ドナルド・キーン氏、日本永住を決意
-なまじの日本人より「日本の心」を深く理解しているドナルド・キーン氏のことを-
ドナルド・キーン氏(88)が、最近日本国籍を取得し、余生を「日本人」として過ごす決心をしたということです。
ドナルド・キーンといっても、今の若い人や年配の方でも知らない人がおられるかもしれません。ただ昭和30年代、40年代頃日本文学に関心のあった人ならおなじみの名前であることでしょう。
米国出身のキーン氏は、日本文学研究のパイオニアとして知られた人物なのです。
同氏の人となりを知るために、華麗な略歴を以下に簡単に紹介してみます。
ドナルド・ローレンス・キーン(日本研究家、文芸評論家)は、1922年6月18日ニューヨーク市に貿易商の子として生まれました。少年時代に両親が離婚し、以後母子家庭で経済的困窮のうちに育ちました。ただ奨学金を受けながら“飛び級”を繰り返し、1938年16歳でコロンビア大学文学部に入学しました。
同大学では当初中国語特に漢字の学習に惹かれていきますが、ある時英訳版『源氏物語』に感動し、日本語を学び始めると共に、同大学の角田柳作(つのだ・りゅうさく)教授のもとで日本思想史を学び日本研究の道に入りました。
日米戦争時は、米海軍の情報士官として太平洋前線で日本語の通訳官を務めました。戦後は母校のコロンビア大学に戻り、1947年ハーヴァード大学に転じ、さらに1948年から英ケンブリッジ大学に学び同時に同大学講師も務めました。1949年にはコロンビア大学大学院東洋研究科博士課程を修了しています。
1953年京都大学大学院で学ぶため初来日し、京都市東山区北熊野に下宿しました。そこで当時京大助教授だった永井道雄と知り合い、終生の友となりました。
1986年には「ドナルド・キーン日本文化センター」を設立し、また1999年から「ドナルド・キーン財団」理事長に就任しています。勲二等を叙勲され、2008年には文化勲章を授与されました。コロンビア大学教授、名誉教授として、日本語、英語の著書数十冊。近松門左衛門、松尾芭蕉、三島由紀夫など古典から現代文学まで、日本文化を欧米に紹介した数々の業績は高く評価されています。
英語版の万葉集や19世紀日本文学、中国文学のアンソロジーの編纂にも関わりました。2006年には「源氏物語千年紀」の呼びかけ人にもなっています。
クラシック音楽、特にオペラの熱心な愛好家であり、音楽之友社から音楽関係のエッセイ集も出しています。
主に交流のあった作家は、三島由紀夫、谷崎潤一郎、川端康成、吉田健一、石川淳、安部公房などです。特に三島とは交流が深くその一部翻訳や、中央公論社からキーン宛ての三島の『書簡集』が刊行されています。三島事件直後に届いた最後の葉書には、「私は遂に魅死魔幽鬼男になりました」というような一文がありました。 (主に『ウィキペディア』より)
以上見てみますと、何ともまばゆいばかりの絢爛たる学究人生と言うべきです。
1968年、映画『いちご白書』のモデルとなった学園紛争がコロンビア大学であって騒然となった時は、「自宅」で授業をしたそうです。その時でも教え子たちは、同氏の表現を借りれば「日本文学に惚れていた」そうです。
「だから授業もうまくいった。教え子には本当に恵まれた」と現在述懐しています。
このドナルド・キーン氏。今年の4月26日、約10人のコロンビア大学院生などを前に最後の授業を行い、56年にも及ぶ教師生活にピリオドを打ちました。余生を「日本人」として過ごすためです。
約35人の報道陣が見守る中、キーン名誉教授は、ゆったりとした穏やかな口調ながらも、「19年前の公式な引退後も教壇に立ってきたが、日本では八十八歳(米寿)は重要な年。私も人生をチェンジすべきだと考え、日本で残りの人生を全うすることにした」と、英語で決意を語りました。
同氏が日本永住を考え始めたのは、今年1月に日本で3週間入院した際、『余生がどのくらいか分からない。残りの人生をどこで過ごすか』と真剣に考えたことだったといいます。そして「一番住みやすいのは日本」という結論に達したのだそうです。
そこに3月11日の東日本大震災です。テレビで物凄い津波の映像を見て、「日本にせめてもの恩返しがしたい」と日本国籍取得の決意を固めたのだそうです。同氏の決断について、「日本の人たちに勇気を与える」と言ってくれた日本人もいたそうです。
キーン氏は35年前から東京都内に家を持ち、これまでも1年の3分の2を日本で過ごしてきたといいます。同氏は東京都北区名誉区民でもありますが、とにかく日本にいる時が一番落ち着くというのです。NYも嫌いではないものの、NYに帰ってくると物を買う時や医者の診察などの不親切さにショックを受けるといいます。同氏いわく「人間と動物の一番の違いは“礼儀”にある。私自身日本に来て礼儀を守るようになった」。
歌手アンジェラ・アキも、昨年NHK『こころの遺伝子』の出演中確か同じようなことを言っていました。これについて私たちは、もっともっと自国の良さを見直すべきなのかもしれません。
大の愛日家であるドナルド・キーン氏ですが、今回の震災の危機管理や原発事故では、日本政府の情報隠蔽体質に対しては厳しく批判しています。
「昔から、日本政府は透明性を欠いていた。(中略)米国などでは詳しく報道されるが、日本政府は、はっきりした情報を出すのを避ける。ごまかしているなどとは思わないが、米国とは事情が違う」。
いいえ、キーンさん。お立場上はっきりとは言えないでしょうが、今回の福島原発事故では、日本政府は明らかに何重にも「ごまかして」います。今のこの国は「人情は一流、経済は二流、政治は三流」です。それに付け加えますれば。私のような下々の見ている隣人同胞の姿では、近年「人情は一流」も怪しくなりつつあると思うのですが…。
ともあれドナルド・キーン氏の日本永住、一国民として大歓迎致します。ご決断大変ありがとうございました。益々ご健勝、ご長命でご活躍されますよう、心よりお祈り申し上げます。
【注記】
本記事は、「ウォル・ストリートジャーナル日本版」の『【肥田美佐子のNYリポート】日本永住を決意したドナルド・キーン氏に聞く』(5月13日付)を参考にまとめました。 http://jp.wsj.com/Japan/node_235776
またドナルド・キーン氏は、恩師の角田柳作教授について『角田先生と私』という印象的な回顧文を綴っています。その中で、「先生がいなかったら、私もいなかったと言っても、過言でありません」と結んでいます。
http://www.wul.waseda.ac.jp/tsunoda_web/p16.html
(大場光太郎・記)
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