レノンからヨーコが受け継いだもの
-晩年のジョン・レノンは、「love&peace」を掲げる平和運動家に変貌していた-
「ベット・イン」-平和を訴えるレノン&ヨーコのパフォーマンス
We War over “戦い”は超えられる
if you want it あなたがそれを望みさえすれば
12月8日日本武道館で行われた、「Dream Power ジョン・レノン スーパー・ライヴ」終了後オノ・ヨーコは、日本テレビ『NEWSZERO』の村尾信尚キャスターのインタビューに応じました。
同イベントのキャッチコピーとしたのが冒頭の言葉です。インタビューの途中村尾キャスターが、この言葉が印字された大きなポスターを高々と掲げて紹介していました。(はっきり記憶しているわけではありませんので、一部違っているところがあるかもしません。)
私はこの言葉を読みインタビュー全体を聴きながら、『ははあ、オノ・ヨーコは今でも亡き夫、ジョン・レノンの遺志を受け継ぎ、世界と日本に広めようといているんだな』と思ったのです。
1960年代世界的人気を誇ったビートルズは、ジョン・レノンとオノ・ヨーコが出合った頃は、4人のメンバーそれぞれが別々の道を模索し始めていた時期にあたると思われます。その中心的存在であったレノンの、ヨーコとの結婚もその引き金になったのか。1970年ビートルズは解散し、以後4人はソロ活動をしていくことになりました。
ジョン・レノンの場合特筆すべきは、その後単なるロック歌手から、平和運動家として活動のウイングを広げていったことです。精神的なステージのグレードアップです。それには、ビートルズ活動を通して芽生えていた彼自身の「平和への希求」とともに、7歳ほど年上の妻、オノ・ヨーコからの影響も無視できないものと思われます。
二人のそもそもの出会いについては、今回のインタビューでも触れられていました。時は1966年11月9日、ロンドンの某ギャラリーでオノ・ヨーコの個展『未完成の絵画とオブジェ』の開催前日レノンが訪れたことにあるようです。
分けてもレノンが惹かれたのは、部屋の中央に白い脚立が置かれ、観客はそれを昇り天井から貼られたキャンパスの「ある字」を虫眼鏡で覗き込むという趣向の、甚だ前衛的な作品『天井の絵』です。
レノンが脚立に昇り虫眼鏡で覗いたところ、そのキャンパスには何と書かれてあったのか?そこにはただ一語小さく「YES」と書かれてあったのです。
レノンは当時を回想して、「もしNoとか“インチキ”みたいな意地の悪い言葉が書かれていたら、すぐに画廊を出て行ったよ。でも“YES”だったから、僕は『これはいけるぞ、心温まる気持ちにさせてくれる初めての美術展だ』と思ったんだ」と後に回想しています。
この個展並びにこの作品についてヨーコは、「あの頃は精神的にすごく落ち込んでいて、辛い時期だった。しかしそんな自分を肯定するために、あえて“YES”を選んだの」というようなことを話していました。
奇妙なことに、辛く苦しい自分を肯定(YES)したことで、将来の伴侶となるジョン・レノンの肯定(YES)を呼び込んだというわけです。
この運命的な出会いによって二人は、1969年3月に結婚しました。もっともジョン・レノンには大学で東洋美術を専攻した友人がおり、その影響で日本や東洋文化に興味を持っていたという精神的土壌が既にあったようです。レノンは特に、以前から禅や空(くう)の概念に強い関心を寄せていたのです。
そんなジョン・レノンの生涯の思想が結実したような作品があります。1971年10月に発表された『Imagine(イマジン)』です。アルバム発売とともに、米国、英国、日本のヒットチャートで1位獲得という大ヒットを記録しました。
Imagine There‘s countries 想像してごらん、国境が存在しない世界を
it isn‘t hard to do 別に難しくはないんだよ
nothing to kill or die for 殺したり死んだりすることなんかないよ
no religion too 宗教だって用なしさ
imagine life in peace.... 想像してごらん、平和な人生を…
(『Imagine』2番)
(上記の歌詞は、私が勝手に意訳している個所があります)。今でこそ例えば「国境なき医師団」といったものが組織され、「国境なき」という概念が世界的に徐々に認知されつつあります。この曲が発表された40年弱前は、国境にガチガチに呪縛されている国家・アメリカは、その後自身の国の衰退につながる、泥沼のベトナム戦争の真っ最中だったのです。
ごく最近の尖閣諸島沖の中国漁船衝突事件、北朝鮮によるヨンピョン島砲撃事件を取ってみても、人類はいまだ「真の国境なき」概念到達にはほど遠いものがあります。
その意味でこの曲は、今の時代のさらに先を見通したようなメッセージソングだと言えると思います。
この中で、「宗教なき」には『おやっ、何で?』とお思いの方もおられるかもしれません。実はこの「宗教」こそが曲者なのです。個人同士の諍いから、国境紛争まで。すべての「戦い」の根底にあるのが「宗教」です。
それは一体何という名の宗教か?「私は悪くない教」という名の宗教。「オレは悪くない(ということは、オマエが悪い)」「我が宗教こそ善なり(ということは、他の宗教は悪魔教なり)」「我が国家は正義なり(ということは、汝の国は悪の国家なり)」、互いにそう思いあう時すべての「戦い」は始まるのです。「戦い」を起こすことそのものが既に「悪の証明」に他ならないことを、まずもって知らなければなりません。
真理に目覚める前の私たちは、誰も「正しくありません」。そして私たちの99.9%はまだ「真理」に目覚めていません。皆々五十歩百歩、目くそ鼻くそのたぐいです。
ジョン・レノンはまた1966年、「キリスト教は消えてなくなるよ。そんなことを議論する必要はない。僕は正しいし、その正しさは証明される」云々の発言をし、当時のバチカンから非難声明を出されています。(バチカンがレノンへの赦免を発表したのは、レノン死後四半世紀以上経過した2008年のこと。)
これは当時としてはそれこそ勇気ある“超過激発言”です。今となっては私も、「近未来国境とともに、ありとあらゆる宗教組織は崩壊する。なぜなれば人類の意識が向上する事によって、宗教組織という“首輪”は必要なくなるからである」と言い得ますが。
冒頭の言葉のようにオノ・ヨーコは、時代に遥かに先んじたジョン・レノンの「love&Peace」の平和のメッセージを、レノン亡き後世界に広めることこそ我が使命としているように見受けられます。
(最後は笑いのオチですが)。豊かな乳房の張りを失うことなく、いつまでも若々しいお姿で「世界平和」にご尽力いただきたいものです。
(大場光太郎・記)
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