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日本国民は、なぜおとなしくなってしまったのか

 -声を挙げるべき時に挙げないと、この国は亡国に追い込まれるだけだろう-

 国民が蜂起した「エジプト革命」が重大な局面を迎えました。11日ムバラク大統領(82)が退陣し、約30年間続いた独裁体制が崩壊したのです。反政府運動の旗頭としてエジプト入りしていたエルバラダイ前IAEA(国際原子力機関)事務局長は、「生涯最高の日」と語っています。
 
 今回のムバラク政権崩壊は事実上、国民が勝ち取った勝利と言えます。今後の情勢は、政権を掌握したエジプト国軍最高評議会が鍵を握ることになります。同最高評議会議長のタンタウィ国防相は、「軍は、国民の意思に反した政権を樹立する考えはない」とする声明を発表しました。
 政変に乗じて世界中のどの国にも手を突っ込む米国は、“世界的広域暴力団”米CIAのエジプトエージェントであるスレイマン副大統領への政権移譲を画策していましたが、思惑が外れた格好です。

 当ブログ『国民蜂起-「エジプト革命」』でも既に述べたとおり、チュニジアの「ジャスミン革命」に端を発して中東の大国・エジプトへ。しかしことはアフリカ、中東のみならず、失政や圧政に対しては、世界中のどの国でも国民が声を挙げるものです。
 中国では08年3月、チベット自治区の独立を求めるデモと騒動が起きました。フランスでは昨年10月、年金改悪法案に反対する100万人の市民がデモを起こしています。つい先月はイタリアで、ベルルスコーニ首相の17歳少女買春疑惑をめぐって、ローマ市内で同首相の退陣を求めるデモが起きました。
 アメリカでさえ、政権批判の大集会やデモがワシントン・DCやニューヨークなど各地で行われています。

 翻って我が国ではどうでしょうか。菅政権が消費税増税、法人税引き下げ、ТPP推進など、09年政権交代時のマニフェストと真逆な「国民生活の破壊」をやろうとしているのに、「マスコミマインドコントロール国民」は新聞・テレビの「消費税増税やむなし」「ТPP大いにけっこう」報道にまんまと引っかかり、何ら異議を唱えようとはしません。
 第一この国では、大規模デモなどここ何十年も行われた試しがありません。こんな子羊のようにおとなしい従順な国民なら、この国を牛耳る「米官業政電」悪徳権力者たちはやりやすくて仕方ないことでしょう。

 どんな非道(ひど)いことをされても、文句一つ言わずに従順に受け入れる。これは日本人の国民性なのでしょうか。歴史は決してそうではなかったことを指し示しています。
 江戸時代中・後期相次いだ飢饉などでは、悪税に苦しむ農民たちが“莚旗(むしろばた)”を立てて、各地で「百姓一揆」を起こしました。江戸末期には、庶民たちの窮状を見かねて決起した「大塩平八郎の乱」(天保8年-1837年)もありました。
 大正7年(1918年)には、富山県魚津町の女性労働者たちによる「越中女一揆」が全国に拡大して「米騒動」となり、時の寺内毅内閣を倒しています。

 そんな古い時代ばかりではなく、戦後しばらくは、「60年安保闘争」「70年安保闘争」など、この国でも大規模デモや騒乱が頻発していたのです。NHKビデオライブラリー『映像でみる昭和の記録』は、騒然としていた当時のさまを生々しい映像として記録しています。

 それでは、「去勢」されたようにおとなしい国民になってしまったのはいつからなのでしょうか?私はかつてそのことを考えてみたことがあります。
 3年ほど前、それを「二木紘三のうた物語」の『「いちご白書」をもう一度』で、長文コメントとして発表しました。今となっては、人様のサイトによく公開したものだ、また二木紘三(ふたつぎ・こうぞう)先生もご寛恕してくれたものだと思います。
 以下にその主要部分を(多少修正して)転載してみます。
                       *
 いろいろな闘争を経て「70年学生運動」は、連合赤軍による仲間へのリンチ事件が明るみに出たことにより、国民の支持を急速に失い、運動そのものが下火になっていきました。
 その締めくくりが、昭和47年(1972年)2月、彼らが最後に立てこもった「浅間山荘」をめぐる攻防戦でした。機動隊による強行突入の2月28日まで、各テレビ局はほぼ10日間その一部始終を中継し、国民は固唾を呑んで推移を見守りました。

 あの事件の解決にあたって、「この国で学生運動などはもう二度と起こさせない」という、強い国家意思があったのか、なかったのか。後年、警察庁ОBで当時責任者の一人だった佐々淳行(さっさ・あつゆき)氏は「あった」と認めておりましたが。
 以来わが国では、戦後間もなくから頻繁に繰り返されてきた学生闘争、労働争議、大規模デモなどは、不思議なほどピタッと止まりました。
 あの事件をテレビで注視していた、子供を持つ全国の親たちは『あヽうちの子には、あんなこと絶対させてはいけない』と思ったことでしょう。国民の多くにも、『お上に立てついてはいけないんだ』という暗黙の了解が形成されました。学生運動に参加していた人々も、ヘルメットを投げ捨てほとんどが社会復帰していきました。
 国は国で、それに見合った「豊かさ」を、国民にせっせと供給し続けました。多くの人が「中流意識」の幻想を抱き、そんな社会に満足し、強いて異議申し立てをしないおとなしい国民になっていきました。

 反面、昭和30年代のような、ぬくもりのある暖かい社会は影をひそめ、冷たい風が吹き抜けるうすら寒い社会に変貌していきました。経済至上主義にますます拍車がかかり、「金銭の所有高」がその人間のすべての価値判断とされました。生存競争は激化し、競争に敗れた者には落伍者のレッテルが貼られました。今日問題になっている「格差社会」は、既にその頃から形成されていたのです。
 少々理不尽なことをやらかしても、異議申し立ても「むしろ旗を立てる」こともしない国民をいいことに、国はかつて野坂昭如(のさか・あきゆき)が「やわらかなファシズム」と評したような管理システムを全国津々浦々に張り巡らしていきます。ますます息苦しい(生き苦しい)世の中になっていきました。

 かつてならば、大衆の不満のエネルギーは間欠泉のように、デモや学生の抗議運動として発散されましたが、上(権力)への噴出を封じ込められ、それは下へ向けられることになりました。自分より弱い者へ、貧者へ、マイノリティへと。差別、無視、蔑視…。
 子供は大人の鏡です。ちょうどその頃から、「校内暴力」や「いじめ」が新たな社会問題としてクローズアップされることになりました…。  (以上転載終わり)
                       *
 「デモ活動」や「スト権」は法律が認める、企業経営陣や国家などへの抗議手段の一つです。今回のエジプトのように、国民の力を結集すれば悪政権だって倒せるのです。「不条理」がますます露骨になってきている現在、私たち国民は大いに声を挙げ、もっと有効に活用していくべきです。私たちの将来と子孫の未来がかかっているのです。
 なお私は、破壊、暴動、殺戮などは決して支持致しません。

 (大場光太郎・記)

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