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凍てて巌を

           前田 普羅

  駒ケ嶽凍てて巌を落としけり

 …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 前田普羅(まえだ・ふら) 略歴は『雪解川』参照のこと。

  Mt.Kaikomagatake from Hokuto-shi.JPG
     北杜市から望む甲斐駒ヶ岳 (『ウィキペディア』より)

 略歴によりますと前田普羅は、飯田蛇笏、村上鬼城、原石鼎と共に虚子門の四天王の一人で、「特に山岳俳句の峻厳な神韻をもって知られる」俳人のようです。寡聞にして知りませんが、「山岳俳句」という分野は、前田普羅をもって嚆矢(こうし)とするのではないでしょうか。
 中でもこの句などは、その代表的な一句と言えそうです。明治人の骨太の気骨が伝わってくるようです。

 「駒ケ嶽(こまがたけ)」は現代表記では駒ケ岳となります。駒とは馬のことで、山容が馬の形をしている、雪形に馬の形が出るなどから名づけられているようです。一口に「駒ケ岳」とは言っても、北は北海道駒ケ岳(別名:蝦夷駒ケ岳)から南は若狭駒ケ岳(福井県、別名:近江駒ケ岳)まで、各地に多くの駒ケ岳が存在します。
 その中でも甲斐駒ケ岳と木曾駒ケ岳が有名です。両山はそれぞれ「東駒」「西駒」と呼ばれることもあります。

 この句で詠まれているのは、その内の甲斐駒ケ岳です。ある年の冬に、山梨県東五成村(後の境川村、現笛吹市)に住んでいる飯田蛇笏を訪ねた折り、遥かに雪をいただいた甲斐駒ケ岳を仰ぎ見て詠んだ句であるようです。

 江戸時代の誰かの漢詩の一節に、
   閑中我看山   閑中(かんちゅう)我山を看(み)る
   忙中山看我   忙中(ぼうちゅう)山我を看る
というのがあったかと思います。この場合の「閑中」はいわゆる“閑人(ひまじん)”が閑をもてあましている図ではなく、今の表現で言えば「心が十分リラックスしている」状態と言った方がいいようです。
 そのような時は、正岡子規が唱えた「写生」の精神に深く迫れる時でもあります。

 この句は、そんな没我の主客一体の状態で詠まれたように感じられます。少しばかり俳句を実作している者の実感からすれば、「凍(い)てて巌(いわお)を落としけり」という表現は、そうそう簡単に生み出せるものではありません。

 この場合厳密に言えば、「凍てて」いう原因が「巌を落としけり」という結果に、直ちに結びつくことはないのかもしれません。季節に関わりなく巌は落ちるべき時が来たから落ちた、それをたまたま前田普羅が目撃した、ただそれだけのことに過ぎないのかもしれないのです。
 しかし俳句や詩の非日常世界では違います。「凍てて巌を落としけり」という、物理学上否定されかねない共時性が、いとも簡単に成立してしまうのです。そして読み手は、『確かに極寒の時は、名山が巌を落とすことだってあるかもな』と了解させられるのです。

 (大場光太郎・記)

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