« 今回の入試問題は氷山の一角 !? | トップページ | 【読者から】-東京一万人集会の呼びかけ »

どこかで春が

         作詞:百田宗治、作曲:草川信

   どこかで春が 
   生まれてる
   どこかで水が 
   流れ出す

   どこかで雲雀(ひばり)が
   鳴いている
   どこかで芽の出る
   音がする

   山の三月
   東風(こち)吹いて
   どこかで春が
   生まれてる

…… * …… * …… * ……
 私のような世代には、何とも懐かしい「春告げ歌」です。昭和も30年代半ば頃まで、昔からの童謡や唱歌を学校でも教え、子供たちも真素直に歌っていました。
 百田宗治の歌詞は子供にでも分かる平易でありながら、詞を支える草川信のメロディとあいまって、「どこかで春が」の頃の雰囲気をあますところなく伝えています。

 今冬は例年にない寒い冬の日々が続きました。クリスマス寒波以来今年の1月までは、東日本も西日本も、連日気温が例年を下回る日々だったようです。
 厳しい寒さの中でも、近所の水路道の入り口の小ぶりな梅の木は、1月半ば過ぎ頃から白い花をチラホラ咲かせはじめていました。また同じ頃から、近くの空き地やとある家の庭には、これも小ぶりな乳白色の「春告げ花」水仙が咲き出しました。
 2月は一度半ば頃低い“谷”があったものの、うって変わって例年を上回る暖かい日が続き、水路道途中の地面からは「春告げ草」フキノトウが可愛らしい小さな芽を出していました。

 こういう何気ないことの一つ一つが、「どこかで春が 生まれてる」徴し(しるし)になるものです。どんな厳冬であろうとも、自然の植物はきちんと「春の時」を感知し、花を咲かせるべき時には花を咲かせ、芽を出すべき時には芽を出させるのです。
 何とも霊妙な自然の摂理よ、と思わずにはおられません。

 私にとって『どこかで春が』を聴いたり口ずさんだりすると、真っ先に郷里の春先の情景を思い浮かべます。この歌を歌っていたのは子供時代、そして当時は郷里に住んでいたからです。
 当時の思い出を、08年4月『二木紘三のうた物語』のこの歌にコメントしたことがあります。以下にその主要部分を転載します。(なお適宜段替え、一部修正をしています。)
                       *
   少年が春の大陸発見す
 
 我が山形(私が子供時代を過ごした山形)で『どこかで春が』といえば、根雪がすっかり解けきった、4月初旬頃の感覚だったでしょうか。それでも、この歌のように3月、雪が方々で解け出して、日を浴びてきらきら輝きながら土の上を流れるさまを見て、『あヽ春が来た』と思ったことがあったような…。

 小学4年の前後のこの歌の感じの頃。ある先輩が、望遠鏡なるものを初めて覗かせてくれました。もちろん本式のものではなく、子供用のものだったとは思いますが。そんな望遠鏡でも、何百メートルか先の、普段見慣れた景色の一点に照準を当てて覗きますと、まったく見たこともない別世界に出会ったようなワクワク感を感じますから、子供とは何とも幸せなものです。

 雪は既に解けていて、春先の淡淡(あわあわ)した草が、やけに鮮明に目に飛び込んできたことを覚えています。
 それは、アメリカ大陸を遂に発見し、遠くの船上から望遠鏡でかの大陸を覗き込んだコロンブスの興奮にも匹敵するものではなかったろうか?そう思って作ったのが冒頭の句です。(かなりオーバーですね。)  (以上転載終わり)
 - ひなまつり(桃の節句)の日に

 (大場光太郎・記)

|

« 今回の入試問題は氷山の一角 !? | トップページ | 【読者から】-東京一万人集会の呼びかけ »

名曲ー所感・所見」カテゴリの記事

思い出」カテゴリの記事

コメント

 今年こそは稀に見る厳冬だと思っていました。すると本文を読み返してみたところ、「今冬は例年にない寒い冬の日が続きました」とあるではありませんか。『えっ、そうだったか?』。去年の冬のことなどすっかり忘れていました。
 ただ去年の場合、一度寒さの谷があったものの2月は暖かい日もけっこうあったようです。そこが今冬と大きく違うところです。私の体感では、昨日6日までは「暖かさ」を感じた日はほとんどなかったように思います。
 これをきっかけに日増しに暖かさを加え、「どこかで春が」ではなく、はっきりとした春になっていってもらいたいものです。

投稿: 時遊人 | 2012年3月 7日 (水) 02時55分

時遊人様
雪国の住人とって「どこかで春が」と「早春賦」は琴線に触れる季節の歌の双璧ですね。まだ根雪の融けやらぬうちから立春を過ぎると明るい日差しに心が和みこの歌を口ずさんでしまいます。
未だ2か月は先の事を、待春の情に駆られます。
さて二木様の「母さんの歌」で慟哭のコメントに接し涙が込み上げました。古傷に触れるようですが、Y銀行へ入ってたらお母様との平穏な日々があったでしょうに。学科試験はクリアしていたと推察しております。私の周辺でも高卒の何名かY銀行に入りました。
地元S高校です。失礼の段はお許しください。りんご

投稿: りんご | 2015年2月 6日 (金) 11時05分

りんご様 いつもありがとうございます。

 そうですね、この歌と『早春賦』は雪国にとっての二大待春歌ですね。郷里にいた頃からどちらも好きな歌で、この歌も『早春賦』も「名曲」及び「フォレスタコーラス」カテゴリなどで取り上げています。

 私の頃は2月上旬から中旬にかけて、学校が「冬休み」となったくらい、2月は根雪の本番で、除雪車などなかった昔はどの家でも雪が屋根あたりまで積もり、真っ暗な雪の階段から玄関に下りていったものでしたね。

 立春は過ぎましたが、雪国は特にあくまで暦の上でのこと。それ以降の寒さも半端なかったように覚えています。二十四節気上でも、小寒→大寒と来て、いきなり立春ですものね、いくらなんでもすぐさま「春」とは行きませんよね。ただ、寒さの中、暦の上だけでも「春を先取りしてしまおう」と言うような、中国そしてわが国の古人たちの待春の知恵だったのかもしれません。

『うた物語』の中の『母さんの歌』の私のコメント、お読みいただいたんですか。どうもありがとうございます。いやあ、このコメント、実は気になっているものの一つなのです。ブログ開設時、『浜千鳥』『朧月夜』『湖畔の宿』『影を慕いて』など長文のコメントは、二木先生と相談の上、私の新ブログに移させていただきましたが、『母さんの歌』は失敗作だと思いながら「れいこ様」などのコメントがあり、そのまま残さざるを得なかったのです。

 れい子様は当時75歳くらいの方で、『赤い靴』コメントへの返信以来私のファンになって下さった方で、当ブログにも当初毎日ご訪問いただきました。ただ私が『うた物語』を離れた頃から疎遠となりましたが、本当に懐かしい人です。ご健勝であっていただきたいと陰ながら祈念しております。

 Y銀行の件は確かに当時こたえる挫折体験でした。級友だったH君が採用となっただけに余計です。筆記、面接など3次まではオーケー、最終の4次の家庭訪問を経て不採用となりました。お陰様で紆余曲折、しないでもいい悲哀をずいぶん味わった無駄骨人生だったかもしれません。H君などは山形市内に持ち家を建てたそうですから。

 母には親不孝の限りでしたが、回り道した分貴重な経験もいっぱいしましたし、今思えば「これぞわが人生」と思わないでもありません。

「あなたの人生は今始まったばかりです。」(出典忘失)
 昨年亡くなった船井幸雄氏によると、「すべては必要、必然、ベスト」だそうです。「♪くじけちゃならない人生が~」と歌にもありますが、心が折れてくじけてしまっては、今までの体験はすべてパー、母の死も無駄死になってします。

 65歳の「今ここから」新たな人生のスタートとしていきたいと思います。

投稿: 時遊人 | 2015年2月 7日 (土) 00時59分

時遊人様
筆致からしても大學進学も可能であったと忖度致します。
家庭訪問ではじかれるとは余りにも惨い。
多感な時期だけに生涯のトラウマとなってしまったことも忖度申し上げます。他の銀行も同様と思うが、バブル崩壊後は皆子弟が親の
職場に入っております。
私なども家庭環境の劣悪さを全て社会のせいにして恨んだものです。中学2、3年とバリバリの党員である青年教師が担任(教科は歴史)となり私は有望視されました。
道浦母都子の
「鬱血の心は夜半に遂に溢れぬ私だったかも知れない永田洋子」がようやく記憶の彼方に遠ざかりました。
オルグをせんとや語りけむ。紆余曲折があって教師とは距離を置きました。
以下の貼り付けは先日の地元紙投稿欄掲載の拙文です。
関東の次女はA新聞でも通用するというが敢えて地元紙に投稿。


毎年、受験シーズンに思い出すことがある。今年も受験生を抱えた家庭は、様々な心配りに余念のない日々だと思う。風邪をひかせないように、気落ちさせないようと、昔から受験生には家族の情愛が何よりの励ましで、支えでもある。私は寄る年波で今の事も今忘れる事態だが、一方で50年も前のことはつい先日のように鮮明によみがえる。それは弟の高校受験、その前夜のことだ。
酒癖のよろしくない父の「くだまき」におろおろするばかりの母。
当時、高校3年生の私はたまりかねて「あしたは○○の受験だどいうのに静がにしてけろ!暴れる親がどごさえる!」と抗議した。農作業よりも新聞の精読が優先の父だっただけに言うことが奮っていた。「なんだど!親さ文句つかすどは何事だ。心頭滅却すれば火も又涼しというのをしゃねが」。開いた口が塞がらなかった。心配した弟は無事合格。中学卒に甘んじ弟妹3人の進学を叶えてくれた長兄がよく述懐した。「○○がいつグレルか心配でならなかった」と。長兄の心配を余所に、父を反面教師に弟は真っ当な人格を形成し、今なお老いの胸に向上の灯を絶やさず種々の資格試験をクリアしている。
その彼からつい先日「お爺ちゃんになった」との朗報が届いた。理不尽な父を疎ましく思った思春期も、今なら笑に変換できる。そして教育の機会に恵れたなら応分の道もあったはずと、泉下の父を不憫に思う

写メールで読んだ関東の弟は泣いたそうです。

投稿: りんご | 2015年2月 7日 (土) 09時23分

 道浦母都子の短歌はいいですよね。私より2年ほど先輩ですが、いわゆる同じ団塊の世代で、同世代の心象を心憎いまでに代弁した歌を詠んでくれています。

 以下、『現代の短歌』(高野公彦編、講談社学術文庫)の「レ」チェックを入れた彼女の短歌を。

どこかさめて生きているようなやましさはわれらの世代の悲しみなりき

抒情詩は一片の闇 深深と夜を埋めゆく漆黒の雲

愛は日常の埒の外なりつかのまを艶めきて消ゆ冬の青虹

 貴掲の短歌、同集には収録されていませんが、なるほど、シンパシーを感じてしまいます。私らの世代が起こした全共闘による70年安保闘争については、幾つかの記事にもしていますが、「埒の外」だった私などから見れば、流行性のファッション(いいとこの坊ちゃんたちのお遊び)だった部分がかなりあったと思います。

 ただ一世代前の60年安保世代は、けっこう真剣だったようです。『うた物語』でよきコメ友だった矢嶋武弘さんは、二木先生と同じ早稲田大学の出身(学部は違えど確か同学年)で元フジテレビ記者でしたが、学生運動に身を投じ、見事挫折、転向したのだそうです。それは定年後の今日まで大痛恨事として残り、その苦しい心境をブログで吐露しておられました。

 りんご様はじめ私より数歳年上の世代のまじめで優秀な人ほど、世の矛盾を痛感し、マルクス共産主義に引かれたのですよね。GHQによる3S政策が完璧に奏功した今日のパープー若者、パープー学生からは想像もできませんけれども。

 地元紙への貴投稿文、拝読させていただきました。無駄のない簡潔な名短文、恐れ入りました。娘さんの言われる通り、A新聞の読者欄でも採用されたのではないでしょうか?古い世代であればあるほど、向学心はありながら上級学校への進学は難しい時代でしたよね。大学へなど近隣近郷でほんの一握りというような。

 それに関して、ご尊父も多分に鬱屈した想いがおありだったのでしょうか?弟さんの進学をめぐる前夜の父と子の葛藤が生き生きと活写され、その場にいたご家族みんなの悲しみが伝わってきます。

 私の場合、20代、30代前半の頃かなりの大学コンプレックスがありましたが、スピリチュアルを探求するようになってから、大学などどうでもよくなりました。

「東大の東大」と言われている東大法学部卒連中が中央官僚や政治家となって、何をやっているでしょうか。検察、最高裁、財務省、外務省、原子力村、自民党谷垣、高村、民主党岡田・・・。ロクでもない亡国の連中だと思います。他も押して知るべし、三流成蹊大卒で自分が批判されるとすぐムキになりキレまくる安倍晋三など論外です。

 今の私は、日々の事象や万物から謙虚に学ぶ「ユニバーサル(宇宙)大学」に在籍中(?)のつもりです。「成長に終りはない」 期間はこの世を去るまで、否あちらの世界に行っても続く学びです。と、偉そうに言いますが、今のところ赤点レベルのダメ学生です(冷や汗)。

 なお(ゴルゴ007様にもお願いしたところですが)、諸事情により大変申し訳ございませんが、原則として今後は管理人たる私の返信は致しませんので、あしからずご了承ください。

投稿: 時遊人 | 2015年2月 8日 (日) 01時06分

この記事へのコメントは終了しました。

« 今回の入試問題は氷山の一角 !? | トップページ | 【読者から】-東京一万人集会の呼びかけ »