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三夕

                           寂蓮法師
  さびしさはその色としもなかりけりまき立つ山の秋の夕暮
                           西行法師
  心なき身にもあはれは知られけりしぎ立つ澤の秋の夕ぐれ
                           藤原定家
  見渡せば花も紅葉(もみじ)もなかりけり浦のとまやの秋の夕ぐれ

…… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 この三首はいずれも新古今和歌集(秋上)に収録されている有名な和歌です。三首とも「秋の夕暮れ」というまったく同じ終わり方をしていることから、特に「三夕(さんせき)」または「三夕の歌」と呼ばれて古来親しまれてきました。

 秋の夕暮れは一年中を通してもことのほか趣きがあり、俗に「秋の日はつるべ落とし」と言われるように、見る間に辺りが暗くなっていく侘しさの気配は格別です。「三夕」はそんな秋の夕暮れの風情を三人三様に詠って、それぞれ読後の余情深いものがあります。
 寂蓮法師の歌は、初秋の候、まだその色を変えない山のまきの木立を見てさえ、一早く秋の夕暮れの寂しさが感受されたことよというのです。なおこの歌の「まき」については、槙、真木、杉の木立など諸説あるようです。

 新古今和歌集の編纂が完成したのは1205年(元久2年)のこと。既に平安朝は終わり、1192年(建久3年)鎌倉幕府が開かれ武家社会が本格的に始まりかけています。王朝貴族文化は爛熟期をとうに過ぎ、いよいよ腐乱、衰退止めどなしの頃にあたります。
 古今集から新古今集を経るにつれて、ますます技巧を凝らした和歌が作られるようになりました。そんな中この三夕などは特に贅を凝らした技法などはなく、比較的意味がよく解る平易な歌だと言えます。

 それでも技巧がまったくないわけではありません。それを最もよく示すのは藤原定家の歌です。
 この歌は『源氏物語』の「明石の巻」から着想を得て作られたと言われていますが、見えているのは海辺の苫葺(とまぶき-スゲ、カヤ葺き)の小屋のみ。しかし「花も紅葉も」と詠むことによって、読み手には苫屋の裏山に、「なかりけり」のはずの花(山桜)が爛漫(らんまん)と咲き乱れるさま、全山鮮やかに色づいた紅葉のさまが、まざまざとイメージされてくるのです。
 これを指摘したのは三島由紀夫でしたが、無いはずのものを現前させてしまう技法は、定家ならではの革命的技法と言えると思います。

 新古今集の多くの歌がそうであるように、その頃は「題詠(だいえい)」という予めテーマを決めて、それに沿った歌を詠むことが主流になっていました。この三夕も実際その場所に赴いて実景を詠んだものではなく、身は京の都の邸宅にありながら、互いが互いの歌に刺激されて、想像の中の景色を詠んだものであるようです。
 三人とも「秋はかく有りなん」という観念がまずあり、それに即した想像上の景色を想い描いて歌に詠み込むという手法です。

 すべて文芸作品、芸術作品というものは、最終的に作者の精神なり感性なりの濾過(ろか)過程を経て生まれてくるわけで、そうであるならば実景に即して見たままを詠もうが、想像上の景色をこしらえて詠もうがそう大差ないのかもしれません。
 実景であろうが想像の景であろうが、和歌なら和歌として表現するにあたり、どれだけそこに魂が吹き込まれているか否かが決め手となるのではないでしょうか。それこそが案外、「文芸上の真」というリアリティを保証することにつながると思われるのです。

 万葉集、古今集から新古今集という変遷の中で思いみるべきは、仏教の我が国への浸透による無常観の影響です。もちろん時代が下るにつれて、それが王朝文化の各方面に色濃く現われてくるわけです。
 無常観に基づく「もののあはれ」という基調が「秋の夕暮れ」の気配とマッチして、三夕それぞれの詩的世界の描出に成功していると言えるのかもしれません。

 それが特に顕著なのが西行法師の歌です。「心なき身」とは西行自身のことを言っています。西行は23歳の時、それまでの京都御所を守護する佐藤義清という北面の武士の身分を捨てて出家したのです。横恋慕したやんごとなき女性(にょしょう)や妻子さえ捨てたのであれば、この世のすべての事象を「諸行無常 諸法無我」と断じ切り、ひたすら「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)」の境地を目指したはずです。
 ところがそんな西行でも、「しぎ立つ沢の秋の夕暮れ」に「もののあはれ」を知る心があるというのです。秋の夕暮れに「鴫(しぎ)立つ」という“動き”に「あはれ」を“感じる”、すなわち物事に感動する心こそは、御仏の慈悲心に深く通じるものであるのかもしれないのです。

 (大場光太郎・記)

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