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「ビリー・ザ・キッド」恩赦ならず

 -大ファンというニューメキシコ州知事、死後130年後の恩赦認めない決定を-


ビリー・ザ・キッド 1880年(20歳)撮影

 古き良きアメリカの象徴の一つである“西部劇”映画ファンなら、「ビリー・ザ・キッド」という名前は先刻ご存知のことでしょう。ビリー・ザ・キッドはアメリカ西部開拓時代のアウトロー(無法者)ですが、米国民の間で人気が高く、これまで映画やテレビドラマ、歌や小説などで、西部劇中のヒーローとしてたびたび取り上げられてきました。

 そのビリー・ザ・キッドが射殺されてから130年後の恩赦を認めるかどうか、検討していたニューメキシコ州のビル・リチャードソン知事は、昨年12月31日CNNに出演し「恩赦を認めない決定」を発表しました。

 ビリー・ザ・キッド(Billy the kid)は、1859年(我が国では幕末動乱期。安政の大獄で吉田松陰ら処刑)ニューヨークに生まれ、辺境のニューメキシコ州で育ったと言われています。本名はヘンリー・マカッティとされていますが、偽名としてヘンリー・アントリム、ウィリアム・H・ボニーという名前でも知られています。
 このうちウィリアム・H・ボニーの名はサインに使われ、当時州知事だったウォレスに恩赦を求めて本人が書いた手紙が残っています。また墓碑銘にもこの名前が刻まれています。

 ビリー・ザ・キッドは南北戦争期でも特に知られたアウトローで、15歳の時の母の死とともに家を出て、17歳で最初の殺人を犯します。墓碑銘にあるように21人を殺害した(メキシカンやインディアンは含まない)とされていますが、実際は9人(自分一人で4人、他人の助けを得て5人)ではないかと言われています。
 アリゾナやテキサスさらにはメキシコ国境で牛泥棒や強盗や殺人を重ねました。ビリー・ザ・キッドの目は青く、同時代のアメリカ西部の無法者としては口が達者で、異様に親しみやすい性格の持ち主だったと伝えられています。

 リンカーン郡でイギリス移民ジョン・タンストールの売店の用心棒となりますが、商売敵との縄張り争いが拡大し、リンカーン郡戦争と呼ばれる騒動に発展、過失で4人を射殺し1880年12月に、友人でもあった保安官パット・ギャレットによって仲間とともに逮捕されました。
 1881年4月18日に刑務所を脱走し、このことがニューヨークタイムズ紙で報じられ、一躍有名になりました。同年7月14日、ニューメキシコ州フォートサムナーにてギャレット保安官に射殺されました。その時ビリーは丸腰で、寝室から食べ物を取りに部屋を出たところを闇討ちされたと言われています。享年21歳でした。

 死後130年も経た今日、なぜ恩赦の対象になっているのでしょう?当時のニューメキシコ州のウォレス知事が、ビリーが「殺人罪の裁判で証言すれば、引き換えに恩赦を与える」と約束していたとされることによるものです。
 ビリー・ザ・キッドの熱狂的なファンである現リチャードソン州知事は、130年前ウォレス氏が認めたとされる恩赦について、以前から調査を進めていたのだそうです。

 リチャードソン州知事は、「ウォレス氏が恩赦を与えたことは信じている」とした上で、なぜ同氏がこの約束を守らなかったのかについては歴史的事実として不明瞭だと指摘し、さらに前任者の決定を明確な根拠もなしに否定は出来ないとして、ビリー・ザ・キッドに恩赦を認めない決定を下したと述べました。

 それにしても死後130年も経って、再びビリー・ザ・キッドが脚光を浴びたかっこうです。我が国ではNHK大河ドラマ『龍馬伝』によって、昨年は空前の坂本龍馬ブームが起きたように、やはりアメリカ人にとってビリー・ザ・キッドは、永遠の「魅力あるヒール」ということなのでしょうか。
 冒頭の写真で見ても、ビリーは長身で“やさ男”風なハンサムボーイ。「殺し屋」然としたイメージではありません。その風貌とあいまって、「神々の愛(め)でにし者は夭折する」という西洋のことわざどおりの、21歳という若すぎる死。まさにうってつけの「夭折伝説」が、アメリカ国民を今なお惹きつけてやまないのかもしれません。

  Truth and HIstory.             真実と経歴。
  21 Men.                    21人を殺した。
  The Boy Bandit King            少年悪漢王
  He Died As Lived              彼は彼らしく生きて死んだ
  William H.Bonney“Billy the Kid”    ウィリアム・H・ボニー
                            『ビリー・ザ・キッド』
                                (『墓碑銘』より)

 (注記)本記事は、フリー百科事典『ウィキペディア』などを参考、引用してまとめました。
 
 (大場光太郎・記)

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コメント

実はビリーは身長160㎝未満で米国人としては、かなりチビでしたね。黒髪で蒼い目をしていて、少し出っ歯です。牢獄でインタビューした記者も「いわゆるハンサムだが、出っ歯のせいでリスの様な印象を受けた」って記事にしてますよ。
参考までに....。

投稿: HENRY・MCCARTY | 2011年5月30日 (月) 15時43分

 コメントありがとうございます。
 そうでしたか、ビリーの身長は160cm?この私とどっこいどっこいではありませんか。この記事冒頭に掲げた写真では、ずい分威風堂々とした長身に見えましたけど…。
 でも「伝説のヒーロー」とは、得てしてそんなものかもしれませんね。ビリー・ザ・キッドの場合は、そんな身体的ハンディを超えて、後世にまで訴えかけるパワーや魅力があったということなのでしょうか?

投稿: 時遊人 | 2011年5月30日 (月) 18時51分

確かに、ビリーは生前からダイムノベル(今で言うゴシップ紙)で随分取り挙げられていたので、なにか民衆を魅了するモノがあったのかもしれませんね。不謹慎かも知れませんが「犯罪者にエールを送る」って感じなのかも。だからその後に様々な伝説が生まれました。「左利き」「三発命中したが、死体の傷痕は一つだった」「鏡越しに、射殺した」「笑いながら、人を射殺した」etc....。個人的な極論を言わせもらいますと、「同時代、生きざま、キャラクター」が同じ点で
幕末のテロリスト「岡田似蔵」と重なる部分があります。

投稿: HENRY・MCCARTY | 2011年5月31日 (火) 04時27分

 またまた貴重な情報、ありがとうございます。
 ビリーの「民衆を魅了する」要素の一つは、本文で触れましたが、ビリーは生粋の野暮ったい西部人でなく、生まれはNYですよね。そのようなどこか「都会っ子」ぽさも、彼の魅力のうちにあったのかな?などとふと思ったりもしました。
 ご紹介の「鏡越しに射殺」は、私も作成直前に知り、本文中に入れようかと思いましたが、いわゆる誇張された「ビリー伝説」の一つかなと考え、入れませんでした。いずれにしても、こういう伝説が伝承されていくことこそが、ビリーのスーパースターたる所以ですね。
 ああ、そうですね。私は坂本龍馬と比較しましたが、岡田以蔵の方がイメージとしては近いかもしれませんね。そういえば、昨年の『龍馬伝』で、佐藤健が演じた岡田以蔵は、「歴女」「まげ女」を中心にえらく評判がよかったようです。岡田処刑後は、視聴率がガクッと下がったのだとか。
 幕末で若い女性に人気がある人物に、もう一人新撰組の沖田総司がいます。共通するのは、ビリーも、岡田も、沖田も、皆「若すぎる死」であったことですね。
 「HENRT・MCCRTY」というHN、『はてどこかで聞いたような』と思っていましたが、ビリーの本名でしたね。にわか覚えでまとめたもので、大変失礼致しました。
 

投稿: 時遊人 | 2011年5月31日 (火) 12時45分

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