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ショパンの雨滴

              多田 裕計

   草萌えにショパンの雨滴打ち来る

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《私の鑑賞ノート》
 多田裕計(ただ・ゆうけい) 1912年8月18日~1980年7月8日。福井県福井市出身の小説家、俳人。
 旧制福井中学校卒業、早稲田大学文学部仏文科卒業。福井震災で福井県三国町(現坂井市)に移住し、三好達治らと交流を持つ。1941年、『長江デルタ』で芥川賞授賞。俳句雑誌『れもん』主宰。主な作品は、『長江デルタ』『新世界』『秘かな話』『描かれし薔薇』『多田裕計句集』など。  (『ウィキペディア』より)

 この句に初めて接した時、『何とシャレた句なのだろう』と思いました。300年以上の歴史と伝統を有する我が国俳句が、遠い西洋のピアノの詩人・ショパンと結びつこうとは !
 そして私は、この句は比較的最近の句なのではないかと、長いこと思い込んでいました。しかし実際この句が発表されたのは、昭和32年(1957年)だというのですからさらに驚きです。平成の今の作品として出されたとしても立派に通用するような新鮮さがあります。

 この句にあっては、「草萌え」という季語が実によく効いていると思います。草萌えは下萌えともいい、早春の頃地中から草の芽が吹き出てくること、または草の芽そのもののことをいいます。

 「ショパンの雨滴(うてき)」とは、ショパンのピアノ曲『雨だれ』から着想されていることは明らかです。作者はその季節、萌え出ている草に降る春雨を見つめながら、ふとこの曲を連想したのです。実際作者の頭の中では、『雨だれ』の旋律が聞こえていたことでしょう。

 『雨だれ』は雨の曲とはいえ、軽快な感じで始まるメロディです。じめじめしとしとの梅雨や、陰々滅々の秋霖(秋雨)や時雨(しぐれ)といった感じではありません。やはりこの曲は、「草萌え頃の雨」がふさわしいようです。

 ショパンと雨滴をしっかり結びつけている「の」という格助詞の働きを見逃してはいけません。草萌えに打ち来っている雨は、当然ながら多田裕計が立っている周りの景色にも降っています。「ショパンの雨滴」であることによって、普段見慣れた平凡な街並み全体が、モダンで、ロマンチックな光景に見事に異化されていると思います。

 作成年代を知ってあらためて読み直してみますと、郷愁が喚び起こされそうな“オールディーズ戦後”の懐かしい街並みが、新たな装いを帯びて浮かび上がってくるようです。

【補注】
 『雨だれ』の正式曲名は、「24の前奏曲 作品28 第15番 変ニ長調《雨だれ》」です。ただし『雨だれ』は、ショパンが命名したものではありません。
 この曲が『雨だれ』と呼ばれているのは、途切れなく続く伴奏の変イ音が雨だれのように聴こえてくることによるものです。
 
 なおこの曲は、1838年ショパン28歳の時、最後の恋人となった女流作家のジョルジュ・サンドと、地中海の孤島・マジョルカ島へ転地療養に行っていた時に作られたものだそうです。道理でいい曲なわけです。
 ショパンがピアノでこの曲を弾いている音と、雨だれが軒下から滴り落ちる音とが微妙に調和していた、とサンドが書いていることから生まれた通称であるという説もあります。

 『雨だれ』 http://www.youtube.com/watch?v=3Bnk3MQRme8

 (大場光太郎・記)

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