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触るるばかりに春の月

                中村 汀女

  外(と)にも出よ触るるばかりに春の月

…… * …… * …… * …… * ……
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 中村汀女(なかむら・ていじょ) 1900年(明治33年)熊本県飽託郡画図村(現熊本市江津)に斉藤平四郎・ティの一人娘として生まれる。平四郎は村の地主で村長も務めた。1912年(大正元年)、熊本県立高等女学校(現熊本県立第一高等学校)に入学。1918年(大正7年)同校卒業。このころより「ホトトギス」に投句を始める。
 1920年(大正9年)に大蔵官僚の中村重喜と結婚。以後、夫の転勤とともに東京、横浜、仙台、名古屋など国内各地を転々とし、後に東京に定住した。
 1934年(昭和9年)ホトトギス同人となり、最初の句集『春雪』を発表。戦後の1947年(昭和22年)には俳誌『風花(かざはな)』を創刊・主宰した。1980年文化功労賞、1984年(昭和59年)日本芸術院賞受賞。名誉都民。
 星野立子・橋本多佳子・三橋鷹女ともに4Tと呼ばれた。1988年(昭和63年)9月20日死去。享年88歳。 (『ウィキペディア』より)

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《私の鑑賞ノート》

 これは、一年中「月」の移ろいを眺めている人にしてはじめて詠める句のような気がします。そう思われるほど、この句は見事に「春の月」の核心を掴んでいます。

 「ちょっと。外に出てみてよ。ほらっ、何とも見事なお月さま。手を伸ばせば届くようじゃない?」
 ある春の晩、中村汀女は先に外に出ていて、空を見上げて、そこにぽっかり浮かぶ大きな月を認めたのです。まるで「触るるばかり」に間近く感じ、感嘆のあまり我を忘れて、家人にそんな呼びかけをしたことが想像できます。

 この句は特別な技巧など凝らさずに、そういう経緯をそのまま一句として詠んだものです。そのことによって逆に、名句と呼ぶにふさわしい一句となっているようです。
 
 こういう名句が生まれるそもそものきっかけは、汀女の自然万物に純粋に向き合い、かつそれに感動できる感性です。これを詠んだ時の汀女は、もうそこそこの年齢に達していたと考えられます。したがって、これまで同じような月を何度も目にしてきたことでしょう。がしかし、汀女は「真新しい月」をこの時見出したのです。

 この句ではただ「春の月」とあるだけです。では春といっても三春のいつ頃か、時刻は何時頃なのか、月の大きさはどんな具合かなどは分かりません。しかし類推は可能です。
 私が思いますに、時期はこの句の月の感じからしてまさに盛春の頃。時刻は月が東の中空くらいに昇っている夕方、それも日没直後くらい。であるからには、この月は当然満月かそれに近い月ということになります。

 と言うのも、例えば早春の月ではまだ、この句のような豊かな感じはありません。また夜半過ぎ中天にかかった月では、最早「触るるばかりに」とはいきません。さらに夕刻に西の方(かた)えに傾いている眉月(びづき)でも、こうはならないのは明らかです。
 したがって自ずから、盛春の夕の東の中空に大きく浮かんでいる春満月以外にはないはずなのです。

 良い句というのは、このように大変シンプルでありながら、読み手が読み取.る意思さえあれば、句全体の情景がまごうかたなく浮かび上がってくるものです。

【追記】

  日が没(い)りて浄(きよ)さを増せし春満月   

 今から10年以上前、俳句を始めたばかりの頃に詠んだ拙句です。春の満月とは言え、日没前はまだ薄らボンヤリと浮かんでいる感じでした。しかし日が没すると共に、その姿がくっきり、はっきりと東空の斜め上空に「現れた」感じがしました。
 それは本当に手を伸ばせば届くかと思われるくらい、大きく間近く見られたのです。ですから本当はその「間近な感じ」を表現したかったのですが、出来ずに、こんな句になったのでした。
 だからなおのこと、中村汀女の「触るるばかりに」とズバリ核心を衝いたこの句には驚かされたのです。  (2013年4月4日記)

 (大場光太郎・記)

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コメント

  日が没(い)りて浄(きよ)さを増せし春満月   

 今から10年以上前、俳句を始めたばかりの頃に詠んだ拙句です。春の満月とは言え、日没前はまだ薄らボンヤリと浮かんでいる感じでした。しかし日が没すると共に、その姿がくっきり、はっきりと東空の斜め上空に「現れた」感じがしました。
 それは本当に手を伸ばせば届くかと思われるくらい、大きく間近く見られたのです。ですから本当はその「間近な感じ」を表現したかったのですが、出来ずに、こんな句になったのでした。
 だからなおのこと、中村汀女の「触るるばかりに」とズバリ核心を衝いたこの句には驚かされたのです。

投稿: 時遊人 | 2013年4月 4日 (木) 13時54分

 本記事は2011年4月26日公開でしたが、今回トップ面に再掲載します。なお今回、新たに画像を挿入致しました。さらに今回、2013年4月4日再公開時の私のコメントを「追記」として末尾に転載することとしました。

投稿: 時遊人 | 2018年4月28日 (土) 04時07分

この記事へのコメントは終了しました。

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