10年冬季版・鷹桜同窓会報
-母校の先輩の、日本農学賞授賞という取って置きのニュースをお伝えします-
師走になると近年、郷里から毎年決まって届くものがあります。その一つは2軒の親戚の家から届く、リンゴとラ・フランスです。これは以前の記事でも述べましたが、いずれも「果物王国・山形」の郷里直産の果物で、大変嬉しくまたおいしくいただいています。
そしてもう一つは、これも以前『鷹桜同総会報』『続・鷹桜同総会報』記事にしましたが、私の母校・山形県立長井高等学校の同窓会報である「鷹桜(ようおう)同総会報」です。
11月28日発行という今回の同会報の中で、『おおっ !』と目を惹いた記事がありましたので、以下にご紹介します。
鷹桜同総会報はA4版の大きさで全16面あります。その7面全面を【特別寄稿】が占めています。寄稿したのは安部浩という人です。この人は東京農工大学名誉教授で農学博士の肩書きを有しています。
同総会報に寄稿するくらいですから安部浩氏は母校出身者であり、(私はこれまで催しものに参加したことはありませんが)東京鷹桜同総会の会長も務めている人のようです。卒業年度は昭和36年、私より7年先輩に当たる人ですから御年68歳前後でしょうか。
安部浩氏の特別寄稿のタイトルは、『日本農学賞を拝して』です。平成22年4月5日、東京大学山上会館で第81回日本農学賞並びに読売農学賞の授与式が行われ、安部氏は「天然植物成長調節物質の生物有機化学に関する先駆的研究」の功績により、両賞授賞の光栄に浴されたというのです。
日本農学賞は、日本農学会主催によるもので、日本の農学研究者間における最高の栄誉と言われている賞なのだそうです。
安部氏は「この朗報を受けた時の驚きと嬉しさは生涯忘れられません。2年前に定年退職を迎え、現役を離れていた時でしたので、思いも寄らぬ栄誉を賜り、家内と握手して喜びをかみしめました」と、授賞の一報に接した時の喜びを綴っています。
今回の授賞対象となった安部浩氏の研究は、「植物ホルモンをはじめとする植物の成長を調節する物質の新発見から生理作用の解明、農業技術への応用に関する先駆的研究」ということのようです。
約40年間にわたって取り組んできた研究成果を国内外の学術雑誌に論文発表し、またさまざまな国際会議の場で講演発表を行ってきたことで、高い評価を受けたことが今回の栄誉に結びついたようです。
安部氏の研究成果の一部は、「農業技術の応用」例として、ロシア、東欧、中国、タイなどで作物増収や植林用苗木の大量生産に役に立っているといいます。
「近年活発に行われている遺伝子・酵素レベルでのアプローチに科学的に確かな環境にやさしい持続的な農業技術の開発、環境保全を重視した作物の生産や保護技術の開発に新たな指針を示すことになったのは嬉しい限りです」と、同氏は述べています。
安部氏は農学の専門家としてさらに、2010年は「生物多様性年」にあたり、日本が議長国となり名古屋でCОP10が開催されたことを踏まえ、「今後はますます自然と調和の取れた経済と社会の発展が求めらている」と述べています。
同氏が言うには、年間4万にものぼる生物種が絶滅し、自然界から消滅していっているのだそうです。先日テレビでおなじみのさかなクンが、70年前に絶滅したと考えられていた我が国固有の淡水魚“クニマス”の発見者として報道され、今上天皇もお誕生日談話で「さかなクンの功績」を讃えておられました。それは確かに意義深いことながら、毎年四万種の絶滅対一種の再発見には考えさせられます。
そこで同氏は「この(急速な生物種絶滅の)原因を究明するのが21世紀科学の使命だ」と、専門家として訴えているのです。
安部浩氏は最後に、「自然に恵まれ、自然に学ぶ機会の多い長井高校で学ぶ生徒諸君に、ジャ二ン・ベニュス著『自然と生体に学ぶバイオミミクリー』の本を薦めます。「万物我に備わる」精神を活かし、今世紀に課せられた使命に挑む科学者が育まれることを期待しております」と結んでいます。
これは在校生のみならず、“だいぶ昔在校生”だった私も機会があれば読んでみたくなりました。
私は、安部浩氏のことはこれまでまったく存知上げませんでした。また「日本農学賞」「読売農学賞」という賞があることも知りませんでした。ともかく本当に栄えあるご授賞心よりお慶び申し上げます。また母校の後輩として、かくも素晴らしい先輩を持ち得たことを誇りに思います。
門外漢の私にはまったく分かりませんが、一口に「農学」と言っても間口は広く、一つ一つの研究分野の奥行きはうんと深いことでしょう。その中で若くして『これだ !』というご自身のテーマをいち早く見出され、後はわき目もふらずに研究の完成に没頭してこられた安部氏の「研究者魂」には頭が下がります。
おととしの『万物備乎我』シリーズで述べましたように、犬養木堂翁(犬養毅元首相)より「万物備乎我」の揮毫を戴いて、それを校訓とする母校の前身の(旧制)長井中学校が発足したのが大正9年のことでした。爾来およそ九十星霜、母校を巣立って行った卒業生は2万人余に上るといいます。
中には安部浩大先輩のように、立派に大輪の花を咲かせた人もいるかと思えば…。自分が惨めになるだけですから、そのあとに続く言葉は言いません。
(大いにハッタリを申せば)還暦を過ぎたにも関わらず、「今まではリハーサル。オレの人生これからが本舞台 !」と半ば以上本気でそう思っている“わたくしめ”は、安部大先輩の爪のアカでも煎じて飲ませていただきたいものと考える、きょうこの頃です。
(大場光太郎・記)
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