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勤労感謝の日に思うこと

  仕事が楽しければこの世は天国、そうでなければこの世は地獄  (西洋の格言)

 11月23日は勤労感謝の日です。この日の意義や祝日として制定されるに至った経緯などは、一昨年この日の『勤労感謝の日』で既に述べました。今回はこの日から連想されたことなどについて述べてみたいと思います。

 「勤労」の意義とはかけ離れたことから述べますが、米国の心理学者アブラハム・マズローは、人間の欲求について「五段階欲求説」を唱えました。これにつきましては、いずれ別記事として考察を加えてみたいと思います。
 そこで今回は簡単に触れますと、「生理的欲求」「安全の欲求」「所属と愛の欲求」「承認(尊重)の欲求」「自己実現欲求」の五つです。1番目の生理的欲求は、食欲・性欲・睡眠欲などの本能的、根源的な欲求です。マズローはそこから人間はステップアップして、4段階目の承認(尊重)の欲求が充たされた場合のみ、最終段階として自己実現欲求が現われると説いたのです。

 私はマズローのこの説は、深いところで「勤労」「働き」とリンクするのではないかと考えます。
 最初から高邁な理想を抱いている人は別として、人はまず衣食住という生存にとって必要不可欠のものを確保するため、つまりあけすけに言えば「カネを稼ぐために」働くわけです。それがもし確保されなければ、1番目の生理的欲求すら充たされず生存が覚束なくなるのですから当然です。
 衣食住が確保されゆとりが出てくると、仕事の質も生活も向上し次の段階にステップアップしていけるわけです。

 これは、戦後65年が経過した我が国の歩みから見ても同じことが言えそうです。それまでの価値観を180度転換させ、占領国アメリカからもたらされた西欧近代原理的な価値観をもとに、戦後日本の歩みが始まったのです。
 ごく一部の特権階級は別として、何もない焼け跡から「よーい、ドン !」でほぼすべての日本人の戦後はスタートしたのです。それは「きょうあした、どうして食いつないでいく?どこで寝泊りする?」というようなレベルですから、まさに第1段階の生理的欲求そのものです。

 少しずつ戦後の混乱が収まるにつれて、徐々に「死ぬか生きるか」の切実な問題から開放され、第1段階を脱していく人が増え始めたと考えられます。
 そして昭和35年の「60年安保」以降、この国は国民全体の集合的無意識がそう決めたのか、「今より物質的に豊かになりたい」という生き方を目指し始めます。そんな国民の無意識的要望に応えたのが池田勇人政権で、ズバリ「所得倍増政策」を打ち出したのでした。そして以後の自民党政権が順々に受け継ぎ、「高度経済成長」がうなりを上げて離陸していくことになったのです。

 かつて米国という(ブラック)フリーメーソン国家に対して、真っ向から戦争を挑んだ日本民族のポテンシャルはスバ抜けて高く、世界に突出した技術力、勤勉性が遺憾なく発揮されました。我が国はあれよあれよと言う間に世界に冠たる経済大国にのし上がり、国として世界各国からの「承認(尊重)の欲求」を充たしていったのです。
 昭和60年代にはアメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となり、当時は「日本の資産で米合衆国全土を買うことなどわけもない」とまで言われました。現にその頃、アメリカの象徴と言われたNYのロックフェラーセンター(666)ビルを三菱地所が買い取り、米国民はおろか世界中の人々をあっと言わせました。まさに「パックス・ジャポニカ(永遠なる日本)」絶頂でした。

 当時は「♪24時間、働けますか~、ビジネスマ~ン、ビジネスマ~ン、ジャパニーズビジネスマ~ン」というテレビCMに端的に表れているとおり、多くの日本人が、馬車馬のようにエコノミックアニマル(経済動物)的に突っ走っていました。その結果確かに「総中流意識」の下、多くの国民は物質面で高いレベルを充たしていったのでした。
 しかしその蔭では、公害、乱開発、国土破壊、人心の荒廃といった負の部分が恐ろしい勢いで進んでもいたのです。そして遂に来るべき時が来て、平成に入って間もなく「バブル崩壊」に突入したわけです。
 
 ある研究所の試算では、その時失われた(泡と消えた)国内資産は1千兆円にも上るということです。いきなり言われてもピンときませんが、関東大震災(大正10年)の総被害額が現在価格に換算すると約100兆円と言われています。ということは、バブル崩壊によって、全国の10箇所に同震災クラスの巨大地震が発生したと同じことなのです。
 そうしてみますとバブル崩壊というのがいかに激甚なものであったことか。何やら見えざる世界からこの国に振り下ろされた大鉄槌だったようにも思えてきます。

 以前『東京オリンピックの思い出』シリーズでも述べましたが、昭和30年代後半からの高度経済成長は、完全な「魔違い路線」だったのです。何せ国全体の「自己実現」を果たすどころか、途方もない損失と共に躓いて、以後今日まで次なる明確な国家ビジョンも、政策も何もない漂流、茫然自失の「失われた20年」状態がずっと続いているのですから。
 それはまた、私たち国民のかつての「勤労」「働き」も大いにズレたところがあったということです。

 私たちが“働く”のは、つまるところ「豊かさ」の追及が目的です。豊かさはまた「幸福」と言い換えることもできます。私たちの深いところにある願望とは、「幸福欲求」に他ならないはずです。
 ある人は、真の幸福とは「四つの幸福」がすべてそろった状態だと述べています。それは「霊的幸福」「精神的幸福」「肉体的幸福」「物質的幸福」です。そしてすべての幸福の元になっていて、一番大切なのが「霊的幸福」だと言うのです。

 思えば私たちは、これまでそんな幸福があることさえ知らずに、もっぱら「肉体的幸福」「物質的幸福」だけを血眼になって追い求めてきたのです。この状態は、禅の教えで言うところの「顛動夢想」(てんどうむそう-道理から逆さまにひっくり返っていること)です。
 そろそろこのひっくり返った状態をひっくり返して、本来のあるべき状態に戻さないと、いつまでたっても「真の幸福」も「真の働きがい」も見出せないのではないでしょうか。

 (大場光太郎・記) 
   

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コメント

それにしても北朝鮮はどうしようもないし、それをかばう中国も稚拙。

投稿: あさちゃん | 2010年11月23日 (火) 23時08分

あさちゃん様
 コメントありがとうございます。確かに北朝鮮はどうしようもない国ですね。
 ただ今回の事件の場合、韓国の蔭で米国が糸を引いているような気がしてなりません。今この時期韓国は、両国の領土問題で緊迫している何とか島で、なぜわざわざ北朝鮮を挑発するような射撃演習をしたのでしょうか。
 9月7日に発生した中国漁船衝突事件しかり。そこには間近に迫った我が国沖縄知事選を控えて、米国としては、東アジア、東北アジアが緊張状態にあることが望ましいわけです。何せ米国にとって沖縄の各基地は、極東及びアジア全体をコントロールする軍事戦略上不可欠なのですから。
 間近に迫った沖縄県知事選で、万一にも普天間基地の県外、国外移設派の井波氏が当選するようなことになれば、米国にとって大変なわけです。そこで漁船衝突では、我が国の前原らを裏で操り、今回の射撃事件では韓国のイ・ミョンバク政権を蔭で操り、我が国メディアに中国と北朝鮮の脅威を煽りまくらせる…。
 なお以前当ブログで取り上げましたように、何ヶ月か前の韓国潜水艦沈没事件も、北朝鮮の魚雷攻撃によるものではなく、(ちょうどその時米韓合同演習中の)米原潜とのトラブルによるものだった可能性大です。

投稿: 時遊人 | 2010年11月24日 (水) 00時37分

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