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“やわらかなファシズム”は今や“ハード”に…

 -政権交代は意味を失い、暗黒国家化する今の“米官業政電一体”の状況-

 今から20年も前のことです。平成に入るか入らないかの頃、当時言論活動で意気軒昂だった作家の野坂昭如が、「やわらかなファシズム」と表現したことがあります。定かな記憶ではないものの、何かの月刊誌に寄稿した野坂の小論かエッセイかの一文の中にこの造語があったのです。
 この国のバブルが崩壊したことがまだ明らかになってはおらず、今よりずっと社会全体に活気があり自由度もまた高かったように思われた当時、野坂昭如の独特の感性は「やわらかなファシズム」的危うい状況をいち早く察知していたものと思われます。

 野坂昭如は「(戦後)焼け跡派」と称されることがあります。終戦当時旧制中学生だった野坂は、戦中戦後の実情をリアルに見て育ったのです。野坂のそんな戦争体験からも、そう表現せざるを得ない状況がこの国に徐々に醸成されつつあったということなのかもしれません。

 以後20余年たった今年、にわかに『こりゃ、やばいぞ』と思わせられる政治的状況を何度も目にしてきました。この国をアフガン侵攻、イラク戦争など米国の戦争に無条件で追随し続けた小泉政権以来感じてきたことが、今年はますます顕著に現われてきたように思われるのです。
 それはもはや「やわらかな」というような生やさしいものではなく、より露骨で「ハードなファシズム」に向かいつつあるのではないだろうか?と大いに危惧の念を抱かざるを得ないのです。

 それを知るための格好の“指標”は、何と言っても一連の「小沢事件」です。
 この問題がなぜ「ファシズム」と結びつくかと言いますと、昨年春の西松建設事件以来“米官業政電”一体となって、常軌を逸した「小沢一郎潰し」を狙っていると思われるからです。まさに「米官業政電一体」ということが、ファシズムに他ならないのです。
 小沢元代表がなぜこうも執拗にターゲットにされるかと言えば、何度も言いますが小沢氏に政権を掌握されてしまうと、米国を含めた彼らの既得権益が根こそぎ奪われかねないからです。

 代表選の演説で小沢元代表は、「明治維新以来140年間温存されてきた官僚機構を抜本的に改革しない限り、この国の真の再生は有り得ない」と力説しました。そう名指しされている霞ヶ関官僚群の小沢への警戒感は相当なものです。
 また記者クラブ制度の廃止、クロスオーナーシップの規制による新聞とテレビの分離などの改革に手を突っ込まれかねないマスコミの危機感も相当なものがあります。「第二経団連」構想をぶち上げられた経済界もまたしかりです。
 「小沢ならやりかねんぞ」、彼らは内心そう思っているはずです。小沢が政治の表舞台に登場できないよう封じ込めてしまえば、現菅政権が実証しているように、いとも簡単に“第二自民党化”出来てしまう民主党政権でも何の不都合はないのです。

 国内の“官業政電”を奥からコントロールしているのが「米国」です。
 今と戦前戦中との酷似性がよく引き合いに出されます。例えば戦時中の「特高警察」と現在の「特捜検察」。また戦時中は新聞などが戦争遂行内閣を翼賛し、今のマスコミも「米官業政」を強力にバックアップしています。そんな翼賛新聞によって国民は「戦争遂行」にいとも簡単に誘導されましたし、現在も小沢報道により「嫌小沢」の強固な世論が形成されています。
 そして戦時中のスローガンは「軍国主義」「天皇中心主義」でしたが、今現在は「対米隷属主義」が国民全体の暗黙の了解事項です。

 ところで15日小沢元代表に大きな動きがありました。一つは「柔道からの引退」を表明した、“ヤワラちゃん”こと谷亮子参院議員の記者会見の場に小沢氏も同席したこと。そしてもう一つが、東京第五検察審査会の起訴相当議決を不当として、東京地裁に「起訴議決の取り消し」を求めて行政訴訟を起こしたことです。
 これは同検審が非公開、匿名性などまったく不透明な密室議決であることとあいまって、元の告発や第1回の議決時にはなかった“犯罪事実”を勝手に付け加えていたのですから、当然の訴訟と言うべきです。
 もしこの訴訟を東京地裁が「門前払い」するようだと、いよいよもって仙谷内閣、検察、裁判所、日弁連一体となった“ファシズム体制”は紛れもない事実であることが明らかです。

 現在は、「やわらかな」から「ハードな」ファシズムへのプロセスが進行中とみられます。戦前戦中より見えにくい、それゆえより悪質なファシズムだと言えます。それに対しては、名ばかりとは言え今は主権在民の時代ですから、「国民が第一」にしっかり監視していかなければなりません。
 しかしマスコミに好いように誘導され放しのB層ばかりでは、甚だ心もとありません。最初水の中に入れられたカエルは、徐々に温度を上げられても気がつけず、終いには“茹で殺し”にされてしまうそうです。今の我が国の状況はまさにそのとおりであることを、多くの国民は早く気がつくべきです。

 (大場光太郎・記) 

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