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2010年12月

今年行く

  雪の如(ごと)降りては消ゆる月日かな  (拙句)

 遂に1年365日も残り1日の大晦日となりました。毎度繰り返しますが、本当に1年などあっという間です。
 加齢により人は、時間の経過に対して、若い頃よりは早く過ぎる感覚を持つようになるといいます。もちろんそれもあるのでしょうが、「今この時」は老若男女の別なく時間経過の速さを一様に感じているはずです。

 「時間密度」が稠密化しているのは紛れもない事実のようです。最近の世の中の変化の超スピード化、コンピュータシステムなど諸々のテクノロジーの呆れるほどの進化などにそれは顕著に現われているとみるべきです。
 少し前の『続々・2012年12月22日』記事でも触れましたが、同日に至る約25年間を称して「ナノセコンド」という“プレアデス+”の表現は、案外的を得ているものかもしないのです。なお「ナノ」は10億分の1を表わす単位で、ナノセコンドとは10億分の1秒ということになります。つまり地球人とはDNA的に最も近いとされ、何十万年オーダーで地球と地球人の進化を見続けているプレアデス存在などからすれば、「ガイア・アセンション」に至る超加速化のこの時代は「瞬きの間」だということです。

 それではこの超加速的時間の果てに、一体何が待ち受けているのでしょうか?外国のある研究者は、コンピュータ解析により、問題の2012年12月22日には「タイムゼロ」に突入するという結論を導き出しました。
 果たしてそれが事実になるかどうは分かりませんが、仮にそうなるとこれまでの私たち人類の過去→現在→未来という直線的時間感覚は、根本から大きな変革が迫られるだろうと予測されます。

 なにやらいきなり小難しい話になってしまいましたが。
 現実社会のこの1年に目を転じますと、「変化加速度の時代」にふさわしく、まあ今年も実にさまざまな出来事がありました。第一番はやはり何と言っても政治の暗転です。端緒は、FD改ざん事件でその正体を現わした検察による小沢捜査でした。検察、マスコミ、民主党内悪徳勢力の策動により、鳩山前政権は短命を余儀なくされ国民の政権交代の夢は幻と消え、後を襲った仙菅「仮免」政権により、とんでもない「政権後退」の1年となってしまったのです。

 「政(まつりごと)乱れれば民乱れる」。この道理により、今年1年の世相も乱れに乱れました。実の親がわが子を虐待の末殺す、痴情のもつれの末に男が女を、女が男を殺しどこかその辺に捨てる…。何も今に始まったことではありませんが、鬼畜の所業のような陰惨な事件は、今や日常茶飯事で全国津々浦々で起きています。
 このような異常事件にすっかり慣れっこになって、ぽかんとテレビ画面を見ている自分に愕然とすることがあります。

 有名人の引き起こした事件として、昨年は押尾学や酒井法子の薬物がらみの事件や、「平成の大毒婦」としてにわかに有名になった木嶋佳苗の連続殺人事件が世間の注目を浴びました。
 今年はさすがにそのような超ど級の事件こそありませんでしたが、それでも1月の初場所中の元横綱・朝青龍の川奈毅への暴行事件、そしてその川奈毅の弟分にあたる関東連合の伊藤リオンなどによる、市川海老蔵暴行事件なども世間の注目を浴びました。

 それによって朝青龍は相撲界引退、「世紀のヒール」人気に支えられていた相撲界はただでさえ大痛手なのに、野球賭博問題がさらに追い討ちをかけ、白鵬が何十連勝しようがまったく関心が持てなくなった人も多かったことでしょう。
 海老蔵事件は案の定示談成立で一件落着となりそうです。逆被害届を出す勢いだった元暴走族リーダーとの示談金は2億とも3億とも言われ、CMスポンサーからの損害賠償も含めれば海老蔵の損害額はゆうに数億円にも上ることでしょう。
 いくら「国から2億円」もらえる海老蔵とは言え、あまりにも高くついた「酒癖の悪さ」でした。これには玉の輿挙式をしたばかりの小林麻央も、内心『こんなはずじゃあ…』と思っていることでしょう。

 何かの折りに述べたかもしませんが、今は「産み出しの時」です。地球が新しく産み出されようとしているのです。そして「産み出し」はまた「膿(うみ)出し」でもあります。
 地球規模での膿出しが必要な時です。そうでなければ、まっさらな新しい地球に生まれ変わることができないからです。国々、処々、家々、人々、内に抱え込んでいる膿(カルマ)は皆悉く出し尽くす必要があります。であるならばなるべく早く、小出しに出しておいた方が楽なのです。内に汚いものをいっぱい抱えていながら、「出すまい、出すまい」とりきんでいる人は大変です。海老蔵ではないけれど、ある時凄まじい勢いで業(カルマ)が噴出してしまいます。

 仮面をかぶっていてはこの先やっていけなくなります。己に正直になって、本音で話し本音で行動することが必要な時代なのです。
 そういうご時世ですから、新年も決して穏やかで平和な年では有り得ないことでしょう。その覚悟が必要です。ただ世も人も我も、大難は小難に、小難は無難にと祈らずにはおられません。

 どうぞ皆様、来年が良いお年でありますように。

 (大場光太郎・記)

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神社は最強のパワースポット !?

 -初詣の増加、パワースポット巡り…。長引く不況による不安感の裏返し?-

 いよいよ年の瀬が迫ってきました。そこで今回は少し気が早いかもしれませんが、初詣、パワー神社、伊勢神宮、パワースポットなどを取り上げてみたいと思います。
 
 12月28日付『日刊ゲンダイ』14面、15面見開きで、「不況時代を乗り切れ !!」「都内屈指の“パワー神社”で強運体質を手に入れろ !」というデカイうたい文句で特集を組んでいます。何でも金運、勝負運、商売繁盛、縁結び果てはゴルフの飛距離アップ運まで、速攻でご利益を叶えてくださるという、東京都内の神社・仏閣六社が紹介されています。
 「愛宕神社」「飛不動尊」「成田山深川不動堂」「花園神社」「鷲神社」「牛天神北野神社」の六社です。09年1月の『寒川神社参拝記』シリーズで述べましたように、私自身は、ここ20余年来ずっと、相模一之宮・寒川神社オンリーです。花園神社は行ったこともありますが、今さら“神様浮気”はできません。都内にお住まいで『これだ !』という寺社がある方は、参拝してみてはいかがでしょうか?

 一々ご紹介したいところですがその余裕はありませんので、六社のうち「愛宕神社」のみご紹介致します。
 愛宕(あたご)神社は都内港区にあり、日刊ゲンダイ記者の売り言葉は、「花のお江戸の守護神に祈願 ! 徳川家康の“戦勝運”をいっぱいもらって、来年は全てに勝つ !」だそうです。江戸時代「お伊勢七度、熊野に三度、芝の愛宕へ月参り」と謡われたほど、江戸庶民の信仰が厚かった神社のようです。

 同神社の由来がこれまた面白いので、以下に紹介してみます。
 1582年、大和、宇治の戦いを終えた徳川家康が近江の国(今の滋賀県)信楽で“勝軍地蔵尊”を献上されたそうです。以来家康は出陣のたびにこの勝軍地蔵尊に戦勝祈願を重ね連戦連勝、1600年の“天下分け目”の関が原合戦にも勝利し、征夷大将軍に昇りつめました。
 そこで家康は、勝軍地蔵尊を徳川家の「護り本尊」と定め、江戸城に近く江戸市中で最も高い愛宕山に手厚く祀ったのです。

 同本尊に祈願して家康が天下を取ったという話は、またたく間に江戸中に広がり、「これ以上の開運はない」と江戸庶民の信仰を集めたというのです。
 実際の話、この神社は江戸を守ったことがあります。明治元年、幕府軍の勝海舟は江戸総攻撃をもくろむ官軍の総大将・西郷隆盛を愛宕山に誘ったのです。もし総攻撃が実行されれば、江戸中火の海です。そこで勝は眼下に広がる市中を見せ、西郷を翻意させ“無血開城”の筋道をつけたのです。
 「その時歴史が動いた !」。愛宕山山頂で、両雄は何を語り合ったのでしょうか?

 次は『日刊ゲンダイ』(日付不詳)が「日本最強「パワースポット」」「独身ОLが殺到で、参拝者が過去最高を記録」と銘うっている、「伊勢神宮」に関する話題です。
 神宮司庁によりますと、今年1月1日から12月19日までに伊勢神宮の内宮(ないぐう)と外宮(げぐう)を訪れた参拝者数は860万3748人で、過去最高を更新したというのです。
 ちなみにそれまでの最高は、20年に一度行われる式年遷宮で、御神体を移す「遷御」が行われた1973年の約859万人だったそうです。37年ぶりの記録更新ということになります。

 「式年遷宮の年以外で、これだけの参拝者が集まるのは異例のことです。伊勢自動車道で無料化社会実験が実施された影響もあるでしょうが、神社に対する関心が高まっていることを示す現象だと思います」と、関係者は話しています。
 ところで今は「パワースポットブーム」です。女性ファッション誌でも、伊勢神宮はパワースポットとして、さかんに取り上げられているのだそうです。
 「パワースポット」とは、そこに行くだけでパワーをもらえる特別な場所のことで、風水(ふうすい)では「宇宙の気が集中する場所」と考えられていて“龍穴(りゅうけつ)”と呼ばれています。

 伊勢神宮の中でも、天照大神(あまてらすおほみかみ)が祀られている内宮の神域の“御垣内”は日本最強のパワースポットとされており、特に縁結びの効果があるそうな。 そこで同神宮はОLにとっては憧れの旅先になっていて、旅行特集で取り上げると、反響がすごいのだそうです。
 なお伊勢神宮に行くのが面倒な向きには、手近な「縁結びのパワースポット」として東京大神宮があるそうです。両神宮は“縁結び”の双璧だそうです。

 都内千代田区にある東京大神宮は、平日昼間から“若いオナゴ”でごった返しているといいます。女性向けに可愛らしいデザインのお守りが売られており、争うように買っていく光景は異様でもある、とは記者さんの感想です。続けて「こうもパワースポットにすがるのは、現代の病理のようにも見えてくるのだ」と鋭くコメントしています。

 なるほど確かに。この場合の若い女性たちに限らず、現ニッポン人は新聞、テレビ、雑誌などマスコミ情報に、依存し過ぎているところが大有りです。
 こういう手合いが一番困るのです。マスコミにとっては、これほど世論誘導しやすい人種はないわけですから。しかしこういう層が、国民の多くを占めているのもまた事実です。
 マスコミは、予め誘導したい方向の情報をどっさり与えておけばいいのです。その結果、「郵政民営化は必要ですかーハイ」「小沢一郎はクロですかーハイ」「消費税増税はやむをえませんかーハイ」「憲法改正は必要ですかーハイ」「米国と一体化した軍事行動は必要ですかーハイ」…。おいおい、この先のニッポン、ホントに大丈夫かよ !?

 かなり脱線してしまいましたが。スピリチュアルに大いに関心のある私も、パワースポットの重要性は認めます。しかし風水の「ふの字」も知らないで、それに頼りきるのはいかがなものか。
 「すべての力の源は自分自身の内にある」「天は自ら助くる者を助く」。この真理を等閑視して、外の情報に振り回され外の力に頼ってばかりではいけませぬ。

 (大場光太郎・記) 

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小沢一郎受難年

 -今年の政局は小沢で始まり小沢で終わる。まさに「小沢一郎受難年」だ-

 あれほど出席を拒み続けていた小沢一郎民主党元代表が28日、「通常国会で政倫審に自ら出席することを決意」しました。これは、本来ならば晩秋には死に絶えていなければならない“蝿”のように、「悪盛んにして天に勝つ」状況下で、年の瀬でもブンブン五月蝿(うるさ)く飛び回る菅直人、仙谷由人、岡田克也らの、やれ「政倫審出席だ」「でなれば証人喚問だ」「起訴されば離党勧告だ」と口汚くわめき散らす“冬蝿ども”に辟易したものなのでしょうか?

 そもそも昨年春の大久保元秘書逮捕からの一連の「政治とカネ」問題は「完全無罪」、検察とマスコミによって作られたもの。まして来春、無実の罪によって起訴確実な身からすれば、一部憲法学者や平野貞夫元参院議員らが訴えているように「政倫審等への招致要請は憲法違反の疑義がある」。
 したがって小沢元代表とすれば、一切招致に応じる必要はないけれども、仙菅ら悪徳旧勢力呼応勢力断然優位の現状では、これ以上拒み続けば党分裂不可避と読みきって、小異を捨てて大同につく苦渋の決断を下したものなのでしょうか?

 ただ菅・岡田執行部からすれば、今回の小沢氏の出席への転換はすんなり飲めるものではない、小沢流の「くせ球」「高等戦術」であるようです。自民党など野党が「通常国会審議に応じる」条件としているのは、小沢政倫審招致ではなく、参院で問責決議を出されている仙谷官房長官や馬淵澄夫国交相の辞任であるからです。
 小沢元代表は、「まず“反小沢”の首魁である仙谷の首を切れ。そうしたらオレも政倫審に出てやる」という注文付きなのです。“実質総理”を失えば、当然“お飾り総理”の菅直人はとても持ちませんから、菅や岡田らは「いや、通常国会前の出席だ」と反発しているわけです。
 この問題このまますんなりとは決着せず、党内内紛は越年しそうな見通しです。

 ところで「今年の政局は小沢に始まり小沢で終わる」感を深くします。何だかんだ言っても、それだけ小沢一郎は現在の全政治家の中で政治的力量が突出している証明でもあります。
 思い起こせば事の始まりは、あろうことかおめでたい元旦早々、読売新聞が小沢氏の資金管理団体「陸山会」の世田谷土地購入問題を報じたことがそもそもの発端でした。これを受けて1月5日頃TBSの杉尾某キャスターが、「元旦の新聞トップで小沢氏を取り上げたということは、今年はこれが大問題になるということなのです」と、したり顔でコメントしていました。

 他紙やテレビも一斉に追随、小沢土地問題を連日大々的に報道していくことになりました。その口火を切ったのが読売だったのは当然と言うべきです。発行部数日本一を誇る今日の読売の基礎を築いたのは、“大正力”こと正力松太郎です。しかし正力の裏の顔は、「PODAM」というコードネームを持つCIAエージェントだったのです。
 あの大正力は、実は「アメリカに魂を売った人物」だった。その流れは現在のナベツネ(渡邉恒雄)にも確実に受けつがれているとみるべきです。読売は「世身売」と名前を変えるべきです。

 政権交代がにわかに現実味を帯びだした昨年来、それを阻止するため一番邪魔になる小沢一郎の抹殺計画は、「米官業政電」悪徳ペンタゴン勢力によって、着実に練られていたとみるへきです。
 民放TVの元政治部記者だった人は、去年夏頃「小沢一郎が逮捕される夢を見た」とご自身のブログで綴っていました。実際夢を見たかどうか定かではありませんが、同TV局を退職している同氏のもとにも、小沢情報は入っていたことでしょう。
 また昨年暮れジャーナリストの勝谷誠彦氏が、関西の某民放番組で「12月のXデーに大物政治家が逮捕されるらしい。そのため東京拘置所には、全国から所員が集められているらしいよ」という発言も、どこからか「小沢氏逮捕」情報を掴んだからに違いありません。

 我が国政治と国民生活にとって不幸中の幸いなことに、小沢逮捕だけは免れました。しかし既にご存知のとおり、年初以来の東京地検特捜部の執拗な小沢捜査、新聞・テレビの“推定無罪の原則”を大きく逸脱した土石流的「小沢一郎 = 犯罪者」報道、「日本版CIAネットワーク」とつながりがありそうな怪しげな市民団体の暗躍、検察審査会による戦前を髣髴とさせる暗黒審査と暗黒議決…。

 それに輪をかけて非道(ひど)いのが、アメリカや官僚やマスコミに魂を売り飛ばした菅直人、仙谷由人、岡田克也、前原誠司、渡辺恒三らの民主党内悪徳旧勢力連中です。並みの政治家の能力があれば、一連の小沢捜査がいかに謀略に満ちたものであるか一目瞭然に分かるはずです。
 政権交代の最大の功労者を“挙党一致”で護るどころか、すべては自己保身のために生け贄として進んで差し出そうというのです。これはイエスを裏切ったユダのような、人間として許されない背徳行為です。このような者共がいくら策謀を巡らして政治的命脈を保とうとしても、天が決して許さないことでしょう。

 それにしても驚嘆すべきは、小沢一郎の政治的生命力の強さです。もっとも「15年戦争」と言われているように、小沢vsマスコミの対立構図は何も今に始まったことではありません。並みの政治家だったら、まずその過程で確実に潰されています。
 その上特に今年は、米官業政電・悪徳ペンタゴン勢力総がかりの猛攻撃です。小沢の師だった田中角栄や金丸信がそうだったように、この時点までくればほとんどの政治家は政治生命が終わっています。
 しかし唯一の例外として、小沢一郎のみは「一兵卒」になったとはいえ強固な政治的基盤をしっかり保っています。一番奥でアメリカ戦争屋が糸を引いているらしいことを考えれば、これは戦後政治史上の奇跡なのではないでしょうか?

 小沢一郎は「無実の罪」により、新春にも強制起訴、刑事被告人確実な身です。小沢氏にとって来年も厳しい一年であり続けることでしょう。しかし「真実は必ず顕われ」ます。スピード加速化のこの時代は、以前より短期間で顕在化します。
 小沢氏は最近『鄧小平伝』を読み、「鄧小平はオレの年の68歳には、(文革で)地方に飛ばされていた。それからみればオレの今の状況なんか楽なもんだよ」というような感想を漏らしたといいます。
 そうです、その心意気です。後2、3年後小沢一郎が必要とされる時が必ずきます。その時こそ、明治以来の悪しき官僚制度打破と、戦後日本を呪縛してきた対米隷属からの脱却のために、小沢一郎が存分に大鉈をふるう時です。

 (大場光太郎・記)

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10年冬季版・鷹桜同窓会報

 -母校の先輩の、日本農学賞授賞という取って置きのニュースをお伝えします-

 師走になると近年、郷里から毎年決まって届くものがあります。その一つは2軒の親戚の家から届く、リンゴとラ・フランスです。これは以前の記事でも述べましたが、いずれも「果物王国・山形」の郷里直産の果物で、大変嬉しくまたおいしくいただいています。
 そしてもう一つは、これも以前『鷹桜同総会報』『続・鷹桜同総会報』記事にしましたが、私の母校・山形県立長井高等学校の同窓会報である「鷹桜(ようおう)同総会報」です。
 11月28日発行という今回の同会報の中で、『おおっ !』と目を惹いた記事がありましたので、以下にご紹介します。

 鷹桜同総会報はA4版の大きさで全16面あります。その7面全面を【特別寄稿】が占めています。寄稿したのは安部浩という人です。この人は東京農工大学名誉教授で農学博士の肩書きを有しています。
 同総会報に寄稿するくらいですから安部浩氏は母校出身者であり、(私はこれまで催しものに参加したことはありませんが)東京鷹桜同総会の会長も務めている人のようです。卒業年度は昭和36年、私より7年先輩に当たる人ですから御年68歳前後でしょうか。

 安部浩氏の特別寄稿のタイトルは、『日本農学賞を拝して』です。平成22年4月5日、東京大学山上会館で第81回日本農学賞並びに読売農学賞の授与式が行われ、安部氏は「天然植物成長調節物質の生物有機化学に関する先駆的研究」の功績により、両賞授賞の光栄に浴されたというのです。
 日本農学賞は、日本農学会主催によるもので、日本の農学研究者間における最高の栄誉と言われている賞なのだそうです。
 安部氏は「この朗報を受けた時の驚きと嬉しさは生涯忘れられません。2年前に定年退職を迎え、現役を離れていた時でしたので、思いも寄らぬ栄誉を賜り、家内と握手して喜びをかみしめました」と、授賞の一報に接した時の喜びを綴っています。

 今回の授賞対象となった安部浩氏の研究は、「植物ホルモンをはじめとする植物の成長を調節する物質の新発見から生理作用の解明、農業技術への応用に関する先駆的研究」ということのようです。
 約40年間にわたって取り組んできた研究成果を国内外の学術雑誌に論文発表し、またさまざまな国際会議の場で講演発表を行ってきたことで、高い評価を受けたことが今回の栄誉に結びついたようです。

 安部氏の研究成果の一部は、「農業技術の応用」例として、ロシア、東欧、中国、タイなどで作物増収や植林用苗木の大量生産に役に立っているといいます。
 「近年活発に行われている遺伝子・酵素レベルでのアプローチに科学的に確かな環境にやさしい持続的な農業技術の開発、環境保全を重視した作物の生産や保護技術の開発に新たな指針を示すことになったのは嬉しい限りです」と、同氏は述べています。

 安部氏は農学の専門家としてさらに、2010年は「生物多様性年」にあたり、日本が議長国となり名古屋でCОP10が開催されたことを踏まえ、「今後はますます自然と調和の取れた経済と社会の発展が求めらている」と述べています。
 同氏が言うには、年間4万にものぼる生物種が絶滅し、自然界から消滅していっているのだそうです。先日テレビでおなじみのさかなクンが、70年前に絶滅したと考えられていた我が国固有の淡水魚“クニマス”の発見者として報道され、今上天皇もお誕生日談話で「さかなクンの功績」を讃えておられました。それは確かに意義深いことながら、毎年四万種の絶滅対一種の再発見には考えさせられます。
 そこで同氏は「この(急速な生物種絶滅の)原因を究明するのが21世紀科学の使命だ」と、専門家として訴えているのです。

 安部浩氏は最後に、「自然に恵まれ、自然に学ぶ機会の多い長井高校で学ぶ生徒諸君に、ジャ二ン・ベニュス著『自然と生体に学ぶバイオミミクリー』の本を薦めます。「万物我に備わる」精神を活かし、今世紀に課せられた使命に挑む科学者が育まれることを期待しております」と結んでいます。
 これは在校生のみならず、“だいぶ昔在校生”だった私も機会があれば読んでみたくなりました。

 私は、安部浩氏のことはこれまでまったく存知上げませんでした。また「日本農学賞」「読売農学賞」という賞があることも知りませんでした。ともかく本当に栄えあるご授賞心よりお慶び申し上げます。また母校の後輩として、かくも素晴らしい先輩を持ち得たことを誇りに思います。
 門外漢の私にはまったく分かりませんが、一口に「農学」と言っても間口は広く、一つ一つの研究分野の奥行きはうんと深いことでしょう。その中で若くして『これだ !』というご自身のテーマをいち早く見出され、後はわき目もふらずに研究の完成に没頭してこられた安部氏の「研究者魂」には頭が下がります。

 おととしの『万物備乎我』シリーズで述べましたように、犬養木堂翁(犬養毅元首相)より「万物備乎我」の揮毫を戴いて、それを校訓とする母校の前身の(旧制)長井中学校が発足したのが大正9年のことでした。爾来およそ九十星霜、母校を巣立って行った卒業生は2万人余に上るといいます。
 中には安部浩大先輩のように、立派に大輪の花を咲かせた人もいるかと思えば…。自分が惨めになるだけですから、そのあとに続く言葉は言いません。

 (大いにハッタリを申せば)還暦を過ぎたにも関わらず、「今まではリハーサル。オレの人生これからが本舞台 !」と半ば以上本気でそう思っている“わたくしめ”は、安部大先輩の爪のアカでも煎じて飲ませていただきたいものと考える、きょうこの頃です。

 (大場光太郎・記)

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蟻の街のマリア

 -戦後間もなくかくも気高い聖女がいたことを私たちは誇りに思わねばならない-



 今回はクリスマスにちなんで、感動的な生涯を送った一人の女性を紹介します。
 北原玲子(きたはら・さとこ)という名前、お聞きになったことがおありでしょうか。今から十数年前、関口宏が進行を務めるある民放番組で紹介されたことがありますから、あるいはご記憶の方がおいでかもしれません。

 北原玲子(1929年~1958年)は、戦後間もない1950年代隅田川の言問橋(ことといばし)周辺、現在の墨田公園界隈にあった通称「蟻(あり)の街」というバタヤ集落に住み込みます。そこでキリスト教的奉仕精神で、そこの子供たちの教育の向上や街の改善に取り組み「蟻の街のマリア」の愛称で呼ばれましたが、無理がたたって病を得て亡くなった人です。

 そもそも北原玲子は、群馬大学教授・東京農業大学教授で経済学博士の北原金司の三女です。言ってみれば“いいところ”の令嬢であったわけです。ですから1950年彼女が転居した姉の家が浅草で、いくらそこから蟻の街が近いとは言っても、そんな貧民街など無視することも近づかないこともできたはずです。
 そしてしかるべき良家のだんな様の許に嫁いで、裕福な令夫人としての人生も大有りだったのです。
 
 しかし北原玲子はそのような約束された幸せを蹴り、おそらく若い身空のお嬢さんなら1万人中9,999人が尻込みするであろう「蟻の街」へと敢然と飛び込んで行ったのです。そこまで彼女を駆り立てたのは何だったのでしょうか。
 彼女は昭和女子薬科専門学校(現昭和薬科大学)卒業後、1949年光塩女子学院で授洗しています(洗礼名はエリザベス)。『マタイ福音書』中に「あなた方は世の光であり、世の塩である」というイエスの有名な言葉がありますから、同女学院はミッション系スクールだったのでしょう。
 
 中世のアビラの聖テレジアから現代のマザー・テレサに至るまで、歴代の聖女に一貫してみられるのは主イエスへのひたむきな信仰、キリスト精神に基づく献身です。おそらく北原玲子にも、その精神が内在していたのではないでしょうか。
 それに加えて彼女の周囲に散見されるのは、戦後の混乱と人々の貧しさです。当時親なき児、家なき児など、決して珍しいことではありませんでした。北原玲子は、それを見て見ぬふりできない性分に生まれついていたのでしょう。気高い「同苦の精神」の持ち主だったのです。

 それに彼女には決定的な出会いがありました。戦前「アウシュビッツの聖者」コルベ神父にしたがって日本にやってきた“ゼノ神父”ことゼノ・ゼブロフスキー修道士との出会いです。蟻の街にも出入りしていたゼノ神父は、時折り彼女が住んでいる浅草の姉の家に訪ねてきては、片言の日本語で彼女に「キリストの愛の実践」を勧めて帰っていくのです。
 こうして北原玲子は蟻の街を訪ね、その生活の困窮を目の当たりにし、遂に意を決して蟻の街に身を投じることになるのです。

 「蟻の街のマリア」へと成長した彼女の活動は、当時世界に発信され賞賛の声が届けられたようです。しかし正真正銘の聖女へと変貌を遂げていた彼女は、「財宝ばかりでなく、名誉や地位もまた悪魔的な誘惑だ」として、その名声に甘んじることは決してなかったそうです。
 蟻の街における諸々の奉仕活動での体力的な無理がたたり、著しく健康を害し、療養のため一時蟻の街を離れます。しかし死期を悟ると蟻の街に再び移住し、1958年(昭和33年)1月23日腎臓病で夭折しました。享年28歳。
 葬儀は蟻の街の集会所で行われ、その死を悼む蟻の街の住人、子供たち、取材の報道陣で溢れかえりました。墓所は多磨霊園にあります。

 なおこの地区に生まれた「蟻の町教会」は、東京都中央区月島8号埋立地の「カトリック枝川教会」を経て、東京都江東区潮見のカトリック潮見教会となっている(近くにはカトリック中央協議会本部がある)ようです。
 1983年6月1日に完成した、新しい教会堂には「蟻の町のマリア」の名称が冠せられているそうです。

 北原玲子の蟻の街での活動のようすは、彼女が亡くなった1958年、松竹作品『蟻の街のマリア』というタイトルで映画化されています。主演は千之赫子、出演は丸山明宏(後の美輪明宏)、多々良純、佐野周二などです。
 この映画の原作となったのが、松居桃樓(まつい・とおる)の著書『蟻の街のマリア』です。松居自身蟻の街に居住し、住人たちから「先生」と敬称され、生前の北原玲子の相談に乗り助言を与えた人です。「蟻の街のマリア」と直接触れ合っていた人だけに、随所に感動的なエピソードが盛り込まれ、涙なしには読めない本です。
 読後、心がきれいさっぱり洗われることを請合います。

 (注記)本記事は、フリー百科事典『ウィキペディア』を参考にしてまとめました。

 (大場光太郎・記)

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「美しすぎる女スパイ」のその後

 -男性誌で大胆セクシーポーズ。かと思えば、党幹部をステップに政界進出?-


       男性雑誌『マキシム』(ロシア版)の表紙を飾るアンナ・チャップマン

 米国で今年6月スパイ容疑で逮捕、「美しすぎる女スパイ」として米国民の話題をさらったのが、ロシア人女性のアンナ・チャップマン(28)でした。その後チャップマンは「スパイ交換」で7月、ロシアに帰国しました。
 「米国でのスパイは、ロシアでのヒロイン」とばかりに、帰国するやチャップマンの故郷、ロシア南部のボルゴグラードでは、同市の市民団体が「アンナはボルゴグラードの名を世界中に知らしめた。彼女に名誉市民の称号を」との呼びかけがなされたようです。
 それどころかチャップマンは、プーチン首相やメドベージェフ大統領とも面会し、10月には栄えある国家勲章が授与されました。

 かと思うとアンナ・チャップマンは、男性誌『Maxim(マキシム)』11月号のロシア版で、大胆セミヌードを披露し、世の男どもの度肝を抜きました。冒頭の画像は、同誌の表紙を飾ったチャップマンの、ボンドガールも真っ青のセクシーポーズです。
 なるほど噂に違わぬ悩殺ボディですが、画像が大きすぎて私自身恥ずかしい気がするほどです。最近画像アップの方法を少し覚えましたが、画像を縮小したりする高度な技術にはほど遠く、「ほどほどに」が出来ず恐縮です。

 今やすっかりロシアにおける「時の人」となったチャップマンは、その後カザフスタンのバイコヌール宇宙基地での宇宙船打ち上げに姿を見せて騒ぎとなりました。
 さらに今月14日には、ロシア版シリコンバレーと呼ばれるスコルコボ技術革新センターを訪問しています。米国で収監中は弁護士に「このまま米国にい続けたい」と駄々をこねていたそうですが、この時の記者たちの質問に「帰国後の生活を楽しんでいる」と答えたそうです。何でも彼女の最近の仕事というのは、某商業銀行の顧問だそうですが、「この仕事に満足しているか?」の質問には、「まあ、そうね」とどっちつかずの答えだったといいます。

 そんなアンナ・チャップマンの最新ニュースが23日、日本のメディアでも一斉に報じられました。それによりますとチャップマンは、与党・統一ロシアの青年組織の要職に就いたようだというのです。彼女は22日同組織の大会に出席し、「未来を“笑顔で”変えるべきだ」と演説したのです。
 この日のチャップマンは、赤と黒のタイトなボディスーツ姿で壇上に登場し、かつてのソ連時代の党幹部の演説を彷彿とさせる口調で、人生に前向きになるよう若者たちに訴えました。

 日本のテレビでも彼女の演説の一端が放送されましたが、案に違わず「美しすぎる」上、話しぶりもなかなかどうして堂に入ったものでした。ロシア諸民族友好大学(経済学専攻)では優秀な学生だったそうですが、やはり並々ならぬ聡明さを感じました。

 大方の見方のように、これを足がかりにアンナ・チャップマンはロシア政界に進出するのでしょうか?だとするとひょっとして何十年か後に私たちは、「かつての美しすぎる女スパイ、ロシア初の女性大統領に !」などというニュースに接することがあるかもしません。
 仮にそうなったら彼女は、自分を罰したアメリカとどう向き合うのでしょう。「もうお互い、暗いスパイ活動をし合うのはやめにしましょう。平和のために秘密情報をさらけ出し、ウィキリークスを全面活用して、世界中にバラシちゃいましょう」とでも言うのでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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『クリスタルの階梯』

 -「アセンション」とは何かを、基本から学びたい人にはお奨めの一書です-

 『クリスタルの階梯』という本のタイトルを思い出しては、読んでみたいと思っていました。これはスピリチュアル関係の本ですが、その関係専門の出版社である「太陽出版」の、設立当初発行された本の一冊です。

 書店でわざわざ取り寄せてもらうのも億劫で、入手は延び延びになっていました。ところが今から1ヵ月余前、たまたま我が家の久しく覗いていない本棚に並べられた本を、ほこりもかぶっていることだし、一冊ずつ取り出して“にわか虫干し”してみたところ、何とその中に『クリスタルの階梯』があったのです。
 少し変色気味の本のカバーを見てみると、本厚木駅ミロード内にあったI集文堂のもの。しかしいつ、どんな次第で買ったものかなど仔細はサッパリ覚えていません。そのくらいですから、本の内容などまったく記憶にないわけです。

 『思わぬトクをしたわい !』とページをパラパラめくってみるに、実はしっかり読んでいたのでした。それが証拠に、本文中の重要な個所に水性の青ペンで、最後のページまで傍線が引いてあるではありませんか。
 この本の奥付を見ますと、「1995年6月27日初版発行」そして同年「8月20日第二刷発行」とあります。わずか2ヵ月弱で第二刷ということは、当時スピリチュアルに関心のある人たちから、大好評で迎えられたことをうかがわせます。
 今から15年前のその頃、私もこれを求めそして一読したものなのでしょう。それにしても読んだことも本そのものの記憶も一切飛んでしまっているというのは、我ながらあきれ果てる話です。

 いずれにしても今回、思わぬ形でこの本を新たに読むつもりで再読してみました。これは「チャネラー」でもあるエリック・クラインが、1990年サナンダ(イエス)から「アセンション」をテーマとしたクラスを、シリーズでチャネリングしてほしいと依頼されて行われたセッションをまとめたものです。(キヨ・ササキ・モンロウ:監訳)
 1990年といえばもう20年も前のこと。この超スピード化の時代、その後アセンションそのものも、次々に新たな情報が加えられてきています。

 その意味でこの本は、同出版が同時期に発行した『アセンション』とともに、もはや類書中の古典的な位置を占めるものかもしません。しかし今回改めて読み直して感じたことは、「アセンションの基本概念」は不変なんだなということです。その意味でこの本は、今読んでも決して古くはなく、大いに新たな気づきが得られます。

 高度なチャネリング情報をもたらしてくれた存在は、サナンダのほかに、アシュター・コマンド、大天使ミカエル、サンジェルマンです。今回はそのうちサナンダによる情報のごく一部を、可能なかぎり以下にご紹介してみます。
 これを読んだだけでもアセンションのおおよその概念は掴めるかもしませんが、さらに興味を覚えられた方は、是非手にとってご自分で精読されることをお奨めします。(気になって調べましたら、現在絶版のようです。ただしアマゾンで古書として少し在庫があるようです。)  (大場光太郎・記)
                       *
 アセンション、すなわち高次元への移行とは、常に三次元世界に住んでいる人間にとっての究極的なゴールであり、また三次元の存在としての最終結果でもあります。現在地球に起っている変革は、宇宙の進化から見れば珍しいことではありません。これは多くの惑星においてすでに起ったことであり、神の創造活動を通して新たに進化する時に起きる、惑星丸ごとの変化なのです。

 そうです、新しい地球が生まれるのです。地球自体が力強く五次元へと変身していくとき、一緒に五次元へ移行することを決めた人々は、新しい誕生を体験するのです。この出来事の重大性を人類の言葉で表現することはとうていできません。一人一人が内在する神性を素直に認め、宇宙から放射されている無限の愛の波動の中で、各々に合った場を自分のものとしてください。

 あなた方は、自己の本来の姿、すなわち高次元に存在する神としての意識体へ戻ってゆく成長の一過程にあることを知る最初の人々です。そして自己本来の姿に戻ることこそがアセンションと言えるのです。

 それでは「アセンション」とはなんでしょう。ひとことで言えば、それは自己の内なる意識が想像もつかないほどの飛躍を体験することです。そして今の三次元から、五次元もしくはより高次元へと飛躍することなのです。三次元の世界では、見るもの、聞くもの、味わうもの、経験するもの、すべてが固体として現われます。すなわち三次元は固体の次元です。そしてこの三次元に、より四次元的な要素である思考、理念、感情などといったものもつけ加えたいと思います。すべてがこの惑星界に存在しているのです。五次元もしくはそれ以上の高次元とはもっと精妙な波動、すなわちより高い周波数の世界なのです。

 アセンションとは、この肉眼で見える光のスペクトルの範囲を突破することです。宇宙の本質はさほど変化するわけではありません。しかしあなた方の意識を拡大させ肉体の波動を高めたことで、三次元では見えなかったさまざまな色が見えるようになり、高次元へと移行することが可能になるのです。

 あなた方が経験するアセンションも、私の場合とほとんど同じ過程をたどるでしょう。あなた方は肉体を捨て去って高次の意識に移行するのではなく、肉体もろとも変容するのです。肉体を構成している原子や分子構造のすべてが変質し、五次元へと飛躍するのです。したがって、もはやあなた方は死ぬ必要がなくなります。これはよい知らせです。人類は今まであまりにも死に慣れすぎてしまって、死ぬことがすっかりあたり前になってしまいました。しかしアセンションを終えると、もう死ぬという経験はなくなるのです。  (以上引用終わり) 

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続々・2012年12月22日

 -後2年後と迫ったこの日に、一体何が起きるのか?今回もまた取り上げます-

 本日は12月22日です。12月22日として私が真っ先に意識するのは、やはりマヤ暦の「終末の日」とされる「2012年12月22日」です。そこでおととしの開設以来、この日のことについては、『2012年12月22日』『続・2012年12月22日』で既に述べてきたところです。
 この日に一体何が起こるのか、あるいは何も起らないのか。今年もまたこの問題について考えてみたいと思います。

 ついこの前の夜近所のマクドナルドに入り、業務上のこと、その日のブログ記事原案のことなどをあれこれ思案していました。すると私が座っているスペースの近くに、少しグレかかっているようなアンちゃんたちが4人ほど入ってきて、座ったり立ったりしながら大きな声でくっちゃべり始めました。
 学校に行っているのかいないのかは不明ですが、いずれも高校生くらいの年代です。この年代の者たちは、男も女も何人か集まると周りの迷惑お構いなしに、まあ大きな声でどうでもいいようなことを話し続けます。

 聞きたくなくても耳に入ってくるのです。その中に『んっ?』と、思わず耳をそばだてるような話が混じっていました。何と「2012年12月22日」問題です。
 頭を茶髪に染めカラフルな服を着たアンちゃんたちの、「そういえば、2012年12月22日まで後2年ちょいだよな」「あヽ例のマヤの予言つぅやつな。12月22日でなくて、21日じゃなかったっけ?」「いゃ、22日だよ」「そうかぁ。オレは21日って思ってたけどなぁ」「その日何が起んのかなぁ?」「そんなの分かんねぇよ。分かってもどうしようもねぇだろうよ」…というような話が、少しの間続きました。

 私は『こんな連中まで…』と少し驚きました。彼らは多分、昨年公開されたハリウッド映画『2012』を観たか、DVDで観たか、あるいはテレビのCMで知ったか、おおむねそんなところでしょう。
 1999年の「ノストラダムス」問題の時のように、「おもしろおかしく」でもテレビでジャンジャン取り上げれば、世間的な関心はあるいは海老蔵事件以上であるかもしません。しかし唯一この問題をテーマとした映画の公開などにより、彼らのようににわかに、この日にちに関心を寄せだした人も少しは増えたのでしょう。

 ただ惜しむらくは、通り一遍の関心しか持たない人々は、この日づけの核心部は皆目分からないだろうということです。その最大のものはやはり、この日に一体何が起きるのかということですが、これには諸説あります。
 
 (1)この日をもって地球を含む太陽系全体が、スッポリとフォトン・ベルト(光子帯)に浸りきる。それ以後約2千年間、地球は「銀河の昼」と呼ばれる高次元の光漬け状態になる。
 (2)現在次元上昇を続けている地球が、この日をもって5次元世界に移行する。それを「ガイアアセンション」と呼ぶ。
 (3)この日宇宙でも稀な「宇宙的パーティ」が開かれる。このパーティは「地球」がメーンステージであり、これに参加しようと“この”宇宙や“他の”宇宙、銀河系の各星系や別の銀河系などからの「宇宙同胞」たちがUFОなどで大挙押し寄せている。(彼らとUFОは4次元以上であるため、3次元視力で見ることはできない。)
 (4)もちろん主役は「地球人類」であるが、肉体をもってこのパーティに参加するには、最低カルマの51%をクリアーした綺麗な心身になっていなればならない。等々。

 次元上昇、ガイアアセンション、宇宙的パーティ、宇宙存在…。問題の2012年12月22日に、本当にこのようなことが起きるのか、起きないのか?私ごとき者に分かるはずがありません。
 いや実はイエス級の大師でも、大天使ミカエルでも、大枠のことしか分からないようです。というのも、未来を決定するのは他ならぬ私たち人類の「集合意識」であるからです。その高低清濁により、未来はいかようにでも変わり得るので予測不能な側面があるのです。

 ただ「2012年12月22日」そのものは、単にマヤ族だけとか、一つのニューエイジグループ、一つの新宗教グループだけというのではなしに、互いに何の関係もなさそうな世界中の多くのグループや個人が、かなり前から並々ならぬ関心を寄せ情報を公開しています。これは実に驚くべきことではないでしょうか?
 この日づけはさらに、以前紹介しました今から約23年前の「ハーモニック・コンバージェンス」ともシンクロするところがありそうです。その日から2012年12月22日までの約25年間を、プレアデス存在たちは「ナノセコンド」と形容しています。「瞬きの間に過ぎてしまう時間」の意味のようです。

 4次元世界とは、私たちにとっていわゆる「死後の世界」です。通常神智学ではアストラル界、日本霊学では幽界と呼ばれます。アストラル界は大きく7段階に分かれ、低位アストラル界はそれこそ地獄としか形容のしようがない、醜悪鈍重な世界です。逆に一番上の階層は、シャーロック・ホームズの生みの親のコナン・ドイルが「サマーランド」と表現したような天国的な世界となります。
 しかし驚くべきことに、新地球は4次元は素通りして、最終的に「5次元」に落ち着くだろうと予測されているのです。今の私たちからすれば、想像を絶する精妙世界です。おそらく今から、どれほど準備してもし足りないことでしょう。(5次元に固定された段階で、地球を取り巻く4次元世界は消滅する。)

 次元上昇中の地球は、現在この4次元を通過中だとみられています。ということは私たちは、生きながらにして従前の死後の世界に足を踏み入れていることになるのです。世の中全体あるいは各個人の周りで、どんなことが起きているか。それによって、地球が今どの階層を通過中なのか、個人としてどのレベルにいるのか、おおよその察しはつくはずです。
 個人によっては、地球の歩みの先を行っている人もいます。そういう人にとって、現われてくることは「嬉しいこと」「ワクワクすること」「すべて良いこと」だらけなことでしょう。中には既にアセンションを果たした人さえいるのです。

 何度も繰り返しますが、「アセンション」というような肝心要の情報を、大メディアが伝えることは今後ともありません。それこそ、世界中のマスメディアを裏でコントロールしている「暗黒勢力」にとって、究極の“不都合な真実”だからです。
 以前述べましたように、「人類の恐怖心、絶望心」を食料源としている「彼ら」が与えるものは、私たちの希望を打ち砕くようなネガティヴ情報ばかりです。いわゆる「B層」こそはかっこうの餌食です。ガイアアセンションの潮流にはとても乗れない人々です。

 (注記)今回新たに「アセンション情報」というカテゴリーを追加しました。今後折りにふれて、関連記事を公開していきたいと思います。以前の当該記事もこのカテゴリーに含めるつもりです。

 (大場光太郎・記)

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ブログ背景替えました(10年12月篇)

  このひと日つつがなきなり冬満月   (拙句)

 12月も20日(はつか)ともなりますと、否が応でも『今年も後10日少しか』と行く年を惜しむのと、慌しいのとがない交ぜになった気持ちにさせられます。
 そんな押し迫った年の瀬だというのに、今ひとつ切迫感がありません。それが証拠に、年賀状はまだ買ってもいません。どうせ切羽詰まってからバタバタするのは分かりきっているのに、毎年この調子なのです。

 いささか言い訳がましくなりますが、これは首都圏ぎりぎりに位置する当地(神奈川県県央地区)の気候も微妙に影響しているのかもしれません。
 そう言えば振り返ってみますと、こちらに来てからの40余年ずっと「年の瀬気分」は希薄だったように思います。
 冬ですから外の街路樹や郊外の木立はあらまし葉を落とし尽しています。また賑やかな店などでは早や11月半ば頃から、クリスマスソングが流れています。夜ともなると駅前広場などでは、華々しいイルミネーションのライトアップもされます。
 しかし山形県出身の私などには、「雪が降らないこと」が年の瀬の実感が味わえない大きな原因のように思います。

 以前何かの記事で、山下達郎の『クリスマス・イブ』に触れたことがあるかと思います。
   雨は夜更け過ぎに
   雪へと変わるだろう
   Silent night,Holy night
   きっと君は来ない
   ひとりきりの クリスマス・イブ
   Silent night,Holy night    (1番)

 以前ちょうど今頃の寒い日、地元生まれのある人との話でこの歌が話題になりました。その人いわく「クリスマス・イブに雪が降ったことは一度もない」。だから「山下達郎のあの歌は、ありゃウソだ」と言うのです。
 言われてみれば、私が当地で過ごしてからの何十年間、クリスマス・イブといわず年内に雪が降ったという記憶はまるでありません。
 それはそれとして、歌でも詩でも小説でもすべては虚構です。それが分かった上での味わいですから、いちいち目くじら立てるほどのものでもありませんが。

 話がだいぶ脱線してしまいましたが、要は東北出身の私にとっては、田舎町の記憶から、真っ白い雪に覆われた年の瀬が本来あるべき年の瀬のイメージなのです。そのことが「年の瀬」と言われても思っても、今ひとつピンとこない理由の一つであるようです。
 とは言え「今年のことは今年の内に」。それを、やるべきことをやらないで越年させる言い訳にすることは許されません。

 20日は日中風もほとんどない快晴の穏やかな一日でした。
   烏(からす)鳴きて木に高く
   人は畑(はた)で麦を踏む
   げに小春日ののどけしや
   かへり咲(ざき)の花も見ゆ   (唱歌『冬景色』2番)
 ここ2、3日の寒さは緩み、まさに絵に描いたような“小春日和”の一日でした。
 遥かに西に望む大山の姿もことのほか秀麗で、真っ青な空を背景に濃紺色のシルエットでくっきりと見えていました。

 冬至を間近にして、当ブログ背景を替えることにしました。これまでの『もみじ』はまた来年ということで、今回のテンプレート名は『本を開いて』。とは言っても今回新しく採用するのではなく、開設したおととし以来すっかり冬の季節定番の背景となっています。この背景、来年3月頃まで用いるつもりですので、ご了承のほどよろしくお願い致します。

 「本」といえば、いつぞやの『生きることは学ぶこと』記事で触れましたとおり、今年は「国際読書年」だそうです。あの記事以降、それに関連する各種イベントも行われたのでしょうが、さて国民の「読書意欲向上」はどのくらい成果が上がったのでしょうか?
 そういえば「読書」に関連する嬉しいニュースが一月ほど前ありました。調査ごとに落ち続けていた、ОECDの国際学習度到達調査の日本15歳児童の読解力が、今回調査に加わった時の国際順位に戻ったというのです(09年調査結果)。

当初は世界8位からスタートしたものの、前回は17位と過去最低にまで順位を落とし、これに危機感を抱いたのが文部科学省です。国際水準の読解力アップを図るため、文科省が全国の小中学校に「読解力向上」を指令したのです。
 それを受けてここ何年かは、それぞれの学校で独自のカリキュラムを取り入れながら、読解力アップに真剣に取り組んできたようです。例えばある小学校では、一日の授業スタート前に「朝読み」を実施したり、児童たちが利用しやすい図書館を目指したり、国語の授業である文章の内容を児童たちに詳しく発表させるなどの取り組みをしているようです。

 そういう地道な努力が実って、今回の大幅順位アップとなったようです。これは前から言われていることですが、人より本を余計に読んでいる児童の学力は間違いなく高いはずです。おそらく「読書力」「読解力」は、小中学生の場合算数、理科、社会など他の科目のベースになっているはずです。
 この試みをこれからも地道に続けていけば、例えば大学生がちょっとした小論文も書けない、それのみか満足に漢字すら書けない(書けるのはメール用の絵文字のみ)などという恥ずかしいことはなくなるはずです。

 「読書」はもちろん児童たちに限ったことではありません。とうの昔に「生涯学習」の必要性が叫ばれている当今は、齢(よわい)60でも70でも学び続ける姿勢が必要です。
 吉田松陰や西郷隆盛らが座右の銘にしていたという、幕末の儒学者・佐藤一斎の名著『言志四録』に、次のような有名な言葉があります。
   少にして学べば、則(すなわ)ち壮にして為すことあり。
   壮にして学べば、則ち老いて衰えず。
   老にして学べば、則ち死して朽ちず。

 いわゆる今の若い「絵文字世代」は、とにかく長い文章が苦手のようです。いや、ハナから受けつけ拒否のようなところがあります。しかしそんなことを言っていると、そのうちしっかり「読書」をしてきた一世代後の後輩たちから笑われるよ。
 今からでも決して遅くない。先ずは私のブログの定期訪問者となって、一つ一つの記事の文章をしっかり読み込むよう努力してください。かなり「読書力」がつくと思うよ(笑)。

 (大場光太郎・記)  

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「カンフォート・ゾーン」について

 停滞と無気力は死に至る公式です。 (「アーキエンジェルマイケル・メッセージ」より)

 何ヶ月か前自己啓発関係の本を読んでいて、「カンフォート・ゾーン」という聞きなれない言葉と出会いました。なかなか示唆に富む言葉だと思われますので、今回はこれについて述べてみようと思います。

 「カンフォート・ゾーン」とはどういう意味なのでしょうか?それは「できること/分かっていること/安心できること」という枠(ゾーン)のことをいいます。
 誰が考えても「できること/分かっていること/安心できること」の範囲内は、これほど居心地のいい生活空間はないはずです。そのため人によっては、自らの「心の力」によって形作られてきた、各自のカンフォート・ゾーンからいつまでも離れたくないと思うようになるかもしれません。

 とにかく住み慣れたその枠内で体験することは、「できること」「わかっていること」ばかりなのです。「できないなあ」「分かんないなあ」などと、頭と心を悩ます必要はないのです。またその枠内にいるかぎり「安心できること」ばかり、自分(ありていにいえば「エゴ」)のプライドが傷つけられたり、脅かしたりするものに怯える必要はありません。
 まさにその枠内(環境)に身を置く者にとっては、唯我独尊的に王侯貴族の気分が味わえる環境なのです。

 人によって「カンフォート・ゾーン」はまちまちであることでしょう。ある人にとっては昔の“マイホームパパ”よろしく、家でデンと構えている時が一番。奥様は「あら、お帰りなさいあなた。ご飯それともお風呂、どちらになさいます?」式にかいがいしくかしずいてくれ、子供たちも「いいか、しっかり勉強するんだぞ」と一言言っただけで、「パパ分かった。ボクしっかり勉強して、いい大学に入るからね」とすぐに応える素直さ、賢さ。

 かと思うと、「冗談じゃねえよ。今時そんなもの分かりのいい嫁さんも子供もいやしねえよ。“サラ川の反抗妻”じゃないけど、何かというとすぐ角(つの)立てやがってさ。オレが一言言うと、あっちは五つも十も返してきやがんだよ。たまの休みもオチオチ家になんかいられやしない」「子供は子供で、ちょうど反抗期真っ盛りでさ。知らない間に背が伸びちまって、腕っ節も強くなってよ。もう張り倒すことも出来んしなあ」…。
 こういう向きは、上司の嫌味や部下からの突き上げにもじっと耐えて、会社の決まりきったルーチンワークに精出している時、仕事の後の行きつけの一杯飲み屋、休日のパチンコ店などが、かっこうのカンフォート・ゾーンであることでしょう。

 各自のカンフォート・ゾーンはそれ以外にもさまざまあることでしょう。とにかく人は、この居心地のいい空間をいつまでも維持したいと考えるものです。つまり「現状維持」です。
 しかしカンフォート・ゾーンとはぬるま湯に他なりません。そして重要なことは、こういうぬるま湯の中でばかり生活を続けていると、その人が本来持っているポテンシャル(潜在的可能性)は、間違いなくどんどんしぼんでいくということです。

 確かに今までに経験済みのこと、かねてから気心の知れた知り合い、呑み屋でもパチンコでもいつも行っている場所…。
 一人前の大人である以上、10歳未満児のように出会うもの、見るものすべてが初めてでは、有意義な社会活動は営めません。そこで半ば以上ロボット的に、無意識の自動操縦で自然に体が反応してしまう業務、場面、場所はある程度必要です。

 しかし一面の真理として、このようなところには冒険やチャンレンジがありません。したがって「カンフォート・ゾーン」への依存度が強ければ強いほど、心身がどんどん「衰退」の方向に向かっていってしまうことになります。
 例えば体の筋肉などは、運動したり意識してその部位の筋肉を使うようにしないと、確実にやせ細っていってしまいます。それと同じで、カンフォート・ゾーンに長くとどまればとどまるほど、時間、歳月の経過とともに以前なら出来たことが出来なくなってしまうのです。
 これは明らかに「老化」現象とみなすべきです。30代でも40代でもこのような兆候が現われたなら、それは「心の老化」のサインです。そして心の老化は、時ならずして「体の老化」となって必ず現われます。

 現下の超厳しい経済情勢下、自営業などをしているとそれがヒシヒシと実感されてきます。このような状況下では、現状維持つまり「業務上のカンフォート・ゾーン」に満足していると、顧客は減少し業務収益は確実に下がってしまいます。
 どうしても「カンフォート・ゾーンの枠外」に目を向けざるを得ないのです。

 カンフォート・ゾーンの枠外には何があるのでしょう。その枠外は「できないこと」「知らないこと」「恐ろしいこと」で満ち溢れているのかもしません。時には獰猛な猛獣が潜むジャングルに踏み込んでしまうかもしません。ですから人はついつい枠外に一歩足を踏み入るのを躊躇し、現状で満足しがちです。
 しかし「チャンス」や「新機軸」は、カンフォート・ゾーン内で見つかるものではありません。どうしても枠を出て、外に何歩か踏み込む勇気が必要なのです。

 繰り返しますが枠外の世界は、今の自分には「できないこと」「知らないこと」「恐ろしいこと」がいっぱいあることでしょう。そこに一歩でも足を踏み入れた途端、難題で脳みそがショートするくらい考えさせられたり、手痛い失敗やとんだ赤っ恥をかかされることがあるかもしません。

 かつて「経営の神様」といわれた松下幸之助は、80歳過ぎても松下会長として第一線の指揮を取り続けていました。ある人が松下翁に取材し、「会長、あなたの若さの秘訣は何ですか?」と聞いたそうです。松下翁は「1日最低3回は“おやっ”と驚く(びっくりする)ことだよ」とすかさず答えたそうです。
 この答えから、松下幸之助は80歳過ぎても絶えずカンフォート・ゾーン外へのチャレンジを止めなかったことは明らかです。

 人は誰でも、若いうちは平気でカンフォート・ゾーン枠外を飛び回り、遊び回っています。もしいつまでも「若々しい自分」でありたいのなら、私たちは加齢とともに枠内に閉じこもり縮むのではなく、逆に「出来ること広がれ !」とばかりに枠外に果敢に飛び出して、常に新しい事、新しい環境にチャレンジする心がけが必要なようです。(今回は特に自戒を込めて。)

 (注記)本記事は、『ザ・ラストチャンス』(池松耕次・海堂利巳共著、太陽出版刊)を参考にまとめました。

 (大場光太郎・記)

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枯蓮のうごく時

           西東 三鬼

  枯蓮のうごく時きてみなうごく

 …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 西東三鬼(さいとう・さんき) 明治33年、岡山県津山市生まれ。本名は斎藤敬直。日本歯科医専卒。患者にすすめられ、俳句を始め、新興俳句運動にかかわる。戦火想望俳句を作り、「天香」創刊に加わるが、新興俳句弾圧事件の際検挙された。戦後、現代俳句協会設立。「天狼」発刊。俳人協会設立に尽力。主宰誌「断崖」を持ち、「俳句」編集長も務めたが、胃癌を病んだ。句集に『旗』『夜の桃』『今日』『変身』がある。昭和37年没。

 一般的に「蓮池」「蓮の花」「蓮の葉」などいうと夏の季語となります。
 確かに当地でも近郊を車で走っていますと、夏時分道路沿いに水田ならぬ水蓮田が見られることがあります。一瞬里芋の葉かと見まごうほどの長い茎の先の大きな葉が一面に緑色に広がり、風にゆらゆらと揺れ、水面のわずか上にはうすピンク色の大輪の蓮の花がぽつりぽつりと咲いていたりして、何ともいえぬ夏の風物詩といった趣きです。

 ところがこの句で詠まれているのは「枯蓮」です。仏教で千年に一度花開くかという優曇華(うどんげ)の花もかくやと思うほど見事で、ある時お釈迦様がアルカイック・スマイルを浮かべて花の茎を少しよじり「この花のさま、さて如何に?」と、十大弟子の筆頭格の摩訶迦葉(まか・かしょう)ら対告衆(たいごうしゅう)に、後世の“禅問答”の走りとなる謎をかけそうな蓮の花はとうに終わっているのです。
 それのみか、池全体の蓮という蓮は皆悉く枯れ尽くし、細長い茎といわずうなだれた葉といわず、今では見る者を凄愴(せいそう)の気にさせるほどなのです。

 この句が生まれる現場に実際立ち会ったという、同じく新興俳句弾圧により投獄された秋元不死男(あきもと・ふじお)は次のように述べています。

 「終戦後まもなく、わたしはこの作者と奈良に遊び、薬師寺に詣でたことがある。秋も既に終わりに近く、薬師寺の境内にある二つの池には、数え切れぬ蓮がすっかり枯れきっていた。蓮たちはまるで亡霊のように痩せて頭をうなだれ、みているとぞろぞろと歩いているような感じがして、わたしたちは、しばしその凄愴な風景の前に立ちすくんだ。ときどき、あるかなしかの秋風が吹いてくると枯蓮は一斉にゆらゆらと、その長い細い褐色の身体を動かした。この静かな凄い、異様な感じは、いまも鮮やかにわたしの眼前に焼きついているが、作者もわたしもそれをみて感に打たれ、これを句にしようとして長い間苦しんだ。結局わたしは句ができずにしまったが、相手はそのときここに揚げた句を作った。」 (秋元不死男著『俳句入門』-角川選書版より)

 なお秋元不死男著『俳句入門』は、「入門」というには内容の濃いレベルが高い本で、俳句中級者や上級者が読んでも、十分啓発される内容だと思います。そのくらいですから、上記文以下のこの句の鑑賞文は見事なもので、そのまま引用し続けたいくらいです。いくらなんでもそれはまずいでしょうが…。

 以前『流れ行く大根の葉』で、高浜虚子の
  流れ行く大根の葉の早さかな
を取り上げました。その中で確か、この句は決定的な「俳句的場面」を捉えた、虚子俳句中の秀句だと述べたと記憶しています。
 おそらく西東三鬼にも秋元不死男にも、今現前している枯蓮のさまが、虚子の句に勝るとも劣らない決定的な俳句的場面であることを直感していたに違いありません。それゆえにこそ両人は、この光景を何とか俳句に詠み込むべく、長い間凝視し呻吟したわけなのです。

 ところで「俳句的場面」とは、世間の耳目を集中させるような大きな出来事でも、ドエライ事件でもありません。それらは新聞、テレビ、週刊誌などがネタとして扱うべきものであり、俳句の題材としては不都合です。
  神無月(かんなづき)海老蔵顔をボコボコに
というように、せいぜいスポーツ新聞の見出しみたいなレベルの凡句しか出来はしません。例がまったくないではありませんが、社会的大イベントへの真っ向勝負はわずか17音の俳句には適さないのです。

 では決定的な「俳句的場面」とは、いったいどのようなものなのでしょうか。定義は俳人によって各様でしょうが、私は「ごくありふれた日常の中に、ふと垣間見せる“非日常性”ということなのではないだろうか」と考えます。
 その「非日常性」を素早くキャッチし、句想として捉えたとき「秀句」「名句」が生まれるのではないでしょうか。しかしそれは簡単に捉えられるものでないことは、一緒に観察していた秋元不死男が、とうとう句としてまとめられなかったことからも明らかです。言っておきますが、(いずれ取り上げる機会があるかもしませんが)秋元もかなりの俳人です。

  枯蓮のうごく時きてみなうごく
 この句の枯蓮の群れの動きは、おそらく西東三鬼にとって、彼の世界観において何かしら決定的な意味を持つ動きだったのです。「うごく」~「うごく」という繰り返しの表記に、池全体の枯蓮たちのさざ波のような連動、リフレインのさまが伝わってきます。

 枯れ切った蓮の葉や茎などが一斉にざわざわ動き出すさまは、想像するだに不気味です。秋元不死男が「まるで亡霊のように」(戦没者が念頭にあったことでしょう)と表現したように、何やら生命なきはずの枯蓮の群れが、意志あるもののごとく動くようなシュールな映像が浮かんできます。
 枯蓮たちの動きは、この世をかく在らしめている「潜象界」からの、何らかの秘めやかなサインやシグナルであるようにも思われてきます。

 (大場光太郎・記)

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レノンからヨーコが受け継いだもの

 -晩年のジョン・レノンは、「love&peace」を掲げる平和運動家に変貌していた-


  「ベット・イン」-平和を訴えるレノン&ヨーコのパフォーマンス

   We War over     “戦い”は超えられる
   if you want it     あなたがそれを望みさえすれば

 12月8日日本武道館で行われた、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」終了後オノ・ヨーコは、日本テレビ『NEWSZERO』の村尾信尚キャスターのインタビューに応じました。
 同イベントのキャッチコピーとしたのが冒頭の言葉です。インタビューの途中村尾キャスターが、この言葉が印字された大きなポスターを高々と掲げて紹介していました。(はっきり記憶しているわけではありませんので、一部違っているところがあるかもしません。)

 私はこの言葉を読みインタビュー全体を聴きながら、『ははあ、オノ・ヨーコは今でも亡き夫、ジョン・レノンの遺志を受け継ぎ、世界と日本に広めようといているんだな』と思ったのです。
 1960年代世界的人気を誇ったビートルズは、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが出合った頃は、4人のメンバーそれぞれが別々の道を模索し始めていた時期にあたると思われます。その中心的存在であったレノンの、ヨーコとの結婚もその引き金になったのか。1970年ビートルズは解散し、以後4人はソロ活動をしていくことになりました。

 ジョン・レノンの場合特筆すべきは、その後単なるロック歌手から、平和運動家として活動のウイングを広げていったことです。精神的なステージのグレードアップです。それには、ビートルズ活動を通して芽生えていた彼自身の「平和への希求」とともに、7歳ほど年上の妻、オノ・ヨーコからの影響も無視できないものと思われます。
 二人のそもそもの出会いについては、今回のインタビューでも触れられていました。時は1966年11月9日、ロンドンの某ギャラリーでオノ・ヨーコの個展『未完成の絵画とオブジェ』の開催前日レノンが訪れたことにあるようです。
 分けてもレノンが惹かれたのは、部屋の中央に白い脚立が置かれ、観客はそれを昇り天井から貼られたキャンパスの「ある字」を虫眼鏡で覗き込むという趣向の、甚だ前衛的な作品『天井の絵』です。

 レノンが脚立に昇り虫眼鏡で覗いたところ、そのキャンパスには何と書かれてあったのか?そこにはただ一語小さく「YES」と書かれてあったのです。
 レノンは当時を回想して、「もしNoとか“インチキ”みたいな意地の悪い言葉が書かれていたら、すぐに画廊を出て行ったよ。でも“YES”だったから、僕は『これはいけるぞ、心温まる気持ちにさせてくれる初めての美術展だ』と思ったんだ」と後に回想しています。
 この個展並びにこの作品についてヨーコは、「あの頃は精神的にすごく落ち込んでいて、辛い時期だった。しかしそんな自分を肯定するために、あえて“YES”を選んだの」というようなことを話していました。
 奇妙なことに、辛く苦しい自分を肯定(YES)したことで、将来の伴侶となるジョン・レノンの肯定(YES)を呼び込んだというわけです。

 この運命的な出会いによって二人は、1969年3月に結婚しました。もっともジョン・レノンには大学で東洋美術を専攻した友人がおり、その影響で日本や東洋文化に興味を持っていたという精神的土壌が既にあったようです。レノンは特に、以前から禅や空(くう)の概念に強い関心を寄せていたのです。

 そんなジョン・レノンの生涯の思想が結実したような作品があります。1971年10月に発表された『Imagine(イマジン)』です。アルバム発売とともに、米国、英国、日本のヒットチャートで1位獲得という大ヒットを記録しました。

  Imagine There‘s countries    想像してごらん、国境が存在しない世界を
  it isn‘t hard to do         別に難しくはないんだよ
  nothing to kill or die for     殺したり死んだりすることなんかないよ
  no religion too             宗教だって用なしさ
  imagine life in peace....     想像してごらん、平和な人生を…
          (『Imagine』2番)

 (上記の歌詞は、私が勝手に意訳している個所があります)。今でこそ例えば「国境なき医師団」といったものが組織され、「国境なき」という概念が世界的に徐々に認知されつつあります。この曲が発表された40年弱前は、国境にガチガチに呪縛されている国家・アメリカは、その後自身の国の衰退につながる、泥沼のベトナム戦争の真っ最中だったのです。
 ごく最近の尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件、北朝鮮によるヨンピョン島砲撃事件を取ってみても、人類はいまだ「真の国境なき」概念到達にはほど遠いものがあります。
 その意味でこの曲は、今の時代のさらに先を見通したようなメッセージソングだと言えると思います。

 この中で、「宗教なき」には『おやっ、何で?』とお思いの方もおられるかもしれません。実はこの「宗教」こそが曲者なのです。個人同士の諍いから、国境紛争まで。すべての「戦い」の根底にあるのが「宗教」です。
 それは一体何という名の宗教か?「私は悪くない教」という名の宗教。「オレは悪くない(ということは、オマエが悪い)」「我が宗教こそ善なり(ということは、他の宗教は悪魔教なり)」「我が国家は正義なり(ということは、汝の国は悪の国家なり)」、互いにそう思いあう時すべての「戦い」は始まるのです。「戦い」を起こすことそのものが既に「悪の証明」に他ならないことを、まずもって知らなければなりません。
 真理に目覚める前の私たちは、誰も「正しくありません」。そして私たちの99.9%はまだ「真理」に目覚めていません。皆々五十歩百歩、目くそ鼻くそのたぐいです。

 ジョン・レノンはまた1966年、「キリスト教は消えてなくなるよ。そんなことを議論する必要はない。僕は正しいし、その正しさは証明される」云々の発言をし、当時のバチカンから非難声明を出されています。(バチカンがレノンへの赦免を発表したのは、レノン死後四半世紀以上経過した2008年のこと。)
 これは当時としてはそれこそ勇気ある“超過激発言”です。今となっては私も、「近未来国境とともに、ありとあらゆる宗教組織は崩壊する。なぜなれば人類の意識が向上する事によって、宗教組織という“首輪”は必要なくなるからである」と言い得ますが。

 冒頭の言葉のようにオノ・ヨーコは、時代に遥かに先んじたジョン・レノンの「love&Peace」の平和のメッセージを、レノン亡き後世界に広めることこそ我が使命としているように見受けられます。
 (最後は笑いのオチですが)。豊かな乳房の張りを失うことなく、いつまでも若々しいお姿で「世界平和」にご尽力いただきたいものです。

 (大場光太郎・記)

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オノ・ヨーコの胸

 -オノ・ヨーコの豊胸にはびっくりした。そこで今回は「オノ・ヨーコの胸」談義など-

 ここのところ私はその日1日のニュースをチェックするために、深夜11時台の日本テレビ『NEWSZEZО』を見ています。政治関連のニュースを中心にチェックし、いつもは11:15頃にはテレビを離れます。

 この日のトップニュースは、この冬一番の寒波襲来による全国各地の大慌てぶり。続いて親の虐待により福祉施設に保護された児童などに対する、親の「親権」を2年を限度に一時停止する民法改正案のニュース。さらには元大蔵省官僚だった村尾信尚キャスターが目いっぱい“よいしょ“”しながら解説した、財務省直伝の政府の税制改正(実は改悪?)のお話、私にとってはどうでもいい、日ハムに入団するらしい斉藤祐樹の早大での納会のニュースなどが続きました。

 『例の小沢政倫審騒動のきょうの動きはどうなんだ?』と見ていても、その話題に触れる気配はありません。そこでいよいよスイッチを切ろうとしましたら、CM前の予告で次は村尾キャスターによるオノ・ヨーコへのインタビューとのこと。これには少し興味をそそられて『ついでにこれも見てみるか』となりました。

 何でも、ジョン・レノンが射殺されてから今年で満30年だそうです。このニュースは当時(1980年)、世界的にもこの日本でも大変な衝撃を与えました。改めて言うまでもないでしょうが、オノ・ヨーコはレノンの妻だった人です。
 12月8日はジョン・レノンの命日にあたり、この日日本武道館で「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」が開かれ、1万人超の観客が集まる大盛況だったようです。これは今年で10回目となるチャリティ・イベントで、オノがインタビューで「継続は力。続けていると物事がどんどん前に進んでいく」と語っていたように、今回は奥田民生、斉藤和義、吉永小百合(声の出演)ら、過去最高の計15組25人が参加したようです。
 このイベントの収益は後進国の学校建設などに当てられ、既に25か国以上で100以上の学校が造られているといいます。

 今回のインタビューは、同コンサート終了直後だったようです。ステージから降りて来たばかりのオノ・ヨーコを村尾キャスターが待ち構え、楽屋でインタビューするという形式でした。
 ステージ衣装のまま楽屋に入ってきた、オノ・ヨーコの「胸もと」にはぶっ飛んでしまいました。黒いドレス風の衣装の胸もとが大きくはだけ、胸の谷間がはっきり分かるのです。それもかなりの豊乳と見ました。

 戦後俳句界の鬼才・西東三鬼の句に、
   恐るべき君らの乳房夏来る
というのがあります。最近の流行らしく、私の地元の本厚木駅などでも今年の夏、若い女性が“これ見よがし”にこんな服で闊歩して歩いている姿を、私はチラッと横目で(しっかりと)見ながらすれ違ったことが何度かありました。
 しかしオノ・ヨーコは、いくらなんでも御年77歳のオバサン(オバアサン?)ですよ。『まあ、このオバサンよくやるよ』と思いつつ、見るともなしに胸もとに視線が引き寄せられてしまいました(苦笑)。

 ともかくオノ・ヨーコと村尾キャスターが楽屋内のイスに腰掛け、対面でインタビューが始まりました。『村尾氏も目のやり場に困るんじゃないか?』と思いながら見ているに、さすがはインテリゲンチュアの村尾信尚、「私の関心は上品な話題だけなんだ」とばかりに、胸もとになど一度も視線を落とすことなく、まっすぐオノ・ヨーコの目を見て話を進めていました。

 肝心の話の中身にはいかず、なおも「胸もと」にこだわりますがー。
 私はインタビューの直後、オノ・ヨーコのことを記事にしようとグーグルで検索しました。すると「オノ・ヨーコ」と入力するや否や、下部の別窓に関連項目がずらっと表示されます。その中の上から何番目かに、何と「オノ・ヨーコ 胸」というフレーズがあるではありませんか。
 生来品性下劣な私は(またまた苦笑)「オノ・ヨーコ」そっちのけで、『どれどれ』とばかりにその項目をクリックしてみました。そうしましたら、以前から一部好事家の間で「オノ・ヨーコ 胸」は関心を集めていたらしく、同項目何と31,600件もあったのです。

 トップ面の見出しを眺めただけでも、「オノ・ヨーコの胸でかっ !」「気になるなあ、オノ・ヨーコの胸の谷間」「オノ・ヨーコあいつの胸の露出激しくね?歳考えろ」などなど。
 ニューヨーク在住のオノ・ヨーコを、テレビなどで見る機会はあまりありませんが、どうやら普段から胸を露出気味、それで気になっていた者は多かったということなのでしょう。

 繰り返しますが、オノ・ヨーコは77歳ですよ。既に還暦を1年余オーバーした私よりも、さらに15歳以上も上なのです。今風の定義では「後期高齢者」のお仲間であるわけです。国内の同年代の女性たちは?と少し思い浮かべただけでも、顔中シワシワ、拝見する機会はまずありませんが、「各方面の役割を終えた」オッパイなどしぼみにしぼんでいることでしょう。
 なのに、オノ・ヨーコのあのたわわな胸はどうしたことなのでしょう?もし光栄にも胸全体をはだけて見せてもらったとしたら、シワやしぼみなどまったくない、張りのある乳房なのではないでしょうか?

 経歴を少し調べますとオノ・ヨーコ(本名:小野洋子)は、33歳でジョン・レノンと運命的な出会いをし結婚する、13年も前の1953年20歳の時、学習院大学を中途退学し単身アメリカに渡り、米国の大学で音楽や詩を学び、やがて前衛芸術の道に進んでいったという人のようです。
 自由の国アメリカなどといえば聞こえはいいが、オノ・ヨーコが生活の拠点としているNYなどは特に“生き馬の目を抜く”弱肉強食の競争社会です。そんな中でオノ・ヨーコは世紀のスーパースターのジョン・レノンを夫に持ち、レノン射殺という悲劇にも遭い、その後もジョン・レノン元夫人としての重荷を一身に背負いながら30年間も生き抜いてきたのです。

 そんな国際級の波乱万丈の人生は、同世代の日本国内の女性たちとは価値観から行動規範から何からまるで違うことでしょう。私などが一見奇異に映る「胸もとはだけ」スタイルも、彼女にとってはごくあたり前のどうということのない装いなのかもしません。

 インタビューの中で、「今の日本の若者に言いたいことは?」の問いに、彼女は「日本国内に閉じこもってばかりいないで、外に出て行って広くコミニュケーションをとり、世界のために役立つことをしてください」というようなことを述べていました。これは20歳で日本を飛び出していった、彼女の実体験に基づくものだけに説得力がありました。

 私もつらつら反省するに、歳とともに行動半径がどんどん狭まってきたように思います。これは明らかに老化の一兆候であり、このままさらに狭めていけば間違いなくそれが進行してしまいます。
 オノ・ヨーコのように、自慢げに体のどこか一部を露出する自信はありません。が、とにかく「体まるごと」常に新しい分野、環境に踏み込み、踏み入る、「チャレンジ精神」の大切さを学ばせてもらいました。

 (大場光太郎・記)

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不老都市・テロス

 -超変革の今、私たちは「死」という強固な固定観念を打破すべき時期にきている-

 今年3月の『“蛍の光”は1万2千年前の歌?』シリーズの中で、レムリア滅亡を逃れた人たちによって創られたという、米合衆国カリフォルニア州のシャスタ山の地中都市・テロスのことを紹介しました。
 今回は『ついに実現した地下存在との対話』(ダイアン・ケビンス著、ケイ・ミズモリ訳-徳間書店刊)という著書の中から、私たち地上人の最も根深い固定観念を激しく揺さぶられそうな一文を、以下にご紹介します。(一部省略し、便宜上文と文の間をあけたりしました。)

 このメッセージを寄せたのは、1960年代テロスの大使として、地上(アメリカ)に現われたとされるシャルーラ・ダックス女史です。同女史はテロスの王・ラーと王女・ラーナムーの娘といわれ、本文は1990年代前半ある人が伝えられたものの一部です。
 シャルーラ女史はその後、テロスに戻ったようです。  (大場光太郎・記)  

                        *

死なないという思考形態を採用した人は、
テロスでも地上でも、実際年をとらないのです

 
テロスや他の地底都市においては、基本的に、人々は好きなだけ長く生きることができます。
 それは、地上にいる人々の加齢と死に対する認識が誤っていることを示唆しています。
 人類は年をとったり、死ぬことを意図されていません。

 人体の細胞はすべて7年毎に新しいものへと生まれ変わるので、遺伝子の分野で働く人々は、実のところ、人は7歳以上に年をとることはないことを理解しています。(中略)結局のところ、加齢や死に対する答えを見つけ出すためには、肉体を超えたレベルに行かなければならないということです。

 テロスにおいては、人々は老いたり、死ぬことを信じていません。彼らは好きなだけ生きられると知っているのです。学ぶべき教訓が残っていると感じて、再び生まれ変わるか、アセンションの道を選択する際に、肉体から離れるかどうかを選択します。そのいずれかです。
 その決断に600年要する者もいれば、300年で決断する者もおり、また5000年、1万年生きてもまだ決断すべき時ではないという人もいます。要は選択次第ということで、人類にはそれが可能なようにデザインされているのです。
 
 それは、私たちが地上にもたらしたい文化の最も重要な要素の一つです。

 人類はまさに自分たちの人生に何かを行うべき時にきており、すでに機は熟しています。もし加齢や死の思考が消えれば、若さは10年や20年ではなく、自分の選択次第で、数十万年でも維持できることを人々は悟り始めています。

 それはまた、人生における有害な振る舞いの大半を取り除きます。(中略)もし彼らが数百年・数千年、若さを保つことを選択すれば、そのような行動はまったく不必要になり、本当に成長を始めることを悟るでしょう。

 私たちは生物学的に地上の人々とまったく違いはありません。私たちのところには、数百年前にシャスタ山に残されたインディアンの子供たちがいます。彼らは今でも私たちと一緒に暮らしています。彼らは年をとりません。彼らは死にません。なぜなら、彼らは死なないという思考形態を採用したからです。生命・非生命・加齢・回春を生み出すのは思考にあります。将来、何が起こるかは、思考や信念次第です。

 そのことを私自身も体現しています。私は260歳を超えています。実のところ、私は268歳になります。(訳注:シャルーラがこの発言を行った1993年当時の年齢)。268年生きても、身体的には30歳の時と違いはなく、賢明になるだけです。それは、成長のための経験を得る時間を長く持っただけなのです。
 私の両親はさらに年齢を重ねています。テロスにはレムリアとアトランティスの戦争と崩壊を見てきた、3万歳を数える人々さえいます。
  (以上『ついに実現した地下存在との対話』よりの転載終わり)

ついに実現した地下存在との対話―アセンションの超秘密 アガルタ・ネットワーク/地底5次元文明との交信記録 (超知ライブラリー)

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『坂の上の雲』第2部はじまる

 -要は日本が列強化しつつある過程の物語。しかし勃興期の青春群像は面白い-

 今年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』は、坂本龍馬の死をもって完結しました。そして次週からは、間髪入れずに『坂の上の雲』第2部がスタートしました。
 第1部は昨年同じく『天地人』終了後の年末放送でした。こちらも毎回観続け、折りにふれてその感想などを記事として公開しました。確かこのドラマは第3部が来年末というように、足かけ3年にわたって放送予定だったかと思います。

 私が20代だった昭和40年代は、司馬遼太郎原作のNHK大河ドラマ『竜馬がゆく』(昭和43年)が放送されたこともあり、その後けっこうな「司馬遼ブーム」が起りました。時あたかも高度経済成長の真っ只中、そういう時代状況で司馬遼太郎の幕末モノなどは、あの時代の勤労者の心を鼓舞するものとして、時代にマッチした読み物だったのかもしれません。
 また昭和40年代は、日露戦争に向けて一直線に突き進んでいった明治期とあるいはどこかでシンクロするところがあるからなのか、司馬遼の作品の中でも『坂の上の雲』は『竜馬がゆく』と人気を二分するほどよく読まれていました。

 ちなみに以前述べましたが、私はこの2作品のうち『坂の上の雲』の方だけ、ずっと後年30代後半の頃に読みました。かなりの分量がありましたが、さして苦にもならず手に汗握りながら一気に読み終えた記憶があります。
 確かに明治期の19世紀後半は、西欧列強による帝国主義の時代であり、列強に狙われた国は国力をつけて帝国主義国の仲間入りを果たすか、植民地化されるかの二つに一つしかない厳しい時代でした。

 我が国は、坂本龍馬など幕末期の志士たちの獅子奮迅の働きのおかげで明治維新を成し遂げ、遺志を受け継いだ人々が殖産興業、富国強兵によって近代化を推し進め、果敢にも西欧列強の仲間入りを果たそうとしたのです。
 インドや清国(中国)をはじめとした欧米白人系国家以外の諸国で、列強国入り出来た例は一国もありません。皆々欧米列強に蹂躙され植民地化されるがままだったのです。そんな中、明治新政府なったばかりの小さな極東の一島国だけは、「欧米に追いつき追い越せ」と無謀な試みを始めたのです。

 ドラマ『坂の上の雲』はそんな「時代そのもの」が大きなテーマです。その雄渾(ゆうこん)な「明治魂」を受け継ぎながら、激動の明治期を疾駆していった、この物語の主人公、秋山好古(阿部寛)、秋山真之(本木雅弘)、正岡子規(香川照之)たち明治の青春群像の姿が描かれていきます。

 欧米式近代化の成果は、近代日本にとって最初の外国との戦争である日清戦争(明治27年)の勝利として顕われました。この戦争は既に昨年の第1部で描かれていました。
 東洋の黄色人種の小さな島国が短期間に力をつけ、清国に勝利し今や列強の一国に食い込む勢いとは。エゲレス(イギリス)、アメリカはもとよりオロシア(ロシア)に至るまで、白人列強国にとっては想定外の出来事だったことでしょう。いや根底に「白人至上主義」を潜ませる彼らにとって、それはまさにあってはならないことだったのです。
 以後我が国は欧米列強から、「得体の知れない不気味な国」としてしっかりマークされていくことになります。

 それを可能としたのは、やはり千数百年にわたり中国や朝鮮から文化・文物を積極的に取り入れ、独自の文化として結実させてしまう、一種独特な吸収力の賜物だったことでしょう。またその結果、江戸時代日本各地の諸藩が朱子学などの漢学を基本にし、それぞれに世界レベルでも高い文化水準を保っていたことも大きな土壌となったと思われます。
 『坂の上の雲』の秋山兄弟、正岡子規をはじめ、明治の「この国のかたち」創りをリードしたのは、主に薩長土肥を中心とした旧士族の子弟たちでした。

 日清戦争の勝利は、後の天下分け目の日露戦争の序曲ともなりました。当然に日本の大陸進出を快く思わない欧米列強による、「三国干渉」などあからさまな横槍が入り始めたのです。
 日本が特に煙たいのは、近隣の大国ロシアです。日本に先を越されまいと、シベリア鉄道を旧満州の奉天、さらには遼東半島の付け根に当たる旅順にまで延ばして敷設し、要所に要塞を造営し始めたのです。
 第2部は、対露関係が風雲急を告げ始めたあたりからの物語です。

 第1回目は「日英同盟」。時は明治35年桂太郎内閣の時代。対露戦争やむなしとする桂内閣に対して、元老の伊藤博文(加藤剛)は対露穏健派。その伊藤の日露交渉決裂の次第、小村寿太郎(竹中直人)らの尽力による日英同盟成立に至るプロセスはもちろん興味深く観ました。
 しかし私は劇中劇のような、ロシア駐在武官の広瀬武夫(藤本隆宏)とロシア人女性・アリアズナとの「愛と別れ」のエピソードに心動かされました。仮想敵国ロシアに乗り込んで数年駐在した広瀬が、並み入るロシア人の若い男たちを差しおいて、美しいロシア女性のハートをしっかり捉えたというのは、まさに痛快の極み。しかし広瀬帰国による、生木を裂かれるような別れは哀切です。
 広瀬は、恋敵のロシア武官からも変わらぬ友情を得、諸国の駐ロシア武官の中でもロシア人にひときわ人気が高かったというのです。後に旅順港で壮絶な戦死を遂げ「軍神」と讃えられることになる広瀬の、仮想敵国の人々をも惹きつける大きな人間的魅力を垣間見る思いです。

 2回目のタイトルは「子規、逝く」です。正岡子規のこれも壮絶としか言いようのない闘病生活、その中での旺盛な執筆活動そして35歳での死が何より強烈でした。
 このドラマでもまたまた香川照之。香川の子規はまさにぴったりです。『龍馬伝』の岩崎弥太郎とはまた違った香川の味を出していました。病床から一歩も出られない状況での「静の烈しさ」を見事に演じていたと思います。
 それに写真などに残されている子規の風貌に、香川は実によく似ているのです。鬼気迫る迫真の演技は涙なしには観られませんでした。

 例えば、おととしの『鶏頭の句-名句?凡句?』で取り上げました、
  鶏頭の十四五本もありぬべし
 気をきかした演出で、ただ横臥するだけの根岸の子規庵の庭先に、へちまとともに綺麗な鶏頭の花が咲いていました。ある人が「この句は凡句だ」と痛烈に批判しましたが、凡句だろうとそうであるまいと、子規は一体どんな思いでこの句を詠んだのだろうかと、劇中の鶏頭を見ながら改めて考えさせられました。
 これまで子規の陰に隠れてよく分からなかった妹・律を、菅野美穂が好演しています。
 
 大学予備門以来無二の親友だった夏目漱石は、この時期官費でロンドン留学中。かの地の西洋近代都市の毒気に当てられ、神経衰弱に悩まされる日々でした。ロンドンの下宿先で「子規死す」の報に接した漱石は、益々暗澹たる気持ちになったことでしょう。
 
 「真さん(秋山真之)は世界を広く見、わしゃ世界を深く見ておるんじゃ」。痛苦、呻吟の合間にしたためられた『病牀六尺』、少々俳句をかじっている者として「読む義務」のようなものを感じさせられました。

 (大場光太郎・記)  

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仮免総理の下、漂流する民主党

- 「政治家の言葉は命」のはずなのに、菅直人の発言は軽すぎる。総理失格だ -

 13日午後の民主党役員会は、小沢一郎元代表の政倫審招致議決か否かをめぐって注目されました。「小沢切り」などとても恐くて出来ない菅総理は「岡田幹事長に一任」という形で逃げ、以前から出席を見合わせることにしていたため、残る13名の党役員によって「小沢氏招致問題」が話し合われました。

 そのうち小沢元代表に近い輿石参院議員会長ら3人ほどは、予め「招致議決反対」に回ることが分かっており、岡田克也幹事長はこのような場合全員一致というこれまでの原則を破り「多数決議決」によって、この問題への中央突破を図る考えとみられていました。
 しかし前日の茨城県議選における惨敗、親小沢グループの士気揚がる決起集会などを目の当たりにして、さしもの原理主義者も考えを変えざるを得なくなったようです。それはそうでしょう。もし議決を強行していれば、以後民主党内は時ならぬ“冬の大嵐”が吹き荒れ収拾困難、岡田幹事長の首どころか菅内閣の命運すらも危ぶまれるところでした。

 役員の最重鎮の輿石氏の、「この問題はひとまず幹事長一任ということではどうか」という発議を、岡田氏が了としたことは賢明だったというべきです。
 仮に小沢氏が折れて政倫審に出席したとしても、各野党は「これで疑惑がますます深まった」として、次は国会証人喚問を要求してくることは明らかです。
 今や“小沢バッシング報道”を第一の使命とする各マスコミも、同様のことをしきりに論評し、「小沢氏は国会の証人喚問に応ずるべきだ…77%」などという世論調査の数字をはじき出すこともこれまた明らかです。

 役員会に先立つ親小沢有志の集まりで原口一博前総務相が、「政権交代の第一の功労者の首を差し出すようなマネをして、いったい何の得になるというんですか」と訴えたとおりです。
 国民生活にとって、最重要であるはずの予算編成大わらわのこの時期。内紛などやっていていいものでしょうか?前日の茨城県議選も、選挙を知り尽くした小沢元代表の知恵を借りていれば、6議席などという体たらくにはなっていなかったはずです。

 「原理主義者」の岡田幹事長が、その真価を発揮すべきは、鳩山前首相時の外務大臣の時だったのです。何せ昨年の政権交代は「国民の生活第一」をスローガンに掲げたからこそ、多くの国民の支持が得られ実現できたのです。
 国民の重要な構成員である沖縄県民は、鳩山前首相の「普天間移設は、出来れば国外、最低でも県外」という表明に、「戦後60何年か経って、やっと沖縄県民の声をまともに聞いてくれる首相が現れた」と諸手を挙げて賛同したのです。

 その沖縄の声を真摯に受け止め、鳩山首相(当時)の全権を受けた岡田外相(当時)は原理主義者の面目躍如とばかりに、米国に「国民の意思として出来れば国外、最低でも県外を譲ることは出来ない」と真っ向主張すべきだったのです。それで自分の首が飛んだとしても、岡田氏への国民の評価は一気に高まっていたことでしょう。
 しかし結果は着任早々、米国に簡単に押し切られ早い段階で鳩山氏に「最終的に辺野古沖しかありませんよ」と進言し出す腰砕けぶりだったのです。
 私はそれまでは岡田氏を、『次の次くらいの首相に』と高く評価していたのです。しかし普天間問題以降、菅政権の他の幹部同様岡田氏には幻滅させられる一方です。

 岡田幹事長は東大法学部出身でしょう。だったら東京地検特捜部による一連の小沢土地捜査の謀略性、東京検察審査会議決のいかがわしさ、大マスコミ報道の裏の意図など先刻ご承知のはずでしょうに。
 岡田氏はじめ菅政権幹部らが、「小沢捜査」の問題点が見抜けないようだったら、この問題に関心のあるネット読者以下のレベルということになります。政権幹部というより、政治家としての能力を疑わざるを得ません。また十分知っていて菅政権延命の「取引材料」にしているとしたら、政治家としての資質が疑われます。

 岡田氏にこの問題が一任され先送りとなったことで、当面の党分裂の危機は回避されました。岡田氏が役員会後の会見で、「(小沢氏への)離党勧告はまったく考えていない」と言明しました。「絶好の機会」を逃した岡田氏がいくら一任されたからと言って、小沢氏招致に踏み込むのは難しくなったのではないでしょうか?
 ただ一旦危機は回避されたとはいえ、見方によっては親小沢対反小沢の路線対立が解消さたわけではなく、より深刻の度を加えて今後に持ち越される可能性があります。

 岡田氏は離党勧告を考えていなくても、少なくても一人は執拗にそれを狙っている者がいます。その者は離党勧告どころか、ズバリ「殺小沢」つまり小沢元代表の政治生命抹殺を、蛇のように執念深く画策しているのです。
 仙谷由人です。これは代表選以前から繰り返していることですが、今日に至る「党分裂危機」はこの者や菅直人らによって引き起こされているのです。仙谷はその張本人です。この者が官房長官など重要ポストに居座り続けることによる、民主党ひいては日本政治への害毒は図り知れません。

 親小沢グループは、「招致議決先送り」を勝ち取った返す刀で、年内に両院議員総会を開催するための署名活動を始めたといいます。今や党内は「殺小沢」、でなければ「殺仙谷」という殺気立った雰囲気になっています。同総会を開くことによって、野党から問責決議を可決されている仙谷官房長官の首を狙うつもりのようです。

 分裂含みの党内の危機的状況にも関わらず、菅直人御大は能天気そのものです。
 先週末の各社世論調査では、どこも支持率20%台前半と「退陣水域」にさらに深くはまり込み、某テレビ局調査では4割以上の人が「菅政権は来年4月まで続かない」と回答しています。
 「総理延命」しか眼中にない菅直人は、これら調査に慌てて、「政権発足後のこれまでは仮免許、これからが本免許のつもりで取り組む」と平然と言ってのけたのです。

 ご記憶の方もおいてでしょうが、菅総理はこれと同じようなことを、代表選再選直後口走ったことがあります。定かな記憶ではありませんが、「これまでは試運転。再選されたこれからは死に物狂いで政権運営していく」というように。
 「死に物狂い」の結果がこれまでのザマかよ、ということはさておき。菅直人に政権運営を続けさせると、この先もまた言い回しを変えただけの言い訳を繰り返すに決まっています。その手法で、気がついたら後3年も…?あヽ嫌だ、嫌だ !

 それにしても「これまでは仮免許」発言は大失言の類いです。早速野党は猛反発しています。最近の世論調査の政党支持率で民主党を抜いた自民党の谷垣総裁は、「政権を担当している人たちが仮免許ということを言うのは、(略)自ら政権担当能力がないということを“自白”したに等しいですね」との、正鵠を得た批判をしています。
 さらに自民党の小池総務会長は、「仮免許中に信号無視、脱輪、衝突ということを繰り返してきて、本免許には到達できないんじゃないでしょうか」と語っています。思わず『うまい ! 座布団三枚 !』と言いたくなります。(小池百合子は大嫌いのはずだったんですがねぇ。)

 今日の民主党政治の大混乱は、まずもって菅直人が全責任を負うべきものです。菅直人よ。あなたは即刻総理大臣をお辞めなさい。

 (大場光太郎・記)

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続・民主党分裂の危機 !?

 -党内「対米隷属派」優位の状況にかんがみ、小沢氏は離党し新党結成すべきだ-

 小沢一郎元代表は、「年明けにも強制起訴される身。厳しい法廷の場ですべては明らかになるのだから、国会の場で説明する必要はない」と言明しています。そこで13日の党役員会で招致が議決されても、今さら応ずることはないでしょう。

 そうなると、菅・岡田執行部がどう出るかが大問題です。菅政権の司令塔であり“問責可決”官房長官でありながら、のらりくらりと居直り続けている仙谷由人は少し前、「“脱小沢”からいよいよ“殺小沢”だ」と放言したといいます。
 「殺小沢」つまり小沢元代表の政治生命を絶つために、年明けの強制起訴を見越して政倫審招致に応じない小沢一郎に対して、菅総理が「離党勧告」を出すという流れになることは間違いないでしょう。

 小沢元代表は12日夜、鳩山前首相や輿石参院議員会長と会談し、席上「仮に役員会で多数決で方針を決めるようなことをすれば、政務三役からも辞任の動きが出かねず、政権運営が困難になる」「党内から、両院議員総会を開いて、問責決議が可決された仙谷官房長官の責任を問う声も出てくる」などと現執行部を牽制する意見が出されたもようです。
 しかしこの会合では3氏とも、「党を割るようなことはしない」という考えで一致したといいます。

 『んっ?』。確か8日の夜の鳩山氏らとの会合で小沢氏は、「次のことも考えなくてはいけない」と、新党結成も視野に入れた発言をしていました。
 仮に新党結成となると、国から支給される政党交付金の関係で、政党としての必要条件を充たした上で毎年1月1日までに総務相に届ける必要があります。年の瀬の今、そんなに悠長に構えている余裕はないはずです。

 小沢元代表らの12日の「党内にとどまる」発言は、何を意味しているのでしょう?党役員会以降、党内は小沢国会招致を巡って紛糾し、フランケン岡田らが思い描くようにすんなり「招致議決で党が一致結束」とはならない、この問題は早期に立ち消えになるはずだ、と読み切った上でのことなのでしょうか?
 それとも党内外の「悪徳ペンタゴン」勢力の勢いが強く、小沢氏に強い逆風が吹いている今、離党→新党結成となっても、小沢元代表を取り巻く状況は不利になるだけと読んだからなのでしょうか?

 前者なら菅総理以下、今後は「反小沢」「脱小沢」を貫くことは難しくなります。その場合、「総理延命」こそが至上命題である菅直人も今度ばかりはさすがに折れて、小沢-鳩山-輿石トロイカの言を容れて大幅内閣改造、そして「殺小沢」の張本人である仙谷官房長官罷免に動き出すことも考えられます。
 これならば今度こそ、小沢元代表ら本来の政権交代メンバーの復権が果たせるわけで、大いにけっこうです。
 困るのは後者の場合です。離党→新党結成というまたとないチャンスを逃し、菅執行部が確実に出してくる「離党勧告」を、“座して死を待つだけ”ということになりかねません。

 と、ここまで記事を作成した段階で、肝心なファクターを忘れていたことにふと気がつきました。12日に行われた茨城県議会選の結果です。
 早速調べたところ、民主党は倍増を狙って23人の立候補者を立てたにも関わらず、何と10議席にも届かない「6議席」という惨敗です。いくら保守王国とはいえ、自民系が45議席確保ですから、天地ほどにも水を開けられたことになります。
 今夏の参院選以降、連戦連敗の惨敗続き。これでは小沢元代表の予言ならずとも、「菅総理の下では来年4月の統一地方選は戦えない」と、全国各地で反乱の狼煙(のろし)が上がるのは必至です。

 今回の惨敗の責任を真っ先に取るべきは、菅総理であり岡田克也幹事長です。特に選挙の実質的責任者である岡田幹事長は、今頃顔面蒼白、まさにフランケンシュタインばりに顔が引きつっていることでしょう。
 こんな状況でもフランケン岡田は、役員会で「惨敗の責任はすべて“政治とカネ”を引きずる小沢氏にある」と強弁し、「だから何が何でも小沢国会招致を実現すべし」と、多数決で議決するというのでしょうか?これでは役員会での紛糾はもとより、党内の親小沢派からの猛烈な突き上げをくらい、民主党は収拾がつかないくらいの大混乱に陥り、小沢招致問題や離党勧告問題はどこかに吹っ飛んでしまうのではないでしょうか?
 それを読んだ上での、小沢氏らの「党内にとどまる」発言だったのかもしれません。

 波乱含みの小沢招致問題は、自民党など各野党もさまざまな思惑をもって、“対岸の火事”とばかりに眺めています。その中で面白いのは、以前から「民主党ハルマゲドン」論者のみんなの党の渡辺善美代表の発言です。
 渡辺代表は、小沢元代表をめぐる民主党内の路線対立について、「茨城県議選で民主党がボロ負けしたら、民主党ハルマゲドンになる。分裂するなら早い方がよい。それが日本のためだ」と、つい先日の某県での講演会で話したのです。まさに民主分裂は、渡辺代表にとって「日本のため」であると共に「みんなの党のため」でもあることでしょう。今後同党が総選挙などさまざまな局面で受け皿となって、さらなる躍進が見込まれるからです。

 確かに茨城県議選の惨敗を受けて、小沢グループが政権中枢を占める可能性が少しは出てきました。その場合は「党内残留」も大いにけっこうです。もし仮にそういう流れにならず、依然として「脱小沢」から「殺小沢」に向かうようなら、小沢元代表は躊躇なく離党、新党結成に動くべきです。
 たとえ共に離党するのが少なくても、2、30人なら十分、今後の「国民主権政党」対「対米隷属政党」の二大政党制移行に向けた、政界再編のキャスティングボードを握れます。

 13日午後の党役員会以降の民主党内の動きには要注意です。

 (大場光太郎・記)

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民主党分裂の危機 !?

 -低能力の菅政権。小沢氏の国会招致より予算案成立準備に精力を傾注せよ-

 内閣支持率は危険水域から、今や「退陣水域」に入りつつある菅内閣。臨時国会はやっとこさ補正予算が成立し、同国会をよれよれで何とか乗り切ったような按配です。
 政権発足後半年間の内政、外交両面の肝心の政策面では、政治ジャーナリスト、国民世論の大方の判断は“赤点”続きという評価になるはずです。

 そんな菅内閣は、年明けの通常国会をにらんで、臨時国会終盤に野党から出された仙谷由人官房長官と馬渕澄夫国交相の参院問責決議案を踏まえて、早速仙谷らを辞任させ、小沢一郎元代表にも協力を仰いだ清新かつ大幅な内閣改造の算段でも始めるかと思いきや。
 支持率20%台前半のレームダック政権にあるまじき、とんでもない画策をあれこれ始めています。菅総理以下の「政権亡者」ぶりには、ほとほと呆れてしまいます。

 自民党などとのキナ臭い大連立話や、社民党との連携話などある中で、今最大の懸案となっているのが、小沢元代表の国会(衆院政治倫理審査会)招致問題です。
 これは臨時国会閉幕後待ってましたとばかりに、岡田克也幹事長が唐突に言い出した話です。岡田幹事長の言い分の一つは、「小沢氏の問題を残したままでは来年4月の統一地方選が戦えない」と言うものです。
 ところで菅改造内閣後岡田氏が幹事長になって以来、知事選など主要な地方選挙で民主党は連戦連敗です。

 12日に行われる茨城県議選でも、選挙前から早くも民主党は2ケタに届くか届かないかの惨敗が予想されています。同選挙について小沢元代表は過日、「茨城で惨敗したら地方が火を噴く」と述べ、菅政権が窮地に陥るとの見通しを示しました。「今の政権は地方の重要性が分かっていない」と述べたとも言われています。
 これらの連敗の主要因は菅総理の指導力不足、景気対策の遅れ、外交問題でのミス続出などによるもの。小沢「政治とカネ」問題はそんなに影響していないことは、10月北海道5区の衆院補選で自民党の町村信孝元官房長官が民主新人を破って当選した時の、選挙民の調査結果からも明らかです。
 敗因はズバリ菅政権の相次ぐ失政と、岡田幹事長や枝野幹事長代理など執行部の選挙ベタの2点にあることは明らかなのです。

 ですから“フランケン(シュタイン)岡田”の「小沢問題がある限り、統一地方選は戦えない」というのは、取ってつけたロジックにすぎません。また自分たちの無能を棚に上げた責任転嫁も甚だしいと言うべきです。
 おそらく仮に小沢問題が解決しても、民主党は同地方選ではボロ負け必至でしょう。いや菅内閣や岡田執行部がそれまで残っているかさえ怪しいものです。
 今回フランケン岡田が、小沢氏国会招致に強硬なのは、自民党など野党各党にそれを約束していて後に引けないからというのが、一つあります。

 それと共に、菅政権が浮揚するための選択肢は限られていますが、そのうち“実質総理”の「仙谷外し」は自己矛盾となり出来ません。したがって内閣改造も意外と難しいはずです。かと言って、レームダック菅総理には衆院解散など行うパワーはありません。
 となると、“最後の切り札”である「小沢切り」のカードを使うしかないのです。それによってかつての“V字回復”を狙っているのでしょう。しかし柳の下にそうそうドジョウがいると思ったら大間違いです。
 当面多少支持率回復はなるかもしませんが、すぐまた続落すると思います。今や現政権の問題は、菅総理自ら、閣僚たち、菅民主党そのものに原因があることを、多くの国民が見抜いてしまっているからです。

 どうせなら鳩山前政権時の外相として普天間移設問題でも、米国相手に発揮してくれればよかったものを。フランケン岡田は、なぜかこの問題に限っては「原理主義者」に戻って、一歩も後に引かぬ構えのようです。
 小沢氏に近い輿石東参院議員会長が、「役員会で議決に持ち込むのは慎重に」と申し入れても聞く耳を持たないのです。13日開かれる党役員会では、輿石氏ら3名の反対が出ることを見越して、それまでの全員一致の原則を曲げて多数決ででも議決に持ち込む構えを崩していません。  (以下「続」につづく)

 (大場光太郎・記)

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伊藤リオンの出頭、逮捕など

 -謝罪会見も済み伊藤リオンも出頭してきたことで、この事件は幕引き近しか?-

 先月25日未明に起きた市川海老蔵(33)に対する暴行事件で、警視庁は10日夜8時前、都内路上にいた伊藤リオン(26)の身柄を確保し、その後霞ヶ関の同庁本部で逮捕しました。警視庁は海老蔵からの被害届を受けて、伊藤容疑者の行方を追っていましたが連絡が取れず、事件発生後15日での逮捕です。
 なお7日の謝罪会見前後から、海老蔵の「無期限謹慎」の先の復帰を見越してか、各マスコミは「海老蔵さん」と急に丁寧な呼称に改めました。しかし当ブログでは引き続き敬称略とします。

 伊藤容疑者は10日夜、弁護士を通じて警視庁の捜査員に「出頭したい」と連絡、その後の逮捕に至ったものです。
 テレビ報道で見る伊藤リオンは、黒のジャンパーを着て坊主頭にヒゲを生やし、時にカメラの方に視線を向けることもありました。

 伊藤リオンは、アメリカ人の父と日本人の母を両親に持つ、黒人ハーフのようです。東京都杉並区出身で、小学生の頃からヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)の育成組にあたるジュニアやジュニアユースなどに所属し、運動能力の高さと攻撃的なプレーを武器にFWとして活躍、将来を嘱望されていたといいます。
 しかしキッカケは何だったのか、1999年に高校1年で同ユースを退団。その頃から素行の悪さが目立つようになり、都内を拠点とする暴走族「関東連合」に加わり次第に頭角を現していきました。
 身長は170cmくらいと大きくはないものの、腕っ節が強く喧嘩っ早いことから同グループで「特攻隊長」との異名を取っており、六本木界隈では有名な“ワル”だったようです。

 10日には伊藤容疑者の他に、事件の重要な鍵を握っているとみられる、事件当夜ずっと海老蔵と一緒に飲んでいた、暴走族の元リーダーらも出頭する予定だったようです。しかし今回は伊藤容疑者単独での出頭、逮捕となりました。

 会見でも「一方的に殴られた」「私は被害者だと思います」と主張し続けた海老蔵ですが、会見当日のスポーツニッポンには、逆に「海老蔵に殴られた」と主張する元リーダー(29)のものとみられる診断書が紙上公開されました。
 同診断書には、事件当日の11月25日のほか、12月6日の2回分で、それぞれ別の病院で取られ、先月25日の診断書は「鼻部打撲・上口唇裂傷」、完治まで「受傷日から約10日間の見込み」という内容。12月6日のものは「顔面打撲頚椎捻挫」で「本日より2週間の安静・加療を要す」とされています。

 元リーダーが、この診断書をもとに被害届を出せば「海老蔵による」傷害事件に発展する可能性もあります。事実リーダー側はこれに基づいて、警視庁に被害届を出す意向を固めたとされていました。
 しかし紙上公開された当夜の海老蔵「被害者会見」を経ても、いまだに被害届は出されていません。もし「逆・被害届」を出されでもすると、海老蔵は加害者となりダメージはそれこそ図り知れません。そこでそれを知った海老蔵側の弁護士が、リーダー側と示談交渉を進めているようなのです。
 今回元リーダーらが出頭しなかった裏には、水面下で海老蔵側との交渉中という事情があるようです。 

 ところでこの事件、警視庁は殺人など凶悪犯罪専門の捜査1課を投入していますが、捜査員の士気はさほど上がっていないといいます。
 “花の捜査1課”にしてみれば、海老蔵事件は本来ならば「飲み屋の喧嘩」に過ぎません。海老蔵という有名人が巻き込まれた事件であるため、各マスコミは連日大きく報道し世間も大騒ぎしていますが、これが一般人同士なら捜査1課が出張るまでもなく、サッサと示談で片付ける事件であるようです。

 つい先日の8日、東京地検は、今年1月初場所中の傷害容疑で書類送検されていた元横綱の朝青龍(30)を不起訴(起訴猶予)としました。
 奇妙なことに朝青龍が暴行した相手と言うのも、関東連合の元リーダーで伊藤リオンらの先輩格に当たる川奈毅でした。朝青龍は泥酔の上、川奈に全治1ヵ月の重傷を負わせても、結局出されたのは「おとがめなし」だったのです。

 そこである捜査事情通は、「伊藤リオンを逮捕したところで、不起訴や起訴猶予で釈放される公算が高い。公判を請求するには、海老蔵が一方的に殴られた状況を裏づける必要がありますが、双方の言い分が食い違う以上、立証は困難です。だから当局としては、海老蔵が被害届を取り下げ、示談での解決を望んでいるわけです。しかし、海老蔵が謝罪会見で『私は一方的な被害者』と大見得を切った以上、被害届を取り下げる可能性は低い。捜査員も頭を抱えているはずです」と話しています。

 元リーダー側との交渉が長引いている背景には、海老蔵の「自分は被害者」で押し通さなければならない事情があるのかもしれません。またそれをいいことに、示談金をどんどん釣り上げてきている元リーダー側と、金銭面でなかなか折り合いがつかないのかもしれません。

 ところで今回の一連の事件報道の過程で、海老蔵の「酒グセの悪さ」は満天下の知るところとなりました。これは、それを具体的に証言している友人、知人が多いことから、根も葉もない噂ではないことでしょう。
 そのため今回の事件は、いくら海老蔵の釈明会見を聞いても額面どおりに受け取っている人は少なく、事件発生の要因は「フィフティ、フィフティ」「どっちもどっち」と冷静に見ている街の声が多いようです。

 日頃泥酔すると「オレなんか、60歳まで国から2億円もらえる」「黙っていても人間国宝になれるんだ」などと豪語していたという“梨園のプリンス”にとって、それは著しいイメージダウンとなったわけで、事件の決着がどう転ぼうと、市川海老蔵が今回失ったものはあまりにも大きいと言わざるをえません。

 (大場光太郎・記)

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寒い月

                富澤 赤黄男

  寒い月 ああ貌(かお)がない 貌がない

… * …… * …… * …… * …… * …
《私の鑑賞ノート》
 富澤赤黄男(とみざわ・かきお) 略歴については『蝶堕ちて』参照のこと。

 富澤赤黄男はこの句のように、従来の俳句の概念を大きく打ち破るような句風に特徴があります。その上この句はそれまでの句にはほとんどみられない、句の間を空けた表記となっています。
 この句一つ取ってみても赤黄男は、既成概念に凝り固まった俳句界の「壊し屋」のような気がします。実に革新的と言おうか、俳句という形式を借りた「一行短詩」といった趣きです。

 「寒い月」は寒月、凍月(いてづき)であり、冬の月のことです。冬の月というものは、取り分け白々と輝いて冷ややかで寒々しい感じがするものです。その意味で型破りと思われるこの句も、根底には俳句的伝統をしっかり踏まえているのです。
 「ああ貌がない 貌がない」という詠み方は、寒い月であるからこそと言うべきです。「春の月」や「夏の月」では、とてもこの句のような不気味さは醸し出せません。

 月の表面のクレーターによる凹凸(おうとつ)によって、太陽からの光の陰影が生まれ、我が国では昔から「ウサギが餅をついている」というような言い伝えがなされてきました。
 月のアバタ面に対して、仔細には知りませんが、世界各地でも独特の呼び方があるようです。それを一応日本は日本なりの外国は外国なりの、「月の貌」のとらえ方と言うことができると思います。
 見かけ上全天一大きいからこその「月の貌」です。古来からの月神信仰による畏怖が基層にあるかどうかは別として、月に「貌がある」と言うことは、夜空に輝く月に対してどの民族も古来から取り分けシンパシー(共感)を感じていたということに他なりません。

 ところが赤黄男はこの句において、「ああ貌がない 貌がない」と言うのです。「貌がない」というのなら、貌は一体どこにいってしまったのでしょう。月が自ら貌を隠してしまったのでしょうか。
 そんなことではありません。赤黄男自らが「月の貌」を見るある種の視力を失ってしまったのです。

 それはひとり富澤赤黄男のみならず、多くの人にとってそうなのです。
 この句は昭和27年刊句集『蛇の笛』中に収められています。戦後間もなくの時代です。分けても日本人は、わずかその数年前第二次世界大戦という凄まじい戦争、それに続く敗戦、米国進駐軍占領により、180度の価値観の転換を経験している真っ最中でした。
 戦前までは絶対視さていたものが、次々に相対化され、神聖さや権威や意味を失いつつあったのです。そういう時代的なニヒリズムが、この句に反映されているように思われます。

 ご多分に漏れず「お月様」も、素朴な信仰、豊穣な物語性、秘めやかな神秘性が失われつつあったということです。
 私は以前、
  ビルの上記号のような月がある
という句を詠んだことがあります。
 今日(こんにち)の月は、空の上に記号のようにただ掛かっているだけ。月の光などより何十倍も明るい夜の街を行き交う私たちは、月に貌があろうがなかろうが、そんなこと知ったこっちゃありません。
 私たちは、月をしみじみ振り仰ぐことすら忘れてしまったのです。

 (大場光太郎・記)

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ペルセウスのゴルゴン退治(1)

 -我々凡俗は変化を望まず現状に甘んじ、勇者は敢然と困難な冒険の旅に赴く-

 『ペルセウスの誕生秘話』で見ましたように、アルゴスのアクリシオス王は「汝の娘の子によって殺されるであろう」という神託に怯え、美しい愛娘ダナエと、ダナエが産んだ大神ゼウスの子ペルセウスを、木箱に詰め込んで海に流したのでした。
 しかし母子はアルゴスの東の海の小さなセリポス島に流れ着き、奇跡的に島人に助けられ、同島でペルセウスは立派な若者に成長していったのでした。

 ところでセリポス島のポリュデクテス王は、ダナエの美しさを見て、何とか我が物に出来ないかと思い事あるごとに口説き続けました。しかしダナエはなかなか王の意に添おうとはしません。
 そんなある時王の館で祝宴が開かれ、若いペルセウスも招かれてその宴に出席しました。他の客たちは馬などを手土産にして館にやってきます。ところがペルセウスには持っていくべき贈り物がありませんでした。

 「まあ、よい。まだ若いおぬしには、これといった手土産もあるまいて。ケッ、ケッ、ケッ」と、皆に嘲笑され屈辱感でいっぱいのペルセウスは、「では、ゴルゴンの首でもお持ちいたしましょう」と、つい口を滑らせてしまいます。
 「ゴルゴン」は海の果ての魔界に棲む3人の怪女で、その醜悪な面貌は見る者を一瞬にして石に変えてしまうという恐ろしい魔物です。

 かねてからダナエに横恋慕していたポリュデクテス王は、日頃からその息子のペルセウスが邪魔で仕方ありませんでした。そこに絶好の機会到来です。
 『ヤツがいなくなれば、ダナエもオレ様になびくかもしれんぞ』。こう考えた王は、ペルセウスの不用意な発言をすかさずとらえ、
 「ほう。ゴルゴンの首を土産に持ってきてくれるとな。それはおもしろい。早速持ってきてもらおうじゃないか。さあ、早く」、さあ、さあ、さあ、さあ、とけしかけました。

 九分九厘死ななければならない危険な旅と分かっていても、いったん口に出した言葉は実行せねばなりません。それが当時の勇者たちの掟だったのです。
 「あヽ、いいですとも。必ずゴルゴンの首を取ってきましょう」。内心では『しまった。とんでもないことを口走ってしまった』とほぞをかんだかどうか。しかしペルセウスはそんなそぶりはおくびにも出さず、平然とそう言い放って颯爽と旅立って行きました。

 ただこの果敢な美少年には、助力者たちが何人かついていました。何しろ血統的にはゼウス直系の貴種、ギリシャ神話中のサラブレットです。こういう者には神々の庇護がついて回るのです。
 まず知恵の神ヘルメスが、“隠れ帽子”と“飛行靴”を貸してくれました。帽子の方は、これをかぶると周囲を夜が支配し、追手は何も見えなくなってしまうという優れモノです。飛行靴はその名のとおり、これを履くと大空を自由に飛んで行くことが出来るという、現代のテクノロジーを遥かに超えたウルトラシューズです。
 ペルセウスはまた、首を切る鎌もヘルメスから譲り受けました。

 次に女神アテネが道案内を務めてくれ、ニンフのナイアデスが切り取ったゴルゴンの首を入れる丈夫な袋を用意してくれました。
 ここで「女神アテネ」とは、その名が示すとおり古代ギリシャ一の都市国家アテネの守護神で、知恵と戦いの神とされています。
 また「ニンフ」とは、ギリシャ神話の精霊、妖精の一種を意味します。美しい女性しかいないとされています。神々の従者であり、神々や人間と恋をし、交わっては英雄や半神を生み、また多くの逸話の主役ともなっています。「ナイアデス」は固有名詞ではなく、池や泉のニンフを指しています。

 これを読む私たちは、『“神の息子”だからこそ特別な神々の援助が得られたっていう物語だろ。こんな絵空事、ナンセンスだよ』などと思ってはなりません。というのも、私たちもまた「神の息子」であり「神の娘」に他ならないからです。でなければ、「今ここに」こうして生きていることは出来ないはずなのです。
 ゆえにギリシャ神話に限らず「神話」は、私たち自身の時空を超えた「心の可能性」の物語でもあります。そして心の中で実現可能なことは、現実世界でもあるいは実現可能なのかもしれないと、心の片隅てでも思いながら読むといいのではないでしょうか。

 それにペルセウスの場合、神々のサポートを呼び込んだのは、まずもって彼が勇気を示したこと、一度口にした言葉を命がけで実行しようとしたことにあると考えられます。
 「ゴルゴン退治」などという、およそ不可能事に果敢に挑もうとした「敢闘精神」を、神々は大いに愛でたということだと思われます。
 「苦をすれば通ず」「意志あるところ道あり」「至誠天に通ず」。深いところに“神のDNA”を宿す私たちも、虚心坦懐にひとたび何事かに向かってペルセウスばりのチャレンジ精神を発揮するならば、「見えざるサポート」が得られるのは必定だと思うのです。

 …こうして用意万端整えたペルセウスは、ゴルゴン退治の「勇者の旅」に旅立って行ったのです。

 (大場光太郎・記)

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海老蔵、疑問の残る会見

 -相手方全員が行方不明の今、早い会見は「先手必勝」を狙ったのではないか?-

 まず『時事ドットコム』(12/07/23:04)の「相手に暴力・挑発否定-頭下げ反省、謝罪・海老蔵さん会見」記事を以下に転載します。
                       
                        *
 歌舞伎俳優の市川海老蔵さん(33)が暴行され、重傷を負った事件で、海老蔵さんは7日、東京都内のホテルで記者会見し、「皆さまにご迷惑とご心配を掛け、誠に申し訳ありません。深く反省しております。日頃の自分のおごりが招いたことだと思います」と述べ、深々と頭を下げた。
 海老蔵さんは「酩酊(めいてい)状態だったので、記憶はあいまいだ」とした上で、逮捕状が出た男や元暴走族リーダーとは「どなたも面識はない」と言及した。
 一緒に酒を飲んだ元リーダーとは、知人が経営する港区西麻布の雑居ビル11階の店で会ったといい、「怖かったが、失礼のないようにと思い、席を立てなかった」と明かし、「相手は初めから酔っ払った状態だった」と証言した。暴行を受ける前は「相手が酔っている様子で倒れてしまったので、起こすように介抱した」と語り、「介抱に見えなかったかもしれないが、暴行を受けるような行動をした覚えはない」と主張した。その上で「灰皿に酒を入れるようなことはしていない」と述べ、一部報道を否定。相手への暴力や挑発行為はしていないという。暴行を受けた際は「非常に長い時間に感じ、頭を守ることで精いっぱいだった時もあった」と振り返り、「暴行を受ける時、逃げる最中は死ぬかと思った」「必死で階段を下りた」と語った。
 海老蔵さんは「本当に命に関わる問題で、混乱していた。追い掛けられた記憶はあるが、どのように逃げたかは覚えていない」と述べ、「(帰宅時は)家の鍵も携帯電話もなかった。はだしだった」と明かした。
 タレントの同席を問われ、「いたと思うが、名前は申し上げられない」と回答。「完全な被害者か」との質問には「そうだと思う」と主張した。(2010/12/07-23:24)  (以上転載終わり)

                       *
 7日深夜の報道番組で、市川海老蔵が同日午後極秘退院し、午後8時頃から記者会見を開いている映像が流れびっくりしました。
 会見場で、迫本淳一松竹社長や弁護士らと共に席に着き、一問一答している海老蔵の顔は、手術の跡がまったくなく、以前の端正な顔立ちそのものでした。ただ今に残る左目の真っ赤な充血が痛々しく、それだけで確かに凄まじい暴行を加えられたことをうかがわせるのには十分でした。

 フジテレビ報道番組『LIVE2010ニュース』の中で、会見のようすを聞かれた「街の声」の一人が、「まったくの演技よね、演技。さすが役者さんよね」というようなことを言っていました。鋭い指摘だと思います。実はその前、少し長く会見のもようを伝えた日本テレビの『NEWS ZERO』を観ていて、私もまったく同じ感想を持ったのです。
 会見はつごう1時間半にも及んだのだそうですが、一語一語言葉を慎重に選びながら話しているな、という印象でした。

 以前はさほど関心がなかった私が、「役者・海老蔵」を見直すキッカケとなったドラマがあります。今年3月日本テレビが「生誕100周年記念。松本清張ドラマスペシャル」と銘うって放送した、松本清張原作の『霧の旗』です。
 このドラマで海老蔵は、大塚欣也という都内の敏腕で売れっ子弁護士の役を演じました。この大塚弁護士役の鬼気迫る海老蔵の演技に、『この者は凄い役者だなぁ』と唸らされたのです。(大塚弁護士に壮絶な復讐をする、柳田桐子役の相武沙季の迫真の演技にも唸らされました。)
 このドラマで『海老蔵は何と端正な男だ』と、思わず男が男に惚れてしまいました(笑)。それに海老蔵が、三島由紀夫そっくりに見えたシーンがあって、一瞬ドキッとしました。

 私は会見のもようを眺めながら、『霧の旗』での海老蔵の演技がふと思い出されたのです。おそらくこの会見は、同席した弁護士や松竹社長らと「都合の悪いことは一切しゃべらないこと」、核心部分は「現在捜査中ですので…」などとはぐらかすことなどを事前に綿密に打ち合わせしたものと思われます。海老蔵自身その見上げた役者根性で、何度も頭の中でリハーサルをして臨んだものなのでしょう。

 海老蔵は会見で、「海老蔵さんは被害者ですか?」の記者の質問に「そうだと思います」と言い切りました。
 また、「暴行グループの誰とも、“介抱した”リーダーとも初対面だった」「頭から水をかける、灰皿でテキーラを飲ませるという行為はしていない」「こちらから暴行は一切ふるっていない」などと、暴走族グループや店の関係者の話とは大きく食い違うことを述べています。
 今後の捜査を待つしかありませんが、もし裁判になった場合でも、「言った、言わない」「やった、やっていない」はそれを裏づける決定的証拠でもない限り、永遠の“水掛け論”になる可能性大有りです。

 それを重々承知の上での、弁護士の「先に言った者勝ち」的戦術から、相手方が誰も姿を現さない前の、今回の早期会見となったものと思われます。この会見が世間的にはどう受け取られようと、今後の法廷闘争的には実にうまい作戦だったと言うべきです。
 海老蔵サイドが「完全被害者」を主張しているのに、何で歌舞伎公演などが「無期限見合わせ」なの?という疑問は残ります。

 リーダーや伊藤リオンら相手グループは、いつまでも行方をくらましてもおれまいし。そうしていればいるだけ、ますます不利になるだけです。よほど警察に出頭できない理由でもあるものなのか。いずれにしても早く表に出てきて、自分たちの言い分を海老蔵同様堂々と世間に伝えるべきです。

 (大場光太郎・記)

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危険水域突入の菅政権

 -そもそも正当性を有しないクーデター菅政権。一日も早く総辞職すべきだ !-

 尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件、ヨンピョン島への北朝鮮砲撃事件など、外交、安全保障上の問題で、菅内閣の不手際が目立っています。9・14代表選時は、「短期間に総理を変えるのは良くない」というマスコミ論調に乗せられ、菅直人を“消極的支持”したお人よしの国民も、さすがに菅総理の「アキカン」ぶりが分かってきたのか、ここのところの新聞・テレビの各社世論調査で内閣支持率が急落し続け、危険水域と言われる30%を軽く割り込み、軒並み20%台半ばから前半台まで落ち込んでいます。

 例えば読売新聞が3日~5日にかけて行った全国世論調査(電話方式)では、前回調査(11月5日~7日)の35%から、ついに25%に下落しました。一方深刻なのは不支持率で、55%から65%に急増しているのです。
 特に中国漁船衝突事件の対応の不手際などをめぐって、参院で問責決議案が可決された仙谷由人官房長官については、「辞任すべきだ」が45%に達しています。
 NОは外交面にとどまらず、菅内閣の経済対策についても「対応していない」が83%(前回79%)にも達しています。また菅内閣のもとでは「普天間問題が解決に向かうとは思わない」がこれまた85%を占めています。

 これらの数字は「スッカラカン」内閣を、国民が完全に見放したことを如実に示しています。その結果が衆院解散・総選挙については「できるだけ早く行う」が40%と、改造内閣発足時(9月17~18日実施)の20%から急増しています。
 さらに困ったことに、衆院比例区の投票先については、自民党26%に対して民主党22%と、はじめて自民党を優位に立たせる体たらくとなってしまいました。

 こういう無様な調査結果を、自公政権末期短命に終わった、安倍、福田、麻生政権と同じパターンだと捉える見方もあります。
 小沢一郎との熾烈な代表選の時は、大新聞の記者が、まだ未開票の段階で民主党議員に対して、「党員・サポーター票でダブルスコアー以上の大差で小沢が負けている。菅の優位はもう動かない」と、態度未定の民主党議員に対して実に怪しい勧誘の電話を掛けまくったといいます。
 それほどまで菅再選に肩入れしていた大マスコミが、態度を豹変させ政権批判報道を始めたことが大きいのでしょう。やはり中国漁船衝突事件などへの度重なる不手際に、「こりゃだめだ」と見限ったのではないでしょうか?ここに来て頻繁に世論調査を行っているのも、その表れと言えると思います。

 大マスコミ変節のきっかけとして、日本の総理大臣の「最終的人事権」を有するアメリカが、菅政権に「NО !」を突きつけてきているのかもしれません。
 いずれにしても、安倍元内閣以降鳩山前内閣に至るまで、各社調査で30%を割り込み20%の危険水域に突入してから1、2ヶ月後には、政権を投げ出さざるを得なくなっています。「たとえ1%になっても…」は許されることではないのです。
 もう支持率のV字回復など期待できない菅内閣が取るべき道は、「内閣総辞職」「解散総選挙」「内閣改造」の三つのうちのいずれかしかないはずです。

 しかし菅直人は、臨時国会閉幕に当たっての6日の記者会見で、死んだような目をしながら「内閣改造は考えていない」と表明したのです。もし総辞職したくないのなら、野党からも国民からも支持を失っている、仙谷官房長官をはじめとした現閣僚を大幅に入れ替えて人事の刷新を図るべきです。
 支持率で自民党に水をあけられるような非力な総理に、「やぶれかぶれ解散」に打って出るパワーなどないはずです。危険水域の20%台から抜け出すにはそれしか方法はないと思いますが、それすら行わないというのです。

 それではどうするのか。単なる悪あがきとしか思えませんが、「社民党(など)との連携を強めていく」というのです。それによって「衆参ねじれ」状況下かろうじて衆院3分の2以上の議席を獲得し、仙谷らの参院での問責決議案を蹴散らし、来年度予算案など重要法案を「衆院再可決の手」で乗り切ろうという奇手に出ようとしているのです。
 これは菅直人の発案というより、“陰の総理”の仙谷由人の悪巧みのような気がします。というのも、漏れ聞くところ社民党党首の福島瑞穂は、かつて仙谷弁護士事務所で「イソ弁」(新人弁護士の居候)をしていたことがあるというのです。福島と仙谷は東大法学部の先輩・後輩、また弁護士としてさらには旧社会党を通じて旧知の間柄であるのです。仙谷にしてみれば、「瑞穂ちゃん。かつてのよしみで今回はよろしく頼むよ」ということなのではないでしょうか?

 官房機密費を一手に握り、民主党内はおろか霞ヶ関官僚まで“オレ様”の意のままに操縦している仙谷にとって、官房長官の地位は石にかじりついてでも死守したいポジションに違いありません。
 「菅がこれほど使えないとは思わなかったよ」と、仙谷は周辺に漏らしているといいます。その菅総理は人一倍自己顕示欲の強い御仁、自分より目立ち力量でも上回っている仙谷を内心では斬りたいと思っているはずです。
 しかし優柔不断の菅直人は斬るに斬れないのです。

 選挙のたびにジリ貧になり、時期党首候補だった辻元清美にも去られと、すっかり影が薄くなった社民党です。しかし「久々にめぐってきた党アピールの絶好のチャンス」とばかりに、菅民主党との連携、連立には走らないでいただきたい。
 巷間言われているように、武器輸出三原則あるいは普天間基地の辺野古沖移設案などをめぐっては、菅民主党とは大きな隔たりがあるはずです。それを曲げて安直に菅政権にすり寄るようでは、今度こそ社民党は消滅の危機を迎えると覚悟すべきです。

 菅政権のレームダック化に反比例するように、意外にも「小沢一郎人気」が急上昇しているようです。先々週あたりの産経新聞調査を皮切りに、「誰が総理にふさわしいか」で、小沢一郎が2位の「男芸者」(前原誠司)を抑えて堂々の1位に躍り出ているのです。
 これはどう読み解けばいいのでしょうか。徹底した「脱小沢」の菅政権でダメなら、いっそのこと小沢本人に一度この国を任せてみようじゃないか、という国民の意思の表れなのでしょうか?今年初以来の検察、大マスコミによる常軌を逸した「小沢バッシング」の異様さに、さすがの国民も薄々気がつきはじめたということなのでしょうか?
 ともかく、これには調査を行ったマスコミ各社も真っ青でしょう。

 この師走から新春にかけての政界冬模様がどう推移するのか。極めて先行き不透明な雲行きのようです。

 (注記)本記事とは関係ありませんが。前回の『「龍馬伝」が終わって』の中で、坂本龍馬の享年を30歳としたのは「33歳」の誤りです。頭ではそう分かっていたつもりなのですが…。謹んでお詫び申し上げ訂正致します。

 (大場光太郎・記)

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『龍馬伝』が終わって

 -この1年福山龍馬と共に、激動の幕末動乱期を追体験したような気がする-

 今年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』が、11月28日(日)の最終回「龍の魂」をもって終了しました。
 去年の『天地人』のように、要所要所で同ドラマのことを記事にしていくつもりでした。が、何せ今年は「脱小沢」をめぐる政局がらみの大きな出来事、他の事件などが立て続けに起り、そちらを優先して記事にしたため、ついつい『龍馬伝』を取り上げる機会を逸してしまいました。

 かと言って『龍馬伝』を途中から観なくなったと言うわけではなく、初回から最終回まで1回も欠かさず観続けました。
 「レキ女」改め「マゲ女」などに人気の高かった、武市半平太(大森南明)や岡田以蔵(佐藤健)の死以降、いよいよ坂本龍馬(福山雅治)が長崎を拠点として、我が国初のカンパニー・亀山社中(後の海援隊)を創設したり、「デス・マーチャント(死の商人)」のグラバーらと丁々発止渡り合ったり、薩長同盟に奔走したりと、ドラマは佳境を迎えたのに、視聴率は20%を切り低迷したようです。
 しかし私は「龍馬の本領発揮 !」と、けっこう手に汗握り面白く観続けました。

 日本史の中でも、戦国時代と幕末動乱期は特に興味をそそられる時代です。幕末群像の中で、私が最も魅かれるのは吉田松陰です。そのため若い頃、松陰の生涯を中心に幕末・明治維新モノを少し読んだことがあります。また少し自慢になりますが「日本史」は得意で、高校3年の日本史の試験で百点満点を取り、後に米沢興譲館高校の校長を務めたO先生からクラス全員に私の名前が告げられるという栄誉を賜った(?)ことがあります。
 ですからその頃の主だった出来事の大まかなところは、一通り頭に入っているつもりでした。しかし今回の坂本龍馬の視点から描かれた幕末期によって、けっこう知らないことが多くあることに気づかされました。

 土佐藩独特の上士・下士の厳しい身分制度。三菱財閥の創始者・岩崎弥太郎の生涯。土佐勤皇党のこと。龍馬土佐藩脱藩の次第。龍馬が師と仰いだ勝海舟との交流。勝が創設した神戸の海軍操練所での龍馬たちの行動。武市半平太切腹の経緯。亀山社中(海援隊)創設の経緯。「薩長同盟」「大政奉還」における龍馬の役割。等々。

 『龍馬伝』全体を通して、坂本龍馬を演じた福山雅治は、時にオーバーアクション気味なところも見られたものの、実にハマリ役だったと思います。
 百何十年も後の私たちに、坂本龍馬の真実像などとても分かりはしません。しかし写真に残された本物の龍馬の風貌に、福山龍馬は似てもいて、おおむね納得のいくキャストと言うべきでした。

 軒並み減益で四苦八苦しているという民放各社に比べて、莫大な受信料でたっぷり潤っているNHKらしく、時代考証は綿密、十分な資金をかけていることがうかがわれるセット作り。そのため当時の時代背景がリアルに伝わってきて、比較的容易に感情移入しやすく、ドラマの1話1話にすんなり入っていけました。

 福山龍馬に負けず劣らず存在感を示したのが、語り部である香川照之の岩崎弥太郎です。竜馬の引きたて役のためか、始めから終わりまでピエロ的な役回りでした。きっと三菱社員なら、『おらが大岩崎の真の姿は、あんなんじゃないぞ』と、異議申し立てをしたくなったかもしれません。
 私は自営業です。言わば「起業家」のはしくれであるわけで、土佐藩の下士でも最極貧の郷士で、鳥かごをいっぱい背負っている姿はさながら「歩く貧乏神」、そんな岩崎弥太郎がどうして日本一の三菱財閥を創業することができたのか?
 ドラマの中で『なるほどなぁ !』と思うようなヒントの幾つかが示され、この厳しい経済情勢の中、岩崎弥太郎の「大起業家精神」には見習うべき点が多々あると思いました。

 その他重要な脇役として。大学生当時からの熱烈な龍馬信奉者として知られる武田鉄矢は、このドラマでは龍馬の師の勝海舟を渋く演じました。武市らを死に追いやったかと思えば、一転徳川慶喜(田中哲司)に「大政奉還の建白書」を出した、土佐藩主・山内容堂役の近藤正臣も、得体のしれない存在感を醸し出していました。
 暗殺された吉田東洋(田中泯)の甥で、後に土佐藩参与として薩長側に土佐藩が加わるためのキーパソンとなる後藤象二郎役の青木崇高は、龍馬に対する屈折した心理をうまく演じていました。千葉道場主・千葉定吉役の里見浩太郎、越前藩主・松平春嶽役の夏八木勲の渋い演技も光りました。

 大河ドラマでは、毎回豪華女優による華麗な共演も楽しみの一つです。『龍馬伝』では、龍馬の姉・乙女役で寺島しのぶ。母・幸と京の寺田屋の女将の二役を演じたのは草刈民代。草刈は、今年大新聞の全面広告でフルヌードを披露し、大きな話題となりました。
 龍馬の初恋の人・平井加尾役は、昨年『おくりびと』で好演し、今年結婚ただ今妊娠中というおめでた続きの広末涼子。龍馬の妻となるお龍役には、真木よう子。寺田屋で龍馬が刺客に襲われかけた際は、入浴中の際どいシーンもあるか?と期待されましたが、そこはNHK、期待外れに終わりました。

 長崎の芸者で、時に長崎奉行所の「美しすぎる女スパイ」、そして実は隠れキリシタンという難しい役どころをうまくこなしたのが蒼井優。蒼井は今秋武市半平太役の大森南明との熱烈交際が報じられましたが、その後バッタリです。今も順調に続いているのでしょうか?それともよくありがちな、ドラマの宣伝の一つだったのでしょうか?
 そんな中私が一番注目した女優は貫地谷しほりです。龍馬を一途に慕う千葉道場の娘・佐那役を好演しました。出演した女優の中でも、際立ったお色気を醸し出していたと思います。どうりで彼女は、中高年のオジサンたちに人気が高いのだそうです。今後の活躍を期待したい女優の一人です。

 坂本龍馬は、京都の近江屋に潜伏中、中岡慎太郎と共に刺客たちに襲われ、ほぼ即死に近い状態で絶命しました。享年33歳。時に慶応3年11月15日(1867年12月10日)、明治新政府樹立のわずか2ヶ月前のことでした。歴史を大回転させた大革命児、大英傑の早すぎる死でした。
 このドラマでは京都見廻組(旧幕臣たち)が下手人という設定のようですが、いまだ諸説あり確定しておらず歴史ミステリーの一つであるようです。

 この時期のことを多く作品にしている司馬遼太郎は、幕末群像をその“死期”をめぐって三つのグループに分けています。その一は明治維新を見ずして死んでいった、吉田松陰、橋本左内、久坂玄瑞、高杉晋作、坂本龍馬ら。その二は明治新政府途中で死んだ、西郷隆盛、大久保利通、木戸高允(桂小五郎)ら。その三は最後まで生き延びて、新政府の政策に深く関与した、伊藤博文、山県有朋、桂太郎ら。
 司馬はそのうち、真っ先に死んでいった第一のグループこそが真の意味での俊秀たちだったと言うのです。一番最後まで残ったのは「三流の人物」たちで、そんな連中が新しい国づくりを行ったから、その後の日本はロクなことにならなかったのだと。

 まこと、吉田松陰、高杉晋作、坂本龍馬、西郷隆盛らがその後長く生き続けて、明治期の「この国の形」づくりに参画していたら…、そう思うのは私だけでしょうか?

 (大場光太郎・記)

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ドーなる?海老蔵殴打事件

 -「海老蔵ブランド」は地に堕ちた。だが事件そのものは早期幕引きなのでは?-

 前回『海老蔵にも逆「被害届」?』で見ましたように、歌舞伎俳優・市川海老蔵(32)が顔を殴られ重傷を負った事件は、そもそも海老蔵が“挑発行為”を働き、相手の暴行を誘発したものだったらしいことが分かってきました。

 事件が起きた先月25日午前5時頃、都内西麻布の飲食ビル11階の会員制カラオケバーでのこと。既に泥酔状態で目の据わった歌舞伎界の貴公子は、アルコール濃度の高いテキーラを「俺の酒が飲めないのか」と、24日深夜から一緒に飲んですっかり酔いつぶれてしまった暴走族の元リーダーに差し向けました。
 テキーラは通常、ショットグラスでチビリチビリと味わうものですが、海老蔵が注いだのは何と灰皿。それになみなみと注ぎ「これが飲めないのか !」と強要したというのです。これでは周りの仲間たちは、リーダーに対する侮辱行為と受け取っても致し方ありません。

 海老蔵はさらに、嘔吐したリーダーの頭をたたき「しっかりしろ !」と罵倒し、仲間にも「お前らもしっかりしろ !先輩の面倒を見るのがスジだろう」とにらみを利かせたというのです。
 このような手荒い介抱を見て、リーダーの後輩にあたる伊藤リオン容疑者がキレて、海老蔵をボコボコにしたというのが事の真相のようです。
 捜査関係者の話では、海老蔵がリーダーの髪を引っ張り、頭に酒をかけたことが暴行を受ける決め手になったということです。

 店の防犯カメラには、海老蔵に暴行を加えた伊藤リオンが、リーダーと思しき男を抱きかかえる姿が映っているそうです。事情聴取の際これを見せられた海老蔵は、「この男に殴られた。逃げるのが精一杯だった」と話しているようです。
 店内で出血するほど殴られた後、非常階段から逃げ出したものの追いつかれ、1階と2階の間でも暴行を受けたもようです。

 当日の自身の不始末を恥じてか、これまでの酒の上での数々の不行跡を暴露されるのを恐れたのか。海老蔵はなかなか被害届を出しませんでした。しかし父・市川團十郎や歌舞伎関係者に促され、28日警視庁目黒署にようやく同届を提出し受理されました。
 何しろ今をときめく歌舞伎界のプリンスへの暴行事件です。警視庁としても軽々に済ますわけにもいかず、凶悪犯罪専門の捜査1課が事件を担当することになりました。

 警視庁は29日、暴行相手の伊藤リオンに対して、傷害容疑で逮捕状を取り行方を追っています。
 伊藤リオンは、中南米人と日本人のハーフで現在26歳。都内杉並区在住で、同区内の中学校卒業後Jリーグヴェルディのユースにも所属していたサッカー少年で、当時は俊足で知られていたといいます。
 その後サッカーをやめて、都内の有名な“愚連隊”関東連合に入り暴れまくるようになったようです。関東連合OBでもあり、今年1月朝青龍に半殺しの暴行を受けた川奈毅の弟分にあたるといいます。
 伊藤は身長170cmくらいと大きくはないものの、やたら腕っ節が強く六本木周辺の武闘派として有名なのだそうです。

 関東連合-川奈毅-上山信二-銀座の薬物クラブ「エーライフ」-押尾学、酒井法子、森祐喜、北島康介-多数の芸能人-覚せい剤使用-薬物売買闇ルート-暴力団。
 実際伊藤リオンは、六本木界隈を縄張りとする複数の暴力団に所属しているとも言われています。伊藤の友人が電話で、「出頭しないのか?」と当人に聞いたところ、「めんどくせぇ」と言ったきり電話を切ったそうです。
 現在警視庁は伊藤の行方を捜索中とも、所在は既に分かっていて伊藤と警視庁が裏で交渉しており、まとまり次第週明けにも出頭する見通しなど、さまざまな憶測が飛び交っています。

 いずれにしても今回の事件が明るみに出たことで、海老蔵の自業自得、身から出た錆とは言え、「海老蔵」というブランドイメージは地に堕ちてしまった感がします。数週間後完治しても、舞台やタレント活動などへのすぐの復帰は難しいと見られています。
 速やかに記者会見を開いて海老蔵自身がきちんと事件の顛末を説明し、その上で1年くらいの謹慎期間が必要ではないかと言われています。

 「めんつゆ」のヤマキ、「ピップエレキバンZ」のピップ、「おーい、お茶」の伊藤園。海老蔵はこの3社のCMに出演していましたが、事件の真相が徐々に明らかになり、海老蔵を起用し続けることによる企業のイメージダウンは避けられないと、3社ともCM放送の見合わせを決定しています。これは事実上のCM打ち切りと見られています。
 そうなると以前酒井法子がそうであったように、スポンサー企業から巨額の損害賠償を請求されることも覚悟しなればなりません。

 ただ「歌舞伎」そのものは、室町時代末期から続く伝統芸能です。我が国を代表する文化遺産の一つとして、断絶させるわけにはいきません。その中でも「成田屋」は300年以上続く名門中の名門です。今後海老蔵には、父の跡を継いで團十郎を襲名してもらわなければなりません。

 そういうことを考えれば、いくら捜査1課が出張ってみても、出来るだけ穏便な事件解決の道筋が見えてきそうです。「海老蔵から先に暴行を受けた」として被害届を出す勢いの元リーダーとは、水面下での示談で済ませる。伊藤リオンもギュウギュウに締め上げれば、いくらでもヤバイ事実が出てくるでしょうが、そうなると麻布署、渋谷署など警視庁と闇社会との癒着が明るみに出かねない。
 そんなこんなの各方面の思惑から、押尾事件や朝青龍事件同様、今回の海老蔵事件も適当な線で幕引きとなる公算が大だと思われます。

 (注記)本記事は、『MSN産経ニュース』などを参考、引用してまとめました。

 (大場光太郎・記)

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海老蔵にも逆「被害届」?

 -日が経ち真相が明らかになるにつれ、当初の海老蔵の言い分とだいぶ違ってきた-

 先月25日未明発生した、歌舞伎俳優・市川海老蔵(32)がこうむった殴打事件。歌舞伎界のプリンスの事件として関心が高く、その直後からテレビの報道番組、ワイドショーなどで連日取り上げられています。海老蔵クラスともなると一流アスリート並みに一面を飾れるとあって、スポーツ各紙でも連日のように一面で報道しているようです。

 25日早朝、頭部と顔面をボコボコに殴打され前歯2本が折られ、血を流しながらの予期せぬ朝帰りをしたわが夫の姿に、新妻の小林麻央(28)は、それまでのフリーアナの経験から、とっさに『何かの事件に巻き込まれたのかもしれない』と直感したのか、すぐさま110番通報をしました。
 当の海老蔵は、直後都内の病院に緊急搬送され、全治6週間と診断されそのまま入院しました。その後左頬部陥没骨折の手術を受け、術後の経過は順調のようです。

 病院内で警視庁の事情聴取を受けた海老蔵は、当初「一緒に飲んで酔っ払った者を介抱しているうち、別の者から突然殴られた」と、自分は一方的に暴行を受けた被害者であることを強調していました。
 しかしその後日が経つにつれて、事件を目撃した店の関係者の話などから、どうもそうばかりでもないらしいことが明らかになってきました。

 事件前夜の24日夜、食事を終えた後西麻布の飲食ビル内の11階のバーに、海老蔵を含めた歌舞伎関係者男女5人でやってきて飲み出したといいます。11時頃他の4人は帰り、一人になった海老蔵は、店内にいた暴走族上がりの知り合いと合流し、再び飲み始めました。日付が25日に変わった未明、この店から同ビル内6階のダーツバーに移って飲み直したといいます。
 その頃には、知り合いの男を「リーダー」と呼ぶ何人かの男たちが、リーダーに呼び出されてやってきたようです。

 ところで話は変わりますが。市川海老蔵の「酒グセの悪さ」は、知人たちの間では有名な話で、特に歌舞伎仲間は海老蔵とは一緒に飲みたがらなかったようです。また酔っ払うと、店内で相撲を取り出したり、周りの者に因縁をつけてみたり、反吐を吐いたりして、都内では「海老蔵出入り禁止」の店が幾つもあるといいます。
 海老蔵をよく知る関係者は、「彼の酒グセの悪さは有名です。とにかく、飲むと目付きが変わってしまう。目が据わるというか、本当にヤバイ感じに変身する。しかも女グセが悪いし、そういった意味で中村獅童と並んで歌舞伎界の“ワル”ですね」と語っています。

 また11代海老蔵を襲名し、顔と名前が売れ出した頃親密に交際していたという30代後半のある女性は、表ざたにならなくても酒の上のトラブルは当時もあったと話し、「彼はお酒が好きだし、強いのも確かです。(略)でも、一番ダメなのは自分がどれだけの量を飲んだら“大トラ”になるか分かってないこと。だから、一定量を超えると別のスイッチが入ったように人が変わってしまい、悪いお酒になってしまうのです」と語っています。
 そのため「いつか大騒動を起こすんじゃないか」と、危惧する知人たちはけっこう多かったといいます。

 話を戻して。海老蔵は6階のダーツバーでリーダーのほか後で合流した何人かと飲酒、その際リーダーに灰皿に注いだテキーラを飲ませたり、洋服に酒を引っかけたりした後、一緒に再び11階のバーに舞い戻りました。
 そこで海老蔵が、嘔吐したリーダーの髪の毛を引っ張ったり頭をたたくなど、「乱暴な介抱」をしたことが明らかになっています。

 殴られる前後の関係者の目撃談では。海老蔵とリーダー、その仲間数人は午前5時過ぎ、11階のカラオケバーの個室へ入りました。ソファのある6畳ほどの部屋で、泥酔した海老蔵がリーダーに対して乱暴な介抱を始めたため、見かねた仲間3人が「もうやめてもらえませんか」と言ったところ、海老蔵は「何だ、この野郎 !」と向かってきたといいます。

 このため警視庁から29日、傷害容疑で逮捕状が出された伊藤リオン容疑者(26)が、2、3発素手で海老蔵を殴ったのだそうです。その後海老蔵だけを残して店を出て、エレベーターで1階へ。エレベーターは1基しかないためか、海老蔵は11階でビル外壁の非常階段から1階に降りました。テレビ画像で度々映し出された外壁の血痕は、その時付着したものと思われます。

 その後海老蔵は、タクシーに乗り自宅に帰って行き、驚いた妻・麻央がすぐさま110番通報したというわけです。
 料金が未払いだったため、店員はすくに後を追いかけたものの、既に誰もいなくなった後だったといいます。紛失したとされる海老蔵の携帯電話や上着、靴は今でも11階店内に残されているそうです。

 ところで海老蔵から「乱暴な介抱」を受けたグループのリーダーも、何と「海老蔵に殴られた」として、全治2週間の診断書を持っているのだそうです。海老蔵はリーダーから逆に被害届を出される可能性が出てきているのです。その上リーダー側の言い分では、先に殴ったのは海老蔵の方だったというのです。
 リーダーは店を出る際、鼻血を出していたといわれ、事実店内やエレベーター内から、海老蔵のものとは異なる血液が微量検出されています。
 グループの代弁者は、「仲間の一人が手を出したことは事実だし、非を認めます。ただ、海老蔵にも非を認めてもらいたい」と話しています。

 (注記)本記事は、『MSN産経ニュース』、『日刊ゲンダイ』などを参考、引用してまとめました。  

 (大場光太郎・記) 

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2010流行語大賞

 -今年もまた、流行語大賞やノミネートされた各言葉について考えてみました-

 師走に入った1日、「2010 ユーキャン新語・流行語大賞」が発表されました。これはご存知のとおり毎年恒例で、1年間の世相を反映し強いインパクトを与えた言葉に贈られるものです。

 今年最終ノミネートに残ったのは、「いい質問ですねえ !」「イクメン」「AKB48」「ゲゲゲの~」「ととのいました」「女子会」「脱小沢」「食べるラー油」「~なう。」「無縁社会」でした。
 その中で流行語大賞に選ばれたのは、「ゲゲゲの~」です。これはNHK朝の連続ドラマにもなった、武良布枝さんの著書『ゲゲゲの女房』から取られたものです。

 ケチをつけるわけではありませんが(と言いつつケチをつけますが)、今年はどうもいま一つピンとくる言葉が少なかったように思います。そういえば昨年も『今年の流行語大賞に思うこと』記事で、この話題を取り上げました。
 1年経ってすっかり忘れていましたが、昨年度の流行語大賞は「政権交代」。これは同記事にも書きましたが、発表される前から『今年は「政権交代」で決まりだろう』と予想がつくくらいガチガチの大本命でした。

 その点、今年の大賞の「ゲゲゲの~」のもとになった、ドラマ『ゲゲゲの女房』を私はほとんど観ていません。もっとも同ドラマは、NHK朝ドラでも最悪の部類の視聴率からスタートし、徐々に高視聴率に伸ばしていったドラマであるようです。
 この言葉を何年か後に「年度代表語」として振り返った時、果たして「2010年の世相を如実に反映し」「2010年を回顧する際の強いインパクトを持つ」言葉だったと言い得るのでしょうか?少し疑問だと思います。

 ただ私は30代から40代前半、学習研究社のオカルト月刊誌『ムー』を欠かさず購読していたくらいですから、『ゲゲゲの鬼太郎』の作者・水木しげるは大いに評価しています。この無味乾燥な“現代砂漠”的世の中に、「水木ワールド」と呼んでもいいような妖怪世界を描き出してくれたことは、大変有意義なことだったと思うのです。
 鬼太郎をはじめ、「一反もめん」「ぬらりひょん」「塗り壁」「砂かけ婆」などは、水木しげるならではの特異な妖怪キャラクターです。『機会があれば水木作品をじっくり読んでみたい』と、前々から思っていたのです。

 「いい質問ですねえ !」はジャーナリスト・池上彰氏の言葉、「イクメン」はタレント・つるの剛士の子育てを楽しむ男性を表わす、「イケメン」のもじり言葉、「AKB48」(エィケィビーフォーテーエイト)は、かつての“モー娘”の二番煎じ的な人気アイドルグループ。「女子会」は、昨年の「肉食女子」の発展形、一段と逞しさをグレードアップさせた女子だけのグイ飲み会のこと。この辺は何となく分かります。
 「~なう。」は、「now」→「ナウ」→「なう」と変換させたツイッターでの表現語であることは、以前の『塀の中に落ちたハマコー』の中で、ハマコーこと浜田幸一元自民党衆院議員の、自身の超人気ツイッターでの使用例をご紹介しました。
 「ととのいました」「食べるラー油」に至っては、ここのところとんとテレビを観なくなった当方には、何のことかさっぱり分かりません。

 政局騒然となった今年の政界用語からは、「脱小沢」がノミネートされただけでした。
 振り返ってみれば今年は、おめでたい元旦早々、PODAM(正力松太郎)というCIAエージェント直伝の読売新聞が、小沢一郎氏の「世田谷土地購入問題」を一面で取り上げたことにより、一連の小沢バッシング報道が火を吹くことになったのでした。

 以後、「大鶴基成」検事らによる「国家公務員法守秘義務違反」による「検察リーク」、それを垂れ流すだけの新聞・テレビの「土石流報道」、にも関わらず「東京地検特捜部」の2度の「不起訴処分」。
 かと思うと甚だ怪しい「検察審査会」による2度の「起訴相当議決」。また「普天間問題」では、「出来れば国外、最低でも県外」を模索して、米国戦争屋の逆鱗に触れた鳩山前首相ともども、党内の「悪徳ペンタゴン」呼応勢力の策謀によって小沢氏も幹事長職を退くことになったのでした。

 「6・2クーデター」という暗いプロセスを経て政権を奪取したのが、菅直人、仙谷由人、前原誠司、岡田克也、枝野幸男、玄葉光一郎といった面々です。特に政界一の腹黒男・仙谷由人の「脱小沢」は徹底したものでした。
 しかし唯一“政治の何たるか”を知っている小沢一郎を排除したツケは大きく、今夏の参院選では惨敗、9月に「尖閣諸島」沖で突発した「中国漁船衝突事件」では、船長釈放、衝突ビデオの公開などをめぐって決定的なミスを連発し、遂には非公開としたビデオを「sengoku38」海上保安官によってユーチューブに公開され、赤っ恥をかかされ、野党からは仙谷官房長官らの「問責決議案」を出される不始末です。

 以上の「」内の言葉は、皆流行語にノミネートされてしかるべき言葉だったように思います。それらをすべてひっくるめて、「脱小沢」という一語に集約されるのかも知れませんが…。
 とにかく今年は、年初から今現在に至るまで「脱小沢」が徹底された年でした。その結果、現菅政権の国内外の政治課題に対する右往左往ぶりに明らかなとおり、今年は「政権交代」ならぬ、とんだ「政権後退」の年になってしまいました。
 こんな不毛で大損失の1年にしてしまった、東京地検幹部、大マスコミ、検察審査会、民主党内の反小沢一派の責任は極めて大きいと言わざるを得ません。

 最後に地味な言葉ながら、「無縁社会」。私個人としては、今の世相を最もよく表わしているのがこの言葉ではないだろうかと思います。そもそものGHQ(ブラックメーソン)占領政策が着実に実を結び、かつての民族的「共同体の和」はどんどん解体、崩壊し、どこの地縁や組織とも無縁な人々が、都市部を中心に全国各地で大量に生まれつつあるのです。
 この状況は殺伐とした「孤立社会」と言うべきです。かく言う私自身この問題とは決して“無縁”ではありませんから、余計切実にこの「無縁社会」には考えさせられるのです。

 (大場光太郎・記)

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米国と中国と

 -好き嫌いを超えて、台頭著しい中国との互恵関係構築は極めて重要だ-

 本記事は、『米韓演出?北朝鮮砲撃』への“通りがかり様”の「アメリカもあまりろくな人ではありませんけど、それ以上に中共はろくでもないです。…」コメントに対する私の返信に、加筆して私見を述べたものです。
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 世界中には多くの国があります。各国それぞれに国民性、民族性の違いはあるものの、同じ人間である以上、日本人、アメリカ人、中国人…、エイリアンのようにまるで意思の疎通が出来ないというような、そんな際立った違いはないと思います。
 「光に影が添うように」、どの国民、民族も良い面もあれば悪い面もありますから。

 問題とすべきは、その国の国民ではなく、「国としての在り方」つまりその国の体制にあると思います。その点、アメリカをはじめとした「自由主義国家」はその名のとおり、中国、ロシアなどの「共産主義国家」と比べて、さまざまな「自由」が保証されている分多少はマシと言えるかと思います。
 
 それでは、その中で自由主義国家群の宗主国である米合衆国は「真の自由の国」と言えるのでしょうか?大いに疑問だと言わざるを得ません。何せあの「9・11」を自作自演し、自国の経済的シンボルであったWTCビルをブッ壊し、多くの犠牲者を出しても平気な顔をし、何食わぬ顔で「それ、対テロ戦争だ !」とばかりにアフガン、イラクに武力侵攻するような無法国なのですから。

 それに同国では、9・11後「愛国法」制定などにより、国内の隅々に至るまできついコントロール網が張り巡らされ、国民の多くが息苦しさを感じていると言います。
 例えば中国におけるネット規制がしばしば問題となりますが、米国でも「反政府的」とみなされたサイトは、片っ端から削除や閉鎖に追い込まれるケースが現に起き続けていると言うのです。(すべての面で米国の後追いが得意な我が国でも、そのうちそういうことにならぬよう祈るばかりです。)

 中国は鄧小平時代からの「改革開放路線」により、国家システムの根幹は共産主義ではあるとしても、経済面などではかなり資本主義化が進行しているようです。
 実際テレビ報道などで、北京や上海など大都市の街並みを行き交う若者たちのファッションなどを見ていると、かなり日本の若者たちに近づいてきており、もうほとんど差がなくなりつつあるのかな?と思わないでもありません。またここ10年ほどの同国の高度経済成長により、全国各地で並みの日本人を遥かに凌ぐほどの大富豪も続々と生まれてきているようです。

 ただ中国の最大の問題は、北朝鮮などと同じく政治システムが共産党による一党独裁であることです。これがネット情報などにより、西側諸国の「自由度」を既に知ってしまった若者たちを中心に、自国の政治システムの息苦しさ、不自由さへの不満が大いに鬱屈していることはあると思われます。
 但し「自由」といえども、上に見ましたとおりすべての西側諸国がガチガチの管理社会化しつつあり、彼ら中国青年がロマンチックに想い描いている「真の自由」とはほど遠いものがありますが…。

 共産主義国家と自由主義国家。どちらが良いかと言われれば、共に人類進化途上の未成熟なシステム、さらに言えば人類を奥からコントロールしている勢力による「双頭戦略」なのだと言うことです。時に互いの陣営を喧嘩させ、時に仲良くさせて、彼らによる「世界統一政府」つまり「人類完全支配の完成」に向けて利用しているだけなのです。
 そう考えますとどっちが良いも悪いもない、どっちもどっちなのです。

 ところで超大国アメリカは、9・11後アフガン、イラクを好き勝手に荒らし回り、そして今回は北東アジアの危機を演出し、巨大原子力空母ジョージ・ワシントンを、あろうことか我が国横須賀基地から焦眉の海・黄海へと向かわせています。
 「日米安保」の枠組みなど遥かに逸脱して、我が国米軍基地を拠点に、まるで世界中勝手気ままに踏み込む「ならず者国家」のようなマネが、米国はいかなる権利があって出来るのでしょうか?
 
 かつてノーベル平和賞を授賞したキッシンジャー元特別補佐官が行った先々の国では、「その後決まって戦争が引き起こされる」と言われたことがあります。今現在でも米軍の海外での動きそのものが、世界各地に要らざる次なる緊張、紛争、戦争を巻き起こしているのではないでしょうか?
 こういう「平和潮流」に逆行する超大国は、早く無くなってもらいたいものです。とは言っても、中国が米国の従前の役割を担うことになるのも、もちろん願い下げですれども。
 かつてない「進化の時」を迎えつつあるこの地球上には、覇権国家という野蛮な国はもう必要ないのです。

 彼ら(暗黒勢力)自身、「彼らの時」が残り少ないことをよく知っています。そこで彼らはあらん限りの力を振り絞って、世界各国でいよいよの行動を起こしているのです。
 我が国で最近特に熾烈を極めている「米官業政電」悪徳ペンタゴンの蠢動は、(誤解を恐れずに言えば)元はといえば「彼ら」暗黒勢力の異次元からの指令によるものと考えられます。

 現れた出来事が、いかに不条理で暗黒的なハルマゲドン劇のように見えようと。暗黒勢力(地球外生命体)にとっても、それに憑依されている(ろくでもない)各界リーダーたちにとっても、まさに後のない「最後の悪あがき」

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