空は本
寺山 修司
空は本それをめくらんためにのみ雲雀もにがき心を通る
…… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
寺山修司(てらやま・しゅうじ) 略歴などは『ふるさとまとめて花いちもんめ』『身捨つるほどの祖国はありや』参照のこと。
空は本?いったい頭のどこをひねれば、こんな言葉が出てくるのでしょう。若い頃の寺山修司には、このように常人には思い浮かばないような非凡な着想の詩や短歌がまヽ見られます。
「空は本」という着想は、おそらく先行する知識から導き出されたのでなく、ある時無意識のうちにポンと飛び出してきたものだと思われます。冒頭のこのような意表を衝く詩的言語によって、読み手はいつしか寺山ワールドにはまっていってしまうのです。
こだわるようですが、「空は本」とはどんな本なのでしょう?寺山の心でとらえたその本には、どんな言葉で何が書いてあるのでしょうか?
しかもその本を読むのは「雲雀(ひばり)」だと言うのです。
だからこの本は、人間たちが本の概念として持っている「言葉」「活字」が記されているものではないのかもしれません。それとは別の言語、つまり「イメージ」あるいは「直観」でなければ読み取れないもの…。
雲雀(雲のすずめ)と言うくらいですから、その空は雲の多い空なのでしょうか?それならば空の色のほかに、雲の形、色、大きさ、流れ行く方向や早さなどから読み解くべき不思議な書物で、それらを総合的に判断して、この地上世界と寺山自身にフィードバックさせながら読み進めなればならないものなのでしょうか。
ただこの短歌の後半の「雲雀もにがき心を通る」に至って、にわかに現実に引き戻されてしまいます。つまり、雲雀とはメタファー(暗喩)であったことが分かるのです。何のメタファーか?飽くことなく本すなわち「知(ち)」を求めてやまない人間の、何より寺山修司自身の。
この短歌が収められているのは、昭和33年刊の第一歌集『空に本』です。寺山修司22歳。寺山は直前まで病気療養のため入院しており、そのため2年前早稲田大学国文学科を1年足らずで中退を余儀なくされています。
しかしそれは寺山の「知の断念」を意味してはおらず、かえって同世代人の誰よりも「知への欲求」が強まったものと考えられます。だからこそ「空 = 本」という連想にもなるのです。そして雲雀は囀(さえず)りの声はすれども、空の高きにあって姿は見えず。ここから雲雀は、寺山の上昇志向の強さの象徴と思われるのです。
そうなると寺山が想い描いた「空は本」は結局、この世の知を得るための活字の書物に過ぎなかったことになります。
そしてこの世の「知の果実」は、エデンの園でアダムとイヴが食べた善悪の木の実のように「にがき」ものなのです。特に西洋近代原理に基づく「現代の知」というものは。
若き日の寺山も、うすうすそのからくりを感じているわけです。しかし皮肉な逆説として、禁断の木の実は余計食べたくなるものです。
(なお寺山修司は、昭和40年代前半『書を捨てよ、町へ出よう』を出し、アングラ劇団『天井桟敷』を結成するなど前衛芸術の分野に進出していくことになります。)
(大場光太郎・記)
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