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枯蓮のうごく時

           西東 三鬼

  枯蓮のうごく時きてみなうごく

 …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 西東三鬼(さいとう・さんき) 明治33年、岡山県津山市生まれ。本名は斎藤敬直。日本歯科医専卒。患者にすすめられ、俳句を始め、新興俳句運動にかかわる。戦火想望俳句を作り、「天香」創刊に加わるが、新興俳句弾圧事件の際検挙された。戦後、現代俳句協会設立。「天狼」発刊。俳人協会設立に尽力。主宰誌「断崖」を持ち、「俳句」編集長も務めたが、胃癌を病んだ。句集に『旗』『夜の桃』『今日』『変身』がある。昭和37年没。

 一般的に「蓮池」「蓮の花」「蓮の葉」などいうと夏の季語となります。
 確かに当地でも近郊を車で走っていますと、夏時分道路沿いに水田ならぬ水蓮田が見られることがあります。一瞬里芋の葉かと見まごうほどの長い茎の先の大きな葉が一面に緑色に広がり、風にゆらゆらと揺れ、水面のわずか上にはうすピンク色の大輪の蓮の花がぽつりぽつりと咲いていたりして、何ともいえぬ夏の風物詩といった趣きです。

 ところがこの句で詠まれているのは「枯蓮」です。仏教で千年に一度花開くかという優曇華(うどんげ)の花もかくやと思うほど見事で、ある時お釈迦様がアルカイック・スマイルを浮かべて花の茎を少しよじり「この花のさま、さて如何に?」と、十大弟子の筆頭格の摩訶迦葉(まか・かしょう)ら対告衆(たいごうしゅう)に、後世の“禅問答”の走りとなる謎をかけそうな蓮の花はとうに終わっているのです。
 それのみか、池全体の蓮という蓮は皆悉く枯れ尽くし、細長い茎といわずうなだれた葉といわず、今では見る者を凄愴(せいそう)の気にさせるほどなのです。

 この句が生まれる現場に実際立ち会ったという、同じく新興俳句弾圧により投獄された秋元不死男(あきもと・ふじお)は次のように述べています。

 「終戦後まもなく、わたしはこの作者と奈良に遊び、薬師寺に詣でたことがある。秋も既に終わりに近く、薬師寺の境内にある二つの池には、数え切れぬ蓮がすっかり枯れきっていた。蓮たちはまるで亡霊のように痩せて頭をうなだれ、みているとぞろぞろと歩いているような感じがして、わたしたちは、しばしその凄愴な風景の前に立ちすくんだ。ときどき、あるかなしかの秋風が吹いてくると枯蓮は一斉にゆらゆらと、その長い細い褐色の身体を動かした。この静かな凄い、異様な感じは、いまも鮮やかにわたしの眼前に焼きついているが、作者もわたしもそれをみて感に打たれ、これを句にしようとして長い間苦しんだ。結局わたしは句ができずにしまったが、相手はそのときここに揚げた句を作った。」 (秋元不死男著『俳句入門』-角川選書版より)

 なお秋元不死男著『俳句入門』は、「入門」というには内容の濃いレベルが高い本で、俳句中級者や上級者が読んでも、十分啓発される内容だと思います。そのくらいですから、上記文以下のこの句の鑑賞文は見事なもので、そのまま引用し続けたいくらいです。いくらなんでもそれはまずいでしょうが…。

 以前『流れ行く大根の葉』で、高浜虚子の
  流れ行く大根の葉の早さかな
を取り上げました。その中で確か、この句は決定的な「俳句的場面」を捉えた、虚子俳句中の秀句だと述べたと記憶しています。
 おそらく西東三鬼にも秋元不死男にも、今現前している枯蓮のさまが、虚子の句に勝るとも劣らない決定的な俳句的場面であることを直感していたに違いありません。それゆえにこそ両人は、この光景を何とか俳句に詠み込むべく、長い間凝視し呻吟したわけなのです。

 ところで「俳句的場面」とは、世間の耳目を集中させるような大きな出来事でも、ドエライ事件でもありません。それらは新聞、テレビ、週刊誌などがネタとして扱うべきものであり、俳句の題材としては不都合です。
  神無月(かんなづき)海老蔵顔をボコボコに
というように、せいぜいスポーツ新聞の見出しみたいなレベルの凡句しか出来はしません。例がまったくないではありませんが、社会的大イベントへの真っ向勝負はわずか17音の俳句には適さないのです。

 では決定的な「俳句的場面」とは、いったいどのようなものなのでしょうか。定義は俳人によって各様でしょうが、私は「ごくありふれた日常の中に、ふと垣間見せる“非日常性”ということなのではないだろうか」と考えます。
 その「非日常性」を素早くキャッチし、句想として捉えたとき「秀句」「名句」が生まれるのではないでしょうか。しかしそれは簡単に捉えられるものでないことは、一緒に観察していた秋元不死男が、とうとう句としてまとめられなかったことからも明らかです。言っておきますが、(いずれ取り上げる機会があるかもしませんが)秋元もかなりの俳人です。

  枯蓮のうごく時きてみなうごく
 この句の枯蓮の群れの動きは、おそらく西東三鬼にとって、彼の世界観において何かしら決定的な意味を持つ動きだったのです。「うごく」~「うごく」という繰り返しの表記に、池全体の枯蓮たちのさざ波のような連動、リフレインのさまが伝わってきます。

 枯れ切った蓮の葉や茎などが一斉にざわざわ動き出すさまは、想像するだに不気味です。秋元不死男が「まるで亡霊のように」(戦没者が念頭にあったことでしょう)と表現したように、何やら生命なきはずの枯蓮の群れが、意志あるもののごとく動くようなシュールな映像が浮かんできます。
 枯蓮たちの動きは、この世をかく在らしめている「潜象界」からの、何らかの秘めやかなサインやシグナルであるようにも思われてきます。

 (大場光太郎・記)

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