二ビル、アブラハム、ユダヤ→ウラニウム(1)
ユダヤ民族の始祖・アブラハムから始まる、「ウラニウム事始め」
今回は“掟破りの書”『プレアデス 銀河の夜明け』から、今問題の原子力発電所の核燃料の原料である「ウラニウム(ウラン)」に関する、驚愕の情報をご紹介します。この情報をチャネラーである著者、バーバラ・ハンド・クロウ女史に伝えてきたのは、プレアデスの中心星・アルシオネの中央図書館で、女神性を体現しているというサティアという存在です。
私は同著の情報にほぼ同調しているため、皆様からみれば奇異な内容でも、以下断定口調で述べていきますのでご了承ください。
「フクシマ」によって我が日本はおろか世界中が、原子力・核・原発の脅威に直面しています。これは現代特有の問題と思われがちですが、この書の伝えるところ、既に古代において「核戦争」が起きていたのです。それもアトランティスなどという夢物語のような超太古文明でではなく、紀元前2024年(つまり今からほぼ4千年前)のことだというのです。
そしてその引き金を引いたのが、ユダヤ民族の始祖とされる「アブラハム」なのです。
この4千年前の核爆発によって、2次元の元素形態が彼らの領域から飛び出し、その結果私たちの祖先は元素の苦痛をあまりにも強く感じたのです。そこでそれから注意を逸らす目的で編纂されたのが、ヘブライ聖書(旧約聖書)だったのです。
同聖書の中で“ヤハウェ”は復讐する火の神として描かれ、この大いなる事実否定をおさめるための神殿と宗教が築かれました。まさしくエルサレム神殿やバチカンなどキリスト教の各教会は、この否定を保持するシステムに他ならないのです。
こうして時代を経るごとに否定は積み重ねられていき、人間の体内にはそれを保っておくためのインプラント(埋め込み)が存在し、ちょうど原子炉のように肉体から感情の廃棄物を吐き出しています。
人間は意識的、無意識的に“ヤハウェ”に対して、とても不安な気持ちを抱いています。中には“彼”こそが張本人ではないかと直感している人もいます。この隠された際どい思考形態が、現在人類の中に非常に深く刻み込まれた終末論的思考プロセスとして具現化しているのです。
これは人間の現実の最も危険な傾向であり、「父なる神」への強迫観念を手放しさえすれば、終末論的思考の毒を除去することができるのです。
そこで「アブラハムの物語」です。
今から約5千年前の紀元前30世紀頃、ユーフラテス川流域に古代シュメール文明が栄えていました。シュメール都市「ウル」(メソポタミア南部カルデア地方-現在のイラク南部)は、二ビルによって支配されていました。
「二ビル」とは、元々はシリウスBの軌道を廻っていた巨大惑星で、今から40万年ほど前その軌道から外れ、我が太陽系の軌道に入り込んできた惑星です。
二ビルは楕円形の超長周期を有しながら、3600年に一度地球に大接近してくる惑星です。そのため現代天文学でもその存在を把握できていないのです。
当時ニビル人はシュメール人と呼ばれ、シュメールは(今のバチカンのように)「アヌンナキ = 後のヤハウェ」を頂点とする神権政治でした。さてここでアブラハムの登場です。
サティアが時空を超えて透視するところ、シュメール都市・ウルから派遣されたアブラハムが<「光り輝く元素を入れた箱」を運んでいくのが見えるといいます。彼はそれが大変危険な元素で、大きな怖れを生むことを知っているので、慎重に守っています。この箱は、後に出エジプト時、モーセが十戒などを納めて運んだとされる「契約の箱」の原型とも言うべきものです。
この元素はウルの地中深くから掘り出されましたが、ニビル人たちが埋めておいたものでした。よく聞いてください。したがって「ウル」こそが、「ウラニウム」(ur-anium)の語源なのです。
ウルは、放射線を保管するためにアヌ(アヌンナキ)が選んだ、ニビル人(シュメール人)の首都だったのです。
サティアは言います。「この種の言葉にどれほど深遠なコード化がなされているか、そろそろ気づいてください。人間の創造性の中枢コントロールセンターがある場所は頭蓋骨、つまり「クラニウム」(cr-anium)です。あなたがたの世界の制限も、潜在的創造性も、すべて言語のなかにちゃんと存在しているのです。5次元のわたしが見るとあなたがたの盲目ぶりは傑作ですが、命取りになるかもしれないので笑ってばかりもいられません。」 (以下次回につづく)
(大場光太郎・記)
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