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阿修羅のあるコメントに思うこと

 -当時私は高卒の一労働者。同世代の活動家たちを複雑な想いで見ていた-

 『菅直人と仙谷由人の「学生運動」』「阿修羅掲示板」に掲載されました。いつも当ブログ記事を投稿してくださっておられます「七転八起」様には、あらためまして感謝申し上げます。
   http://www.asyura2.com/11/senkyo114/msg/902.html

 さて阿修羅掲載の同文に、以下のような強烈な反論コメントが寄せられました。転載させていただきます。
                       *

04. ケロリン 2011年6月13日 16:53:20: 6aICm6xzPa6aE : OYXZNtmeUE

いろいろ、ひとさまの批判は、たやすいことだ。
当時の状況も何もしらない、知ったかぶりが、エラくえらそうにモノ申す。
何が「総括」していないだ。・・・しゃらくさい。

いくら腐れ「菅」であろうと、あれがまだ、一番マシだからその立場に居るんだよ。七転八起よ、・・おまえは今、どんな立場でどんな役割で、普段はいったい何をしてるんだ?・・・こんな恵まれた時代に、何でもできるだろう?・・・政治にモノ申すということは、速攻で己の器と肚決めが試されるんだぞ・・・分かって、エラそうに言ってるんか?

特に、政治と、ややこしい宗教は、命を張らなければ越えられない場面が出てくる。単なる傍観者・批評家なら、鏡見て、自分自身を鍛え直してから、出直せ。
                       *
 このように阿修羅掲載の一文については、投稿者にすべての責任がかかってくるわけです。私の場合、七転八起様にはしばしばご迷惑をおかけしており、この点深くお詫び申し上げます。
 今回の「04 ケロリン」さんには、是非何かお答えしたい気持ちになりました。しかし阿修羅コメントでは不適切です。そこで今回当ブログでお答えすることと致しました。

 コメントされたケロリンさんは、推察するに当時の学生運動を実際経験された活動家のお一人だったのでしょうか?私は一読して、『これは何ともヒドイ非難中傷のたぐいだ』と思いました。しかし後でよく考えてみて、なるほどケロリンさんのご批判ももっともだ、と思い返されたのです。
 そのことを勘案しつつ今現在私が考えますことを、以下に述べさせていただきます。

 「当時の状況を何もしらない、知ったかぶりが、エラ<えらそうにモノ申す。」
 これは半分当っており、半分は当っていません。私は当ブログでしばしば述べてきたとおり、昭和43年(1968年)3月に東北某県の高校を卒業し、就職のため神奈川県県央地区の当市にやってきました。当時の時代状況を肌で感じながらも、慣れない首都圏ぎりぎりの所で、時に悔し涙にかきくれて、歯を食いしばって必死で生きていました。
 しかしまた高卒の私は、同世代の学生運動家としての実体験を有していません。その意味では、当時の学生運動の生の実態を何一つ知らなかったと言えるのです。

 当時の率直な感じでは、諸事情によって大学進学できなかった私からすれば、国家エリートとして学生運動に身を投じている同世代の人たちを、ある種の羨望をもって眺めていたというのが一つあります。
 と同時に、町の小さな会社に勤めた私は、上司たちから徹底的にしごかれていました。そんな私からすれば、『彼らはいいなあ。お気楽にゲバ棒ふるっていれて。つまりはどこぞのお坊ちゃまたちなんだろうな。カネを稼ぐのがどれだけ大変なことか…』というような、冷ややかに見ている一面もあったのです。

 今回どなたかのご指摘どおり、70年学生運動家を一くくりに論じてしまったのには、内情をよく知る機会がなかったことに加えて、以上のような私なりの当時からの印象の残像が今日まで残っていたこともあるように思われます。

 「いくら腐れ「菅」であろうと、あれがまだ、一番マシだからその立場に居るんだよ。」
 この部分についてはどうなのでしょう?「菅が一番マシ」ですか?仮にケロリンさんが活動家のお一人だったとしたら、これはご自身を貶める一文だと思われるのですが…。
 私は菅直人や仙谷由人とは3歳ほど年下ですが、まあほぼ同世代といっていいのかもしれません。しかしこんな者たちが「一番マシ」とは思いたくもありません。それではまるで、私たちの世代全体がロクでもないクズ世代のようではありませんか。
 私が再三申し述べておりますとおり、この二人が今国政の中枢に居座り続けていられるのは、それとは別の「黒い政治力学」が働いた結果だと考えますが、いかがでしょうか?

 「政治的にモノ申すということは、速攻で己の器と肚決めが試されるんだぞ」「単なる傍観者・批評家なら、顔見て、自分自身の身を鍛え直してから、出直せ。」
 この部分が最もこたえました。ケロリンさんのおっしゃりたいことはよく分かります。
 しかし一言言わせていただければ。阿修羅掲示板にも政治的批判記事が日々多く寄せられます。また3・11大震災や福島第一原発事故以降特に、各ブログでも政治を批判する記事が多くなりました。中には大器量をお持ちで、確乎たる肚決めのもとに批判文をモノにされている方もおられることでしょう。しかし大半はそんな悲壮な決意ではなく、「こんな政治状況でホントにいいのか?」「オレも(私も)一言何か言いたい」ということなのではないでしょうか?
 そういう自由な言論空間こそが「ネット草の根民主主義」だと思うのです。

 それを、かなり高いハードルをクリアーしなれば「政治批判することまかりならぬ」と言うのでは、例えば「阿修羅公論」などは成立しないと思われるのですが、いかがでしょうか?
 確かに拙文の場合、70年学生運動について認識が浅かったことを率直に認めなければなりません。しかし阿修羅にせよ各ブログにせよ、プロの政治評論家以外は、それで飯を食っているわけではありませんから皆シロウトです。正鵠を得ている論、的外れな論、読みの深い論、浅い論、気に入った論、気にくわない論と多々あっての「ネット公論」です。
 これについて「オマエのはダメだから、今後モノ申すな」では、自由な言論の統制につながりかねないと考えます。

 「特に、政治と、ややこしい宗教は、命を張らなければ越えられない場面が出てくる。」
 前後が逆になりましたが、この部分はまったくそのとおりだと同感致します。かつてケロリンさんご自身が、学生運動中かその後の人生の局面でか、そういう修羅場に直面されたことがあるのだろうと思わせられる迫力があります。
 私はこの部分、そしてこのコメント全体、実は嬉しくもあったのです。『あヽこの人は本当に真剣に学生運動と向き合っていたんだな。その後挫折し、苦悶し、自問自答し、懊悩してきた人なんだな』と感じられるからです。
 70年学生運動への、私の認識の再考を迫られたケロリンさんには感謝申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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