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武蔵野を傾け呑まむ

            三橋 敏雄

   武蔵野を傾け呑まむ夏の雨

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 三橋敏雄(みつはし・としお) 大正9年、八王子市生まれ。実践商業学校卒。昭和10年、当時の新興俳句に共鳴して作句開始。渡辺白泉、西東三鬼に師事し、当初より無季俳句を推進。「風」を経て「京大俳句」に参加、弾圧に遭う。戦後「断崖」「天狼」「面」「俳句評論」同人。昭和42年第14回現代俳句協会賞、平成元年第23回蛇笏賞受賞。『三橋敏雄全句集』(平成2年刊)がある。平成13年12月1日没。 (講談社学術文庫・平井敏照編『現代の俳句』より)

 《私の鑑賞ノート》
 私は長い間この句を、「武蔵野を傾け呑まむ夕立(ゆだち)かな」と記憶していました。今回取り上げるにあたり確かめたところ、「夕立」ではなく「夏の雨」とあり少し驚いてしまいました。
 なぜそのような記憶違いをしていたのでしょう。思い当たるのは『角川文庫版「俳句歳時記・夏」』の「夕立(ゆうだち)」の項の、以下の記述です。
 「武蔵野の夕立は馬の背を分けるといわれ、激しいことで知られている。」
 これによっていつしか私の中で、「武蔵野に降る雨 = 夕立」という事になっていったのかもしれません。

 対して「夏の雨」について同書では、
 「夏に降る雨のことで、明るさを背景に感じさせる。新緑のころに降る雨は緑雨(りょくう)という。」とあります。
 「夕立」が盛夏の夕方突然襲ってくる豪雨とすれば、「夏の雨」は季節的には初夏の頃、突発的ではなく終日降り続くしめかな雨ということのようです。

 しかし三橋敏雄のこの句に限っては、しとしと降る穏やかな雨ではなさそうです。そう感じさせるのは「武蔵野を傾け呑まむ」です。通常のそぼ降る雨では、こういう表現にはならないはずです。
 ここで降っている雨は、上から真っ直ぐに降りてくる穏やかな雨ではないのです。斜め方向から吹きつけ地面にたたきつけるような土砂降りです。だからこそ、作者が目の当たりにしている武蔵野の全景が「斜めに傾いているのか?」と錯覚されるほどだというのです。

 「昔の武蔵野は萱原(かやはら)のはてなき光景を以て絶類の美を鳴らして居たように伝えてあるが、今の武蔵野は林である。林は実に今の武蔵野の特色といっても宜(よ)い。」 (国木田独歩『武蔵野』より)
 武蔵野における林とは、楢の木などの雑木林です。「武蔵野の俤(おもかげ)は今わずかに入間郡に残れり」で始まる、自然描写の名作『武蔵野』の発刊は明治34年。三橋敏雄のこの句がいつ頃作られたのか正確にはわからないものの、戦後であるのは間違いなく、「武蔵野の俤」はかなり消失していたであろうことは想像に難くありません。

 ただこの句を味わう場合、どこと地域は特定できないまでも(あるいは出身地の八王子市近辺か?)、武蔵野台地上の丘陵地帯の一角、そして背景はもちろん武蔵野特有の雑木林でなければなりません。ビルや家屋など人工的建造物は邪魔ですから無い方がいいでしょう。
 武蔵野の大景に、斜めからたたきつけるような土砂降りの夏の雨。青葉繁れる雑木林の全景が霞み、呑み込まれてしまうほど凄まじい雨が降り続いているのです。

 (大場光太郎・記)

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