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雨降りお月さん

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 1番 (雨降りお月さん)
    
    雨降りお月さん 雲の蔭
    お嫁にゆくときゃ 誰とゆく
    ひとりで傘(からかさ) さしてゆく
    傘(からかさ)ないときゃ 誰とゆく
    シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた
    お馬にゆられて 濡れてゆく    

  2番 (雲の蔭)                                                 
    いそがにゃお馬よ 夜が明けよ
    手綱(たづな)の下から ちょいと見たりゃ
    お袖でお顔を 隠してる
    お袖は濡れても 干しゃ乾く
    雨降りお月さん 雲の蔭
    お馬にゆられて 濡れてゆく

 年配の方ならどなたもご存知の昔懐かしい、作詞:野口雨情、作曲:中山晋平の童謡です。1925年(大正14年)の『コドモノクニ』正月創刊号で楽譜付きで発表されました。野口雨情は初め題名を『雨降りお月』としていましたが、中山晋平のすすめで『雨降りお月さん』にしたという経緯がありました。
 
 『雨降りお月さん』が好評だったため、同年の『コドモノクニ』3月号では『雲の蔭』という続編が発表されました。このように両者はもともと別の歌であり、中山晋平がつけたメロディも若干異なっています。
 それが昭和に入ってからレコードが普及しだし、この歌もレコード化されることになった際『雨降りお月さん』だけでは短いので、中山晋平の提案により『雲の蔭』と合せて一つの歌とすることにしたという経緯もまたありました。  (以上、フリー百科事典『ウィキペディア』より)

 この歌は、『雨』『花嫁人形』などとともに好きな童謡の一つです。以前の『雨-哀愁ただう童謡」』で述べましたように、こういう昔の童謡は「時代が違うから」「暗い歌だから」などの理由から、今の小学校教育ではあまり教えられないようです。ただこの歌は、2007年文化庁と日本PTA全国協議会の選定で『日本の歌百選』に選ばれました。

 さてこの歌は、文句なしで叙情性溢れる名童謡です。
 何より私はこの歌の基調をなすものは、「寂しさ」「哀しさ」だと思います。晴れのお嫁入りに、どうして「雨の夜更け」に「ひとりで」「夜が明ける前」に行かなければならないのでしょうか?何かのっぴきならない、隠された事情がありそうです。

 通り一遍に歌っているだけでは事情は皆目分かりません。その辺のことを論考した優れたサイトがあります。
   フナハシ学習塾その他23 童謡のなぞ14
 ご興味のある方は同サイトの全文をお読みいただくとして。その核心と思われるものを、以下にかいつまんでご紹介してみたいと思います。

 数多くの童謡などの作詞家として名高い野口雨情は、この歌が作られるまで二人の娘を亡くしているのです。まず長女みどりを、明治41年3月に生まれてすぐの8日目で。ここで思い起こされるのが、雨情の童謡『しゃぼん玉』の
   ♪ しゃぼん玉消えた 飛ばずに消えた
     生まれてすぐに こわれて消えた…
という歌詞です。したがって『しゃぼん玉』は、「生まれてすぐに」亡くなってしまった長女みどりへの鎮魂歌であるとともに、合せて大正10年に授かった次女恒子ばかりは、せめて健やかに育ってもらいたいという願いを込めた歌だったのです。

 ところが悲劇は続きます。次女恒子も、『雨降りお月さん』を発表する直前の大正12年(1924年)9月23日にわずか2歳で亡くなってしまったのです。ですからこの『雨降りお月さん』は、人生を謳歌することなく亡くなってしまった恒子へのせめてもの手向けに、父・雨情の親心として、恒子が成人して嫁入りする姿を想い描いて作った歌だったのではないだろうかと推察されるのです。

 既に死んでしまった我が子に対して、いくら親でも連れ添ってあげるわけにはいきません。死者の嫁入りは、月も出ない雨の夜更けに「ひとりで傘 さしてゆく」しかないのです。それではあまりにも可哀想だから、「シャラシャラ シャンシャン 鈴付けた お馬にゆられて 濡れてゆく」…。

 そういう悲しい事情が野口雨情にあったとすると、この歌の「寂しさ」「哀しさ」が理解されてきます。またもしそうだとすると、この歌を通り一遍に聞き流したり口ずさんだりしては、野口雨情に申し訳ないのかなとも。
  - 雲がち、雨がちの今年の十三夜に

 (大場光太郎・記) 

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名曲ー所感・所見」カテゴリの記事

コメント

はじめまして、今日佐賀市で開かれている骨董市にて、「シャンシャン鈴」なるものを求めました。シャンシャン鈴といえば「雨降りお月さん」ですから、歌詞を確かめるためにネットで検索してたら貴殿のサイトで、この歌に関することを読みました。「しゃぼん玉」は知っていましたが、この歌までこんな背景があるとは!今日買った鈴を見るたびに、野口雨情の話を思い出しながら歌詞を口づさむことでしょう。有り難うございました。

投稿: 岩田義實 | 2011年3月 4日 (金) 22時41分

 岩田義實様
 コメント大変ありがとうございます。
 へえーっ。「シャンシャン鈴」というのが、実際にあるんですか?どんな音色なのでしょう?きっといい音色でしょうね。佐賀市の骨董市は、いろんな掘出し物がありそうで楽しそうですね。
 やはり「シャンシャン鈴」とくれば、連想は『雨降りお月さん』ですよね。早速検索されて当ブログをお訪ねになり、重ねて御礼申し上げます。
 『雨降りお月さん』は、本当に昔の日本的叙情溢れる名曲です。作詞に至る事情を知りますと、何やら野口雨情の魂の叫びの歌のようにも思われます。
 

投稿: 時遊人 | 2011年3月 5日 (土) 01時26分

 今夜は「十三夜」でした。夕刻は雲間からのぞき見られた十三夜でしたが、夜半には激しい雨にかき消されてしまいました。今年に限ってみれば、「十五夜に晴れなく、十三夜に雨なし」という俗諺は、正反対になってしまったことになります。
 と言うことで、『雨降りお月さん』(10年10月)を再掲載することにしました。

投稿: 時遊人 | 2011年10月10日 (月) 01時57分

祝言(婚礼の儀式)は昔夜中に行われていたと母から聞いたことがあります。昭和初期位まででしょう。夜中に主賓たちが集まり仲人を介し、新郎新婦は雄蝶雌蝶が注いだ三三九度の盃を交わします。今で云う人前結婚式です。
ある神社の神官から神事は夜行うと聞いたことがあります。現在は交通事情などから昼間も行われますが、日光を遮断した部屋で蝋燭の光の中で執り行われます。

投稿: sefuri | 2018年6月19日 (火) 19時09分

sefuri様

 大変貴重な情報をお寄せいただき、ありがとうございました。

 そうでしたか。祝言は昭和初期あたりまでは夜中に行われていたとは。初耳です。野口雨情のこの歌詞、そんな事情を知らない私などは「何で真夜中に?と思ってしまいますが、野口雨情の個人的事情はあったとしても、当時(大正末期)ではごく普通のことだったのですね。

 またひとつ学ばせていただきました。ありがとうございます。

投稿: 時遊人 | 2018年6月20日 (水) 04時46分

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