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2010年11月

ブログ再開します !

 24日突然「管理トップ面」に入れなくなってから数日、このたびようやく入れ、こうして記事作成することができました。
 今年に入ってブログ管理会社の@niftyは、より一層のセキュリティ強化のためもあるのか、各種システムの変更を進めています。このため従来ならば、例えばパスワードを忘れてしまっても、簡単な手続きで難なく管理トップ面に入れたのが、今度からそうは行かなくなったようなのです。

 今回私なりに八方手を尽くして調べた結果、ブログ毎に新たな固有の@niftyID及びログインパスワードが必要とされることが分かりました。
 ブログ再開のためにはこの2つがどうしても必要なため、今回はそれを求めて「ココロクトップページ」「@niftyトップページ」から当該ページをたどったり、自動音声サービスに何度もトライしたり、返信がくるまでまる1日以上かかるメールを2度ほどやりとりしたり、フリーダイヤルから入って@niftyの担当オペレーターと直接話をしたり…。
 毎日空き時間を利用しては、ブログ再開に向けて奔走しました。

 アラビアンナイトのアリババの「開けゴマ !」の大呪文じゃあるまいし。金銀財宝がうず高く積まれた岩窟に入ろうというような、大それたものではないのだし。@niftyさん、以前のようにもう少し簡便に入れるようにしてくださいよ、と思わないでもありません。
 しかし何はともあれ、結果オーライ。新しく当ブログに割り当てられた@niftyID、ログインパスワードを取得し、本日こうして管理トップ面に入ることができました。

 記事更新ができなかったこの数日間、当然のように世の中はめまぐるしく動いています。政治的には、辞任しないと言い張っていた柳田法相が結局辞任を余儀なくされました。勢いづいた野党はさらにたたみかけるように、仙谷官房長官、馬渕国交相の問責決議案の可決に持ち込み、菅政権をさらなる窮地に追い込もうとしています。
 自己保身にかけては天下一の策士である仙谷由人は、「何があっても辞めない」と、胃を全摘出してまで手に入れた官房長官の地位に、何が何でもしがみつくつもりのようです。「石にかじりついてでも」「支持率が1%になっても総理を辞めない」という菅直人同様、何とも浅ましい妄念、妄執と言うべきです。

 しかし谷垣禎一自民党総裁は「菅政権にあって官房長官の制度設計の誤りは重大だ」と、かつて仙谷は「谷垣とは東大法の同級生だから、あいつをオレ様の意のままに動かすのは簡単だ」と、谷垣派との大連立めいたことを豪語していたのとは裏腹に、今度ばかりは謹厳居士の谷垣氏は、同級生・仙谷斬りのためテコでも動かぬ構えのようです。
 「6・2クーデター」以来、菅直人、仙谷由人、前原誠司が、どれだけこの国の政治を壟断(ろうだん)し、あらぬ方向に誤導してきたことか。尖閣問題A級戦犯の前原誠司は、どういうわけか今回の問責決議の対象にはなっていませんが、この国を正常に戻すには、この3人を「出来れば民主党外、最低でも閣外」に追放すべきです。

 今や焦眉の急となっている、北朝鮮砲撃事件、米韓合同演習、沖縄県知事として仲井真弘多が再選されたことなどは、『米韓演出?北朝鮮砲撃』コメントで折りに触れて述べたとおりです。

 ところで記事更新が出来なかったここ数日、さぞやユニークアクセス(純訪問者)数、アクセス数ともに、下降気味だろうと思いきや。これが意に反していつになく急増中なのです。 ちなみに30日はピークで、純訪問者数-1172人、アクセス数-1643件となっています。 これには『それじゃあ、何もシャカリキに記事更新しなくてもいいんじゃん』と、少々複雑な気持ちです。

 この原因はハッキリしています。何日か前に起きた「市川海老蔵暴行事件」特需によるものです。どうやら海老蔵に暴行を働いて現在行方をくらましている男(26)が、今年1月朝青龍から暴行された「川奈毅」一派らしいことにあるようです。
 そのため、朝青龍暴行事件直後の『朝青龍が暴行した相手』記事に、改めてアクセスが集中しているのです。本記事で「海老蔵暴行事件」を詳細に述べることはできませんが、これだけ関心が高い事件であるからには、「今風(弱小)瓦版」を自負する(笑)当ブログとしても、何らかの形で取り上げないわけにはいかないようです。

 再開早々、いつもの「駄ベリング調」になってしまいました。
 当ブログ今後ともよろしくお願い申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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米韓演出?北朝鮮砲撃

 -尖閣問題、今回の問題。沖縄県知事選間近の今、タイミングがよすぎないか?-

朝鮮砲撃:100発着弾で兵士2人死亡 韓国側も応戦
【ソウル大澤文護、ニューヨーク山科武司】23日午後2時半(日本時間同)ごろ、韓国が黄海上の南北軍事境界線と定める北方限界線(NLL)まで約3キロの韓国領・延坪島(ヨンピョンド)に、北朝鮮側から砲弾100発以上が撃ち込まれ、韓国軍基地や民家に着弾した。韓国軍合同参謀本部によると兵士2人が死亡、兵士16人が重軽傷、民間人3人が軽傷。韓国軍は対岸約10キロに位置する北朝鮮黄海南道の海岸砲基地からの攻撃とみて約80発の砲撃で応戦したが、北朝鮮側の被害は不明。北朝鮮が韓国領土を砲撃し、人的被害が出るのは1953年の朝鮮戦争休戦後初めてで朝鮮半島情勢は緊迫の度を強めている。

 北朝鮮による砲撃を受け、国連安全保障理事会は近く緊急の会合を開いて対応を協議する見通しだ。

 延坪島はNLLの南側に位置し、島民約1660人のほか韓国軍兵士約600人が駐屯している。韓国メディアによると、北朝鮮による砲撃は約2時間断続的に行われ、約60~70軒の住宅が破壊された。島で火災が発生し、住民は島内の防空壕(ごう)や、島の東約90キロの仁川港などに定期船や漁船で避難している。

 砲撃について、北朝鮮の朝鮮人民軍最高司令部は23日、韓国軍が先に砲撃してきたとする声明を発表。韓国軍が北朝鮮領海を侵犯していると主張し、「領海を0.001ミリでも侵犯するなら、今後もちゅうちょせず無慈悲な軍事的対応打撃を引き続き加える」と警告した。朝鮮中央通信が伝えた。

 北朝鮮は99年にNLLの「無効」を一方的に宣言し、NLLの南側に独自の「軍事統制水域」を設定して延坪島周辺海域を含む一帯を北朝鮮領海と主張してきた。韓国軍は22日から黄海で演習を実施しており、韓国メディアによると、北朝鮮は「北側海域で射撃をした場合、座視しない」との通知文を韓国側に送っていたという。

 韓国軍当局は「演習では北朝鮮の方角ではなく西に向けて砲撃していた」と主張しているが、北朝鮮側が自らの領海と主張する海域での演習に反発し、砲撃した可能性もある。

 砲撃の知らせを受け、李明博(イ・ミョンバク)大統領は直ちに安保関係閣僚会議を招集。大統領府の洪相杓(ホン・サンピョ)首席秘書官は「韓国に対する明白な武力挑発だ。追加挑発時には断固対応する」との声明を発表した。

 韓国政府は事態拡大を防ぐよう呼びかける通信文を北朝鮮に送る一方、全軍に最高度の非常警戒態勢を発令し、戦闘機を上空で旋回して警戒。25日から南北軍事境界線に近い韓国・坡州(パジュ)で予定していた南北赤十字会談の無期延期を発表した。

毎日新聞 2010年11月23日 21時19分(最終更新 11月23日 23時51分)  (以上、『毎日JP』より転載)

                       *
 以上は韓国領・延坪島で起きた、北朝鮮砲撃のあらましです。これについて、以下に独断と偏見に基づく私見を少し述べてみます。

 核に転用可能な濃縮ウラン施設の稼動といい、韓国民間人の居住する延坪島への今回の砲撃といい、北朝鮮の“ならず者国家”ぶりには困ったものです。
 しかし北の砲撃をもたらしたそもそもの要因は、韓国からの演習予告なのでした。南北間でもかなり緊張の度合いが高そうな同島で、何でこの時期に韓国は演習を行う必要があったのでしょうか。「こちら側がかくすれば、あちら側はかくしてくるだろう」という、予測が出来なかったのでしょうか。

 私は今回の問題には、韓国を裏で操っている米国の影があるように思います。
 我が国沖縄県の県知事選挙が間近に迫っています。米国としては、東アジアならびにアジア全体の軍事的戦略上、日本列島特に沖縄に米軍基地を置き続けることの意味は極めて大きいと思います。
 そんな最重要の「オキナワ」で、万一「県外、国外」への基地移転を公約に掲げる井波洋一氏が当選でもすると、それが沖縄県民の民意となり、折角菅政権に強引にねじ込ませた辺野古沖への移設計画は白紙、県内の米軍基地は次々にグアムに移転させられかねません。

 それを考えた場合米国は、井波新知事の誕生を何としても阻止したいはずです。そこで米国が蔭の仕掛け人となって、東アジア、北東アジアの緊張状態を演出し、それをCIAルートで昔から手なずけている日本の新聞・テレビを使って、連日連夜それをガンガン伝えてもらえばいいわけです。
 その一環が今回の北朝鮮砲撃問題なのではないでしょうか?米国の意向を汲んだイ・ミョンバク政権が、「今度延坪島で爆撃演習をするが、お前さんの国はどうすんだい」と挑発したわけです。

 もちろん米韓とも、北朝鮮は後継者問題などで必ず挑発に乗ってきて、何らかの軍事的行動を起こすだろうと読み切った上でのことです。
 韓国は今「奇跡の経済復興」などと言われていますが、内実は大変な経済状況のようです。アメリカ親分の協力が必要な状態らしいのです。

 今回の問題のみならず。9月7日の尖閣諸島領海内での中国漁船衝突事件も、米国が裏で我が国を操っていた可能性があると思います。
 同事件での、旧自民党以上の、海上保安庁ならびに前原誠司国交相(当時)の強硬姿勢にもそれが表れているのではないでしょうか?同海域で我が国海保が領海侵犯した中国漁船に対して強硬に出れば、中国政府が黙っていないことなど、これも日米ともに分かり切ったことだったでしょう。

 いずれにしても、2つの島を巡ってわずかの期間に東アジア、北東アジアに緊張が走り、とりわけ日本国民、沖縄県民が「中国脅威論」「北朝鮮脅威論」を一段と強めてくれたことに、米国は「これで良し」とほくそえんでいるに違いありません。

 (大場光太郎・記)

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勤労感謝の日に思うこと

  仕事が楽しければこの世は天国、そうでなければこの世は地獄  (西洋の格言)

 11月23日は勤労感謝の日です。この日の意義や祝日として制定されるに至った経緯などは、一昨年この日の『勤労感謝の日』で既に述べました。今回はこの日から連想されたことなどについて述べてみたいと思います。

 「勤労」の意義とはかけ離れたことから述べますが、米国の心理学者アブラハム・マズローは、人間の欲求について「五段階欲求説」を唱えました。これにつきましては、いずれ別記事として考察を加えてみたいと思います。
 そこで今回は簡単に触れますと、「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「承認(尊重)の欲求」「自己実現欲求」の五つです。1番目の生理的欲求は、食欲・性欲・睡眠欲などの本能的、根源的な欲求です。マズローはそこから人間はステップアップして、4段階目の承認(尊重)の欲求が充たされた場合のみ、最終段階として自己実現欲求が現われると説いたのです。

 私はマズローのこの説は、深いところで「勤労」「働き」とリンクするのではないかと考えます。
 最初から高邁な理想を抱いている人は別として、人はまず衣食住という生存にとって必要不可欠のものを確保するため、つまりあけすけに言えば「カネを稼ぐために」働くわけです。それがもし確保されなければ、1番目の生理的欲求すら充たされず生存が覚束なくなるのですから当然です。
 衣食住が確保されゆとりが出てくると、仕事の質も生活も向上し次の段階にステップアップしていけるわけです。

 これは、戦後65年が経過した我が国の歩みから見ても同じことが言えそうです。それまでの価値観を180度転換させ、占領国アメリカからもたらされた西欧近代原理的な価値観をもとに、戦後日本の歩みが始まったのです。
 ごく一部の特権階級は別として、何もない焼け跡から「よーい、ドン !」でほぼすべての日本人の戦後はスタートしたのです。それは「きょうあした、どうして食いつないでいく?どこで寝泊りする?」というようなレベルですから、まさに第1段階の生理的欲求そのものです。

 少しずつ戦後の混乱が収まるにつれて、徐々に「死ぬか生きるか」の切実な問題から開放され、第1段階を脱していく人が増え始めたと考えられます。
 そして昭和35年の「60年安保」以降、この国は国民全体の集合的無意識がそう決めたのか、「今より物質的に豊かになりたい」という生き方を目指し始めます。そんな国民の無意識的要望に応えたのが池田勇人政権で、ズバリ「所得倍増政策」を打ち出したのでした。そして以後の自民党政権が順々に受け継ぎ、「高度経済成長」がうなりを上げて離陸していくことになったのです。

 かつて米国という(ブラック)フリーメーソン国家に対して、真っ向から戦争を挑んだ日本民族のポテンシャルはスバ抜けて高く、世界に突出した技術力、勤勉性が遺憾なく発揮されました。我が国はあれよあれよと言う間に世界に冠たる経済大国にのし上がり、国として世界各国からの「承認(尊重)の欲求」を充たしていったのです。
 昭和60年代にはアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となり、当時は「日本の資産で米合衆国全土を買うことなどわけもない」とまで言われました。現にその頃、アメリカの象徴と言われたNYのロックフェラーセンター(666)ビルを三菱地所が買い取り、米国民はおろか世界中の人々をあっと言わせました。まさに「パックス・ジャポニカ(永遠なる日本)」絶頂でした。

 当時は「♪24時間、働けますか~、ビジネスマ~ン、ビジネスマ~ン、ジャパニーズビジネスマ~ン」というテレビCMに端的に表れているとおり、多くの日本人が、馬車馬のようにエコノミックアニマル(経済動物)的に突っ走っていました。その結果確かに「総中流意識」の下、多くの国民は物質面で高いレベルを充たしていったのでした。
 しかしその蔭では、公害、乱開発、国土破壊、人心の荒廃といった負の部分が恐ろしい勢いで進んでもいたのです。そして遂に来るべき時が来て、平成に入って間もなく「バブル崩壊」に突入したわけです。
 
 ある研究所の試算では、その時失われた(泡と消えた)国内資産は1千兆円にも上るということです。いきなり言われてもピンときませんが、関東大震災(大正10年)の総被害額が現在価格に換算すると約100兆円と言われています。ということは、バブル崩壊によって、全国の10箇所に同震災クラスの巨大地震が発生したと同じことなのです。
 そうしてみますとバブル崩壊というのがいかに激甚なものであったことか。何やら見えざる世界からこの国に振り下ろされた大鉄槌だったようにも思えてきます。

 以前『東京オリンピックの思い出』シリーズでも述べましたが、昭和30年代後半からの高度経済成長は、完全な「魔違い路線」だったのです。何せ国全体の「自己実現」を果たすどころか、途方もない損失と共に躓いて、以後今日まで次なる明確な国家ビジョンも、政策も何もない漂流、茫然自失の「失われた20年」状態がずっと続いているのですから。
 それはまた、私たち国民のかつての「勤労」「働き」も大いにズレたところがあったということです。

 私たちが“働く”のは、つまるところ「豊かさ」の追及が目的です。豊かさはまた「幸福」と言い換えることもできます。私たちの深いところにある願望とは、「幸福欲求」に他ならないはずです。
 ある人は、真の幸福とは「四つの幸福」がすべてそろった状態だと述べています。それは「霊的幸福」「精神的幸福」「肉体的幸福」「物質的幸福」です。そしてすべての幸福の元になっていて、一番大切なのが「霊的幸福」だと言うのです。

 思えば私たちは、これまでそんな幸福があることさえ知らずに、もっぱら「肉体的幸福」「物質的幸福」だけを血眼になって追い求めてきたのです。この状態は、禅の教えで言うところの「顛動夢想」(てんどうむそう-道理から逆さまにひっくり返っていること)です。
 そろそろこのひっくり返った状態をひっくり返して、本来のあるべき状態に戻さないと、いつまでたっても「真の幸福」も「真の働きがい」も見出せないのではないでしょうか。

 (大場光太郎・記) 
   

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昭和30年代前半は「夜霧の時代」?

 -あの時代“歌声喫茶”で『ともしび』が歌われ、歌謡曲では「夜霧」が用いられた-

 レトロな昭和30年代前半。近年の映画『ALWAYS 三丁目の夕日』などのヒットにより、その時代はノスタルジック戦後として見直されています。
 私と同世代(いわゆる団塊の世代)かそれより年配の人たちにとって、あの時代は各人さまざまな感慨を呼び起こされることでしょう。

 私にとってその時代は小学校に入るか入らないかから、小学校5年生くらいの期間に相当します。まだ「自我」に目覚める前、正真正銘の少年時代の頃です。いわば私の半生の中でその時代は、神話的時代から上古の時代にも相当する、「宝物のような時代」だったと言えると思います。
 何の屈託もなく遊び、好き勝手な夢が想い描けた子供時代なのですから、余計思い入れが深いわけなのです。

 今でもその頃のことは、思い出としてひょいと蘇ってきたりします。ひと時そんな回顧にふけりながら、私は最近『あの時代は「夜霧の時代」だったんじゃないか?』とふと思ったのです。どうしてなのでしょう。

 それは当時流行(はや)っていた歌謡曲に、やたらと「夜霧」という言葉が入っている歌が多いように思われたからです。たとえばその代表例は『夜霧の第二国道』。この歌は、ラジオで流れていたか母が歌っていたかして、小学校2、3年の私も『いい歌だなあ』と思いながら聴いて覚えた歌でした。

 タイトルからして「夜霧」のついているこの歌は、昭和31年発表だそうです。『有楽町で逢いましょう』で大ブレークする前年、フランク永井が歌った名曲です。
  つらい恋なら ネオンの海へ
  捨てて来たのに 忘れてきたに
  バック・ミラーに あの娘(こ)の顔が
  浮かぶ夜霧の ああ 第二国道     (作詞:宮川哲夫、作曲:吉田正 1番)

 歌詞はいちいち紹介しませんが、この歌以外にも「夜霧の歌」のあること、あること。
 『哀愁の街に霧が降る』(31年)『夜霧のデッキ』(33年)『三味線マドロス』(33年)『夜霧に消えたチャコ』(34年)『他国の酒場』(34年)『哀愁波止場』(35年)『あれが岬の灯だ』(35年)などなど。
 当時の時代状況からして、東京など大都市に出てきた人々を慰労するような「望郷モノ」、「波止場」「マドロス」など“船乗りモノ”も流行りましたが、こうしてみると「夜霧モノ」はそれらに負けず劣らず多かったようです。

 そういえば昨年記事にしました『身捨つるほどの祖国はありや』の、寺山修司の
  マッチ擦るつかの間海に霧深し身捨つるほどの祖国はありや
という短歌は、昭和33年刊歌集『空には本』収録なのでした。
 この短歌で時刻はいつかというのは分かりません。しかし冒頭の「マッチ擦る」の視覚効果を高めるためには、夜の海でなければならないと思います。
 
 この時代流行歌や短歌などに、どうしてこんなに「夜霧」が多く登場するのでしょう?これはきっと、何かのきっかけがあってのことに違いありません。
 当時は子供だった私がうかつに断定はできないものの、それは昭和20年代後半から東京の街などに出来だした「歌声喫茶」から全国に広まっていった、ある歌の影響なのではないだろうかと思われるのです。
 あの頃はまだ「60年安保」前で、米ソ冷戦が激化しつつあったものの、この国ではまだ社会主義、共産主義思想に共鳴する若者が多くいました。それらの若者を、同思想に引き付ける装置の役割を果たしたのが歌声喫茶の一側面であるようです。

 ですから歌声喫茶で主に歌われたのは、ロシア民謡でした。その中でも『ともしび』と『カチューシャ』は双璧であったようです。同名の歌声喫茶「灯(ともしび)」が昭和31年新宿にオープンしたように、特に『ともしび』は若者の間で好んで歌われました。

  夜霧のかなたへ 別れを告げ
  雄々しきますらお いでてゆく
  窓辺にまたたく ともしびに
  つきせぬ乙女の 愛のかげ    (『ともしび』1番)

 祖国のために前線に赴こうとする若き兵士。それをそっと夜の窓辺で見送る乙女。そこに置かれたともしび。この別れが二人にとって、今生の別れになるのかもしれない。か細くまたたくともしびは、そんな際どい二人の別れの象徴のようです。
 おそらく「愛」がこれほど高まるシチュエーションは他にないことでしょう。見送る乙女にとって、夜霧の彼方に遠ざかっていく恋人の後姿は、逆に身の丈がどんどん大きくなって感じられたのではないでしょうか。

 共産主義国ソ連(ロシア)の民謡というだけではなく、まだ戦後10余年しか経過していない当時の我が国では、この歌に描かれている情景に共鳴し得るメンタリティが十分残っていたものと思われます。
 『ともしび』はダークダックスが歌ったことにより、その後全国に広まりロシア民謡ブームが巻き起こりました。山形の片田舎町の小学校2、3年生だった私も、近所のだいぶ年上の人たちが歌って教えてくれたため、『カチューシャ』などと共にいつしか覚え口ずさんだものでした。

 「身捨つるほどの祖国はありや」という寺山の強烈な問いも、タネを明かせば、案外この『ともしび』全体そして2番の「思い出の姿 今も胸に/いとしの乙女よ 祖国の灯よ」に触発されて生まれたのかもしれないのです。
 このように、当時の詩人や作詞家といったクリエィティヴな人たちが真っ先にこの歌の影響を受けて、当時「夜霧」という言葉が多用された可能性が十分あると思います。

 平成も22年を経てますます「昭和は遠くなりにけり」の今日、昭和30年代前半の時代は「夜霧のかなたに」霞んでおぼろにしか見えないほど遠い昔になってしまいました。
 今や文学作品でもJ-POPなどでも、自然を描くことが少なくなってきています。翻って、夜霧などの自然現象を描くことによって、それがそのまま叙情的な名曲として定着していったあの時代。
 もちろんあの頃とて、社会全体としてさまざまな問題を抱えていたことでしょう。しかしその意味では、『貧しいけど、ホントいい時代だったよなあ』と、しみじみ懐かしく思い返されるのです。

 (大場光太郎・記)

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夜霧、川霧

  誰も皆傷負いて行く夜霧街   (拙句)

 俳句の世界で「霧」は秋の季語です。それからすれば「夜霧」は、秋の夜に発生する気象現象ということになります。

 今から6年ほど前の10月末頃のことだったでしょうか。深夜の11時を回った頃合、本厚木方向からの帰りで、一昨年『中津川寸描』シリーズでたびたび描いてきた中津川の堤防沿いの道を車で走っていました。その道の途中まで差し掛かると、それ以降の上流側でにわかに夜霧が立ち籠めていることに気がついたのです。
 それも普段見ることのできないような本格的な濃霧です。川の方から、ともすると道にまで霧がどんどん押し寄せてくるのです。

 それ以前もその後も、たびたびほぼ同時刻にその道を通りましたが、こんなに濃い霧が立ち籠めていたのはあの時かぎりです。それで私は深夜にも関わらず、日中いつも中津川を訪れる時に降り立つ時の、いつもの路肩に車を停めて、その様子をしばらく見てみることにしました。

 夜霧は叙情的背景の一つの素材として、昔から歌謡曲にもよく歌われてきました。しかし気象現象というものは気紛れなもので、歌のように夜霧の立ち籠める街を歩いてみたいと思っても、いざ実際に夜霧を見ることはあまりないものです。
 ところがその夜ばかりは違っていました。古いコンクリート堤防を中段まで降りて、そのまま上流の方へと歩いてみるに、まさに「これぞ夜霧」というような濃霧のさまが川一面に広がっていたのです。

 この地点は『中津川寸描』シリーズでも触れましたように、あと1キロメートル弱下流に下れば相模川と合流しようかという地点です。そのくらいですから、こちら岸から向こう岸までゆうに百メートル弱くらいの川幅があるでしょうか。
 その広い川幅いっぱいに、低くうごめくように一面に霧が立ち籠めているのです。そしてともすると霧は堤防を伝って、道路の方へ流れようとし、現に流れ続けています。

 ここは川なのですから、この霧は「川霧」と言うべきなのでしょう。そして深夜なのですから「夜川霧」。
 川霧というものがどうして発生するのか、その詳しいメカニズムは知りませんが、川の水温と川面(かわも)に接する空中の水蒸気の温度とがある特定の親和状態に至った時、あのような濛々(もうもう)とした見事な川霧が発生するものなのでしょうか。
 その深夜かくも見事な夜川霧を目撃出来たということは、その夜はその条件にたまたま適(かな)った夜だったということなのだろうと思われます。

 中津川に来た際、いつも腰を下ろし川の様子を眺める地点からおよそ百メートル上流に、立派な橋が架けられています。橋には当然一定間隔で街灯があり、高い天辺につけられた灯りが、川の周辺を明るく照らし出しています。
 その夜、街灯の灯りに映し出された川の様子はまた格別でした。川面から霧が絶えず生まれ、立ちのぼり、そして川岸の方へと流れていく。川霧の生成のさまがよく分かるのです。
 それはおよそ世の常ならぬ、神秘的、幻想的な光景でした。

 この年の4月2日母が亡くなりました。長年共に暮らしてきた母でした。およそ7年くらい寝たきりで、その6年半を自宅介護していましたから、母がいつ逝っても仕方ないと覚悟は決めていたはずでした。
 しかしいざ実際に“永訣の別れ”となってしまうと、やはり想定外に心は深く痛むものです。ですから今振り返ってみますと、母の死後1年くらいはかなりおかしな精神状態だったように思います。

 その年の夏時分には暑さもあってなかなか寝付けず、その時分の夜更けに中津川にやってきては、その時川霧を眺めた橋のすぐ下流辺りの川に降り立ち、一人ぼんやり水の流れをいつまでも見ていたりしました。
 市内を巡回しているパトカーのお巡りさんが、『あの者はひっとして川に飛び込むんじゃないのか』と心配してか、橋の上から私の方を覗き込むことが2、3度ありました。もちろん私の辞書には「自殺」という文字はありませんが。

 今となってはよく覚えていませんが、この類い稀なる「夜川霧ショー」を見ていた時も、たぶん亡母のことが思い浮かんでいたのだろうと思います。
 いっこうにうだつが上がらず、世間的にはどこの馬の骨。親類縁者からも見離される中、ただ一人母だけは倒れるまで、そんな不肖の息子を信じていてくれました。
 親に心配かけどおしのバカ息子で、積年の母の労苦に何一つ報いることが出来なかった、親不孝な己の何というふがいなさよ…、などと思っていたことでしょう。

 (大場光太郎・記)

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自衛隊は「暴力装置」?

 -柳田法相に続いて、“蔭の総理”仙谷の口からも究極の失言が飛び出した-

 このところ国会は、柳田稔法務大臣の失言をめぐって大揺れです。
 これは先日の地元後援会での発言ですが、身内の会合でつい気が緩んだのか、同法相は「法相はいいですね。2つ覚えておけばいいんですから。『個別の事案についてはお答えを差し控えます』と。(略)あとは『法と証拠に基づいて、適切にやっております』、この2つなんです。まあ、何回使ったことか」とやらかしたのです。
 
 マスコミではこの部分をピックアップして集中的に報道しています。しかしその前段もかなり問題です。それは「皆さんも『何で柳田さんが法相?』と理解に苦しんでいるんじゃないかと思うが、一番理解できなかったのは私です。私は、この20年近い間、実は法務関係は1回も触れたことはないんです」。
 どうでしょうか?前任者の千葉景子も「何もやらない法務大臣」との評価でしたが、それでも曲がりなりにも弁護士の資格を持ち「法務関係」はまあ分かる大臣だったのです。それが柳田法相の場合は、国会議員になって20年この方「法務関係とは無関係」だったと言うのですから呆れてしまいます。
 当然菅総理、仙谷官房長官の任命責任の問題も浮上してきます。

 当然18日の参院予算委員会の野党質問でも、この柳田発言は大きく取り上げられました。また自民党、公明党のみならず、社民党、共産党、みんなの党などが一致して、参院で柳田法相に対する問責決議案を提出する方向でまとまったようです。
 この流れを受けて民主党幹部からも、「柳田の辞任は避けられない」との見方が強まっています。仮に同決議案が野党多数の参院に提出され可決しても、菅政権は一応無視の構えを取ることもできます。ただしそうなると、国民生活にとって死活問題の補正予算案の可決が危ぶまれる事態となるため、「柳田の首を差し出すのと引き換えに…」というわけです。

 難題が次から次へと降りかかって、今やすっかり末期的ダッチロール状態の菅政権にとって、さらに弱り目に祟り目の失言が重要閣僚から飛び出しました。あろうことか、菅内閣の大番頭どころか今や押しも押されもせぬ「蔭の総理」である、仙谷由人官房長官の口から「自衛隊は暴力装置」という問題発言が飛び出したのです。

 それは同日の参院予算委員会での、世耕弘成議員(自民)の質問に対する答弁で述べたものです。世耕議員は、防衛省が政治的な発言をする団体に防衛省や自衛隊が関わる行事への参加を控えてもらうよう指示する通達を出したことが「言論弾圧」として問題になっていることについて、国家公務員と自衛隊員の違いを質問しました。
 それに対して仙谷官房長官は、「“暴力装置”でもある自衛隊は特段の政治的な中立性が確保されなければならない」と語り、議場が騒然となったものです。

 すかさず世耕議員は謝罪を要求し、さしものの“柳腰”のらりくらり官房長官も直ちに同発言を撤回し「実力組織」と言い換えた上で、「法律上の用語としては不適切だった。自衛隊の皆さんには謝罪する」と陳謝しました。
 菅総理も午後の同委員会で、「自衛隊の皆さんのプライドを傷つけることになり、お詫びする」と述べ、同夜「蔭の総理」の仙谷氏を執務室に呼びつけ、「今後気をつけるように」と「表の総理」として一応口頭で注意をしました。

 菅政権きっての最高実力者のこの問題発言に対して、特に自民党は猛反発です。例えばイラク戦争時「ヒゲの隊長」として名をはせた、同党の佐藤正久参院議員は「おそらく全国の自衛隊員は『聞き捨てならぬ発言』と捉えたのではないか」と怒り心頭の様子です。
 対してみんなの党の渡辺善美代表は、「昔の左翼時代のDNAが、図らずも明らかになっちゃった」と呆れ顔で語っていました。

 この渡辺代表の指摘は、仙谷氏について鋭いところを衝いていると言うべきです。
 「暴力装置」とは初めて聞く用語です。私はてっきり「民主党で一番頭の良い」仙谷様の造語かと思っていました。しかし実はそうではなく、この「暴力装置」は元々ドイツの社会学者のマックス・ウェーバーが、警察や軍隊を指して用い「政治は暴力装置を独占する権力」などと表現した言葉のようです。
 それをロシアの革命家レーニンが「国家権力の本質は暴力装置」などと、暴力革命の理論付けに使用したため、全共闘運動華やかなりし70年代、主に左翼用語として流通していたというのです。

 そのためか今回の仙谷発言に対しては、各野党間でも微妙な温度差があるようです。自民党の丸川珠代参院議員は、「自衛隊の方々に失礼極まりない」と柳眉を逆立てて批判しました。一方共産党の穀田恵二国対委員長は、「いわば学術用語として、そういうこと(暴力装置との表現)は当然あったんでしょう」と一定の理解を示しています。
 それもそのはずで、例のハマコーこと浜田幸一衆院予算委員長(当時)の「ミヤザワケンジ君(宮本顕治君の誤り)は人殺し」発言の時の当事者だった、同党の先輩・正森成二元衆院議員も、「権力の暴力装置ともいうべき警察」(昭和48年の衆院法務委員会)と発言していたのです。

 しかし「暴力装置」と名指しされた自衛隊そのものの位置づけが、昭和40年代と今とでは格段に違います。その後の湾岸戦争、イラク戦争を経て、好むと好まざるとに関わらず日米同盟は一段と強化され、イラク戦争で自衛隊は遂に海外派遣も経験しているのです。
 最近「蔭の総理」などともてはやされ、本人もすっかりその気になっているせいか、自衛隊=暴力装置は、いくらなんでも不用意な発言だったと言わざるを得ません。
 前原を次期総理として想定している仙谷の謀略で、幹事長職を押しつけられ国会運営に苦慮している岡田克也は、「人間誰でも間違いはある。本来、実力組織というべきだったかもしれない」と言葉少なに語っています。

 しかしそんなことでは収まらないのが自民党です。「この発言は謝罪して済むようなものではない」という強硬意見が多数を占め、脇雅史参院国対委員長は「柳田法相と共に、仙谷官房長官、馬渕国交相の3人を問責決議案にかけるのは確定だ」と語っています。
 実際のところ仙谷官房長官の「間違い」は、岡田幹事長が「人間誰でも間違いはある」というレベルを超えています。中国人船長の釈放問題しかり。中国漁船衝突ビデオを非公開としたことしかり。そして今回のこの問題またしかり。何もかも間違いだらけ官房長官?

 菅直人が仙谷由人を切れないのなら、いっそのこと参院野党の「問責決議案」という手段によって辞任に追い込んでもらうのも一つの方法かもしれません。
 しかしその場合、上記で見てきましたように、「仙谷発言」で社民党や共産党がすんなり同調してくれるかどうかは疑問が残ります。

 それにしても当の仙谷によって一兵卒に追いやられた、小沢一郎はさすが政局をしっかり見ています。同日夜の1年生議員有志50名の「一新会倶楽部」に最高顧問として出席し、「このままでは民主党は死んでしまう。日本が危ないことになる。いつ“やぶれかぶれ解散”があってもおかしくないから、今からしっかり準備をしておくように」と話したというのです。
 「小沢抜き」民主党は、本当にご臨終間近です。

 (大場光太郎・記)

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菅政権支持率急落

 -菅政権は早くもその終わりが見えてきた。しかし次の受け皿はあるのか?-

憶測を呼ぶ「尖閣ビデオ」の全貌は?
   海上保安庁巡視船「みずき」に衝突する中国漁船

 9・14代表選直後の菅改造内閣発足時は、支持率が驚異的なV字回復を見せました。しかし先週末に行われたマスコミ各社の世論調査では、驚異的な急落ぶりを示しています。どの社の調査でも30%台を遂に割り込み、「危険水域」とされる20%台に突入しているのです。

 先週末といえば、横浜で開催されていたAPECがたけなわで、日米首脳会談、日中首脳会談、日露首脳会談が立て続けに行われ、普段は寝ぼけ眼気味の菅総理も、この時ばかりは少しはシャンとして、開催国の総理大臣を国内外にアピールする絶好の機会と各会談に臨んだはずでした。
 しかし菅政権が為替介入などの手を打とうと、円高株安に振れてぴくりとも動かない株式市場と同じで、国民の菅外交への見方は冷ややかなものだったのです。例えば朝日新聞調査では、「外交を評価しない」が77%とかなり深刻な数字となって表れています。

 これほど急激な支持率下落は、代表選時「雇用」「雇用」「雇用」を連呼したにも関わらず、完全失業者数336万人とバブル崩壊後最高、新卒者の来春就職内定率も過去最低の57.6%と、調査開始の96年以降最悪の数字というような国内問題ばかりではありません。
 やはり一番の要因は上記調査結果にも見られるとおり、「外交問題」での菅政権の対応のまずさにありそうです。改造当初はご祝儀相場もあって高い支持を与えた国民も、「このままこの政権に外交を任せているとヤバイ事になりそうだぞ」と思い始めたのでしょう。

 中でも最大の問題となったのが、9月7日に尖閣諸島沖で発生した中国漁船衝突事件への、その後の対応の不手際です。以前紹介したことがありますが、事件発生ほどなく石原慎太郎東京都知事は、「この問題をこじらせると大変なことになるよ」と管政権に警告的助言(?)をしていました。
 石原都知事は自民党時代、この尖閣問題にかなり深く関わっていましたから、同問題の難しさを肌で感じていたわけです。しかし「小沢なき後…。おっと今のは失言」と仙谷さんが口を滑らせたように、昨年末大訪中団を引き連れて北京に乗り込んだ小沢一郎を排除した今、民主党及び外務省には中国要人との太いパイプを持つ者が誰もいないのです。

 今の菅政権を支えているのは、尖閣問題の複雑さをよく知らない「対米隷属派」ばかりです。その筆頭格が前原誠司害(外)相です。そもそも今回日中両国間の政治のみならず、関係各方面に深刻な影響を与えるきっかけとなったのは、何度も言いますが前原国交相(当時)の「中国漁船船長らを逮捕せよ」との指令でした。
 前原は海保幹部から今問題の衝突映像を見せられて頭に血が上ったのか、『ここで騒ぎを大きくして中国の脅威を煽れば、国民・沖縄県民も「沖縄の米軍基地は必要」「辺野古沖移設やむなし」に傾くはずだ』と、単細胞前原らしからぬ、アメリカ様へのご奉仕のための高等戦術があってのことだったのか?

 いずれにせよその後の展開は、既にご存知のとおり、前原の思惑など遥かに超えた深刻なものとなっていきました。前原が「尖閣諸島に領土問題は存在しない」と当初言っていたとおりだとすれば、非は領海侵犯した上海保巡視船に衝突した中国漁船にあるわけです。逮捕は正当、拘留延長も当たり前、何も中国政府に気兼ねせず、逮捕・拘留の正当性を世界にアピールするため、絶大な証拠性を示す衝突ビデオを早い段階で全面公開すべきでした。その上で国内法に基づいてセン船長を起訴すべきだったのです。
 ところがその後何をびびったか、仙谷由人官房長官は船長を釈放し、それまで「船長を逮捕させたのはこのオレだ」と得意気に吹聴していた前原も、それ以降は「いや直接的指揮権を持つ海保長官ではないから、(逮捕指令など)出せるわけがない」などと逃げを打つ始末です。

 この者らについて私は、例の小沢土地問題時の不規則発言以来ずっと問題にしてきました。特に「お子ちゃま」「男芸者」前原のひどさは目に余ります。この者がテレビなどに向かって何か発言する時は、決まってマスコミや米国などの“虎の威”を借りている時なのです。それに発言にまるで一貫性がありません。つまり今回の例のように、言っていることがコロコロ変わるのです。
 こんな者が今外務大臣として、菅内閣における外交上の最高責任者のポストに就いているのです。既に見られるとおり、その外交姿勢は対米隷属一辺倒の単細胞思考。対中国、ロシアなど多国間関係では、国益を害することおびただしい「害相」です。

 この前原誠司が、最近の世論調査では「総理に最もふさわしい人物は?」の問いで一番に躍り出ているというのです。前原は最近とにかく、自分が目立ちたいだけのジコチュー的強気発言を連発しています。それが国民のナショナリズムを刺激して、このような数字となって現れているのです。しかしこのような手法は、小泉靖国参拝や安倍元総理の「美しい国」構想などと軌を一にした戦前回帰的危うさがあります。
 それに繰り返しますが、前原誠司の場合は精神未発達で、己の言動の後始末さえきちんとつけられず、そのつど後見人の仙谷が尻拭いしている締まらない男です。

 このまま行けば「アキカン」「スッカラカン」の菅直人政権は、早晩行き詰る運命です。そうなると、前原が「ポスト菅」の最右翼?真っ先にそう望んでいるのは米国戦争屋でしょうが、こんな危険で未熟な者にこの国の命運を託すわけにはいきません。
 かつて前原が代表だった野党時代、偽メール事件で自民党から解党寸前まで追い込まれた時は、最後の切り札として小沢一郎がいました。「小沢なき後」の今の民主党には、真の総理大臣にふさわしい人物は、前原を例に取っても分かるとおりもう誰もいません。

 菅政権支持率急落に伴って、自民党が相対的に政党支持率で民主党と並び、別の調査ではわずかに追い越しています。自民党は、一連の尖閣問題処理の敵失で最近すっかり勢いを盛り返しています。
 衆院では否決されましたが、仙谷官房長官、馬渕国交相の問責決議案を提出しました。次は自民党と同じレベルの問題発言をした「柳田法相の問責を」と息巻いてます。

 「ねじれ国会」の状況下、もし野党多数の参院でも仙谷以下の問責決議案を連発され、これに公明党が同調でもすれば同決議案が通ってしまう事態にもなりかねません。
 その時点で菅政権は立ち往生、ジ・エンドでしょう。次を前原が引き継ぐくらいなら、いっそのこと自民党への「政権交代の交代」?。つまり自民党プラス公明党のゾンビ政権復活?これも「くわばら、くわばら」、願い下げです。

 仕方ないから菅直人には、今少し政権を運営してもらう。その代わり、「小沢なき後」を画策し、今日の政治的大混乱を招いた元凶である仙谷由人を即刻罷免。もちろん前原も閣外に追放。小沢一郎に政権か党の最要職に復帰してもらう。法務大臣もしかるべき識見、実力のある人物に替える。そうして検察審査会の「小沢起訴相当」再議決の不当性を徹底調査し、再度議決をやり直させる。そうすれば小沢一郎の無罪と、仙谷官邸、検察、検察審査会等が裏で通じていた謀略審査が明らかになる。
 そこで改めて前回の不正代表選を無効とし、これをやり直して晴れて無罪が証明された小沢一郎が勝利し、小沢新首相誕生となる。

 こうして「米官業政電」悪徳ペンタゴンに邪魔されっ放しだった、真の意味での「政権交代」が改めてそこからリ・スタートする。
 真の「日本再生の道」はこのシナリオしかないと思うのですが、いかがでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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昭和の偉大な作詞家逝く

 -星野哲郎氏は高度経済成長以降の日本人を励ます“援歌”を世に送り続けた-

 思わず「偉大な昭和人がまた一人いなくなったか」と言いたくなるような訃報に接しました。15日星野哲郎氏が逝去したのです。享年85歳。天寿まっとう、大往生なのかもしれません。
 しかし今後はもう二度と「星野哲郎作詞」という新しい歌が聴けなくなるのかと思うと、私など子供の頃から星野氏の作った歌が耳になじんできた世代からすると、何とも寂しさを感じます。

 私がそう思うのも無理はありません。都はるみの『アンコ椿は恋の花』、水前寺清子の『三百六十五歩のマーチ』、北島三郎の『函館の女(ひと)』など星野哲郎作品は、私が中学生から高校生にかけての大ヒット曲だったのですから。
 当時の世の中は、池田勇人内閣の「所得倍増」のスローガンのもと、我が国が農業国から脱して高度経済成長を本格的に始動させようかという時期でした。そんな中聴く者を元気にさせるこのような歌が、テレビからラジオから毎日のように流れていました。

 そんな中でも今回思い出として取り上げたいのは、北島三郎にとっても大出世作となった『函館の女』です。
 この歌がガンガンヒットしていた昭和41年6月。2年生の時、高校の修学旅行がありました。当時山形県内の高校の修学旅行先は、京都、奈良など関西方面が定番でした。ところが我が長井高校だけは、真反対の北海道だったのです。
 これは「社会人になれば関西方面にはいつでも行ける。しかし北海道にはなかなか行けないだろう」という、学校の以前からの方針によるものでした。

 北海道への修学旅行は季節の頃合もいい、初夏の頃。何せ5泊6日くらいと期間もたっぷりあったのです。札幌、室蘭、洞爺湖、登別…。もちろん函館にも行きました。
 榎本武揚や土方歳三らが立て籠もって官軍と戦う拠点とした五稜郭、トラピスチヌ修道院(そこで作っている口でとろけるようなバター飴)、そして北海道時代の石川啄木が一時期過ごし、
  函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢ぐるまの花
と歌集『一握の砂』で詠んだ青柳町。

 夜は確か、その青柳町にあるホテルに泊まりました。大広間での全学年合同の食事の後、各クラス代表が前に出て、アトラクションを披露し合うことになりました。その時就職コースⅠ組の我がクラスから登場したのが、蒲生君。
 蒲生君は、上杉家の前に長井荘・置賜地方の領主だった、蒲生氏郷(がもう・うじさと)を遠祖に持つのかどうなのか。長井市内に住んでいて、私のように“おとなしい系”が多い(苦笑)我が校には珍しく、苦みばしった風貌で、当時流行りの角刈りをビシッと決めた今で言う“ツッパリ系”。

 普段そのくらいですから、蒲生君、そういう舞台でも度胸満点です。その時の蒲生君は歌を歌いました。それが当時大ヒットしていたサブちゃんの『函館の女』だったのです。
  は~るばる来たぜ~函館へ~
  さか巻く~波を、のりこえて~
  後は追うなと、云いながら~
  うしろ姿で、泣いてた君を~
  おもいだすたび、逢いたくて~
  と~ても我慢が~できなか~った、よ~

 それもサブちゃん並みの玄人裸足のハリのあるいい声。そしてサブちゃんをさらにオーバーにした、身振り手振りの大アクション。これには会場が一気に盛り上がり、終わってからも拍手大喝采が鳴り止みませんでした。
 『オレにはとてもあんな真似できねえよ』。気の弱い私は毒気に当たられたように、彼のパフォーマンスをポカンとして見ていました。蒲生君がトップバッターで、後に他のクラスが続いたと思いますが、彼の強烈なパフォーマンスの前に皆霞んでしまったか、他の人たちのはまったく記憶にありません。

 余談が長くなりました。
 星野哲郎氏作詞は4000曲以上に上るそうです。演歌からポップスまで幅広く手掛けました。その原点は「懸賞」だったそうです。
 星野氏は、高等商船学校(現東京海洋大学)を卒業し船乗りになったものの、腎臓結核を患い,闘病生活を送る羽目になります。この頃生活のため文芸誌や雑誌『平凡』など、ありとあらゆる懸賞に応募して食いつないでいたのだそうです。

 渥美清の『男はつらいよ』、北島三郎の『兄弟仁義』、小林幸子の『雪椿』など、4000曲もの作詞を残せたのには、この時の経験が大いに役立ったわけです。
 お金がない貧乏の辛さ、苦しさを骨身にしみて知っている星野氏は、作詞を依頼されるとまず断ることがなかったそうです。「書いてくれというなら誰のためでも書く」。これが星野氏の基本スタンスだったのです。また人の悪口、歌手の悪口を言わないことも信条としていたといいます。
 
 星野哲郎氏の、若い頃のどん底生活で培われた苦労人としての人生経験が、歌詞に反映されているからなのか。北島三郎の『兄弟船』、鳥羽一郎の『風雪流れ旅』、美空ひばりの『みだれ髪』などの名コンビである作曲家の船村徹は、「星野哲郎が書いた詞はすぐにメロディーが浮かんでくる」と語っていたそうです。
 その船村徹はこのたびの訃報に接し、「昭和の歌謡界を作った人。後にも先にも、ああいう詩人が出てきてくれるのか…?最近の若い人の日本語が変になっている。星野哲郎のためにも、基本の日本語を使ってくれる人が後に続いてもらいたい」と、涙ながらに語っています。

 しっかりした人生哲学に裏づけられた星野哲郎は、ヒット作を次々と出し続けた息の長い作詞家でした。何年か前亡くなった阿久悠と共に、高度経済成長期以降の時代の雰囲気を的確に捉え、それを歌詞に反映できた歌詞作りの名人でした。そうして作った数々の歌は、一般大衆の心の支え、言ってみれば演歌というより「援歌(人生応援歌)」として、人々の心を励まし鼓舞してきたのです。
 「偉大な作詞家」不在の当今、本当に惜しい人がまた一人いなくなってしまったなという感を深くします。
 星野哲郎氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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植草一秀著『日本の独立』について

 今や植草一秀氏(政治経済学者)は、ネットにおけるオピニオンリーダー的存在です。今の大手メディアによる情報は、歪曲、偏向、隠蔽、捏造によって汚染され毒されています。このような深刻な情報汚染の時代の、「ネットにおける」オピニオンリーダーはすなわち「真実の言論の世界」のオピニオンリーダーであることを意味します。

 植草一秀氏の政治、経済など、その時々にネットユーザーが最も知る必要のある出来事を捉えて、大マスコミが決して伝えようとしない、いな伝えられない「知られざる真実」の核心を衝いた論考を、たゆむことなく展開されている姿勢には本当に頭が下がります。

 植草氏のように真実を見通せる眼力を持った人たちの、ネットを通じての不断の発信があればこそ、現日本は見るも無残な百鬼夜行の「暗黒国家」への転落から、辛うじて踏みとどまっていられると思うのです。

 植草氏はこの度、『日本の独立』という著書を発刊されました。以下はご自身のブログ(植草一秀の『知られざる真実』)での紹介文ですが、そのまま転載させていただきたいと思います。今この国が抱える根本的な病根である「対米隷属病」をより深く知り、かつそこから脱却し、「真の独立国」として世界から尊敬される日本になるにはどうすべきか。それを考えるために、是非手に取って熟読してみたい本です。  (大場光太郎・記)
                       *

対米隷属を離れねば実現しない『日本の独立』

すでに一部の皆様にご紹介を賜っておりますが、このほど飛鳥新社より、
 
『日本の独立』
-主権者国民と「米・官・業・政・電」利権複合体の死闘-
 

のタイトルで単行本を上梓することになりました。

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 日本政治構造の刷新=平成維新の実現に向けての私論を一冊の本にまとめさせていただきました。『月刊日本』に12回連載いたしました
「小泉竹中改革の破綻と政治の新潮流」
や、本ブログ掲載記事などを下地にした部分もありますが、基本的には全編を新たに書き下ろした著作です。
 

日本の独立 Book 日本の独立

著者:植草一秀
販売元:飛鳥新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 分量が多く、当初、上下2分冊での出版を予定いたしましたが、一人でも多くの皆様にご高読賜りたく、文章を512ページに収録できるように圧縮し、版元である飛鳥新社に無理を申し上げて、四六版上製512ページを消費税込み1800円で販売していただけることになりました。なにとぞ書店ならびにネットショップにご予約を賜りますようお願い申し上げます。
 
 高橋清隆様
「植草一秀氏が日本独立のための新著刊行を予定」
 
Tokyonotes東京義塾」様
A New Book for Independence
 
「ライジング・サン(甦る日本)」様
「植草一秀氏の新著「日本の独立」を”買うススメ”」
 
をはじめ、すでに多くの皆様に紹介を賜りまして、心よりお礼申し上げます。

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 以下に編別構成を紹介させていただきます。 

 『日本の独立』
 
-主権者国民と「米官業政電」利権複合体の死闘-

まえがき
 
第Ⅰ部 6.2クーデターの真実
 
 第1章 信なくば立たず 
 第2章 対米隷属派による政権乗っ取り
 第3章 日本の支配者は誰か
 第4章 小泉竹中政治への回帰
 
 
第Ⅱ部 小泉竹中政治の大罪
 
 第5章 日本経済の破壊
 第6章 官僚利権の温存
 第7章 政治権力と大資本の癒着
 第8章 対米隷属政治
 第9章 権力の濫用と官邸独裁
 第10章 平成の黒い霧(1)新生銀行上場認可
 第11章 平成の黒い霧(2)りそな銀行の乗っ取り
 第12章 平成の黒い霧(3)郵政民営化・郵政私物化
 第13章 平成の黒い霧(4)「かんぽの宿」不正払い下げ未遂事件
 第14章 平成の黒い霧(5)日本振興銀行設立の闇
 
 
第Ⅲ部 この国のかたち
 
 第15章 大久保利通と官僚主権構造
 第16章 米国による日本支配構造の系譜
 第17章 対米隷属の父吉田茂
 第18章 CIAの対日工作
 第19章 カネによる政治の支配
 
 
第Ⅳ部 菅直人政権の「逆コース」
 
 第20章 政権交代に託された五つの課題
 第21章 財政再建原理主義・市場原理主義の毒
 第22章 「最小不幸社会」政策下の不幸放置
 第23章 「抑止力」という名のプロパガンダ。
 第24章 官僚意識を変革する秘策
 
 
第Ⅴ部 主権者国民と悪徳ペンタゴンの死闘
 
 第25章 小沢一郎氏の「政治とカネ」問題研究
 第26章 前近代の警察・検察・裁判所制度
 第27章 菅直人と小沢一郎の全面戦争
 第28章 政界再編と日本のルネサンス
 
 
 あとがき
 
 
 主題は以下の通りです。
 
「米官業が支配する日本政治の基本構造。政権交代の目的はこの基本構造の刷新にあった。対米隷属からの脱却こそ日本政治構造刷新の最大の課題である。しかし、鳩山政権は普天間問題で挫折して9ヵ月で終焉し、菅直人政権が発足した。しかし、6.2クーデター後に生まれた菅直人政権は小泉竹中政治への「逆コース」に突き進む。
 
 対米隷属・売国政治の集大成であった小泉竹中政治の闇を白日の下に晒し、真の日本独立の道を探求する。
 
 米官業と対峙する主権者国民の幸福を目指す政治をどのように構築するか。米官業支配の政治構造をどう打破するか。日本の自主独立実現に向けて、民衆のレジスタンスを成功に導く勝利の方程式を考察する。
 
 国のゆくえを決めるのは主権者国民である。日本が真の独立を実現するための方策と主権者国民の役割を明らかにする。」
 
 
「主権者国民の主権者国民による主権者国民のための政治」を実現するための方策を考察いたしました。是非ご一読賜り、市民の連帯を拡散して参りたく思います。

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日本の独立   日本の独立

著者:植草一秀
販売元:飛鳥新社
Amazon.co.jpで詳細を確認する

 
  (以上転載終わり)

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長井市長選など

 -我が懐かしの母校の街・長井市の市長選から高校時代の思い出など-

 尖閣ビデオ流出事件、APEC開催など、重要な出来事が目白押しです。そんな中、これをお読みのほとんどの方には何の関係もない、ローカルなニュースで申し訳ありません。私の出身高校のある山形県長井市の市長選挙が14日(日)告示だというのです。
 今回はこのローカルニュースから連想されたことなどを、綴っていきたいと思います。

 長井市長選に立候補を表明しているのは、任期満了再選を目指す現職の内谷重治氏(54)=無所属=だけ。そのため無投票の公算が大きいのだそうです。
 こと選挙ともなれば、衆参両議院の国政選挙から県知事・県会議員選挙、全国各市町村長・議員選挙に至るまで、通常は複数候補が立候補し、選挙期間中はどの陣営も目の色変えて激しい選挙戦が繰り広げられるものです。

 ところが今回の長井市長選は無投票再選の公算大らしい。内谷氏は「人口3万人台復帰」「それに向けた子育て環境の充実」「中心市街地の活性化」などを掲げての立候補のようです。それに加えて4年間の実績がモノを言って、他の者は「とても適わない」と早々とあきらめたものなのでしょうか。
 内谷氏としてはこれ以上楽なことはないわけです。が、今後の長井市政活性化のために、共産党でもどこでも“負け戦”と分かっていても、対立候補として名乗り出るべきだったのではないでしょうか。

 長井市は山形県でも南に位置する市です。これまで当ブログで何度か触れてきましたとおり、戦国時代の頃は、私が18歳までを過ごした東置賜郡宮内町(現南陽市)や米沢市も含めて、広く「長井荘」と呼ばれていました。
 1600年の関が原の合戦で豊臣方に味方した上杉家が、会津から置賜の地に移封を命じられ米沢を拠点とした頃から、徐々に米沢、長井、東置賜、西置賜などの区分けがなされていったもののようです。(そういえば昨年末の『米沢上杉藩物語』まだ未完でした。)
 現在の長井市は人口29,333人(2010年8月1日)で、市のキャッチコピーは「水と緑と花の長井」。以前もご紹介しましたが、分けても市内の「アヤメ公園」に何万株と咲き誇るアヤメの姿は見事なものです。

 長井市は私の出身母校があり、人生で最も多感な3年間を過ごした街です。たまに漏れ伝わってくるかの地の情報には、多少なりとも敏感になります。
 数年前深夜にNHK教育テレビを観たところ、たまたま長井市のエコロジーへの取組みが紹介されていました。番組の途中からだったこともあり、詳しい内容はあまりよく覚えていません。しかし「エコロジー流行り」の当今、全国の各自治体は何らかのエコロジー対策を求められているはずです。その中で、長井市の取組みがテレビで取り上げられたのですから、よほど注目に値する成果を挙げたものだったのでしょう。

 また同じく数年前NHK総合の『小さな旅』で、おらが宮内町を通り長井市の先の白鷹町まで続く、ローカル線「フラワー長井線」が取り上げられていました。もっとも私が汽車通学していた昭和40年代前半は、赤字地方線のウラ寂れたただの「長井線」でした。
 その中に、長井市街の東外れ「早苗が原」の我が母校に行くため3年間乗り降りした、南長井駅という無人駅も紹介されていました。私のずっとずっと後の後輩たちは、放課後ボランティアで同駅の掃除などを続けているというのです。
 私らの頃は何もせず、当然のごとくに乗り降りしていただけでした。掃除に励む後輩たちの姿に熱いものがこみ上げ、先輩としてちょっぴり誇らしい気持ちになりました。

 ところで内谷重治氏は、長井高校、立教大学経済学部卒業で、長井市職員、会社員を経て、99年長井市議選に初当選。2期目途中の06年11月市長選に立候補し、新人4人の激戦を制し初当選したという経歴の持ち主だそうです。
 分けても「長井高校」出身、つまり同氏のことは存知上げませんが、私の7年ほど後輩にあたるわけです。

 同氏とはまったく関係ありませんが、私にとって「内谷」は心をざわつかせる名前でもあるのです。私が同校の2,3年時の密かな「憧れのマドンナ」だったSさんの結婚後の名前が内谷だからです。(高校在学中、その苗字の同窓生はおらず、同地では希少な苗字と思われることから、案外市長とは親戚筋にあたるのか?)
 と、ここまで綴りながら、これはプライバシーに関わること、これ以上述べていいものかどうか迷いました。しかし当ブログ開設以来2年半以上、母校関係として『万物備乎我(1)~(5)』『鷹桜同窓会報(1)、(2)』『天に北斗の光りあり 地上に花の香ある』などを公開してきました。それらの記事には今でも時折りアクセスがあります。しかしどうやら私の同学年ましてや同級生からのアクセスは皆無のようです。

 それにSさんの悪口でもないのだし良いのではないでしょうか?Sさんもし万一、今後この記事をお読みの節は、どうぞご寛恕のほどよろしくお願い致します。それのみか、何か一言コメントくださればありがたく思います。

 昭和41年4月、新2年生になってクラス替えがありました。その時私のすぐ前の席に座ることになったのがSさんでした。新学期当日だったか、何かの連絡用の紙が後ろから配られました。それを受け取って前の女生徒に渡そうと声をかけました。どんな人かあまり関心がなかった私に、その人はやおら振り向くなりにこっと笑顔を見せて受け取ったのです。
 いやあ、その笑顔にはしびれました。だって、それまでもその後の長い人生でも、女性のあのように輝く美しい笑顔を見たことがありませんもの。振り向いたSさんの周りは、(今で言う)まぶしいオーラで輝いているようでした。

 同学年の2学期のある日の午後、学内の弁論大会が行われました。私たちの学年代表として、何とSさんが登壇したのです。私はドキドキして彼女の弁論を聞いていました。心は上の空、宙をさ迷っていたものか、内容はほとんど覚えていません。
 しかし彼女の弁論は熱弁調ではなく、それとは反対に終始落ち着いて聴衆に穏やかに語りかけるような口調でした。その中でただ一つ覚えているのは、「イエスは次のようなことを言いました」として、山上の垂訓だったかの有名な言葉を引用していたことです。

 後で知ったことには、Sさんは長井市郊外のキリスト教信仰者の家庭の子女だったらしいのです。そうでしょうね。でないと生命そのままが現われたような、あんな美しい笑顔はまず出せませんから。彼女自身早くからイエス様に感化されていたのでしょう。
 それにSさんは、小学校1年時から高校2年時まで、ただの一度も学校を休んだことがないというのです。普段は物静かで内省的な美少女という趣きでした。そんなSさんの、意外な芯の強さを知らされたのでした。

 『故郷を離るる歌』に綴ったような次第で、私は昭和43年3月同校を卒業して首都圏の当地にやってきました。その1、2年後帰省した折り、クラスで親友だったM君とH君に会いました。
 その折り、山形県庁に勤めだしたM君の口から意外なことを知らされました。「Sさん結婚したよ」。もちろんクラスの誰よりも早い結婚です。M君はSさんとは小、中学校も同じ学校、在学中の私の想いも知っていたので、一応知らせなければと思ったのでしょう。
 当時は何度も綴ってきましたように、当地での仕事や生活などになじめず四苦八苦している最中でした。『あっそう。こっちはそれどころじゃないんだよ』とでも思ったのか、私はその報告を別にショックを受けるでもなく、ぼんやり聞いただけでした。

 しかし実は、心の奥ではかなりこたえていたらしいのです。それを機に、私は滅多に帰省しなくなりました。M君やH君ともその後連絡が間遠になり、いつしか途絶してしまいました。たまのクラス会の呼びかけにも、出席することはありませんでした。
 ずっと後年高校の同窓会名簿が送付されてきました。『級友たちはどうしてる?』。ОB2万人という分厚い名簿の、昭和43年卒のかつての我がクラスの個所をめくり、男子に続いて女子生徒の欄をたどるに、Sさんは「内谷」と名前が変わって、長井市内に住んでいることを知りました。

 そしてまた彼女は、何と我が宮内町の某幼稚園に勤めていることも分かりました。同町に住んでいる頃は、よくその前の道を通ったものでした。『信仰者で頑張り屋さんの彼女ならきっと、園児たちにマリア様のような慈愛で接していることだろう』
 数年前亡母の回忌の折り、車でそこの道を通りました。よほど車を停めて、園内に入ってSさんとお会いしようかなと思いました。しかし思いとどまり素通りしました。

 Sさん(内谷さん)、懐かしい級友の皆さん。どうぞご多幸でありますように。遠い空よりお祈りしています。

 (大場光太郎・記)

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「岩手少女殺害事件」-黒木昭雄氏の訴え

 今月2日死亡が確認された、ジャーナリスト(元警視庁警察官)の黒田昭雄氏については、5日付『黒田昭雄氏死す』13日付『黒田昭雄氏「消された可能性」も?』で述べさせていただきました。同氏がライフワークとして死の間際まで取り組んでいたのが、「岩手17歳女性殺害事件」です。黒木氏記事を書きましたが、私自身この事件がどういうものか浅くしか知りませんでした。
 今回同氏のブログ『たった一人の捜査本部』を訪ね、その中の同事件関連記事をあたってみました。なるほどこの事件は闇が深く、黒木氏が真相究明に心血を注いでいた意味が何となく分かりました。
 警察組織の不正追及という、社会正義の一つの実現に精魂を傾け、志半ばで逝った黒木昭雄氏の遺志をムダにしないためにも、同事件の核心を知っていただければと、黒木氏の文を以下に転載することにしました。  (大場光太郎・記)

---岩手17歳女性殺害事件---

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ジャーナリストの黒木昭雄です

みなさんはコールドケース(未解決事件)
岩手17歳女性殺害事件
をご存知ですか? 2008年7月1日、岩手県川井村田代を流れる松草沢で、当時17歳の女性の絞殺体が発見され、その翌日、知人の男が、三陸海岸の「鵜の巣断崖」に遺留品を残し、飛び降り自殺を偽装して逃げたとされる事件です。

その後、岩手県警は、この男を死体遺棄容疑で指名手配し、警察庁も100万円(注 11月1日300万円に増額)の公的懸賞金を懸けて行方を追っています。しかし、1年4ヵ月が過ぎた今も、その足取りはつかめていません。

初めに、なぜ私が、黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」なるブログを立ち上げたのかについて説明します。
正直に言って、私はこの事件に関心をもっていませんでした。
報道内容だけで、誰が犯人なのかが理解できていたからです。
ところが、事件発覚から2ヵ月が経った2008年9月1日、キャスターのみのもんたさんが司会を務めるテレビ番組
もうにげきれないぞ、「テレビ公開大捜査SP/あの未解決事件を追え」(TBS系)(10.1放送)
http://tvtopic.goo.ne.jp/program/77/13401/201157/0/0/0/index.html
から現地取材の依頼を受け、主たる関係者から話しを聞く3泊4日の現地ロケを終えたのですが、この現地取材を機に、「何かがおかしい」という疑問が頭をもたげ、それはすぐに警察に向けられる疑惑となって膨らんだのです。

たとえば、
右手に重傷を負った男が、どうやって被害者の首を絞めたのか

片手だけ40キロはあろう遺体を5メートルも先に投げ捨てることができるのか

被害者を誘い出した男は、なぜ遺体を隠さなかったのか

そもそも、男に被害女性を殺害する動機はあったのか

犯人だと疑られるように、実家に戻るコース上に遺体を捨てるだろうか

警察は、なぜ容疑者とされる男が提出した被害届を握りつぶしたのか

こうした疑問が、終わりなき取材の入り口でした。

私が暮らす千葉県から岩手県田野畑村までの距離は約700キロ。
月に1~2回、多いときは3回も足を運びました。
「そこまでやるヤツはバカだ」
そう言われたこともあります。しかし、そうした経過を経てやっとの思いで疑惑の核心部分にたどりついたのです。

岩手県警こそが事件関係者である
警察の捜査結果に絶対異議あり!
この、あまりにもひどすぎる現実を知らせるために記者会見を開き、雑誌にも寄稿しました。しかし、テレビ・新聞メディアが岩手県警の疑惑を報じることはなかったのです。

ご理解いただけたでしょうか。
黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」は、そうした経緯を経て立ち上げた「岩手17歳女性殺害事件」解決のための、リアルタイムリポートなのです。

にわかに信じられないとは思いますが、ともかく、取材メモ01※1)から取材メモ10をご覧下さい。そして、苦しそうに答える県警捜査一課次席中屋敷警部と私とのやりとり※2)を動画でご覧頂ければ、岩手県警こそが事件関係者であるとする結論の意味がおおよそご理解いただけるはずです。

あわせて、私がこの事件にのめり込む切っ掛けとなった、 <テレビ公開大捜査SP/あの未解決事件を追え>のキャプチャ(1)※3)、 キャプチャ(2)※4)、そして、「私がこの事件を追及するわけ」※5)をご覧頂けば、一通りの流れがわかると思います。

最後に
警察権力で封印された「岩手17歳女性殺害事件」の真相を暴く為に、どうしてもみなさんのお力が必要なのです。みなさん、この記事をご自分のブログに転載するなどして、この事件のおかしさを社会に広めて頂けないでしょうか。警察を正し、殺された被害者と遺族に真実を伝える為、これ以上冤罪被害を出さない為です。どうかみなさん、ご協力のほど、よろしくお願いします。

ステージ2 現地踏査・疑惑の浮上
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/1357509.html 

(※2)県警捜査一課次席中屋敷警部と私とのやりとり 動画あり
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/3443497.html

(※3)<テレビ公開大捜査SP/あの未解決事件を追え>キャプチャ(1)
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/9618220.html

(※5)「私がこの事件を追及するわけ」
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/6455076.html

週刊朝日:2009年7月3日号(第1弾)
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/3939440.html
【三陸ミステリー「疑惑の指名手配」・同姓同名の悲劇「彼女は私の身代わりで殺された」

週刊朝日:2009年7月10日号(第2弾)
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/3938377.html
【少女殺人事件の陰に隠された真相・「あの恐喝事件をなぜ、県警は握りつぶすのか」

週刊朝日:2009年7月24日号(第3弾)
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/3932901.html
【殺人事件のキーマンを直撃・被害届取り下げのナゾと「真犯人」

毎日新聞2009年5月14日(朝刊)
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/1604582.html
【真相解明求め情報提供書】

日刊ゲンダイ2009年5月14日号
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/1886734.html
【未解決事件に挑む/断崖からこつ然と姿を消した指名手配犯は真犯人なのか】

日刊ゲンダイ2009年5月15日号
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/1886826.html
【未解決事件に挑む/前代未聞・関係者が一堂に会し適正な捜査を訴えた】

毎日新聞2009年6月20日(朝刊)
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/2607154.html
「指名手配納得できぬ」家族ら人権救済申し立て

東京新聞「こちら特報部」2009年6月20日(朝刊)
http://blogs.yahoo.co.jp/kuroki_aki/2628205.html
【岩手・女性殺害から1年、指名手配に渦巻く謎】     (以上転載終わり)

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黒木昭雄氏「消された可能性」も?

 - 黒木氏は自殺ではなく、警察関係者によって謀殺された?-

 元警視庁の警察官で、ジャーナリストの黒木昭雄氏(53)が遺体で見つかったことは、当ブログでも5日『黒木昭雄氏死す』として取り上げました。その際千葉県警は現場の状況などから自殺と断定し、遺体は4日荼毘に付されました。
 状況はよく分からないながら、私も最後となった1日付の黒田氏自身のツィッターの内容などから『自殺かな』と思っていました。
 しかし黒木氏の死をめぐっては、「岩手の『17歳少女殺人事件』を追う中で、何者かに消された可能性もある」との声も根強いようなのです。今回は続報として、そのことを述べてみようと思います。

 黒木昭雄氏は2日午前11時10分頃、千葉県市原市内にある寺に停めてあったワゴン車助手席で、ぐったりしているのを長男に発見され、救急隊員が死亡を確認したものです。車内後部には、燃えた練炭が置かれていました。市原署は早い段階で自殺と判断、司法解剖は行われず、遺体は同日遺族に引き渡されたのです。
 関係者によりますと、黒木氏は1日に「打ち合わせに行く」と言い残して出かけたのだそうです。2日朝、黒木氏は家族に「墓参りに行く」とメールを送信しています。遠隔地に住む長男がたまたま仕事が休みで、寺に様子を見に行ったところ車を発見したのです。

 警察組織の「裏金問題」を現役警察官として告発した、元愛媛県警巡査部長・仙波敏郎氏は、「(黒木氏は)岩手の事件ではかなり真相に迫っていた。7月に話した際、“ホンボシ(真犯人)”にたどり着いたと聞いた。『一人で大丈夫か?』と聞いたが、私も阿久根におるので手伝うことができなかった。私の感覚だと完全に殺されたと思う。警察は解剖すべきだった」と悔やんでいるそうです。
 なお仙波氏は、ニュースで既にご存知でしょうが、現在竹原信一市長の「市長解任リコール」で大騒動となっている、鹿児島県阿久根市の副市長を務めています。

 岩手の事件とは、岩手県川井村で当時17歳の少女が絞殺死体で発見され、知人の小原勝幸容疑者(30)が、三陸海岸の断崖に遺留品を残し、飛び降り自殺を偽装し、逃走したとされるものです。(同事件の概要は、末尾の引用文参照のこと。)
 黒田氏はこれまでの取材で、小原容疑者を脅迫していた別の人物を突き止めていたといいます。指名手配犯はその人物によって既に消されており、真犯人の“身代わり”となった可能性を複数の証言や証拠をもとに指摘していたのだそうです。

 黒木氏と親交のあった交通ジャーナリストの今井亮一氏は、「(岩手の)事件にのめり込んでいた。あそこまでやるジャーナリストはいないでしょう。今月1日は、事件の報奨金が100万円から300万円に上がった。のめり込んでいたからこそ、矢折れ刀尽きたのか…。経済的に困っている様子もなく、『今度飲みに行きましょうね』という話もしていた」と語っています。

 一方、元警視庁刑事の北芝健氏は、「練炭自殺と見せかけることは簡単。血液を分析して睡眠薬成分などを調べるべきだった。ただ、黒木氏は生活に困窮していたとも聞いている。私も援助を考えていた矢先の出来事だった」とコメントし、「近い関係にあった反権力陣営や仲の良かったメディア関係者が彼の困窮を知りながら、なぜ救えなかったのか?今はただただご冥福をお祈りするのみです」と話しています。

 以上のように、千葉県警市原署員が“検視”だけで自殺と断定し、司法解剖がなされないまま荼毘に付されてしまったことから、「自殺」「他殺」どちらとも判定しがたい状況です。
 ただ前回記事でも触れましたように、黒木氏は自身のブログ『たった一人の捜査本部』の「岩手県警、警察庁、中井前国家公安委員長」に関する記事が、何者かによってごっそり削除されています。私は前回、削除は「警察上層部の“魔の手”か?」と述べました。いずれにせよ、黒木氏に同事件への真相・核心に迫られれば困る関係者が存在したことは確実のようです。

 裏を返せばその人間なり組織なりは、黒木氏が「消えてくれること」を強く願っていてもおかしくはなかったわけです。そのことに千葉県警が一枚かんでいるとは思いたくありませんが、なぜ司法解剖しなかったのでしょうか?
 もしきちんとそれをしていれば、その時点でしっかりした所見が出せていたはずです。必要な処置を怠ったばかりに、今もって警察関係者による「謀殺説」がくすぶり、千葉県警もあらぬ疑いの目で見られるのではないでしょうか?

 それにしても、黒木氏が突き止めていたホンボシ(真犯人)とはどこの誰だったのでしょう?黒木氏が声を大にして訴えていたように、岩手県警の誰かが真犯人?
 もし黒木氏が本当に覚悟の自殺をしたのなら、自身が“ライフワーク”と言っていた同事件の真犯人を明らかにしたはずです。現在のところ、犯人の名前を示すようなものを残していたという報道はありません。そのことからも、他殺説、謀殺説が真実味をおびてくるように思われるのです。

 (注記)本記事は、『MSN産経ニュース』(2010.11.8 14:52)を参考、引用してまとめました。
 (参照)『新発想ビジネスヒントフォーラムWEB2.0』より
三陸ミステリー  岩手少女殺害事件の真相

2008年7月、三陸海岸の断崖絶壁からこつ然と姿を消した容疑者… 
警察は「偽装自殺」だと断定し、懸賞金100万円をかけて指名手配。
まるでサスペンスドラマのような展開を見せた岩手少女殺害事件だが、
今も逃亡を続けているとされる小原勝幸容疑者は本当に殺害遺棄の実行犯なのか?
去年6月、小原容疑者の父親が日弁連に人権救済申立書を提出し、
息子を犯人と断定した指名手配の停止を求めた。
「指名手配犯の親がこんな所に出てくるなんて前代未聞だが、
 勝幸は殺されて埋められている可能性がある。
 真犯人が野放しになっているかもしれない。もう一回、捜査して欲しい」
その約1ヶ月前には、容疑者家族と被害者家族らが、
共に独自調査した情報提供書を警察や公安委員会に提出してこう訴えた。
「適正な捜査を行い、真相を解明して欲しい」
その記者会見の場に、被害者<佐藤梢さん>と高校の同級生で、同姓同名の少女がいた。
<もう一人の佐藤梢さん>が語った驚くべき新事実… 
「梢ちゃんは私と同姓同名だったばかりに身代わりで殺された。
 そのことは警察も知っているのに何か隠している!」
小原容疑者の足取りを徹底追跡した取材班は、様々な証言や証拠から、
死亡推定時刻の容疑者のアリバイを独自に立証。
さらに、容疑者と<二人の梢さん>という3人の男女をめぐる数奇な因縁も判明、
報道されない“もうひとつの真相”にたどりつく。

 
(大場光太郎・記)

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「sengoku38」問題-責任を取るべきは誰?

 -「政治職に責任なし。執行職が責任を取れ」?辞任すべきは仙谷、前原だ !-

 尖閣衝突ビデオ流出問題に関して、「私がやりました」と名乗り出た「sengoku38」こと海上保安庁神戸保安部の43歳の海上保安官。警視庁の取調べを受けて2日目になりますが、またも逮捕持ち越しとなりました。
 
 今回ユーチューブにビデオ映像を流出させた海上保安官の取調べは、「国家公務員法違反」容疑によるものです。国家公務員法のどの部分に抵触するかと言えば、同保安官の行為は、同法で定められている国家公務員の「守秘義務」に違反するというものです。
 ちなみに同法の該当条文には、
国家公務員法 第100条
 第1項 職員は、職務上知ることのできた秘密を漏らしてはいけない
と定められているのです。同条違反者には、「最高1年の懲役または最高3万円の罰金に処せられる」と規定されています。

 これに対して、「おごれる者久しからず」の“今清盛”仙谷由人官房長官は、「sengoku38(仙谷さんパー)」にえらくご立腹で、「これではあまりにも刑が軽すぎる。今後罰則を強化する必要がある」と、かつて暴力団の弁護をしたこともある「悪徳弁護士」の“オレ様”が同法を改正してやるわい、と息巻いています。

 それはさておき。法律の専門家の間でも、「今回の流出事件を同法違反として裁くのは無理があるのでは?」という声が挙っています。それは同条の中の「職務上知りえた“秘密”」をめぐる解釈に難しい面があるためです。
 もし裁判官が「この事件は誰がどう見ても“秘密”を外部に漏らしたと判断し得る」と確信をもって裁定を下せるのであれば、文句なしに守秘義務違反罪に問うことができます。しかし今回流出させた衝突ビデオが、本当に「秘密」に該当するのかどうかが最大の問題となるのです。

 国家公務員の「職務上知りえた秘密」に関して、1977年最高裁は、
 1 一般人が知らない(国家機密などに属する)もの
 2 保護に値するもの
がそれに該当するとの判例が出されています。法律で定めていない細部については最高裁判例がその後の基準となるのが通例ですから、本件が上記2項に該当するのかどうなのかを照らし合わせてみればいいわけです。

 1項に関しては、石垣保安部が那覇地検提出用として44分に編集したビデオ映像は、それから1ヵ月くらいは特に機密指定もなしに、海保職員なら全国どこの保安職員でも自由に見られたといいます。「仙谷さんパー」海上保安官も、それを元に流出させた可能性が高いとみられています。
 当人が「海保職員なら誰でも見られた」「特に機密扱いはされてなかった」「国民には知る権利がある」「誰もやらないから私がやった」「国益を損なったとは考えていない」などと言うように、本当に国家機密たり得たのか?疑問符がつくのです。
 次に2項に関しては、「もう中国人船長も釈放されており、裁判資料としての価値は失われている」として、「既に保護に値しないのではないか?」とする専門家の見方が多いようです。

 以上をある程度見越してか、「仙谷さんパー」本人も、名乗り出る直前のメモの中で「推定無罪?」と書き残しています。
 今でも警視庁などには「逮捕しないで」という電話が多くかかってきているといいます。また“街の声”は、流出に賛成、反対それぞれ二分するものの、集計してみれば間違いなく「よくやってくれた」という声の方が多いはずです。

 結果的に「仙谷さんパー」が罪に問われるにせよ、問われないにせよ。私はそんな大騒ぎする問題なのだろうか?と思われてなりません。むしろ、テレビ各局がもっけの幸いとばかりに連日連夜衝突場面を何百回となく流し続ける。そこには近々に迫った沖縄県知事選に向けて「中国脅威論」をあおり、やはり米軍沖縄基地は絶対必要。よって“隠れ辺野古沖移設容認派”の現仲井真知事を再選させるべし、との沖縄県民へのマインドコントロールが行われているようで、こちらの方がずっと大問題だと思います。

 それより何より許せないのは、仙谷が「執行職の最高職である鈴木長官の責任は国交省の馬渕大臣より重い」としている点です。鈴木海上保安庁長官の首を切って、現閣僚は全員責任回避する姑息な手を打ってきたのです。
 対して自民党の谷垣総裁や公明党の山口代表らは、馬渕国交相の辞任を強く求めています。また11日の参院本会議で質問に立った公明党議員が、日中関係に考慮して尖閣ビデオを非公開、すなわち「国家機密化」した仙谷官房長官にそもそもの責任があるとして、仙谷官房長官の辞任要求を突きつけました。
 これに対して“苦虫噛み潰し”の悪相・仙谷は、「法制面、システム面を整備して再発防止に努めるのが私の役目」と、しゃあしゃあと答弁しています。野党側は納得せず、参院で馬渕大臣と仙谷官房長官の問責決議案の提出も辞さない構えです。

 そもそも事件発端の船長逮捕、拘置延長しなから起訴せず釈放など、最初からこの問題でボタンのかけ違いをして大問題化させてきたのが、仙谷由人と前原誠司の凌雲会コンビです。二人に比して就任して日の浅い馬渕国交相の責任は軽いと言えます。
 よって、ここまで悪化した日中関係を改善させ尖閣問題全体の速やかな解決を図るには、仙谷、前原の辞任が不可欠と考えます。
 それにしても、菅直人総理の何と影の薄いことよ。

 (大場光太郎・記)

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ペルセウスの誕生秘話

 -ペルセウスもまた、大神ゼウスの浮気心によって生まれた英雄だった-

 本来ならばオリュンポスの神々に、人倫の道ならぬ「神倫の道」を率先垂範して示すのがゼウスの大神としての職掌であるはずです。ところがこのゼウスがとんだエロ大神であることを、『ヘラクレスの誕生秘話』で見てきました。
 ともかくそういう次第で、貞淑な人妻アルクメネは、夫アムプトリュオンに姿を変えたゼウスとの一度の交わりによって、ヘラクレスを胎内に宿すことになりました。

 ところで言い忘れていましたが、アルクメネはペルセウスの孫娘なのでした。ペルセウスはこれまたギリシャ神話中名高い英雄です。「ペルセウス座」として、9月末から冬にかて夜空に輝く星座の名前にもなっています。近年では、毎年8月の「ペルセウス座流星群」としてご記憶の方も多いかと思います。
 当初はこのままヘラクレスの事跡をと考えていました。しかし順序としてその前に、ヘラクレスの曽祖父にあたるペルセウスの事跡を見ておかなければなりません。ペルセウス英雄譚は、子孫のヘラクレスに勝るとも劣らない、いや物語としてはこちらの方が面白いかもしれません。

 ゼウスは本当にどうしようもない“歩く種馬”大神です。というのも、ペルセウスもまたゼウスの出来心によって生まれたからです。
 度重なるゼウスの不行跡は、裏を返せば「神の繁殖力」のアピールなのかもしれません。旺盛な生殖能力こそ神の第一の権能なのだとばかりに、「産めよ、殖やせよ、地に満てよ」という神の大方針を、大神自らが実践して見せているのかもしれない…。
 ともあれここでもまた、「ペルセウス誕生秘話」からたどっていかねばなりません。

 ペロポネソス半島の東側、スパルタの北方あたりにアルゴスという国がありました。この国の時の王がアクリシオス。その娘が“白鳥レダ”などと並び称され、しばしば西洋絵画の題材として用いられる美女ダナエです。
 アクリシオス王はある時、自分の運命をデルフォイの神託に尋ねます。すると「汝の娘の子によって殺されるであろう」という、恐ろしいご託宣を賜ります。王は対応に苦慮しますが、かといって最愛の娘を殺してしまうのも不憫です。
 悩んだ末出した結論は、『それなら娘に子供を産ませないようにすればいいのだ』ということでした。

 こうして王はダナエを、かの倫敦塔(ロンドン塔)の幽閉物語のように、青銅の塔に閉じ込め、男どもが決して近づけないようにしたのでした。
 しかしゼウスは、何だかんだ言ってもオリュンポス随一の大神です。そういう方面には殊に全能の千里眼ぶりを発揮し、天界でダナエ幽閉の次第など先刻お見通しです。その上困ったことには、またぞろゼウスのスケベ心がムクムクと持ち上がり、この美少女を見初めてしまったのです。さあそうなると、青銅の塔くらいでは何の役にも立ちません。

 ある時ゼウスは黄金の雨と化して、青銅の塔に降り注いだのです。
 「まあきれい、どうしたのかしら?」。ダナエが、金の糸となって落ちてくる異様な雨に魅入られて窓を開けた時には、すかさずダナエの股の奥に流れ込み、交わりを完遂してしまったのです。
 この“交わり”は非現実的で、あまりうまくイメージできませんが…。「股の奥に流れ込」んだ黄金の雨は、ゼウスの“精液”の比喩なのでしょうか?大神の精液ともなれば、凡俗の人間どものような白濁液ではなく黄金液?

 なおダナエが幽閉されたのは塔ではなく青銅の部屋(地下室)で、ゼウスは黄金の雨となってその部屋に入り込み、そこで本来の姿に戻ってダナエと交わったという説もあります。こちらの方が幾分現実味が出てくるかもしれませんが、ここでは「阿刀田高説」を採りたいと思います。

 ともかく。こうして生まれたのが英雄ペルセウスです。ダナエはこの赤ん坊を塔の奥深くに隠し、決して父王に見られないように育てていたのでした。
 しかし赤ん坊というものは、俗に「泣く子は育つ」と言うように、古今東西泣くのが仕事です。これは大神ゼウスの子という類い稀な貴種ペルセウスと言えども同じこと。
 かえって、後に英雄となるペルセウスの泣き声はひときわ高かったのでしょう。ある時その泣き声が塔の外にまで漏れてしまい、とうとう発見されてしまうのです。

 アクリシオス王は、およそ有り得ざる状況で生まれた子を見て、さぞ驚いたことでしょう。しかし「自分を殺す子」が現実に生まれてきてしまったのです。またまた処置に困り果てた王は、ダナエとペルセウスを木箱に詰め込んで、死者を追悼する精霊舟でもあるまいに海に流してしまいます。
 アルゴスの東の海に、小さなセリポス島があります。箱詰めの母子は奇跡的に生きたままこの島に流れ着き、島人のデュクティスに助けられたのです。
 ペルセウスはこの島の漁師に預けられ、立派な若者に成長していくことになります。

 (大場光太郎・記)

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時の話題(10)

 -学校を“性域”にしてしまった、とんでもない破廉恥“性職者”カップル-

 『おっ、面白いブログネタ見つけたぞ !』と、いつか記事として取り上げようと思っていた話題です。ただこのところ尖閣問題等緊迫した政治的出来事が連続し、そんな最中にいささか不謹慎かな?と取り上げるのをためらっていました。
 しかしこれ以上延ばすと鮮度がどんどん落ちていきますので、このたび思い切って公開することとしました。たまには、秋の夜長の「エロ小話」もいいのではないでしょうか?

 今回の話題とは「校内セックス」が明るみに出た問題です。
 「校内情事」は場所が場所だけに、通常表ざたになることはあまりありません。では学校はあくまで神聖な場所、そういうふしだらな事は決してないのでしょうか?しかし学校の先生といえども、しょせん生身の男と女。しかも当今の「性の自由化」は目覚しく、今や「どこでも」「誰とでも」所きらわず、ありとあらゆるシチュエーションのもと、性表現は何でもありの世の中です。

 だから「校内情事」も、かなり前からあったものなのでしょう。そのバリエーションも教師同士、男教師と女子生徒、逆に女教師と男子生徒、男教師と教え子の母親etc。
 AVやポルノ小説の世界でも、「校内モノ」はユーザーのニーズが高いジャンルらしく、手を変え品を変えしてより過激な表現にエスカレートしていっているようです。

 今回明るみに出たのは、大阪市のある公立中学校が舞台です。登場人物は、同校の既婚の元男性教師(41)と独身の女教師(24歳)。二人の校内不倫セックスがバレて、先月末懲戒処分となったのです。
 二人の関係を調査した市教委によりますと、二人が交際をスタートさせたのは08年12月から。生徒がいない冬休みや休日出勤のスキを狙っては、更衣室や資料室に侵入し、セックスに耽(ふけ)っていたというのです。
 まさに、「校内モノ」AVも顔負けのとんでもない「性職者カップル」です。

 年の差17歳の性職カップルは、08年4月赴任してきた女を男が指導したことから、いつしかあらぬ方向の指導へと発展し“深い仲”になっていったようです。しかし男教師は既婚者であるため、外で大っぴらに会うことはできません。
 そこであろうことか、校内をラブホ代わりにしていたというのです。そうして情事に及ぶこと計4回(あくまでも二人の自己申告)。内訳は、昨年1月に教材・資料保管室で女が“お口”で3回のご奉仕。同5月に男性教職員用の更衣室で“本番”を1回。

 もっぱら休日などとはいえ、校内には部活などで登校している生徒もいたため、教材・資料保管室では廊下からも外窓からも見えない死角で行為に及んだのだそうです。保管室は空き部屋、更衣室は教職員専用のため、普段から生徒の出入りはなかったといいます。
 このように周囲にバレないよう、性行為の前後は慎重に行動していたため、二人の関係に気づいた職員や生徒はいなかったようです。

 それではそんな二人の「秘め事」は、どうしてバレてしまったのでしょう?
 種明かしは簡単です。女の「セクハラ相談」によってです。
 「女は魔物」?女は不倫関係がダラダラ続くことに疲れたのか、男に飽きたのか、自分の将来にとってこれ以上男と関係を続けていても得にならないと考えたのか。女は今年6月、不倫関係を解消しようと男に別れ話を持ちかけます。しかし男が応じず、その後も校舎でキスをしたり、体を触ったりなどの行為をやめなかったといいます。
 そのため女は9月、校長に「男からセクハラを受けている」と相談し、二人の危険な関係が発覚したというわけです。

 何せ世間が何かとうるさいご時世です。だから校長も握りつぶすわけにはいかず、表ざたになってしまったようなのです。(ということは、世間が今ほどうるさくなかった以前は、このようなケースで表に出なかったことがずい分あったのでは?)
 結果市教委が下した処分は、男教師が停職6ヵ月、女教師が停職1ヵ月。処分と同時に男教師は依願退職。それでも600万円の退職金はしっかり手にするといいます。

 むしろこの場合、「いいツラの皮」は女教師の方なのではないでしょうか?メスとしての盛りがつき、さんざん“性域”で性行為に耽り合い、飽きると中年男なんかポイ捨て。思いついたのが校長への「セクハラ相談」。『「自分は被害者」を装えば、今後とも何とか身分保障はされるはず』としっかり計算づくの上で !?。
 近々復職するのでしょうが、この女教師は今後生徒、教師、PTAらに後ろ指さされながらも、平気な顔で“聖なる教壇”に立ち続けていくのでしょうか?

 「身から出たサビ」とは言え、男にとってはまさに「危険な情事」そのものでした。いくら600万円の退職金はもらえるとしても、現在とこれからの社会的制裁はうんと過酷にのしかかるはず。今後何かの定職にありつけるの?家庭は崩壊しないの?男は「教員としてあるまじき行為で申し訳ない」と話しているそうです。
 以上、「火遊びはほどほどに」を地で行くようなお話しでした。

 (大場光太郎・記) 

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ドラマ『15歳の志願兵』

 - 幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました   中原中也『サーカス』より -

 7日(日)夕方6時過ぎ、外出していた午後2時頃からの当ブログアクセス推移を確認しました。すると、4時から5時台でそれまでよりグ~ンと訪問者数及びアクセス数が急増していることに気がつきました。
 こういうことは過去に何度もありました。そしてその原因はいつも決まって「テレビ」なのです。つまり何かの事件やニュースをテレビ番組で取り上げる、するとそれを観て何か思うところあった一部の視聴者が、ネットでそれについてもう少し知りたくなる、それで検索などにより該当するブログなどを訪問するということです。

 そういうケースで多いのは、やはり“事件モノ”や“政治モノ”です。そこで私は今回の場合、やはり今関心の高いのは尖閣問題、すると直前の『sengoku38』へのアクセスかなと思いました。

 そんな予想を立てて、もう少し詳しくアクセス動向をたどってみました。すると思いもかけないことに、アクセスが集中していたのは9月の『巷に雨の降るごとく』だったのです。「時事問題」や「映画・テレビ」という定番ではなく、地味な「名詩・名訳詩」カテゴリー記事の一つです。
 「名詩・名訳詩」「名句鑑賞」「和歌・短歌鑑賞」などは、時事問題や映画・テレビなどより直接的に私の文章力、読解力、見識などがハッキリ判ってしまいます。そこでそれらの鑑賞文作成には、いつにも増して力を傾注してまとめているつもりです。それゆえ私としては何を差し置いても、この分野の記事こそ真っ先にお読みいただきたいと考えているのです。

 ですから何がキッカケか分からないものの、そのうちの一記事がこうして多くの人に集中的に読んでもらえるとあれば、これに過ぎる幸せはないわけです。
 しかしそれにしても、何で今頃『巷に雨の降るごとく』?11月という晩秋の季節柄、一人、二人の人が何気なく「巷に雨の降るごとく…」の一節をふと思い出してというのなら分かります。しかし今回の場合、1時間当たり何十人もの人が「巷に雨の降るごとく」「巷に雨の降るごとく」「巷に雨の降るごとく」…なのです。
 どうしてなんだろう?理由がさっぱり分かりませんでした。

 しかしある人の検索フレーズをたどって調べたところ、何が原因だったのか遂に分かりました。それはNHK総合テレビドラマ『15歳の志願兵』にあったのです。
 『あヽそうか !』。なるほど納得です。というのも、同ドラマかつて私も観たからです。そういえば思い出しました。「巷に雨の降るごとく」のヴェルレーヌ(堀内口大學訳)の詩は、ドラマの重要なシーンで読まれていたのでした。

 『15歳の志願兵』は、毎年恒例のNHKスペシャル終戦特集ドラマとして、今年の8月15日の終戦記念日の夜に放映されたものです。昨年の『気骨の判決』も観た直後記事にしました。今回の同ドラマも余韻の深いもので、『いつかは記事に…』と考えながら日が経ってしまいチャンスを逃したのでした。
 それが7日午後4時~5時15分に再放送となったもののようです。それを観た人で『何と良い詩なんだろう』というように思った人が、もっと深く知りたくなってネット検索、そして同詩を取り上げた当ブログ記事にたどり着いたということのようです。
                       *
 折角ですから、ドラマ『15歳の志願兵』について、以下に述べてみたいと思います。
 キャッチコピーが「友だちがいた。夢があった。だが、戦争があった」であるこのドラマは、これまでの同企画同様戦時中の実話をもとに作られたドラマであるようです。原案は江藤千秋という人の『積乱雲の彼方-愛知一中予科練総決起事件の記録』。
 江藤氏自身、愛知一中(現愛知県立旭丘高等学校)の卒業生、のみならずドラマの主人公である藤山正美のモデルでもあるようです。

 太平洋戦争も末期に近づいた昭和18年、日本は連敗に次ぐ連敗、いよいよ軍事物資はおろか兵力不足に悩まされることになりました。そのため窮余の一策として日本軍首脳部は、「少年兵徴集」という禁じ手を使わざるを得なくなります。
 愛知一中は愛知県下でも一番のエリート校でした。同校の3年生である藤山正美(池松壮亮)は、無二の親友の笠井光男(太賀)と、川のほとりで並んで夢を語り合ったりして有意義な学校生活を送っていました。ヴェルレーヌの詩「巷に雨の降るこどく」を読んで聞かせる笠井は文学少年、「将来は作家になりたい」と夢を熱く語るのでした。

 ところがある日とんでもないことが起ります。軍部から「愛知随一の一中が率先して生徒の兵士志願を」と要請されていた学校は、全校生徒を集めて時局講演会を開きます。村田校長(竜雷太)や戦争支持派の教師たちが次々に演壇に立ち、「戦局は君たちの志願を待ち望んでいる」ことを訴えかけます。

 最後に登壇したのが、坂町孝之助(福士誠冶)という愛知一中の配属将校でした。坂町はまた同校の卒業生でもあったのです。坂町は全校生徒に「殉国の精神」を熱く訴えます。その迫真の熱弁に会場の雰囲気は一変し、無垢な生徒たちは「我も、我も」と志願を表明します。気がついてみると、1年生から5年生(12、3歳から17、8歳)までの全校生徒700名全員が戦争に行くことを決意し、時局講演会はいつしか「総決起集会」と化してしまったのです。
 愛知一中の「全校生徒志願」は、当時の全国紙で大々的に報道され、全国の中学生志願に大きな影響を及ぼしていくことになります。

 ドラマは、生徒たちを戦場に送らなければならない教師や、親たちの心の葛藤なども織り込みながら進んでいきます。
 藤山正美は「甲飛生」に志願するも極端な近視で不合格、親友の笠井光男は難なく合格。こうして志願者は最終的に何十人にまで絞られていきます。
 戦争に行く者と行かない者と。この差が無二の親友の友情を引き裂くことになります。以後笠井と藤山は疎遠になっていくのです。
 結局笠井光男は「15歳の志願兵」として徴集され、戦場へ。そして「作家の夢」虚しく、ほどなく戦死してしまうのです。

 戦後間もなくのある日、藤山正美は笠井の実家を訪ねていきます。戦死した光男の霊にお参りし終えて、仏間で笠井の母・登美(夏川結衣)から一冊のノートを渡されます。それは光男の遺稿とも言えるものでした。
 登美から「私は字が読めませんから、代わりに読んでいただませんか」と頼まれ、藤山は声を出して読み進めます。そこには藤山への想いなども綴られており…。藤山正美は思わず叫びます。「僕たちは戦場に行って死ぬように教わったのです」。
 二人はしばし号泣 (幕)

 (大場光太郎・記)

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「sengoku38」の衝撃

 -これほどひどい失態を繰り返しても、また誰も責任を取らないつもりか !?-

 4日深夜から5日未明にかけて、「尖閣衝突ビデオ」が動画サイト「ユーチューブ」(日本版)に流出し大騒動になっています。何しろ菅政権はこれまで「衝突ビデオを公開すべき…81%」という圧倒的な国民世論の声を無視し、1日午前29名限定議員に6分50秒という超ダイジェスト版をしぶしぶ秘密映写しただけでした。
 
 ところが今回のユーチューブ流出によって、あくまで一般国民には秘匿しておきたい菅政権の思惑などあっさり飛び越えて、事実上の一般公開となってしまったのです。しかも議員たちへの6分強というケチ臭い秘密映写などではなく、流出した映像は6本で、ドーンと合計約44分もの長さです。
 国家の最高機密情報が、かくもあっさりネット上で流出してしまったのです。こうなってしまって国民の間から、「何で事件発生の早い段階で全面公開しなかったんだ」と、非難の声が挙るのは当然の話です。

 5日のテレビ各局の報道はこの問題一色だったようです。流出画像の核心部分はやはり何といっても、海上保安庁巡視船「みずき」と「よなくに」の2隻に、中国漁船が衝突したシーンです。このシーンを朝から晩まで繰り返し流し続けました。その画像を観、さらに海事専門家の分析などを聞けば、中国漁船が意図的に衝突しようとしたのは明らかです。
 さらに今回の流出でも公開されていない部分として、中国漁船は衝突後同船に乗り込もうとして誤って海に転落した海保乗組員2名めがけて、船首部分を向けてきている映像まであるといいます。(先日の『“尖閣ビデオ”に何が映っていたのか?』記事でみましたように、石原東京都知事などは「モリで突いていた」と言っていましたが。)

 衝突場面など一部は流出したものの、依然謎の部分は残ります。「原因ありて結果あり」のうち、中国漁船が追突したのは「結果」です。当然それを誘発するに至る「原因」があったはずですが、そのことは依然明らかにされていません。

 『植草一秀の「知られざる真実」』の6日付『尖閣領有問題棚上げ政策についての検証が不可欠』の克明な論証では、2000年6月発効の日中漁業協定により、衝突が起きた尖閣諸島は同漁業協定の対象外海域で、「相手国漁船の問題は外交ルートでの注意喚起を行う」ことになっているのだそうです。なのに今回海保巡視船は追い返そうとして、大騒動の発端となってしまったのです。中国はおそらく、同協定規定外の海上保安庁の行動を問題視しているのではないでしょうか?
 “単細胞”前原誠司のように、「結果ビデオ」だけを見せられて頭に血が上って、何でもかんでも逮捕、拘留すればいいという問題ではないわけです。(だから後の処置に困って、「起訴せず釈放」という“国際的赤っ恥”となったわけです。)

 なお植草一秀氏によれば、今回のビデオ流出事件も含めて一連の尖閣問題で「中国脅威論」を煽ることによって、間近に迫った沖縄県知事選で現仲井真知事を当選させ、ひいては米軍の抑止力を強調して辺野古沖に何が何でも移設したい、米国を中心とした悪徳ペンタゴンの強い意図を感じると繰り返し述べています。

 漏れ聞くところ、事件当日同海域にいた4隻の巡視船がそれぞれ事件前後のようすを撮影しており、総合計数時間にも及ぶそうです。それをすべて観たところで事件の全容が明らかになるかどうかは不明です。しかしかくなる上は政府はもう隠し事はせず、有るだけのビデオ録画全部を、国民の前に包み隠さず公開すべきなのではないでしょうか?

 面白いのはユーチューブ投稿者が、「sengoku(せんごく)38」を名乗っていることです。「せんごく」とは、仙谷官房長官を当てこすったハンドルネームであることは明らかです。
 しからばそれに続く「38」にはどんな意味があるのでしょうか?一応は「意味不明」とされながら、一部では「せんごく3(さん)8(パー)」つまり「仙谷さんパー」と読むんだ、という説がまことしやかに囁かれています。
 
 一時的か永久的かは今後の政局、裁判の行方次第ながら。天敵の小沢一郎元代表を、ありとあらゆる謀略を駆使して失脚に追い込んだ張本人が仙谷由人です。それにより代表選後は特に、「菅内閣の蔭の総理」「赤い後藤田」「オレ様官房長官」などと称され、今や政界に並ぶ者がないほどの権勢を誇っています。
 しかし投稿者(流出犯)は大胆不敵にも、そんな大官房長官に対して最大限のオチョクッた名を使ったのです。投稿者は、「♪はやてのごとく現われて、はやてのごとく去っていく」往年の“月光仮面”的大人気(古いねぇ、私も)。どうやら犯人は石垣保安部の誰からしく、海上保安庁には「犯人を捕まえないで」という嘆願の電話が殺到しているそうです。
 
 日頃「民主党で一番頭がいい」と自認している仙谷は、そこまでコケにされて怒り心頭。会見では「公務員が故意に流出させたという行為があったとすれば、明らかに国家公務員法違反だ」と、顔面を蒼白にしながら語っていました。
 しかし「よく言うよ」ではないでしょうか?思えば今年初、小沢幹事長(当時)の例の世田谷土地問題で、大鶴基成ら検察幹部が「国家公務員法違反」を犯して、“虚々虚々”の捜査情報をマスコミに大量にリークしまくっていた時、仙谷らはただ傍観し、検察やマスコミに『それやれ。もっとやれ』と心の中で声援を送っていたくせして。
 それがイザ自分が都合悪い立場に追い込まれると、今度は「公務員法違反」を持ち出すのです。法律を都合のいいようにもてあそぶ、過去にレッキとした「悪徳弁護士」としての実績を有するらしい仙谷由人ならではと言うべきです。

 仙谷官房長官らがいかに躍起になっても、犯人を特定するのは極めて困難と見られています。登録情報などから投稿者を割り出すには、ユーチューブを傘下に持つ米グーグルの協力が必要です。政府もグーグルへの協力要請を検討中で、同社も「協力するのにやぶさかではない」と一応社交辞令的に言っています。
 しかしグーグルは、徹底的にユーザーのプライバシーを保護することで有名な会社で、諸外国の捜査協力には基本的に応じていないといいます。一国の要請とはいえ、うかつに個人情報を手渡せばユーザー離れを起こしかねず、自らの首をしめることになるからです。

 それにしても、内政に外交に内憂外患の菅政権です。仙谷がいくら切れ者だと言っても、しょせん全共闘上がりの「セクト闘争」、つまりコップの中の権力闘争に少しばかり悪知恵が回るだけ。肝心の内政、外交で仙谷が何か画期的な手腕を発揮したなど、これまでただの一度も聞いたことがありません。
 こんな菅政権、もうお引取り願った方が国益に適うのではないでしょうか?かといって菅直人だけが去り、次は米国のシナリオどおり、前原誠司総理(仙谷は後見人として留任)などとなったら、この国は破滅に一直線。仙谷らによって、小沢一郎が当分表舞台に出られない状況を作られてしまったことは、この国にとって測り知れない損失です。

 (大場光太郎・記)

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晩秋の横浜随想

  晩秋と云ふ横浜の街並みよ   (拙句)

 小春日和というにはまだ早いものの、5日は暖かな気持ちよい晩秋晴れの一日でした。この日私は昼ごろ、役所に提出するのに不足していた必要書類を受け取りに、お隣の伊勢原市郊外の会社に伺いました。
 そしていささか強行軍ながら、その足で横浜に向かったのです。同社依頼の建設業許可関係の申請を、県庁に提出するためです。

 3時過ぎ相鉄線で横浜駅に降りてみると、まず目についたのが警察官の多さです。横浜駅ともなると、人混みの行き交いはいつものことながら、駅構内の大きな柱の近くあたりに、身じろぎもせずじっと突っ立っている警官の姿がやけに目立ち、場違いでそぐわない感じで何となく心がざわつきます。
 それもそのはずです。APEC(アジア太平洋経済協力会議)首脳会議が横浜で開催されるとあって、主催国の主催都市としてテロなど起きてはならず、大成功裏に終わらせるため物々しい警備に当たるのも当然というものです。

 10日ほど前来た時もそうでしたが、いよいよ開催が来週日曜の7日と近づくにつれて、なお一層警官の姿が目につくようになりました。特に横浜駅から次の桜木町駅で降りた時には、同駅からランドマークへと続く大広場に、警官がいるわいるわ。
 数人が一塊りとなって何やら打ち合わせらしきことをしていたり、単独で人混みを見回っていたり、ケータイを耳に当てながら巡回していたり。今横浜市内に一体どれくらいの警察官が配置されていることでしょう。『神奈川県警だけじゃないな。方々の県警が応援に駆けつけて来てるんだろうな』などと、つい余計なことを考えました。

 人事にはお構いなく、横浜市街の上には抜けるような青空が広がっています。その中に間近で超ノッポなランドマークタワービル、右寄りにクイーンズタワービル、そしてさらに右手つまり横浜港にいよいよ近いあたりに大円の観覧車などがすっきり見渡せます。
 しかし物々しい警官の姿を見ると、そんな横浜ならではの眺めも何か興ざめな感じがしてきます。

 一人の警官が、濃紺の制服の後ろを見せて歩いています。その背中には「POLICE」と大きな白抜きの文字が。『何でやねん。ここは日本だぞ』。とは言っても「警官」とか「巡査」ではきつすぎるから、「おまわりさん」か「じゅんさ」じゃどうしていけないんだ?その方が昔の“おらが村の駐在さん”のようで、親しみが湧いてずっといいじゃん。
 しかし世界中が「ワンワールドオーダー」(新世界秩序)に否応なく引っ張られている当今。これは我が国のみならず、今何かと我が国との軋轢(あつれき)を生じているお隣中国でも、この前の反日デモの取り締まりにあたった成都市などの警察官にも、やはり「POLICE」の文字が見られたのでした。

 つい最近発表された米国経済誌『フォーブス』の、2010年「世界で最も影響力のある人物」に、昨年1位のオバマ大統領を抑えて中国の胡錦濤国家主席が1位に選ばれました。何のことはない、中華人民共和国といえども、怪しげで危ない「ワンワールドオーダー」という、イルミナティ系による世界支配機構にがっちり組み込まれてしまっているのです。
 ところで“世界一”の胡錦濤さんは、APECに来るの、来ないの?

 さて桜木町駅を出てすぐ、屋外のエレベーターに乗って歩道橋を歩きます。するとスタバコーヒーショップなどが並ぶビルの2階通路を歩いていくかたちになります。その通路を通り今度は階段を降りきってみると、またまた下の舗道の方から歩いてきた、警官の一団と出くわしました。さっき広場の一角で固まっていた一団かもしれません。
 その先頭を歩いている若いのと一瞬目が合いました。向こうは鋭い眼光で、職業柄か『何ヤツ?』というような目付きで私に一瞥をくれます。『何だよ。曲がりなりにも一般市民だぞ。そんな目で見るなよ』などと思いながら、この一団の先頭を切る形で私が先に立って歩いていきます。

 関内の方向に向かいつつ、後からの話し声を聞くともなしに聞いていると、彼らとて人の子、職務上とは関係のない他愛ないことをけっこうしゃべっているようで、何となくホッとしました。
 ほどなく弁天橋という橋を通ります。もうその辺は横浜港の入り江にほど近く、夏時分夕べや夜は屋形船を浮かべて、横浜港をたゆたう納涼船とシャレこんでいるようです。
 ちょうどこの日は海風は凪いでいて、のどかな散歩日和です。

 橋を渡った向こう側に、広々とした駐車場があります。厳重に柵が廻らされており、例の警官の一群はその端っこの扉を開けて中に入っていきました。
 見ればなるほど駐車しているのは一般車ではなく、通常のパトカー、ワゴンタイプ、バスタイプなどの夥しい警察車両だけのようです。この駐車場の中にも大勢の警官がたむろしています。どうやらここが、警備のベースキャンプの一つみたいです。
 そんな彼らを尻目に、私は横浜地方法務局で最後の必要書類を取るため、赤レンガ倉庫の手前の横浜第二合同庁舎へと向かって歩きました。

 (大場光太郎・記)

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黒木昭雄氏死す

 -警察ジャーナリスト・黒木昭雄氏は、なぜ死ななければならなかったのか?- 

2日午前11時5分頃、千葉県市原市今富の寺の敷地内に停まっていた乗用車内で、ジャーナリスト黒木昭雄さん(52)=同市郡本5丁目=が変死しているのを長男が見つけ、119番通報しました。車が停まっていた寺には、父親の眠る墓もあったそうです。
 
 救急隊員が駆けつけた時には、黒木さんは既に死亡しており、後部座席には練炭を燃やした跡もあり、自宅から大量の睡眠薬を持ち出したとの情報もあるようです。黒木さんは1日、「仕事の打ち合わせがある」と言って外出し、家族に「東京都内に泊まる。墓参りをしてから帰る」などと連絡してました。遺書らしきものも見つかったといいます。
 千葉県警市原署は、自殺の可能性が高いと見て調べを進めています。

 黒田昭雄氏は元警視庁巡査部長で、警視庁退職後はフリージャーナリストとして警察批判を続けてきた人です。そんな黒田氏の突然の死に、同氏と親交のあったマスコミ関係者は、「常に前向きで思いつめるタイプではない。まさか自殺するとは」と、一様に驚きを隠せないようです。

 この数年、黒木氏が“ライフワーク”として取り組んでいたのは、08年7月に岩手県で起きた「17歳少女殺人事件」の取材でした。指名手配された小原勝幸容疑者(30)が行方不明となっている同事件について、「真犯人は別にいる」と指摘し、岩手県警や警察庁の不手際を厳しく批判し続けてきました。
 黒木事務所の女性アシスタントは、「2年前に、この事件のリポートを週刊朝日で発表した直後から、正体不明の嫌がらせが繰り返されたのです。今年9月には黒木氏のブログから、この事件にまつわる記載が、何者かの手でゴッソリ削除されてしまった。そんな嫌がらせにもめげず、取材を続けてきたのに…」と語っています。

 身銭を切りながらの取材活動は金銭的にも負担だったようです。それでも「たとえカネにならなくても、警察の不正を追及するのが自分の役目」とハラをくくり、ブログやツイッターでリポートを続けたのです。しかし事件の風化と共に「ライフワーク」の成果を発表するメディアは限られていったといいます。(ブログは『黒木昭雄の「たった一人の捜査本部」』
 「どこも相手にしてくれない。誰も耳を傾けてくれない」ー死の直前には、周囲にこんな弱音を漏らしたそうです。

 黒木昭雄氏につきましては、昨年11月の『かなえの殺人レシピ(10)』で、大出嘉之さん殺害事件についての、捜査の見通し等の黒田氏のコメントを紹介しました。
 そのせいか、ここ2、3日同記事への同氏関係のアクセスが多くなりました。4日の“検索フレーズランキング”でも、1位から3位までを同氏関連が占めています。そこで今回改めて同氏を取り上げさせていただいた次第です。

 黒木氏は死の前日(1日)にツイッターで、警察庁が手配中の小原の懸賞金を300万円に増額したことに触れ、下記のような書き込みをしています。死の間際まで「警察追及」の手を緩めなかった同氏の執念を感じます。

 「ブログ削除」の件は、おそらく警察上層部の“魔の手”の仕業でしょう。このようなことを知るにつけ、検察審査会の疑惑だらけの「秘密議決」が大っぴらにまかりとおる状況といい、警察も今問題の検察も、本当に戦前からのファシズム的「暗い捜査機関」を今にそのまま引き継いでいるんだなという感をますます深くします。
 ブログ削除。これは決して他人事ではなく、今後「お上」にとって都合の悪いブログなどは、片っ端から削除、閉鎖の対象にされてしまうかもしれません。

 黒田氏にとって、このつぶやきこそが本当の“ダイイングメッセージ”だったのかもしれません。警察組織という“伏魔殿”に孤独な戦いを挑んで散っていった、黒木昭雄氏のご冥福を心よりお祈り申し上げます。 (参考、引用-2日付「asahi.com」、5日付「日刊ゲンダイ」7面など)

    http://twitter.com/#!/kuroki_akio/status/29349329502

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“尖閣ビデオ”に何が映っていたのか?

 -先月下旬から驚くべきことが囁かれている。ビデオ全編を国民に公開せよ !-

 尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件のビデオが国会に提出され、1日午前8時から衆参両院予算委員会理事等懇談会(衆議院第一議員会館地下1階の特別室)で公開されました。今回の同会での公開は29名限定。会場の外には何人もの警備員が立ち並ぶものものしさ、会場内での撮影は一切禁止、携帯電話も取り上げられての入室だったようです。
 そのようすを、29名の一人として入室した田中康夫衆院議員(新党日本代表)が、11月2日付「日刊ゲンダイ」2面で『尖閣ビデオを観て…』という緊急寄稿として伝えています。

 海上保安庁の鈴木久泰長官の説明とともに始まり、事件が発生した9月7日午前10時15分からの3分20秒、同10時56分、都合6分50秒の長さだったといいます。
 それを観た感想は各人各様でしょうが、田中康夫氏の感想では「う~む、この程度か」が偽らざる印象だったといいます。同氏によりますと、

 - 前編は巡視船「よなくに」の左船尾に中国漁船の左船首がぶつかった前後。後編は、その約40分後に巡視船「みずき」の右舷中央部に中国漁船の船首がぶつかった前後。が、それを「衝突」「追突」「接触」の何れと捉えるか、批判を恐れずに申し上げれば主観の問題ではないか、と思われる程度の「衝撃」なのです。出席していた複数の議員も、同様の見解を僕に呟きました。
 鈴木長官の説明に拠(よ)れば、2度目の衝突から2時間後の午後零時56分、「領海外」で2隻の巡視船が中国漁船を挟む形で拿捕(だほ)。然(さ)したる抵抗も無く、船長以下の乗組員は任意の事情聴取に応じます。公務執行妨害での逮捕は、その14時間後の8日午前2時3分です。-

 田中康夫議員の言葉を借りれば、「領海侵犯」「違法操業」「入管法違反」という「王道」ではなく、公務執行妨害という「覇道」で逮捕に至った判断ミスを下したのは、当初「逮捕を決めたのは俺だ」と得意げに周囲に語っていた前原誠司国交相(当時)でした。
 しかし船長釈放後は一転、「国交相だった自分に逮捕権はない。逮捕したのは海上保安庁」と、後見人の仙谷官房長官が「釈放を決めたのは那覇地検。何ら政治的圧力はない。政府はその決定を了とする」と、国民の誰一人信じない詭弁を弄したのと同じ言い逃れをする始末です。

 外交交渉能力が欠如したこんな「亡国コンビ」が、菅政権後の「前原総理-仙谷官房長官」政権として引き継ぐのは、アメリカ様お墨付きの規定路線だというのですから恐ろしい話です。(というようなことは、いずれ別の機会に述べることとして。)
 ところで。事件当日海上保安庁が撮り続けたビデオは、都合「2時間40分」にも及ぶといわれています。今回限定議員に公開されたビデオは、仙谷官房長官が「くれぐれも取り扱いは慎重に」ともったいぶった要望をつけて予算委員長に提出したものです。
 前後編合わせてたった「6分50秒」の超ダイジェスト版。それは本当に事件のエッセンスを凝縮したものだったのでしょうか?

 むしろ中国側の反応、我が国国民感情を考慮して、“ヤバイ部分”は予めカットしたものだったのではないでしょうか?
 実は同ビデオをめぐっては、先月下旬頃から、国民が激怒しそうな未確認情報が流されているのです。それは「海上保安庁の巡視船乗組員が海に転落し、それを中国人がモリで突いていた」というものです。今回はもちろんそんなシーンは公開されませんでした。

 これを最初に言い出したのは、嫌中国の最右翼・石原慎太郎東京都知事です。石原都知事は先月24日(日)朝のフジテレビ系『新報道2001』で、
 「政府の関係者から聞いた。日本の巡視船の乗組員が何かの弾みに落ちたのを、中国の漁船(の漁師が)モリで突いてるんだって。それは『仄聞(そくぶん)ですが』と、数人の人から聞いた。ウソか本当か分からないが、その実態を私たちは知る必要があるし、(ビデオ映像を)公開すべきだと思う。それが、この問題に対する日本人の正当な世論を作っていく」と語ったというのです。
 あまりの衝撃的な発言に、司会者は「情報を確認する必要があります」と言い、その話を打ち切りました。しかしこれが放映されるや、ネットなどで一気に広まっていったのです。

 これは石原都知事単独の発言ではなく、例えば海上保安庁の石垣保安部があり、尖閣諸島を行政区とする沖縄県石垣市の関係者も政府への要請で上京した際、「ビデオを観たわけではないが、中国漁師がモリで突いていたという話は、確度の高い情報だと思う。ただ政府や海保に緘口令(かんこうれい)が敷かれているようだ」と語っています。

 こんなシーンがもし2時間40分のビデオの中に映っているとしたら、当然事件直後から、海上保安庁上層部はもとより政府首脳も、そのような情報を把握していたことでしょう。普段からエキセントリックな言動の多い前原誠司ならずとも、中国人船長や漁師らの逮捕、拘束はむしろ必要不可欠の処置だったことになります。
 日本政府は、中国政府からの猛反発が予想されてもビデオをいち早く公開し、逮捕の正当性を、国内はもとより国際的に強くアピールすべきだったのではないでしょうか?

 もしこれが事実なら、中国漁船側の「殺人未遂罪」に等しい暴挙です。なのになぜ早々と漁師らを釈放し、セン船長を起訴もしないで釈放したのでしょうか?
 すべての情報を把握していたはずの、菅政権なかんずくセン船長釈放に全面的責任を負う仙谷官房長官の、“柳腰”などとのらりくらり答弁では済まされない、意味不明の決定的“弱腰”外交だったことは明らかです。

 この件について海保の広報担当者は、「そういう事実はない。巡視船の乗組員は海に転落していないし、誰もケガをしていない」とコメントしています。
 しかし事ここに至って、身内の西岡武夫参院議長も記者会見で、「(全面公開で)明らかにしなければ国民が納得しないのではないか」と語っています。どうやら、ごく一部の議員たちへのダイジェスト版のみでお茶を濁しただけでは済まなくなりつつあるようです。

 (大場光太郎・記)

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再び言う「前原、仙谷を更迭せよ」

 -国民による「政権交代」は、こんな侫人共をのさばらせるためではなかった !-

 円高・株安に歯止めがかからず、「史上最高円高」を突破するのはもう時間の問題だと囁かれています。そんな中臨時国会が開かれて1ヵ月近くにもなるのに、菅政権は焦眉の急である補正予算案をいまだたなざらしの状態です。
 これら景気対策を中心とした国内諸問題への不手際だけでも、菅政権の責任を問うには十分すぎるくらいです。

 それに加えて、ここのところまた日本が「国際的笑いもの」になりかねない外交上の失態が相次いでいます。
 一つは10月29日夜に行われる予定だった日中首脳会談が、中国側の一方的な通告により突如中止になった問題です。当座菅総理は、「戦略的互恵関係の推進」という高邁な理念を掲げて、温家宝首相の待つベトナムのハノイに勇んで旅立っていきました。それがいざフタを開けてみると、相手国から一方的に会談をドタキャンされるという我が国外交史上前代未聞の大失態ぶりです。
 今月中旬横浜で開催されるAPECに、胡錦濤主席が来日するかどうかも微妙になってきています。

 9月7日尖閣諸島沖で起きた、海上保安庁巡視船と中国漁船との衝突事件以後、50余日が経過して「日中関係はようやく改善の兆しか?」と見られていただけに、この事態は一度こじれた両国関係修復の難しさを改めて浮き彫りにした形です。
 これについて日本のマスコミの中には、「中国の対応の非常識」を非難する論評も見受けられます。また民主党内でも、“幹事長失格男”で今や“猪八戒”とヤユされる枝野幸男(降格)幹事長代理が、「日中関係がこじれているのは、中国側に原因がある。関係修復に、日本側が働きかけていくことはない」と、いつぞやの「中国は悪しき隣人」発言に続いて、これまた中国側が問題視しそうな過激発言を繰り返しています。

 しかしこの首脳会談中止問題、中国側が「すべて日本側に責任がある」とするのには、それなりの理由があったのです。
 中国側が怒ったのは、“幻の首脳会談”に先立ってハノイで行われた日中外相会談後の「前原発言」にあったとされています。その理由も複数あり、その一つはガス田開発をめぐる交渉再開問題で、前原は誤ったことを記者団に伝えたというもの。もう一つは、中国国内で報じられていなかった日中首脳会談のことをペラペラしゃべったことなど、中国への配慮に欠ける諸発言が原因と言われています。

 その前日前原は、ハワイのホノルルで米クリントン国務長官と会談し、同長官から改めて「尖閣問題は日米安保条約の範囲」とのお言葉を賜り、嬉しそうにそれを披露していました。その余勢をかって翌日の日中外相会談では、わざわざ中国の楊外相に向かって「尖閣諸島は日本の領土」と宣告したというのです。
 こういう前原外相の、外交的デリカシーを欠いた一連の言動が、メンツを重んじる中国としては許せなかったと言うのです。国益最優先で多国間に目配せするのが最大の役目のはずの外務大臣が、折角修復しかけていた日中関係を片っ端からぶち壊してしまうのです。

 さらにここに来て、日本の「弱腰外交」を見透かしたような、別の大国の行動が大問題になっています。ロシアのメドベージェフ大統領が1日、北方領土の国後島を訪問したのです。ソ連時代を含めてロシアのトップが北方領土に入ったのは初めてのケースです。
 既報では「北京からの帰路」の9月末にも大統領の訪問計画はあり、その時は悪天候で実現しませんでした。その後同計画を知った前原外相が、「訪問すれば両国間に重大な支障が生じかねない」と、外交ルートを通じて訪問見合わせを求めていたものです。
 にも関わらず、そんな前原要求など完全無視の訪問決行です。これは我が国“前原お子ちゃま”外交の足元を見られている証左だと言わざるを得ません。

 昨今中ロ両国は蜜月関係にあると言われていますが、この件も尖閣問題での日本政府の対応のまずさと無関係ではありません。今度はロシアにまで飛び火して、これだけこじれさせ政治レベルのみならず経済、民間交流など多方面にわたって暗い影を落としている日中関係の悪化。その発端となったのが、尖閣問題の根深さを知らない前原国交相(当時)の「中国船長を逮捕せよ」命令です。
 前原は当初そのことを自慢気に吹聴していたものの、大問題化した途端一転して「知らぬ存ぜぬ」の卑怯者ぶり。そんな“お子ちゃま前原”の尻拭いに奔走したのが、後見人の“オレ様”官房長官の仙谷由人です。仙谷は検察に「政治的圧力」をかけまくり、逮捕、拘留しながら起訴せず、那覇地検に釈放決定をさせるという「国際的赤っ恥」をさらしたのです。

 こうしてみると、日中関係悪化問題もロ大統領北方領土訪問問題も、前原誠司が決定的要因であることは明らかです。とにかく前原は米国、例えば戦争屋系のクリントン国務長官に「坊やいい子ねぇ~」と頭をなでなでされされると、『家畜人ヤプー』ではないけれど同長官のウ○コも頬張りかねない、ヘラヘラデレデレの「対米隷属」ぶり。それが中国、ロシアとなると、一転米国の“虎の威”を借りて居丈高の言動。
 こんな「大人の外交」の出来ない“お子ちゃま”を、いつまでも外務大臣に据えておいていいのでしょうか?とにかくバランス感覚を欠いた、エキセントリックな前原外交では、この先も国益を損ない続けること間違いなしです。

 この際我が国外交にこれ以上の災厄を招かないためにも、まずはすべての元凶の前原誠司の更迭、加えて尖閣問題等で少なからぬ責任を負う仙谷由人の更迭。5月の『前原、仙谷らを更迭せよ』に引き続き、これを強く求めるものです。

 (大場光太郎・記)

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【読者からのお知らせ】

 「小沢一郎議員を支援する会」世話人のKAD様より、【お知らせ】拡散ご依頼がありましたので以下に転載します。
                       *

この度も小沢支援の記事を取り上げて頂き、「小沢一郎議員を支援する会」メンバーの一員として御礼申し上げます。手作りで立ち上げた「支援する会」も多くのご支援を頂き輪が拡がり、11月24日(水)に第3回シンポジウムを大きな会場:豊島公会堂にて、平野貞夫氏主宰の「平成一新の会」との共催で開催するまでになりました。今後ともご支援の程、宜しくお願い致します。
又、勝手なお願いですが、第3回シンポジウムの拡散支援もお願い致します。

「小沢一郎を支援する会」第3回シンポジウム
日時:平成22年11月24日(水) 午後6時会場、6時半開始
場所:豊島公会堂〔豊島区東池袋1-19-1〕
講演者:辻恵氏(衆議院議員)、川内博史氏(衆議院議員)、三井環氏(元大阪高検公安部長)、戸田邦司氏(元参議院議員、日本一新の会顧問)
司会:小沢遼子氏(評論家)
参加費:1,000円
尚、集会の全過程を岩上安身氏が Ustream で録画配信下さいます(ただし未確認)。
詳細は「小沢一郎を支援する会」HP〔http://minshushugi,net〕を参照願います。

投稿: KAD | 2010年11月 2日 (火) 11時47分

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第五検察審査会新たな疑惑

小沢一郎民主党元代表に対する「起訴相当」再議決を出したのが東京第五検察審査会です。同検察審査会については、審査会そのもの、議決内容、あまりにも若すぎる審査員の平均年齢の疑惑等について、当ブログでもたびたび問題にしてきました。今回は『植草一秀の「知られざる真実」』の10月31日付『検察審査員が不正に再任された濃厚な疑惑』という、驚くべき内容の全文を以下に転載致します。 (大場・記)

               *

ネット上ではすでに多くの指摘があるが、検察審査会の審査員選定に大きな疑問が投げかけられている。
 
 保坂展人元衆議院議員畠山理仁氏がブログに記事を掲載している。
 
 そのポイントを以下に列挙する。
 
 10月4日に、検察審査会事務局は小沢一郎氏に対して2度目の起訴相当の議決をした東京第五検察審査会の11人の審査員について、その平均年齢が30.90歳であると発表した。平均年齢が30.9歳になる確率は極めて低く、本当に無作為に抽出した審査員であるのかどうかとの論議を引き起こした。
 
 ところが、検察審査会事務局は、この発表について、10月12日に、37歳の審査員1名の年齢を足し忘れていたことを公表し、平均年齢が33.91歳であると訂正した。しかし、30.9を11倍して37を加え、その合計値を11で割っても33.91にはならないために、計算間違いではないかとの問い合わせが殺到した。
 
33.91
1137330.91137376
 
 すると、検察審査会は、10月13日に、もう一度平均年齢の発表数値を訂正し、平均値が34.55歳であるとした。検察審査会の説明によると、審査員の誕生日が来て、計算数値が変化したということだという。34.55歳が平均年齢だとする検察審査会の最終発表をもとに、11人の年齢合計を計算すると次のようになる。
 
34.55
11380
 
合計値は380ということになる。
 
ここで、もうひとつだけ計算値を示す。10月4日に検察審査会事務局が発表した平均年齢30.9歳に11をかけたものに足し忘れの37を加えた総合計値を11で割ってみるのである。
 
30.9
11340 
340
37377
377
1134.27

となる。
 
 検察審査会事務局が発表した、1回目の起訴相当議決を示した東京第5検察審査会の審査員11名の平均年齢は、すでに34.27歳と発表されている。
 
 2回目の起訴相当決議を示した審査員11名の平均年齢について、当初発表の30.9歳をもとに、37歳の1名の審査員を足し忘れていたとの事務局の説明に従い再計算して得られる平均年齢は、第1回目の起訴相当を議決した審査員の平均年齢と完全に同一になるのである。

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 これをどう解釈するか。
 
 もっとも有力な仮説は次のものである。
 
 第1回目の議決をした審査員と第2回目の議決をした審査員は同一である。
その平均年齢は本年4月27日時点で34.27歳だった。
 
 2度目の決議をしたのは9月14日だが、この時点で、11人の審査員のうち、3人が4月27日から9月14日までの間に誕生日を迎えた。その結果、年齢合計値が377から380に増えた。
 
377を11で割ると 34.27
380を11で割ると 34.55

になる。
 
 第1回目の議決をした審査員と第2回目の議決をした審査員がまったく別の11人であり、かつ、このような現象が生じることは、常識的には考えられない。その確率を専門家が計算すれば、恐らく、天文学的な数値分の一の確率ということになるだろう。
 
 つまり、第一回目の決議と第二回目の決議は、同じ審査員によって行われた可能性が極めて高いのである。
 
 2回目の審査補助員弁護士に城山タワー法律事務所の吉田繁實弁護士が委嘱されたのは9月7日だとする情報があり、この情報が正しいとすると、9月14日の審査会決議までの時間があまりにも短いことになる。同じ審査員メンバーで、実質的な論議を行わずに議決をしたのなら理解できるということになる。
 
 これまで伝えられてきた情報では、7月末で審査員の任期が満了になり、11人の審査員全員が新しい審査員に交代になったというものである。ところが、実際には、いったん任期満了を迎えた審査員全員がそのまま再選任されたということになる。
 
 問題は、このようなことが、現行の検察審査会の運営上、許されているのか、実際に行われることがあるのか、ということである。
 
 今回、検察審査会が扱っている問題は、日本の政治の根幹に関わるものである。実際、小沢一郎氏は昨年5月まで民主党代表の地位にあり、昨年3月3日の大久保隆規氏の逮捕(三三事変)がなければ、内閣総理大臣に就任していた人物である。
 
 また、本年9月14日には民主党代表選が実施され、当選していればやはり内閣総理大臣に選出されていた人物である。風説によれば、民主党代表選では検察審査会の決議が起訴相当になるとの情報が小沢一郎氏支持議員のひきはがしに使われたともいう。
 
 そのような重大な意味を持つ検察審査会であることを踏まえれば、その運営は透明、公正でなければならないはずである。
 
 国会が開かれているから、国政調査権を持つ国会は、今回の検察審査会の全貌について、徹底した事実解明を行うべきである。最重要のポイントは、検察審査会の審査員が本当に交代したのかどうかである。
 
 また、審査員の選任が本当にくじだけで決められているのかどうか。また、検察審査会の議事内容の公表も誰がどの発言をしたのかを伏せて行うべきである。
 
「天網恢恢疎にして漏らさず」
の言葉がある。
 
 不正があれば、必ず明らかになるものである。

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 (以上転載終わり)

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ブログ背景替えました(10年11月篇)

  愛猫の死の十月が終わりけり   (拙句)

 大型の台風14号が通過し、30日(土)は神奈川県県央地区の当地も日中は大風、大雨の荒れた空模様となりました。この日午後2時過ぎ外出し、近所を何十メートルか歩いただけで、折りから吹き付ける強風に煽られ、差していた傘が裏返しにめくれてダメになってしまいました。
 傘そのものはどうせ安物のビニール傘ですからいいのですが、雨はそんなに激しくないものの、とにかくわが身に吹き付ける突風が凄いのです。傘がダメになるというのは、近年ちょっと記憶にありません。それだけ激しい風が吹いていたということなのだと思われます。

 その時は急ぎ我が家に引き返し、別の傘と取り替えて、気を取り直して再度出かけました。歩き始めて考えてみるに、この風はどっちの方向から吹いているのか、それを確かめるのが大切なのでした。先ほどは南の方向に歩き、それに合わせて前方(南方)に傘を差し出してやられたのです。
 しかしどうやら風は北風、逆に背面の北の方に傘を向けなければならなかったのです。今度同じことだとまた二の舞になると心得て、背後(北方)に傘を回し、おかげで余計そちらからの風を受けて、その強風に促されるようにして歩きました。結果今度は何とか壊れずに済みました。

 ただ受けた被害はそのくらいで、もちろんどこかの家屋の屋根が丸ごと吹き飛ばされたというような、シャレにもならない大被害もなく、夕暮れ時には強風も雨も収まりました。同日夕や夜のニュースを見ていませんので何とも分かりませんが、懸念された台風14号は関東地方をほんの少し掠める程度で、太平洋上を足早に過ぎ去ってくれたもののようです。

 31日(日)は久しぶり、台風一過のすっきりした菊日和となるのかと思いきや。この日もどんより鉛色の曇り空で、何となく「冬近し」を予感させられました。挙句は夕方から、暮れなずむ街の街路が街灯に照らされて、濡れた路面が薄っすら光る程度の霧雨、深夜は少し本降りとなりました。
 週間予報では1日からしばらく晴天が続くとのこと。『日々雑感(10)』記事で触れました26日の夕方の強い風ではなく、気象庁は同深夜に吹いた強風をもって、関東甲信地方の「木枯らし1号」と発表したもようです。10月中の関東甲信の同1号は、10年ぶりのことのようです。

 先日の北海道、東北などの初雪、初冠雪の幾分早い便りといい、今年の冬は少し早めの到来、そして長期予報でも「例年より少し寒い冬になる」とのことです。記録的な猛暑を記録した今夏であれば、冬はその分暖冬になると思いがちですがそうでもないようです。
 何でも“ラニーニョ現象”により、この冬赤道直下の南太平洋上の海温は低下する、代わって日本列島真下の西太平洋辺りの海温は上昇し、そこにくねくね蛇行しながらやってくる偏西風に刺激されて上昇気流を引き起こす、そうすると西高東低の気圧配置による大陸北方からの寒気団が日本列島に到来しやすくなる。と一度聞いただけのうろ覚えでまったく正確ではありませんが、「風が吹けば桶屋が儲かる」式のややっこしい理由で、とこかくこの冬は寒くなるというのです。いやはや。

 と、こちらも「風が吹けば…」式ですが、『木枯らし1号も吹いたのに、もういつまでも「お月見」もないだろう』と、月も変わったことだし、ブログ背景を替えることにしました。私としてはこれまでの『十五夜』気に入っていた背景で、ここで替えるのは惜しい気もしますが、来年またと言うことで…。
 昨年から引き続きご訪問の方はお分かりかと思いますが、今度のテンプレート名は『もみじ』、昨年同時期に続いての使用となります。当ブログのテンプレートの使用は、原則季節ごと、そして夏は寒系、冬は暖系を基本として考えています。

 12月の冬至直前頃までと考えておりますので、その間この背景でのお付き合いよろしくお願い致します。

 なお当ブログ、開設以来「毎日更新」を原則にしてきました。が、一向に上向かない現下の経済情勢の中、私の業務いな生活そのものが「マジ、ヤバイ」状況になってきています。これは喫緊の問題で、今さら『だから小泉・竹中の新自由主義路線は間違いだったんだよ』とか、現菅政権の経済無策を批判してもどうなるものでもありません。
 もうこの国の政治はまったく何も期待できないもの、「無政府でないだけオーケー」くらいに思った方がいいようです。

 これからは徹底的な「自助努力」思考がいいようです。逆転の発想で、よく「ピンチはチャンス」と言われますが、まったくそのとおりだと思います。「天は自ら助く者を助く」で、普段なら決して使わないような“眠りこけた能力”を、(私の場合のように)窮地に追い込まれた場合は否応なしに引き出さざるを得なくなります。これを、自分自身の次なるステップアップに利用しない手はないと思います。
 自営をしていてひしひしと感じますことは、昨今「天下のお金の蛇口」がだいぶきつく締められているのではなかろうか?ということです。とにかくお金の回りが年々悪くなっているようなのです。この国は今とんでもない「経済的動脈硬化症」に陥っているように思われて仕方ありません。それとも私のところだけなのかなぁ?!

 今後は今まで以上に業務専念が求められます。もっと端的に申せば、「業務確保専念」、その結果より多くの業務をこなして「お金を得ること専念」が求められているのです。これは多分“自己実現”の最低レベルですが、これが私の実情なのですからここから再スタートするしか致し方ありません。
 と言うことで、今後しばらく当ブログの「記事更新」、時としてだいぶ間隔が空いたりすることもあるかと存じます。そのつどお断り致しませんが、そのこと予めご了承くださり、よろしかったら長くお付き合い願いますようお願い申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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