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霞ヶ関官庁街訪問記(3)

 -官僚が力を発揮するのは上げ潮経済期。下降する国家には対応できない-

 皇居に背を向ける形で、桜田通り沿い舗道を経済産業省の方に歩いていきました。その区画で通りに面しているのは農林水産省(中央合同庁舎第1号館)です。同区画裏手には内閣府、厚生労働省、環境省が入っている第5号館、そして5号館別館にある人事院です。
 同区画の桜田通りの対面にあるのが外務省です。同省は時に財務省と並んで、官僚機構の両横綱と称されることがあります。どおりで広大な区画を外務省一省が独占しているわけです。

 そういえば道のどこかに、「霞ヶ関跡」という細長い碑が建っていたような。“霞”などとても立ちそうもない特寒の日ながら、歩く道々『何で霞ヶ関という名前がついたんだろう』と考えました。今では想像も出来ないことですが、大昔はこの辺一帯春ともなれば霞が立ち込める、長閑(のどか)な田園風景が広がっていたものなのでしょうか。

 後で気になって少し調べてみました。
 「霞ヶ関」という地名は諸説あり、古くは日本武尊(やまとたけるのみとこ)が蝦夷(えぞ)の侵略に備えて設けられた“関”で、雲霞(うんか)を隔てる地であったことからつけられたという伝説があり、平安期より歌枕の地として多くの和歌に詠まれているようです。
 また江戸期以前、荏原郡の東境にあった奥州路の関名によるといい、江戸期には坂名となり、昭和42年地名変更により現在の霞ヶ関一丁目~三丁目・永田町となりました。

 ついでにこの地に中央官庁が集結することになった次第もー。
 明治新政府は“天皇親政”の目的のため、諸官庁を皇居周辺に配置しようとしたのがそもそもの始まりです。現在の霞ヶ関に初めて立地したのが外務省だったようです。諸官庁で最大の区画面積を誇るのはその名残りかもしれません。
 その後のドイツ人技師を招聘しての官庁集中計画は幾多の変遷を経て、明治28年に竣工した旧司法省、大審院の完成により、近代的官庁街区としての霞ヶ関の街並みは現在に近いものに形成されていきました。

 戦後は利用者の利便性を高め、公務能率増進を図るばかりでなく、土地の有効・高度利用、建設費の削減にもつながる官庁施設の集約・合同化が進められました。その結果昭和29年中央合同庁舎第1号館が完成しました。それが今私が歩いている農林水産省、食糧庁、林野庁、水産庁が入っている建物だったのです。
 また昭和50年代に入ると、官庁施設も超高層の時代へと突入していきました。それが農水省裏手の、厚労省などが入っている第5号館なのです。(国土交通省官庁営繕編『霞ヶ関の歴史』より)

 そうこうしているうちに、経済産業省の建物に到着しました。建物手前の敷地内に一人の男性守衛が立っていて、入庁者をそれとなくチェックしています。建物の概観も実際中に入った感じでも、前の国交省ビルよりは明らかに古い建物であることが分かります。
 経産省は外務省、財務省などと共に「中央合同庁舎」なしの単独建物です。それもそのはずで、同省の旧名称は通商産業省で、かつては経済大国化する我が国の牽引役ともなった名だたる官庁だったからです。
 
 経産省の提出先も、やはり(経産省)大臣官房会計課です。下の守衛さんに聞いてもよく分からないようなので、とにかく行ってみることにしました。エレベーターで十何階かで降り、通りがかりの男性職員に聞いてみます。50過ぎと思しき、ということはしかるべき役職の人でしょうが、意外にも懇切丁寧に対応してくれるのです。
 一言で「官僚」というと今日ではマイナスイメージですが、多くの職員は司々(つかさつかさ)で与えられた職務に精励し、また以前とは比べものにならないくらい対応が丁寧であることは是非記しておかねばなりません。

 こちらは50代と思しき女性による応対により、難なく申請受理となりました。こうして霞ヶ関2庁舎分の申請を終え、外に出た私は今度こそ本当に一服したくなりました。
 外の守衛さんの目をかいくぐって、通りに向かって右手の舗道との植込みに紛れる所で念願の一服をしました。今入ってきた同省の建物を振り仰いだり、舗道を通る人に目をやったり、桜田通りの向こうの建物を見やったりしながら。

 後で分かったのですが、その建物が「官庁の中の官庁」と言われる財務省なのでした。さすがは一省で、経産省と同面積くらいの一区画を独占しています。
 思えば日本にとって最重要である国家予算は、各省庁から上がってきた予算を按分し、財務省で統括して決められているわけです。分けても財務省ベッタリの菅政権では、いかに予算編成の真似事をしようが国会で審議しようが、財務省案の骨格の手直しなど出来るはずがないのです。
 その結果の「財源不足です。国民の皆さん、消費税増税にご理解を」です。

 小沢一郎元代表の指摘のように、財務省主導の一般会計、特別会計を合わせた200兆円超の国家予算の、どこにも余剰財源を見出せないのは当然の話なのです。思い切った「政治主導」で、根本から予算組み替えをしない限り財源の捻出は不可能です。それが政権交代時の国民との約束なのですから。それを断行するならば、10~20兆円規模の財源は必ず出てくるはずです。

 それに「霞ヶ関改革」の一環として、桜田通りの経産省から法務省に至る全区画、全建物は別目的で使用するか売却し、外務省などのもう一方側に移転させ、各省庁の人員も規模も大幅削減というのはどうでしょうか。国家経済のパイが縮小しているのですから、中央官庁もそれくらいのリストラをして当然です。

 いわゆる官僚組織というものは、高度経済成長期のような上げ潮経済の時は、予算編成、法案策定、各許認可、政策立案などで、その能力を遺憾なく発揮します。しかし逆に下降経済期になると途端に省益に走り、うまく機能しなくなるのです。
 いかな高級官僚と言えども、低迷期に明確な国家ビジョンを描き下降経済を再上昇させるプランなど持ち合わせてはいません。それをするのは時の政権の役割です。官僚依存ではなく、官僚にビジョンに則った仕事を与えるべきなのです。

 そう言えば、財務省、外務省の向こう側にある国会議事堂内では、ちょうど“チョー興味ない”予算委員会がスタートしている頃合でしょう。  -  完  -

 (大場光太郎・記)

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