは不幸中の幸いというべきです。

 最後に。世界中に勇気と希望と感動を与えてくれた、ルイス・ウルスアさんはじめ33人全員そして救助隊員たちに来年度の“ノーベル平和賞”を。いや来年などといわず、既に今年度の受賞が決まっている中国の反政府活動家・劉暁波氏と同賞を分け合うよう、ノーベル財団は検討してみてはどうでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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ドナウ川のさざなみ

  秋の夜に良き音楽などを聴き入りて独り過ごすを至福となせり  (拙歌)

 最近少し得した気分になることがありました。というのも、ネット上でウインナーワルツの名曲『ドナウ川のさざなみ』の良い演奏のMP3サイトを見つけたからです。(サイト名は『癒しの音楽「ギャラリー田麦庵」』。他に『シューベルトのセレナード』やトセリの『嘆きのセレナード』など20数曲あり。)

 クラシック曲などあまり聴かない私にしては珍しく、この『ドナウ川のさざなみ』は“お気に入り”の一曲なのです。こういう名曲というものは、特別学校で教わらなくても、小中学生の頃どこかでそのメロディが流れていて、いつしか自然に覚えていったものと思われます。

 それが鮮烈にこの曲が迫ってきたのは、今から15、6年前私が45歳頃のことでした。当時『世界名曲集』というようなカセットテープの一巻を求めたのです。クラシックでもポピュラーな軽音楽系の名曲ばかりを収めたテープです。その中には例えばバッハの『G線上のアリア』、マスネの『タイスの瞑想曲』、サンサーンスの『白鳥』といったおなじみの曲が収録されていました。

 その中に『ドナウ川のさざなみ』もあったのです。そして改めてこの曲を聴くほどに、その切ないばかりの哀愁の調べにたちまち魅せられてしまいました。演奏がフルオーケストラで、その迫力がまた胸にググッと迫ってくるのです。上にあげた各曲ももちろん好きなのですが、とりわけ当時はこの曲を繰り返し聴きました。
 その後しばらくしてカセットレコーダーかテープかがダメになり、その名曲集もとんと聴けずじまいでした。ただその後も時折りふと、『ドナウ川のさざなみ』のメロディの一節が鮮烈に甦ってくることがあるのです。

 そこで何年か前『ネットなら何でもあるだろう』と、どこかのサイトで同曲の良い演奏がないだろうかと、音楽サイトをあたってみました。確かにあることはあり、それらを片っ端から視聴してみました。そのうち3曲ほど“お気に入り”に入れましたが、いずれも軽音楽的アレンジばかりで、カセットテープで聴いたようなうち震えるような感動にはほど遠いものばかりでした。

 ところで少し前の話しながら、今年7月7日『たなばたさま』にコメントを寄せられた方がおられます。その前半部分を掲載させていただきます。

はじめまして。
aostaと申します。
「ドナウ川のさざ波」を探していて大場様の音楽室にたどり着き、こちらのブログまで足をのばさせて頂きました。
私の好きなオランダのアニメーション映画「岸辺のふたり」に使われていたこの曲、昔は実家のSPレコードで何回も聴いたものですが、最近はほとんど耳にすることがありません。
こうして聴きなおしてみると、何とも言えない郷愁を感じる曲ですね。(以下省略)

 おっしゃっている、私の「音楽室」というのは、私にはよく分かりかねるところです。あるいは『名曲-所感・所見』カテゴリーのことなのか、以前多くコメントを残した『二木紘三のうた物語』のことなのでしょうか?
 いずれにしましてもこの方にとって『ドナウ川のさざなみ』は、少女時代からの懐かしい思い出の名曲のようです。そもそもルーマニアのJ・イヴァノヴッチが作曲したこの曲は、その哀愁を帯び、感傷的でロマンチックな旋律から、日本人の心に強く訴えかけるものがあるらしく、『月は霞む春の夜』という歌詞もつけられるほど、以前は我が国で人気の高かった曲のようです。

 私が何日か前冒頭の音楽サイトを見つけたのは、「こうして聴きなおしてみると」というこの方のコメントがふと思い出されたからです。『ひょっとして、どこかのサイトで良い演奏のがあるのかな?』。aosta様が見つけられたのも、多分このサイトでしょう。なかなか良いmp3演奏です。
 ところでaosta様言われますように、今ではほとんど聴かれることがなくなりました。ネットでたいがいのクラシック曲を収録してある音楽サイトでも、この曲は入っていません。
 当今流行りの、世界を「君と僕」だけのものにしてしまった“J-POP”とやらを耳にするにつれ、どうやら日本人は、以前のような豊かな叙情性を放棄してしまったようで大変残念です。

 (大場光太郎・記)

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日本列島御神体論

 日の本の国は神の国、神の肉体、汚してはならんとこぞ。(『日月神示』より)

 今回は先日の『日本雛型論』『続・日本雛型論』に引き続いての、「トンデモ言説」です。同論をさらに一歩進めた論考ということになります。

 10余年前、時の森喜朗総理が不用意にも「日本は天皇を中心とした神の国」発言をして、当時大いに物議をかもしたことがありました。「象徴天皇制」と「主権在民主義」とを明らかに謳っている現日本国憲法下で、同憲法の第一の遵守者であるべきはずの総理大臣が、そのようなことを口走ったことに、多くの国民が強い違和感と不快感を抱いたのです。

 当時の森総理発言ならずとも、戦後65年余も経過した現日本で、このような問題に触れることの危うさを私も重々承知しているつもりです。ただ当ブログは弱小ブログです。開設以来これまでも幾度となく際どいことを述べてきたように思いますが、いずれの場合も大過なく過ぎてきました。
 それに今我が国は、バブル崩壊後の20余年間右肩上がりの経済成長は完全にストップし、それに代わる新たな価値観や国家ビジョンを持てずにいます。国内外的に国民全体が自信喪失、アイデンティティ喪失気味なのです。
 そんな昨今、それを取り戻す手がかりの一つになるのではないだろうか?という思いもまたあります。

 この際、森元総理発言の「天皇を中心とした」という部分は、論じ出すと難しいことになりますので触れないことにします。よって今回取り上げるのは、「日本は神の国」ということについてです。
 『日本雛型論』『続・日本雛型論』では、「日本は世界五大陸の雛型、縮図である」ということを見てきました。すなわち日本列島の各州は「北海道-北アメリカ大陸、本州-ユーラシア大陸、四国-オーストラリア大陸、九州-アフリカ大陸、台湾-南アメリカ大陸」と相似形をなしているのでした。

 冒頭掲げました『日月神示(ひつくしんじ)』によりますと、さらにその上「日本は神の国、神の肉体」だとのお示しです。これはどういうことなのでしょう?
 端的に申し上げれば日本列島は、『大本神諭(おおもとしんゆ)』以来の“大本神話”では、地球神界の国祖(こくそ-最高神)である国常立大神(くにとこだちのおおかみ)の御身体そのものだと言うことなのです。
 その謂われを明らかにしたのが、出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)による、世界有数の奇書『霊界物語』です。同書によりますと国祖・国常立大神は、30万年という超太古に、そのあまりにも厳正無比な神政に耐えられなくなった悪神たちが、協議の結果国祖を地球の艮(うしとら)であるこの日本に押し込め、幽閉したことに始まると言うのです。

 その時の影響はあまりにも激甚で、地軸が現在23.27度傾いているのは、それが原因だったと言うのです。(「世の立替え・立直し」には、地軸が真正に立ち直ることも含まれる?)
 それはともかく、出口直(でぐち・なお)のお筆先『大本神諭』で、神が当初「艮の金神(うしとらのこんじん)」を名乗ったのはそういう謂われだったことが、後に判明したわけです。
 またその時、国常立大神の妻神である豊雲野大神(とよくもぬおおかみ)は、地球の西南(ひつじさる)にあたる「エルサレム」にご隠退になりました。このように「日本とユダヤ」は深いところで結びついており、それが戦前の「日ユ同祖論」ともなり、出口王仁三郎時代の「大本神業(おおもとしんぎょう)」は、そのことをも踏まえた幾重にも重層的な神劇であったのです。

 国祖・国常立大神は、別名「黄金龍神」とも言われます。マルコポーロの『東方見聞録』中の「黄金の国・ジパング伝説」は、こんなところにも起因していそうです。
 とにかく日本列島は「黄金龍神列島」と言えそうです。戦後ロシアに占領され続けている北方四島は、黄金龍神の“角(つの)”にあたります。今は大切な角をもがれた状態なのですから、近未来日本は何としてもロシアから同四島を取り戻さなければなりません。

 また本州最北端の青森から最南端の山口まで、黄金龍神の背骨のように、中央に脊梁山脈が途切れることなく続いています。「青森から尾根伝いに一度も麓に降りることなく山口の下関まで辿り着ける」と言う人もいるくらいです。
 事実そのルートを利用して、本州の北から南まで秘密裏に自在に移動していたのが、“役の行者(えんのぎょうじゃ)”を始祖とする、修験者ネットワークであったのです。
 さらに日本列島は、東北から西南に細長く斜めに伸びており、このラインを「艮線(うしとらせん)」と呼ぶ人もいます。

 「日本雛型論」同様、こちらも肯定、否定自由に解釈されてけっこうです。が万一仮に「日本列島御神体論」が事実だったとしたら?昭和19年8月の「汚(けが)してはならんとこぞ」とのお示しにも関わらず、特に戦後は、どこぞの悪政党の高度経済成長政策のどさくさで、国土の乱開発、海洋汚染などなど数限りない罪万死にあたります。
 このような尊い国土の上に生かされている感謝もなしに、かかる罪を犯しましたこと、気がついた者から、まだ気がつけない各界の指導者や国民になり代わってお詫びをしていかなければなりません。
 それでなくても、天運循環して「今この時」は超太古からのご隠退を終えられ、国祖がいよいよ地球神界に復帰されるご時世なのですから。

 (大場光太郎・記)

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三夕

                           寂蓮法師
  さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮
                           西行法師
  心なき身にもあはれは知られけりしぎ立つ澤の秋の夕ぐれ
                           藤原定家
  見渡せば花も紅葉(もみじ)もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ

…… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 この三首はいずれも新古今和歌集(秋上)に収録されている有名な和歌です。三首とも「秋の夕暮れ」というまったく同じ終わり方をしていることから、特に「三夕(さんせき)」または「三夕の歌」と呼ばれて古来親しまれてきました。

 秋の夕暮れは一年中を通してもことのほか趣きがあり、俗に「秋の日はつるべ落とし」と言われるように、見る間に辺りが暗くなっていく侘しさの気配は格別です。「三夕」はそんな秋の夕暮れの風情を三人三様に詠って、それぞれ読後の余情深いものがあります。
 寂蓮法師の歌は、初秋の候、まだその色を変えない山のまきの木立を見てさえ、一早く秋の夕暮れの寂しさが感受されたことよというのです。なおこの歌の「まき」については、槙、真木、杉の木立など諸説あるようです。

 新古今和歌集の編纂が完成したのは1205年(元久2年)のこと。既に平安朝は終わり、1192年(建久3年)鎌倉幕府が開かれ武家社会が本格的に始まりかけています。王朝貴族文化は爛熟期をとうに過ぎ、いよいよ腐乱、衰退止めどなしの頃にあたります。
 古今集から新古今集を経るにつれて、ますます技巧を凝らした和歌が作られるようになりました。そんな中この三夕などは特に贅を凝らした技法などはなく、比較的意味がよく解る平易な歌だと言えます。

 それでも技巧がまったくないわけではありません。それを最もよく示すのは藤原定家の歌です。
 この歌は『源氏物語』の「明石の巻」から着想を得て作られたと言われていますが、見えているのは海辺の苫葺(とまぶき-スゲ、カヤ葺き)の小屋のみ。しかし「花も紅葉も」と詠むことによって、読み手には苫屋の裏山に、「なかりけり」のはずの花(山桜)が爛漫(らんまん)と咲き乱れるさま、全山鮮やかに色づいた紅葉のさまが、まざまざとイメージされてくるのです。
 これを指摘したのは三島由紀夫でしたが、無いはずのものを現前させてしまう技法は、定家ならではの革命的技法と言えると思います。

 新古今集の多くの歌がそうであるように、その頃は「題詠(だいえい)」という予めテーマを決めて、それに沿った歌を詠むことが主流になっていました。この三夕も実際その場所に赴いて実景を詠んだものではなく、身は京の都の邸宅にありながら、互いが互いの歌に刺激されて、想像の中の景色を詠んだものであるようです。
 三人とも「秋はかく有りなん」という観念がまずあり、それに即した想像上の景色を想い描いて歌に詠み込むという手法です。

 すべて文芸作品、芸術作品というものは、最終的に作者の精神なり感性なりの濾過(ろか)過程を経て生まれてくるわけで、そうであるならば実景に即して見たままを詠もうが、想像上の景色をこしらえて詠もうがそう大差ないのかもしれません。
 実景であろうが想像の景であろうが、和歌なら和歌として表現するにあたり、どれだけそこに魂が吹き込まれているか否かが決め手となるのではないでしょうか。それこそが案外、「文芸上の真」というリアリティを保証することにつながると思われるのです。

 万葉集、古今集から新古今集という変遷の中で思いみるべきは、仏教の我が国への浸透による無常観の影響です。もちろん時代が下るにつれて、それが王朝文化の各方面に色濃く現われてくるわけです。
 無常観に基づく「もののあはれ」という基調が「秋の夕暮れ」の気配とマッチして、三夕それぞれの詩的世界の描出に成功していると言えるのかもしれません。

 それが特に顕著なのが西行法師の歌です。「心なき身」とは西行自身のことを言っています。西行は23歳の時、それまでの京都御所を守護する佐藤義清という北面の武士の身分を捨てて出家したのです。横恋慕したやんごとなき女性(にょしょう)や妻子さえ捨てたのであれば、この世のすべての事象を「諸行無常 諸法無我」と断じ切り、ひたすら「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」の境地を目指したはずです。
 ところがそんな西行でも、「しぎ立つ沢の秋の夕暮れ」に「もののあはれ」を知る心があるというのです。秋の夕暮れに「鴫(しぎ)立つ」という“動き”に「あはれ」を“感じる”、すなわち物事に感動する心こそは、御仏の慈悲心に深く通じるものであるのかもしれないのです。

 (大場光太郎・記)

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“生け贄”を求める病的社会

 -今回は、一連の小沢問題を別の観点から考えてみました-

 小沢一郎民主党元代表をめぐる一連の「政治とカネ」問題では、一部の心ある有識者から、「まるで魔女狩りだ」「これでは人民裁判と一緒だ」というコメントが寄せられています。「魔女狩り」は中世キリスト教会による、優れた霊的能力を有する“男女”数万人を、教会存続上不都合なため処刑したことを指しています。また「人民裁判」は、社会主義国家において職業裁判官とともに人民の中から選ばれた代表が同資格で行うもので、転じて集団の圧力による特定者への吊し上げの意味で用いられます。

 私はそれに加えて以前から、『これじゃあまるで“貝殻追放”だよな』と思っていたのです。これは古代ギリシャのアテナイにおいて、僭主登場を防止する目的で行われた暴政者追放手段のことです。当初は貝殻に追放したい者の名前を書いていました。後に陶片に書くことになったため、一般的には「陶片追放」として知られています。
 この制度の何が問題かと言いますと、当初はうまく機能していたものの、やがてとにかく気に食わない政治的実力者を書きなぐり追放しようとしたため、アテナイ衰退の要因の一つになっていったことです。
 こういった事例が引き合いに出されるほど、報道するマスコミも、それを受けて「小沢氏は議員辞職すべきだ」とする国民大衆もとにかく“異常”です。

 近年もっと言えばバブル崩壊後の「失われた20年」は、それまでの右肩上がりの経済成長がウソのように深刻かつ慢性的な不況から脱け出せないでいます。この間“格差”は日本の隅々にまで広がり、かつての「1億総中流意識」は大きく崩れ、中間層は空洞化し、ごく一部の富裕層と大多数の貧困層とにくっきりと別れつつあります。
 そんな中近年特に、社会全般の風潮として社会的地位の高い誰かの失脚を喜ぶ傾向が顕著に表れていないでしょうか?2001年の雪印牛肉偽装事件以来、食品偽装問題などの不祥事では、そのつど該当の一部大企業や経営陣がやり玉に挙げられてきました。テレビ等のマスコミは、その一部始終を報道し続けるわけです。

 そこでは、ただ単に毎度おなじみの経営陣が一斉に頭を下げて済むようなものではなくなっています。経営陣の退陣や当該工場の閉鎖、企業の倒産という事態を見届けるまでは収まらなくなってきているのです。実際私たちは、ここ10年くらいでそのようなケースをずい分目にしてきました。
 社会の隅々まで鬱屈した感情を溜め込んでいる今の世の中は、「スケープゴート」「生け贄」を必要としているのではないでしょうか?マスコミも、国民大衆のそういう“潜在的ニーズ”を十分承知していて、絶えず次なる「獲物」を探し回っている気配さえ感じられるのです。

 それからすると「小沢一郎」は、マスコミ、国民大衆のまたとない格好の標的であるようです。小沢一郎は紛れもなく政界きっての実力者です。うなるほどカネも持っていそうです。ご面相もいかにも強面(こわもて)です。古代ローマのコロシアムに引きずり出される獲物として、これ以上の素材はまたとないはずです。
 その上マスコミにとっては、当ブログで繰り返し述べてきましたとおり、小沢一郎に政治的実権を握られてしまうと、霞ヶ関官僚同様自分たちの既得権益が根こそぎにされてしまう恐怖観念も彼らにはあります。

 今年初以来の小沢氏資金管理団体「陸山会」の世田谷土地購入問題については、テレビで同土地の画像とともに、小沢氏名義で所有している都内各所のマンションの画像もしつこいくらい流されました。また04年の同土地購入にあたっては、当時小沢氏が4億円の自己資金で支払ったとも報じられました。
 マスコミの「小沢潰し」の狙いはズバリ的中と言うべきで、こういうことが特に100円、10円の使い道にも神経過敏な主婦層を中心とする一般国民には、「小沢一郎嫌悪」「嫌小沢」を決定的なものにしたと思われるのです。

 とにかく一般市民にとって何億円ものカネを現金で所有しており、それを右から左に動かせることがまず我慢ならないのです。そして小澤一郎名義で問題の世田谷区深沢の土地を、のみならず都内各所にマンションを所有しているに至っては言語道断の許されないことなのです。小沢一郎は旧態依然たる「金権政治家」といち早くレッテルを貼り、とことん処罰することをヒステリックに願うようになるのです。
 例えば世田谷区の土地は、政治家の卵たちを育成するための寮建設が目的だったこと、都内各マンションも小沢個人の財産目当てではなく何らかの政治的目的があってのことだったことなどは、マスコミは周到に伏せて報道しようとはしないのです。

 小沢問題だけではありません。例えばどこかで誰かが子供を殺した、逆に子が親を殺した、小中学生が自殺した、若者が路上で通り魔的に殺された、誰かが殺されて山中に遺棄された…。こういうニュースがテレビで連日これでもか、これでもかと流されます。
 流しているテレビはご存知「視聴率至上主義」です。視聴者のニーズがあり視聴率が取れるからこそ、そういうニュースを繰り返し流し続けるのです。
 そのようなニュース画面の先には、「他人の不幸は密の味」とばかりに食い入るように画面に見入っている、多くの国民視聴者の存在があるわけです。こういう心理は完全に狂っており歪んでいます。波動の低い“アストラル界”的な病的状態と言うべきです。

 今年に入ってからの「小沢氏は議員辞職すべきだ…70%以上」という呆れた世論調査の数字には、当ブログでもたびたび指摘してきましたとおり、マスコミの誘導ということが第一にあります。しかし国民の側にも、小沢一郎という格好の「生け贄」を得て政治生命が絶たれるまでしっかり見てやろうと舌なめずりしている、倒錯した病的心理があるのではないだろうか?そんなことをふと考える今日この頃です。

 (大場光太郎・記)

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「検審」に小沢反撃の逆訴訟

 -逆訴訟によって、検審制度の問題点を国民に明らかに晒してもらいたい-

 小沢一郎元民主党代表について「起訴相当」とした東京第五検察審査会(以下「第5検審」)の9月14日の議決については、各方面からさまざまな異論、反論が噴出しています。そうなるのが当然の、異様な体制による再議決だったと言わざるを得ません。

 今回の第5検審の異様さの前提として、是非押さえておかなければならないことがあります。それは同検審に告発した“市民団体なるもの”の正体と、一体何の目的で小沢一郎を告発したのか?ということです。
 これについては、『植草一秀の「知られざる真実」』や『杉並からの情報発信です』など多くのサイトが既に明らかにしています。ここでは植草氏ブログの『小沢一郎氏周辺の刑事問題に関する五つの真実』からピックアップしてみます。

 今回の審査申し立て人は、「在日特権を許さない市民の会」(在特会)代表の桜井誠氏(ニックネーム)です。桜井氏は自身のブログ(10年2月5日及び2月11日記事)
  http://ameblo.jp/doronpa01
で審査申し立てを行ったと記述しています。その中には以下の記述があります。
 「(東京地検の)不起訴決定後、極力早く審査申し立てを行いたかったため、今回の申し立ては桜井一人で行いました。小沢一郎という巨悪を眠らせてはいけないこともありますが、外国人参政権実現のために誰よりも積極的なこの民主党大物政治家の動きを止めなければならないからです。」

 ここから浮かび上がってくるのは、審査申し立ての主たる動機が外国人参政権法案に反対する、それを断固阻止することだったのは明らかです。同法案に限らず時々で審議する必要のある法案は、国会の場で正々と議論し可否を決すべきもの。それを検審制度を悪用するような形で国会審議ストップに持ち込むのは、一種の“テロ行為”と言うべきです。
 このようなテロ的申し立てについて、東京第一と第五検察審査会はひょいひょい受理し、特に第5検審は異例のスピードで1回目「起訴相当」議決を出し、今回の2回目の「起訴相当」議決につながったのです。

 なお在特会は8月10日、幹部4名が京都朝鮮人学校の周辺で拡声器を使い授業を妨害したなどとして、京都府警に威力妨害容疑で逮捕されています。「腐れマスゴミ」は告発した在特会のそのような実情を何一つ報道していません。そして悪質なことに、小沢氏が「起訴相当」となったことだけを連日問題視し、社説などで「小沢氏は議員辞職すべきだ」などとほざくだけなのです。

 次に問題とすべきは、11人の審査員の補助を務める弁護士の存在です。4月の第1回「起訴相当」を導いたのは“ヤメ検”である米澤敏雄弁護士でした。全員が起訴相当という民主主義では有り得ないファシズム議決を主導したとして、米澤弁護士は今回外されました。
 代って新たに審査補助員となったのが吉田繁実弁護士です。同弁護士は「小沢一郎を起訴すべきだという方針は、割と早い段階で決まっていた」と気軽に話していると言います。これではまるで「初めに起訴ありき」ということなのではないでしょうか?その背後には、仙谷“菅”邸、日弁連、検察当局一体という構図があるのでしょうか?

 さらに問題にすべきは11人の審査員そのものです。今回の第5検審は8月に全員新メンバーとなり、男5人女6人とほぼ男女同数です。なのに11人の平均年齢は30.9歳と異様に若いのです。仮に50代が3人いたとしたら、後の8人は20代ということになります。
 小沢氏のケースでは第1回にも平均34歳。高齢化している現日本人の平均年齢は50代半ばです。本当に一般市民から無作為にクジで選ばれたのなら、こんな平均年齢にはなり得ません。ちなみに、05年のJR福知山線脱線事故では53歳、01年の明石歩道橋事故は42歳でした。

 最初はクジで無作為に集めるとしても、実際は11人の何倍もの市民を集めるようです。次に担当検察官が全員と面談し、最終的に11人に絞るのです。検察当局の当初からの方針である「起訴相当」議決に持っていくのに都合のよい者を人選するから、こんな異様に若い審査員ばかりになってしまうのです。
 人生未経験、未熟。その上彼らに法的思考(リーガルマインド)を求めるなど土台無理な話で、最初から検察調書鵜呑み、補助弁護士の言いなりだったと推察されます。

 匿名性。秘密議決…。この他にも問題点はまだまだあるはずです。こんな問題だらけの検審制度で出されたのが、今回の「起訴相当」議決です。この議決は「無効」との見方が法律の専門家の間から出ているのです。
 在特会(桜井誠)の告発容疑そして第5検審の審査対象は、小沢氏の資金管理団体が04年に購入した不動産を、05年の政治資金収支報告書に記載した「虚偽記載」について小沢氏が関与したかどうかでした。1回目の議決もこの点を審査したのです。ところが今回は、不動産購入の原資となった小沢氏の資金4億円を記載していなかったことを、“勝手”に「犯罪事実」に加えているのです。

 ある司法ジャーナリストは、「(裁判所の)指定弁護士がどう判断するかだが、『起訴は無理』と判断しても不思議じゃない。仮に起訴しても、小沢の弁護団が黙っていないでしょう。検審議決が手続き要件を満たしていないとして、議決無効で裁判所に控訴棄却を求める。このままスンナリ強制起訴とはならないのは確実です」と言っています。

 そして今までは寡黙だった小沢側が、そんなメチャクチャな「東京第五検察審査会」を訴える逆襲に出てきました。すなわち「議決内容は告発内容と違っており、違法だ」と、議決無効を求める訴訟を始めると宣言したのです。
 今回のアンちゃん、ネエちゃんたちのチャランポランな起訴相当議決によって、小沢氏は政治生命を失うかもしれないのです。ある弁護士によれば審査員たちは「みなし公務員」のようなものだから“国家賠償請求”もできるといいます。
 訴訟されると分かって、東京地裁や事務局はテンヤワンヤだそうです。この際小沢サイドは「悪検審」と徹底的に闘って、その問題点を国民に明らかにしてもらいたいものです。

 (大場光太郎・記)
 

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プロメテウスの火

 -“天上の火”を盗み出したプロメテウスは、人類最大の「文化英雄」である-

 既に 『パンドラの匣』で見ましたように、“神々からのすべての贈り物”であるパンドラは、自身が天界から携えてきた「パンドラの壷」を自ら開けてしまいました。その結果この地上には、病気、悪意、戦争、災害、嫉妬、暴力など、ありとあらゆる悪がはびこることになったのでした。
 壷の中には、ただ一つ「希望」が残されました。

 その後エピメテウスとパンドラは何事もなかったように結婚しました。壷の中からは諸悪の一つとして“仲たがい”や“離婚”も飛び出したはずですが、2人はその影響を受けなかったようです。
 2人はやがて娘のピュラを得ます。ピュラは、プロメテウスの息子デウカリオンと結婚しました。
 夫のデウカリオンは、人類を滅ぼす大洪水のあることを予測し、箱船を造って必需品を積み込み妻のピュラと逃れました。他の人々はすべて死滅する中、2人は生き残り、息子のヘレンはギリシャ人の祖となりました。古代ギリシャ人を“ヘレネー”と総称するのはこの名に由来するのだそうです。

 ここまで来ると何やら連想される物語があります。旧約聖書のノアの方舟(はこぶね)伝説です。近年の聖書研究によれば、旧約冒頭の『創世記』には、先行するシュメール神話が取り込まれているようです。ギリシャ神話もまた同様ですが、厳格な一神教のユダヤ教は意外にも先行文明の影響を強く受けていたのです。
 また「洪水伝説」については、我が国の『古事記』が唯一の例外で、世界各地の神話に共通して見られるようです。レムリア、アトランティスの超太古の滅亡の記憶なのか、それとも有史の7千年くらい前に世界中の大陸を飲み込むような大洪水があったのか、いずれかの人類の記憶に基づくものだろうと考えられています。

 話がだいぶ先に進んでしまいました。元にもどします。
 そもそもゼウスをはじめとしたオリュンポスの神々が、諸悪の根源となるべき女・パンドラを地上に送った本来の目的は、プロメテウスに対してだったのです。
 プロメテウスは「前もって考える人」なのでした。とにかく賢さにかけては比類がなく、大神ゼウスでさえ一目置かなければならないほどの知恵者だったのです。ある時などは憎まれることを承知の上で、ゼウスに“知恵比べ”を挑んだこともあります。実際それによってゼウスの激しい憎しみを買うことになったのですが、それほどプロメテウスは自分の才に自信を持っていたのです。
 それにプロメテウスは、いざという時のために「ゼウスの弱み」も握っていました。

 ゼウスといえばギリシャ神話中第一の主神です。同神話の登場人物たちはたいがいゼウスの前では恐れおののいてひれ伏すのが常でした。しかしプロメテウスだけは違っていました。その意味では大胆な反逆児だったのです。
 その最たるものが、神々の棲家(すみか)から火を盗んで人間たちに与えたことです。ゼウスは「神々の優位性」を保つために、人間どもには火を与えぬ方がよいと考えていたのです。

 しかしプロメテウスは“燈心草”を持って天界に昇り、太陽神アポロンの燃える車に押し付けて火を起こし、それを地上に持ち帰ったのです。以来人間は火を得て、これを用いる方法もプロメテウスは教えたのでした。
 夜は灯りをともすようになり、物を煮炊きして食べるすべを知り、また道具を作るにあたっても火は大いに役に立ちました。
 それだけではありません。プロメテウスは、人間に家を建てること、数を数えること、家畜を飼うこと、船を造ることなども教えたのです。古代の人類の賢さは何もかも、プロメテウスに由来していると言っても過言ではないようです。

 余談ながら。「火の使用」は、人間と動物を分ける革命的な大発見でした。先史時代の直接的な使用に始まって、今日の石油、電気、原子力に至るまで、その根底にあるのは「火」です。その意味で現歴史は一言で「火力文明」と言っていいほどです。
 後々の人類に重要な意味を持つ「天上の火」を盗み出したプロメテウスこそは、人類の大恩人、「文化英雄」と言ってもいい存在です。ただ一言付け加えれば、火は善用することによる恩恵と共に、誤用、悪用すると火傷、火災、原子爆弾など人類に災いを為す、両刃の剣的なものでもあります。「火力」一辺倒の現歴史は、あえて差別用語を用いますが「片輪文明」、時代が進めば進むほど行き詰ることが宿命づけられている文明であるのです。
 火と水のバランス。これが来るべき「新歴史」の鍵となる秘密(火水)なのです。

 それらは既にパンドラ以前に、プロメテウスによって人間世界にもたらされていたのでした。しかしゼウスは人間たちがあまり賢くなることを好まなかったのです。プロメテウスから知恵を授けられ次第に賢くなっていく下界の人間たちを眺め、そこで「ひとつ懲らしめてやれ」と地上に送った“謀略のプレゼント”がパンドラだったというわけです。
 案の定パンドラは思惑どおり壷を開け、諸悪の根源を人間界に撒き散らしてくれました。ゼウスはいよいよ、プロメテウスに途方もない刑罰を課そうとタイミングを見計らっているのでした。

 (追記)今後ギリシャ神話中の物語を、「ギリシャ神話選」という新カテゴリーによって随時ご紹介していこうと思います。それにあたっては今後一々お断りしませんが、主に阿刀田高著『ギリシャ神話を知っていますか』(新潮文庫)を参考にまとめていきます。

 (大場光太郎・記)

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第五検審の議決は無効 !?

 板垣英憲「マスコミに出ない政治経済の裏話」というブログで見つけた情報です。「拡散の要あり」とのことなので以下に転載します。 
                       *
検審の議決無効 (kt)
2010-10-05 17:55:51
(郷原信郎(@nobuogohara)のツイート履歴)

10月5日

昨日の段階では、議決書の冒頭の被疑事実(不動産取得時期、代金支払時期の期ズレだけ)が、当然、そのまま起訴すべき犯罪事実になっていると思っていたが、よく見ると、添付されている別紙犯罪事実には、検察の不起訴処分の対象になっていない収入面の虚偽記入の事実が含まれている。
検察の公訴権独占の例外として検察審査会議決による起訴強制が認められている趣旨に照らして、不起訴処分の対象事実を逸脱した被疑事実で起訴相当議決を行うことは許されない。今回の起訴相当議決は無効であり、強制起訴手続をとることはできない。
私は無効だと思います。しかし、それが今後の手続にどう反映されるかは別の問題です。まずは、強制起訴手続を行う段階での指定弁護士の判断です。それに関して何らかの法的措置も考えられます@nijimasuturizou 無効ってことは、何らかの手続きを経て強制起訴取り消しになる可能性?

http://meyou.jp/nobuogohara

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郷原さんの見識にはいつも感心して拝聴しております。その郷原さんが「検審の議決無効論」を発信されました。この情報「拡散」の要ありと考えます。 (以上転載終わり)

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末路厳しい仙谷謀略“菅”邸

 -クリーンならざる「謀略政治」では、国民の幸せは絶対に得られない !-

 あまりにもあっ気に取られた、4日の小沢一郎元民主党代表の東京第五検察審査会(以下「第5検審」)による「起訴相当」再議決。一夜明けてその真相が少しずつ明らかになってきました。
 第5検審に新審査補助員(弁護士)がついたのが9月7日、それが翌週の14日にはもう今回の議決をしていたのです。以来発表を20日も伏せていたわけです。第5検審の議決日は毎週火曜日1回限り、それに11人の素人審査員は全員新メンバー。ほとんど議論せず案件の内容を把握せぬまま、補助審査員に誘導されて検察調書を鵜呑みに「起訴相当」を再議決したことは明白です。

 それに9月14日といえば、民主党代表選当日です。なぜこんな日に議決をしたのか?そこで俄然浮上してくるのが「官邸の謀略」です。
 代表選の行方を左右した党員・サポーター票を巡っては、14日当日開票され直前まで票読みは不可能だったはずです。ところが前日の13日に、態度を決めかねていた中間派議員に大手新聞社記者が、「党員・サポーター票では小沢が大差で負けている。既に菅再選の流れは決まった」と電話で“選挙運動”をしていたというのです。
 官邸とマスコミ合作で「そこまでやるか !」という前代未聞の不正選挙を展開しておきながら、官邸は万が一(小沢氏勝利)に備えて何重もの保険を掛けていたことになります。

 つまり仮に小沢首相にでもなったら、起訴相当は出しにくくなる。そこで代表選当日に議決を出すよう、官邸が第5検審(司法当局)に圧力を加えた疑惑が浮上しているのです。その時点なら起訴相当を出す可能性が高いことを見越した上での「政治判断」です。
 「小沢潰し」に賭ける仙谷由人、菅直人を中心とした一派の“ヘビのような執念”を感ぜずにはおられません。

 今回の再議決に至るまでの一連の流れの中で、朝日新聞の怪しい動きも問題とすべきです。『「検察は正義」神話の崩壊』で触れましたように、朝日新聞は大阪地検の前田恒彦容疑者によるFD改ざんの動かぬ証拠を、今夏には既に掴んでいました。にも関わらず、紙上で報じたのは9月21日です。
 何で直ちに報道しなかったのか?そうすれば代表選の結果も大きく変わっていたはずなのです。

 朝日新聞から取材を受けた検察も、当然前田事件がいずれ報じられることを知り、そうなると「小沢起訴相当」再議決は難しくなることが分かっていたはずです。それで第5検審の結論を急がせたと見ることもできます。
 このように「小沢潰し」で利害が一致している、官邸と検察そしてマスコミの思惑がピタッと一致し、代表選当日の議決となったとみられるのです。

 とにかく今この国は、中国漁船船長釈放における検察への「政治介入」でも明らかなとおり、「司法の独立性」などの原理原則が平気で踏みにじられています。時の政治権力が司法当局と癒着し平然と司法介入しているのです。
 その上再三述べているように、最強の捜査機関が2度にわたり「不起訴処分」とした案件に対して、素人市民である11人の審査員による密室議決が上位意思として尊重されるというメチャクチャぶりです。
 時の政権、官僚組織、大手マスコミなどにとって気に食わない政治家は、ありとあらゆる悪法的手段で政治的に抹殺出来てしまうのです。特高警察が幅を利かせた戦前戦中のような薄気味悪い暗黒国家に、この国は確実になりつつあるということです。

 ところで小沢元代表にとって、この結果はある程度折り込み済みだったようで、さほどショックも受けていないようです。4日夜仲間との集いの座で「本当に代表選に出ておいてよかった」と言ったといいます。というのも、前代未聞の「謀略不正」代表選で敗れはしたものの、小沢氏には200もの議員票が集まりました。この数字が重いというのです。
 仙谷や菅らが下手に小沢氏に離党勧告でもしようものなら、コアな小沢信奉議員による集団離党という事態になりかねません。仮にそうなれば、政権運営どころか、民主党政権そのものがジ・エンドだからです。

 それに加えて検察が大逆風の真っ只中にあることも、おいそれと小沢氏を追い込めない理由の一つだと言います。従って小沢氏もそう簡単には離党しないことでしょう。
 かと言って、今臨時国会を「野党案丸呑み」という政権放棄のような下策で、何とか乗り切ろうと思案していた矢先。小沢「政治とカネ」という格好の攻撃材料で野党各党からは一転ガンガン攻め立てられ、中国人船長釈放問題と共に、仙谷“菅”邸は謀略が完全に裏目に出そうな気配です。
 
 聞けば仙谷官房長官は何年か前、ガンに冒され胃の全摘出という大病を患ったのだそうです。己の身体にはウソや謀略など通じやしません。その時仙谷は、「生き様の間違い」をそのような厳しい形で伝えられたのです。
 しかしその後も仙谷は、“謀略一辺倒”の生き方を改めようとはしません。否ますますその傾向に拍車をかけているような不始末です。このままでは仙谷由人は、政治家としてというよりも人間としての哀れな末路が待ち受けていることを、今のうちに気がつくべきです。当人が気がつけないのなら、しかるべき知人がきっちり諭してやるべきです。

 (大場光太郎・記) 

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「オザワ受難曲」はまだまだ続く

 -予想以上に早かった再議決には、どんな“裏”があるのか?-

 まさに絶句するしかないような出来事が起きました。4日東京第五検察審査会(以下「第5検審」)が、小沢一郎元幹事長に対して2度目の「起訴相当」議決を出したのです。制度の定めるところにより、これで小沢氏は「強制起訴」されることになります。
 また小沢氏には今後最終審で「無罪」を勝ち取るまで、長い法廷闘争が待ち受けていることになります。

 この件については10月5日付『日刊ゲンダイ』1面の最上段に、「小沢 無罪濃厚」の大見出しが出たばかりです。そこにはさらに「検察審 今月26日議決」の小見出しがついています。
 この関連記事は同紙3面でした。その大略は、26日に最終議決が出されると見られる第5検審の2度目の議決は、大阪地検捏造事件で情勢が一転してせいぜい「不起訴不当」、「強制起訴なし」となる可能性が高いというものでした。これにより今年1年間「政治とカネ」で苦しめられてきた小沢氏の完全復活か?というようなものでした。

 『日刊ゲンダイ』のみならず、2度目の議決は「10月下旬」というのが大方の予想でした。それが急転直下4日の「起訴相当」再議決です。これは第5検審の11人のうち8人が起訴相当としたというようなことを遥かに越えた、ある方面からの強い圧力が働いた結果とみるべきです。
 それはつまり「小沢一郎潰し」、すなわち小沢氏の政治的影響力さらにはその政治生命すらも絶ちたい勢力の焦りが生んだものだということです。当ブログで再三述べてきた、「小沢一郎vs悪徳旧勢力のハルマゲドン」は止むことなく続行中だと見なければなりません。

 この時期の議決を急かせた、第一の悪徳旧勢力は検察内部であるはずです。分けても、大鶴基成次席検事らを中心とした東京地検特捜幹部連中です。
 大阪地検の一連の事件では検察全体の信用、権威が失墜しています。このまま後になればなるほど、検察に不利に働き、「起訴相当」が出しづらくなります。そこで大鶴らは先手を打って、第5検審担当検察官に再議決を急がせるよう圧力をかけた可能性があるように思われます。(注 実際の議決は代表選直後に出ていたようです。)

 また悪徳勢力は民主党内にもいます。というより、菅政権そのものが悪徳勢力に変質してしまっているのです。今や「無能宰相」菅直人に代わって、政権を掌握しているのが仙谷官房長官であることは公然の秘密です。そして仙谷にとって最大の政敵が小沢一郎です。仙谷は「小沢がやられるか、俺がやられるかだ」と常々言っているそうです。
 その仙谷由人はまた弁護士資格も持っています。その関係で日弁連現会長の宇都宮健児氏とは大のお友だちだそうです。
 
 ところで4月に第1回目「起訴相当」に導いた米澤敏雄弁護士は、その謀略が表ざたになり今回審査補助員からは外れました。次も起訴相当→強制起訴に小沢氏を追い込み、一気に小沢との対決にけりをつけたいのが仙谷です。そこで仙谷は実懇の宇都宮氏に密かに電話を入れます。「おい宇都宮、米澤クラスの腕のいいヤツを誰か日弁連から回してくれよ」「あい、分かった」というような阿吽の会話があってもおかしくはありません。
 これで宇都宮氏は、次の検事総長のポストをググッと手繰り寄せたのではないでしょうか?

 民主党には仙谷の他にも、菅直人、岡田克也、前原誠司、渡部恒三、枝野幸男など「小沢憎し」「小沢潰し」の連中がゴロゴロいます。今回の再議決で、わざわざ彼らが騒ぐ必要はありません。なぜなら自民党をはじめとした野党が、「小沢氏の国会証人喚問を要求する」「小沢氏は議員辞職するべきだ」と勝手に大騒ぎしてくれるからです。
 さらに輪をかけて悪徳勢力仲間のマスコミ各社が、尖閣諸島問題や大阪地検捏造事件そっちのけで、またぞろ小沢「政治とカネ」報道や「小沢議員辞職世論」をあおりにあおってくれることでしょう。
 仙谷官房長官や岡田幹事長は、タイミングを見計らって小沢氏に離党勧告を出せばいいだけなのです。

 当ブログや植草一秀氏の『知られざる真実』など多くのブログが問題にしていますように、今回の再議決は「不当議決」、本来無視してもいいような性質のものです。小沢氏は議員辞職どころか離党すらまったく必要ありません。
 ただ党内外の圧力や「マスコミ世論」に押されて、小沢氏は民主党離党だけはせざるを得なくなるのではないでしょうか?そうなると200名もの親小沢議員がどういう行動を取るかが注目されますが、私は小沢氏の単独離党にとどまるものとみます。

 仮にも刑事被告人となるわけですから、日本政治史上の一大痛恨事ながらこれで「小沢首相」の芽は完全になくなりました。師の田中角栄と同じく、小沢氏も心ならずも「闇将軍」にならざるを得なくなるのです。
 しかしこれくらいで、不世出の大政治家・小沢一郎の政治生命は終わらないはずです。いよいよとなれば党外から小沢グループに働きかけて、菅内閣打倒や、宿願の政界再編を仕掛けるのではないでしょうか?
 その意味では小沢氏は、かえってフリーハンドを得てこれまで以上に手腕が発揮されるかもしれないのです。現下の閉塞的政治状況をどう打開してくれるのか。野に放たれる?今後の小沢一郎の動きを注視していきたいものです。

 (大場光太郎・記)

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検察全体の「組織犯罪」?

 -大阪地検の組織的犯罪。検察全体が罪に問われるべきなのでは?-

 郵便不正事件を巡る証拠資料のフロッピーディスク(FD)改ざんに関する犯人隠避事件で、最高検は1日、大阪地検前特捜部長・大坪弘道(57)、前副部長・佐野元明(49)両容疑者を逮捕しました。
 当初は同特捜部主任検事・前田恒彦(41)単独によるFD改ざんかとみられていましたが、ここにきてその事実を特捜部全体で隠蔽を図った組織犯罪であったことが明らかになってきました。

 大坪、佐野の両名は今年1月下旬から2月上旬にかけて、前田恒彦主任検事(43)の改ざん事実を過失に見せかけるよう指示したとみられています。
 大坪、佐野両容疑者は、残されている業務日誌などを盾に容疑事実を否認しているもようです。しかし最高検は既に、両容疑者が前田主任検事に出すよう指示した元の「上申書」を前田容疑者のパソコンのデータから復元しているといいます。最高検はこれを、大坪容疑者による改ざんの隠蔽を裏づける物証とみて重視しています。

 大阪地検特捜部のトップ2人が逮捕されただけで、前代未聞の由々しき事態です。今回の事件で、検察官適格審査会に10人の検事の審査を申し立てている、三井環元大阪高検公安部長は、以下のようなことを述べています。(9月4日付『日刊ゲンダイ』3面)
 
 - 問題となった郵便不正事件では、村木局長という高級官僚の犯罪があったかどうかを裁くものだった。こういうケースではまず、大阪地検の検事正室に小林検事正、玉井次席検事、大坪特捜部長、佐賀副部長、前田主任検事、他の特捜検事らが集まり、捜査資料と証拠に基づき捜査経過を説明、逮捕すべきか否かをあらゆる角度から検討する。
 この結論を踏まえて、小林検事正は大阪高検の中尾検事長に事前協議資料を送付する。これを受けて、大阪高検では斉藤刑事部長室に刑事部の全検事と地検の前田主任検事、大坪特捜部長らが集まり、もう一度協議する。
 ここでもゴーサインが出ると、中尾検事長名で樋渡検事総長に事前協議資料が送付される。検事総長室で樋渡検事総長、伊藤次長検事、鈴木刑事部長らが協議を行い、最終結論を出す。(肩書きはいずれも当時)-

 これを「検察官一体の原則」と呼んでいて、前田主任検事が大坪特捜部長に報告したことは、最高検まで上がるシステムだというのです。
 ということは大阪地検の小林検事正や玉井次席検事も当然、前田容疑者のFD改ざんの事実を知っていたはずだし、最高検にも報告が上がっていた可能性すらあるということです。

 今回の大坪前特捜部長らの逮捕を受けて、民主党幹部からは検察のトップである大林宏検事総長の辞任に言及する声が再び挙っています。法務省幹部も「最終的に(大林検事総長は)自発的に辞めざるを得なくなるのではないか」という見方をしているといいます。
 しかしよく考えてみれば今春就任したばかりの大林検事総長は、隠蔽犯罪が行われていた当時は東京高検検事長であり報告を受ける立場になく、直接的な監督責任はなかったわけです。

 むしろ今回の事件で最終的責任を問われるべきは、当時の樋渡利秋前検事総長の方なのです。そして樋渡検事総長(当時)が総指揮を取ったのが、昨年春から今年にかけての一連の小沢捜査でした。
 見る人が見れば、大阪地検の郵便不正事件と東京地検の一連の小沢捜査は「民主党潰し」で共通しているといいます。確かに郵便不正事件の本当のターゲットは石井一衆院議員(当時)でしたし、一連の小沢捜査のターゲットは言わずと知れた「小沢逮捕」にあったわけです。

 郵便不正事件の方は石井議員の疑惑がアリバイによって早々と崩れ、以後村木元局長に絞られたものの、こちらも先月無罪が確定しました。あげくの果てに同事件捜査に関わるFD改ざんを地検特捜部ぐるみで隠蔽という事態まで満天下にさらけ出てしまいました。
 西の大阪地検が検察全体の存亡を揺るがす事態になっているのに、もう一方の東の東京地検が血眼になって捜査した、一連の小沢捜査の方は何の問題もなかったのでしょうか?

 昨年春の西松建設事件の大久保元秘書の公判では、検察側証人の証言が覆り、村木事件同様今後の公判維持すら危ぶまれる状況です。また今年初からの世田谷土地事件でも、関係先の強制捜索、石川衆院議員ら3人の元秘書逮捕などで徹底的に捜査するも、検察が当初思い描いていた水谷建設からの裏金授受の事実はまったく出てこず、小沢氏の政治資金規正法違反(共犯)ですら二度に渡って「不起訴処分」にせざるを得なかったのです。

 小沢土地問題では、1月から2月にかけて今回逮捕されたFD改ざんの張本人・前田主任検事が応援に駆けつけ、大久保元秘書を取り調べ調書を作成しています。前田容疑者の改ざん事実を、大坪前特捜部長らが知ったのは1月下旬です。それをその時点で事件にしていれば、その時継続中の小沢捜査は大きく変わっていたはずです。
 怪しい偽装市民団体が検察審査会に告発することはなく、東京地検の1回の「不起訴処分」だけで、小沢氏の「政治とカネ」問題は決着を見ていたはずです。

 ということは、鳩山政権が退陣に追い込まれることも、参院選で惨敗することもなかったかもしれないのです。そう考えると、当時最高検、トップの樋渡検事総長らにも改ざん事実が上がっていながら、「小沢一郎潰し」のためにその事実を検察全体でねじ伏せてしまった大組織犯罪があったのではないでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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愛猫の死

  十月の二日愛猫帰幽(きゆう)せり   (拙句)

 2日朝方長年可愛がってきた愛猫(あいびょう)が死にました。おととし6月3日の『猫びしょ濡れで…』記事で、真夜中大雨の中びしょ濡れで外から帰ってきたあの猫です。同記事でもご紹介しましたが、我が家の親子猫の2匹のうちの子猫の方です。
 親猫(名前はミー)は既に13歳8ヶ月くらいですが、病気知らずで至って元気。逆に12歳5ヵ月余と少し若い子猫の方が先に死んでしまったのです。これまで病院に連れて行ったことが3度ほど、もっぱら子猫のみ。先天的に少し弱いところがあったようです。

 生まれた時の正式な名前(?)は「チョロ」。しかし2、3歳頃からどうしてだか「ズンズ」という通称で呼びはじめ、以後その変な呼び名で通してきました。亡母が猫好きだった影響もあって、我が家では今まで多くの猫を飼ってきました。しかしこの猫ほどユニークで愛嬌のある猫は、後にも先にも初めてです。

 平成12年7月4日、母親ミーと当時近所を徘徊していた“ノラクロおやじ”の野良猫との間に生まれた4匹の1匹でした。私の部屋の洋ダンスの中で生まれたのです。他の3匹は毛並みも整って可愛らしいのに、この猫だけは三毛猫崩れで、顔の造作(ぞうさく)や頭部の模様など女猫にしては器量悪し。
 その上目も開かないうちから、他の兄弟、姉妹を押しのけて親の乳房を吸うずうずうしさ。それでその時は、『この猫はどうでもいいな』とばかりに「チョロ」という適当な名前をつけたのでした。

 しかし奇妙なものです。当家では小さい時から自由に外に出していますが、他の猫は可愛い真っ盛りの2、3ヵ月から1歳半くらいまでに1匹ずついなくなり、結局気がついた時にはどうでも良かったはずのズンズ(チョロ)だけが残ったのです。
 仕方なしに付き合ってみますと、これが意外に面白い面を持っていることを再発見したのです。以来当家にあっては、一気に「アイドルキャット」に昇格して現在に至ったのでした。私も存分に愛情を注いできましたし、ズンズも時々に愛嬌十分のパフォーマンスで応えてくれるという大活躍の歳月でした。
 親猫ミーは、あまりパフォーマンスをしない普通の猫でしたので、どうしても私の関心はズンズの方に向かいがちでした。

 そんな愛猫の死ですから、相当ショックを受けています。しかし突発的な死というわけでもなく、この半月ほど兆候は徐々に現われていたのです。ズンズは生まれた時から食欲旺盛、親猫のエサを横取りする勢いでした。かといって親猫は肥満体なのに、ズンズはいくら食べても太らない痩せ型のタイプでした。
 それが、その頃から両脇腹がふくれ出したのです。何も知らない私は、求めるまま食パン切れなどを与えたため、便秘にでもなったのかと思っていました。

 縮まるどころか、いよいよバンバンにふくれ上がった先週の9月25日(土)夕方、思い余って近所の動物病院に連れて行きました。老先生は一見するなり、「便秘ではなく腹膜炎ですよ。ふくれているのはそのせいで、中に腹水(ふくすい)がたまってるんです。最近あまりモノを食べないでしょ?内臓が圧迫されて苦しいからなんです」というような見立てでした。
 そして「今回は水抜きの処置をしますが、こうなったらあまり長いことありませんよ。人間でも老年で腹水がたまると末期だというでしょ?それと一緒です」と、飼い主としては思いもかけぬドキッとするようなことをさり気なくおっしゃいます。

 とにかくそれを承知で腹水を抜いてもらいました。専用の注射器を下わき腹に差し込んで、1回50ccずつ繰り返し抜くのです。猫一倍警戒心の強い子ですが、弱っているせいか診察台でおとなしくされるがままです。20、30分間側の洗面器半分弱、血が混じった赤い水1.5~2ℓくらいが抜けました。「こっちに栄養が取られて栄養失調気味になることも長くない要因」とのことでした。

 案の定、それ以降目に見えて衰弱していきました。かつての食欲旺盛ぶりはどこへやら。食べ物を近づけてもほとんど食べず、ベランダや各室の一隅で日がな一日うずくまっているばかり。
 以前なら私が外から帰って玄関ドアを開けると、既にテレパシックに察知してちゃんと待っていたものでした。それがその頃では、奥の部屋から出てくるのは親猫ばかり。実に寂しいものです。

 それでも2、3日経って少し元気回復し、少し物を食べるようになり、動きも何となく活発になってきました。『さては快方に向かうのか?』との期待も虚しく、9月30日(木)激しい嘔吐が始まりました。見れば食べ物ではなく、主に水分そして黄色い胃液のような液体です。それから急速に衰弱し、以後3度ほど嘔吐を繰り返し、遂に2日朝方の死となりました。
 嘔吐こそありましたが、昨夜(1日夜)以来命の火が徐々に消えていくように、穏やかに死んでくれたのが何よりです。

 12年余ですから、十分長く生きてくれたというべきです。しかしその歳月もこうなってしまえば、あっというつかの間でした。ある程度覚悟はしていたものの、あまりにもあっけない死だったなという感じがします。しかしいつどうなるか分からない命、これがペットなど小動物の哀しさです。
 思えば生まれた時から死までを見届けたのは、この猫が初めてです。肝心のズンズそのものは、この先ずっと非在。なのに当家の中はもとより、居住地周辺にはズンズの残した刻印で溢れています。当分その残像がひょいと甦っては喪失感に浸ることになるのでしょう。

 (大場光太郎・記)

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続・日本雛型論

 -各分野の「劣化」著しい現ニッポン。日本の真使命を思い出す「時は今 !」-

 前回の『日本雛型論』記事では、日本の国土全体が「世界の雛型」になっていること、日本列島の各州を変換すると「世界五大陸の縮図」となることをご紹介しました。

 「日本雛型論」を広く知らしめたのは、大本聖師・出口王仁三郎(でぐち・おにさぶろう)です。大本の機関誌『神霊界』(大正6年1月から刊行)に発表された「大本神歌」という予言詩の中で、同論について以下のように歌っています。
 「日出る国の日の本(ひのもと)は、全く世界のひな型ぞ。(中略)わが九州はアフリカに、北海道は北米に、台湾島は南米に、四国の島は豪州(オーストラリア)に、わが本州は広くして、欧亜(ユーラシア)大陸そのままに、地形を止むも千早ぶる、神代の遠き昔より、深き神誓(ちかい)の在(おわ)すなり」。

 この日本と世界の不思議な相似形を唱えたのは、出口王仁三郎が初めてではないらしく、出口聖師に先行する言霊(ことたま)学者の大石凝真素美(おおいしごり・ますみ)やその弟子の水谷清(みずたに・きよし)らによって発見されたと考えられています。
 さらに溯れば、江戸時代末期の国学者・平田篤胤(ひらた・あつたね)や、古神道の“鎮魂帰神法”を幕末から明治初期に甦らせた本田親徳(ほんだ・ちかあつ)なども、「内八州史観」「外八州史観」という近似した考え方をしていましたから、日本雛型論の萌芽はこれらの人たちに既にあったとみるべきです。

 ただ出口王仁三郎は、あらゆる近代日本の霊的成果の結集点と形容してもいいような、途方もない霊的巨人です。よってこの論でも出口聖師の果たした役割は非常に大きなものがあります。
 「大本なければ今日の日本の新宗教はなかった」と言われるほど、教義の制定、宗教組織を本部、支部など会組織に編成すること、機関誌紙の発行、布教活動のマニュアル化、海外支部の創設などなど、大本は現代宗教結社のすべての基礎を創ったと言われています。
 そのため今でも「大本」に関心のある人たちの多くは、大本は「大本教」という宗教法人として認識しています。

 ところが出口直(でぐち・なお)教祖を補佐する立場だった出口王仁三郎は、「大本は宗教などでは断じてない」とごく親しい関係者に漏らしていたというのです。そういえば大本は、大正時代と昭和初期のある時期、名称も「皇道(こうどう)大本」と変更して、出口聖師の大号令のもと本来の宗教活動から大きく逸脱したような「政治的活動」を大々的に展開した時期がありました。
 それゆえ後に、「近代世界宗教史上類を見ない大弾圧」と評された「二度の国家弾圧」を受けることにもなったのです。

 さて「大本は宗教ではない」というのなら、一体何だったのでしょう?昭和10年の二度目の弾圧を経験したある大本関係者は、「大本の真の目的は、現界における“神劇団”で、出口聖師は神の地上代行者だった」と説き明かしています。さらに続けて、「大本は、神界→幽界→現界と縦三段に移写された神の御意思を、大本→日本→世界へと横三段に拡大させるための神劇(型示し)をすることが目的だった」と説くのです。
 それを暗示するように、出口直に降ろされた『大本神諭(しんゆ)』の中には、「大本は日本と世界の型をするところ」とか「大本で起きたことはやがて日本と世界に現われていくから、箸一つ転げたことでも書き留めておいてくだされよ」というような神示がたびたび見られます。

 そこで登場してくるのが「雛型(ひながた)」という考え方です。出口王仁三郎という霊的巨人を媒体として、神界からの極秘指令を受け取ります。これは「艮の金神(うしとらのこんじん)」、真の御名は国常立大神(くにとこだちのおおかみ)からの「世の立替え、立直し」という最重要指令なのです。詳細は省くとして、神幽現三界の神秘極まりない「立替え、立直し」には、現界で神の御意思を受けて、「型示し」のために働く神人たちがどうしても必要だったのです。
 現世に満ち満ちていた邪神邪霊の妨害を食い止めるためには、大本の本質が「神劇団」であることを公表してはいけません。そのため真の目的は出口聖師以下ごく少数の者に留められ、世間的には善男善女が集う宗教団体を装う必要があったのです。

 大本の活動の本質そのものが「雛型」だったということです。そこではもちろん「日本雛型論」はただの理論理屈ではなく、文字通りの大前提としてそれを踏まえて展開されていたのです。京都の綾部(あやべ)、亀岡という大本の二大聖地をはじめ、大本の全国の活動拠点は皆悉くそれに則って造営されたのです。
 そして大神の強力な磁場(じば)に吸い寄せられるように集まった大本信者はもとより、大本にたまたま関係することになった有名人・知識人、そして二度の大弾圧を加えた旧天皇制国家そのものが、「立替え」「立直し」の目的遂行のために使われたと言えるのです。

 実際大本の歩みが、当時の日本そして世界の動向とどうリンクしていたのか?というようなことについてはまた別の機会に述べてみたいと思います。

 【付記】 私たちは「日本雛型論」を知って、戦前のような誤った「日本中心思想」「国粋主義」に陥ってはいけません。オリオン座から降臨してきたという出口王仁三郎は、そんな偏狭なナショナリズムとは無縁な「宇宙的グローバリズムの人」でした。
 ただそのような国土の上に生かされている、私たち日本国民の「世界平和」に果たすべき使命の重さにはよくよく想いを致すべきだと考えます。  - 完 -

 (大場光太郎・記)

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