春の鳥な鳴きそ鳴きそ
北原 白秋
春の鳥な鳴きそ鳴きそあかあかと外(と)の面(も)の草に日の入る夕べ
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《私の鑑賞ノート》
北原白秋(きたはら・はくしゅう) 略歴は『出臍の小児笛を吹く』を参照のこと。
若き日の北原白秋の詩歌(しいか)には、今読んでもハッとするような斬新な作品がけっこうあります。近代日本文学において、幻想文学の先駆者であった泉鏡花が「言霊(ことだま)使い」なら、詩人の北原白秋は「言葉の魔術師」と評されました。
この短歌は、白秋の類い稀な才能がいかんなく発揮された作品と言えます。
「春の鳥な鳴きそ鳴きそ」
意味としては「春の鳥よ。そんなに鳴かないでおくれ」ということです。その裏には、「それ以上鳴かれると、私の心まで哀しくなってしまうから」という含意があるわけです。
それにしても「な鳴きそ鳴きそ」とは何という表現なのでしょう。古雅でありながら、逆にかえって瑞々(みずみず)しい表現として印象されてきます。
「あかあかと外の面の草に(当っている)日の入る夕べ」
小鳥のなおも鳴き止まない声を聴きつつ。ちょうどその頃、白秋が佇んで眺めている草原(くさはら)を赤々と返照させている夕日が、今しも西の方の小高い丘か小山かに沈もうとしています。
北原白秋という鋭敏な詩人の心は、その情景に言い知れぬ「哀しさ」を感受したのです。そうであるがゆえの「春の鳥な鳴きそ鳴きそ」です。したがってこの場合の春の鳥の「もの哀しい」鳴き声は、白秋自身の心の投影に他なりません。
「短さ」を生命線とする詩歌にあって、言葉は決定的に重要です。優れた詩人、歌人、俳人であればあるほどそのことが骨身に沁みて分かっていて、一つ一つの言葉に命を吹き込むようにして、詩や短歌や俳句を作ってきたのです。
そのようにして刻み込まれた「詩的言語」は、もはや単なる言葉にとどまらず、幾重にも重層的な意味を帯び、その短い作品に奥深さと広がりを与えます。
北原白秋のこの短歌などはまさにその好例のようです。
普段見慣れたある春の夕暮れの景色が、いっぺんにその様相を変じて、常ならぬイメージをまとった北原白秋的物語世界が現出されてくるのです。
(大場光太郎・記)
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