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菅直人雑感

 -「相応の理」とは言うけれど。こんなリーダーしか持ち得ない国民は不幸だ-

 元旦、都内世田谷区深沢の小沢一郎民主党元代表の私邸で、毎年恒例の新年会が行われました。バリバリの幹事長だった昨年の160人には及ばないものの、小沢私邸には山岡賢次党副代表、原口一博前総務相、細野豪志前幹事長代理など約120人が集結しました。
 さすがに「小沢一郎受難年」を経て“一兵卒”となった今年は、昨年より数は減ったものの、小沢氏自身が間もなく起訴確実な身であることなどを考慮すれば、今回の数は党内に依然十分過ぎるほどの影響力を持つものであることの動かぬ証明と言えます。

 小沢元代表は新年会の挨拶で、「自分が自民党幹事長の時もそう(参院ねじれ)だったが、それなりにうまく運営できていた。ねじれ国会だから仕方ないという理屈は通用しない」と、国会運営に苦しむ現執行部を批判しました。その上で「政府・与党が互いに力を合わせて協力していかなくてはならない大事な大事な年だ」と、挙党一致の必要性を改めて強調しました。
 また自らの政治資金問題については、「私自身、皆さんに迷惑ばかりかけている」と述べるにとどめました。

 翻って菅直人総理も、小沢私邸での新年会にぶつけるように同日同時刻に、「公邸開き」と称した新年会を催しました。菅総理は「世田谷の向こうを張るつもりはない。(したがって数は競わない)」と言ってはいますが、これは昨年12月の早い段階で予定が組まれていたもので、対抗心むき出しだったことは明らかです。
 こちらには仙谷由人官房長官、鉢呂吉雄国対委員長、枝野幸男幹事長代理など45人が駆けつけました。ということは、党ナンバー2の岡田克也幹事長や、次期総理最有力と目される前原誠司外相などは出席を見合わせたということです。

 どの党の誰が総理であろうとも、「総理大臣のご威光」は絶大なもの。現職総理の招待状を受け取れば断りづらく、一も二もなく馳せ参ずべきものです。それなのにたったの45人。菅総理がいかに非力で、“落ち目の三度笠”状態であるかを如実に示す格好になりました。

 だから「公邸開き」などするものではないのです。何でも01年の自民党政権下の森元総理以来らしいですが、森元総理はその年に総辞職に追い込まれています。(ということは菅直人も、同じ轍を踏むことになるのでしょうか?)
 元旦から首相公邸を開けるとなると、公邸職員らが強制的に出邸せざるを得ず、つまりは国民の血税の一部である公邸費が余計かさむのです。冷静な判断では、「元旦早々自己PRを何で公邸を使ってやるんだよ。やるんだったらどこか別の所で、小沢私邸のように自腹を切ってやってくれよ」と言うことになります。

 もっとも菅総理はあまり「公私のけじめ」のつく御仁ではないらしく、旧年中も夜中銀座かどこかの高級レストランに繰り出すのに、公用車で乗りつけたことが再三あったと言うのです。
 百歩譲って、そこで政財界の重鎮たちと酒を酌み交わし、天下国家を論じていたというのなら少しは有意義です。しかし人脈に乏しい菅総理はたいがいは単独か伸子夫人同伴、せいぜい9・14“イカサマ”代表選の殊勲者の一人・江田五月前参院議長を同乗させるくらいなものだと言うのです。

 「他人のふんどし」で相撲を取るのが、どうやら菅直人の真骨頂であるようです。菅直人は総理になるにあたって「市民運動家出身」で、市民運動の元祖的存在である市川房枝元参院議員の直系であることをさかんに吹聴していました。しかしほどなく、市川房枝女史が生前「菅君は絶対に信用しちゃダメよ」と周囲に漏らしていたことが、当時の市川女史側近からバラされ、菅直人の化けの皮の一つがはがされました。

 総理になった菅直人の唯一の目的は、「出来るだけ長く総理のイスにとどまること」です。そのためならなりふり構わず、手段を選ばずです。
 今回話題の「新年会」でも、大盛況だった昨年の小沢新年会に、菅直人や“日和見女”蓮舫らが飛び入りで駆けつけ、当時副総理兼国家戦略相だった菅直人は乾杯の音頭まで取っています。
 しかしその後小沢元代表が、検察、マスコミ、世論の集中砲火を浴びるや「手の平返し」で、仙谷由人や前原誠司らとともに「脱小沢」の急先鋒として今日に至っていることは周知の事実です。

 かと思うと、「菅新政権の事実上の国民の審判の意味がある」と宣言して臨んだ昨夏の参院選では大惨敗しながら、以後自らの責任には頬かむり。そして自ら墓穴を掘った「衆参ねじれ」に七転八倒するあまり、一度連立を離脱した社民党とのよりを戻す画策をしたり、自民党などとの連立の「座布団」とばかりに公明党に色目を使ったり。
 極めつけは、昨年末突如浮上した「立ち上がれ日本」との連立話です。対極の社民党とは、外交安保などで水と油なのに、菅総理は政策や理念などそっちのけで、「政権維持の数合わせ」のためなら何でもする人物であることが明らかになったのです。

 “立ち上がれ”との連立話は立ち消えになりましたが、これら一連の動きを冷静に見ていた与党・野党の心ある人士は、「菅直人はホントに信用ならん人間だな」と改めて思ったに違いありません。
 図らずも何十年か前の、市川房枝女史の炯眼(けいがん)通りの人物だったことが証明されたのです。

 菅直人は昨年末の臨時国会閉幕とともに、それまでは死んでいたのに、それ以降にわかに“カラ元気”を取り戻しています。いかにも小泉純一郎の亜流らしく、小沢一郎を党内“抵抗勢力”と定め、小沢排除にうつつを抜かしているのです。
 支持率20%台前半が示すように、菅政権発足後参院選をはじめ各選挙は連戦連敗、国内政治や外交はメチャクチャというレームダック状態です。しかし仙谷同様全共闘世代の菅直人は、時代遅れなことに「内ゲバ」ともなると目の色が違ってくるのです。その余勢をかって、「通常国会前の小沢政倫審招致だ」「TPP締結で“平成開国元年”だ」「仙谷外しの内閣改造だ」と息巻いています。

 小沢元代表が、「菅さんや仙谷さんは、通常の政治家と違って異常なところがある。何をやらかすか分かったもんじゃない。突然解散・総選挙を言い出すかもしれないから、その心づもりで準備しておくように」と、親小沢議員を激励したのはさすがと言うべきです。

 (大場光太郎・記)

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