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真清水の音のあはれを


               黒田 杏子

   真清水の音のあはれを汲みて去る

…… * …… * …… * …… * ……
 黒田杏子(くろだ・ももこ) 昭和13年、東京本郷生まれ。旧姓斉藤。疎開以後宇都宮女子高卒業まで栃木県で生活。東京女子大学心理学科卒。在学中より山口青邨の指導を受ける。夏艸賞受賞。第一句集『木の椅子』にて現代俳句女流賞、俳人協会新人賞。平成2年10月、俳誌「藍生」(あおい)創刊主宰。著書に句集のほか、『花鳥俳句歳時記全4冊』『あなたの俳句づくり』『今日からはじめる俳句』など。  (講談社学術文庫・平井照敏編『現代の俳句』より)

《私の鑑賞ノート》
 この句における季語は「真清水(ましみず)」です。純粋な混じりっ気のない清水という意味になるのでしょうか。清水はもちろん一年中見られる現象ですが、夏の季語と定まっているのです。どうしてなのでしょう。『角川文庫版「俳句歳時記 夏』には「清水」についてこうあります。
 「天然に湧き流れ出している清冽(せいれつ)な水はいかにも涼しげである」

 暑い夏にあって「涼しさ」を催させるがゆえに夏の季語となったのです。その関連で言えば「涼しさ」や「泉」なども夏の季語です。

 「清水」には他に「山清水」「岩清水」「苔清水」「草清水」などがあります。一々述べるまでもなく、これらは清水が湧き出ている場所や情景をくっきり思い浮かべることができます。

 ただ今回の句は真清水とあるのみなので、上記のように場所や情景がさほど特定できません。それでかえって、読み手が「思い出の清水」に置き換えて読む自由度を与えられていると言えるのかもしれません。

 作者の主題は別のところにあります。「(真清水の)音のあはれ」こそが、この句の主眼点であるのです。真清水の「音」に着目し、かつその音を「あはれ」と捉えたところが、この句を秀逸なものにしています。

 実際には「清水を汲んで去って行った」という現実的行為を、
   真清水の音のあはれを汲みて去る
と一句成立させたことにより詩的に昇華しているのです。
 黒田杏子という俳人の感覚の鋭さを感じます。

 「音のあはれ」にはさまざまに考えさせられます。どうやら平安朝の人々の「もののあはれ」にも通じるところがありそうです。

 多分想像するにこの句は、黒田杏子がどこか旅に出た折りの出来事を詠んだものらしく思われますが、清水を汲んだその場所あるいは清水そのものとの「一期一会(いちごいちえ)」の通い合いのようなものが感じられます。

 おそらく「真清水の音」は、幽けき(かそけき)音だったのでしょう。

 作者の「音を汲みて去る」という行為は、何やら「御水音(おみずおと)遷(うつ)し替え」というような聖なる儀式のようにも思われてくるのです。

 (大場光太郎・記)

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