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寒中お見舞い

   夕冴へて紫の富士孤なりけり   (拙句)

 寒中お見舞い申し上げます。

 私の体感でも本日16日は、この冬一番の寒さだと実感しました。午後から外出しましたが、真っ先に感じたのが風の冷たさです。晴れてはいるものの明らかに強い北風で、心持ちかがんで歩く我が身に容赦なく吹きつけてくるのです。
 きょうはおそらく、風がなくても十分寒い日だったことでしょう。その上強風ですから、余計寒さが倍増して感じられるというものです。

 きっとこんな日はバリバリ強力な西高東低の冬型の気圧配置で、最近は新聞気象欄を見る機会がありませんが、気圧配置図では列島に気圧の線が何本もの縦線でびっしり立て込んでいることでしょう。
 なるほどニュースによりますと日本列島は16日、上空5000メートルに氷点下42度というこの冬一番の寒気が流れ込み、東北、北陸、山陰地方など日本海側を中心に雪が強く降っているとのことです。
 この日24時間に降った雪の量として、新潟の能生で60センチ、岐阜の(合掌造り集落で世界遺産に登録された)白川郷で55センチ、広島・高野、新潟・高田で53センチなどと、1日で50センチを超える大雪となっているといいます。

 気象庁は、東北や日本海側を中心に17日にかけ、大雪や暴風、高波が続くとしてさらに警戒を呼びかけています。
 積雪は既に青森県の酸ヶ湯温泉で3メートルを超え、山形、新潟、鳥取各県では2メートルを超えた所があるそうです。これだけなら「豪雪地帯だから」で済まされそうですが、私など関東に住む者からすれば十分「南の地方」であるはずの広島県北広島町(ただし島根県境の町)で、何と16日午後3時現在で192センチと観測史上最深となっているというのです。この他奄美大島でも、山岳に冠雪が見られたそうです。
 
 まさに「冬帝」の勢力が超強力となり、各地に冬将軍を遣わして、さらに冬将軍の指令を受けた無数の寒兵たちが、列島隈なく襲いかかってきているといった按配です。

 そういえば今は、日本の慣習である二十四節気の小寒(1月5日)から大寒(1月20日)までの、まさに「寒中」なのでした。
 現在では「寒中見舞い」として、豪雪地帯や寒冷地での相手を気遣い手紙などを出すことがあります。また年賀状の返答や喪中のため年賀状が出せない場合の代用としても用いられます。
 今では『そんなこともあったかなあ』という遠い記憶ながら、1989年には、前年昭和天皇の病状悪化(同年1月7日崩御)による「自粛ムード」で年賀状が手控えられたため、官製の寒中見舞いはがきが発売されたようです。

 昨年夏は各地で「気象観測始まって以来」の記録的な猛暑でした。であるならば、冬もそのまま暖冬であってしかるべきはずです。しかしいざ冬を迎えてみれば予想外の厳冬です。
 この日本列島、夏はまるで熱帯、冬はうって変わって寒帯のよう。四季を通して温順な気候を示すはずの温帯に位置する我が国で、かくも極端な気候変動を経験しようとは。
 
 この日本のみならず、極端な気候変動現象は世界規模で起きています。『地球はこの先どうなってしまうんだ?』という世界市民の不安解消装置のように、頃合を見て「CОP○○」なる国際会議が開催されます。
 「これ以上の気候変動をストップしよう」「生物多様性を理解しよう」など、スローガンはご立派ながら。しかし実のところ、そこでは先進国と開発途上国のエゴの調整に多くの時間が費やされ、実効性ある解決策はことごとく先送りです。
 その間にも、年間何万種もの生物種が地上から姿を消し、ちょうどブラジルで今大洪水が起きているように大被害はまったなしです。

 冒頭の句はもう10余年も前に作った句です。ちょうど今時分、平塚市西部を流れる金目川(かなめがわ)道路沿いの会社に伺った帰りのこと。
 その道路を、東海大学湘南キャンパスに向かう方向に車を走らせます。その途中を右折して小田原厚木道路(同側道)で帰るためです。少し走っていますと、真正面に富士山が仰ぎ見られました。「冴える」「冴ゆる」は冬の季語ですが、その日もまさに大気がピーンと冴え返るような寒い日でした。雲一つない西空に、富士山が日没の紫色のシルエットとなってくっきりと眺められたのです。
 そのさまは比類なき孤高の姿であるように思われ、心打たれて、道々練りながら作り上げた句です。

 (大場光太郎・記)

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