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アネモネ

                  ベン

  心をゆすぶるものー、お前、アネモネよ、
  大地は冷たい、無だ、
  そこでお前の花冠は
  信仰の、光のひとことをつぶやく。

  力のみが栄える
  善意なき大地に、
  お前のつつましい花は
  ひっそりと播(ま)かれたのだ。

  心をゆすぶるものー、お前、アネモネよ、
  お前は信仰を、光を担っている、
  その信仰をやがて夏が冠として
  大きな花々から編み上げるのだ。

              (浅井真男 訳)
 
… * …… * …… * …… * …… * …
《私の鑑賞ノート》
 ゴットフリート・ベン 1886年~1956年。ドイツ西プロイセンの牧師の子。医師になり、二度の大戦に軍医をつとめた。社会生活に絶望し、ニヒリズムに直面して知的に詩作している。リルケ以後のドイツ最高の詩人と見られている。 (『世界青春詩集』より)

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          アネモネ
   
 我が青春時代の愛読詩集、『世界青春詩集』に収録されていた一詩です。当時気に入り何度も読み返しました。
 今とは社会の状況が違っていたとは言え、修羅闘諍のこの世界、「力のみが栄える 善意なき大地」という状況は、たとえ時代がどう移り変わろうとそう変わるものではありません。
 いな高度経済成長が唸りを上げて本格的に離陸しつつあった当時(昭和40年代半ば)は、「力こそすべて」とする「力への信仰」は、今より凄まじかったと断言できます。

 「力の時代」はそれに見合った力をしっかり身につけ、そのシステムに巻かれていく以外勝ち残るすべはありません。これが西欧式の産業革命以来特に強まった傾向です。繊細な魂を有するベンは、このような非人間的な殺伐とした社会に絶望したのです。
 
 結果詩人はこの詩で、「力」とは対極に「アネモネ」をそれと対峙させています。
 アネモネのような果敢(はか)ない花こそが、「信仰」そして「善意」の象徴だと詩人は讃えるのです。それだから時の「力ある者」たちは、信仰や善意を嘲り笑うわけです。

 しかしイエスは山上の垂訓で、「野の花を見よ。装うことも紡ぐこともしない。…かつてのソロモン王の栄華とて、この花の一つだにも勝りはしなかった」と説きました。この喩えのように、騙し絵のようなこの現し世(うつしよ)の価値観がどうであれ、「真実の世界」ではか弱きアネモネが、善意なき力に勝っているというのです。

 詩人はアネモネを通して、真実をしっかり観照しているとみることができます。

 「善意なき大地」は、20余年前のバブル崩壊、十数年前の阪神淡路大震災、そしてこの度の東日本大震災を経て、少しずつ「善意ある大地」に変わりつつあります。その意味でこれらの痛ましい大きな災難、災害は、私たち日本人への「目覚め」の役割を担う出来事だったと言えます。

 目覚めの究極的意味とは「霊的覚醒」ということです。それには無限と言ってもいい階梯があります。試金石となるのは、「野の花(アネモネ)」を「ソロモン王の栄華」より尊いものとする価値観へ転換出来るか否かです。

 私たち日本人は、とうの昔からそういう価値観を持っていたではありませんか。
 何の屁理屈も要りません。日々生かされていることに真素直に感謝し、お天道様に感謝し、時々に出会う人、生き物、一木一草にも思いやりをもって優しく接する。先ずは、日本人が古来から培ってきた素朴な信仰心に還ればいいだけです。

 (大場光太郎・記)

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