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「ねむの木学園」大被害

 -宮城さんが心血を注いで築き上げた児童施設が、犯罪者の食いモノにされた-


                      ねむの木学園遠景 (静岡県掛川市)

 
またまたイヤな事件が起きました。
 肢体不自由児の療養施設「ねむの木学園」園長の宮城まり子さん(83)の口座から、現金が引き出されていたことが分かったのです。同口座には1億数千万円あるべきところ、84万円しか残っていないことに宮城さんが気づき、不正の発覚につながったということです。
 
 警視庁捜査2課によりますと、詐欺容疑で逮捕されたのは、音楽家の広沢憲行(57)と学園関係法人元従業員の近藤由美子(56)の2人です。近藤容疑者は2008年2月から2010年6月、宮城さんの承諾のないまま十数口座から現金計約5億円を引き出し、広沢容疑者の口座に振り込むなどしていたとされるものです。

 女が勤務先から多額の現金を引き出して愛人の男に貢ぐ。こういうケースは過去にも何度かありました。両容疑者の関係は不明とされていますが、同学園に30年ほど勤務し地味で目立たなかったという近藤容疑者が、02年11月から同学園に出入りしていた広沢容疑者に色仕掛けで誑(たら)しこまれ、五十路女の情炎燃え上がり、つまりは今回の犯罪となったものでしょうか。
 そうして詐取した数億円を広沢容疑者は、その一部を自身がプロデュースした歌手のプロモーション費用や借金返済などに充てていたといいます。

 「ねむの木学園」も「宮城まり子さん」も、今の若い人たちはあまり知らないかもしれません。しかし私にとって宮城さんは懐かしい人の一人です。というのも私らが子供だった昭和30年代半ば頃、白黒テレビによく出ていた人だったからです。
 宮城まり子さんは国民的歌手として、全国のお茶の間で親しまれていました。当時ヒットしていたのが、
  ♪トンボだって カエルだって
       ミツバチだって
   みんな みんな生きているんだ
       友だちなんだ         (2番より) 
でおなじみの『手のひらを太陽に』(作詞:やなせたかし、作曲:いずみたく)でした。その頃宮城さんは、NHK紅白歌合戦にも計8回出演しています。

 私が歌手・宮城まり子の代表作として挙げたいのは、1955年(昭和30年)に大ヒットした『ガード下の靴みがき』です。この歌については、09年3月『ガード下の靴みがき』記事で取り上げました。宮城さんは後年、「この歌は、その後の私の生き方を変えてくれた歌なのです」と述懐しています。
 戦後間もなくの戦災孤児の姿が鮮明に歌われており、何度聴いても涙が溢れてくる名曲です。(今でもコンスタントにアクセスがあり、大変嬉しく思っています)

 宮城まり子(本名:本目眞理子)は、1927年(昭和2年)3月21日東京の貧しい母子家庭に生まれました。幼くして母、弟が相次いで死亡するというつらい少女時代を送ったようです。
 このような生い立ち、そして『ガード下の靴みがき』との出会い。宮城さんは、信仰篤いクリスチャン(プロテスタント系)となり、1968年(昭和43年)にはタレント活動を引退して社会福祉施設「ねむの木学園」を創設したのです。
 また宮城さんを語る場合忘れてならないのが、作家・吉行淳之介との交際です。吉行の死(1994年)まで、良きパートナーとして都内の互いの自宅で同居し合いました。

 同学園には、今回の事件を知った全国の人たちから、多くの激励の手紙やファックスが届けられているといいます。今回の事件によって、同学園の運営に支障をきたすことはなさそうなのが不幸中の幸いです。
 ねむの木学園は今や、押しも押されもせぬ公共的使命を帯びた福祉施設です。今回の事件を奇禍として、再発防止策につとめられ、同学園の益々の発展を願わずにはおられません。
 また園長の宮城まり子さんは、創立者として十分すぎる社会貢献をしてこられました。そろそろ優れた後継者に後事を託されても良い時期なのかもしれません。
 宮城さんの一層のご多幸、ご長寿を、心よりお祈り申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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