寒い月
富澤 赤黄男
寒い月 ああ貌(かお)がない 貌がない
… * …… * …… * …… * …… * …
《私の鑑賞ノート》
富澤赤黄男(とみざわ・かきお) 略歴については『蝶堕ちて』参照のこと。
富澤赤黄男はこの句のように、従来の俳句の概念を大きく打ち破るような句風に特徴があります。その上この句はそれまでの句にはほとんどみられない、句の間を空けた表記となっています。
この句一つ取ってみても赤黄男は、既成概念に凝り固まった俳句界の「壊し屋」のような気がします。実に革新的と言おうか、俳句という形式を借りた「一行短詩」といった趣きです。
「寒い月」は寒月、凍月(いてづき)であり、冬の月のことです。冬の月というものは、取り分け白々と輝いて冷ややかで寒々しい感じがするものです。その意味で型破りと思われるこの句も、根底には俳句的伝統をしっかり踏まえているのです。
「ああ貌がない 貌がない」という詠み方は、寒い月であるからこそと言うべきです。「春の月」や「夏の月」では、とてもこの句のような不気味さは醸し出せません。
月の表面のクレーターによる凹凸(おうとつ)によって、太陽からの光の陰影が生まれ、我が国では昔から「ウサギが餅をついている」というような言い伝えがなされてきました。
月のアバタ面に対して、仔細には知りませんが、世界各地でも独特の呼び方があるようです。それを一応日本は日本なりの外国は外国なりの、「月の貌」のとらえ方と言うことができると思います。
見かけ上全天一大きいからこその「月の貌」です。古来からの月神信仰による畏怖が基層にあるかどうかは別として、月に「貌がある」と言うことは、夜空に輝く月に対してどの民族も古来から取り分けシンパシー(共感)を感じていたということに他なりません。
ところが赤黄男はこの句において、「ああ貌がない 貌がない」と言うのです。「貌がない」というのなら、貌は一体どこにいってしまったのでしょう。月が自ら貌を隠してしまったのでしょうか。
そんなことではありません。赤黄男自らが「月の貌」を見るある種の視力を失ってしまったのです。
それはひとり富澤赤黄男のみならず、多くの人にとってそうなのです。
この句は昭和27年刊句集『蛇の笛』中に収められています。戦後間もなくの時代です。分けても日本人は、わずかその数年前第二次世界大戦という凄まじい戦争、それに続く敗戦、米国進駐軍占領により、180度の価値観の転換を経験している真っ最中でした。
戦前までは絶対視さていたものが、次々に相対化され、神聖さや権威や意味を失いつつあったのです。そういう時代的なニヒリズムが、この句に反映されているように思われます。
ご多分に漏れず「お月様」も、素朴な信仰、豊穣な物語性、秘めやかな神秘性が失われつつあったということです。
私は以前、
ビルの上記号のような月がある
という句を詠んだことがあります。
今日(こんにち)の月は、空の上に記号のようにただ掛かっているだけ。月の光などより何十倍も明るい夜の街を行き交う私たちは、月に貌があろうがなかろうが、そんなこと知ったこっちゃありません。
私たちは、月をしみじみ振り仰ぐことすら忘れてしまったのです。
(大場光太郎・記)
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