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2011年1月

対日支配を示す米機密文書

 -米国の植民地・属国状態の現ニッポン。独立国としての誇りはどこへ行った-

 “米国広報マスコミ”と堕した、我が国新聞・テレビはあまり取り上げていないようですが。今話題の内部告発サイト『ウィキリークス』が、我が国にとって揺るがせに出来ない米外交機密文書を公開し、日本国内で波紋を広げています。

 問題の米機密文書というのは、駐韓米国大使館が昨年2月22日、本国宛てに送信した外交公電です。そこには同月3日に行われた米キャンベル国務次官補と韓国の金星機外交通商相の会談内容が報告されています。その一部はー
 <日本の民主党政権と自民党は「全く異なる」という認識で一致。民主党が米韓と連携を強めることの重要性を確認した。(中略)キャンベル氏は、菅直人財務相と岡田克也外相(いずれも当時)と直接の接触を持つことが重要だと指摘し、金氏も同意した>

 確認しておきますが、この会談が行われたのは鳩山政権時代のことです。そこで明らかになることは、この頃から既に米国は菅・岡田に照準を絞り、鳩山首相・小沢幹事長の頭越しに民主党政権に手を突っ込もうとしていた実態です。
 その後何が起こったか。鳩山氏は、普天間問題で「米国が怒っている」の大バッシング報道を浴びて退陣に追い込まれました。また小沢氏は、土石流的検察リーク報道の末検察審査会の起訴相当議決が下りました。これが今日の党内の「脱小沢」の流れに拍車をかけたことは言うまでもありません。

 政権交代を成し遂げた鳩山・小沢両氏が「米国」に疎まれ、普天間問題をきっかけに退陣に追い込まれたのは公然の秘密でした。それを今回の米機密文書が裏づけた形です。「やっぱり、そういうことだったのか」と、民主党関係者や外交関係者も納得し、話題になっているというのです。

 確かにこの視点に立てば、政権交代前夜からの政治の動きがはっきり見えてきます。あまりにも異常な検察やマスコミの動き。小沢問題でダンマリを決め込んでいた菅直人・仙谷由人らが、なぜ突然「小沢切り」の動きを強めていったのか。アメリカという強力な後ろ盾を得た自信が背景としてあったわけです。
 この機密文書を通せば、小沢捜査、普天間移設問題、6・2政変などに至る、一連のどす黒い陰謀の謎が一気に解けてくるのです。

 「アメリカのCIAが対日工作を続けているのは有名な話ですが、彼らが民主党に深く関与し始めたのは、小沢さんが代表になった頃(06年)でしょう。翌年、民主党が参院選に大勝し、政権交代が見えてきた頃には、“これでは危ない”となった。小沢さんや鳩山さんが、日米従属関係の見直しや東アジア共同体構想を打ち出していたからです。何をしたか。日本の検察を動かした。これくらい、彼らには朝メシ前なのです」(政治評論家・本澤二郎氏)

 こうして政権維持のためにアメリカに魂を売った、菅直人を初めとした菅政権を支える岡田克也、仙谷由人、前原誠司、枝野幸男、玄葉光一郎、野田佳彦、渡部恒三ら対米隷属派の“三流ホラー”じみたおぞましい所業については、当ブログでも度々述べてきたとおりです。

 少しでも反米的な政治家や政権は、米国の裏指令で抹殺ないしは崩壊させられるのです。これは何を物語るのか?この国は米国の意向に反することは何一つ行えない、事実上の「米国の植民地」状態にあるということです。
 結果小泉純一郎や菅直人のような、忠犬ポチ公的政治屋が我が物顔にこの国の政治を牛耳ることになるのです。この者らに「真の改革」など期待しても、土台無理というものです。
 
 これだけヒドイ「米国の植民地」同然の国は、戦後65年経った今日本以外にはありません。中東の親米国エジプトでは今、30年も続いたムバラク大統領の独裁体制を倒すべく、連日大規模デモが起きています。いくらオバマ米大統領がムバラク政権にエールを送っても、同体制崩壊は時間の問題とみられています。
 米国の親戚のような英国でさえ、英国民を騙してイラク戦争に参戦したブレア前首相を吊るし上げています。米国の“裏庭”だった中南米諸国でも、反米に転ずる国が増えています。

 このように「米国離れ」が顕著な世界の趨勢(すうせい)にあって、唯一「アメリカ様命」の国が日本なのです。これは世界各国には、かなり奇異な姿として映っているのではないでしようか?
 一国の指導者連中が米国にひたすらひれ伏す姿は、国民として「恥ずかしい」の一言です。

 国としての自己主張も、独立国としての矜持(きょうじ)も戦略も持たない日本に対して、肝心のアメリカはもとより中国もロシアも(世界中のどの国も)内心では軽蔑しています。政治家が使い物にならないのであれば、チュニジアやエジプトのように国民が声を挙げるしかありません。両国の反政府運動の盛り上がりは、ネットによる呼びかけが発端だったようです。
 「この国が、世界から尊敬される真の独立国になるにはどうすれば良いか。共に考えましょう」。私もささやかながら、そう呼びかけていきたいと思います。

 (注記)本記事は、1月31日付『日刊ゲンダイ』1、2面などを参考、引用してまとめました。

 (大場光太郎・記)

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無免許総理また脱輪

 -「疎い」発言が物議。だから言わんこっちゃない。菅総理を即刻放逐すべし-

 つい先日の『通常「本免許」国会始まる』記事で、昨年末の菅直人総理の「今までは仮免。これからは本免許のつもりで臨む」発言を取り上げました。
 菅総理の発言を真に受けて(その実揚げ足を取って、おちょくって)、もし本当に「本免許」で国政に臨むつもりなら、昨年のような内政・外交上の事故や衝突などはもう許されないよ、と述べました。

 その後『植草一秀の「知られざる真実」』では、「本免許」とは菅総理が勝手に言っているだけで、実際は「無免許総理」なのだと喝破しています。(同ブログ26日付『うそつき・無免許菅直人氏を総辞職に追い込む』記事)そのいわれはー。
 菅総理は、本免許試験となる昨夏の参院選で「事実上国民の審判を仰ぐ選挙となる」と、結果次第では菅政権の責任が問われると自ら発言し、責任逃れのため勝敗ラインを「54議席」と予め低く設定して参院選に臨みました。
 しかし結果は、低い勝敗ラインを大幅に下回る「44議席」という歴史的惨敗を喫したのです。

 菅総理は当然その時点で責任を自覚し、退陣していてしかるべきはずでした。しかし“人数倍”権力亡者の菅直人は、総理のイスにしがみつき今日に至っているわけです。これをもってすれば、菅総理の「これから本免許」発言は詭弁で、植草先生のおっしゃるとおり、その時点で国民からノーを突きつけられた「無免許」政権運営状態と判断すべきです。
 いささか長くなりましたが。よって当ブログでも今後は退陣まで、菅直人を時に「無免許総理」と呼んでいきたいと思います。

 この無免許総理、早速また危なっかしい脱輪運転をやらかしてくれました。
 27日夕方、米国の格付け会社S&P(スタンダード・アンド・プアーズ)による、日本国債の格下げが発表されました。発表から1時間後首相官邸に戻った菅総理は、記者団に「初めて聞いた。本会議から出てきたばかりだ。そういうことには疎いので、(コメントは)改めてにさせてほしい」と述べたのです。
 為替市場を動揺させた(同日1週間ぶりに1ドル=83円の円安)格下げのニュースに対して、菅総理は「(格下げ問題には)疎いので」と言ったのは文脈上明らかです。

 当然ながら総理の「疎い」発言は、各野党や国内外のメディアやネットで強い批判を呼び起こしています。私も批判しますが、「疎い」とはどういうことなのでしょうか?手元の辞書を繰ってみますと、【疎い】は「そのものとの交渉が浅かったり全くなかったりして、内情・本質を見抜く力が欠けている様子」(三省堂版『新明解国語辞典・第五版』)と出ています。
 つまりありていに言えば、菅総理は日本国債が8年ぶりに「AA」から「AA-」に格下げされたという重大事実に対して、「無知(何も知らない)」であり「無関心(どうでもいい)」であるということを、図らずも表明したのです。

 この格下げは米国の民間会社が行うものとはいえ、米国政府の意向が強く反映されているとみるべきです。特に今回の格下げは、最近発表された国家の財政赤字1000兆円超という深刻な事態とも連動している問題です。
 菅総理は、この深刻な状況への解決策として「新内閣は“財政健全化”を最重要課題として取り組む」と、所信表明演説や代表質問への答弁で繰り返しているではありませんか。

 総理周辺は、「『疎い』というのは格付けについてではなく、情報が入っていなかったということだ」と火消しに躍起になっています。それはどうせ“後付け”でしょうが、もしそうだとすると別の由々しき問題がクローズアップされてきます。
 昨年のヨン・ピョン島への北朝鮮による砲撃事件の時も、無免許総理は「事実をテレビで知った」という、唖然発言をして物議をかもしました。今回の「疎い」発言もそれと同様、危機管理上の重大問題をはらんでいるのです。

 つまり国家的重大な情報において、菅総理は内閣改造した今でも「カヤの外」に置かれているのではないだろうか?ということです。というのも、これほどの重要な情報なら、しかるべき官僚筋が官邸スタッフに情報を上げ、国会会議中でも総理のもとに直ちに伝わるはずだからです。しかし伝わっていない。
 どこかで情報が遮断され、肝心の情報が菅総理まで届かないのです。官僚や官邸スタッフの仕業か?枝野官房長官の仕業か?

 ちなみに枝野幸男は官房長官就任直後、前任の仙谷由人のご威光を笠に着て、官邸スタッフに「自分と菅総理の意見が分かれた際、どうするかよく配慮せよ」と、恫喝めいた踏み絵を迫ったそうです。
 本来総理を陰で支えるべき官房長官も、官邸スタッフも、官僚たちも面従背腹、菅総理は今もって掌握しきれていないのです。それでもって、「オレは3年どころか10年も政権維持できそうだぞ」など、よく言うよではないでしょうか?

 今回の「AA-」格下げで日本は、クウェート、サウジアラビアなどと同レベルになったそうです。ついこの前は、GDPで中国に抜かれて世界第2位の座を明け渡したばかりです。
 アメリカのオバマ政権まで日本を見放しつつあるようです。オバマ大統領は25日の一般教書演説で、中国やインド、韓国に言及する一方で「日本」にはまったく触れなかったのです。完全な「ジャパンパッシング(日本無視)」です。
 対米隷属の菅総理は、宗主国のご機嫌取りのためにТPP推進や消費税増税に前のめりです。しかし無免許総理の下、「失われた20年を取り戻す」「第三の開国」の掛け声も虚しく、世界経済における「日本の地盤沈下」は進む一方です。

 (大場光太郎・記)
 

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亡国菅内閣は即刻退陣せよ

 -政権交代を成し遂げた国民の意思を悉く踏みにじる菅政権は有害なだけだ-

 菅直人総理の所信表明演説に対する、谷垣禎一自民党総裁の衆院代表質問が26日ありました。菅総理の、ただ言葉が踊っているだけで中身は“スッカラカン”の同演説で、「開国」という言葉を15回も使ったことを踏まえたものか。谷垣総裁は質問の中で、「解散」という言葉を13回使いました。

 「“熟議の国会”だから、野党はつべこべ言わずに与党の案に従うのが筋だ」と言う菅総理の演説の後、「あの人は“挑発の人”だから」と、谷垣氏はいたって冷静に受け止めていました。が、さすがはかつての手馴れた弁護士先生、質問では「マニフェスト破りや、消費税を含む税制改正を行うのであれば、早期に衆院解散を行うべきだ」「与謝野氏が変節したか、政権(つまり菅直人)が変節したかだ」などと問い、“イラ菅”に対して「逆挑発」を仕掛けた格好です。

 さらに谷垣総裁は、消費税を含む税制抜本改革について「考えがぶれる方とは交渉できない」と、菅直人の本質にズバリ切り込んだところ、痛いところを突かれた菅総理は「私の考えは一切ぶれておらず、一貫している」と、声を荒げて反論する“イラ菅”ぶりを発揮しました。
 そして自分から超党派協議を呼びかけておきながら、野党の要求には一切応じない姿勢を見せたのです。そんなことで“熟議の国会”がどうして出来るの?菅直人という御仁は、そういう自己矛盾にはまったく気づかないお方のようです。

 菅直人殺すにゃ、刃物は要らぬ。イラつくことを言えばよい。
 この者は、総理維持のためには、なりふり構わず黒を白と言い、恩人を裏切り仇で返し、取るべき責任は一切取らず、相手が国民だろうが誰だろうが約束など平気で破る…という、とことん性根の腐った最低野郎です。
 こんな者が一国のトップリーダーと言うのでは国際的に恥ずかしいことですし、国民にとっては「最大不幸」の何ものでもありません。

 私はこれまで度々言明してきましたように、自民党や公明党大嫌い人間です。しかし菅総理と谷垣総裁の発言を冷静に聞き比べますと、谷垣氏の方がよほど理に適っています。
 ここは「敵の敵は味方」ということで。自民党、公明党のみならずみんなの党や共産党まで、野党は結束を固めて、「倒閣」「解散」を今国会最大の目的として突き進んでいってもらいたいものです。

 (1月28日付『日刊現代』によりますと)07年参院選での民主党の総得票数は「2400万票」、民主党は60議席を獲得し、参院第一党に躍り出ました。続いて09年衆院選時の同得票数は「3347万票」、国民の熱狂的な支持を得て308議席を獲得し、国民念願の政権交代が成し遂げられたわけです。
 いずれも、小沢一郎元代表の強力なリーダーシップがあったから可能になったのです。「国民生活が第一」のスローガンに、大多数の有権者が夢を託したのです。

 それに続く『日刊ゲンダイ』の論調は、いつもながらに手厳しいものです。以下に引用してみます。
                       *
 ところが、あれから1年半。目を覆いたくなるような民主党政権の堕落テイタラクと変節はなんなんだ。
 政権交代の功労者だった小沢と鳩山は執行部を追われ、小沢にいたっては犯罪者扱いされ、党内で抹殺されようとしている。
 代わりに司令塔として招き入れたのが、ミスター自民党で大増税論者の与謝野馨ときた。狂っている。
 で、首相の菅は、この不況の中で「消費税アップだ」と叫び、農業潰し・失業者増大のТPPに突っ走っている。正気なのか、この首相と民主党はー。 (以上引用終わり)
                       *
 まったくそのとおりです。両選挙とも、私は民主党に全面的に投票しました。私のみならず民主党を応援した国民有権者は、「民主党四人組」(あるいは植草一秀氏の言う「民主党悪徳八人衆」)が牛耳る今の民主党政権には、裏切られた気持ちでいっぱいのことでしょう。
 とにかくこの際結果がどうなってもいいから、一刻も早く衆院を解散して総選挙をやり直してもらいたいものです。そして私は今の民主党の体制のままなら、絶対投票しません。政権交代時民主党を支持した多くの人が同じ気持ちのはずです。

 今度下野したら、民主党に政権はもう二度と戻ってこないことでしょう。

 (大場光太郎・記)

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凍てて巌を

           前田 普羅

  駒ケ嶽凍てて巌を落としけり

 …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 前田普羅(まえだ・ふら) 略歴は『雪解川』参照のこと。

  Mt.Kaikomagatake from Hokuto-shi.JPG
     北杜市から望む甲斐駒ヶ岳 (『ウィキペディア』より)

 略歴によりますと前田普羅は、飯田蛇笏、村上鬼城、原石鼎と共に虚子門の四天王の一人で、「特に山岳俳句の峻厳な神韻をもって知られる」俳人のようです。寡聞にして知りませんが、「山岳俳句」という分野は、前田普羅をもって嚆矢(こうし)とするのではないでしょうか。
 中でもこの句などは、その代表的な一句と言えそうです。明治人の骨太の気骨が伝わってくるようです。

 「駒ケ嶽(こまがたけ)」は現代表記では駒ケ岳となります。駒とは馬のことで、山容が馬の形をしている、雪形に馬の形が出るなどから名づけられているようです。一口に「駒ケ岳」とは言っても、北は北海道駒ケ岳(別名:蝦夷駒ケ岳)から南は若狭駒ケ岳(福井県、別名:近江駒ケ岳)まで、各地に多くの駒ケ岳が存在します。
 その中でも甲斐駒ケ岳と木曾駒ケ岳が有名です。両山はそれぞれ「東駒」「西駒」と呼ばれることもあります。

 この句で詠まれているのは、その内の甲斐駒ケ岳です。ある年の冬に、山梨県東五成村(後の境川村、現笛吹市)に住んでいる飯田蛇笏を訪ねた折り、遥かに雪をいただいた甲斐駒ケ岳を仰ぎ見て詠んだ句であるようです。

 江戸時代の誰かの漢詩の一節に、
   閑中我看山   閑中(かんちゅう)我山を看(み)る
   忙中山看我   忙中(ぼうちゅう)山我を看る
というのがあったかと思います。この場合の「閑中」はいわゆる“閑人(ひまじん)”が閑をもてあましている図ではなく、今の表現で言えば「心が十分リラックスしている」状態と言った方がいいようです。
 そのような時は、正岡子規が唱えた「写生」の精神に深く迫れる時でもあります。

 この句は、そんな没我の主客一体の状態で詠まれたように感じられます。少しばかり俳句を実作している者の実感からすれば、「凍(い)てて巌(いわお)を落としけり」という表現は、そうそう簡単に生み出せるものではありません。

 この場合厳密に言えば、「凍てて」いう原因が「巌を落としけり」という結果に、直ちに結びつくことはないのかもしれません。季節に関わりなく巌は落ちるべき時が来たから落ちた、それをたまたま前田普羅が目撃した、ただそれだけのことに過ぎないのかもしれないのです。
 しかし俳句や詩の非日常世界では違います。「凍てて巌を落としけり」という、物理学上否定されかねない共時性が、いとも簡単に成立してしまうのです。そして読み手は、『確かに極寒の時は、名山が巌を落とすことだってあるかもな』と了解させられるのです。

 (大場光太郎・記)

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通常「本免許」国会始まる

 -本免許というからには、内政・外交上の事故や衝突などはないんだろうね?-

 24日第177回通常国会が召集され、菅直人総理は初めてとなる施政方針演説の中で、「開国」という言葉を15回も使い「平成の開国」をアピールしました。
 しかしこの言葉は、出来もしないことを平気で言う、菅直人お得意の大風呂敷と言うべきです。それを見透かして野党席からは、「何をやるんだ !」「財源どうすんだ !」「ウソ言え !」などという激しいヤジが飛びました。

 それにアメリカに魂を売った菅総理の言う「開国」には要注意です。それは「米国植民地(としての)開国」を意味するのかもしれず、売国総理は闇雲にその方向に突っ走りかねないからです。

 “平成の無責任男”小泉純一郎の後継者を目指しているらしい菅総理は、昨年末臨時国会終了後の会見で「今までは仮免。これからが本免許」と言いました。それまで起きた中国漁船衝突事件や北朝鮮砲撃事件などの外交的不手際、代表選時「雇用、雇用、雇用」を連発しながら一向に改善されない雇用情勢、下がりっぱなしの国内景気…。
 これら内政、外交両面の大失政を、この一言で国民有権者にチャラにしてもらおうと言うのです。冗談じゃありません。一国を預かる政府の長たる者、「今までは仮免」など口が裂けても言うべき言葉ではありません。

 野党の問責決議を受けた、仙谷由人前官房長官の首を切っての内閣改造。やったはいいが、肝心の支持率はご祝儀相場というには余りにも寒い、各社とも微増の「危険水域」すれすれの30%前後です。
 税制・社会保障改革(改悪)目的にかこつけた消費税増税の推進役、その上自民党など野党との協議の調整役にと期待して、野合的に入閣させたのが与謝野馨経済財務担当相でした。しかし改造直後から党内外で「永田町のユダ」を入閣させたことへの反発は強く、31日から始まる予算委員会以降、与謝野大臣への集中砲火を覚悟すべき情勢です。

 比例で復活当選した与謝野大臣の党籍は、理論上いまだ自民党にあるとみられること。これまでの同氏の激しい民主党攻撃との整合性。同氏の民主党マニフェストへの基本姿勢。税方式のあり方をめぐる同氏と閣僚間の食い違い…。与謝野大臣一人を取ってみても、各野党は攻め手にこと欠かない情勢です。
 
 自民党などはあくまで「倒閣」を目指しており、一切妥協しない構えです。谷垣禎一総裁は、「年内に政権を奪還する」と過日の自民党大会で宣言しています。ある党幹部は、「もし民主党政権を解散に追い込めなかったら、(谷垣総裁の)責任問題になる」ときつい縛りをかけています。自民党も引くに引けない状況です。
 菅総理は、元はといえば自分がまいたタネである「衆参ねじれ」解消への画策も不調に終わり、4月頃とみられる「菅内閣ご臨終」まで、(四苦八苦+七転八倒)×2乗、3乗の苦しみを味わうことでしょう。

 国会閉会中は、菅直人の唯一の活力源である小沢一郎元代表を「抵抗勢力」とみなすことで、ハイテンションになることができました。しかしいよいよ始まった「本免国会」では、敵は与謝野大臣の問責決議案どころか、自分の内閣の不信任案すら出しかねない各野党です。予算案成立など具体的な成果が第一に求められます。
 もうごまかしはできません。さすが能天気な菅直人も、日に日に“躁”から“鬱”へのしょぼくれ顔、そしてまたぞろ“恍惚の人”のような呆けた顔に戻らざるを得ないのではないでしょうか。

 それにしても何ともお粗末な政治状況です。この政治的貧困に対して、ТBS報道番組『ニュース23クロス』のインタビューで直木賞作家の高村薫氏は、「もう政治に何かを期待しない方がいいのではないか。国民は政治など当てにしないで、我が身は自分自身で守るという意識が必要だ」と述べています。
 いやはや。こんな無能な総理大臣以下の閣僚や現政権スタッフを養うのに、それこそ莫大な国費(国民の血税)が充てられているのです。

 高村氏はまた、菅総理の演説では「平成の開国」「最小不幸社会の実現」「熟議国会」などただ言葉が踊っているだけで、具体的なビジョンが何も見えてこないとも指摘しています。
 また高度成長時代と違って、今この国には悠長に民主党政権の成熟を見守るだけの余裕はない、もし仮に見守ってやったとしてもこの先菅政権が期待値を上回る見込みもないと、厳しく批判しています。

 参院本会議での演説の締めくくりに「国民の皆様は何を期待しているのでしょうか?」と問いかけると、すかさず野党席から「衆院解散だ !」とのヤジが飛んだと言います。総理の器ではない菅直人を、代表選で選出した民主党国会議員、地方議員、党員・サポーターの責任は極めて重大です。
 また小沢一郎元代表を政治的に抹殺すべく、謀略捜査、謀略報道の限りを尽くしてきたことが今日の政治的混迷を招いていることを思えば、検察、マスコミの在り方は、責任論を超えてまさに罪万死に値する「国家反逆罪的犯罪」です。

 (大場光太郎・記)

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青 春

                         サミュエル・ウルマン

 青春とは人生の或る期間を言うのではなく、心の様相を言うのだ。
 優れた創造力、逞しき意志、炎ゆる情熱、怯懦(きょうだ)を却ける勇猛心、
  安易を振り捨てる冒険心、
 こういう様相を青春というのだ。
 年を重ねただけで人は老いない。理想を失う時に初めて老いがくる。
 歳月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。
 苦悶や、狐疑や、不安、恐怖、失望、こう言うものこそ
  恰(あたか)も長年月の如く人を老いさせ、
 精気ある魂をも芥(あくた)に帰せしめてまう。
 年は七十であろうと十六であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。
 曰(いわ)く、驚異への愛慕心、空にきらめく星辰(せいしん)
  その輝きにも似たる事物や思想に対する欽仰(きんぎょう)、
 事に處(しょ)する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探究心、
  人生への歓喜と興味。
   人は信念と共に若く
   疑惑と共に老ゆる。
   人は自信と共に若く
   恐怖と共に老ゆる。
   希望ある限り若く
   失望と共に老い朽ちる。
 大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、
 そして威力の霊感を受ける限り、
 人の若さは失われない。
 これらの霊感が絶え、悲嘆の白雪が人の心の奥までも蔽(おお)いつくし、
  皮肉の厚氷(あつごおり)がこれを固くとざすに至れば、
 この時にこそ人は全く老いて、神の憐れみを乞うる他(ほか)はなくなる。

                         (邦訳: 岡田 義夫)
… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …
《私の所感》
 この詩は、以前取り上げました『成功哲学の詩』と並んで、“自己啓発の詩”として日本でも有名な詩です。

 原作者のサミュエル・ウルマン(1840年~1924年)は、米合衆国の実業家、詩人、教育者です。元々はドイツ生まれでユダヤ系ドイツ人だったため、迫害を避けてアメリカに渡ったのです。
 この詩(原題『YOUTH』)は、80歳の誕生日に自費出版した『80歳の歳月の高見から』に収められています。

 この詩は第二次世界大戦後、アメリカの雑誌『リーダーズ・ダイジェスト』(1945年12月号)に掲載され、連合国総司令官のダグラス・マッカーサー元帥が座右の銘として執務室に掲げていたということです。
 同誌に掲載された詩に深い共感を覚えたのが、岡田義夫氏です。岡田氏はこの原詩を早速格調高い日本語として翻訳しました。

 岡田義夫氏の略歴は不詳ですが、氏の級友(旧制第一高等学校?)に、山形県立米沢工業高等専門学校(現山形大学工学部)学長、山形大学学長を務めた森平三郎氏がいます。
 森氏は戦後間もない頃、岡田氏からこの訳詩を見せられ深く感動し、13年後の1958年群馬県桐生市(同氏の出身地)の東毛毎夕新聞に、『青春とは』の題で随筆を寄稿し、その中でこの訳詩を「親友の岡田義夫氏の名訳である」と紹介したのです。それがきっかけとなって、この邦訳が世に知られることとなりました。

 特に当時経済界をリードする人たちの間で評判となり、松下幸之助も座右の銘としていたといいます。
 なお岡田義夫氏と森平三郎氏のよしみで、米沢市内の山形大学工学部構内には、この訳詩と邦訳に至る謂れを記した《青春の詩碑》が建てられています。(ブログ『米沢より愛をこめて』より)

 青春とは「心の様相」なのであって、「体(年齢)の様相」ではないと謳っていることに注目すべきです。「創造力」「意志」「情熱」「勇猛心」を保持していさえすれば、たとえ「年は七十」であろうと「青春」であり得ることが出来るのだというのです。まさに「思考は現実化する」です。
 「良いことを思えば良いことが現われ、悪いことを思えば悪いことが現われる」。逆に「苦悶」「狐疑」「不安」「恐怖」「失望」を常としているならば、20代、30代であっても「若年寄り」だというわけです。

 この『青春』の詩は、年配者ほど勇気づけられることでしょう。
 かくいう私も“年配者”ですが、「生涯青春」を我が身に具現すべく折りに触れて読み直し、「信念」「自信」「希望」の涵養に努めていきたいと思います。

 なお私などはすっかりなじんでいますが、この邦訳は岡田氏が意訳している部分もあるようです。より原詩に近い現代訳として、『粟倉健二氏訳 青春』があります。

 (大場光太郎・記)

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記事数1000越えました

  凍てし夜の遠くの丘の灯りかな   (拙句)

 先日の『小説には力がある』記事で、当ブログ開設以来の記事数が1000に達しました。これには訪問者の方のコメント欄からの転載などは除外し、あくまでも私が作成した記事に絞らせていただきました。
 それに1月22日は、08年4月29日の開設日からちょうど1000日にも当たります。節目のご報告で毎度述べることですが、開設当初は『そのうち書くネタがなくなるんじゃないか?』とか、『諸事飽きっぽいオレのこと、いつまで続くものやら』と懸念されましたが、おかげ様を持ちまして、今回大きな節目を迎えることができました。
 ご訪問くださる皆様には、改めまして深く感謝申し上げます。

 1000日で1000記事というと、思い出す話があります。世界的な古典とて知られる『千夜一夜物語-アラビアンナイト』です。私は小学5年生の頃、『少年版アラビアンナイト』を学校の図書館で借りて、ワクワクしながら読みふけった記憶があります。
 それには、『シンドバットの冒険』『アラジンの魔法のランプ』『アリババと40人の盗賊』など、おなじみの話が載っていました。

 ついでですから、『千夜一夜物語』のことを少しー。
 この題名のいわれは、妃の不倫を知ったシャフリヤール王が女性不信に陥り、国の若い女性と一夜を過ごしては殺すのを繰り返したことから始まります。それを止めさせるため、大臣の娘のシェーラザード(シャハラザード)が自ら王の元に嫁ぎます。
 賢いシェーラザードは、千夜に渡って毎夜王に面白い話を繰り出して気を紛らわさせ、遂に「女殺しアラビア地獄」(近松門左衛門の『女殺油地獄』のもじりです)を止めさせるのに成功します。話が佳境に入ったところで、「続きはまたあした」と打ち切るため、王は次の話が聞きたくて別の女性に夜伽(よとぎ) をさせるのを思いとどまったのです。

 この話にはおまけがついていて、千夜が過ぎた頃には王とシェーラザードとの間に3人の子供が生まれていたといいます。今の言葉で言えば「win-winの関係」、すべてが丸く収まってハッピー・ハッピーの結末です。
 ただ『千夜一夜物語』自体は、元は中世イスラム世界で形成されたアラビア語の説話集であるようです。それをまとめるものとして、「シェーラザードに千夜物語を語らせる」という形式を取ったわけです。 (以上は、フリー百科事典『ウィキペディア』を参考にしました。)

 だいぶ本筋から脱線していまいましたが。私にはとてもシェーラザードのように、千日間も人を飽きさせない記事を提供し続けることなどできません。その上、開設当初予定していた『身辺雑記』『自然観察文』『詩』『名句、名曲鑑賞文』などから大きくそれて、より多くの訪問者獲得の目的もあり、今では自分でも『これは政治ブログか?』と思うほど政治記事が多くなりました。
 そのため、昨年からにわかに政治に関心をお持ちの方々の定期訪問が増えました。しかしその分、当初からの訪問者がほとんどおられなくなり複雑な気持ちです。開設以来変わらずご訪問いただいている方には、特に深く感謝申し上げます。

 記事数1000ともなりますと相当な分量です。ざっと計算しますと、400字詰め原稿用紙で、4000枚くらいにはなりそうです。中には自分でも気に入っていて、出来るだけ多くの方にお読みいただきたいと思う記事も少なからずあります。
 出来れば本として出版したいという夢があります。タイトルはやはり『今この時&あの日あの時』。当然自費出版という形ですので、後は私の経済力向上次第ということになります。ただし「政治記事」はアウトでしょうね。植草一秀先生のような専門家ではありませんから、自分でも意識して、少し別角度から、三面記事的、瓦版的に独断と偏見を交えて述べているだけですから。

 ブログ更新はいわば「アウトプット」、放電作業です。いささか過放電気味です。折りに触れて以前の記事を読み返すことがありますが、前の方が質的に良かったんじゃないか?と思うことがまヽあります。今後は遠慮なく休み、充電を心がけながらの更新ということにさせていただきたいと存じます。
 またこれも毎度申すことながら、私自身今現在「政治的出来事」に関心が向いているところがありますが、関心をより広くもって、幅広い分野のテーマを扱っていきたいと考えております。
 どうぞ今後とも、当ブログよろしくお願い申し上げます。

 (追記)なお冒頭の句は、著作権法の関係で言いますが、「俳句の国・三重県」の「光の一句」に応募し、角川学芸出版刊句集『光の一句』に収録された句です。よって作者の私は著作者、角川学芸出版が著作権者ということになります。

 (大場光太郎・記)

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民主党四人組vs意見広告

 -「悪盛んにして天に勝つ」状況下、心ある国民有志が声を上げ始めている-

 1月21日付『日刊ゲンダイ』1面、2面が、かつての江青ら「中国四人組」になぞらえて、小沢排除に血道を上げる現政権指導部を「民主党四人組」と命名し厳しく批判しています。菅直人総理、仙谷由人党代表代行、岡田克也幹事長、枝野幸男官房長官の4人です。
 なるほど言い得て妙だと思います。何も民主党全体が小沢一郎元代表の排除に総がかりになっているわけではなく、党の和を乱し、党を分裂の危機に陥れようとしているのは主にこの4人だからです。

 この民主党「卑劣四人組」は、昨年末の臨時国会終了後、岡田幹事長がメーンとなって、国民にとって最重要の予算編成などそっちのけで、小沢氏の政倫審招致問題を連日騒ぎ立ててきました。
 24日の通常国会前までの招致に躍起になったものの、小沢元代表の高等戦術にまんまと引っかかり、岡田幹事長あたりが奔走しながらも、結局政倫審は断念せざるを得ない状況です。これまでの1ヵ月半にも及ぶバカ騒ぎはいったい何だったんだ?何か国民のためになったのか?と聞きたくなるお粗末なレベルです。

 しかしこの「異常四人組」は、それで矛を収めるような生易しい連中ではありません。早速衆参両院の委員会メンバーを脱小沢派で固めるといった、旧ソ連時代のような禁じ手工作を開始しています。次の段階として小沢氏の証人喚問、離党勧告、議員辞職勧告など、やりたい放題をするためです。
 これには作家の大下英治氏は、「敵はどこにいるのか。菅首相にとって、敵は自民党であり、官僚組織でしょう。それなのに身内の小沢さんを標的にして、叩き、政権を弱体化させている。まともじゃない」と呆れています。

 政権交代の最大の功労者に対して、身内でありながらそこまでやるのなら、「政治とカネ」というマスコミがつけた用語に悪乗りする前に、菅総理以下は「小沢元代表のどこが問題なのか」を党としてきっちり調査して、国民の前に「かくかくしかじかの理由で…」と明解に説明する責任を負っています。
 説明など出来るはずがないのです。今『日刊ゲンダイ』が2面で、「国民は騙されている-小沢「強制起訴」の虚構」を集中連載しています。最新号で既に3回目ですが、これは小沢問題の決定版とも言えるもので、これを読めば、小沢土地問題がいかに検察とマスコミによってデッチ上げられたものかが一目瞭然に分かるのです。

 「無罪確実」な小沢元代表を売る“ユダ”のような菅直人は、昨年の小沢私邸新年会に駆けつけていた動かぬ証拠写真が、同じ『日刊ゲンダイ』の何日か前の紙上(3面)で公開されています。その写真には、小沢元代表を真ん中に、左に菅直人、右に蓮舫と3人並んで写っています。菅直人や蓮舫の、何とにこやかなこと。
 それがものの半年も経たず、小沢氏がマスコミの集中砲火を浴びるのを見るや手の平返しで、「反小沢」「脱小沢」の先頭を切っている浅ましさです。

 そんな度し難い民主党「卑劣四人組」とは、まったく別の動きが出てきています。何度も出しますが『日刊ゲンダイ』1月22日6面に、縦書きで「立ち止まって、一緒に考えてみませんか?」と題する、6面全面の「意見広告」が掲載されたのです。
 広告主は『立ち止まって考えよう国民会議』です。タイトルに続いて広告いっぱいに文章が展開されています。書いたのは同会議議長の林邦之という人です。「皆さんと同じ、市井の人間」だそうです。(意見広告は、1月11日発売の『週刊朝日』に続いて2度目のようです。)
 以下にその主要部分を抜粋して紹介してみます。
                       *
私たちは、この数年間にわたって展開されつづけている、小沢一郎民主党元代表をめぐるマスコミや検察の姿勢を見つめ、「これは、ひょっとしたら、小沢一郎による改革を嫌悪する陣営の<小沢一郎キャンペーン劇>ではないのか?」と思うようになりました。

同様の不安感を持った全国各地の人間が、ネットを通じて集い、「自分が疑問に感じたことを、他の人にも問いかけてみようではないか」と、『立ち止まって考えよう国民会議』を設立し、活字媒体への「意見広告」を企画した次第です。

私たちは、この<小沢一郎追放キャンペーン劇>を、小沢一郎を好きとか嫌いとか、小沢一郎を支持するとかしないとか、そんな水準で捉えてはいけないのではないか、と考えています。

三年に及ぶこの強引なドラマの背後には、「司法とはどうあるべきなのか?」「マスコミとはどうあるべきなのか?」そして、何よりも、「私たち国民はどうあるべきなのか?」といった、立ち止まって冷静に考えなければならない本質的な問題が、たくさん散りばめられている、と受け止めています。  (以上引用終わり)
                       *
 四人組主導の「菅製」小沢観と、真の「市民目線」小沢観では、これだけ違うのです。今後この『同国民会議』発の問題提起は、燎原の火のごとく全国的広がりを見せ国民運動化していくような予感がします。
 その時「卑劣四人組」は、国民の前にどのツラ下げて出てくるのでしょうか?

 (追記)上記「意見広告」は、『立ち止まって考えよう国民会議』サイトで全文お読みになれます。

 (大場光太郎・記)

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米系紙、与謝野氏入閣・消費税増税をバッサリ !

 -国民は、我が国マスコミの世論誘導目的報道の呪縛から目覚めるべきだ-

 「6・2クーデター」という陰湿な政変により、甚だ正当性を欠いて発足した菅政権は、発足以来外交政策として「対米隷属」を貫いています。小沢一郎元代表、鳩山由紀夫前首相が中心となって成し遂げた政権交代時の、民主党の大きな柱の一つが自主独立を目指した「日米対等」外交でした。
 戦後60年間我が国社会の隅々にまで暗い影を落としてきたのが、旧自民党長期政権下での「対米隷属」政策ですから、これは誰が考えても至極まっとうな理念と言うべきです。

 民主党のかくも高邁な理念を全否定し、自民党政権以上の対米隷属政策を推し進めているのが菅直人総理です。これがもし彼のポリシーに基づくものなら、それなりに評価もしましょう。しかしそんなご立派なものではなく、政権略奪にあたり誰かから「長期政権を目指すのなら、保守層と米国とは親密にすることだ」との要らざる知恵をつけられ、卑怯にも対米隷属派に“転向”したことによるものです。
 普天間基地移設先として辺野古沖案に固執する方針、前原誠司外相や北澤俊美防衛相らの徹底した対米追随外交、米軍思いやり予算にメスを入れず据え置き方針、ТPPという危ない協定締結に前のめりな姿勢…。これらは、菅政権が対米隷属であることの動かぬ証拠となるものです。

 このような度し難い政治状況下、14日の改造内閣では、与謝野馨氏を経済財務相として入閣させました。消費税増税に向けた重要な布陣だとみられています。
 そんな中これにつき、米国を代表する報道機関である『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙が、日本版1月19日付で「日本の内閣改造は旧態依然-消費税増税は過った考え」と題する社説を掲載しています。
 その主な主張を以下に転載します。
                       *

「表面は変わっても中身は相変わらず」という古い警句を具現化する国があるとすれば、それは日本だろう。菅直人首相が先週実施した内閣改造を見て欲しい。またぞろ日本の指導者が、旧来の考えを持つ旧来の政治家を起用する内閣改造を実施した。

(略)与謝野氏は、小泉内閣でも閣僚を務めるなど、現在野党の自民党では愛党心の強い政治家だった。離党して、たちあがれ日本を旗揚げしたため、自民党では同氏を嫌う人が多い。民主党自体でも、民主党議員ではない同氏を閣僚に起用したとして不信感や不快感が出た。

しかし、この混乱はその最たる特徴は見落としている。つまり与謝野氏には新味のある経済政策構想がない点だ。彼の政治姿勢の特徴は、これ以上債務を増やすことはせずに、増大する社会保障費の財源を確保する一方策として消費税を上げるという、お馴染みの大義を熱心に支持していることだ。日本では、この種の増税は財政規律派に通用している。このことは、なぜ与謝野氏が閣僚ポストを得たかを正確に説明しているように見える。消費税はまた、菅首相の十八番でもあるためだ。

その結果、新たな考え方が切実に求められている状況にもかかわらず、日本は経済政策立案のトップにもうひとり財務省支持派の人物を据えてしまった。金利がゼロ近くにあるため、政府と地方自治体は借り入れを増やし、債務残高は国内総生産(GDP)比数倍まで膨らんでいる。政府が歳出削減を開始しなければ、金利負担で債務も増えていく。デフレという妖怪が経済を脅かし、省エネ家電などの政府補助プログラムが終り、消費者信頼感は低下している。

与謝野氏の考え方は、現在の状況下では完全に過ったものである。消費が増えない限り、財政上、消費税は政府にとって効果的な収入源とはならない。慢性的な景気低迷により、消費税引き上げの目標が早急に達成される可能性は小さい。より幅広く考えれば、日本の財政問題は20年に及ぶ景気低迷に由来している。そのため、政府の税収となる経済的パイが減ってしまった。それに加え、人口の高齢化のため、政府は年金や社会保障の負担も抱える。消費税はこれらの問題いずれも解決するものにはならない。  (以下省略-以上転載終わり)
                       *
 どうでしょうか?我が国の新聞・テレビが歩調をそろえている「消費税増税やるべし」報道と、何と違う論調なのでしょうか。
 一体どちらが正しいのでしょう?賢明な読者には改めて言うまでもないことでしょう。「税金無駄遣い」官僚組織の統括機関である財務省が、強力に推進する「ТPR(タックス・ピーアール)」のPR報道機関に成り下がった、我が国“マスゴミ”の方が間違った世論誘導を盛んに仕掛けているのは明らかなのです。

 思うに『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙は、同紙のネーミングからして米国銀行屋系勢力の報道機関なのでしょう。
 翻って菅政権がひれ伏し、日本社会全体をがんじがらめに呪縛している、「米官業政電」悪徳ペンタゴンの要(かなめ)に位置するのが、CIA・米国戦争屋勢力だとみられます。そのため、いくら米国の良識ある政治家、知識人、報道機関が、「沖縄に米海兵隊は不要である」「菅政権はおかしい。消費税増税は誤りである」などと主張してくれても、我が国では見事にかき消されてしまうのです。

 米国戦争屋の大ボスとみられるのがDRFです。DRFは現在95歳の超高齢で、この者がいなくなれば米国内のパワーバランスが変化し、我が国への外交安保政策も良化する可能性があります。
 ところがなかなか“悪しぶとい”んだ、DRFは。

 (大場光太郎・記) 

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小説には力がある

 -厚木市出身で同市在住の気鋭の作家、太田靖久さんをご紹介します-

 17日第144回芥川賞、直木賞が発表され、7年ぶりの両賞ダブル授賞となりました。芥川賞は朝吹真理子さん(26)の『きことわ』(新潮9月号)と西村賢太さん(43)の『苦役列車』(新潮12月号)と対照的な作品が選ばれ、直木賞は時代小説の木内昇さん(43)の『漂砂(ひょうさ)のうたう』(集英社)と現代物の道尾秀介さん(35)の『月と蟹』(文芸春秋)の両賞が選ばれました。

 中学・高校の頃心のどこかで小説家を夢見ていた私にとって、芥川賞は特に、今回同賞授賞の朝吹さんの授賞会見時の言葉ではないけれど「畏怖」すべき賞なのでした。何せ、昭和の作家の中で最も人気が高いと思われる太宰治でさえ、戦前から狙っていながらとうとう授賞できなかったくらい凄い賞なのです。
 中学で『晩年』、高校で『斜陽』などを読み、太宰の才能に圧倒され「畏怖」を覚えた私には、芥川賞はノーベル文学賞にも匹敵すべき途方もない賞に思われたのでした。
 そんな芥川賞でも直木賞でも、毎年2回「該当作なし」を除いては授賞する、注目すべき新しい才能が出現するわけなのです。

 と、そんな私たち庶民にとって異次元の世界のことはともかく。こちらも異次元ではあるものの、私にとってもう少し身近な「異次元の人」のことをご紹介して見たいと思います。毎月2度ほど当地の各戸に配布される、厚木市報『広報あつぎ』の1月1日号に載っていた人の話です。
 同報の4面、5面は「輝きを増す新星」という特集ですが、4面が「小説には力がある」というタイトルの、厚木市愛甲在住の気鋭の作家・太田靖久(35)さんについての紹介記事なのです。

 太田靖久さんは昨年、文芸の新たな可能性を開く新人作家に与えられる第42回「新潮新人賞」を授賞したのだそうです。歴代の受賞者には、後に川端康成文学賞や三島由紀夫賞を授賞した田中真弥さん、芥川賞を受賞した中村文則さんといった作家が名を連ねるといいます。
 応募数2030作品の中から授賞したのは2作品。太田さんの『ののの』がその一つに選ばれたのです。太田さんは「ほっとしました。もう苦しい思いをしないで済むという、安堵の気持ちでした」と、嬉しさよりもほっとした気持ちだったと感想を話しています。

 授賞作『ののの』は『新潮』11月号に発表され、「主人公が暮らす街に、正体不明の『白い本の山』があり、頂上には『のの』という怪鳥がいつもいる。そして街に流れる川が氾濫するなど、住民たちの生活を脅かしている」といった、非日常を現実にあるかのように描いた作品だそうです。
 東名中学校や玉川など、生まれ育った厚木市内の風景が要所要所に出てくるのも、太田さんの作品の特徴の一つのようです。

 文学界でホームランをかっ飛ばした感のある太田さんですが、初めから小説家を目指したわけではなかったといいます。中学・高校時代はサッカー部所属、大学時代は映画サークルで脚本を書いたこともあるものの、小説を書くまでには至らなかったようです。大学卒業後は、テレビ番組の制作や映画館、ホテルマンなど、小説家とは無縁の職業に就いていました。
 きっかけとなったのは20歳の頃に見た、作家の部屋を紹介するテレビ番組だったといいます。そこで太宰治が山梨県に住んでいた頃の部屋が紹介され、窓から映る富士山を見た時、なぜか不思議に『自分は書ける !』と思ったのだそうです。

 太田さんの物語の作成方法には、特徴があるといいます。考えて作るのではなく、アイディアとアイディアが結びつき、頭の中に場面が浮かんでくるのだそうです。太田さんいわく、「いい場面は音やにおいなど、リアリティがあるのです。その絵を事細かに描写するように書いています」。
 五官を総動員して、脳内に映画を映し出すようにして書いているということでしょうか。今風に言えば、右脳の「イメージ力」が大変優れた人のようです。

 私は小説をというより、本を読むことがめっきり少なくなりました。ここ2年ほどで言えば小説は、碧野圭さんの『雪白の月』、原民喜の短編『夏の花』、太宰治『ヴィヨンの妻』、松本清張『ゼロの焦点』、碧野圭さんの新作『失業パラダイス』くらいなものです。
 碧野圭さん、ごめんなさい。『雪白の月』はおととし春頃読了し、『感想文を当ブログで…』と思っていたのですが、持ち味のストーリー展開も小気味よく感動的だったものの、テーマはアラフォー女性の恋愛、元々「恋愛小説」が苦手な私は『さて、どうまとめようか?』と思案しているうちに、時期を逃してしまいました。『失業パラダイス』は今読み進めているところです。新ジャンルを開かれましたね。非常に面白いです。読了次第、今度こそ当ブログで紹介させていただきます。

 話を戻しますが。この一文の中に、タイトルの「小説には力がある」について、「なぜそうなのか?」は触れられていません。あるいは太田靖久という作家の、芯に持っているポリシーなのかもしれません。しかしこれは興味あるテーマです。いずれ『小説には力があるか?』というような論考を加えてみたいと思います。
 それはそうとして、「本を読まなくなった」のは、明らかに老化の一兆候です。これではいけません。今後は小説でも何でも、なるべく多く「本」を読んでいきたいと思うきょうこの頃です。

 (大場光太郎・記)

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「問責」-次なるターゲットは与謝野大臣 !?

 -税制・社会保障改革の推進役としての起用も、菅改造内閣最大の障害に-

 14日発足した菅再改造内閣は、直後の各社世論調査の結果支持率は微増にとどまり、菅直人総理の政権浮揚の目論みは出足で大きくつまずくことになりました。
 来年度予算案を審議する通常国会を24日と間近に控え、改造内閣最大のサプライズとも目玉とも言われた、与謝野馨経済財政担当相が改造内閣最大の障害として浮上してきています。

 改造内閣の不安定な船出を見て、自民党など各野党が「対決姿勢」を鮮明に打ち出しているからです。その最大のターゲットとして与謝野大臣は、野党の集中砲火を浴びかねない状況なのです。国会冒頭から荒れた展開が予想されます。
 例えば山本一太自民党参院政審会長は15日朝の民放某番組で、「(与謝野氏は)前回の衆院選では自民党の公認で小選挙区で負け、比例で復活当選している方だ」と述べ、議員辞職して議席を自民党に戻すよう要求しています。
 
 与謝野氏の場合、問題は前回自民枠で議員を続けていることの道義的責任だけではありません。民主党政権をこれまでボロクソにコキ下ろしてきた前科が多すぎるのです。
 最も手っ取り早いのが、同氏が昨年1月に出版した自著のタイトルです。ズバリ『民主党が日本経済を破壊する』(文春新書)というものです。このタイトル通り民主党批判のオンパレードです。例えば、「子ども手当などと名前をつけてお金を配っても、親が子供のために消費に回す保証はどこにもない」「民主党のマニフェストは、選挙用の毛ばりのようなもの」とケチョンケチョンです。

 この他にも民主党のマニフェストについては、「ほとんど空想、だまし絵の世界」とも発言し、昨年4月の某紙インタビューでは「民主党ほど政治の決定過程が不透明な政党は、民主主義国家では珍しいですよ」と完全否定までしています。
 それなのに「何で民主党内閣の閣僚だよ?」と言わざるを得ない与謝野氏の政治姿勢に、党内外から「大臣病患者」「永田町のユダ」との異名が定着しつつあるといいます。

 ともかくこのような過去の民主党ボロクソ批判を、来るべき国会答弁でどう整合性を取っていくつもりなのでしょうか?野党の国対関係者は「攻撃材料には事欠かない」「与謝野さんも問責で追い込める」とニンマリだというのです。
 何しろ自民党や公明党など野党は、完全に「倒閣」に照準を合わせてきています。その格好のターゲットとして、与謝野大臣が火ダルマになるのは必至とみられるのです。

 「自民党など野党は、与謝野さんを裏切り者とみている。自民党や立ち上がれ日本からの離党の仕方をみて、身勝手すぎる、人の道に反すると、悪感情だけです。国会が始まれば、容赦なく、与謝野さんは一点集中で攻撃される。道義的なことに加え、過去の民主党批判発言の矛盾も次々と質問される。それこそ吊るし上げ状態も考えられるのです」(政治評論家・浅川博忠氏-1月18日付『日刊ゲンダイ』2面より)
 病み上がりで高齢(72歳)の与謝野氏が、古巣・自民党などの猛攻に果たして耐えられるのでしようか?いずれにせよ野党の攻撃は、本人が倒れるか、内閣が倒れるまで続くものと覚悟すべきです。

 こういう次第で、仙谷前官房長官、馬渕前国交相に続いて、与謝野経財相の参院問責決議は早や確定的とみられます。野党は江田五月法相の、参院議長時代の言動も問題視していますから、出すとしたら二人セットでの問責でしょう。
 しかしこれらの大臣の任命権者は菅総理です。全責任を負うべきは菅直人なのです。

 その菅総理は、最近テレビに映るご面相を拝見するに、時折り呆(ほう)けた表情が見られるのが気がかりです。多事多難のこの日本、舵取りは正気かつ最有能な人にも難しいのに、痴呆症気味の総理大臣では本当に困ります。
 “鬱”から“躁”への極端なアップダウンといい、「石にかじりついてでも」発言といい。痴呆症が進行中で、正確な状況判断が出来なくなっていると考えれば合点(がてん)がいきます。
 
 ハイテンション中菅総理は側近に、「オレは3年どころか、10年くらいは政権を担当出来そうだぞ」と放言したといいます。これぞまさに「おいおい、気は確かかよ?」の世界ではないでしょうか?こんな“恍惚の人”には、危なくて国事を任せるわけにはいきません。
 かかる「異常」な人物を総理の座から一刻も早く引きずり下ろすのが、唯一国益に適う道です。この際野党は、与謝野、江田両大臣のセットではなく、菅総理を加えたトリオの問責決議案を通常国会の出来るだけ早い時期に提出するべきです。

 (大場光太郎・記)

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寒中お見舞い

   夕冴へて紫の富士孤なりけり   (拙句)

 寒中お見舞い申し上げます。

 私の体感でも本日16日は、この冬一番の寒さだと実感しました。午後から外出しましたが、真っ先に感じたのが風の冷たさです。晴れてはいるものの明らかに強い北風で、心持ちかがんで歩く我が身に容赦なく吹きつけてくるのです。
 きょうはおそらく、風がなくても十分寒い日だったことでしょう。その上強風ですから、余計寒さが倍増して感じられるというものです。

 きっとこんな日はバリバリ強力な西高東低の冬型の気圧配置で、最近は新聞気象欄を見る機会がありませんが、気圧配置図では列島に気圧の線が何本もの縦線でびっしり立て込んでいることでしょう。
 なるほどニュースによりますと日本列島は16日、上空5000メートルに氷点下42度というこの冬一番の寒気が流れ込み、東北、北陸、山陰地方など日本海側を中心に雪が強く降っているとのことです。
 この日24時間に降った雪の量として、新潟の能生で60センチ、岐阜の(合掌造り集落で世界遺産に登録された)白川郷で55センチ、広島・高野、新潟・高田で53センチなどと、1日で50センチを超える大雪となっているといいます。

 気象庁は、東北や日本海側を中心に17日にかけ、大雪や暴風、高波が続くとしてさらに警戒を呼びかけています。
 積雪は既に青森県の酸ヶ湯温泉で3メートルを超え、山形、新潟、鳥取各県では2メートルを超えた所があるそうです。これだけなら「豪雪地帯だから」で済まされそうですが、私など関東に住む者からすれば十分「南の地方」であるはずの広島県北広島町(ただし島根県境の町)で、何と16日午後3時現在で192センチと観測史上最深となっているというのです。この他奄美大島でも、山岳に冠雪が見られたそうです。
 
 まさに「冬帝」の勢力が超強力となり、各地に冬将軍を遣わして、さらに冬将軍の指令を受けた無数の寒兵たちが、列島隈なく襲いかかってきているといった按配です。

 そういえば今は、日本の慣習である二十四節気の小寒(1月5日)から大寒(1月20日)までの、まさに「寒中」なのでした。
 現在では「寒中見舞い」として、豪雪地帯や寒冷地での相手を気遣い手紙などを出すことがあります。また年賀状の返答や喪中のため年賀状が出せない場合の代用としても用いられます。
 今では『そんなこともあったかなあ』という遠い記憶ながら、1989年には、前年昭和天皇の病状悪化(同年1月7日崩御)による「自粛ムード」で年賀状が手控えられたため、官製の寒中見舞いはがきが発売されたようです。

 昨年夏は各地で「気象観測始まって以来」の記録的な猛暑でした。であるならば、冬もそのまま暖冬であってしかるべきはずです。しかしいざ冬を迎えてみれば予想外の厳冬です。
 この日本列島、夏はまるで熱帯、冬はうって変わって寒帯のよう。四季を通して温順な気候を示すはずの温帯に位置する我が国で、かくも極端な気候変動を経験しようとは。
 
 この日本のみならず、極端な気候変動現象は世界規模で起きています。『地球はこの先どうなってしまうんだ?』という世界市民の不安解消装置のように、頃合を見て「CОP○○」なる国際会議が開催されます。
 「これ以上の気候変動をストップしよう」「生物多様性を理解しよう」など、スローガンはご立派ながら。しかし実のところ、そこでは先進国と開発途上国のエゴの調整に多くの時間が費やされ、実効性ある解決策はことごとく先送りです。
 その間にも、年間何万種もの生物種が地上から姿を消し、ちょうどブラジルで今大洪水が起きているように大被害はまったなしです。

 冒頭の句はもう10余年も前に作った句です。ちょうど今時分、平塚市西部を流れる金目川(かなめがわ)道路沿いの会社に伺った帰りのこと。
 その道路を、東海大学湘南キャンパスに向かう方向に車を走らせます。その途中を右折して小田原厚木道路(同側道)で帰るためです。少し走っていますと、真正面に富士山が仰ぎ見られました。「冴える」「冴ゆる」は冬の季語ですが、その日もまさに大気がピーンと冴え返るような寒い日でした。雲一つない西空に、富士山が日没の紫色のシルエットとなってくっきりと眺められたのです。
 そのさまは比類なき孤高の姿であるように思われ、心打たれて、道々練りながら作り上げた句です。

 (大場光太郎・記)

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改造しても“危険水域”

 -菅総理は「強力な体制」と言うが、緊急調査では「危険水域」すれすれだぞ-

 菅再改造内閣の発足を受けて、各報道機関は14日、15日の両日緊急世論調査を実施しています。その結果、各社(順不同)の内閣支持率、同不支持率は以下のとおりです。なお()内の数字は、前回12月調査の数字です。

               内閣支持率(%)    同不支持率(%)
 読売新聞          34(25)         55(65)
 毎日新聞          29(24)         49(56)
 日本経済新聞       31(26)          不明         

 この調査結果から見えてくるのは、上昇したとはいえ微増で、菅直人総理が「日本の改革のために最強の体制に」と意気込んだ今回の改造内閣は、国民からあまり評価されていない実情が浮き彫りになったことです。
 これは、小泉内閣以降では08年9月の福田改造内閣の41%(読売調査)を下回る最低の数字だそうです。このように政権浮揚の目論みはまんまと外れ、菅政権の前途が多難であることが予測されるだけの厳しい結果となったのです。

 昨年末菅・岡田執行部は、臨時国会閉幕とともに「小沢元代表は政倫審出席を」と連日のように連呼し続けました。これは代表選後の内閣改造時の、60%台半ばの「V字回復よ、もう一度」とばかりの政権浮揚狙いでしたが、やはり柳の下に二匹目のドジョウはいなかったということです。
 むしろ菅総理以下の一連の狂気の言動に、国民はほとほと嫌気がさしていることの表れとみるべきです。

 それが証拠に、三社のうち一番高い支持率を出した読売新聞でさえ、「新内閣で今後実績を上げられると思うか?」の問いに、70%もの人が「そうは思わない」と答えています。この数字は、多くの国民が菅政権に失望し、今後どんな“目くらまし”の手を打とうと一切信用しないということを物語っているといえます。
 それはそうでしょう。菅政権の経済無策による、一向に上向かない国内景気。中国漁船衝突事件、ロシア大統領の北方領土訪問、北朝鮮の砲撃事件などの度重なる不手際…。国内、外交両面での失政の原因は、すべて菅政権自体さらに言えば菅直人本人にあるのに、今さら小沢一郎の「政治とカネ」問題に責任転嫁するなよ、ととうに見破っているのです。

 個別の回答でも例えば毎日新聞では、経済財政担当相に与謝野馨を起用したことについては、「評価する…37」「評価しない…55」、枝野幸男の官房長官起用については、「評価する…44」「評価しない…46」と、今回の目玉人事についても評価せずが評価するを上回っています。
 そんな中「評価する…53」「評価しない…39」と「評価する」が上回っているのが、仙谷由人前官房長官の交代で、“オレ様”仙谷は国民からも嫌われ者だった実態が浮かび上がってきます。

 さらに民主党政権にとって厳しい指標となるのが政党支持率です。例えば日本経済新聞では、「民主…25」に対して「自民…28」と、各社調査とも政権交代以後はじめて自民党が与党・民主党を抜いています。国民が一度は見放したゾンビ政党にまで、遂に追い抜かれてしまったのです。
 いつあってもおかしくない解散・総選挙。この先も上がり目の見込めない菅民主党は、総選挙まで「連戦連敗」の不名誉な大記録樹立は確実な情勢のようです。

 (大場光太郎・記)

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「こんなヒドイの初めてだ」内閣

 -それにしてもヒドイ人事だ。「最強の体制」-自画自賛の裏に何がある?-

 このたびの菅再改造内閣には、「何もコメントなし」(石原慎太郎東京都知事)「民主党には人材はいないんですか?人材不足、たらい回し内閣としか言いようがない」(大島理森自民党副総裁)「とっくに用済みの人たちを引っ張り出してきた“廃材内閣”だ」(渡辺善美みんなの党代表)などと、厳しい声が相次いでいます。
 私もこれらの声に同感で、ことさら感想や意見など述べたくもない心境です。でもそれでは本記事はここでお終いになってしまいますので、何とか気力をふり絞っていつもの分量に近づけるよう努力したいと思います。

 菅直人総理は13日の党大会で、「日本の改革を推し進める最強の体制にしたい」と、これ以上の表現がないくらい自画自賛していました。また改造後の記者会見では、「後は有言実行あるのみ」と勇ましい発言もしています。
 しかし総理就任後7ヵ月の言動を思い出してみるに、口で言っていることと実際に行うことのギャップが甚だしい、つまり「有言不実行」が菅直人という男の一特質です。いくら新年を迎えたからといって、180度方向転換して、国民のためになる政策を実行できるものでしょうか?私は菅直人の巧言令色をまったく信用していません。

 実際の改造人事を見て『やっぱりね』と思ってしまいました。昨年暮れから折に触れて鉛筆なめなめ人事構想を練ってきたのだろうに。イザふたを開けてみると、何ら代わり映えのしないメンツばかりです。
 何せ11閣僚が留任、2閣僚はポストの横滑り。全閣僚のうちの3/4以上が前と同じメンツ、新メンツはたったの4人だけなのです。何の新鮮味もなく、大島氏から「たらい回し内閣」と言われても反論できないことでしょう。
 これ一つ取っても、「やるやる詐欺」に引っかかったような嫌な気分です。

 その中の最大の目玉は、たちあがれ日本を離党させて、閣内に引張り込んだ与謝野馨経財相なのだそうです。菅総理が「政治生命を賭ける」と空手形を切った、税制・社会保障改革の推進役を期待してのことだそうです。
 自民党の谷垣禎一総裁は、自分にイチャモンつけて離党した者を閣僚に取り込んだことに、「与謝野氏をわが党との調整役にとお考えなら筋違いだ」と不快感をあらわにしていますし、公明党の山口那津男代表も「自民党を除名された人は潤滑油にはならない」と断言しています。

 党内からも、「与謝野氏は市場原理万能、財政再建至上主義の自民党の経済政策司令塔である。すでにそうなっているとも言えるが、このまま大増税路線を進むようなら完全にマニフェスト違反」(森ゆうこ参院議員ツイッター)というような、執行部への怒りの声が挙がっています。 
 それに与謝野氏は政策通らしいのですが、就任会見時の発言の弱々しいこと。同氏は近年大病を患いましたが、通常国会中仏倒(ぶったお)れることはないのでしょうか?当人も「最後の花道」のつもりの離党、入閣のようですが、本会議中“お陀仏”なんてことだけは勘弁してくださいよ。

 もう一つの注目人事は、問責を出された仙谷由人に代わる枝野幸男の官房長官就任だそうです。枝野の調整能力には疑問符がつく上、昨夏惨敗した参院選の時の幹事長として、一番の責任者であった人物です。この就任には小沢グループなどから、「参院選惨敗などの責任を誰も取らない。逆にどんどん出世している」というような反発の声が挙がるのも当然です。
 少し前『官房長官人事で大迷走』で触れましたように、枝野は仙谷の一の子分です。もう一度言いますが、46歳の枝野が「背後霊」仙谷由人のパペツト(操り人形)官房長官になる可能性大有りです。

 与謝野経財相、藤井裕久官房副長官などは、消費税増税のためのシフトだと見られています。また海江田万里の経産相横滑りは、菅総理が前のめりなТPP(環太平洋経済連携協定)推進シフトだとみられています。
 いずれも、政権交代時のマニフェストと真逆のことをやろうとしているわけです。これだけ当初の民主党公約と違う政策を実行するからには、解散・総選挙でもう一度国民に信を問うべきです。

 特にТPPは、自由化により経済界は大喜びでしょうが、外国農産物が安価でどっと入り込み、国内農業や地域社会の崩壊を招きかねず今後とも慎重論議が求められます。のみならずある人は、「これは遺伝子組み換え食品をどんどん与え、日本人の遺伝子を破壊するための米国“闇”勢力の陰謀だ」とまで言い切っています。
 米国に魂を売った菅直人は、こんな危険なТPPをも「強力に推進」しようとしているのです。ことは国民一人一人の生存に直結するかもしれない大問題です。十分すぎる警戒,、いなストップが必要です。

 結局のところ菅総理が「強力に推進」しようとしているのは、ろくでもない「亡国政策」だけなのです。鳩山前政権の時は、消費税増税の前に「霞ヶ関改革」がまずあり、ТPPや普天間問題の前提として「日米対等」がまずあったはずです。
 なのに官僚依存、大企業優遇、対米隷属…。つまり菅政権は、09年の政権交代時の国民との約束をことごとく反故(ほご)にしようとしているのです。
 こんな政権をダラダラ続かせていたら、この国は「失われた30年」どころか、米国の植民地または亡国まっしぐらです。一刻も早く終わらせるよう、国民もいよいよ腹をくくるべきです。

 (大場光太郎・記) 

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小沢氏「菅首相ひどい、もう持たない」

 -内閣改造などではなく、菅首相自ら辞するのが最も国益に適う道だ-

 菅直人政権にとって今年最初の関門とみられていた民主党大会が、13日午後千葉市幕張メッセで行われました。菅総理はまともに取り上げる気にもならない美辞麗句を一方的に並べ立て、「質問や反論は一切受けつけない」という卑劣な戦術で辛くも乗り越えたようです。
 前12日の両院議員総会での“ガス抜き”の手法といい、内政・外交という肝心の政策面ではことごとく落第点ながら、こと「政権維持」に関しては老獪な菅・岡田執行部の思惑通りの展開です。

 13日午前中は全国幹事長会議も行われました。それにしても統一地方選に向けて相当の危機感を抱いているという、各地方代表から、菅総理以下の責任を厳しく追及する声が挙がらなかったのが不思議です。
 実際12日上京してきた某県連幹事長は、「地方の実情は中央(菅政権)が考えているようなものではないですよ」と、向けられたマイクに答えていました。これはおそらく一県のみならず、全国各県どこもそういう状況でしょう。

 統一地方選候補者の中には、配ったリーフレットを目の前で破り捨てられた、唾を吐きかけられたといった強烈な逆風に遭っているといいます。「民主党公認を取り消したい」という候補者も少なからずいるようです。
 また菅直人ポスターがとにかく不人気で、各地で「菅ポスター隠し」で対応しているようです。
 これは何も統一地方選候補者のみならず、現職の国会議員も同じらしく、地元での演説中に有権者から「この裏切り者 !」と罵られるなど、「地元に帰るのが恐い」と漏らす議員もいるほどです。

 もしこのまま菅政権で統一地方選に突っ込めば、昨夏の参院選以上の大惨敗は必至でしょう。しかしここで「菅降ろし」をしても、民主党にとっての切り札の小沢一郎元代表は起訴寸前の身で身動きが取れず、したがって「ポスト菅」への展望が見えてこないし。それに昨秋の代表選では、菅・仙谷らとマスコミ合作の“イカサマ”選挙戦術に乗せられて、地方として菅直人を圧倒的に支持した負い目もあるし。
 ここはまだ少し間があることだし「詐欺師・菅直人の詭弁」であっても、とにかく一縷の望みを託してみようということなのかもしれません。

 しかし今さら菅“泥船”政権に期待などしても無駄ですよ。何せ国民が民主党政権に失望しているのは、小沢元代表の「政治とカネ」問題などではないのです。ずばり菅総理のリーダーシップのなさ、その政権の下での、政権交代時の「09マニフェスト」からの後退につぐ後退にこそ失望しているからです。
 それを示す格好の出来事がありました。新春5日菅総理が出演したテレビ朝日の『報道ステーション』が、「6・9%」という驚異的な“低”視聴率を記録したのです。菅出演までの前4週の平均が14・7%ですから、その半分以下という体たらくです。

 他のテレビ局にさきがけての菅総理出演とあって「してやったり」のテレ朝も、この数字には真っ青。正月気分などいっぺんに吹き飛んでしまったのだそうです。
 これは他局にも衝撃を与え、報道などの現場では極力「菅を映すな」という指令が出ているといいます。しかしどうもそれ以前から、ワイドショーはもちろんニュースでも菅総理の顔が出ると視聴者がチャンネルを変えるので視聴率がガクンと下がる傾向はあったようです。
 ちなみに政敵の小沢元代表を取り上げると、視聴率が逆にピピッと上がるのだそうです。

 その小沢元代表は、12日の両院議員総会に出席しました。「同総会の生の雰囲気を実感したかったから」というのがその理由のようです。総会中じっと瞑目していました。
 小沢氏はその夜、都内の料理店で側近議員数名と会談した際、「菅首相はひどい。もう長くは持たないだろう。政局になるぞ」とハッパをかけたということです。
 小沢一郎は、菅直人などと違って出来もしない無責任なことをベラベラしゃべったりはしません。しかし言うべき時は、ズバッと物事の核心を衝いたことを言います。
 今回の「菅首相はもう持たない」発言もそうです。政治の流れを読むことにかけては天才的と評される小沢元代表のこと、その発言に至る何らかの確かな裏づけがあってのことでしょう。

 菅内閣の主要閣僚で、アメリカ様の覚え事のほかめでたく、次期総理候補とも目されているのが前原誠司外相です。その前原でさえ、4日の年頭会見で「小沢問題が民主党のすべてなのか」と切り出し、「(小沢問題を)卒業することが、危機的な日本の置かれている状況において大事だ」と、“小沢切り”で突っ走る菅総理、仙谷官房長官らと距離をおく発言をしています。
 誰に取り入るのが最善かの嗅覚が鋭い前原のこと。いよいよ「俺の出番」が近づいてきて、今や“落ち目の三度笠”状態の菅・仙谷と心中するよりは、大人数の小沢グループとの接近を図った方が得策と読んだのに違いありません。菅総理主催の元旦の「公邸開き」にも、前原は姿を見せませんでした。

 こうして身内の主要閣僚からも、所属国会議員からも、地方党員からも、そして何より国民からもどんどん見放されていっている今、菅総理の唯一の熱心な支持者は伸子“デシャバリ”夫人くらいなものでしょう。
 自分が総理大臣を辞めることが「最大の国益」と分からない菅総理。党大会に至る一連の発言では、無責任な言いっ放しの大風呂敷を広げまくっています。ただ総理のイスにしがみつきたいだけの、浅ましい妄執から出ている言葉です。まともに聞くだけ損というものです。

 このまま行くと、野党時代の実績がすべてパーになるような、野垂れ死の運命が待ち構えていることを覚悟すべきです。

 (大場光太郎・記)

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「社内不倫」社員-懲戒免職にできるか?

 -職場という聖域で妖しく燃え上がる情炎。でも危ない火遊びはほどほどに-

 今回は、ネット版『PRESIDENT(プレジデントロイター)』の「解決 ! 法律塾」コーナーで見つけた興味深い話題を取り上げます。これは『プレジデント』2011年2月号の「社内不倫している社員を懲戒処分にできるか」記事の転載かダイジェストであるようです。

 当今とみに拍車がかかる“性の自由化”のもと、妻子ある男性社員が女子社員と深い男女の仲になるというような「社内不倫」が、どの会社にも一つや二つ転がっているということです。不倫している当事者は“二人だけの秘密”のつもりが、実は周囲は気づいており、苦情が上がるケースもあるといいます。
 「不倫」は言わずとしれた配偶者に対する不法行為であり、社会的に批判されても仕方ない行為です。そのような法律的、倫理的な問題はさておくとして、不倫バレバレ同士の周りの社員は仕事がやりづらく、会社としても迷惑千万です。果たして「不倫」を理由に、社員を懲戒解雇できるものなのでしょうか。
 労務問題に詳しい横張清威弁護士は次のように解説しています。

 「不倫であろうとなかろうと、恋愛は原則的に私生活上の行為であり、会社の業務と直接の関係がありません。不倫によって職場に気まずい空気が漂っていたとしても、それだけで懲戒処分を下すのは無理。企業秩序が乱れ、企業運営に具体的な支障があった場合に限って、不倫は懲戒の理由になるという判例があります(繁機工設事件・旭川地裁、1989年12月27日)」

 しかし過去には不倫による懲戒解雇が認められたケースもあります。観光バスの妻子ある運転手がバスガイドの女性と交際して妊娠させた事案では、業務の正常な運営を阻害したとして運転手の解雇を有効としました(長野電鉄事件・長野地裁、70年3月24日)。
 それでは一体どの程度の悪影響があれば、懲戒解雇は認められるのでしょうか?その線引きを示すことはけっこう難しいようです。

 「懲戒解雇の有効性は、さまざまな要素を総合的に考慮して判断されます。例えば2人とも社員なのか、片方は社外の人なのか。上司と部下の不倫で、情実人事はあったのか。職務に専念すべき勤務時間中にデートをしていなかったか。さらに業種も無関係ではなく、学校や警察など高いモラルが求められる職場で業務に支障が出るかどうかも判断要素の一つになります。懲戒処分の中でも解雇はとくにハードルが高く、こうした要素が積み重なって一定限度を超えた場合でなければ難しい」(横張氏)

 たとえ懲戒解雇が困難でも、企業にとって不倫は無視できないリスク要因です。不倫が新たなトラブルを誘発することがあるからです。不倫相手の夫や妻が会社に怒鳴り込んできたり、刃傷沙汰に発展するのはけっして珍しい話ではないようです。またフラれた社員が関係継続を迫ってストーカー化したり、腹いせに不倫相手をセクハラで訴訟提起するケースも十分に考えられます。
 このように別のトラブルに発展すれば、企業の社会的信用力は著しく低下します。具体的にトラブルになる前に、会社として対処できることはないのでしょうか。

 「まずは口頭注意が妥当です。それでも関係が続くなら、配置転換で片方の社員を異動させてもいい。業務上の必要性があれば、人事異動に本人の合意は原則として必要ありません。トラブルになっていない段階で取れる対策はこの程度ですが、警告の効果は十分にある」(同上)
 あとは業務への影響の度合いを見て対処していくことになりますが、前述のように不倫を理由にした懲戒解雇は容易ではありません。

 「懲戒にも段階があり、解雇の前に、譴責(始末書)、減給、出勤停止、降格といった処分が可能です。たしかにいきなりの解雇は困難ですが、段階的に処分を科せば解雇も認められやすい。もっとも、解雇は最終的な手段。何かトラブルが生じたときは、軽いレベルの懲戒処分にしたうえで退職を説得することが現実的です。どちらにしても不倫でトラブルを起こせば会社に居づらくなるもの。私の知るかぎりでは、9割以上の人が自分から退職しています」(同上)

 当事者は火遊びのつもりでも、問題を起こせば、「プライベートだから」では済まなくなります。会社はもとより、自分や相手の配偶者、家族をも巻き込み、大きく傷つけることにもなります。
 「不倫トラブルは別れ際に起こりやすいことを考えれば、最初から大人しくしておいたほうが身のためだ」とは、引用した『プレジデントロイター』記者の結びの言葉です。「社内不倫は密の味」とはいえ、身に覚えのある方はくれぐれもご用心のほど。
 
 (大場光太郎・記)

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「タイガーマスク」当市施設にも !

 -殺伐とした世に。タイガーマスクからの暖かい贈り物、当市施設にも届いた-

 新年早々時の話題となっているのが「タイガーマスク運動」です。昨年クリスマスの12月25日、群馬県前橋市内の児童施設に「タイガーマスク 伊達直人」を名乗る人物から、ランドセルのクリスマスプレゼントが届いたのです。
 それを皮切りに年明けすぐの元旦には、小田原市内の児童施設にまたもランドセルが届けられました。

 これだけなら、世間一般より厳しい環境に身を置く児童たちへの、タイガーマスクの主人公「伊達直人」からの、ささやかながらも心憎いクリスマスプレゼント、お年玉で終わったはずです。
 ところが児童福祉施設へのランドセルなどのプレゼントは、この2施設にとどまらず、七草の7日あたりから日を追って急増し、それも北は岩手県花巻市から南は沖縄県にまでと全国各地に及び、10日現在でその数16件にも及んでいます。

 私として特筆すべきは、平成今時の大義人・タイガーマスクさんは、私が居住する厚木市内の児童福祉施設にまで届けてくださったことです。
 それは9日のことでした。厚木児童相談所の玄関先の駐車場に、玩具と手紙の入った赤い袋2つが置かれているのを、同日午前8時20分頃出勤してきた女子職員が発見しました。
 
 厚木児童相談所は、国道246号沿いの神奈川県警厚木署と神奈川県総合行政センターのすぐ裏手にあります。何かの記事にも書いたことがありますが、業務上そのどちらにも特に県行政センターには頻繁に行きますから、児童相談所もよく知っています。
 そんな表向きのことより、同相談所は亡母の記憶に結びついた懐かしい場所でもあるのです。というのは、私が20代後半から30代前半の頃、出来損ないの息子が頼りなく、母が数年間同相談所で清掃の仕事をしていたからです。その関係で私は何度か、母を訪ねて同相談所の中に入ったことがあります。
 今でもその頃の記憶が鮮明で、『お袋には苦労のかけどうしで、何もしてやれなかったなあ』と、同建物を仰いでそんなことを思いながら帰って来る次第です。

 その頃母から、同相談所内の子供たちの悲しい事情を聞かされたこともありました。
 今回そのような施設の子供たちの特殊事情を十分に考慮された、タイガーマスクを名乗るどなたかがやむにやまれず、ランドセルや玩具などのプレゼントを置いていく「大運動」を展開されているわけです。
 ちなみに厚木児童相談所の場合、「ランドセルでなくてごめんなさい。伊達直人」などと書かれた手紙と、プラモデルやぬいぐるみなど新品と見られる玩具計22個が入っていたといいます。同相談所の職員は、「ニュースを見て思い立ったと思われる。寄贈者の意思を尊重し、児童養護施設や併設の一時保護所への配布を検討する」と話しています。

 これまで「タイガーマスク」は名前だけしか知りませんでした。何でもタイガーマスクは、1968年から少年マンガ雑誌に連載された、プロレスマンガ及びアニメ作品の主人公のようです。原作者は『巨人の星』『あしたのジョー』でおなじみの梶原一騎です。
 覆面プロスラー・タイガーマスクの本名が伊達直人で、孤児院「ちびっこハウス」出身という設定です。そして原作でもタイガーマスクは、子供時代お世話になったちびっこハウスに、名を名乗らず毎年必ずプレゼントを届けていたというのです。

 1968年は昭和43年、私が高校を卒業して当地にやってきた年に当たります。ちょうど私らの世代前後が、『タイガーマスク』愛読世代と重なるわけです。ですから今回の「タイガーマスク 伊達直人」さんも、その年代の人なのでは?と見られています。
 静岡市で8日、ランドセル購入のためカバン店に“タイガーマスクさん”と見られる男性が出現したそうです。男性は名前を名乗らず(通常物を買うのにいちいち名前を名乗る必要はありません)「東京からきた」と言い「静岡の児童養護施設を調べてほしい」と対応した店長に頼みながら、現金23万円余りでランドセル3個を購入したそうです。

 『あヽタイガーマスクだな』と店長は直感したそうですが、顔はマスクならぬマフラーで全体を隠し、目だけが見えていたそうです。年の頃はやはり60歳前後、やさしそうな目をした人だったといいます。店長は「ごく普通の人なんですけれども、なんか暖ったか味は感じましたね」とも語っています。
 すべてこの人が配って歩いているのでしょうか?ある手紙には「タイガーマスクは全国にいるんです」と書いてあったともいいます。だとすると、全国的な「タイガーマスク・ネットワーク」が存在し、複数の人が関わっているのかもしません。なおどうでもいいことながら私は、『するとランドセル1個あたり8万円弱?高けーぇ !』と思ってしまいました。

 ちょいと、そこの「直人」さんよ。知らんぷりすんじゃねえよ。菅さん、アンタだよ。
 新入生児童の家庭に、そんなに負担させていいのかい。ランドセルから何からそろえりゃ、10万、20万すぐいくじゃないの。「最小不幸社会」とは、総理就任時ただ1回聞いたきりだが、流通システムを根本改革して児童用品をぐっと安くする、無理なら国や自治体が半額くらい負担してやる、そういうことを考えるのがアンタら国のトップの仕事だろ。
 そんなこと言っても、言うだけ無駄か?

 こうなったら、全国の心ある裕福な方々、大勢「タイガーマスク・ネットワーク」に加わって、不公平のないように全国すべての児童福祉施設、母子家庭、困窮家庭にランドセルを配ってください。
 私も今後「お金持ち」を目指すことにしていますから、その暁には、何らかの形で世の中に還元することをお誓い致します。

 (大場光太郎・記)

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官房長官人事で大迷走

 -仙谷がぺんぺん草も生えないほど荒らした後だぞ。誰が好き好んで…-

 躁鬱症の菅直人総理、臨時国会中は周囲が心配するほど落ち込んだ“鬱”状態。それが現金なもので、同国会が閉幕するや一転して、誰もが唖然とするほどハイテンションの“躁”状態が続いています。
 その延長線上で「内閣改造」のアドバルーンをぶち上げたはいいけれど。内閣改造の主眼である肝心の官房長官を誰にするのかが決まらず、右往左往の迷走ぶりです。

 それに更迭される立場の仙谷由人現官房長官が、今なお同職に未練たらたらです。「官僚も閣内もオレを通さないと何事も進まないんだよ」と、“陰の総理”としてオレ様ぶりを遺憾なく発揮できた権力ポジションを失いたくないからなのか。
 あるいはこれまで仙谷の裁量で秘密裏に使ってきた、官房機密費の使途に大いに不明瞭なところがあり、後で後任の者に徹底調査されることを恐れているからなのか。何せ自分自身が、小沢一郎が幹事長時代の党費の使途を、枝野幸男や小宮山洋子などの子分に洗い出させた経歴があるわけですから、「因果は巡る」を恐れていることも考えられます。

 野党が突きつけた問責決議という強力なレットカードにも、身内の長老・西岡武夫参院議長の辞任勧告にものらりくらり。とにかく菅直人とともに「異常なところがある」仙谷は、そんなことをまったく意に介さず官房長官を続けています。
 仙谷の言い草がまた振るっているではないですか。「衆院の内閣不信任案と違って、参院の問責決議案には法的拘束力はない。したがってそれを出されても辞める必要はない」という、“悪徳弁護士”時代の捻じ曲がった法律論を持ち出しているのです。これは「参議院は不要だ」と言っているに等しい暴論です。

 ふざけんなよ、仙谷由人。野党時代の民主党は、同じく衆参ねじれに苦しむ自公政権末期、参院問責決議案を伝家の宝刀のごとく抜いてきただろうが。今になって、「あの時のおら方の党のやり方は間違いだった。今オレ様が言っていることの方が正しい」と言い張るつもりか。バカも休み休み言えよ。
 だったら貴様の「正しい法律論」とやらを、自己弁護のためではなく、小沢元代表の“世紀の冤罪”を晴らすために、検察や検察審査会の謀略性を満天下に力説するべきだ。

 そんな仙谷由人も、5日夜の総理、幹事長との3者会談で岡田克也幹事長から引導を渡されて、「辞任やむなし」をしぶしぶ受け入れたようです。その時はじめて自分の置かれている立場が分かって、以来すっかりしょげ気味だというのです。
 事態急変、汐が一度に引くように。「最近は電話もあまりかかってこなくなったよ」と、自嘲気味に話しているそうです。「ざまあ見ろ」ではないでしょうか。代表選後小沢元代表が蹴ったようにしょせん“一丁上がり”ポストとはいえ、「代表代行」ポストを与えられるだけでもありがたいと感謝すべきです。

 そこで仙谷の後釜探しですが、意外にも難航しているようです。当初は前原誠司、玄葉光一郎、江田五月らの名前が取りざたされていました。しかし「クリントン米国務長官命」の前原は、本人のたっての希望か外相留任が早々と決まっています。
 玄葉政調会長兼国家戦略相は、良いとこ取りで汚れ役は務まらないとの党内の評価です。また江田最高顧問は、参院議長を務めた人物が官房長官に就任することに難色を示す党幹部もいるようです。一長一短といったところです。

 菅総理としては、今回の内閣改造は官房長官差し替えが本筋であるわけですから、まずこれを早く確定して他の閣僚人事の駒を決めたいところだったことでしょう。その後川端達夫前文科相、枝野幸男幹事長代理なども候補に上りました。いずも“帯に短したすきに長し”です。
 特に「脱小沢」路線を貫くポーズとして、政権内で枝野就任支持は根強くあるようです。しかし枝野は「子供幹事長」で底が割れています。もし枝野に決まれば、背後霊の仙谷由人頼みの「子供官房長官」、菅内閣の短命化を促進するだけでしょう。
 それもあってか9日午後菅総理は、野田佳彦財務相と会談し官房長官就任を打診したもようです。しかしすんなり野田氏就任受諾ということでもないようです。

 『このまま官房長官になり手がなかったらどうしよう。まさか仙谷留任などとなったら野党や西岡氏などからは猛反発必至だし。国民からはいい物笑いだし…』。
 「吊し上げの党大会」「恐怖の通常国会」も間近に控えていることだし。そろそろ“躁”から“鬱”へ、菅総理のモードが切り替わる時期なのではないでしょうか。

 (大場光太郎・記)

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小沢氏来週にも「強制起訴」?

 -だとしたら、大荒れ必至の13日の党大会から国民の目をそらさせる謀略だ !-

 小沢一郎民主党元代表サイドが「通常国会冒頭の政倫審出席」と言っていることから、強制起訴はその後の今月末とみられていました。しかしここにきて、起訴が早まる可能性が高くなってきたということです。

 検察官役の指定弁護士は当初、政倫審での小沢元代表の説明を聞き、東京地検特捜部が作成した調書と照らし合わせた上で、改めて事情聴取するかどうか判断するとしていました。
 ところが一転検察官役の大室俊三弁護士は7日、「われわれの捜査は政治の影響を受けたくない」「不確定な要素に依存するのはよくない」と、取ってつけたようなことを言い出したのです。政倫審は無視するということです。

 つまり政倫審を待たずに事情聴取を要請し、小沢氏サイドが拒否すれば「即起訴」となる公算が大きいとみられるのです。
 ある事情通によりますと、「小沢氏サイドは、聴取の要請があっても拒否すると公言しています。起訴が決まる前と後では立場が違う。無罪を勝ち取る必要があるのだから、有罪にしようと手ぐすね引いている相手の要求をハネ返すのは当たり前。対する検察官役は、返事がノーなら、すぐに次の段階に手続きを進める構えです」ということです。

 そこで一部では、「小沢元代表は来週中にも強制起訴される」との見方が浮上しているのです。指定弁護士サイドの突然の方針転換に、永田町では「謀略」を疑う声まで上がっています。
 来週は13日に民主党大会が開かれます。菅執行部はその前日の12日に両院議員総会を開き、党所属の国会議員に不満を言わせて“ガス抜き”を図る算段です。それでも本チャンの13日は、4月に統一地方選を控え尻に火がついている地方の「反乱」が予想されます。

 これを受けて新聞・テレビも大騒ぎすれば、支持率はさらに低下し、「菅降ろし」が吹き荒れることにもなりかねません。しかし、そのタイミングで「小沢起訴」となれば、マスコミはこっちの方に飛びつくのは目に見えています。
 マスコミ報道は小沢一色となり、党大会のゴタゴタなどかき消されてしまいます。突き上げ確実な菅執行部としては、小沢起訴はまさに“渡りに船”であるわけです。

 「検察官役の弁護士が仙谷官房長官らと連携しているとは思えませんが、政権に恩を売ろうとするでしょう。最高のタイミングを見計らって、あうんの呼吸で強制起訴に踏み切り、その後の商売に生かしたいと考えるのが普通です。そんなメリットでもなければ、検察官役など割りにあいません」とは、ある法曹関係者の話です。

 もし「来週起訴」が事実になれば、司法当局と民社党現政権、現執行部との「怪しい連動」は2度目となります。1度目はまだ記憶に新しい9・14“イカサマ”代表選の当日、今回の強制起訴の元となる第五東京検察審査会の2度目の「起訴相当議決」がなされていたのでした。
 同検察審査会の2度目の議決に関しては、新しく審査補助員となる弁護士が選定されたのが1週間前の9月7日であるのに、週1回くらいしか審査しないのに1週間後の14日にスピード議決がなされたのはどうしてか、4月に1回目の議決を出した審査員が全員そのまま居残ったのではないのか、などなど暗黒疑惑のタネがつきません。

 そして今回の党大会に合わせたような強制起訴ともなれば。いくらなんでも、2度も偶然は重ならないでしょう。法曹関係氏は否定していますが、私にはすべての黒幕は仙谷由人だと思われてなりません。
 「殺小沢」に執念を燃やす仙谷由人や総理亡者の菅直人のこと。裏でどんな策謀をめぐらしているか、分かったものではありません。

 来週起訴は今のところ不確定情報です。ただ仮にそうなるとしたら、一番可能性が高いのは両院議員総会が開かれる12日(水)でしょうか?あるいは連休明けすぐの11日(火)でしょうか?来週の政局から目が離せないようです。

 (注記)本記事は、1月10日付『日刊ゲンダイ』3面を参考、引用してまとめました。

 (大場光太郎・記)

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「ビリー・ザ・キッド」恩赦ならず

 -大ファンというニューメキシコ州知事、死後130年後の恩赦認めない決定を-


ビリー・ザ・キッド 1880年(20歳)撮影

 古き良きアメリカの象徴の一つである“西部劇”映画ファンなら、「ビリー・ザ・キッド」という名前は先刻ご存知のことでしょう。ビリー・ザ・キッドはアメリカ西部開拓時代のアウトロー(無法者)ですが、米国民の間で人気が高く、これまで映画やテレビドラマ、歌や小説などで、西部劇中のヒーローとしてたびたび取り上げられてきました。

 そのビリー・ザ・キッドが射殺されてから130年後の恩赦を認めるかどうか、検討していたニューメキシコ州のビル・リチャードソン知事は、昨年12月31日CNNに出演し「恩赦を認めない決定」を発表しました。

 ビリー・ザ・キッド(Billy the kid)は、1859年(我が国では幕末動乱期。安政の大獄で吉田松陰ら処刑)ニューヨークに生まれ、辺境のニューメキシコ州で育ったと言われています。本名はヘンリー・マカッティとされていますが、偽名としてヘンリー・アントリム、ウィリアム・H・ボニーという名前でも知られています。
 このうちウィリアム・H・ボニーの名はサインに使われ、当時州知事だったウォレスに恩赦を求めて本人が書いた手紙が残っています。また墓碑銘にもこの名前が刻まれています。

 ビリー・ザ・キッドは南北戦争期でも特に知られたアウトローで、15歳の時の母の死とともに家を出て、17歳で最初の殺人を犯します。墓碑銘にあるように21人を殺害した(メキシカンやインディアンは含まない)とされていますが、実際は9人(自分一人で4人、他人の助けを得て5人)ではないかと言われています。
 アリゾナやテキサスさらにはメキシコ国境で牛泥棒や強盗や殺人を重ねました。ビリー・ザ・キッドの目は青く、同時代のアメリカ西部の無法者としては口が達者で、異様に親しみやすい性格の持ち主だったと伝えられています。

 リンカーン郡でイギリス移民ジョン・タンストールの売店の用心棒となりますが、商売敵との縄張り争いが拡大し、リンカーン郡戦争と呼ばれる騒動に発展、過失で4人を射殺し1880年12月に、友人でもあった保安官パット・ギャレットによって仲間とともに逮捕されました。
 1881年4月18日に刑務所を脱走し、このことがニューヨークタイムズ紙で報じられ、一躍有名になりました。同年7月14日、ニューメキシコ州フォートサムナーにてギャレット保安官に射殺されました。その時ビリーは丸腰で、寝室から食べ物を取りに部屋を出たところを闇討ちされたと言われています。享年21歳でした。

 死後130年も経た今日、なぜ恩赦の対象になっているのでしょう?当時のニューメキシコ州のウォレス知事が、ビリーが「殺人罪の裁判で証言すれば、引き換えに恩赦を与える」と約束していたとされることによるものです。
 ビリー・ザ・キッドの熱狂的なファンである現リチャードソン州知事は、130年前ウォレス氏が認めたとされる恩赦について、以前から調査を進めていたのだそうです。

 リチャードソン州知事は、「ウォレス氏が恩赦を与えたことは信じている」とした上で、なぜ同氏がこの約束を守らなかったのかについては歴史的事実として不明瞭だと指摘し、さらに前任者の決定を明確な根拠もなしに否定は出来ないとして、ビリー・ザ・キッドに恩赦を認めない決定を下したと述べました。

 それにしても死後130年も経って、再びビリー・ザ・キッドが脚光を浴びたかっこうです。我が国ではNHK大河ドラマ『龍馬伝』によって、昨年は空前の坂本龍馬ブームが起きたように、やはりアメリカ人にとってビリー・ザ・キッドは、永遠の「魅力あるヒール」ということなのでしょうか。
 冒頭の写真で見ても、ビリーは長身で“やさ男”風なハンサムボーイ。「殺し屋」然としたイメージではありません。その風貌とあいまって、「神々の愛(め)でにし者は夭折する」という西洋のことわざどおりの、21歳という若すぎる死。まさにうってつけの「夭折伝説」が、アメリカ国民を今なお惹きつけてやまないのかもしれません。

  Truth and HIstory.             真実と経歴。
  21 Men.                    21人を殺した。
  The Boy Bandit King            少年悪漢王
  He Died As Lived              彼は彼らしく生きて死んだ
  William H.Bonney“Billy the Kid”    ウィリアム・H・ボニー
                            『ビリー・ザ・キッド』
                                (『墓碑銘』より)

 (注記)本記事は、フリー百科事典『ウィキペディア』などを参考、引用してまとめました。
 
 (大場光太郎・記)

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西岡議長「菅・仙谷には国を任せられない」

 -身内の長老にこう言われれば即退陣だろう。でも鉄面皮共は居直るのか?-

 いやしくも自国のトップリーダーである者たちをあまり貶(おとし)めたくはありません。しかし菅直人総理や仙谷由人官房長官らのあまりの酷い政権運営には、つい「アンタら」「コイツら」呼ばわりもしたくなります。「コイツらはいつまでふざけたことやってんだよ」「もうアンタらのツラなんか見たくないんだよ。一刻も早く消えてくれよ」という具合です。

 菅直人、仙谷由人、岡田克也らは、国民のためにはこれっぽちにもならない、ただただ政権維持のためだけの画策を連日あれこれ続けているのです。特に菅総理らにとって今は、13日と迫った民主党大会を乗り切ることしか眼中にないようです。
 千葉市幕張で行われるという党大会では、昨夏の参院選の惨敗以後、北海道5区補選や全国主要地方選などで連戦連敗、「菅政権のままでは来る4月の統一地方選は戦えない」という地方からの猛烈な突き上げが予想されます。森喜朗元総理は、01年の自民党大会での猛烈な反乱によって総辞職せざるを得なかったくらいです。

 菅陣営は、その二の舞になることを何より恐れていて、そのため「党大会を何とか乗り切ること」が喫緊の大課題となっているのです。仙谷“田舎軍師”のサル知恵によるものなのか、党大会対策の一環として、その直前の12日に両院議員総会を開いて、その場で親小沢派議員らに存分に執行部批判をさせ“ガス抜き”をして、党大会での反発を和らげる狙いです。
 さらには、改造後「代表代行」という党要職にもぐり込むつもりらしい仙谷の腹案では、内閣改造は党大会直後に行う予定のようです。大臣や副大臣ポストをちらつかせることによって、多くの議員たちの憤懣を抑えられると踏んでいるのです。

 そんな箸にも棒にもかからない仙菅に対して、遂に身内の身内から「退陣要求」とも取れる痛烈な批判が飛び出しました。
 西岡武夫参院議長(74)が、8日発売の月刊誌『文芸春秋』2月号に、「菅・仙谷には国を任せられない」と題する論文を寄稿し、菅総理、仙谷官房長官の言動を酷評しているというのです。与党・民主党出身の参院議長が、現職の総理らを名指しで批判するなど前代未聞です。今後党内外に大きな反響を呼びそうです。

 西岡議長は同論文の中で、菅総理について「あまりにも思いつきで物を言うことが多すぎる」と強調しています。特に諫早湾干拓事業の潮受け堤防排水門の開門を命じた福岡高裁判決の上告断念を表明したことを挙げ、「まさにその悪しき例だ」と指摘しています。
 また「経済政策の哲学のなさは、まさに目を覆うばかり」として、「菅政権はそもそも国家に対する『哲学』すらないのではないか」「北朝鮮をめぐる危機対応のまずさも、まさに『国家観』のなさによるものだ」などと批判しています。
 同氏の指摘どおり、潮受け堤防排水門開門の件は、単なる人気取りのためのポプュリズムが見え見えです。さらに「国家に対する『哲学』がない」「『国家観』がない」は、菅政権の本質を衝いた鋭い指摘です。こんな政権を存続させることは、「国家」にとって百害あって一利なしというべきです。

 一方仙谷官房長官に関しては、昨年秋の臨時国会で失言が相次いだことを挙げ、「問責決議を受けたのは当然。それに対して『法的拘束力のなさ』を理由に平然としているのはいかがなものか」と暗に辞任を要求しています。
 さらに「信じがたい行動や答弁が随所に見られ、官房長官として不適格だ。議長として参院の権威を守る立場からも、断固として臨む。(内閣改造での)閣僚への横滑りは受け入れられない」と、仙谷はとにかく閣外に去るべきだと強調しているのです。
 同時に「小沢一郎氏の問題よりも、問責決議を受けながら知らぬ存ぜぬの仙谷官房長官の問題の方が大きい」との見解も示しています。

 「西岡武夫参院議長よ、よくぞここまで言ってくださいました」ではないでしょうか。繰り返しますが、西岡氏は菅政権の下で参院議長に選出され、9・14代表選では投票権がありながら棄権はしたものの、一貫して菅直人支持を表明していた人物です。
 そのため私は、西岡氏は渡部恒三や石井一や江田五月らと同じ、反小沢長老の一員と考えていました。しかし1976年(昭和51年)自民党を飛び出して、河野洋平らとともに新自由クラブを結成した気骨は健在だったようです。
 今回の西岡議長の論文は名だたる月刊誌に発表されたもの。老害・渡部恒三のように小沢元代表に面と向かっては言えず、卑怯なことにテレビの“虎の威”を借りた入歯モゴモゴの老醜発言とは、重みがまるで違います。

 「男の散り際の美学」を持ち合わせた通常の政治家なら、西岡議長の通告を真摯に受け止め、これ以上晩節を汚さぬよう総辞職の道を選ぶことでしょう。
 しかし菅直人も仙谷由人も、「異常なところのある」(小沢元代表談)人物です。「ハイ、分かりました」と素直に応じるタマとは到底思われません。国民の支持なく、西岡氏をはじめ党所属議員や地方議員、党員サポーターの支持もどんどん失いながら、「石にかじりついてでも」政権を維持しようと、今後もあれこれ策動していくことでしょう。

 もうこうなると、後味の悪さしか残らない「三流ホラー映画」を見続けさせられているような、何とも不快な気分です。

 (大場光太郎・記)

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朝鮮有事は起りえるか?

 -この問題一つ取ってみても、この先菅政権を続けさせては“アカン”でしょう-

 私が唯一愛読している新聞は、夕刊紙の『日刊ゲンダイ』です。その日刊ゲンダイ「新春特集号」で、「世界危機はいよいよ深刻化する」として、今年予測される国際的、国内的な難題について3面ぶち抜きで総力特集しています。
 その中でもトップに挙げられているのが、「金正日の死と北朝鮮崩壊、朝鮮有事、極東危機」です。2011年の世界危機は北朝鮮が導火線になるというのです。

 北朝鮮有事の一番の要因は、金正日(キム・ジョンイル)総書記(69)の死が迫っているからだそうです。北朝鮮情報に最も精通している中国共産党内では、「1年以内の死」が予測さているといいます。コリア国際研究所所長の朴斗鎮氏も、「やせ衰え、左足を引きずり、顔面のあざが拡大している。腎不全の典型的な症例で、再び脳卒中を起こせばアウト」と指摘しています。
 自身の不測の事態を見越してか、金正日は昨年三男の金正恩(キム・ジョンウン)を後継者に指名し、国内外にアピールしました。

 しかし金正日自身、権力を十分掌握するまで10余年かかっています。もし父の正日が急死した場合、28歳と若く指導者としての力量が未知数の正恩が、スンナリ国内政権を掌握できるのか大いに疑問が残ります。
 むしろこれまで続いてきた金王朝による独裁体制維持は不可能に近く、北朝鮮発の極東情勢は一気に緊迫するものと予測されるのです。

 真っ先に考えられるのは、金正恩の暴走です。上で見たように正恩は権力を完全には掌握しておらず、特に軍部内には敵対勢力があると見られています。
 「金正日が金日成(キム・イルソン)の死後、苛烈な粛清で政権の足場を固めたように、粛清や周辺地域を巻き込んで国内を戦時体制にし、自身の強さをアピールする可能性がある。金正日の親族が軍部と手を結んで正恩を担ぎ、集団指導体制で実権を握ることも考えられますが、この場合も、正恩という“みこし”を飾るために強硬路線に走る危険性があります。韓国との局地戦が全面戦争に発展すれば、日本もパニックです」と、前出の朴斗鎮所長は分析しています。

 万一朝鮮半島が火を噴けば、沖縄をはじめ日本列島各地を占拠している米軍が真っ先に動きます。金王朝はまたたく間に崩壊することでしょうが、そこからがイラク戦争後以上の泥沼です。
 例えば韓国には多くの日本企業がありますから、大勢の企業マンやその家族たちの救出をどうするのか、自衛隊も極めて難しい判断を迫られることになります。また北朝鮮から我が国に大量の難民が押し寄せると予測されますが、中には武装難民が紛れている可能性だってあります。日本も嫌でも朝鮮有事に巻き込まれることになるのです。
 コリア・レポート編集長の辺真一氏は、「金正日が死ねば拉致は迷宮入りになり、核の検証も不可能」と指摘しています。

 1950年に勃発した朝鮮動乱では、思わぬ「朝鮮動乱特需」に預かり戦後日本の浮揚の大きなキッカケになりました。しかし今度起るかもしれない朝鮮有事では、そんな漁夫の利を得ることなどとても望めず、それのみか日本国内が激甚なダメージをこうむる可能性すらあるのです。

 先刻ご承知のとおり、米国の経済危機は深刻です。例によって米国お得意の景気浮揚の奥の手の「大戦争」に参戦せざるを得ない状況といえます。とっくに始めていたはずのイラン戦争は、欧州寡頭勢力に阻まれて当分起こせる見込みも立ちません。産軍学複合体を形成する米国戦争屋としても、朝鮮有事は願ったり適ったりであるはずです。
 いくらソウルや東京が火の海になろうが、日本国民がどれほど犠牲になろうが、米国戦争屋の知ったこっちゃありません。いざという場合米軍が守るべきは、我が国各地の米軍基地とそこの家族たちだけなのです。「日米安保」「日米同盟」の幻想に騙されてはいけません。
 ただ米国が朝鮮有事に介入した場合、中国やロシアがどう出るのか。およそ予測不能です。

 問題となるのは日本政府の対応です。菅政権がいかに「有事」に弱いかは、昨年の尖閣諸島問題、北朝鮮によるヨンピョン島砲撃事件での対応の不手際から証明済みです。ヨンピョン島事件発生を、菅総理は「テレビで知った」のだそうです。
 自衛隊の最高司令官が、有事の際国民と同レベルの情報収集力しかなかったのです。それ以外にも同事件では、近隣諸国に比べて日本政府の事後対応は後手後手に回り、危機管理のまずさを国内外に露呈してしまいました。
 国民の生命財産を託された一国のトップリーダーが、「ごめん、今までは仮免許だったから」で済まされるわけがありません。

 何事にもエキセントリックな菅直人のこと、「よし今度何かあったら、国民がびっくりすることをやってみせるぞ」とばかりに、次に極端な選択をしてこの国を危機に陥れる懸念もあります。内閣改造後、前原誠司が外相留任というのも心配です。尖閣問題を大混乱に陥れたそもそもの元凶が前原だったように、菅以上にエキセントリックなところがあり、前原に外交的判断を委ねるのは大変危険だからです。
 菅直人や前原誠司らの類型となる人物が、有事に当たって狂った判断をし、国を危急存亡に陥れた例は古今東西の歴史上多くみられます。

 (大場光太郎・記)

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おごれる仙谷久しからず

 -「仙谷官房長官更迭」決定的。小沢vs仙谷党内抗争、小沢圧勝で決着?-

 優柔不断の菅直人総理も、とうとう決断せざるを得なくなったようです。遂に「仙谷切り」の方針を固めたとみられるのです。
 仙谷由人官房長官に対しては、昨年末の臨時国会終盤の参院で馬淵澄夫国交相とともに問責決議案が出され、両大臣が辞任しないかぎり年明けの通常国会参院での審議には一切応じられない旨強硬に主張しています。

 しかし馬渕国交相はともかく、仙谷官房長官は菅内閣の司令塔的存在です。“オレ様”仙谷はやけに目立ち、菅直人を差し置いて「陰の総理」「実質総理」との評判、噂がもっぱらでした。
 東大法学部卒業で司法試験にも一発で合格したという仙谷は、自身でも『民主党内で一番頭の良いのはオレ様だ』と思っているようです。総理の菅直人すら見下し、自身が弁護士出身なのを鼻にかけ、弁理士出身の菅総理を陰では「弁理士総理」と言ってみたり、「菅がこんなに使えないとは思わなかった」と周囲に漏らしていたといいます。

 菅政権発足当初菅総理は、「仙谷さんは煙たい存在」と評していましたが、国会会期中の華の予算委員会ではしばしば自分を差し置いて、「ハイ、ハイ、ハイ」と野党の質問に応える仙谷の姿には、プライドだけは人一倍高い菅総理としては相当頭にも来ていたことでしょう。
 一部情報では、“イカサマ”代表選後早くも、仙菅両人の間には隙間風が吹き始めたということです。

 「まるで幼稚園の学芸会レベルだ」とヤユされてきたのが菅政権です。そんな中、小学生レベルで少しばかり実務能力に長け「各官僚との折衝ごとでも内閣のことでも、オレを通さないと物事が進まないんだよ」と豪語する仙谷官房長官を失うダメージは大きく、野党の問責決議を受けてもぐずぐず「仙谷切り」を先延ばししてきた菅総理でした。
 1月5日付『日刊ゲンダイ』3面によりますと、そんなダメ菅総理に仙谷切りを迫ったのは、意外なことに昨年末小沢一郎元代表が不意を衝く形で「政倫審出席」を表明したことだそうです。

 以下『日刊ゲンダイ』同記事によりますとー。
 まさか小沢元代表が政倫審出席を承諾するとは予想していなかった仙谷周辺は、これに焦りまくっているといいます。仙谷らにとって痛かったのは、小沢元代表が「問責決議の方が、国会審議を進めるには大きな問題ではないのか」と、誰もが納得する“正論”を吐いたことです。小沢一郎へのマスコミの批判トーンも一気にしぼみ、小沢を追いつめようとして投げたボールが仙谷に戻ってきたのです。

 民主党長老の一人の西岡参院議長は早速、今月下旬から始まる通常国会前に仙谷官房長官を交代させるよう岡田幹事長に迫っています。もはや国会召集前の内閣改造は規定路線なのです。
 仙谷グループは、小沢元代表の政倫審出席拒否を見越して「離党勧告」を突きつけるシナリオを練っていたものの、それもパーになり「困った、困った」と頭を抱えているといいます。
 
 仙谷が「小沢を殺(や)るか、オレが殺られるかだ」「これからは“脱小沢”から“殺小沢”だ」などと血なまぐさいことを口走っていたように、昨年の「6・2クーデター」以来民主党内は、小沢一郎vs仙谷由人という対立構図が続き、そのため事あるごとに深刻な党分裂の危機に見舞われました。すべての元凶は仙谷ですが、一時は仙谷サイド圧倒的優位で「小沢失脚か?」とも思われる局面もありました。
 しかし彼我の政治的力量の差はいかんともし難く、菅総理の「追い込まれ内閣改造」によって、どうやら小沢一郎の「圧勝」で決着しそうです。

 菅総理は4日の新年会見で、「“政治とカネ”問題は何としても決着させたい。起訴されたら小沢元代表は議員辞職でけじめをつけるべきだ」と、自分がさもクリーンの権化のような“余計なお世話”発言をしました。シンパであるマスコミが問題にしないだけで、「アンタ自身の事務所費疑惑はどうした?」と“問責”したくなります。
 対して同日某テレビに出演した小沢元代表は、「他人のことは気にしなさんな。それより、菅総理がまずもって心配すべきは“国民の生活”をどう守るかでしょう」と、余裕で切り返していました。まったくその通りです。

 議員辞職など論外として、「離党勧告」も出来はしないことでしょう。何せ例の新年会「120人対45人」ですよ。今や“死に体”でありながら、「“小沢切り”などとよく言うよ」です。それとも菅総理はボケが進行中とのことで、今やそういう政治力学もまったく理解できないレベルということなのでしょうか?
 そんなことより、「実質総理の仙谷なき後…(おっと、これは失言)」、官房長官の後釜を誰にするのか、前原誠司か、玄葉光一郎か、江田五月か?それを早く決めて、七転八倒×2乗、3乗の来るべき通常国会をどう乗り切るのか、そっちに“無い知恵”を絞ることの方がよっぽど建設的だと思いますがねえ。菅直人殿。

 ともかく。仙谷由人のオンステージもたった半年の“仇花”で終わりそうです。官房長官を辞めて次は党幹事長に横滑りなどとなったら、それこそ野党は猛反発必至だろうし。結局“一兵卒”になるしかないんじゃないか?
 そうすれば官房長官というポストゆえの「やりたい放題」「言いたい放題」だったわけで、傲岸不遜な仙谷は人望なく、影響力は限りなくゼロになることでしょう。
 仙谷という司令塔が失脚すれば、「反小沢一派」も総崩れです。

 もうこの先の政治的浮上は見込めないでしょうし。何かというと「法律的には…」を連発していた仙谷由人殿、いっそのこと政治家稼業から足を洗って元の弁護士活動に戻られてはいかがか?

 (大場光太郎・記)

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成功哲学の詩

            ナポレオン・ヒル

 もし、あなたが破れると考えるなら
 あなたは破れる
 あなたがどうしてもと考えないなら
 何ひとつ成就しない
 あなたが勝ちたいと思っても
 勝てないと考えるなら
 あなたに勝利はほほえまない

 もし、あなたがいい加減にやるなら
 あなたは失敗する
 われわれがこの世界から見出すものは
 成功は人間の意志によってはじまる
 すべては人間の精神状態によって
 きまるということだ。

 もし、あなたが脱落者になると
 考えるなら
 あなたはそのとおりになる
 あなたが高い地位に
 昇ることを考えるなら
 かならずできるという
 信念を持つべきだ

 人生の戦いは常に強い者
 早い者に歩があるのではない
 いずれ早晩勝利を獲得する人は
 オレはできるんだ、と考えている人である。

… * …… * …… * …… * …… * …
《私の所感》
 4日は仕事始め。正月三が日のおとそ気分を抜いて、例年にも増して厳しさが予想される、本年1年の激動の社会活動に臨むべき初日です。
 そこで今回は、私自身の心を鼓舞するためにも、それにふさわしい詩を取り上げてみました。

 あるいはご存知の方もおいでかもしませんが、この詩はだいぶ以前の『巨富を築く13の条件』(訳者、出版社不明。同名の新訳本が騎虎書房から出ている)という本の中で紹介されていた詩です。
 同著はアメリカの「成功哲学」を体系化した人として有名な、ナポレオン・ヒルの原著『THINK&GROW RICH !』のダイジェスト版の翻訳です。私も30代前半だった昭和50年代後半頃、同書を求めて読みふけったことがあります。

 米国を中心に世界中で一千万部を超える大ベストセラーとなったナポレオン・ヒル(1883年~1970年)の『THINK&GROW RICH !』は、完訳版が日本でも当時『成功哲学』(柳平彬監修 田中忍訳 産業能率大学出版部刊)として出版されており、私はこちらもしっかりと読み込みました。以来25年を経た今日本棚の奥深くに眠っていましたが、昨年11月取り出して見てみると本文の重要な個所に赤いマーカーを引いたり、余白に書き込みをしたりしています。

 『巨富を築く13の条件』の方は新書版ですが、同書の序の中で、ボロボロになりセロファンテープを貼り付けたりしてまで読み続けている人のことが紹介されていました。当時の我が国の経営者やビジネスマン、営業マンらに『成功哲学』同様大きな影響を及ぼしたものと考えられます。
 同書の方は「巨富…」というタイトルへの違和感がぬぐえず、今考えれば惜しいことに40代のある時、他の本と一緒に処分してしまいました。

 『成功哲学』でも、1990年代半ば頃最終完全版と銘うって刊行された『思考は現実化する』(田中孝顕訳 騎虎書房刊)にも、今回の詩は掲載されています。しかしそれぞれ訳が違っており、やはり一番しっくりくるのは『巨富を築く13の条件』のこの訳であるように思います。

 ナポレオン・ヒルの成功哲学を凝縮したような感のあるこの詩は、どうやらナポレオン・ヒル自身が作ったものではなく、同書の初版が出版された1930年代既に存在した詩を、ナポレオン・ヒルが拝借したもののようです。
 しかし原作者不詳であり、この詩は同書によって有名になったことから、今回ナポレオン・ヒルの名を冠しました。どなたかこの詩に関して詳しい情報をお持ちの方、ご教示いただければ幸甚です。

 今回この詩について、一つ一つ解釈を試みることはしません。人によって心に響く個所は違うかもしませんし、読みようによっては「成功哲学の真髄」に迫れるかもしません。
 私自身は、10年ほど前から外出時常時携帯している、格言、名言、アファーメーション(自己宣言文)などを綴ったノートに、この詩のコピーしたものを貼り付けています。今年一年自分を鼓舞し、モチベーションを高めるためにも、また折りに触れてしっかり読み込んでいきたいと思います。

 (大場光太郎・記)

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菅直人雑感

 -「相応の理」とは言うけれど。こんなリーダーしか持ち得ない国民は不幸だ-

 元旦、都内世田谷区深沢の小沢一郎民主党元代表の私邸で、毎年恒例の新年会が行われました。バリバリの幹事長だった昨年の160人には及ばないものの、小沢私邸には山岡賢次党副代表、原口一博前総務相、細野豪志前幹事長代理など約120人が集結しました。
 さすがに「小沢一郎受難年」を経て“一兵卒”となった今年は、昨年より数は減ったものの、小沢氏自身が間もなく起訴確実な身であることなどを考慮すれば、今回の数は党内に依然十分過ぎるほどの影響力を持つものであることの動かぬ証明と言えます。

 小沢元代表は新年会の挨拶で、「自分が自民党幹事長の時もそう(参院ねじれ)だったが、それなりにうまく運営できていた。ねじれ国会だから仕方ないという理屈は通用しない」と、国会運営に苦しむ現執行部を批判しました。その上で「政府・与党が互いに力を合わせて協力していかなくてはならない大事な大事な年だ」と、挙党一致の必要性を改めて強調しました。
 また自らの政治資金問題については、「私自身、皆さんに迷惑ばかりかけている」と述べるにとどめました。

 翻って菅直人総理も、小沢私邸での新年会にぶつけるように同日同時刻に、「公邸開き」と称した新年会を催しました。菅総理は「世田谷の向こうを張るつもりはない。(したがって数は競わない)」と言ってはいますが、これは昨年12月の早い段階で予定が組まれていたもので、対抗心むき出しだったことは明らかです。
 こちらには仙谷由人官房長官、鉢呂吉雄国対委員長、枝野幸男幹事長代理など45人が駆けつけました。ということは、党ナンバー2の岡田克也幹事長や、次期総理最有力と目される前原誠司外相などは出席を見合わせたということです。

 どの党の誰が総理であろうとも、「総理大臣のご威光」は絶大なもの。現職総理の招待状を受け取れば断りづらく、一も二もなく馳せ参ずべきものです。それなのにたったの45人。菅総理がいかに非力で、“落ち目の三度笠”状態であるかを如実に示す格好になりました。

 だから「公邸開き」などするものではないのです。何でも01年の自民党政権下の森元総理以来らしいですが、森元総理はその年に総辞職に追い込まれています。(ということは菅直人も、同じ轍を踏むことになるのでしょうか?)
 元旦から首相公邸を開けるとなると、公邸職員らが強制的に出邸せざるを得ず、つまりは国民の血税の一部である公邸費が余計かさむのです。冷静な判断では、「元旦早々自己PRを何で公邸を使ってやるんだよ。やるんだったらどこか別の所で、小沢私邸のように自腹を切ってやってくれよ」と言うことになります。

 もっとも菅総理はあまり「公私のけじめ」のつく御仁ではないらしく、旧年中も夜中銀座かどこかの高級レストランに繰り出すのに、公用車で乗りつけたことが再三あったと言うのです。
 百歩譲って、そこで政財界の重鎮たちと酒を酌み交わし、天下国家を論じていたというのなら少しは有意義です。しかし人脈に乏しい菅総理はたいがいは単独か伸子夫人同伴、せいぜい9・14“イカサマ”代表選の殊勲者の一人・江田五月前参院議長を同乗させるくらいなものだと言うのです。

 「他人のふんどし」で相撲を取るのが、どうやら菅直人の真骨頂であるようです。菅直人は総理になるにあたって「市民運動家出身」で、市民運動の元祖的存在である市川房枝元参院議員の直系であることをさかんに吹聴していました。しかしほどなく、市川房枝女史が生前「菅君は絶対に信用しちゃダメよ」と周囲に漏らしていたことが、当時の市川女史側近からバラされ、菅直人の化けの皮の一つがはがされました。

 総理になった菅直人の唯一の目的は、「出来るだけ長く総理のイスにとどまること」です。そのためならなりふり構わず、手段を選ばずです。
 今回話題の「新年会」でも、大盛況だった昨年の小沢新年会に、菅直人や“日和見女”蓮舫らが飛び入りで駆けつけ、当時副総理兼国家戦略相だった菅直人は乾杯の音頭まで取っています。
 しかしその後小沢元代表が、検察、マスコミ、世論の集中砲火を浴びるや「手の平返し」で、仙谷由人や前原誠司らとともに「脱小沢」の急先鋒として今日に至っていることは周知の事実です。

 かと思うと、「菅新政権の事実上の国民の審判の意味がある」と宣言して臨んだ昨夏の参院選では大惨敗しながら、以後自らの責任には頬かむり。そして自ら墓穴を掘った「衆参ねじれ」に七転八倒するあまり、一度連立を離脱した社民党とのよりを戻す画策をしたり、自民党などとの連立の「座布団」とばかりに公明党に色目を使ったり。
 極めつけは、昨年末突如浮上した「立ち上がれ日本」との連立話です。対極の社民党とは、外交安保などで水と油なのに、菅総理は政策や理念などそっちのけで、「政権維持の数合わせ」のためなら何でもする人物であることが明らかになったのです。

 “立ち上がれ”との連立話は立ち消えになりましたが、これら一連の動きを冷静に見ていた与党・野党の心ある人士は、「菅直人はホントに信用ならん人間だな」と改めて思ったに違いありません。
 図らずも何十年か前の、市川房枝女史の炯眼(けいがん)通りの人物だったことが証明されたのです。

 菅直人は昨年末の臨時国会閉幕とともに、それまでは死んでいたのに、それ以降にわかに“カラ元気”を取り戻しています。いかにも小泉純一郎の亜流らしく、小沢一郎を党内“抵抗勢力”と定め、小沢排除にうつつを抜かしているのです。
 支持率20%台前半が示すように、菅政権発足後参院選をはじめ各選挙は連戦連敗、国内政治や外交はメチャクチャというレームダック状態です。しかし仙谷同様全共闘世代の菅直人は、時代遅れなことに「内ゲバ」ともなると目の色が違ってくるのです。その余勢をかって、「通常国会前の小沢政倫審招致だ」「TPP締結で“平成開国元年”だ」「仙谷外しの内閣改造だ」と息巻いています。

 小沢元代表が、「菅さんや仙谷さんは、通常の政治家と違って異常なところがある。何をやらかすか分かったもんじゃない。突然解散・総選挙を言い出すかもしれないから、その心づもりで準備しておくように」と、親小沢議員を激励したのはさすがと言うべきです。

 (大場光太郎・記)

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昭和の大女優逝く

 -昭和を示す大きな灯りがまた一つ消えてしまって…。何とも寂しい限りです-

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      若き日の高峰秀子さん

 大晦日に思わぬ訃報がもたらされました。「デコちゃん」の愛称で親しまれた「昭和の大女優」高峰秀子さんが、肺がんにより東京都渋谷区の病院で12月28日亡くなっていたというのです。関係者によれば高峰秀子さんは、10月下旬に体調を崩して同病院に入院、一進一退を続けていたものの28日亡くなったとのことです。享年86歳でした。

 葬儀・告別式は29日に近親者のみで済ませたそうです。喪主は夫で映画監督の松山善三氏。二人は1955年に木下恵介監督の勧めにより結婚しました。婚約後会見を開いて発表し、これが芸能人による結婚会見のさきがけとなりました。
 以来55年。松山善三監督(85)は「現在私自身、心身ともに皆様に直接お目にかかることのできる状況ではございません。お察しの上、失礼の段どうぞ寛恕くださいますよう」と、最愛の妻に先立たれた沈痛な胸のうちを語っています。

 高峰秀子(以下敬称略)は1979年に女優引退宣言をして、以後はエッセイストとして活躍、『わたしの渡世日記』(98年)では日本エッセイストクラブ賞も受賞しています。
 ただ引退宣言後は、スクリーンやテレビで見かけることがなくなりました。今の若い人たちは「高峰秀子って誰?」ということかもしれません。しかし昭和30年代子供だった私らの世代には、何とも懐かしい女優さんです。田中絹代や原節子などはそれ以前の銀幕女優、かといって吉永小百合などは、テレビの普及に押されて映画産業が斜陽化しつつあった昭和30年後半以降登場した女優さんです。
 
 日本映画が最も輝いていた時代を代表する女優さんであるだけに、高峰秀子には余計ノスタルジックを感じ、その訃報に接しては『あヽまた一人昭和を感じさせる大きな人がいなくなったな』という感を深くさせられるのです。

 「デコちゃん」の愛称どおり屈託のない明るいキャラクターから、私は今まで関東以西(つまり南の方)出身とばかり思っていました。しかし出身は意外にも北海道函館市だそうです。
 1924年生まれ。5歳の時松竹鎌田に入社し、その年映画『母』で子役デビュー。大人顔負けの演技ぶりに、34年には歌手の故東海林太郎から「養女になってほしい」という申し込みがあったほどだそうです。38年の『綴方教室』の少女役を好演し売れっ子となり、「子役は大成しない」というそれまでのジンクスを覆しました。

 戦後は特に演技派として、日本映画黄金期の作品に数多く出演しました。当時は「所属する会社以外の作品には出演できない」という五社協定があったそうですが、高峰秀子だけは別格で50年からフリーの立場で活躍しました。
 代表的な出演作品は、木下恵介監督の『二十四の瞳』(54年)、成田巳喜男監督の『浮雲』(57年)、木下監督の『慶びも悲しみも幾年月』(57年)など。日本最初のカラー作品(当時の呼称は確か「総天然色映画」)となった木下作品『カルメン故郷に帰る』(51年)にも主演しました。

 そのうち『二十四の瞳』『カルメン故郷に帰る』『喜びも悲しみも幾年月』などは、ずっと後年テレビやビデオで観ました。
 当時印象深かった高峰主演映画を一つ取り上げます。『名もなく貧しく美しく』です。この映画は61年公開で、夫の松山善三氏初の監督作品のようです。テレビが普及していなかった当時映画は数少ない娯楽でした。今では信じられないことでしょうが、当時の小中学校では月一回くらいの割合で、午後から何クラスかまとまって町の映画館で「映画鑑賞」があったのです。これは当時レッキとした授業の一環だったようです。
 もちろん私たちは、教室でシャチコバッて授業を受けなくて済むわけですから、当時これが何よりの楽しみでした。そうして中村錦之助(後の萬屋錦之介)などの時代劇、今村昌平監督作品で若き日の長門裕之主演の『にあんちゃん』、小津安二郎監督の『おはよう』などを観たものでした。

 61年といえば小学校6年生、『名もなく貧しく美しく』もそうして観たのでした。何しろ子供時分ですから、詳細は忘れてしまっています。戦後間もない頃、高峰秀子演じたヒロインは聾唖者です。彼女は同じ境遇の男性と出会い、互いに惹かれ合い二人は結婚します。
 「名もなく貧しく美し」い二人の幸せな日々が続きます。しかしある日急用だったかで外に飛び出した彼女は、近づいてきた車のクラクションが聞こえず、轢かれて死んでしまうのです。そのラストシーンがあまりにも衝撃的で、今でも断片的ながらそのシーンを思い浮かべられるくらいです。

 謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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めでたさも中くらいなり

             小林 一茶

  めでたさも中くらいなりおらが春

… * …… * …… * …… * …
《私の鑑賞ノート》

 新年あけましておめでとうございます。

 今回取り上げるのは、ご存知小林一茶の名句です。この句の「おらが春」の「春」は四季のうちの春ではなく、旧暦のお正月すなわち元旦を意味しています。つまりこの句は一茶流の新春の句であるのです。

 句意は至って簡単明瞭です。「世間様はめでてえと言うけんど、おらっ家(ち)のお正月は、めでたさも中くらいてぇとこかな」というのです。
 良いではないですか、「中くらいのめでたさ」なら。一昔、二昔前は「一億総中流」と言われましたが、本当なのかどうなのか、当今では無貯金所帯が全体の3割以上を占めるとかで、「一億総中流など遠い昔の夢幻(ゆめまぼろし)よ」とお思いの方もあるいはおいでかもしませんから。

 ただ上記は通り一遍の解釈で、この句の成立過程を調べてみますと、少し違った意味が現われてきそうです。
 この句は小林一茶が57歳の時、終(つい)の住処となる故郷の信濃(しなの-今の長野県)北部の雪深い寒村で作られた句です。そしてそもそもこの句は「おらが春」という題の連句の発句(ほっく)で、元々は
  目出度さもちう位也おらが春
だったそうです。
 そして信濃の言葉で「ちう位」とは、「中程度」とはやや違ったニュアンスが含まれており、「いい加減」「たいしたことはない」というような意味合いになるようです。

 小林一茶(1763年~1828年)は、松尾芭蕉、与謝蕪村と並び称される江戸時代の大俳人です。しかしその生涯は絵に描いたような不遇、悲惨の連続でした。まず3歳で母を亡くしています。8歳の時やってきた継母となじめず、口減らしのため15歳で江戸へ奉公に出されます。
 江戸での奉公の傍ら俳諧を学び、25歳の時帰郷し『帰郷日記』を著しました。その後近畿、四国、九州に俳諧修行に出て、39歳で病気の父の看病のため故郷に戻るも父は間もなく死亡、継母と異母弟との間で12年間にも及ぶ遺産相続を巡るごたごたが続きました。

 一茶は再び江戸に戻り、俳諧の宗匠を務めます。50歳でまた故郷に戻り、52歳で結婚して授かった4人の子供は次々に夭折、妻とも死別します。再婚しますがすぐに離婚、3度目の結婚でもうけた女児は、一茶の死後に生まれています。
 実は一茶は大変な数の病気持ちでもありました。亡くなる直前の一茶を極めつけの災厄が襲います。大火に遭って家を焼失してしまったのです。焼け残った土蔵の中で生活していましたが、そこで病死してしまいます。享年65歳でした。


一茶が晩年住んだ土蔵
(長野県信濃町)

 このような不遇の連続の一茶にしてみれば、今回の句は
  めでたさは毫(ごう)もなきなりおらが春
  めでたさなど糞喰らえなりおらが春
とでも詠みたい心境だったかもしれません。しかしそんな無粋な句ではなく、
  めでたさも中くらいなりおらが春
 そこに、自身の不遇への哀しみを奥に潜ませつつ、そんな自分をどこかで笑い飛ばしているような諧謔味が生まれてきます。また『これが俺の人生よ』という諦観がにじみ出てもいるようです。味わい深い名句だと思います。

 (大場光太郎・記)

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