« 「前原切り」を仕掛けたのは? | トップページ | 良い子が住んでる良い町は… »

童謡『ないしょ話』秘話

 -童謡『ないしょ話』を作詞したのは、宮内町出身の「結城よしを氏」だった !-

 先月再掲載した『成人式の思い出(2)』に、妙理様からコメントをいただきました。妙理様も、私の郷里である宮内町のご出身だというのです。嬉しいことに、先の吉田貞雄様に続いて、二人目の郷里町出身の方からのコメントとなります。
 宮内町内の六角町という所で、そこがお母さんのご実家だそうです。同地区は宮内町でも南端にあたり、もう少し行くと「赤湯温泉」として有名な赤湯町となります。ただし両町は昭和40年代前半合併し、共に現在では南陽市となっています。

 その後妙理様からメールを頂戴しました。それによりますと、妙理様は私より3学年上の女性のようです。お父さんとは戦争で離れ離れだったため、お母さんは戦時中2人のお姉さんを連れて、宮内の実家に疎開のために戻ってこられたようです。
 お父さんは妙理様幼少の頃亡くなられたようです。今でも97歳でご存命というご母堂の、その前後のご苦労のほどが偲ばれます。

 メールの中にさらにびっくりの内容がありました。皆様もご存知かと思いますが、昔の童謡に『ないしょ話』というのがあります。
   ♪ ないしょ ないしょ 
      ないしょの話は あのねのね
で始まる歌です。
 特にご年配の方にとっては、ご幼少のみぎりの懐かしい歌なのではないでしょうか。この歌を作詞したのが、妙理様の叔父さんにあたる人だというのです。『えっ。ホントに?』。ということは、その叔父さんという人も宮内町出身?

 『ないしょ話』を作詞したという、妙理様の叔父さん(お母さんの弟)についてメールには、
    …戦争で体を壊し亡くなりましたが叔父になります。
         今はもう、昔の人ですね。
    駅前に歌詞が書いてあるのを見ると、母がよしをが・・・と嘆いて
         いた事を思い出します。
とありました。

 お母さんが「よしをが…」と嘆かれたという「よしを」とは、戦時中の作詞家・結城よしを(ゆうき・よしお)氏のことです。簡単に略歴をご紹介します(敬称略)。
 結城よしを(本名:結城芳夫)は、大正9年3月30日山形県東置賜郡宮内町(現南陽市宮内)に、歌人・結城建三氏(歌誌『えにしだ』主宰)の長男として生まれました。昭和9年高等小学校卒業後、書店の住み込み店員をしながら童謡を作りはじめました。

 日中戦争が起こった昭和12年頃から、「時雨夜詩夫(しぐれ・よしお)」の筆名で、「詩と歌謡」「歌謡劇場」「山形新聞」「日刊山形」などに童謡・童話・随想・批評を投稿し、同13年9月に童謡誌『おてだま』を創刊しました。代表作『ないしょ話』は同14年、満19歳の時の作品です。
 昭和16年太平洋戦争が始まるとともに召集され、船舶砲兵として北洋、南洋を転戦しました。この間も寸暇を惜しんで手記を書き、童謡を作り続けていたといいます。



 しかし軍務中にパラチフスに感染し、昭和19年9月13日九州の小倉陸軍病院で亡くなりました。24歳という若さでした。
 遺言は、「ぼくの童謡を本にしてください」でした。この遺言により、3年後の同22年に童謡集『野風呂』が、同43年1月には遺稿をまとめた『月と兵隊と童謡 若き詩人の遺稿』(三省堂)が出版されました。
 結城よしをは、こんな言葉を残しています。「神様が、わたしにいいことを教えてくれた。-それは童謡」。 (ここまで、『童謡ベスト10』サイトを参考、引用)

 さぞや無念だったことでしょう。「童謡」に己の天職を見出し、一途に作詞し続け、流星のように駆け抜けた生涯でした。そんな短い生涯の中で、結城よしを氏は50以上もの童謡を残しています。「神に愛された」がゆえでしょうか、実に驚くべき早熟の才能であり迸る創作力です。
 もし病を得ることなく、戦後も童謡を作り続けていたとしたら。きっと名童謡が数多く生まれていたことでしょう。ここにも、戦争の持つ冷酷さを感ぜずにはおられません。

 とここまでさも知った風に、作詞家・結城よしを氏の事跡を紹介してきましたが。またまた大変お恥ずかしい次第ながら、妙理様からのメールでのお知らせがあるまで、結城よしを氏のことをまったく知らなかったのです。
 おそらく、当時の宮内町の子供たちの多くがそうだったのではないでしょうか。地元の小・中学校を通して、先生たちが結城よしを氏のことを教えてくれなかったと思います。

 なぜ教えてくれなかったのか。私の勝手な推測ながらー。
 思えば戦後教育は、太平洋戦争や戦前までの価値観を180度引っくり返すことからスタートしました。『ないしょ話』は小学校低学年頃に教わった童謡です。先生は小さな子供たちに、戦争が原因で亡くなった、結城よしを氏について詳しく語るのを意図的に避けたのかもしれません。

 しかし全国的に「町おこし」が盛んな今日では違います。南陽市としても、『ないしょ話』を同市ホームページで取り上げるなど積極的にピーアールに努めているようです。また近年既述のとおり、宮内町駅前に立派な歌碑が造られました。
 きっと我が宮内小学校でも、先生方が『ないしょ話』の謂れ(いわれ)などをきちんと伝えてくれていることでしょう。

 (大場光太郎・記)

|

« 「前原切り」を仕掛けたのは? | トップページ | 良い子が住んでる良い町は… »

所感」カテゴリの記事

思い出」カテゴリの記事

コメント

  ないしょ話取り上げて頂き有難う御座います。

 出生地は不思議な見えない力を与えるようです。

母の疎開先で私は生まれましたが、二人の姉は神戸生まれ、
関西育ちと東北育ちのように、他人の様です。
長年何と無く親近感が無いのは戦前生まれと戦後かと思っていましたが、違うようです。
私が山形へ行くとホッとする空気感は、姉達が関西に行くのと
同じようです。
姉の旦那様は関西の人です。
姉たちは母の実家には行きたがりません。
疎開先の辛い思い出が嫌なようで一度も尋ねた事が無いのです。
何と無く良いかと、思っていましたが、先日母の所で雑談して居る時、山形は全くご縁を感じない不思議なのよね・・と言います。

同じ姉妹で不思議です。    妙理

投稿: 妙理 | 2011年3月11日 (金) 14時29分

妙理様 
 コメント大変ありがとうございます。
 お2人のお姉さまは、神戸生まれの関西育ち。神戸は異人館などのある、戦前から東洋でも有数の港町でしたね。やはり異国情緒たっぷりの、神戸のハイカラな雰囲気で育てば、疎開先の東北の山国の町は、何とも野暮ったく思えたことでしょう。たとえお母様の実家ではあっても、どこかよその土地という違和感をお持ちだったことでしょう。
 やはりおっしゃいますとおり、「生まれ育った風土」はその後のその人の人生に、有形・無形の影響を及ぼします。各人生まれ育った土地にはれぞれ深い思い入れがありますから、兄弟姉妹と言えども、そのことで多少の行き違った感情が生じてしまうのでしょうか。
 ただ元々は地域に優劣はないはずなので、お姉さまたちにも第二の故郷である「宮内の良さ」再発見のため、再度ご訪問いただきたいですね。

投稿: 時遊人 | 2011年3月11日 (金) 18時28分

初めてお邪魔させて頂きます。
童謡歌手の坂入姉妹と申します。

「ないしょ話」はコンサートなどでよく歌わせて頂いており、曲にまつわるエピソードを調べていたところ、こちらに辿り着きました。
大変勉強になり、心に響きました。

私達は東京に住んでおりますが、昨年山形でコンサートがあり、その際にどうしても「ないしょ話」の歌碑を見たいと思い、霞城公園に伺ってまいりました。
その件について、ブログにも書かせて頂いております。「坂入姉妹 ないしょ話」で検索して頂くとご覧いただけますので、よろしければ是非覗いていただけたら嬉しいです。

妙理様にも宜しくお伝え下さいませ。

投稿: 坂入姉妹 | 2011年6月 1日 (水) 17時37分

坂入姉妹様
 コメント大変ありがとうございます。
 最初「坂入姉妹」というハンドルネームか?それにしては変わったHNだなぁ、と思っていました。ご文を読ませていただき、童謡歌手の姉妹デュオの正式名であることを知りました。
 『坂入姉妹の童謡ブログ』の「童謡「ないしょ話」歌碑」読ませていただきました。お二人の画像を拝見しますに、大変お若いのにはびっくりしました。「童謡」などというジャンルは、どちらかというと昔の人向き、したがってそれを専門にされているからには、少しお年がいっているのかな?と思いましたので。
 当ブログでも取り上げていますが、『童謡ないしょ話』をはじめ『雨』『雨降りお月さん』など、今はあまり歌われなくなっているものの、後々まで歌い継いでいって欲しい童謡がたいさんあります。
 是非若い方々にも広く知っていただくよう、今後とも大いにご活躍ください。陰ながら応援しております。
 なお折角ですから、このこと記事として紹介させていただきますので、どうぞご了承ください。

投稿: 時遊人 | 2011年6月 1日 (水) 22時49分

私は79歳 毎週ボランティァで老人ホームを訪れ童謡懐メロなどでお年寄り達と交流している者です。先日童謡を探していて『ないしょ話』を思出し、ネットで作詞者結城よしを氏のことを初めて知りました。私は若い頃勤め人として山形で数年勤務し家内も山形人です。結城よしを氏の出身地、旧宮内町もよく知った所です。この歌は数ある童謡の中でも、あまりにも情感豊かな歌だと思います。戦時中、早世されたそうですが、あまりにも惜しい方でした。私事ですが、若い頃の私は仕事に忙殺され今頃になって家内と息子の間にもあったろう、このような情景を想像すると涙が滲むのです。

投稿: 氏家正博 | 2013年4月16日 (火) 10時14分

氏家正博様
 コメント大変ありがとうございます。本日多忙につき、夕方か夜にあらためてもう少し詳しい返信をさせていただきます。

 返信遅くなり申し訳ございません。
 かつては企業戦士としてばりばり働かれ、79歳の今でもボランティア活動中ですか。旺盛な行動力、恐れ入ります。
 本文にありますとおり、宮内町出身の私ですら、童謡『ないしょ話』の作詞者が結城よしをであることをつい最近知ったのでした。
 本文にコメントをお寄せいただきましたが、この名童謡を童謡歌手の「坂入姉妹」さんがよく歌っておられるとのことです。またこの童謡は2007年に選定された『日本の歌百選』
にも選ばれています。今後とも長く歌い継がれていってもらいたいものだと思います。
 氏家正博様には今後ともますますご健勝でご活躍ください。ありがとうございました。 (4月17日午前7時55分・記)

投稿: 時遊人 | 2013年4月16日 (火) 14時27分

私は、83歳になります。関西には、みんなの童謡コーラスの会というのがあって、大阪市だけでも40位の教室があり、昔ながらの童謡をコーラスしています。童謡コーラス曲集名曲特選という本や、年4回の4季に分けて曲集があります。
先日、大ホールで大勢が1000人位集まって、童謡コーラスしました。
その中で、ないしょ話もあって、作詞 結城よしを、作曲 山口保治というのを初めて知りました。山口先生は、童謡名曲10選にあるように、京橋 京華小学校におられる時の音楽、唱歌の恩師です。かわいい魚屋さんの作曲者だけが今に伝わっているものとおもっていました。

投稿: 刀根武夫 | 2014年4月 9日 (水) 22時15分

刀根武夫様
 コメント大変ありがとうございます。
 そうでしたか、関西は童謡コーラスがさかんとは初耳です。しかし童謡コーラスがさかんなのはいい事ですね。以前何かの記事で「童謡がさかんに歌われるのはいい時代です」と書きましたが、ほのぼのした良い土地柄がしのばれます。
 『ないしょ話』、方々で歌い継がれているようで、私も何となく嬉しい気分です。それにこのたびは、この歌の作曲した山口保治先生の情報をお寄せいただき、ありがとうございました。つい、作詞した結城よしをにばかり関心がいっていましたが、京橋 京華小学校の音楽、唱歌の恩師でいらしたとは。奇縁と申しましょうか、人間の世はどこでどうつながっているかわかりませんね。『かわいい魚屋さん』も懐しい良い童謡ですね。
 ところで話は変りますが一。私のブログでも定期的に取り上げていますが、「フォレスタ」という若いコーラスグループをご存知でしょうか。全員音楽大学卒業の素晴しい歌唱力で、童謡、唱歌をはじめとした国内外の名曲を数多く歌っています。BS日本テレビ、毎週月曜夜9時『BS日本・こころの歌』に出演中で、ユーチューブ動画も数多くアップされています。もしまだでしたら、是非お聴きになってみてください。
 末尾ながら、いつまでもご健勝でお過ごしください。

投稿: 時遊人 | 2014年4月10日 (木) 02時35分

コメント有難うございました。このサイトの「童謡ベスト10」にくわしく出ていますが、「ないしょ話」の詩に山口先生が、なぜ曲を付けることになったのでしょう。当時、「かわいい魚屋さん」が大ヒットし、山口先生のもとには各地の作詞家から詩が送られてきました。「ないしょ話」は、昭和14年に作曲、当時の勤務先 京橋 京華小学校から自宅へ帰る電車の中で作曲したものらしいです。私が低学年の頃です。幼稚園、小学校と山口先生に放課後、数名の生徒達が童謡、唱歌を習っていました。先生の伝手で、NHKラジオ局で4年生のとき歌ったことがあります。大塚百合子の歌唱で、キングレコードに売り込み、9月発売で「ないしょ話」が全国的に広まった、とあります。大塚さんは、1年上の方でした。
そんわけで、みんなの童謡コーラスは、殆どが女性ですが、この年でも続けてうたっています。
関西もローカルですが、日曜、10時から、サンテレビ、京都、奈良、テレビ和歌山、琵琶湖放送で
放映しています。指導員の先生は、大阪音大出の方が多いです。東京にも今は進出して、童謡コーラスの輪を広げていっているようです。よろしくお願いいたします。(NPO法人童謡コーラスの
会)といいます。

投稿: 刀根武夫 | 2014年4月22日 (火) 18時21分

 またまたコメントをいただき、大変ありがとうございます。切角ですから、貴コメントを別記事の中で紹介させていただきます。あしからずご了承ください。

投稿: 時遊人 | 2014年4月23日 (水) 01時07分

また、大阪からおじゃまします。昨日早速、BS日テレ見ました。燃ゆる大空、空の神兵、加藤隼戦闘隊、愛国の華、婦人従軍歌、戦友など、みんな、覚えている懐かしい歌ばかりでした。フォレスタグループも古い歌をよく歌っていただけました。テレビでは、軍歌を初めて聞けました。
 童謡コーラスの会で、検索して頂くと、関東の会、関西の会が出ておりますので、是非ご覧ください。東京をはじめ、関東4県に童謡コーラスの会があるようです。

投稿: 刀根武夫 | 2014年5月 6日 (火) 22時42分

 いつもコメントありがとうございます。

 『BS日本・こころの歌』ごらんになられたとのこと、嬉しく存じます。私は観ていませんが、軍歌特集だったようですね。みなYouTubeにアップされていますから、おそらく録画だったのだろうと思われます。

 女声フォレスタが、『かなりや』『ゆりかごの歌』『どこかで春が』『雨降りお月さん』『赤い靴』『夕焼小焼』『赤とんぼ』『浜千鳥』などの童謡を既に歌っています。心洗われる歌唱です。これらもすべてYouTubeにアップされていますし、また当ブログの『フォレスタコーラス』で記事にしています。

 「童謡コーラスの会」、早速ネット検索で見させていただきました。ずい分方々にあるんですね!各地でこんなに童謡コーラスがさかんだとは、今まで知りませんでした。中でも一番活発なのが大阪なのでしょうか。大阪市内だけで70グループくらいありますね。

 幼い頃覚えた童謡をある程度の年齢になってから聴き直してみると、その時分らなかった深い意味に気づいたり、新しい感動が得られます。コーラスで歌うとよけいにそうでしょうね。

投稿: 時遊人 | 2014年5月 7日 (水) 23時59分

コメントいつもありがとうございます。東京では、TOKYOUMXテレビで「童謡コーラス 名曲大合唱」金曜日朝、9時15分~30分毎週放映されています。
 フォレスト合唱グループ程ではありませんが、司会の うえたく先生が面白く、懐かしい歌が聴けるので是非ご覧ください。
 拡げよう歌仲間の輪~歌の上手下手は問いません、皆で懐かしい歌を笑顔で、楽しく歌いましょう。ということで歌仲間をつのっています。MXテレビを見て、おすすめいただき、童謡コーラスの輪を拡げていただくとうれしいです。

投稿: 刀根武夫 | 2014年5月13日 (火) 22時48分

はじめまして

「結城よしを」検索していて本ブログがヒットし、
宮内出身だということで、いきなりぶしつけですがお伺いします。

よしをのお母さんは六角町出身だということですが、旧姓は分かりますか?
健三さんが亡くなった時は、山形市在住でしたが、子孫が健在かどうかご存知ですか?

わたしも宮内生まれで、Uターンして宮内に戻ってきています。
結城よしをのことは、保育園に入る前から母に聞いていました。
3歳より前の記憶です。われながらおそるべしですが、だから、「ないしょ話」というと母の実家横町の佐藤産婦人科や漆山さんの大きな板塀が浮かんできます。ひょっとして、母におんぶされ、歩きながら聞いたのかと思います。

投稿: 井上達也 | 2014年9月 8日 (月) 17時10分

井上達也様

 えやえや、宮内の人でえやったがっす。このたびは、コメントもらって、どうもおしょうすななっす。

 と、つい懐しさのあまり、もう滅多に使わない宮内弁でのごあいさつになりました。

 早速お尋ねの件ですが―。
 説明が足りなかったかもしれませんが、六角町にお住まいだったのは、結城よしをの姉で、(よしをにとって姪にあたる)妙理様のお母さんです。「よしをのお母さん」も六角町にお住まいだった可能性はありますが、宮内の違う場所だった事も考えられると思います。また旧姓の件、お父さんの健三氏の子孫の件も、私には分りかねます。

 一番いいのは、妙理様に直接お聞きになることだと思います。(妙理様のメールアドレス)uetufumi@yahoo.co.jp

 余りお役に立てず申しわけありません。

投稿: 自遊人 | 2014年9月 9日 (火) 02時50分

早速、お返事ありがとうございます。
1980年ころに10年ぶりくらいで宮内にUターンして現在に至るのですが、
わたしが、町に人たちに「おしょうす」というと、きょとんとされました。
「おしょうしな、だよ」と。いつのまにか、宮内は米沢弁にまみれていました。「おしょうす」はほとんど聞かない言葉になってしまっています。方言も変わるという体験をしたものでした。

結城よしをについて一文書きたいと思い、ネットで検索してみたところ、彼の大きさがわかりました。
それでは、どうも失礼いたします。

投稿: 井上達也 | 2014年9月 9日 (火) 10時06分

 「おしょうすな」が「「おしょうしな」ですか。米沢弁の影響とのことですが、道路網が整備され車が宮内と米沢をビュンビュン行き交う今の時代ならではでしょうね。

 変ったと言えば、宮内の町並みも昔とずい分変わりましたね。数年前久しぶりで帰郷しましたが、方々で新しく家が建て替えられているのは当り前として、西の方に広い道路が通ったおかげで、錦町から梨郷辺りが大住宅街になっているのには驚きました。

 一方では、私ら親子が長くお世話になった町の母子寮は昭和50年代に取り壊され、その折り立ち寄った時は広大な空地になっていました。昭和30年代前半から40年代前半頃の子供時代とあまりの様変りにふと寂しさを感じてしまいました。

 つい余計なことを書いてしまいましたが、どうぞ「郷土の誇り」結城よしをについて良い一文をお書きください。

投稿: 自遊人 | 2014年9月10日 (水) 00時55分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)


コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。



« 「前原切り」を仕掛けたのは? | トップページ | 良い子が住んでる良い町は… »