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2011年8月

野田新首相、幹事長に輿石氏を起用

 -「党内融和」はウソではないらしい。民主党再生の第一歩となることを祈る-

 野田佳彦代表は30日、衆参両院本会議で新首相に指名された。それを受けて同日、政権運営の要である党三役人事に着手した。その結果幹事長には輿石東参院議員会長、政調会長には前原誠司前外相、国会対策委員長には平野博文元官房長官を充てることに内定した。

 野田政権の基本的姿勢をうかがい知り今後の政権運営を占う上で、党人事は注目された。決まった党三役の中でも最重要はやはり幹事長である。
 幹事長起用には、(1)親小沢派(2)中間派(3)反小沢派の3パターンが考えられた。事前には小沢グループに配慮して、中間派の川端達夫元文科相あたりの起用で落ち着くのではないかとの予測が多かった。
 しかしどうだろう。いざフタをあけてみると、小沢一郎元代表に近い輿石参院議員会長に決まった。「野田新首相、意外とやるじゃないか」と、一先ずは言っておこう。
 代表に選出された29日の夜に早くも野田から打診があったらしい。輿石は小沢に相談したところ「受けた方がいい」と勧められていたという。

 やっとこさ辞めさせることができた菅前首相は、枝野幸男、岡田克也と続けて反小沢派から幹事長を起用した。菅自身が当初から反小沢を鮮明にしたため当然の人事だったといえる。しかし幹事長職に見られる、党の半数近い勢力を有する親小沢派を無視しての政権運営は見るも無残な結果に終わった。
 野田佳彦は財務副大臣、財務大臣として、菅内閣の中枢で菅前首相を支える立場だった。しかし内心では党の半分を敵に回しての政権運営のあり方に疑問も抱いていたのだろう。今代表選期間中「党内融和」を言っていたのはウソではなかったようだ。

 野田首相は30日昼、国会内に輿石参院議員会長を訪ね「幹事長は党内融和の象徴」と就任を要請したそうである。輿石は「参院議員会長として支える」と固辞したものの、同日夕党本部に場所を移して輿石に「あなた以外考えていない。引き受けていただかないと他の人事も進まない」と説得。これに輿石は「親小沢だ、反小沢だと言っていたら挙党態勢なんかできない」と注文をつけた上で受諾したという。

 こういう行動から人間性が透けて見えるものである。
 野田新首相は「松下政経塾第一号総理」などと喧伝されている。前原誠司に典型的に見られるように、同政経塾出身者は今日では評判があまりよくない。だが○○大学出身といっても十人十色であるように、生まれ育った環境や個性によって、一くくりには出来ない側面もあるだろう。
 その面で野田は意外と苦労人のところもありそうだ。能力もないくせに、プライドばかりやたら高かった菅直人とは一味、二味違うようだ。最高権力者になっても、肝心な頼み事では身を低くしてお願いしなければならない。菅直人にはそれが出来なかったが、野田はしょっぱなからそれをやった。

 己の非力さ、能力を弁えているから、「もし政権を担当することになったら、反小沢を通すのはオレには無理だ」と早くから考えていたのかもしれない。
 菅を見れば分かるが、最高権力者が自ら腰を低くして人に頼み事をするのはなかなか出来ないことなのだろう。総理大臣としての力量は当然未知数ながら、野田は少なくとも菅よりは「人間的器量は上」と判断出来るようである。

 財務相時代はヌーボーとしてさしたる特徴もなかった野田ではあるが、首相になった途端早速「野田カラー」を出した幹事長人事である。これは野田本人の腹案で、菅直人、仙谷由人、岡田克也といった野田政権誕生の推進者に相談することなく一人で決めたことなのだろう。もし相談したら即座に潰されたはずだ。
  党内にくすぶる反小沢派はもとより、自公など野党にも歓迎されない輿石幹事長をよく決断したものである。持論の大連立など後回しにしても、「とにかく党内の結束を図り足場を固めることが先決だ」と考えたのだろう。
 政権運営にあたってこれが一番肝心なのに菅には最後まで出来なかった。この着眼点を押さえているだけでも野田は菅よりは賢そうだ。

 こうした経緯で幹事長を引き受けることになった輿石は記者団に、「ただ一つ、党内融和に全力を尽くす」と抱負を語っている。輿石幹事長は引き続き参院議員会長も兼務し、衆参両院の党運営・国会は対策を取り仕切る大きな権限を持つことになる。
 小沢元代表に近い輿石幹事長としては、ロクな仕事をしなった岡田前執行部らの悪しき置き土産である、小沢の党員資格停止処分を一日も早く解除したいところだろう。それについて輿石は記者団に、「(見直しを主張してきた)私の考えは変わっていない。民主主義のルールとして、時期をみて党内論議もされる」と見直しに前向きな考えを示した。
 幹事長権限で岡田体制と逆のことをやればいいのである。党倫理委や党役員会のメンバーを親小沢メンバーに必要数差し替えれば処分解除となるのだ。

 前原政調会長にはひっかかるが、これは致し方ないだろう。前原は野田首相誕生の殊勲者だから、党か閣僚かの重要ポストでの処遇は当然である。自民党シンパの前原政調会長に、自公は歓迎らしい。しかしいくら「オレがオレが」の前原でも、幹事長を飛び越えての野党との政策協議も出来ないだろう。
 「良いとこ取り」の前原よ。この際輿石幹事長の下でしっかり党務に専念して、難しい野党との折衝や裏方としての汚れ仕事をみっちりこなすことだ。それがきちんと出来なければ「首相」など百年早いぞ。

 9月2日閣僚人事を見てからでないと総合的な評価は下せない。しかし輿石幹事長によって、野田政権が「党内融和」を本気で考えていることが分かった。これは小沢元代表や同グループにとって、と言うよりも日本の政治にとって「より良き方向に向かう」第一歩である。
 バカを見るといけないから過大な期待はしないが、それでも新政権に少しは期待したい。

 (大場光太郎・記)

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「野田で決まり」に深い失望感

-かくて悪徳旧勢力が幅を利かせるに比例して、日本はどんどん酷くなっていくのだ-

 本日は午後から外出していて帰ってきたのが夜の9時過ぎ。本日午後の民主党代表選の行方が気になっていたものの、それまで結果はまったく知らなかった。海江田万里で決まりだろうと思っていたが、一抹の不安もあった。
 早速ネットニュースを開いてみた。そのトップにある見出しには驚いた。それは読売ネットのものだったが、以下のようだった。
 「海江田氏、なぜ敗れたのか・・・1回目投票で1位」
 これですべてを了解した。1回目で決着がつかず、2位候補との決選投票となったのだ。という事は2位とは野田佳彦だろうから、海江田と野田との一騎打ちの末、野田が勝って海江田が敗れたということだろう。さらに詳細記事を読んでみたらやっぱりそうだった。

 前回の『小沢氏「海江田」という意外な選択』で触れた不安が現実になってしまったのだ。
 あーあっ、やんなっちゃうなぁ。またかよー。昨年の鳩山前首相辞任時の「6・2クーデター」以後、ずっとこんな悪夢を見せられっ放しだ。何度も変なデジャヴュが繰り返されてたまらんぜよ。
 菅直人という希代の「一難」は確かに除去できたのだろうが、代わって別の「一難」が待ち受けているのは確実なのだ。

 今代表選での民主党の選択とは、菅直人というどうしようもないのを野田佳彦という別の表紙に差し替えただけなのだ。中身は何も変わっちゃいないのである。
 日本憲政史上最低・最悪の首相だった菅直人は、こうして表紙から中身に潜り込むことにまんまと成功した。この者には辞めると同時に、東京地検に刑事告発されている外国人献金事件の追及、福島原発事故データ隠しによる住民被曝などで、犯罪人として法の下で厳しく裁かれるのが筋である。
 しかし野田という菅流政治の継承者を得たことによって、今後は裏に回って院政を敷く余地を残したのだ。法務省を抑えて、外国人と拉致実行犯親族会社への献金事件もうやむや決着となる可能性大である。

 野田&前原擁立の陰の仕掛け人である仙谷由人も息を吹き返した。中国漁船衝突事件、菅降ろし、大連立…。決定的成果ゼロどころか“ヘボ軍師”確定の陰険な策謀家が、野田の後見人として日本の政治を壟断する機会を再び得たのだ。仙谷は以前にも増して露骨な政治的専横をしてくるだろう。
 菅政権で重大な責任を負っていたのが、幹事長職にあった岡田克也である。昨年からの主要地方選での連戦連敗、政権運営上の度重なる失敗などにより、菅と共に政治生命が終わっていても不思議ではなかった。しかし今回の野田勝利によってしぶとく生き延び、なおかつ将来の首相の芽さえ残したと言えるのである。
 「世の中逆さま」とはこういう状況を言うのである。

 前原誠司は米国戦争屋系ジャパンハンドラーズのパペツトで、下手すると米国代理戦争としての日中戦争まで起こしかねない危ない人物である。そんな前原が選出されなかったのは、この国にとって不幸中の幸いというべきである。
 しかし1回目で3位となり2回目で野田勝利の立役者の一人となったのが前原である。これで次期首相候補の最右翼の地位を不動にしたといっていいだろう。小沢抜きの民主党が政権にあり続ける間は、この国にとっての危機が去ることはないのである。(だからと言って、自公政権への先祖返りを望んでいるわけではないので、誤解なきように。)
 その他枝野幸男、玄葉光一郎、安住淳、蓮舫などといった有象無象たちもまんまと延命に成功した。この者たちも含めた論考行賞人事があからさまに行われることだろう。

 2回目の決選投票の帰趨を決したのは、今泡沫候補だった鹿野道彦の動向だったようだ。以前記事で同県出身という理由だけで鹿野を推したが、とんだ見込み違いだった。鹿野は、小沢と野田グループなど反小沢側とを両天秤にかけていたのだ。そして最終局面でグループ挙げて野田支持に走ったのだ。
 山形県人の風上にも置けないとんだ食わせ者である。仮にもこんな者を推そうとした私自身の不明を恥じなければならない。

 その点馬渕澄夫は前非を悔いて、今回の決選投票では約束どおり海江田支持に回った。日本偏向協会(NHK)が「馬淵氏は野田支持に回ったもよう」といういう意図的(?)誤報のおまけつきだ。
 私は聞いていないが、候補演説では国家ビジョンを語るなど大器の片鱗を見せたという。民主党存続の有無に関わらず、将来首相になってもらいたい一人である。

 野田新首相となって確実に待ち受けているのは、財務省言いなりの大増税路線、ТPP推進など米国属国化、そして09マニフェスト全否定となる自公などとの大連立等々である。「米官業の利益が第一」の菅流政治の踏襲だから、嫌でもそうなるのだ。
 野田首相誕生に「今ミスター財務省」の勝栄二郎事務次官らが暗躍したというから、遂には19%まで行く筋書きという消費税大増税はもう確定だろう。

 ここでどうしても述べておきたいのが小沢元代表のことである。一部マスコミの論調では「小沢氏はこれで決定的な敗北を喫した」と書いている。確かに小沢元代表にとって今回の結果はダメージが大きいかもしれない。
 しかし今代表選も昨秋代表選同様、菅、仙谷、岡田らが主導したものであったことを忘れてはならない。初めから「民主党B」有利の流れだったのだ。そして前回と同じく今回も大マスコミが強力な「反小沢キャンペーン」を展開してくれた。そんな不利な条件の中、よくぞここまで健闘したと讃えるべきである。

 私は「これで小沢は終わりだ」などとは考えない。小沢は昨年頃から尊敬する『鄧小平伝』を折りに触れて読んでいるそうである。そして「鄧小平はオレの年頃にはまだ地方でくすぶっていたんだよな」と漏らしたという。
 確かに鄧小平は、例の文革を主導した江青(毛沢東の妻)ら四人組によって、長く地方に飛ばされていたのだ。鄧が復権して中央政府に返り咲いたのは72歳の時、私たちが知っているのはそれ以降の鄧小平なのである。
 それからすれば「オレなんかまだこれから…」というのが、小沢の心境ではないだろうか。

 それにこれで小沢元代表の政治生命が終わりということにでもなったら、日本はますます正義も何もない暗黒国家になるばかりである。
 後1、2年が悪徳旧勢力との熾烈な戦いの正念場である。小沢一郎を中心とする09年政権交代時の「正統民主党」「民主党A」の火を消してはならない。

 野田新首相の小沢元代表へのスタンスがどうなるのか、仙谷、菅らの「反小沢」路線を踏襲するのか、それとも本当に「党内融和」を図るつもりがあるのか。それは間もなく発表される、幹事長などの党人事や閣僚人事ではっきりすることだろう。もっとも仙谷らの策謀では、小沢グループの人材を重要ポストで抜擢し、小沢の影響力を削ぐことも考えているというから要注意である。
 しかし菅短命の最大の要因は「小沢排除」である。野田がもし賢明だったらそれを「他山の石」として、自分はどうすればいいのか分っていることだろう。

 小沢元代表と同グループの今後の対応は、野田新政権次第と言えるのだろう。もし仙谷らの影響が強すぎて小沢排除を止めないのなら、彼等とはしょせん「水と油」である。これ以上不毛な抗争を続けるよりは、小沢・鳩山ら「民主党A」は思い切って離党し、新党結成も視野に入れるべきである。
 党外には亀井静香、田中康夫、鳩山邦夫、桝添要一、松木謙公など錚々たるつわものや、自民党の共鳴議員などがけっこういるのだ。解散あるいは政界再編へと、「真の政治」を目指して政局は一気に流動化していくのではないだろうか。
 もちろんその主導権を握る人物こそ小沢一郎その人である。

 (大場光太郎・記) 

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小沢氏「海江田」という意外な選択

 -国難的状況下の小粒代表選。誰が首相になっても前途多難と言うべきだが…-

 ぎりぎりまで手の内を明かさなかった小沢一郎元代表が、遂に支持する代表候補者を明らかにした。海江田万里経済産業相がその人である。意外な選択というべきである。おそらく小沢の“隠し玉”は他にいて、現候補者たちとは別に擁立するつもりで密かに準備していたのだろう。それが不調に終わり、次善の策として海江田に落ち着いたのではないだろうか。

 小沢元代表は先々週、石井一、輿石東、亀井静香と代表選について意見交換した際、「来週(つまり先週)は自分が動く。最後は一本にまとまる候補者がいる」と発言したという。つまりその時点で名乗りを挙げている海江田、野田、前原、鹿野、馬渕などとは別の、「党内融和」が図れる第3の候補者を念頭に置いていたと思われるのだ。
 小沢はその時ポスト菅の人物像として、「経験や知識があって命懸けでやる人でなければならない」とも語ったそうである。

 小沢の上記発言から判断するに、それらの条件に当てはまる人物は極めて限られてくる。つまりは鳩山由紀夫前首相か西岡武夫参院議長くらいしか思い浮かばないのだ。分けても先週しきりに囁かれたように、西岡議長の線がかなり濃厚だったのではないだろうか。
 菅直人首相による昨夏の参院選で民主党は惨敗し、「衆参ねじれ」状況を自ら作り出し、以後四苦八苦することになってしまった。今後ねじれ国会を乗り切るためにも、西岡議長、輿石参院議員会長の老練な野党対策でこの難局を乗り切るためにもまたとない妙手であったはずだ。

 西岡氏本人が固辞したのか、鳩山グループから反対論が出たのか、あるいはまったく別の要因が働いたのか。とにかく本来の小沢構想は結果として頓挫した。「豪腕」でならした小沢一郎らしからぬことである。
 そして鳩山らとの折衝の末折り合ったのが、鳩山グループ所属の海江田万里ということか。小沢にすれば諸般を考慮しての苦渋の選択だったのだろう。ともかく「国会泣き男」の異名が定着した感のある海江田にしてみれば、願ってもない“棚ボタ”といったところだろう。

 海江田万里は、05年の「郵政選挙」では落選の憂き目に遭い、09年の政権交代期待による強い追い風に助けられて返り咲き当選を果たした口である。菅政権下経済財政担当相になったはいいが、後からのこのこ入り込んできた、同じ選挙区(東京1区)で勝ったはずの与謝野馨(比例復活当選)に同ポストを奪われ、経済産業相に横滑りさせられる屈辱も味わっている。
 降って湧いような福島第一原発事故では、経産省官僚寄りだ、東電寄りだとさんざん批判され、ストレステストを巡っては菅首相に手柄を横取りされるなどが重なって、国会答弁中の異例の涙となった。
 それが今度は次期代表選の有力候補に躍り出たのである。これで本当に首相にでもなれば、「人生万事塞翁が馬」という故事は海江田のためにあるようなものではないか。

 海江田万里は昭和24年2月26日生まれ。私とは同年生まれであるが、彼の方が1学年上である。いわゆる「団塊の世代」として初の首相誕生の期待は一応ある。これは5候補すべてに言えることであるが、ただしこれまでの経産相としての実績からして、本当に「首相の器」かどうかは疑問符がつくところではある。
 具体的な政策などはあまりよく知らないが、一つだけはっきりしていることがある。小沢元代表の党員資格停止処分解除に言及しているように、もし首相に就任すれば菅政権下の「反小沢」から「親小沢」へと劇的に転換することだけは間違いないだろう。
 個別の政策や政治的力量はともかくとして、これこそが民主党再生のために一番必要な要素なのかもしれないのである。

 その代表選が本日29日に行われる。まったく慌しいことに、きょうの夕方には次期首相が決まっているのだ。
 そこで問題は海江田が果たして新首相になれるかどうかである。これは大問題だ。小沢元代表が実質的指揮を執る海江田陣営としては、出来れば1回目投票で過半数を制して決着つけたいところだろう。2回目になると、前原、野田などが合従連衡して思わぬ形勢逆転の可能性も有り得るからだ。「誠司とカネ」を引きずって、前原は意外と不人気らしい。すると2位野田、3位前原で、海江田対野田の決選投票か。仙谷、岡田ら「反小沢」一派はしゃかりきになって攻めてくるだろう。
 いずれにしもこの難局に、米国ジャパンハンドラーズの指令を受け、反小沢の頭目・仙谷由人が陰で糸を引く野田・前原連合を勝たせてはならない。

 圏外とみられる鹿野、馬渕候補は別として、野田、前原は、「第二自民党」菅政権の踏襲者でもある。菅直人には早く辞めてくれと言いながら、いざふたを開けてみればその亜流がポスト菅だったでは話にならないではないか。昨秋代表選で菅直人に投票した205名はそれを深く反省するべきだ。
 こうしてみると海江田は、次善の策とし致し方ないのかもしれない。

 (大場光太郎・記)

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「生命の書」アカシック・レコード

 今回のテーマは「アカシックレコード」です。これは「20世紀の眠れる予言者」として有名な、米国のエドガー・ケイシー(1877年3月18日~1945年1月3日)によって広く知られることとなったものです。
 エドガー・ケイシーは睡眠状態で、クライアントの病気の治癒法から深遠な霊的指針、エジプト古代文明やアトランティス超古代文明に関することなど、驚くべき広範囲な情報をリーディングしました。その源泉(ソース)となったのがアカシックレコードだと当時から言われていたのです。

 「アセンション」とは、このアカシックレコードとの繋がりを取り戻すこと、それを自在に活用出来ることになることであるとも言えます。今までご存知なかった方は、これをきっかけに「アカシックレコード」探求の第一歩としていただければと思います。
 なおBGMの美しい女性詠唱は、今回もエンヤさんです。

         
                      “The Book of Life”
                  The Akasha Records
                         「生命の書」
                      アカシック・レコード


時間は限りなく流れている、しかし記憶は永遠に残り続ける
               - 読み人知らず

             しかし、あなたの名が
     天に書き記されているということを
                   喜びなさい
       - ルカによる福音書10-20

     世界中の多くの宗教、多くの伝統は
     神秘的「生命の書」に基づいている

         アカシックレコードは
     宇宙の記憶、波動の記録とも言われ
創造に関わった全てのことが刻印されているものである

       つまり、人類一人ひとりが
   それぞれの記憶を持っているのである
   それは映像のような記録をまとめたもの、
  つまり、すべての出来事、行動、思い、感情を
         記したものである

        アカシックレコードには
       一つひとつの魂の全歴史が
  創造の始まりからすべて記録されているのだ
           それはまた
     お互い同士をつなげる記録である

    単に出来事を記録しているのではなく、
     宇宙の歴史上起こったすべてのこと
  一つひとつの行動、言葉、感情、思考、意志・・・
それらをすべて記録しているのがアカシックレコードなのだ

           それは・・・
   一冊の本、記録書も見落としたことのない
        宇宙の大図書館なのだ

アカシックレコードは実にすべての情報を網羅している
  それは、私たちの日々の生活、関わり、感情
        信念体系、起りうる現実
私たちが思い描くこと全てに多大な影響を及ぼしているのだ

        「生命の書」の記録は
  アカーシャ(虚空、エーテル体)と呼ばれる
    精妙なエネルギーに刻まれている

          アカーシャとは、
 自然界の四大元素「火」「空」「地」「水」が創造された
   大元となる原始元素であるとも考えられている

    記憶とは、誰もが内に宿している日記だ
               - オスカー・ワイルド

           アカシックレコード、「生命の書」は
            セム族、アラブ族、フェニキア族
       バビロニア族、ヘブライ族にまで溯って
         たどっていくことができるものである

                  アカシックレコードは
       宇宙意識、集合意識に近いものである
           と記しているものも存在している

                         ひとりひとりの記憶は
         それぞれにとっての文学書である
                  - アルダス・ヒュークレイ

       アカシックレコードの存在を信じる者は
     歴史上のさまざまな文化の古代人によって
          その価値を認められてきたことを
             紛れもなく肯定しているのだ

     さまざまなテクニック、霊的な修練によって
    誰もがアカシックレコードにアクセスすること
        その媒体となることができるのである

      古代エンプト人は、アカシックレコードが
  オリオン座のベルト部分とギザの大ピラミッドと
              繋がっていると信じていた
        そしてまたギザの大スフィンクスが
未来永劫、その霊的守護神であると信じていたのだ

【補足】本文末尾の、オリオン座とギザの大ピラミッドについて
 近年の研究で、ギザの大ピラミッドを含む三ピラミッドは、オリオン座のベルト部分に位置する「三ツ星」(完全な直線ではなく、ほんの少し「く」の字に曲がっている)の完璧な縮小であることが分かっています。
 大ピラミッドの建造は数万年前、そしてスフィンクスはそれよりも古く何十万年前の建造です。スフィンクスの地下深くに、起源からの真の人類情報を刻んだディスクが保存してあり、エドガー・ケイシー予言では、ある人物によって近未来それが発見されることになっています。  (大場光太郎・記)  

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驚愕情報-凶星ニビル大接近?

-これは人類の生存に関わる重大事。今から覚悟しておく必要があるかもしれない-

 これはまさに驚愕の情報です。当ブログで6月に『ニビル、アブラハム、ユダヤ→ウラニウム』シリーズを公開しました。問題の巨大惑星「ニビル」が、太陽系そしてこの地球に大接近中だというのです。
 それも何年か先の話などではなく、地球に最接近するのは何と間近に迫った9月11日だとさる海外の人物が言っているというのです。それのみか米国の主要紙の『ワシントン・ポスト紙』までが、惑星探査機によって巨大惑星接近の可能性について報じているのです。

 思えば謎の惑星X【ニビル-NIBIRU】の接近については、例えば学研のオカルト雑誌『ムー』では今から20年も前に特集していた記憶があります。しかしその頃は現実的な実感に乏しく、『どうせずっと先の事だろ』くらいにしか思いませんでした。
 それがいきなり9月11日最接近というのですから。それも何の暗合なのか、例の「9・11」はちょうど10年前のその日ですよ。

 私個人的には最接近は今年ではなく、問題の来年2012年12月22日前後なのではないだろうかと考えています。
 これは決して単なる絵空事ではないのです。知らぬは日本人ばかりなり。実は「Two Sun(2つの太陽)」が昨年から世界各地で目撃され、映像としてYouTubeでも公開されているのです。香港のテレビ局は「両太陽」として報じました。ニビルはいよいよ可視化し得るまで地球に接近しているということです。

 NASA(米航空宇宙局)はニビル接近を1970年頃から予測していたといいます。にも関わらず今まで一切公表してこなかったのです。NASAは言わずと知れたユダヤ・イルミナティの一機関ですが、「不都合な真実」は徹底的に隠すのです。それが今回同じユダヤ・イルミナティ系の『ワシントン・ポスト』がその可能性を報じたということは、いよいよ「条件」が整ったということなのだろうと考えられます。

 ちなみに「ニビル」とは、
 ★ 太陽系の10番目の惑星
 ★ 公転は太陽を3600年で回る超楕円軌道
 ★ 木星に匹敵する大きさ(質量は木星の約4倍)
 ★ ニビルの衛星は5つ
 ★ ニビルは褐色矮星(ゆえに天体観測所の望遠鏡による観測が難しい)

 こんな巨大惑星が地球に最接近したら、どんな大災厄がもたらされるやら測り知れません。いずれ近いうち嫌でもその不気味が姿が、この日本でも目撃されることになるでしょう。その時になってパニックを起こさないよう、今からしっかり腹をくくっておく必要がありそうです。
 これはもう、国の政治システムがどうだこうだというような一国の問題や、現下の世界的金融不安などすべてぶっ飛ぶ話です。全人類の生存に関わる超深刻な問題なのです。
 よって当ブログではこれをきっかけに、「ニビル接近」問題を今後さまざまな角度からアプローチしていきたいと考えます。 (大場光太郎・記)
                       *
1ヵ月後の9月11日に巨大惑星『』が地球に接近する可能性
『秒刊SUNDAY』(08月11日付)
http://www.yukawanet.com/archives/3896440.html

nemesis

3600年周期で太陽系を交差している謎の惑星『ニビル』がいよいよ1ヵ月後に地球に接近する恐れがあると、海外のとある人物が発表している。惑星ニビルは木星の約4倍にもなり我々の地球はピーナッツのような状態に近いという。このような惑星が地球に接近した場合、天災は愚か地球ごとの見込まれてしまう可能性もある。しかし本当に1か月でそんな悲劇のカタストロフィが起こると言うのか。

nibiru-planet-of-crossing

惑星ニビルについては以前から、オカルト雑誌等が頻繁に取り上げ、まことしやかな話をあたかも直ちに危険が迫っているかのように論じてきたが、全くと言っていいほど信憑性の薄い話だった。

ところがアメリカのワシントンポスト紙が「地球衛星軌道を周回中のIRASがオリオン座の方角に巨大な天体を発見」と報じさらに、NASAが惑星Xとして冥王星の彼方に惑星がある可能性を公表。惑星ニビルの存在が現実味を帯びてきた。

更に今回そのニビルが地球に接近しており、約1ヵ月後(9月11日ごろ)に最も接近するのではと海外メディアが報じている。9月11日と言えばちょうどアメリカ同時多発テロと重なる。

ちなみに、ニビルの質量はなんと木星の4倍もあり、地球などはピーナッツほどにしかならないほど小さくなってしまうという大変巨大な惑星だ。

しかしそんな巨大惑星がなぜ今まで発見できないかというと、信じられないことに人の目には見えず、赤外線か何かでしか見えないという。つまりもし地球にニビルが接近して何かとんでもないことが発生しても決して目の前にニビルが現れるわけでもなく、何事も無く地球が崩壊していくに違いない。


『何それバカバカしい』と思った方は、それで良いと思う。だが心配で夜も眠れないと感じている方、この発表を行った人物の肉声がYouTubeに残されていたので聞いてみてはどうだろうか。

ただし、彼のノリにも付き合ってあげても良いという時間に余裕のある方限定にしてほしい。


http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=eiqHqnqChdI

(ライター:たまちゃん)  (転載終わり)

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阿修羅の「特定人規制」について(2)

七転八起さん固有の投稿規制を今つくりました。あしからずご了承ください。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/137.html
投稿者 管理人さん 日時 2011 年 7 月 07 日 20:39:52: Master 

今から、お願いします。

七転八起さんのみの投稿規制その1
七転八起さんは、1日1板3投稿まで。ただし、昼休み板、番外地板、カルト板は無制限。

その2
七転八起さんを含むすべての方は、
(ryuubufanのジオログ)を1週間に1個以上転載してはならない。

その1,その2の理由:内容がそれほどおもしろくないのに多数引用するので。

以上、よろしくお願いします。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/137.html
                       *
 上記の阿修羅管理人による七転八起氏への無体な「投稿規制」については、『阿修羅の「特定人規制」について』で既に取り上げました。この投稿規制問題はその後も、上記阿修羅の「お知らせ板」でますます先鋭化した白熱の議論(コメント)が続いています。
 阿修羅掲示板に日々投稿される記事もさることながら、普段なら滅多に読まれることのない「お知らせ板」のこのスレが、今や阿修羅読者の最大関心事になりつつある気配すら感じられます。
 ちなみに本25日現在で、コメント数は341にも達しています。これは日々投稿されぶっちぎりでトップに君臨する記事ですら遠く及ばないほどの驚くべきコメント数です。
 
 その後第一の当事者である七転八起氏とruubufan氏による、執念の管理人追及と過去の阿修羅掲示板内探索により、管理人さんに関わる重大な疑惑も明るみに出てきました。それは、
   管理人=EGaQ73B5yp
という大疑惑です。これがなぜ大疑惑なのかは、これをご覧の方々が上記記事のコメントを順に追って読まれることをお奨めします。ごく簡単に申せば、立場上突っ込んだコメントの出来ない管理人が、「EGaQ73B5yp」なるコメンテーターに「なりすまし」、管理人にとって都合のいい回答を誘導するという手口です。このパターンが2度ほど繰り返されたのです。

 管理人=EGaQ73B5yp
 これはもう確定でしょう。七転八起氏、ruubufan氏の指摘を受けてから、EGaQ73B5yp氏がこのスレにまったく現われなくなり、管理人もその疑惑についてダンマリを決め込んでいることが何よりの動かぬ証拠のように思われます。
 EGaQ73B5yp氏退場と同時くらいに、新手の“バッシンガー”として参戦してきたのが「フシギ空間」氏です。以来このスレでは、七転八起氏、ruubufan氏vsフシギ空間氏という様相を呈しています。

 まあこの者(フシギ空間)、目障りこの上ありません。一種のパラノイア(偏執狂)といっていいようです。とにかく七転八起氏指摘のとおり、ブンブン飛び回る「窓外の蝿」のような五月蝿(うるさ)さです。七転八起氏、ruubufan氏の言葉尻を捉えては混ぜ返しています。両氏の言説の無効化を狙っているのが見え見えです。
 中には、管理人=EGaQ73B5yp=フシギ空間という説もあるようです。しかし私の感じでは管理人とEGaQ73B5ypは限りなく同一人物としても、フシギ空間氏は別人であるようです。ただ管理人の一派かシンパであることは間違いなさそうです。

 五月蝿すぎるフシギ空間ですが、多弁すぎて、つい最近さらに管理人一派の重大疑惑につながる情報をポロッと漏らしてくれました。
 「平成の坂本龍馬排除三位一体攻撃」疑惑です。
 (参考)http://www.asyura2.com/10/kanri19/msg/742.html
 上記URLにアクセスすれば一目瞭然ですが、今年4月の段階で一時ぶっちぎりのランキングトップを飾った「平成の坂本龍馬」氏に対して、管理人、EGaQ73B5yp、フシギ空間の3氏(または2氏)がコメントで足並みそろえて追い出しにかかり、実際同氏を追い出した実績があったのです。今回の七転八起氏排除のケースとまったくの同パターンです。
 この一派はとにかく、(寄付金も上納しないくせして)阿修羅で目立ち過ぎて目障りな投稿者は徹底マークし、タッグを組んで強引に追い出しにかかる人たちのようです。

 7月7日の事の発端から既に1ヶ月半以上経過し、同スレは議論百出なのに、管理人さんはいまだハグラカシとダンマリに終始し、「初めの処分にて変わりなし」として、誰もが納得し得る統一見解を出そうとしません。代わって突如汚い手を使ってきます。
 「フシギ空間」という分身を使うこともその一例ですが、数日前七転八起氏が多く引用しているruubufan氏ブログを突然「アラシ認定」し、同URLをすべて消去したことなどはその最たる例と言えます。
 このような横暴極まりない管理人に対して、

七転八起殿
ここは管理人さんが正義で管理人さんの価値観がすべてなのですよ。ここではあなたがどのように感じ、何を考えるかは関係なくて、管理人さんが嫌だと感じることはすべて誤りなのです。管理人さんの意思がすべてであることを悟るべきです。(以下略)

というようなコメントで、賛意を表するコメント氏(287)もいます。
 これではまるで阿修羅管理人は、「朕は国家なり」の仏ルイ王朝、戦前の我が国旧天皇制、金一族世襲による北朝鮮体制と同じでいいのだ、これを受容せよということです。287氏の物言いは、このような「専制君主制」を承知した上で投稿者たちは投稿せよ、それに不満なら阿修羅から出て行けという論法なのです。
 これでは、「ネット言論」や「ネット民主主義」は成り立ち得ません。戦前の息苦しい検閲、言論統制と一緒です。

 私は阿修羅掲示板の詳しい経緯など知る由もありません。漏れ聞くところ同掲示板はスタート当初、久米宏の『ニュースステーション』で取り上げられてブームのきっかけとなったことがあったようです。以後着実に読者を増やし、今では総アクセス数5千万件にも迫ろうかという驚異的数字も記録しています。今や押しも押されもせぬ「天下の大掲示板」なのです。
 途中1、2度「管理人交代」があったかどうかはいざ知らず。阿修羅は天下の掲示板としての本来の使命を果たす公共的役割を帯びています。なのに管理人さんは、恣意的な都合で特定の投稿者を排除し、繰り返し説明を求めてもきちんとした「説明責任」を果たそうとせず逃げ回っています。
 
 今「ネット言論」に強く求められているのは、とうの昔に権力へのチェック機能を放棄し、ウソ、偏向、歪曲、捏造に満ち満ちた既存マスコミに代わる「真実の言論の場」です。心ある人々が期待しているのは、この国で良心の最後の砦としてのネット言論の場であるのです。
 そこでは管理人たる者、日々投げ込まれる記事に対して、また投稿者に対して、厳正すぎるほどの公平性、中立性が要求されます。同時に必要ならば速やかな情報開示と説明責任を果たさなければなりません。説明できない恣意的な理由で特定人を言論の場から排除するなどあってはならず、言論統制以外の何ものでもありません。

 その上「このまま行けば立ち行かなくなる」はずだった阿修羅掲示板は、読者の寄付(浄財)によって息を吹き返したのではありませんか。幾重にも、管理人の「専制君主制」など許容されるはずがないのです。

 さして目立たなかったとはいえ、七転八起氏によってかなり私の文章を阿修羅に投稿していただきした。「おもしろくない」「ショウモナイ」という管理人さんの感想には、私の各文も含まれるわけです。
 そのせいもあって、日々「お知らせ板」のこのスレをのぞいては憤懣やる方なく、何度かコメントしようかと考えたこともありました。しかし私は当ブログ更新で手一杯です。そこでグッとこらえて成り行きを見守ってきました。
 今後ともそうしていくつもりですが、側方支援となりますどうか、たまにはこうして関連記事を書いていきたいと考えます。

 これをお読みの方々も、同スレにおける今後の推移にご注目ください。出来れば訪れて、直接コメント群に目を通してみてください。下手な推理小説やサスペンスドラマより、よっぽどスリリングです。
 この問題は「ネット言論」の在り方にも関わる由々しき問題です。是非関心を持っていただければ幸いです。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/137.html

 (大場光太郎・記) 

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島田紳助、芸能界引退

 -暴力団関係者とズブズブなのは、島田紳助だけか。氷山の一角ではないのか-

 世間に衝撃が走った。「テレビ界のドン」といった感じのあった島田紳助(本名:長谷川公彦-55)が23日夜、芸能界引退を表明したのだ。原因は紳助の暴力団との黒い関係が明るみに出たことである。

 島田紳助は04年、吉本興業の女性社員を殴って怪我をさせた事件を起こした。その時は何ヶ月かの謹慎のみでテレビ界に復帰できた。(同事件は略式起訴され、罰金30万円の略式命令で決着。)
 しかし今回発覚した暴力団との関係は根深いものがあり、8月中旬に吉本に外部から持ち込まれた情報を同社は独自に調査したらしい。その結果「かばいきれない」と判断したようだ。記者会見に同席した、よしもとクリエィティブ・エージェンシーの水谷暢宏社長は「社会的影響力の高いテレビなどに登場しているタレントとして、厳格な態度で臨んだ」と語った。

 島田紳助と暴力団との関わりは概略以下のとおりである。
 紳助は04年6月から07年6月までの3年間、暴力団関係者らと親密さをうかがわせるメールのやりとりをしていたことが判明。調査の結果その事実を知った吉本側が、紳助に事実確認を行ったところ、その行為を認めその時自ら芸能活動からの引退を申し出たという。
 問題となった暴力団関係者について水谷社長は、「十数年来の友人関係」としながらも「違法行為に関わったり、暴力団の活動に協力したりするようなことはなかった」と、単なる“お友達”であることを強調していた。
 しかしどうやら紳助と暴力団との関係はズブズブらしい。

 紳助は会見で友人Aと暴力団関係者をBとして交友を説明した。Bとは十数年で5回程度会っただけで、Bにトラブルでお世話になったお礼などをAのメールを通して伝えていたという。
 ここでAとは元プロボクシング世界王者の渡辺二郎であるという。渡辺は羽賀研二の未公開株詐欺事件で今年6月、大阪高裁から恐喝未遂で懲役2年の有罪判決を出されている。渡辺は大阪府警に山口組の「極心連合関係者」と認定された構成員で、紳助は渡辺が銃刀法違反容疑で逮捕された際情状証人として出廷した間柄だという。

 またBは「極心連合会」の橋本弘文会長だとみられている。橋本会長と紳助との関係を、紳助とは実懇の仲であるノンフィクションライターの森功氏は、関係者の証言として次のように記している。
 「紳助は、橋本本人だけやのうて、家族ぐるみで付き合いしとるんです。ガサのときには嫁さんと一緒に写っている写真なんかもいっぱいあった」「極心の関係者に聞くと、『オヤジ(橋元会長)には、3日に一回ぐらい電話がかかっくる』ほどらしい」(『週刊現代』5月14日号)

 紳助には以下のような話まであるという。
 「紳助がヤクザ絡みの恐喝に関与しているという情報があるのです。被害者に証拠があるようで、ヤクザとお友達のレベルでは済まなくなる可能性があります」(捜査事情通)
 これを知った吉本興業がビビって、紳助をこのまま所属させておくと会社に火の粉がふりかかってくるのを恐れて、事実上の解雇(クビ)にしたという観測もあるようだ。

 以上の“裏”紳助に対して“表”紳助は、その軽妙なしゃべりと毒舌、マルチな才能で人気を博し、誰知らぬ者とていない超売れっ子タレントだった。引退直前に紳助が司会として仕切っていたのは、『行列のできる法律事務所』(日本テレビ系)『クイズ ! ヘキサゴンⅡ』(フジテレビ)『開運 何でも鑑定団』(テレビ東京)などレギュラー6本。
 また紳助は実業家としての顔も持ち、不動産投資や飲食店経営も手がけている。55歳にして資産数十億円と言われるほどの超資産家でもある。

 それからすれば、「一般人」に戻っても悠々自適の生活が待っているといえる。しかし待ち受けている現実はそれほど甘くはないかもしれない。
 一つは上の恐喝関与事件が進展して、紳助にまで捜査の手が及ぶケースだ。もしこれがなければ、ほとほりが冷めた頃「芸能界復帰」という線は十分考えられるが、仮に刑事被告人にでもなれば復帰は絶望的だろう。
 それにもう一つは、レギュラー番組降板の“落とし前”である。事が暴力団絡みでの降板だけに、後始末には各キー局とも苦慮しているという。各局合計で数十億円規模の損害賠償に発展するのではないか、との一部情報もある。

 吉本女子社員への殴打事件や各レギュラー番組出演者への傲慢な態度など、近年島田紳助はおごりが目立っていたようだ。「おごれる者は久しからず」。紳助にとって今回の件は奈落への転落となるのだろうか。

 引用、参考
 『日刊ゲンダイ』「バケの皮がはがれた-エセ視聴率男-島田紳助」(8月25日5面)など

 (大場光太郎・記)

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『星の流れに』から『東京ブルース』へ

 戦後しばらく我が国の流行歌で「怨み節」というのが流行りました。女が男を、あるいは世の中を怨む内容の歌です。何と言ってもその先駆けとなったのが、昭和22年に大ヒットした『星の流れに』でした。
 当時この歌を歌ったのは菊地章子です。次に紹介する『東京ブルース』もそうですが、その後多くの女性歌手がカバーし、YouTubeで聴くことができます。目覚しい演奏技術の進化により、より新しいカバー曲の方が人気が高いようです。
 しかし当時の世相をうかがい知るには、原曲に如くはなし。よってここでは、当時の映像つきの菊地章子の原盤のものを取り上げることにしました。

 (菊地章子が歌う『星の流れに』ユーチューブ動画は削除されました。)  

 
 この歌は実に哀しい歌です。この歌のヒロインである女性とは、戦後大挙して進駐してきた米兵相手に体を売って世をしのいでいた女性の一人なのでしょう。誰が責められましょうや。大食糧難、大就職難の当時、「女」が自身と家族を養っていくにはそれしか生きる手立てがなかったともいえるのです。

 以前の『映画「ゼロの焦点」』(09年11月)記事で触れましたが、この映画の中で『星の流れに』が流れているシーンがありました。広末涼子演ずるヒロインの鵜原禎子は、新婚間もない夫の失踪の真相に迫るべく東京から北陸金沢へと向かいます。その結果夫失踪に東京都下の米軍横田基地に手がかりがあることを突き止め、横田にやってきます。そこのきらびやかな夜のネオン街のシーンでこの歌が流れていたのです。
 やがて物語が進むにつれて、この推理小説の鍵となる二人の女性の哀しい過去が次第に明らかになっていく…。

 原作における「ゼロの焦点」とは、突きつめて言えば「日米戦争」の暗喩なのです。作者の松本清張はそのことを、この代表作の行間から告発しているようです。
 「♪こんな女に誰がした」
 このフレーズが当時流行語になった『星の流れに』もまた、同戦争を告発した歌であるといえます。

 (西田佐知子が歌う『東京ブルース』ユーチューブ動画は削除されました。)

 もう一つの代表的な「怨み節」である『東京ブルース』が発表されたのは昭和39年。東京オリンピックが開催された年です。この歌を歌ったのは西田佐知子です。『アカシアの雨がやむとき』と共に西田佐知子の代表作といっていいと思います。
 この歌と『星の流れに』は、曲想は違っていてもモチーフがよく似ています。「ルージュ」という共通のワードもそうであるなら、“怨み”を抱いた女が夜の街をさ迷い歩くのも同じです。

 終戦から既に19年が経過し、日本はその痛手から奇跡的な復興を遂げ、経済大国の仲間入りを果たすべく高度経済成長が離陸し始めた頃の歌です。
 巷には焼け跡も闇市もドヤ街もなくなり、ガード下の浮浪児たちももういません。もちろん米兵相手の女性もまた遠い過去の話になっていました。国民は皆その日住む家、食う物、着る物にも事欠く生活からは脱け出していたのです。
 だからこの歌は、戦争などという世の中全体への怨み節ではありません。
 「♪泣いた女がバカなのか 
   だました男が悪いのか」
 既に衣食住足りてこの歌における「怨み」は、だました特定の男に向けられています。

 「戦後女と靴下は強くなった」と言われる、男女同権を謳う戦後民主主義にあっても、戦前までの男尊女卑の社会規範を切り替えるのはそうたやすくはなかったわけです。東京オリンピック開催のこの頃でさえ、女による男への怨み節があったことに注目すべきです。
 それ以降女性の社会進出は目覚しく、現在では肉食女子が草食男子を駆逐しそうな勢いです。そのせいか、その後『星の流れに』『東京ブルース』に続く「怨み節」の名曲は現われなくなったようです。

 (大場光太郎・記)

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小沢首相も有り得る?混迷代表選

 -本当ならとっくに小沢政権ができていた。小沢への「大政奉還」は当然の話だ-

 民主党代表選が日程すら決まらず、さては菅直人首相と岡田克也幹事長による「(代表選)ヤルヤル詐欺か?」と心配になっていた。しかし岡田幹事長は21日のNHK番組で、代表選を29日に実施し30日に新首相指名選挙に臨みたい考えを明らかにしたという。
 菅首相の退陣条件である特例公債法案、再生エネルギー法案が26日までに成立する見通しであることが前提らしい。岡田幹事長は「26日午後に手続きを決めて、29日には(代表選が)終わっていなければならない」「告示から投票まで1日で済ませると、討論会を党主導で行う時間が取れない」と述べ、告示は27日に前倒ししたうえで、28日にも党主催の討論会を開催する意向を示したものである。

 就任以来失点続きで、菅首相とともに党内ですっかり信用を落としてしまったのが岡田幹事長である。その岡田の描くストーリーだから額面どおり受け取ることはできない。ただ民主党内はこれ以上の菅延命を望まず、今会期末である今月末までに新首相を決めることで合意形成されているのも事実で、ほぼこのストーリーで進んでいくとみていいのでないだろうか。
 
 それにしてもここ何週間かの代表選を巡るゴタゴタと、候補者と目される者たちの力量不足はどうだろうか。既に野田佳彦、海江田万里、鹿野道彦、馬渕澄夫、小沢鋭仁らが立候補を表明し、まだそれに続きたい者たちもいるらしい。どんぐりの背比べ的な稀に見る乱立状態である。
 この中で早くから本命視されていたのが野田財務相である。しかし野田には暴力団がらみの献金など幾つの「政治とカネ」問題を抱え、先日来の「震災は千載一遇のチャンス」「A級戦犯は戦争犯罪人ではない」という大失言によって自ら墓穴を掘り、代表選を前にして早や脱落かとも言われている。

 その隙に乗じて、立候補に色気たっぷりなのが前原誠司前外相である。野田も前原も松下政経塾出身である。今や政経塾出身議員は「頭でっかちで実行力が伴わない」との評価が定着しつつある。政経“悪”塾の第一期生である野田より当選回数や代表経験で勝る前原は、野田より自分の方が能力は上だと思っているのだという。
 党代表時代の「偽メール騒動」辞任、国交相・外相時代の八ッ場ダム、JAL問題、中国漁船衝突事件、北方領土問題…。かっこいい事をぶち上げては終いまで終結できずに、仙谷由人官房長官(当時)などに尻拭いをしてもらうことの繰り返し。「能力があるとはよく言うよ」である。
 前原は日米、日中関係の極端な落差に見られるとおり、特に外交面でエキセントリックな危なさを持っている。前原は菅直人以上に、首相にしてはいけない人物なのだ。

 それに何ヶ月か前外国人献金問題で外相を辞任したように、前原にはそれ以外にも一部マスコミが探っている「誠司とカネ」問題があるという。首相になったら追及されるのが必至なのだ。
 そういう事情から後見人の仙谷は、今回はどうせ来年9月の代表選までの「つなぎ政権」、今回は野田にやらせて、前原は切り札としてそれまで残しておきたいのが本心だったようだ。
 しかし野田が怪しくなってきた。そこで前原カードを温存するため、いっそ自分が立候補しようかというような思惑さえあるのだという。ますますグチャグチャの代表選レースである。

 あくまでも私個人の考えとしては、馬渕澄夫を第1に推したい。小沢代表の下での07年参院選時、ある夕方わが町の駅頭に小沢代表以下が応援のため集結した。ちなみに菅直人も来て一席ぶっていた。
 その時馬渕と至近距離で遭遇した。いつか馬渕時代が来たらもう少し詳しく書くかもしれないが、私は「おっ。この者は媚びない男だぞ」と直感した。小泉や菅のように、大衆に迎合しっ放しのポピュリズム政治屋ではダメなのだ。
 しかし馬渕は今回は時期尚早だろう。将来のための布石ではないだろうか。

 そこで私が次に推したいのが、鹿野道彦農相である。鹿野はかつては自民党三塚派に所属し「プリンス」と言われたそうである。しかし既に69歳と、小沢元代表と同じ年である。今回を逃せば後がない口である。私は鹿野の具体的な政策などはあまりよく知らない。なのになぜ推すかと言えば、鹿野が我が出身県である山形県選出議員(山形1区)であるという、ただその一事のためである。
 明治以来山形から総理大臣が出たことはない。今は「地方の時代」である。東北の弱小県から宰相誕生、いいではないか。何より3・11以降さんざんな目に遭った岩手、宮城、福島の隣県である。鹿野は被災各県の事情を誰よりもよく知り、どういう手を打てばいいかも分かっているはずだ。

 誰が代表になるにせよ、今代表選は小沢一郎を無視しては勝てない。何しろ小沢グループ、完全同調の鳩山グループなどを含めて既に230~240名の大陣容だという。今に至るも「小沢排除」を掲げる仙谷、岡田一派らの推す候補はまず勝ち目などないのだ。
 だから誰も彼も、あの野田までもが「小沢詣で」を検討しているという。海江田などは「小沢元代表の党員資格停止処分は見直すべきだ」と早々言明している。これは10月6日公判即日無罪確定かと言われる状況下、当然の話である。

 6・2の大チョンボによって今回は立候補見送りらしい原口一博元総務相は、震災後菅首相と面談し、「小沢さんは無罪ですよ。なぜ小沢さんを有効活用しないんですか」と直談判した際、菅は「そんなこと分かっている。(小沢は)総理を狙いにくるからダメなんだ」と訳の分からないことを口走ったそうである。
 もしここ2、3年来の米国による不当な干渉、検察、マスコミなどによる執拗な攻撃がなかったなら、政権交代即小沢首相誕生となっていたはずである。今でも小沢政権が続いており、この国家的非常時に最低、最悪の菅政権など存在しなかったはずなのである。

 過日の『日刊ゲンダイ』に面白い記事があった。小沢・鳩山グループは他グループの草刈場になるのを避け結束を強めるため、独自候補擁立の動きがあるというのだ。それは鳩山側近の一人・松野頼久元内閣官房副長官だという。まず代表選で松野を選出する。
 仰天なのはその先だ。代表になった松野は、党処分によって代表になれない小沢一郎を「総代分離」によって総理大臣に指名するというのである。

 私は小粒でその任でない人物が選出されるよりは、大穴として鳩山由紀夫の再登板もありかなとも考えていた。しかし仮にそれが実行に移されるようだと、さらにその上を行く仰天プランである。
 何せ1年余も党を分裂の危機に陥れ、この国に大きな政治空白を生じてさせてきたのが、菅、仙谷、岡田らだ。相手は前から何でもありの謀略連中である。いくら王道を行く小沢・鳩山といえども、それくらいの奇手・妙手は許されるだろう。

 (大場光太郎・記)

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秋が兆せし街並み

  ふと見れば秋が兆せし街並みよ   (拙句)

 きのう19日は久しぶりで終日の雨。今月10日頃から続いていた、今夏最強の残暑を振り払うには格好の雨となりました。そしてきょう20日は終日曇り空。涼しくてしのぎやすい一日となりました。

 この季節、たった一日の雨によって、それが夏から秋への変わり目になることがあるものです。どうやらきのうの雨がそうだったようです。曇天に包まれたきょうの街のようす、西の遥かに望まれる大山(阿不利峯)の佇まい。
 どこがどう変わったというようなものではないけれど。何とはなしに、そこかとない秋の気配が感じられたのです。

  けふつくづくと眺むれば
  悲(かなしみ)の色口にあり、
  たれもつらくはあたらぬを、
  なぜに心の悲しめる。

  秋風(あきかぜ)わたる青木立(あをこだち)
  葉なみふるひて地にしきぬ。
  きみが心のわかき夢
  秋の葉となり落ちにけむ。

 これは3年前の同じ頃公開した、オイゲン・クロアサンの原詩で上田敏(訳詩集『海潮音』所収)の名訳による『秋』です。毎年7月の暑い盛り頃から、この詩へのアクセスがボチボチ増えてきます。
 この詩などは、ちょうど今頃の季節感を詠んだものなのでしょう。

 もちろんこれで秋色が一気に進むなどということはないわけです。じきに暑さがぶり返し、また涼しさがやってきてという風に、「暑さ寒さも彼岸まで」の秋彼岸頃までは一進一退を繰り返していくのでしょう。
 そうして季節は一足ごとに、過ごしやすい秋へと確実に向かっていくのです。

 そういえばきょう20日は、夏の締めくくりとも言える「夏の甲子園」の決勝戦が行われたのでした。高校野球もプロ野球も1年ごとに興味が薄れ、その上今年はしばらく“無テレビ生活”ですから、結果についてはネットニュースで知ったくらいなものです。
 決勝戦は西東京代表の日大三校対青森代表の光星学院。
 東日本大震災で被災した東北各県の見えない声援があってか、青森・光星は春夏連続の決勝戦進出。さらに光星には、いまだ一度も優勝したことのない東北すべての県の悲願も懸かっています。神奈川の名門・横浜高校が智弁学園にまさか魔坂の逆転負けを食らってしまった以上、東北出身の私は「光星、ガンバレ !」です。

 しかし終わってみれば11-0の大差で、日大三校の優勝。えてして決勝戦は大味な試合になりやすいと言われていますが、実際は両校にこんな実力差はないはずです。被災地への想い、東北勢初の優勝…。光星勢には、変な気負いとプレッシャーからか力を十分発揮できずに終わってしまったようです。

 ところで東北勢による決勝戦で思い出しました。今から42年前となる1969年(昭和44年)夏の同じ青森県の三沢高校対松山商業(愛媛)の決勝戦です。両校0-0のまま互いに譲らず延長18回までいくも決着つかず。後にも先にも前例のない翌日再試合となって、三沢高校は惜しくも松山商に敗れたのでした。
 その試合で一躍脚光を浴びたのが、三沢のエースで全試合を一人で投げ抜いた太田幸司投手(現プロ野球解説者-59)です。その甘いマスクも手伝って、女性ファンを中心に今日の斉藤祐樹に勝るとも劣らない大フィーバーとなったのでした。

 その頃は後に続々発覚した高校球児らによる不祥事などはなく、高校野球そのものが神聖視されていた時代でした。
 私は前年に当地にやってきて二年目の夏。その年は伊勢原で既に業務上の有資格者となっていたM先輩の補助者をしていました。M先輩は秋田県出身で中学時野球をやっていたとかで、大の高校野球ファン。私もその決勝戦は開始から翌日の再試合終了まで、息を呑んで見ていました。本当に高校野球史に残る屈指の名勝負だったと思います。
 その年の暑い7月の昼下がりにふいにテレビから流れてきた、
  ♪青い海原 群れ飛ぶカモメ
   心ひかれた 白いサンゴ礁 ……
 スーニーブーの『白いサンゴ礁』の鮮烈なメロディとともに忘れられない思い出です。

 秋の気配は夜に顕著です。お盆頃までは、木立のある所などでは真夜中でも夜蝉がジー、ジー、ジー、ジーうるさいほど鳴いていました。
 それが深夜タバコを切らして近くのコンビニに買いに行くため、その木立を通っても、最近は藪陰など方々でリンリンと鳴く虫の音がしきりです。蝉といえば木立のどこかで時たま羽ばたきとともにジーという一鳴きが聞かれるくらいなもの。
 夏から秋へ。季節の移ろいは、こんな何気ないことでも着実に進んでいるようです。

 (大場光太郎)

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ナポレオン『アルプス越えの絵』

   
   ルイ・ダヴィッド作『サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト』

 宗教的巨人の奇跡物語を描いた絵画は別として。ナポレオンのこの絵ほど、心鼓舞される絵画は他にないのではないでしょうか。他の人は知らず、この私にとってはそう言えそうです。
 それで私は、ナポレオン・ヒル原著の『思考は現実化する』(騎虎書房刊)余白(第2章「願望の設定は、あらゆるものの達成の出発点である」表題隣の右余白)に、ネットから印刷したこの絵を貼り付け、折りに触れて眺め返しています。

 最近公開した『昭和天皇の戦争責任(1)』では、若き日の昭和天皇は大の戦争好きで、欧州旅行の折りパリで求めたナポレオンの胸像を書斎に掲げ、ナポレオンの戦術に基づいて日中、日米戦争の作戦を指示したというようなことが述べてありました。
 今となってみると大戦争に向かいつつあった時局に、昭和天皇という“大元帥”のナポレオン心酔が、この国に最大の災厄をもたらしてしまったと言うこともできそうです。
 それかあらぬか。終戦までの我が国では、数多ある偉人伝の中でもナポレオン伝は特に人気が高かったようです。

 戦後60数年経過し「英雄が死んだ」今日では、ナポレオンなどもう見向きもされません。そんな中、人畜無害でむしろ大いに精神的カンフル剤が必要な私などが、時折り同著に貼ったこの絵を眺めては、己の惰弱な精神を奮い立たせるよすがとしても、何の害もないことでしょう。

 さてこの絵の作者は新古典主義の巨匠ジャック=ルイ・ダビィッドで、1801年に完成させた絵のようです。絵の正式なタイトルは『サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト』。
 この絵は、第2次イタリア遠征を目指したナポレオン(時に27歳)率いるフランス軍が、1800年5月にアルプス(サン・ベルナール峠)を越えて、同国北部のロンバルジア平原へ進軍する直前のナポレオン将軍(この時はまだ皇帝位には就いていなかった)の姿を描いた作品です。
 ダヴィッドは生涯で数多くのナポレオンの肖像画を手掛けていますが、本作品はその中でも最も有名な作品として知られています。

 この絵の大まかな構図はー。
 画面中央で愛馬マレンゴに跨るナポレオンは、悪天候による強風で衣服が靡く中、全軍を鼓舞するように右手を高く掲げ、当時非常識とされた「アルプス越え」を勇猛果敢に指揮している姿です。
 それはいかにも、「さあこれから欧州の天地に風雲を巻き起こすぞ」と言うような、英姿颯爽たるフランスの英雄そのものの姿であり、今日に至るまで私たちの抱くナポレオンのイメージとして第一に挙げられるものです。

 しかしこの絵は史実とは異なるようです。
 実際にサン・ベルナール峠越えを行った際は天候にも恵まれ、防寒具に身を包み山道(悪路)に強いロバに乗って同峠を越えたことが明らかになっているといいます。軍略の天才だったナポレオンは、少年の頃からアルプスの気候を研究していて、最も条件の良い日を踏破の日として選んだのですから、これは当然の話なのです。
 史実に沿って後年、ポール・ドラロッシュによって『アルプスを越えたボナパルト』という絵が別に描かれています。

 ということはダヴィッドの絵の方は、「英雄」としてのナポレオン像を満天下に示すというプロパガンダ(政治的な意図や宣伝目的)が色濃く反映されて製作された絵だったのです。
 製作余話として。この絵の制作に当ってダヴィッドはナポレオンにポーズを要求したものの、「肖像は似ているかどうかが問題なのではなく、その人物の偉大さが伝わればよい」と拒否され、仕方なく代わりに息子(または弟子)にポーズを取らせて描いていったというエピソードが残されているそうです。

 自分のモティベーションを高めたいがための私にとって、この絵が史実に基づいていたか、そうでなかったかなどは問題ではありません。出来得れば絵中のナポレオンと自分(私)とを完全に同一化出来れば、それがベストです。が、残念ながらなかなかそうは思えません。
 それに愛馬マレンゴに跨ってであろうが、ロバに乗ってであろうが、ナポレオンが「アルプス越え」という奇襲を敢行したのは史実です。それは、その後の欧州制覇につながるイタリア制圧の急所だったわけです。その意味で「アルプス越え」こそは、溯ること2千年前のかのジュリアス・シーザー(ユリウス・カエサル)の「ルビコン越え」にも匹敵する大偉業だったと言うべきです。

 「余の辞書に不可能はない」とはナポレオンの金言です。
 将来ナポレオンのような立派な人物になるようにという願いを込めて名づけられた、ナポレオン・ヒルは『思考は現実化する』の中で、
 「人類の最大の弱点は、あまりに「不可能」ということに慣れすぎていることである」
と述べています。
 「志しを立てるのに遅すぎるということはない」という名言もあります。
 私にとっての「アルプス越え」とは何だろうか。この絵でナポレオンが右手で指し示している、大きくて高い目標とは。

参考・引用
『ジャック=ルイ・ダヴィッド-サン・ベルナール峠を越えるナポレオン・ボナパルト-』http://www.salvastyle.com/menu_neo_classicism/david_bernard.html
冒頭に掲げた、ダヴィッドの絵
http://blog-imgs-13.fc2.com/j/r/a/jrasign/napoleon_bernard300.jpg
ポール・ドラロッシュ作『アルプスを越えるボナパルト』http://livedoor.2.blogimg.jp/clock510/imgs/d/d/dd769c24.jpg

 (大場光太郎・記)

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言葉とは断念のためにあるものを

                          佐佐木 幸綱

  言葉とは断念のためにあるものを月下の水のきらら否定詞

… * …… * …… * …… * …… * …… * …… * …

 佐佐木幸綱(ささき・ゆきつな) 昭和13年、東京生まれ。近代短歌の先駆者の一人・佐佐木信綱は祖父。早稲田大学時代に父(佐佐木治綱)の死に遭い、「心の花」「早稲田短歌」に拠って作歌を始める。歌集に『群黎』(現代歌人協会賞)『金色の獅子』(日本詩歌文学館賞)他。評論集に『柿本人麻呂ノート』『佐佐木信綱』『作歌の現場』『東歌』など。歌誌「心の花」編集長。現代歌人協会理事。「朝日新聞」歌壇、「東京新聞」歌壇選者。早稲田大学名誉教授。 (講談社学術文庫・高野公彦編『現代の短歌』などより)

《私の鑑賞ノート》
 「いやあ、参りました」と言いたくなるような見事な名短歌です。時としてこういう珠玉に出会えるから、詩文漁りは止められません。
 まさに戦後歌人の面目躍如といった趣きです。寺山修司もそうでしたが、それ以前の歌人たちには見られない新しさがあります。『サラダ記念日』の略歴で触れましたとおり、俵万智は早稲田大学在学中に佐佐木幸綱と出会い作歌を始めるなど、後進の歌人にも強い影響を及ぼしました。

 それにしても、「言葉」こそが唯一の武器であるはずの歌人が、「言葉とは断念のためにあるものを」などと詠んじゃっていいのでしょうか。
 大乗仏典の各経文も、キリスト聖書の神の言葉も、シェイクスピアやゲーテなどの大文学も、バイロンやワーズワースなどの類い稀なる詩も、柿本人麻呂や松尾芭蕉の和歌も俳句も…。すべてが「断念のための言葉」だと言うのでしょうか。

 しかし佐佐木幸綱にとって、その言葉はゆえ無くして出てきたものではなかったのです。先ず略歴にあるとおり、早稲田大学在学中の父・佐佐木治綱(歌人)の死があります。加えて佐佐木幸綱に大きな影響を及ぼした社会的出来事がありました。昭和35年の「60年安保闘争」です。幸綱が作歌を始めたのは60年安保の渦中で、しかも幸綱自身が同運動に関わっていたというのです。

 60年安保闘争については、当ブログでも昨年6月『「60年安保」から半世紀(1)~(4)』シリーズとしてまとめました。結果として60年安保闘争の学生運動家たちは挫折し、敗北したのです。同運動にひたすら打ち込んでいた者たちにとってその傷がどれだけ深いものだったか、余人が測り知ることは出来ません。
 佐佐木幸綱にとっても、そのことがその後の歌人としての活動に深いところで影響を及ぼしていたと考えられるのです。

 一時は国民をも巻き込んだ全国的安保反対運動だったにも関わらず、日米新安保条約は発効してしまう、当時の日本を取り巻く得体の知れない国家間力学。このような巨大な力を前にしては、「言葉がいかに無力か」と思い知らされ、「言葉とは断念のためにあるもの」と心底実感させられたに違いありません。
 これは何も我が国の60年安保闘争に限ったことではなく、第一次、第二次世界大戦を経てきた世界全体が直面していた問題だと思われます。従前ならば絶対視されていた「言葉」が、世界的に相対化され無化されつつあったのです。

 「言葉の断念」という絶望感が心のどこかにある限り、その言葉を最も尖鋭的な形で構築する「歌人」としては、常に危機を抱えていることになります。
 この歌が収められているのは、佐佐木幸綱の第3歌集『夏の鏡』(昭和51年刊)です。この短歌がその直前に作られたのか、ずっと以前に作られたのかはわかりません。しかしこの短歌の前半には、60年安保時の挫折感による「言葉の無力」という想いが底流にありそうです。

 しかしそれは後半に大きな転調を来たしています。
 「月下の水のきらら否定詞」
 前半は作者の心の吐露だったものが、一転作者が身を置いている状況が詠まれています。肝心要の「言葉の断念」の想いに囚われながら月夜に戸外をさ迷っていると、ふと月の光を浴びてきらきら輝いて流れる水にハッとさせられたのです。
 だが転調とはそれだけを言うのではありません。その鍵は「否定詞」という体言止めにあります。

 この「否定詞」の解釈は少し難解です。一読すると前半を受けた「言葉に対するさらなる否定」という意味のようです。しかしどうやら違うようです。ややっこしくなりますが、「言葉の断念」に対する「否定詞」という構造なのです。平たく言えば「言葉を断念しなくてもいいんだよ」、つまり「言葉への肯定」ということです。
 その逆転をもたらしたものこそ、「月下の水のきらら」に流れるさまです。この後半部こそがこの短歌全体の叙情性を担保しています。
 政治状況、社会状況がどうあれ、日米関係がどうあれ、月夜に流れる水は月の光を浴びてきらきら輝きながらただ流れ下るのみなのです。
 
 一般化してこの人間世界の営為がどう移り変われど、決して変わらない自然の「不易の実相」に、この時の佐佐木幸綱は触れたのです。
 突如として開示された自然界の秘密の一端。その時月下を流れる水の精は、佐佐木幸綱にそっと告げたのです。「言葉を断念する必要などないですよ。その言葉を使って、お月様の光を浴びながらこうして喜んで流れている私の姿を活写してくださいね」。

 (大場光太郎・記)

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アセンション~ヴァイブレーション上昇

あなたの使命はアセンションです。 (「アーキエンジェルマイケル メッセージ」より)

 「アセンション」は本来広範な概念を含むものであり、理論的理解も実践も決して容易ではありません。しかし宇宙でも稀な「地球丸ごと次元上昇」(ガイアアセンション)が起ると言われている「今この時」、それに無関心であったり断念してしまったりしては、悔いを幾生、幾十生先に残しかねません。
 宇宙の流れに真素直な動植物は、ガイアアセンションの流れに自然に従っていっています。しかし唯一自我と自由意志を与えられている人間のみは、意図し選択しない限りその流れに乗ることはできないのです。

 私たち地球人の魂の深い希求とは「アセンション」であり、この世のいかなる目的もすべてはそれに至るためのプロセスであることを自覚しなければならないと思います。

 このたび「アセンションとは何か」を、簡潔に示してくれているYouTube画像を見つけました。アセンションのエッセンスを適格に提示してくれています。当該画像とともに日本文を掲げましたので、味わってご覧ください。

 BGMとして流れている天使のような女性の歌声は、アイルランド出身の世界的歌手・エンヤ(Enya)であるようです。彼女の歌声はさながら魂にしみ入る気高いアリア(詠唱)のようです。
 またバックの画像も美しく、一々のコメントは控えますが、切り替わる画像の一つ一つに深いメッセージが込められていると思います。
 このYouTube自体がハイ・ヴァイブレーションです。「お気に入り」に入れて、疲れたりストレスを抱えている時など、そのつどお聴きになることをお奨めします。深い「ヒーリング」がもたらされることでしょう。
http://www.youtube.com/watch?v=itRVx35KwuM


 

              アセンション
          ヴァイブレーション上昇


            アセンションとは…
     肉体的、感情的、精神的、霊的に上昇すること
      それらすべてにおける低周波数を上昇させ
   愛と光に結合された領域へと向かっていくことである
         私たちは一つの次元の現実から
      もう一つの次元の現実へと上昇しています
     肉体を維持していくことへの関心は薄れていき
       エネルギー体、ライトボディーとしての
         意識がより高まっていきます
    愛のヴァイブレーションを常にたもてるようになると
     私たちの振動周波数が上がるのを体験します
   細胞の原子構造を活性化し、呼び醒ますことによって
      私たちは5次元レベルに存在し始めます
         それは愛と創造の次元です
            アセンションは、
     完全に肉体を持ったまま体験するものです
      ただ、可能な限りの高周波数において
         体験されるものなのです
   アセンションするのに肉体を離れなくてはいけない
        ということはもうありません。
     私たちはヴァイブレーションを高めることで
     高次領域へと入っていくことができるのです

           ~アセンション~
          本当の自分への旅
        Ascention -the journey
             home

 (追記)以前『新宿上空にUFOの大群 !?』で触れましたように、これまで私はYouTube埋め込みの方法が分かりませんでした。しかし「必要は発明の母」というものです。何としてもこの素晴らしい情報を当ブログでお伝えしたいと思い、「ああだこうだ」試行錯誤しているうちに、何と埋め込みが出来たではありませんか !!
 1回出来てしまえば『何だ簡単じゃないか』というようなあっけないものです。今後とも折りに触れて「YouTube埋め込み」を活用していこうと思います。

 (大場光太郎・記)

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神奈川県の米軍基地(2)


       神奈川県<県のたより>2010.9月号「神奈川の米軍基地の今」より

「解放軍」から東側陣営に対する「在日米軍」へ

 占領開始当初、日本人の多くがそうであったように神奈川県の人々も、不安と恐れをもって占領軍である米軍を迎え入れた。しかし間もなく、マッカーサーやGHQ主導による「戦後改革」が開始され、神奈川県においても神奈川軍政部に主導された「民主化」が進行する。そして、人々は、左翼陣営の人々も含めて、個々の米兵による不法行為や米兵相手の「原色の街」を問題視しつつも、米軍を「解放軍」とみなし、米軍家族のライフスタイルを豊かさと民主主義の象徴ととらえるようになる。

 だが、マッカーサーが喧伝する「民主主義」は、極めて原理主義的な「アメリカン・デモクラシー」であった。東西対立が激化していくにつれ、日本国民は、この「アメリカン・デモクラシー」の正体を悟らされることになる。同時に、日本国内の米軍も、日本国や日本国民に対峙する「解放軍」「占領軍」としてではなく、東西陣営に対する軍事組織、すなわち文字通りの「米軍」として日本国民に認識されるようになる。
 「在日米軍」は、いわば<自由世界の保安官>としての役割を担うことになり、さらに神奈川県内の米軍基地や施設は、米極東戦略にとって必要不可欠な「軍事施設」として県民の前に立ち現われることになった。安保条約と日米地位協定によって、<保安官>の駐屯地は、占領期同様、治外法権の地となり、米兵の人権は厚く保護された。

 だが多くの神奈川県民の眼には、「在日米軍」は<自由世界の保安官>とは映じなかった。それは、基地公害をまき散らし、都市計画を遅らせ、異国の犯罪者を守り、さらには、東西対立という現実と東南アジアの戦場から血の臭いを運んでくる<招かれざる客>であった。人々は、この<招かれざる客>に対し、反基地運動(闘争)や反米運動(闘争)、平和運動で対抗した。これらの運動や闘争は必ずしも一枚岩ではなかったが、そこには主権国家の国民としての、さらには人間としての自覚とプライドがあった。

 皮肉なことに、この自覚とプライドの重要性を説いたのは、他ならぬマッカーサーに率いられたGHQであり、「占領軍」であった。また、米軍の存在は、結果として戦後の日本や神奈川県の経済復興に一役買うことになり、職を求める多くの人々に基地労働という職を与えた。
 さらに米軍がもたらした文化や生活様式は、戦後の日本に深く根づくこととなった。特に、横浜や湘南地域が、戦後文化、なかでもアメリカニゼーションやアメリカン・ライフスタイルの発信基地と成り得た背景を語ろうとするとき、米軍の存在を無視することはできない。

 人々は、米軍に反発しつつも、米軍がもたらしたさまざまなものを受容したのである。人々は、ジーパンにTシャツ姿でロックを口ずさみ、かつてGHQによって鼓舞された主権者としての自覚とプライドをもって、米軍戦車の前に立ちはだかったのである。

米軍の中で役割が拡大する神奈川の米軍基地

 今日、米軍の基地や施設を、そして米軍を、<招かれざる客>として見る人々はもはや少数かもしれない。基地反対運動も、ベトナム戦争当時の戦車闘争やミッドウェイ寄港反対運動のような全県的な盛り上がりを見ることはできない。米国や米軍側も、この3月に起きた東日本大震災への「トモダチ作戦」など、頼りになる「トモダチ」としてのイメージを強く打ち出そうとしており、事実、そうとらえる人々は神奈川県内において多くなったようだ。
 基地開放日に基地や施設を訪れる人々にとって、そこは巨大なテーマパークであり、居並ぶ軍艦や航空機は、兵器と言うよりも構造美のかたまりである。横須賀のバーでは、若い米兵と日本人青年がごく自然に語り合っている。本土随一の基地県でありながら、神奈川県の米軍の「軍」としてのイメージは、沖縄のそれに比べ、はるかに薄い。

 しかし、米軍の基地や施設は、神奈川県内に確かに存在している。しかも、その場所は、相も変わらず日本の主権や法の外にある。そして、近年の第一軍団司令部のキャンプ座間移転計画に象徴的に示されているように、県内の米軍基地や施設が米軍全体の中で果たす役割は、その数と面積の減少と反比例するかのように拡大しているのである。
 神奈川県は、県内の米軍の基地や施設の存在によって、これまで以上に国際情勢と密接に結びつけられていると言っても過言ではない。米軍が「軍」としての本来の姿を現したとき、その基地や県民に如何なる影響を及ぼすのであろうか。

 近く、ともに神奈川県内の自治体現代史の編纂に携わっている研究者4人と、『米軍基地と神奈川』を有隣堂から上梓することになった。本書では、戦後60年以上に及ぶ米軍と神奈川県の関わりについて、政治、経済、社会、文化等の広い領域にわたって鳥瞰的、かつ簡潔に伝えることを目指した。この試みが伝われば幸いである。    -  完  -

引用
有隣堂社報『有鄰』第515号(平成23年7月10日)2面
(栗田尚弥氏の近刊紹介)
『米軍基地と神奈川』栗田尚弥編著(有隣新書69)予価1050円

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神奈川県の米軍基地(1)

 神奈川県内に多くの店舗を有する「有隣堂」の社報『有鄰』については、昨年7月の『生きることは学ぶこと』で既にご紹介しました。その第515号2面に、『神奈川の米軍基地』と題する栗田尚弥氏の興味深い一文が掲載されています。
 1面最上部の題字の右に「禁無断転載」とうたってありますが、今回転載させていただきます。有隣堂さん、私は40年以上も、本厚木駅前の貴厚木店で書籍、文房具をずい分購入し、貴店の発展にささやかながら貢献してきました。それに免じてご寛恕ください(これは著作権法上の問題であり関係ないか?)。

 栗田尚弥(くりた・ひさや)氏の略歴。1954年東京都出身。國學院大学講師。日本政治外交史専攻。編著『地域と占領』(日本経済評論社)、共著『相模湾上陸作戦』(有隣堂)ほか。

 今暗礁に乗り上げている沖縄普天間基地移設問題など、日本各地の「米軍基地」を再検討する時期に来ているのではないでしょうか。
 全国の在日米軍基地は、今や「極東有事」という日米安保条約の枠組みを大きく逸脱して、米国のアジア全体の戦略上最重要拠点としての役割まで負わされています。「思いやり予算」などに見られる余りにも過分な負担も問題視されています。我が国は本当にこんな事でいいのでしょうか。

 「真の日本の独立」を考えた場合、最大のネックとなるのが「米軍基地」問題です。私たちは今後この基地問題とどう向き合うべきなのか、他県の方々もそのための一つの資料としていただければ幸いです。
 長文のため2回に分けて転載致します。なお適宜行空けを行いました。        (大場光太郎・記)
                       *

神奈川県の米軍基地   栗田尚弥

  
        厚木飛行場に降りたったマッカーサー
          (1945年8月30日


日本最大の「軍県」から米軍の巨大な「基地県」へ

 終戦まで、日本には、軍都、軍郷と言われた都市や地域があった。海軍鎮守府が置かれた呉(広島県)や佐世保(長崎県)、陸軍の師団や連隊が置かれた金沢(石川県)や善通寺(香川県)、明治建軍以来の演習場である習志野原(千葉県)など、日本各地に軍都や軍郷が存在した。
 だが、神奈川県ほど多くの軍都や軍郷を抱えた府県は他にない。鎮守府と軍港の街・横須賀、海軍航空隊が置かれた大和や綾瀬(厚木飛行場)、士官学校や相模造兵廠など多数の陸軍施設が置かれた相模原、海軍火薬廠があった平塚等々、いわば神奈川県は日本最大の「軍県」であった。

 1945年(昭和20年)の日本の降伏後、この日本最大の「軍県」は、米軍の巨大な「基地県」となった。神奈川県内の軍都や軍郷には、連合国軍すなわち米軍が占領軍として進駐し、県都横浜には日本全国の連合国軍地上部隊を統括する米第八軍司令部が開設された。占領開始初期には、連合国軍最高司令官マッカーサーのオフィス(後のGHQ/SCAP、通称GHQ)や太平洋陸軍総司令部置かれた。

 1952年(昭和27年)4月のサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約の発効により、米軍は「連合国軍」から「在日米軍」となり、また、1952年2月に結ばれた日米行政協定に基づき、7月から神奈川県下の基地や施設の多くは、そのまま米軍の「無期限使用」に供されることになった。同年7月27日付の米陸軍機関紙『アーミー・タイムズ』は、キャンプ座間を「日本防衛の中枢」と評しているが、キャンプ座間のみならず神奈川県全体が「日本防衛の中枢」、否、米極東戦略の中枢になったのである。

 その後、接収解除や今日まで断続的に続いている返還により、米軍の基地や施設の規模は大分縮小されてはいるが、それでも神奈川県内には横須賀海軍施設、海軍厚木航空施設(厚木飛行場)、キャンプ座間、相模総合補給廠など14に及ぶ米軍の基地や施設(総面積2083万8000平方メートル、自衛隊との共同利用面積を含む)が存在する。この数字は、基地・施設数では、沖縄県、北海道に次いで都道府県中第3位、面積では第11位(米軍専用面積では沖縄、青森に次いで第3位)であるが、その機能と役割を考えれば神奈川県はやはり本土随一の「基地県」である。それ故、米軍の基地や施設が、そしてもちろん米軍自体が、敗戦後、今日に至るまでの神奈川県の政治や経済、社会、文化に及ぼした影響は、沖縄県ほどではないにしても、少なからざるものがある。 (以下次回につづく)

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66回目の終戦記念日に

 -昭和天皇。そして吉田茂など取り巻き一派は国民を幾重にも欺いていたのか?-

 今年もまた8月15日が巡ってきました。66回目となる終戦記念日です。
 私は戦後生まれで私らが若い頃流行った歌の“戦争を知らない子供たち”世代ながら、この日は日本にとっての「大転換の日」という想いが強いらしく、当ブログ開設以来終戦記念日所感を毎年述べてきました。

 今年もまたそうするわけですが、今回は前回までとはいささか趣きが異なります。一つは3・11大震災と相前後して起った福島第一原発事故がやはり頭にこびりついて離れないことです。これらは「百年に一度」「千年に一度」などと言われる、激甚災害・激甚事故であり、またまるでそれは世界的某勢力の仕業であるかのように「第二の敗戦」といった形容まで為されたほどでした。
 それともう一つは、「昭和天皇に戦争責任はない」と無邪気に考えていた私に、鋭く再考を迫るような幾つかのネット文献に触れたことです。
 今回は「昭和天皇の戦争責任」問題を中心に、この一文を述べていこうと思います。

 思えば66年前の終戦の日まで、一部指導者以外は昭和天皇の実像に触れる機会は滅多になかったわけです。一般国民に天皇拝謁は適わず、「御真影」と称する昭和天皇の写真を配られ、神棚などに掲げて朝晩恭(うやうや)しく拝むことを強制されたのです。当時昭和天皇は「現人神(あらひとがみ)」だったのですから当然といえば当然です。
 ラジオが広く普及し出していたにも関わらず、国民は天皇の生の声すら聞けなかったのです。その肉声を聞いたのは皮肉なことに、66年前の終戦の日の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」で始まる歴史的な「玉音放送」によってでした。

 「現人神」であらせられる昭和天皇は、戦時中も記録映画で稀に画面に登場することがありました。その姿は「白馬に跨った大元帥」としての颯爽たる軍服姿です。そこから戦時中の国民は誰しも、当時の陸海軍は「天皇の軍隊」と認識し、そして「神」は無謬である道理から、天皇が指揮する戦争は負けるはずがないと漠然と信じきっていたのではないでしょうか。

 終戦後いち早く連合国司令長官のD・マッカーサーと面会し、その折り天皇は「自分の身はどうなっても構わないから、日本と国民だけは何とか守っていただきたい」と言い、その言葉に感動したマッカーサーは「天皇はキリストのようなお方だ」と感想を述べたという美談がまことしやかに報道されました。
 実際そういう事実があったにせよ、「天皇制存続」は戦争末期米国首脳間では規定事実だったのです。天皇・マッカーサー会見は単なるセレモニーだったと言うべきです。

 翌年(昭和21年)1月には「私は神ではない」とする「人間宣言」をし、その後よれよれの背広にボロ靴履いて、まだ40代半ばにも関わらず猫背の初老のような風体で、あたかも天皇自らも犠牲者だと言わんばかりに全国を行幸して回りました。そして「あっ、そう」が決まり文句として国民の間に定着していきました。
 戦時中の実像など知る由もない国民は、戦後天皇の呆けたような姿から、「天皇は軍部に利用されただけなのだ」「天皇も気の毒な被害者だったのだ」という「平和天皇」としてのイメージを植え付けられていったのです。昭和天皇こそは希代の名優だったのかもしれません。

 しかし深いヴェールに包まれた若き日の昭和天皇の実像は、事のほか聡明で、「戦争好き」の「ナポレオン狂」の「馬鹿ロマンチスト」だったというのです。言われてみれば日中戦争以前から「大本営」がなぜ宮中に置かれることになったのか、これですべてが氷解します。
 戦後さまざまに論議となった「天皇の統帥権」は、形式的なものではなく“実質的統帥権”だった。その下、昭和12年の日華事変(日中戦争の開始)や、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃(日米戦争の開始)などにあたっては、昭和天皇自らが一々の作戦に深く関与していた、さらに言えば天皇の認可がなければ一々の作戦遂行は不可能だったのではないかとすら思われます。
 極東裁判の尋問で東条英機が「我々(日本人)は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と述べた証言は、文字どおりの真実なのではないでしょうか。

 驚くのは昭和天皇は、敵国である米国の戦争省最高幹部のドレイバーから兵器を大量に購入し、日本軍に高額で売りつけ、利益をスイス銀行に貯蓄していたとされる問題です。近代における戦争の「不条理」の一端を見る思いがします。
 日露戦争では米国ユダ金(ユダヤ国際金融資本)一派のヤコブ・シフ商会が日露双方に資金を融通し、第二次世界大戦時は、米国銀行家のプレスコット・ブッシュ(ブッシュ前大統領の祖父)が、ヒットラーのナチス・ドイツに裏ルートで資金援助していたのでした。
 アメリカ独立戦争、フランス革命以降の近代戦争は、皆悉くユダ金の筋書きによるものであり、決して偶発的に起きたのではなかったのです。その一環として昭和天皇も一枚かんで巨利を得ていたということなのでしょう。

 私の中の“定説”を覆されたこととして、昭和天皇自身の戦争責任の他に、日米戦争を主導したのは陸軍ではなく「海軍」だったという事実があります。これは裏を返せば昭和天皇の海戦重視の現われだったということです。
 「カーキ色のダサい陸軍」に対して「ホワイトカラーのかっこいい海軍」。「悪しき陸軍」に対して「善き海軍」…。戦後を通して流布したこのイメージは、海軍ひいては天皇の戦争責任のカモフラージュの目的があったわけです。
 そういえば日米戦争の主体は海戦であり、それを主導した山本五十六連合艦隊司令長官は若い頃駐米武官を務めた大の米国びいきでした。それのみか山本や米内光政ら海軍首脳はフリーメーソン員であり、米国からのプロトコールに沿って日本海軍の戦略を組み立てた可能性すらありそうです。

 また戦時中例えば開戦決定の御前会議など日本側の機密事項を米国に逐一伝えていた、吉田茂(スパイ名「ヨハンセン」)など、旧外務省首脳らの暗躍も見逃すことはできません。
 吉田茂、牧野顕伸、樺山愛輔、米内光政、白洲次郎ら「ヨハンセン・グループ」は、昭和20年6月に米国の「原爆投下」情報を受け取り、それを昭和天皇サイドに伝えていたというのです。自身の命乞いを願う昭和天皇は、ドレイバーとの密約で原爆投下が済むまで無条件降伏しないよう取り決め、さらに「原爆投下の場所と日時」を決めるように米国側から要請され「広島に8月6日午前8時頃」と回答したというのです。
 「フクシマ」が起きようが起きまいが、これは特に揺るがせに出来ない大問題です。もしこれが事実なら、吉田茂らヨハンセン・グループは大国賊、昭和天皇は無条件で「超A級戦犯」確定です。

 戦争末期「世界中でこの戦争に責任がないのは、唯一大本だけじゃ」と断言したのは、大本聖師・出口王仁三郎でした。何せ昭和10年「12月8日」、旧天皇制国家によって「2度目」となる、近代世界宗教史上類を見ないと言われる凄まじい徹底弾圧により壊滅させられたのですから、当然の話です。「世界の雛型の国・日本」の昭和天皇も、その世界拡大版としてのローマ法王(ナチスドイツに加担)も、第二次世界大戦では重大な責任があったのです。
 出口王仁三郎はまた、「祕密の「祕」とは「必ず示す」ということじゃ。いくら隠していても必ずいつかは露見するんじゃよ」と言ったといいます。今回の「昭和天皇の秘密」など、その最たるものと言うべきではないでしょうか。

 昭和天皇自らが戦争責任を曖昧にし、退位もせずに40余年も天皇であり続けたことが、戦後日本の腐れきった「無責任体制」の根っこにありそうです。それは現下の菅直人首相ら民主党幹部の政権居座りに見られるように、特に政治の世界で顕著です。
 これは何としても改めるべき由々しき悪弊です。それにはやはり私たち国民はタブーとせずに、「昭和天皇の戦争責任」という大テーマときっちり向き合う必要があるのではないでしょうか。

参考・引用
デイビット・バーガミニ著『天皇の陰謀』http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_04_choshakara.htm
『昭和天皇の戦争責任(1)~(3)』(『真実の近現代概略史』カテゴリー)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat43851635/index.html
『日本雛型論』(正・続)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-af0e.html

 (大場光太郎・記)

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菅院政による菅流政治の継承を阻止せよ

-最低・最悪総理が院政を敷くなどあってはならない。菅一派は党外追放とすべし-

 菅直人首相がようやく辞任を決めたらしい。事実上の退陣表明だった6月2日から2ヶ月以上も居座った末にやっとだ。
 その間往生際の悪いことに、やれ「福島原発事故収束は私に課せられた使命だ」「震災地の瓦礫処理は2次、3次も含めて私の仕事だ」「10月中旬の訪中によって対中関係を修復したい」「再生エネルギー法案を成立させることが私の内閣の務めだ」「(突如として)全原発に対するストレステストを実施することとした」「ここに脱原発を宣言する」等々。
 「一内閣一仕事」が常識なのに、あの小泉元首相も真っ青の、政界曲芸師さながらの店じまい的政策大安売りを連発してきたのだ。

 これは一国の首相として国を思う真情から出たものなどでは毛頭ない。ただただ菅直人の頭にあったのは、総理大臣のイスに一日も長くしがみつきたいがための、我利我利亡者の妄執から発するものであった。
 今や国民は「B層」などと侮ってばかりはいられない。そんな薄汚い菅首相の意図を鋭く見破り、マスコミ各社の世論調査では実施するたびに菅内閣や民主党への支持率は急落し、遂に民主党政権発足以来最低にまで落ち込んだ。逆に菅首相への辞任要求はいずれも8割に迫る勢いだった。
 
 党内外や、以前ならシンパだった朝日など大新聞などから日増しに加わる退陣圧力に加え、どんな巧い事をブチ上げてもソッポを向き放しの国民世論に、さすが厚顔無恥の菅直人も「もうダメだ」と観念したのではないか。
 その意味で岡田克也幹事長や仙谷由人代表代行らがいくら退陣を迫っても為し得なかった、今のこの国にとって最大の障害物を取り除いたのは「国民の力」と言えなくもない。
 世論の力はまた、菅が何かというとちらつかせていた「衆院解散」という伝家の宝刀も抜かせなかった。民主党の支持率わずか10%前半台で解散したらどうなるのか、異常性格者の菅直人もさすがに思い止まらざるを得なかったのだろう。

 菅首相は今月末までの退陣が確実と言われ、政局は早やポスト菅に向けて動き出した。今月末か遅くとも9月上旬に行われるとみられる民主党代表選に向けて、候補者たちが続々と名乗りを上げている状況である。
 しかしちょっと待ってもらいたい。小沢一郎元代表が「菅さんでなければ誰でもいい」とはっきり言明したように、一日も早く新代表、新首相が選出されることは望ましいことである。しかしすべての民主党国会議員はその前にやるべきことがあるのではないのか。
 昨年9月の代表選で菅直人支持だった205名の民主党所属国会議員の責任は特に重大だ。1年余の「菅流政治」の総括と、犯罪的首相・菅直人への処罰を明確にしてから代表選に臨むべきなのだ。

 今回の菅首相の「やっとこさ退陣決意」は、菅首相と岡田幹事長ら党幹部との出来レースのにおいがしてくる。双方の今後の政治的延命にとってどちらも損のないように、裏で取引した疑いが濃厚なのだ。
 このまま菅の政治責任を問うことなく代表選になだれ込んだらどうなるのか。菅直人は薄汚くも、かつての自民党の森喜朗元首相のように、党内に隠然たる影響力をふるう余地を残すことになるのだ。
 3・11大震災以降特にこの国を発展途上のような三流国に落とした、史上最低・最悪の菅直人の「院政」など許していいのだろうか。

 一方の岡田、仙谷、安住ら現党幹部らも「延命」という事では菅直人と利害が一致している。そして双方の政策のベースにあるのが、小沢・鳩山両氏による09年政権交代時の「国民の生活が第一」の理念の否定である。
 象徴的なのが、政界、官界の無駄排除なしの消費税増税主張であり、アメリカ様ご奉仕のТPP推進であり、こども手当て見直しに見られるマニフェスト廃止の方向性である。
 これらは、それら政権交代理念を構築した小沢・鳩山の排除に直結するのだ。さらに突き詰めて言えば、この先も「小沢排除」路線を貫くということである。

 おそらく菅も岡田ら現執行部も、裏で「小沢排除」で手を握り合ったのだろう。そのために彼等が担ぎ出すのが、野田佳彦財務相ということではないのか。野田も含めた彼等の方向性は09年マニフェストの破棄であり、これは政権交代時国民が民主党に期待したものとは完全に異質である。「米官業の利益が第一」の今の民主党は明らかに旧自民党と同一路線上にあるものであり、「第二自民党」と呼ぶべきものである。
 政権交代させた国民が望まない形での政権たらい回しはするべぎはない。それだったら自民党末期の安倍→福田→麻生と、総選挙を経ずにコロコロ代わったのとまったく同じではないか。だったら「約束が違う」。少々政治空白が生じても「国民に信を問えよ」が有権者の偽らざる声である。

 そんな現執行部の悪しき思惑を打破するには、現執行部が依然敵とみなしている豪腕・小沢一郎の突破力に期待するしかない。現在小沢グループだけで140名に達しているとの情報もあるが、それに鳩山グループや中間派なども糾合し、何としても党内過半数以上を確保すべきだ。
 既にそうなっているのかもしれないが、とにかく代表選に向けた一連の流れで、悪辣かつ横暴な菅、岡田、仙谷一派らに主導権を握らせてはならない。無罪を百も承知で小沢元代表を党員資格停止処分にしたのがこの者らだ。今度は逆に彼等を厳正に処分し、党員資格停止さらには党除籍処分に処する必要がある。
 そうなって初めて民主党は、国民が当初期待した政権与党としての原点に立ち還れるのだ。

 (大場光太郎・記)

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「夜店の句」三句

  父の背が記憶のはじめ夜店の灯     黒崎かずこ

  少年の時間の余る夜店かな        山根真矢

  さみしさに夜店見てゆくひとつひとつ   篠崎圭介

… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 「夜店」は花火などと共に夏の夜ならではの風物詩です。誰にでも夜店の懐かしい思い出があるのではないでしょうか。
 普段は何もない神社参道の道端などに、明るい電球に照らされたカラフルな夜店がズラッと立ち並ぶのです。それはありふれた日常的空間に突如出現した、「ハレ」の非日常的空間と言えそうです。子供ならずとも大人でさえもが、その猥雑で怪し気でありながらある種の呪術性を秘めた空間には思わず惹きつけられてしまいます。
 今回はそんな「夜店の句」を、時系列的に三句並べてみました。

 父の背が記憶のはじめ夜店の灯
 この句の作者にとって、物心つくかつかないかの幼少時の記憶の始まりが、父の背に負ぶさって見て回った夜店だと言いうのです。
 それは具体的光景などではなく、記憶全体を覆って彼方の世界に隠してしまうような煌(こう)たる「夜店の灯」。
 そしてこの世の初めのあえかな記憶を呼び起こすよすがとなるのが、がっしりした感触の残る「父の背」です。そんな父の背は、うんと幼い子供にとって、生きるための確かな安全保障のように頼りがいのあるものだったのかもしれません。
 この句からは、既に物故した父への追慕の情も感じられるようです。

 少年の時間の余る夜店かな
 少年期には少しずつ「この世のピント」が合ってきます。そうすると今度は、目にする珍しいものに次々と「何で?」「どうして?」と疑問を抱くようになります。作者はその傾向が人一倍強い少年だったのかもしれません。
 金魚すくいの店や綿菓子屋など、一つの店でジッとしておられず、次から次へと好奇心に急かされて見て回り、気がついた時にはもう夜店全体を見終わって、時間が余ってしまったというのです。

 ならばもう一度振り出しに戻って、今度は一つ一つ店内のようすや独特の口上で客の気を引く店主のようすなど、じっくり見て回ればいいものを。まだ年端のゆかない少年時の回想なのか、その時の山根少年には、「もう一度」などという賢(さか)しらなルールなどはないのです。
 この句で提示されている「少年の時間」とはどんなものだったのか。もう忘れてしまいましたけれども、「大人の時間」とは違う尺度を持っていたことだけは間違いありません。

 さみしさに夜店見てゆくひとつひとつ
 この句は、知恵分別が十分過ぎるほど身に備わった大人の夜店の句です。
 もはや少年時代の見るもの、聞くものすべてへのワクワク感、期待感といったものは奥に引っ込んでしまい、代わって「さみしさ」というまったく別な要素が新たに加わっています。
 人が脱少年期としての自我の形成を経るに従って、社会人としての「行動の拡大」は必然となります。「個」が「別の個」と触れ合う機会が多くなれば、そこに「さみしさ」が加わるのは避けがたいのです。

 この句の背景として考えられるのは、一人旅の途中でたまたま見て回った異郷の夜店といったところでしょうか。事情はどうであれ、作者は独りで夜店を見て回っています。
 「さみしさに」とはなるほど確かに。夜店に限らず夜祭、花火など周りは人混みでごった返す中、“独り”であることはひときわ「群衆の中の孤独」を感じるものです。
 旅情と隣り合わせにある寂寥感。この句はその感じをよく表わしているように思われます。

 (大場光太郎・記)

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8月12日に首都圏直撃大地震?

 前回の『ミノリス・メッセージ(3)』では、8月10日から17日の間に3・11クラスの大地震が東日本を再び襲う可能性があると警告してありました。
 気になって少し調べていましたら、阿修羅掲示板で以下の内容の投稿を見つけました。静岡在住の「コテ造」君という小学生による予知夢などを、ママゴン(母親)が記録し、7月26日頃からブログとして急遽発表したもののようです。特に留意すべきは、この中で日付とおおよその時間が「12日朝5時から8時」と特定されていること、地震は立て続けに2回発生し、一度目は相模湾の中心、二度目は熱海の東沖と具体的で、首都圏などの被害状況も詳細なことです。

 例によって阿修羅コメント欄では賛否両論といったところでしょうか。地震予知は古今あまり当ったためしがありません。ただし3・11大震災はごく少数の人が直前に予知し、ブログなどで既に発表していたケースが有ったようです。「12日」といえばもう明日のことですが、さてどうなのでしょう。これを紹介したブログ氏の前説にあるとおり、これは単なる「シミュレーション」、何事もないようであればそれが一番です。
 なおママゴンさん、「コテ造君予言」を慣れないブログで紹介したはいいけれど、あまりの反響の大きさと批判コメントにビビッたのか、8月7日頃にはブログを閉鎖してしまったようです。これをめぐって阿修羅コメント氏たちは、「何でや?」とまた一盛り上がりしていました。

 指摘されている地域の方々、先ずは「大難を小難に小難を無難に」と祈りつつ、コテ造君そしてミノリス・メッセージの日付や期間、それなりの注意を払って過ごされた方がいいかもしれませんね。
 (例によって適宜行空けなどを加えています。)http://www.asyura2.com/10/idletalk39/msg/515.html

                       *

地震情報 真に迫る予知夢について                   

(前略)まぁ、もちろん、今まで子供の予言というのは5月に地震が来て先生やみんな死んじゃうと言っていた予言も当たらなかったですし、未だ時期を当てた予言はありません。そのつもりで読んで下さい。
別に恐怖を煽るつもりはありません。他の予知夢などと共通項が多いので気になっただけです。
本番が来たらこんな感じなのだろうと、シミュレーションに使うのは良いかと思います。

まぁ、長いですが興味がある人は読んで見て下さい。
コテ造と書いているのがお子さんのことのようですね。
                       *                                                   
NHKのテレビ画面の映像のようです。夏の朝。暑い日。テレビの緊急地震速報が流れる。本震が2回あり、1度目の地震の震源は相模湾の中心あたり。M7.9。2度目の地震の震源は、熱海の東沖。1度目の地震の揺れが収まって1分もしないうちに起こる。相模湾の沿岸一帯に大津波。初島が津波に呑み込まれる。東京は液状化現象による被害が拡大。東京湾は重油の流出によって一面火の海…。天使さんは「夢が全部現実になるわけじゃないよ」と言っているそうです。

コテ造の大地震についての夢の内容です。コテ造は、8月に相模湾が震源の大きな地震が起こる夢を続けて見ました。テレビの映像が夢に出てきて、海のすぐ側が山というところに電車が走っていて、その電車がトンネルに入る直前に津波に呑まれる場面が見えたと言います。コテ造が夢で見たテレビの映像の内容ですが…相模湾震源の大きな地震は、プレートが引っかかるタイプの地震のため、津波が重なり大きくなる、と専門家が解説。タワーのような建物が、津波で流されて来たビルに押されて倒れる光景。みなとみらいに津波。新幹線の熱海駅のすぐ下まで津波。その下の在来線の線路は津波に呑まれている。灯台より高い津波が来て、灯台が折れる。灯台が浮いている映像。津波で多くの家が流されている。大きな川を津波が逆流。相模湾沿岸と駿河湾沿岸に大津波警報。浜岡原発にも大津波。東京震度5強。東京は、内陸にまで津波が押し寄せる。地下に水が流れ込む。メトロが壊滅。NHKの番組で何かのVTRを放送中、地震を受けて急きょ画面がスタジオに切り替わる。アナウンサーが「東京のスタジオがお伝えできない状態のため、大阪のスタジオからお送りしています。」

先日書いた通り、東京は液状化現象が激しく、それに巻き込まれて亡くなった人も多いとテレビが伝える映像をコテ造は見ています。民家の1階のドアの、上から20cmくらいの高さまで泥で埋まっている。2階のベランダに道路からジャンプして乗れるくらいの高さまで家が沈んでいる。商店街の1件1件が全て傾いている。一人の男性は、体が頭のてっぺんまで泥に埋まって亡くなった。一人の女性は、自衛隊に引っ張られて救出される際に足が抜け亡くなった。ヘルメットを被って長靴を履いた男性の記者が、膝上まである泥の中を、田植えの時のように足を取られながら、レポートしている。記者の周りにはすごい数の人。白く丸く大きい石油タンクから、黒っぽい油が流れ出している。東京湾は一面の火の海。ここまでが、コテ造の夢の中のテレビの東京の映像です。この内容を聞いていただいた後、大先輩はコテ造に、「あなたはお知らせ係のお役目があるんだよ。その人本来のお役目を果たしている時は、全て順調にスムーズに事が運ぶのよ。」とお話ししてくださいました。

『コテ造が、先ほど寝る前に、「目を閉じてリラックスしてると見えてくるんだ」「あ、見えてきた。ママ、メモして」と言い出しました。大地震についての新聞記事や、テレビ画面が見えたとのことでした。コテ造、い、いつの間にそんな技(?)をっ!?と驚くママを尻目に、コテ造が話し出した内容はと言いますと…全てのチャンネルの画面がニュースに切り替わる。すごく暑そうな日。東京が大混乱している映像。名古屋にもすごい津波。成田空港は水没。北海道の千歳空港に、国際空港の機能が移転。大勢の人が見える。(これは前にも夢で見ました)インターネットの動画サイト、YouTubeに、大津波の映像が投稿される。東京の中心部まで津波が来る映像も投稿されている。一方、新聞記事の見出しは、“死者10万人以上の可能性”“天皇家一時大阪へ”“震源から離れた沖縄でも被害が”“床下浸水4棟”“漁船が一隻沈没”“船釣りをしていた男性2人が死亡”その新聞の日付は、8月1?日までは見えたとのことです。

今日の夢は、テレビ画面と、新聞記事と、上空から見た映像が入り混じったものということでした。海岸にものすごい数の遺体。男の子が津波に流された映像。海水浴をしていた人の中で、大人の女性が一人、津波に向かって泳いでいき、自力で助かる。この女性の番組が作られた。多くの家が流された。一時孤立している人が大勢いる。海岸に、津波に耐えた木が何本かあるその木に登っていた男の子が救助された。変な形のタワーが津波で倒れる。
熱海駅~小田原駅間を走行中の新幹線が、ギリギリ津波に呑まれないでトンネルに入った。東京湾に津波15m。
東京湾にある、京浜港というところから多くの船が一斉に沖に出て、ほとんどの船が助かった。アクアラインが全て崩落。多摩川を津波が逆流。その津波と共に、崩落したアクアラインの一部も多摩川を逆流。東京湾岸沿いの高速道路が部分的に落下。東京湾にある、全てコンクリートでできているような人工島が沈んだ。スカイツリーがポキンと折れた。折れた部分はスカイツリー近くの川に奇跡的にきれいに落ちた。スカイツリーでテレビの仕事をしていた人が、何人も亡くなる。避難所になっていたグラウンドの大きな学校が、2回目の地震の津波で流される。1回目の地震の津波はそこまで来なかったため、大勢の住民が避難したところに2回目の大きな津波が襲来。犠牲者多数。津波が福島県沖まで到達。伊勢湾岸道が一部崩落。地震後、山の方でキャンピングカーで生活する人が増えた。

新聞記事より。M7.9。[1度目の地震]湘南震度6。(強か弱かはわからない)熱海震度6弱。[2度目の地震]熱海震度6強。“26mの津波が鎌倉を襲った”“大阪が首都になるおそれも”“新聞の一面に東京湾が火の海の写真”
テレビ画面より。マンホールが液状化現象で道路面から2mほど飛び出ている映像。地震から4、5日後の番組。メガネをかけてグレーのスーツを着たおじいさんの学者さんが解説している。「東京のビルは地下深くまで杭が打ってあって頑丈ですし、道もカクカクしています。なので、一方を流れている津波がもう一方の津波と合流し、より高くより速い津波となる、この現象のことを都市津波といいます。」下の写真は、コテ造が書いた上の解説の説明図です。あなたが、今、このブログを読んでくださることも偶然ではないと思います。

さて、昨日ママゴンの友人から、ブログを読んでメールがありました。“リアルな内容でびっくりした”
“友達に伝えようと思った”“日付がわかると有難いんだけど”“コテ造君は、こんな夢を見て大丈夫?”と心配してくれてました。これまでの記事を読んでくださっている方の中にも、このように感じてくださってる方がいらっしゃるかもしれない、と思いました。大切なお友達に伝えたいと思ってくださった皆さん、ありがとうございます。それが、天使さんの願いとのことです。(後で詳しく書きますね)ただ、お伝えくださる際には、『必ずブログにあることそのままを伝えてください』とのことです。そして、ありがとうございます、コテ造は大丈夫ですよ。

夏休みに入り、コテ造は宿題ってなんだっけ?という顔をして元気に遊びまわっています(>_<)
夏休みなのでコテ造と話せる時間は増えたのですが、妹や弟も居るため、ママゴンも何かとバタバタしていて、車の中や夜寝る前など、コテ造と2人でいられる時間に、ちょこちょこ聞いては書き留めています。なので、一日の中で夢の話をする時間も多くはなく、いつもの生活とのバランスは取れているようです。地震の夢を続けて見た時には一度だけ辛いと言いました。しかし、それが「お役目」だと自覚してからは、「僕が話すことで人の役に立つんだよね」と、一生懸命思い出して話すようになりました。そして、ママゴンはそれを一生懸命打ち込むのみです(^_^)私達の話が長くなりましたm(_ _)m

今日のタイトルの不思議なできごと、日付の話です。金曜日にお友達のお家に遊びに行った帰りの車の中で、ママゴンはふと思い出して、「そういえば、コテ造の夢の中では浜岡原発には大津波が来たのが見えたって言ってたけど、その後どうなったかわかる?」と尋ねました。すると、「2号機からだけ放射能が漏れるんだって。福島みたいに激しくはないって。」という答え方をしました。私が、「あ、天使さんが教えてくれたの?」と言うと、「違うよ。夢に青白い光が出てきたんだよ。男のような女のような…。その光が、『地震について質問があれば言いなさい。数は25個に制限します。」って言うから、浜岡原発のことも訊いたんだ。22個まで質問したところで目が覚めたんだ。」コテ造は今まで、1ヶ月に1、2回の頻度で、夢に天使さんが出てきていました。天使さんは真っ白い光だそうです。青白い光は、初めて見たということでした。(ちなみに他の21個の質問は覚えていないそうです、ごめんなさい。)

そして、昨日土曜日、ママゴンは洗濯物をたたみながらコテ造の話を聞いてメモしていました。昨日の、"新聞記事の見出し”について、「これは全部同じ日の新聞の見出しかな?」と尋ねました。コテ造はそうだと言いました。「これは何日の新聞かわかる?」と尋ねると、「13日」と言いました。ママゴンはコテ造から日付を聞くことは初めてだったので、「13日の新聞なんだね?」と訊き直しました。すると、コテ造は、「何?僕13日なんて言ってないよ」と言うのです。それからしばらく言った言ってないのやりとりが続きました。私が「天使さんが言ったのかな?」と言うと、「天使さんは知らないって言ってる」またしばらくして、「青白い光が、『やっとコテ造を操れた』って言ってるんだって。今、言わせたのは青白い光なんだって。」どうやら、天使さんが青白い光の言葉をコテ造に伝えてくれている、という状況のようでした。コテ造が言うには、新聞は地震の翌日のもので、地震が起こるのはその前日、すなわち12日ということでした。そして、またしばらくして、コテ造が「千葉もすごい」と言って、弟とじゃれあい出しました。ママゴンは「え?千葉がどうすごいの?」と訊くと、「え?千葉なんて言ってないよ」と言うのです。それも青白い光による言葉とのことでした。

私は、今朝、コテ造に、「ママゴンの文章で、天使さんが伝えたいメッセージがちゃんと伝えられてるか、訊いてくれる?」と尋ねました。「天使さんが伝えたいんじゃないからわからないって」「え?」「今、僕には天使さんと青白い光とふたつ(?)ついてるんだって。」「青白い光が伝えたいってこと?」「そうだって」しばらくして、
「あ、その文章でいいですって言ってるって」その後、昨日このブログにアクセスしてくださった方がまた増えたことを知り、二人で驚いていると、「天使さんが仕掛けたって言ってるよ」とコテ造が笑いました。長い長い文章を読んでくださって、ありがとうございました。
昨日、コテ造の夢に青白い光が出てきて、コテ造の質問に答えてくれたそうです。コメントでいただいたご質問の答えになるような言葉があるといいなと思います。ー改めて、地震は何月何日に起きますか。『8月12日』

ー地震がほんとに起きるとしたら、どうしたらいいですか。『とにかく助かるには逃げること。』ー私達ができることで、たとえば震度7が震度5になるとか、小さく変えることはできますか。『被害は小さくできる。それには、地震に不信感を持たないこと。こわいという気持ちを持たず、だからどうすればいいのか、と考える。』ーコテ造が見た夢は、起きた場合に一番被害がすごい時の夢ですか。『真ん中。地震が起きるか起きないかは、決まっていない。起きてしまうかもしれない、ではどうすればいいのか、と考える。起きる可能性は高い。』ー地震は、何時頃起きますか?『朝5時から8時の間』(コテ造が、「青白い光も、がんばってここまで絞ったんだって」と言いました)

ーもし地震が起きたら、その後どうすればいいですか。『その地震で被害を受けた方々への支援にお金をかける。そうすれば、被災者が豊かな生活を取り戻せる。』青白い光の声は、男性の声だったそうです。コテ造は、「自分のフィルターを通さないでそのまま」を話すことを心がけてます。私は、コテ造の言葉をそのまま書いているので、読みづらい箇所や、意味がよくわからない箇所があるかもしれません。このブログをこの記事で初めて読んでくださる方は、ぜひ、最初の記事から読んでいただけると有難く思います。天使さんが、この青白い光のメッセージの後、地震の起きる確率を調べてくれたそうです。87%ということでした。 (転載終わり)

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ミノリス・メッセージ(3)

 日本に関する「ミノリス・メッセージ」です。7月30日付のものですから、本文中「2週間後」というのは、今時点では「もう間もなく」ということになります。極めて差し迫って、3・11と同じ規模の大地震に見舞われる可能性があるというのです。
 ただ近未来予言というものは、「起り得る可能性がある」ことを示す一つの指標です。「絶対的にそうなる」というのではありません。日本国民総体として「光の想い」を結集させることによって、ネガティヴな未来は常に変えられる余地があることを知らなければなりません。
 
 本文中にはまた「本州 真っ二つ … 境目 富士山」とあります。これは今から60年以上前、戦時中から戦後にかけて岡本天明師に降ろされた「日月神示」の、
 「富士を境に西東。二つに裂かん仕組みなり」
という預言の一節が思い起こされます。これについては、東日本に(旧)ソ連軍が侵攻、占領し、富士山以西の西日本を米国中心の多国籍軍が占領する、というような解釈が過去になされてきました。今回のミノリス・メッセージでは、「東日本は韓国」「西日本は中国」と示されています。
 そしてこちらの方は、日月神示の預告にもあるくらいですから成就する可能性が高いのです。「神」はイルミナティを「悪の御用」として使われるのでしょうか。(ただし「立替え(占領)」の期間は3年半と限定。)

 仮にそうなったらメッセージ中にもあるとおり、日本の国土は残っても「日本国」としての真の姿は存在しなくなるということです。これは日本国民にとって最大の悲劇です。現下のモラルハザード状態の現ニッポン人、全国各地で目も当てられないような地獄的状況が現出することになるでしょう。
 戦後から今日までのすべての日本人の生き様の総決算が、そういう形となって現われてしまうのです。

 これを回避するには、日本人の多くが「まことの日本魂(やまとだましい)」(大調和精神)に立ち還る以外方途はないと思われます。
出典元 「ミノリス Minoris の URGENT MESSAGE (緊急情報)」 
http://blog.goo.ne.jp/minoris_2010/e/3060008c4f96fcd06505e68c882c7510
                       *
東北地方 再び 地震ある 8月中旬10日 17日(アカシックレコードからの情報・ビジョン) 2011-07-30
アカーシックレコードから、
この夏(2週間後)に大地震が来ると情報が来ている。

この情報は、神が予定しているビジョンではなく、
イルミナティが、計画している日本破壊計画の内実だ。

もし、このまま起こると、
日本は、後半に書かれているように
国家が解体する危険性がある。

回避する方法は、皆で祈って、
この邪悪なイルミナティの計画を消すしかない。

※現在、全国的に大雨であるのは、
 2週間後、日本全土を液状化にして、
 地震の災害を大きくするため(気象兵器HAARP)だ。


連中が計画しているのが、

東北で大地震を起こし、
福島第一・第二原子力発電所を爆発させ、
六ヶ所村再処理施設も破壊し、日本各地の原発を破壊し、
大量の放射性物質をまき散らし、
(3.11以後の海と日本各地の核による人工地震の証拠隠蔽目的)
太平洋側と関東平野を津波で襲わせ、
富士山を噴火させ、日本を南北に分断し、
長野や各地で地震や災害を起こし、
「新燃岳」「桜島」「大雪山」各地で人工噴火させ、
政治的には、中国と韓国に日本を奪わせ、
日本という国家を(世界地図から)消滅させるというものだ。


(イルミナティは、
 日本国内のすべての核燃料をターゲットにしている。
 
 3.11では、奇跡的に彼らの「COMBINED DISASTERS:複合災害」から
 日本は逃れている。)

 (中略)

あと2週間しかない。

この夏、日本の国家の行方を決める大きな分かれ道がある。

日本が破壊されれば、連鎖的に、
世界は大きく破壊されていき、混沌とした世界になるだろう。


「富士演習場と富士山のかなり高いところに核を仕掛けている」富士山ディ-ヴァ メッセージ2011.7.21

「自分たちの描いたシナリオに従いすべてを搾取する者たちがこの災害を起こしている」シリウス2011.6.14

「世界中で起こっている災害は、 皆、自然のものではない」リンドバーグ メッセージ 2011.5.30

「日本は日本の国民の為のものだ。 操られることを断じて許してはならない」シルバーバーチ 2011.5.31


「レプタリアンは人間に化けて生活をしている。彼らは狡猾だ」リンドバーグ メッセージ 2011.5.17

「イルミナティの真の正体を光の前に引きずり出しその存在を葬って欲しい」リンドバーグ 2011.4.11

ミッション・セントルイス(リンドバーグ・メッセージ)


…………………………………………………………
(アカーシックレコードからの情報・ビジョン)

(※イルミナティが、この夏、8月10日ー17日に
  計画している日本破壊計画の内実)


地震警告 2011.7.29


東北地方 再び 地震ある
8月中旬
10日 17日(という数字・またはその間)

3.11の規模に近い可能性

津波 なるべく海の近くに居ない方がいい



福島原発を破壊的状態にしようとする意図」

「(放射能汚染)すべてを、その地震のせいにするため」

「壊滅状態」


(今もたくさん出ているが)

放射能 かなりの量 広範囲

飛んで行く 風


黒澤明 夢のシーン 近いもの

地震=人工的なもの


いろいろとやっている

電磁波 気象操作


より地震のダメージを大きくするため

気象兵器も使っている


も埋めている

「海」と「山」


「富士山」

「長野」
 山梨に近いところ 山の中


(犯行者)

「イルミナティ」

ほとんどがレプタリアン


地震によって

東京も津波の影響受ける


ビルが傾いている

液状化 埋立地


亡くなる人 大勢

津波


3.11と同様 太平洋側 東北

津波


東京 今回 津波

都心までやって来る


(回避方法)


(海抜)低いところ=津波

その時期 都内の(海抜)低いところ

居ない方が良い


できれば離れて 高台に居ること


一人一人の意識 高くなること




10月 11月(一部 9月)

何か所か (人工)噴火が起きる


「富士山」 何かある

「新燃岳」 「桜島」

北海道 噴火
 「大雪山」

「四国」「瀬戸内側」
災害受ける 火山ではない

「島根」


本州 真っ二つ 分断 上と下

違った国 違った存在

境目 富士山


日本の国が他国に取られている

二つの国に分かれている

(片方) 中国 (片方) 韓国


日本 国家として機能していない

「2014年」


(何が起こっているか)


(現在既に)
日本政府 完全に操られている

 
その流れがずっと続く


だんだんいろいろなことに巻き込まれて

日本という国が 切り売りされていく


戦争 巻き込まれて行くたび

日本の国土が失われていく  
(転載終わり)

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阿修羅の「特定人規制」について

-七転八起氏にはずい分投稿していただいた。「投稿規制問題」私も一言述べたい-

 何日か前いつも通り阿修羅掲示板を訪問し、同掲示板の拍手ランキングやアクセスランキングで異変が生じていることに気がつきました。当ブログ記事も含めて多くのブログを広くカバーして投稿してこられ、1位から10位に名を連ねる常連だった「七転八起」氏の名前がまったく見当たらなかったのです。
 念のため11位から50位、51位から100位でもそうでした。「七転八起」氏が阿修羅から忽然と消えてしまいました。

 これには驚きましたが、そう言えば覚えがあります。その1ヵ月弱前の7月7日、管理人さんから七転八起氏への心憎い七夕プレゼントがあったのです。それというのは、同掲示板の「お知らせ板」に示された以下の告知です。

七転八起さん固有の投稿規制を今つくりました。あしからずご了承ください。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/137.html
投稿者 管理人さん 日時 2011 年 7 月 07 日 20:39:52: Master

今から、お願いします。

七転八起さんのみの投稿規制その1
七転八起さんは、1日1板3投稿まで。ただし、昼休み板、番外地板、カルト板は無制限。

その2
七転八起さんを含むすべての方は、
(ryuubufanのジオログ)を1週間に1個以上転載してはならない。

その1,その2の理由:内容がそれほどおもしろくないのに多数引用するので。

以上、よろしくお願いします。
http://www.asyura2.com/11/kanri20/msg/137.html

                       *

 この管理人さんの告知文と以下の七転八起氏などのコメントのやりとりをその直後に知り、『七転八起さん、これからどうするんだ?』と密かに気をもんでいました。しかしそれ以降も七転八起氏は管理人さんの意に沿って投稿し続けられているようにお見受けし、私の時事記事なども以前とそう変わらず投稿していただいたので、「ryuubufanのジオログ」氏(以下「ryuubufan」氏)にはわるいけれども『そんなに大ごとにならずに決着しそうだな』と一安堵していました。
 しかし七転八起氏の名前が消えるに及び、事態の深刻さを改めて認識しました。そこで原因を探るべく、何か手がかりになるかも知れないと思い、久しぶりで上記お知らせ板を訪ねてみました。

 するとどうでしょう。とうの昔に解決したと思っていたのに、実は水面化で大問題となっており、管理人さんと七転八起氏という当事者はもとより、他の阿修羅読者をも巻き込んで侃々諤々の議論が続いていたのでした。「お知らせ板」という普段は地味な板であるのに、その時点でコメント数がもう150を超えているではありませんか。
 『ははあ、原因はやっぱりこれだったんだな』。そこで大づかみの流れを掴むため、「01 七転八起」からもう一度順にすべてのコメントに目を通してみました。

 管理人さん支持、七転八起氏支持では、七転八起氏支持が少し多いくらいの割合でしょうか。
 管理人さんの規制の反論として多いのは、上記告知主文とコメント中(101)にあった「おもしろくない」「ショウモナイ」という言葉にあるようです。この言葉は阿修羅掲示板全体に目配せし、諸投稿記事の交通整理をし、公平なジャッジを下すべき「管理人」としてはやはり不適切だったように思われます。
 もし七転八起氏の(ryuubufan氏や当ブログ記事も含む)投稿記事が「おもしろくない」「ショウモナイ」内容だというのであれば、他の投稿者のものと比較対照して、「ここがこうおもしろくない、ショウモナイ」という具体的な根拠をお示しになるべきです。

 それなしでいきなり「おもしろくない」「ショウモナイ」のいささか感情的な結論だけでは、「初めに七転八起氏潰しありき」だったんだな、と多くの読者は感じてしまうのではないでしょうか。それのみか管理人さんの最大、最終目標は、やはり告知文中「その2」だった、つまり「ryuubufan氏排除」が狙いだったんだなと受け取るのではないでしょうか。
 余人が推し量ることはできませんが、管理人さんから見て、ryuubufan氏は目立ちすぎたのかもしれませんし、いつか同氏に阿修羅を乗っ取られる危機感すら覚えたのかもしれません。

 確かにryuubufan氏の各記事は、七転八起氏によって投稿されるたびにランキング上位、1位独占という状態が続きました。
 しかしこれは同氏の類い稀なる才能、つまり事象観察力、分析力、表現力の賜物というべきです。そうでなければシビアな読み手が雲集している阿修羅にあって、他の多くの記事を圧倒して1~10位を長期間独占し続けるという離れ業など出来るものではありません。
 その意味で私も含めて阿修羅読者は、「ネット界の鬼才」としての同氏の才能を正当に評価すべきだし、その才能を見出して天下の阿修羅掲示板に登場させた、七転八起氏の発掘者としての才能にも敬意を表すべきなのではないでしょうか。

 本8日同告知記事のコメント数が遂に200を超えました。1ヵ月余経過してこのありさま、この状態は当分収まらないのではないでしょうか。
 これを収束するには、管理人さんの「今のところ処分はこのスレッド本文の通りです」コメント(181)のような木で鼻をくくったような物言いではなく、もう少し誠意あるご回答が必要かと存じます。
 すなわち他の投稿者は一切お咎め(同様の規制)がない中、七転八起氏、ryuubufan氏だけになぜかくも厳しい規制が必要だったのか、多くの阿修羅読者が納得出来るようなご説明が必要なのではないでしょうか。そうでなければ、阿修羅掲示板への不信感が拡大しかねないと憂慮致します。

 管理人さん、説明がお嫌なら仕方ありません。それは管理人さん自らが、公平な「ジャッチ」(裁判官、審判員、レフェリー、アンパイア…)の放棄を意味すると思いますが、今回の七転八起氏、ryuubufan氏への規制措置が妥当であるかどうか、広く阿修羅読者に「公平なジャッチ(審判員)」になっていただこうではありませんか。
 つまり今回の規制について「賛成/反対」を多くの読者の投票によって決するという方法です。記事としては別スレッドとし読者に広く周知した上、質問は「賛成ですか」「反対ですか」の2つだけで十分です。他の投稿者にはまったく規制がかかっていないアンフェアーな状況下、「政治板は何個まで、他の板は何個まで、ryuubufanは週何回まで」というような中間条件は不要と考えます。

 その場合はサンプリングにより公平を期すため、「1000人」乃至は「1週間or10日」到達時点で締め切り、というようなまとまったサンプル数を確保すべきです。「ネット民主主義」としてこれがよりフェアーかと思われます。
 いずれにせよ同記事に並々ならぬ関心を寄せている誰しもが、生煮えの未決着状態がこの先ダラダラ続くことは望んでいないはずです。
 ある人いわく「Masterとは、知識を叡智に変容する人のことである」。管理人様には是非これらの方法も含めて、一日も早い賢明なる解決を望みたいと存じます。

 七転八起様。
 3・11直前の『池田大作氏死去?』記事以来、当ブログの拙い記事を5ヵ月弱もの間天下の阿修羅にご紹介賜りました。政治記事が主でしたが、中には『洞庭湖と鄱陽湖』『黄桜かっぱ家族』果ては拙詩『星の荒野にて』まで投稿してくださいました。「おもしろくない、ショウモナイ」記事だったかもしれませんが、いずれもそれなりに力を入れて綴ったもの、改めまして深く感謝申し上げます。
 出来ましたら管理人様の最終裁定を信じて、阿修羅を「去る/去らない」はしばしご猶予願えればと存じます。

 末尾ながら。阿修羅掲示板の益々のご発展心よりお祈り申し上げます。

 (大場光太郎・記)

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昭和天皇の戦争責任(3)

 (前回の続きです)

昭和天皇に入れ知恵した(?)ジョセフ・グルーの正体

アメリカのジョセフ・グルーは1941年日米開戦までの駐日大使であったが、在任中10年間の間に牧野伸顕、吉田茂、樺山愛輔らと深く関わって、牧野らから御前会議の内容や日本政府の極秘事項をスパイさせていた。白洲次郎もその一味である。

 ジョセフ・グルーは、外交史ではよく平和主義者で、戦争末期には天皇制を認めて早期に終戦を図るべき努力したとなっているが、大ウソである。

  グルーはアメリカのモルガン財閥の血族の一人である。つまりモルガン財閥が対日工作のために送り込んだエージェントであった。戦争に反対した平和主義者とは、アメリカの走狗となり果てていた当時の(今も)マスゴミによって宣伝された顔なのである。グルーはトルーマン大統領に代わってから実質的な国務長官として、原爆投下に向けてスティムソン陸軍長官と共同歩調をとったえげつない人物である。
 
 原爆は国際金融資本グループが第二次世界大戦後の世界で、核兵器で大儲けをする計画でなされた実験であった。 それが長崎に投下されたプルトニウム爆弾であった。広島に投下されたウラン型の原子爆弾はとうに完成していたが、プルトニウムでの原爆は完成に時間がかかった。だからプルトニウム爆弾が完成するまで日本が降伏しないように指示をだしたのはグルーであり、それを日本側の吉田茂、牧野伸顕、樺山愛輔ら(おそらく海軍の米内光政も)に伝える役割を担ったのが白洲次郎であった。

 憲兵隊もそれを掴んでいて、吉田茂とその反戦グループの意味で彼らを「ヨハンセン・グループ」と呼んだ。ヨハンセン・グループは、アメリカのユダヤ国際金融勢力の意を受けたグルーの指示で日本の降伏を引き延ばしていた。

http://home-and-human-navi.blog.ocn.ne.jp/genki100/cat5132966/index.html

アメリカは皇居も財閥の工場も攻撃しなかった。国会議事堂も霞ヶ関も残った。

ドイツ戦ではヒットラーが標的になり、イラク戦でもフセインが殺された。対日戦では日本人は虫けらのように殺されたが、天皇は標的ではなかった。変な戦争だ。そして支配層はアメリカの単独占領を歓迎した。

支配層は日本人民が革命をやり、自分たちの地位を失うことを恐れていた。米英に支配の地位を守ってもらうために、戦争で日本国民を犠牲にし民族的な利益をみな売り渡す道を進んだ。

米に負けるため南進 目的同じ日米司令部

最初からアメリカに負けるために南進したのだ。日本人民の経験でも市民は焼き殺すが、軍や三菱は無傷だったというのが実感として語られている。

最近の史料で明らかになったことで、戦前に駐日米大使をしていたグルーなどが「日本の軍需工場を攻撃するな」と主張していた。それがウォール街の共通認識だったという。グルーはJPモルガンの利益代表だが、彼が駐日大使だったときに三菱や住友と深い関係を持ち、アメリカ資本が日本の大企業に相当投資してインフラを整備しており、今から日本の資本主義を段階を画して発達させ、収奪していくんだという狙いを持って戦争に臨んでいた。だからみずからが投資してきた三菱などの軍需工場への攻撃を避けていた。これに対して日本側の三菱などは日米開戦のときに、

「米英はこれまで通り友人だ。だから資産をきちっと守って、戦後も同じようにやっていけるよう、みんなもそのつもりでおれ」

と岩崎小弥太が檄を飛ばしていた。ウォール街の意向と一致している。

「鬼畜米英」といわせながら、日米両方の司令部が同じ目的で動いていたのだ。中国に侵略してひどいことをしたが、日本民族もさんざんに殺させる。そして民族の利益を売り渡すことで自分たちの支配の地位を守る。それが唯一の道だと。日本の支配階級の卑劣さも少少ではない。売国奴、かいらいの道を進んだわけだ。

天皇が原爆を落としてほしかったのだ。8月15日の終戦の詔勅にある「原爆が投下されたからだ」という理由ができた。

武器も食料もなしにどんどん輸送船を出すというのは「殺してください」ということだ。南方にはとり残され、戦争能力がもうないのだから、本当は戦争をやめるほかはない。みんな「おかしな戦争だった」というが他のどの戦争を見てもあんな戦争はない。

戦争なら皇居を狙うのが普通だ。将棋でも王将をとるかとられるかだ。しかし下町ばかりが焼かれた。

ドイツの場合は「ドイツ国民はわれわれと同じ人種で良識ある国民だが、悪いヒトラーをやつけないといけない」というスタンスだった。だからドイツではドレスデン空襲はあったがほとんど空襲はやっていない。

しかし日本の場合は「天皇が敵だ」とはいわず、日本人全体を「ジャップ」といい、野蛮な未開の人間ではないジャップを殺せというのが最初からの姿勢だ。インディアンと同じ扱いだ。

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/genzainitudukunihonminzokuzetumetusakusen.html

原爆を投下される迄 日本が頑張った理由

第二次世界大戦中、昭和天皇は、敵国の戦争省最高幹部であるドレイパーから兵器を大量に輸入し、日本軍に高額で売り付け、利益をスイス銀行に蓄財していた。

 天皇とドレイパーは、兵器密売の共同事業者として、兵器販売促進のため日米戦争を行っていた。

 戦後、来日したドレイパーが最初に行った事は、天皇への兵器密売の「売掛金=未払い代金の回収」であった(この点は、天皇の側近であった渡辺武の「渡辺武日記 対占領軍交渉秘録」東洋経済新報社を参照)。

 戦争末期、ドレイパーは、天皇が無条件降伏を申し出ると同時に、「戦争犯罪人として自分を処刑しないで欲しい」と命乞いをした事に対し、天皇の命の保証と戦後における天皇制度の維持を確約し、それと引き換えに、日本に原爆を投下し終えるまで無条件降伏を承認しない、という条件を出した。

天皇は広島・長崎への原爆投下を事前に承認し、それと引き換えに、自分の命と地位の延命を手に入れた。天皇は、自分1人が助かり、それと引き換えに、広島、長崎の市民の皆殺しを喜んで承諾した。

 これが、「同業者、兵器密売企業の共同経営者」天皇とドレイパーの密約である。
http://alternativereport1.seesaa.net/

そして、昭和天皇は名優となった:

戦争後の四年間、昭和天皇は戦前からの擦り切れた背広のみを着て、人々とみじめさを共有する姿勢を表した。

そして1949年、アメリカの新聞が彼をぼろを着て散歩していると報じたと家臣が告げたことを契機に、昭和天皇は、彼の結婚25周年を記念して、背広を新調することを受け入れた。

その数年後、作家、小山いと子が、皇后良子について小説を書いた時、その新しい背広について書いて話を終わらせていた。

天皇はイソップやアンデルセンを好み、この作家は、彼女の「天皇の新しい服」という喩えが、昭和天皇の好感をさそうだろうことを予期していた。

 「天皇の新しい服」は、喩え話として、1950年代を飾った。1940年代の西洋の判事と報道記者の執拗な疑念は忘れ去られた。

http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_13_3_4.htm

終戦後、昭和天皇は「人間宣言」のあと、全国を巡幸して歩いた。その映像は今も残る。敗戦で打ちひしがれた国民を激励すると称して(膨大な予算を使って)行幸したときの姿は、わざと古着にすり減ったクツを履いて、軍部に騙された気の毒な天皇という哀愁を演出してみせたのだった。

昭和天皇は1901年生まれだから、巡幸のころはまだ40代後半なのに、わざと猫背にして60歳くらいの老人のように見せているように、映像や写真からは伺える。

何を説明しても「あ、そう」と答えたことは有名になったが、これも自分は戦争を指揮したりしない、言われるがままの人間だったという印象を与えるためだろう。

戦前には絶対に大衆の前に姿を晒さなかった昭和天皇が、大衆に向けてソフト帽子をふりふり、愛想笑いを浮かべて「平和天皇」を演じてみせたことは、戦犯から除外してもらうための進駐軍へのポーズでもあったし、見事に国民をも騙すことにも成功したのであった。

 戦後もついにマッカーサーをも騙しきって、資産を守った天皇が、なんで古着にボロ靴なのか。その心根の深奥をわれわれ国民は知るべきであろう。

http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/b2add89dad958852f4994fb54f0874b0

マサチューセッツエ大教授のジョン・Dダワーは米国の公文書館で天皇ヒロヒトの発言を見出した。

① 天皇は「日本人の心にはいまだに封建制の残澤がたくさん残っている。それも根こそぎにするには長い時間がかかるから占領は短かすぎない方がいい」といった。

②「神道を奉じる分子とその同調書は反米的だから警戒を要する」といった、というものである。

ヒロヒトの発言は決して日本国の象徴たるものにふさわしいといえない。まさに偽帝の言というべきである。

http://www.snsi-j.jp/boards/sirogane/152.html   (以下省略-転載終わり)

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続・あつぎの文化財獨案内板

甲州道
 江戸時代の地誌『新編相模国風土記稿』は「東海道平塚辺よりの道なり、大住郡岡田村より厚木村に入、妻田、荻野等を過ぎ、半原村より津久井県長竹村に達す、道程凡四里半道幅九尺より二間半に至る」と記しています。現在の国道412号がほぼこれに沿っています。

 「巡礼道」は主に巡礼という特定の人たちが通るための道なのでした。それに対して「甲州道」(別名「津久井道」)は、昔々の民衆たちや牛馬などが往来する一般的な意味での街道だったと判断できます。
 そのため道幅も九尺(約2.7メートル)から(約4.5メートル)と広かったわけです。

 そしてこの道は「現在の国道412号」にほぼ沿っているというのです。なるほど国道412号は、国道246号から分岐した所を起点として、我が街の妻田地区を通り、厚木市の北隣町である愛甲郡愛川町半原やがては津久井(現相模原市緑区)に至る道路です。
 私の記憶では、この道は何年か前までは確か「主要地方道」つまり「神奈川県道」だったはずです。道幅も対向1車線道で、246号のように片側2、3車線もある堂々たる国道とは趣きが異なります。
 ただし(飯山観音よりずっと先の愛甲郡煤が谷村から流下し相模川に注ぐ)小鮎川を挟んだ妻田地区などの西側に、10余年前新設された広い道路も同じ412号です。両道は荻野地区のある地点で合流し一本の道となり、半原、津久井方面に向かいます。

 通常は往時の民衆たちが行き来した甲州道も、時として兵馬が通る道になることもありました。
 戦国時代の代表的武将である甲斐の武田信玄の軍が、永禄12年(1569年)北条氏康の居城のある小田原に攻め入り、同年10月5日小田原城下に火を放って軍勢を引き上げます。その時武田軍の相模国での退却ルートに甲州道がなったのです。
 その途中小戦闘が起り、ために妻田薬師一帯が戦火に包まれたことは『妻田薬師逍遥記』の中で述べました。その後武田軍は甲州道(西)の途中から右に曲がり、中津川を渡った高台の街道(東)を津久井方面に進みます。現在もそうですが、津久井に抜けるには二つのルートがあったのです。

三増古戦場
             三増古戦場

 津久井との境の三増峠(現愛甲郡愛川町三増)には、予め北条氏照・氏邦の軍2万が信玄軍の退路を絶つため守りを固めていました。案の定武田軍が通りかかったことにより、同年10月8日最後の大戦闘が起りました。これを「三増峠の戦い」といいます。
 北条軍は奇襲を仕掛けるなど緒戦は武田軍が苦戦したものの、そこは戦上手の信玄のこと、次第に形勢を盛り返し最終的に武田軍が大勝し、信玄は津久井に軍を移動させ勝ち鬨を挙げています。

 いずれにしても現在我が街の真ん中を通っている主要道路が、昔々「甲州道」(津久井道)と呼ばれていたことを初めて知りました。
 「人に歴史あり」とか言われますが、その伝(でん)でいくと「道にも歴史あり」。今回「あつぎの文化財獨案内板」の略図を眺め、巡礼道、甲州道という二つの道の概要を読んでみてそうに感じました。
 そう言えば作家の司馬遼太郎の著書に『街道をゆく』シリーズがありました。私はつぶさには読んでいませんが、全国の名だたる名街道に秘められた歴史を発掘する試みだったかと記憶しています。

 巡礼道、甲州道がそうであるように、全国各地の歴史と結びついた由緒ある道名、町名、地名などが、戦後特に国道、県道などに名称変更され、「緑ヶ丘何丁目何番何号」などという新住居表示に変更されてきました。
 それによって各地域の歴史は新名の深いところに埋められ、いつしか忘れ去られていってしまうわけです。これはいささか大げさなことを申せば、「大きな損失」なのではないでしょうか。

野中俳諧興行句碑

 肝心の「あつぎの文化財」ですが、1~8番まであります。それは以下のとおりです。

 1.妻田薬師  2.清源院  3.八幡神社  4.林神社 人形芝居舞台  5.山ノ上2号墳  6.子ノ神遺跡  7.福伝寺  8.野中俳諧興行句碑

 これはあくまで当地域限定であり、厚木市全体として何ヶ所かの「あつぎの文化財獨案内板」があるようです。
 文化財についても一つ一つご紹介したいところですが、切りがありませんので省略させていただきます。なお「1.妻田薬師」についてのは、『妻田薬師逍遥記』で概略紹介してあります。


   野中俳諧興行句碑(青蓮寺)

 私も少々俳句をかじっている関係で、今回は「8.野中俳諧興行句碑」のみ簡単に紹介しておきます。
 「三田(さんだ)青蓮寺の境内にある円柱形の句碑で、芭蕉の俳句「長き日を囀(さへず)りたらぬ雲雀哉(ひばりかな)」をはじめ、35人の俳句が刻まれています。元治元年(1864年)造立」
 後世「俳聖」と讃えられる松尾芭蕉の本業は俳諧師です。俗な言い方をすれば、江戸城下や周辺各地に俳諧興行に出向くことでメシを食っていたわけです。厚木にやって来たことも十分考えられます。

まとめ

 NHK総合で『ブラタモリ』という路上観察番組があります。例えばタモリの母校である早稲田大学界隈や原宿、表参道、渋谷など、都内の道を江戸時代、明治時代の古地図を頼りにぶらぶら歩き、時代の古層に埋もれてしまった古い街並みや旧道、旧河川、旧跡などを再発見、再現してみようという企画です。(今年5月日本地理学会賞受賞とのこと。)
 そうやって歩いていくと、視聴者もハッとするような思わぬ発見にぶち当り、けっこう面白い番組です。再現されるのは私たちのメンタルの中だけであり、それによって往時の街並みなどが復元されるわけではもちろんありませんが。

 「歴史」とは、継続性、連続性と捉えることができます。断絶、断層があっては、歴史はそこで途切れてしまうのです。この国はかけがえのないものをどっさり失って、バブル崩壊後やっとそのことに気がついたようです。
 「町おこし」にみられるように、各地のユニークな良さを見直す機運が高まったのもその頃からです。今回の「あつぎの文化財獨案内板」もその延長線上にあるものなのでしょう。古るきを換び起こす、市民の良き標(しるべ)として評価出来ます。  -  完  -

参考・引用
フリー百科事典『ウィキペディア』-「三増峠の戦い」
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%A2%97%E5%B3%A0%E3%81%AE%E6%88%A6%E3%81%84
NHK『ブラタモリ』番組公式サイト
http://www.nhk.or.jp/buratamori/

 (大場光太郎・記)

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昭和天皇の戦争責任(2)

 前回に引き続いて、阿修羅掲示板に投稿された同じ記事のコメントからの転載です。前回と同じコメント氏ですが、コメントというより相当力の入った論考、論証と言うべき内容です。
 かなり長いので、途中で区切って2回分として掲載します。
 『あなたの知らない「天皇家」の謎 皇室の祖先にワニがいた !?』
 http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/256.html

                       *

02. 2011年1月13日 18:59:50: MiKEdq2F3Q

天皇の原爆しょうがない発言

昭和天皇の原爆しょうがない発言について、当時の新聞にもしっかりと縮刷版に載っていたのだが、ここではそれを「ママオコシ」で文字おこしした内容を示す。これは、現在発売中の鬼塚英昭氏の『日本のいちばん醜い日』に引用された、松浦総三という作家の『松浦総三の仕事』という本からの引用である。この記者会見の模様はユーチューブに動画も何個か落ちている。

この会見の場で、

「エ・・・・エ・・・・エ・・・・投下された、ことに対しては、エ・・・・・、エ・・・・

こういう戦争中で、あることですから、どうも、エー、

広島・・・・市民に対しては、気の毒で、あるが、やむをえないことと私は思っています」

と昭和天皇はコメントし、いきなり話題を変えて、「テレビは観ておりますが、放送会社の競争が激しく・・・」という意味不明のコメントを発して、原爆コメントを吹っ飛ばしている。

http://www.asyura2.com/07/senkyo40/msg/744.html

  (注 ここに昭和天皇の素描などが描かれていますが省略) 

昭和天皇を襲った恐怖とは

日中戦争を開始させた昭和天皇の誤算は,中国の正規軍がいくら弱くても,中国人ゲリラには勝てそうもないという事だった. 今のイラクやアフガニスタンの米軍と全く同じですね.

そのまま行ったらソ連が参戦してきて日本は占領されてしまう. そして,昭和天皇が中国で行った組織的財宝略奪と それをカモフラージュする為にやらせた(?)大虐殺の黒幕だったことが明らかになってしまう.

昭和天皇は戦犯として処刑され,天皇制は廃止,昭和天皇の悪逆非道な行為は世界中で永遠に語り継がれる事になる.

そこで昭和天皇が考えた(?)起死回生の名案とは:

負けると分かった戦争に突き進み、いくら負けてもやめることはせず、原爆投下になって無条件降伏をした。45年2月、吉田茂(スパイ名「ヨハンセン」)などが関わり近衛文麿の天皇への上奏文がある。それは、米英は国体を守ってくれること、もっとも恐るべきことは敗戦にともなって起こる人民の革命だというものであった。

天皇とその側近がもっとも心配していたのは、国体が護持されるかどうか、自分たちの地位が守れるかどうかだけであった。だまされて死ににいかされた兵隊たちが返ってきたら、反乱を起こし、自分たちの支配の地位が剥奪されるという不安であった。 日米戦争に突き進むとき、すでに中国で打ち負かされており、戦死者は20万人近くになっていた。

ここで支配勢力が心配したことは、中国撤退となると、天皇の権威が崩壊することであり、反乱・革命が起きることであった。そして日米戦争に突き進んだ。

天皇を頭とする政治家、財閥などは、原爆投下を絶好のチャンスとして、アメリカに降伏し、命乞いをした。そして戦争に駆り立て犠牲を強いた人人には何の償いもせず、民族的な利益のすべてを売り飛ばすことでその支配の地位を守ってもらう道を選んだ。

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/beikoukanngagenbakutoukaseitoukawohatugen%20nihonsukuuzihibukaikouito.htm

最終通牒を遅らせた大使館員は戦後大出世

真珠湾攻撃には幾つかの不可解な事が起こっている。一つは宣戦布告の通知が遅れた事、そしてもう一つは攻撃の不徹底さである。通知が遅れた件に関しては此れは最初からそう仕組まれたものであったと云う他は無い。

 日本から発せられた最後通牒は時間的にも充分間に合う物であった。東郷外相の訓令は対米宣戦布告の最後通牒の手交をワシントン時間、12月7日、午後1時に行うものであっス。ところが野村、栗栖大使が実際に其れをハル国務長官に手交したのは午後2時であり、其の時真珠湾は既に猛火と黒煙に包まれていた。最後通牒の手交が何故遅れたかに就いては尤もらしい説明が付けられている。

 対米最後通牒の電報は14通から成り、其の内の13通は米国の12月6日中に日本大使館に到着し、既に電信課に依って暗号解読され、其の日の内に書記官に提出されていた。残り、即ち最後の14通目は翌7日早朝(ワシントン時間)に大使館に到着、同時に最後通牒の覚書を7日午後1時に手交すべく訓令した電報も大使館には届いていた。  ところが午前11時過ぎに最後通牒の手交時間が午後1時である事が解り、大使館は騒然と成った。だが日本の外務省から秘密保持の為タイピストを使わぬ様指示されて

いた日本大使館では慣れない奥村がタイプを打ち続け、終了したのが真珠湾攻撃開始後の1時25分、ハル長官に野村、栗栖大使が手交しスのは1時55分であった。

 此の外務省、日本大使館の動きは全く理解に苦しむのである。

 先ず外務省であるが、僅か残り数行に過ぎない14通目と最後通牒文である第901号電を何故態々其れ迄の13通より遥かに遅れて発信したのか。更に此の重要な時期に何故寺崎一等書記官を転任させる処置を取ったのか。又何故秘密保持と称して専門のタイピストを使用禁止にしたのか等である。

 大使館側にも深い疑惑は残る。大使館員十数人全員が丸で事の重大性を弁えぬ無神経、且つ怠慢な動きを取っている事である。此れは一体何を物語るものであろうか。答は二つ、外務省の大使館員は天下一の無能集団であるか、差もなくば確信犯であったと云う事である。真相は恐らく後者であろう。

戦後ポルトガル駐在公使だった森島守人が帰国するなり吉田茂外相(スパイ名「ヨハンセン」)に此の最後通牒手交遅延の責任を明らかにする様進言したが、吉田は結局此の件をうやむやに葬り去ってしまった。吉田茂こそ日本を敗北に導いた元凶の一人であった。当時の日本大使館員達は戦後何れも「功労者」として外務次官や駐米、国連大使となり栄進した。

 日米開戦の最後通牒が遅れ真珠湾攻撃が”卑怯な欺し討ち”になった事で米国人の世論は開戦派が以前の3%から90%に跳ね上がっている。日本の外務省と大使館の責任はまことに大きいと言わざるを得ない。

http://www.asyura2.com/2002/dispute3/msg/413.html
http://www.asyura2.com/08/wara4/msg/253.html

日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」

太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。

元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/456.html

対日戦争というのは、野蛮な日本の侵略をこらしめ、平和と民主主義のための参戦だったと欺瞞する。しかし、日露戦争後に、日本との戦争は必至と分析し、ハワイ攻撃を待って徹底的にたたきつぶし、無条件降伏させるという計画を持っていた。ライシャワーなどは、「戦争責任はすべて軍部にかぶせて、天皇を傀儡(かいらい)として利用する」といっていた。日本にかわって中国アジアを侵略するためであり、日本を占領支配するための戦争だった。そして、日本の人民が抵抗できないように、戦地では餓死、病死に追いこみ、内地では原爆投下、全国の都市空襲、沖縄戦でさんざんに殺しまくった。

あれだけ鬼畜米英でやっていながら、その後の占領は、今から見てもスムーズすぎる。アメリカは日本を侵略・占領するための戦争をやっていたのだ。日本の全土を焼き払って攻撃して、民間非戦斗員をぶち殺している。一般国民は自然の感情として、国を守らなければと思う。特攻兵士の心情などが端的だ。

アメリカや天皇は、それが次にはアメリカの占領とそれに従っていく自分らに反対して向かっていくのが怖いわけだ。「本土決戦」を叫んでいるが、真実がばれたらその矛先が自分に向く関係だ。だから、国民には竹槍を与えるが、鉄砲で武装させるということはなかった。「鬼畜米英」のインチキはそのへんにある。

あれほどスムーズにやれたのは、天皇がやったことと、そのために本土空襲や飢餓作戦で地獄の状況を作り、国民をへとへとに疲れさせたことによる。それをアメリカが計画的に作り出したし、日本の支配階級も望んだ。国内は戦意喪失で、軍隊は独断で解散していく。集団でも離隊していく。占領軍への抵抗なども起こりようがない。かなりの男は外地に行ってしまっていない。武装解除をさせて、しかも権力の空白ができないように、そこは米軍が来て占領する。そのうえマッカーサーは民間の銃剣をすべてとりあげる徹底した「刀狩り」までやった。

マッカーサーが無条件降伏から二週間後に上陸できたのは、安心しきっていたのだ。ずっと以前から日本の対応がわかっていて、武装解除の進行具合を把握していた。占領された敗戦国でこれほど組織的な抵抗がなかったところは世界的にもまれだ。

「戦後の方が食糧がなかった」というのが実態だが、占領軍が食糧を持ち去ってないような状況にして、「食糧援助」と称して恩義を売る。飢餓作戦をやっていた。

占領期の検閲問題なども暴露されていない。きれいにマインドコントロールされるようになっている。マッカーサーは45(昭和20)年9月15日、「プレスコード」(新聞紙法)を発したが、アメリカ占領軍の「検閲」の名による言論統制を四五年秋から非公然に開始した。検閲要員は1万人近くいた。その対象は、新聞・雑誌、放送・演劇脚本・映画、紙芝居・幻灯などのすべてにわたり、国民の手紙や葉書などの郵便物、電話の盗聴までやっていた。

そういうことについても、一切知らせてはならないと、徹底した検閲をやった。日本のメディアは、自分らで自主検閲するようにするし、朝日新聞なんかは自主検閲要領というのをプレスコードの線に沿ってつくっていた。それはいまでも続いているしもっとひどくなっている。一方で、GHQは新聞やラジオなどを直接にも利用して、宣伝していった。第2次大戦についてのアメリカ軍を美化する心理作戦でも、商業新聞に直接GHQが原稿を書いていたり、NHKの「真相はこうだ」という特集などもそうだ。

米軍について悪くいうことを徹底して封じた。だから原爆の実態や空襲実態についても徹底し隠した。沖縄戦なども典型的で、日本軍がみんな殺したようなイメージをつくり出す。マニラとか長沙などへのアメリカ軍の爆撃もみんな隠蔽していた。安岡の戦争体験者が長沙へのアメリカの空襲を近年朝日新聞に投稿したら、ボツにされたといっていた。

戦後のアメリカの検閲のやり方を見ても、報道内容をチェックするばかりではなく、郵便物や電話まで開封、盗聴する。しかも検閲してないような格好をしてやる。戦前の検閲は、伏せ字で検閲したことが分かる形だったが、アメリカの方はまだ陰険だ。内容は、原爆を公表してはならない、戦争の悲惨さを公表してはならない、反米的なものは許さないというものだった

http://www.h5.dion.ne.jp/~chosyu/aratanabaikokutosennsounosyuppatutenn.htm

原爆投下まで

①第二次世界大戦は国際金融資本が金儲けのために仕組んだ。
原爆の開発目途はついていたので、それを使用することが目的のひとつであった。

②その決定で、日英同盟が破棄され、アメリカでオレンジ計画がスタートする。

③日本の最高幹部と海軍は筋書きどうりに戦争を始めた。 陸軍はほとんど関知していない。昭和天皇は命令どおりに動かされただけだ。

④昭和天皇とジョセフ・グルーは、終戦時期について討議したが、原爆を二発落とすまで終戦はさせてもらえなかった。戦争が長引いたのは、原爆の開発が思った以上に遅れたからだ。

⑤広島は昭和天皇が決めた。だから、自分の嫌いな者達を広島に集合させ、見殺しにした。

⑥長崎はクリスチャンの教会が多いことで選ばれ、三菱のドックを目標とした。海軍は三菱にいたアメリカ人の捕虜を事前に救出していた。

⑦日本の情報機関は原爆の開発、投下時期、投下目標をすべて承知していた。もちろん昭和天皇も承知だ。

http://mayo.blogzine.jp/blog/2008/02/post_b7ff.html

ルーズベルトやトルーマンは単なる飾り物で、原爆を落とす命令はすべてスティムソンによってなされた。その情報は国務大臣、グルーによって日本の吉田、牧野、樺山、白州のヨハンセングループを通じ貞明皇后に伝わっていた。
http://mayo.blogzine.jp/blog/2008/07/post_3bbd.html  (以下「3」につづく)

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経産3トップ更迭。官僚に責任を負わせてお終いか?

-原発問題は官僚の更迭で済む話ではない。責任を取って辞任すべきは菅首相だ-

 海江田万里経済産業相は4日午前、緊急会見を開いて経済産業省の松永和夫事務次官(59)、寺坂信昭原子力安全・保安院長(58)、細野哲弘エネルギー庁長官(58)を更迭すると発表した。
 この中で海江田大臣は「人心一新を図る」という口ぶりだった。しかしこの3人はそもそもこの夏の人事異動で「勇退する」だろうとみられていた面々である。だから大臣の言葉を真に受けることはできないのだ。

 これが経産省の組織防衛の一環であることは、3人と海江田大臣との7月末の段階での以下のやりとりでも明らかである。
 「大臣が辞めるなら、われわれも辞めます。先に辞めるので、新しい体制を決めてから辞めてください」
 このように今回の更迭人事は、予め両者合意の上での“出来レース”だったのである。3人は御しやすい海江田に働きかけて、自分たちの“勇退”と引き換えに、それ以上の経産省改革に手を突っ込まれるのを阻止したのだ。いかにも「初めに省益ありき」の高級官僚のやり口ではないか。

 そのことを元経産官僚で現慶応大学大学院教授の岸博幸氏は、次のように指摘している。
 「今回の人事は海江田大臣の政治決断でも何でもなく、経産省の事務方と一緒に練った出来レースに他ならず、その狙いは経産省の組織防衛だったということです」
 「本来更迭された3人は、定期異動で辞めてもおかしくないヤツばかり。それが辞めるのは更迭でも何でもありません。国民はこんな浅はかな演出に騙されてはいけません」
 その上で「本当に福島第一原発事故の責任を問うのであれば、局長級の幹部を全員更迭するか、あるいは経産省そのものを解体すべきだ」との考えを示している。

 今回の更迭人事が経産省改革に直結するものでないことは、4日夕海江田大臣が早々と発表した新人事からも明らかである。
 松永事務次官の後任には安達健祐政策局長(59)を昇格させ、細野エネルギー庁長官の後任には高原一郎中小企業庁長官(55)を充て、寺坂保安院院長の後任には深野弘行商務流通審議官(54)を起用するという。
 例えば松永次官の後任として思い切って、ただ今“改革派”として脚光を浴びている古賀茂明氏を就任させるというサプライズでもあれば「おっ、本気だぞ」と評価できたものを。これでは単に、経産省防衛の思惑が明確になっただけの“順送り”と言わざるを得ない人事である。
 

 そもそも更迭筆頭格の松永事務次官は、古賀茂明氏に対して、法的根拠のない「クビ宣告」を行い「とにかく辞めろ」と迫った悪名高き人物である。また「津波に弱い」原発の原因となった津波想定5.7メートルを認めた当時の原子力・保安院長でもある。
 さらに今般西山審議官の路チュー問題、エネルギー庁のインサイダー疑惑、やらせ問題と不祥事続きなのに、松永次官は一切表に出てきていない。そして呆れたことに“原子力ムラ”を守るために、御用委員会や有識者会議の立ち上げに奔走しているというのだ。

 この者たちは例え今官僚を辞めても、先々の身の振り先は決定済みだから何の心配もいらないのだ。
 キャリア官僚の場合普通、退官までに4億円以上稼ぎ、これに退職金がつき次官なら8,000万円から1億円。その後、業界団体など経産省の監督先、大学や外郭団体など国の補助金の交付先に天下りする。そこでの退職金も足すと、生涯賃金は7億から8億円ほどになる。東電のような監督先大企業の役員に天下れば、生涯賃金は10億円に迫るというのだ。
 現下の民間平均年収400万円と言われる時代、ロクな仕事もせずに何とも恵まれたキャリア官僚人生ではないか。

 明治政府以来の、かくも諸々悪しき官僚制度の「打破」「改革」を掲げて政権交代したのが民主党のはずではなかったか。しかし現在の菅政権の体たらくはどうだ。
 今回の更迭の第一原因が福島原発事故の対応の不手際にありとせば、事務次官級とは言え官僚たちに責任を押し付けて済む話ではない。政権交代当初から「政治主導」を旗印に掲げて発足した民主党政権ならなおのこと。
 ましてや福島原発事故初動の指示ミス、要らざる余計な口出しなどで、菅首相自身の対応の不手際によって事故は一層深刻さの度合いを増したと指摘されている。真っ先にきっちり責任を取って辞任すべきは、政治家である海江田経産相であり、菅首相自身なのだ。

 国会答弁中思わず涙を見せるほど、ある意味“純”な海江田大臣は早晩必ず辞めるはずだ。だから特段問題にするほどのことはないだろう。
 ただ辞めて「ポスト菅」に名乗り出てもらうのだけはお断りだ。7月7日の七夕辞任表明から何日経ったというのだ。優柔不断すぎるし、仮に一国の首相になって、例えばG8のような各国首脳による熾烈な国際会議の場で泣かれては国民としてたまらないのだ。

 最大のネックはやはり菅首相だ。海江田経産相の思惑では、今回の3人更迭と自身の辞任という2枚のカードを切ることで、菅首相と刺し違える腹づもりらしい。しかしこと権力闘争にかけては、東工大委員長時代から“ズル菅”“ニゲ菅”ぶりを遺憾なく発揮してきた菅首相のこと。まるで相手にならないのでないか。
 それが証拠に菅には、海江田に悪評高い松永次官らのクビを切らせて、例によって自らの責任を回避する意図も見え隠れするというのだ。これまで岡田克也幹事長、仙谷由人代表代行らがあの手この手で何度攻めても適わなかった化け物だ。
 海江田大臣の作戦が奏功するかどうか、甚だ心もとないと言わざるを得ないのである。

参考・引用
『日刊ゲンダイ』8月3日、8月5日付
『ガジェット通信』-「海江田経産大臣による「更迭人事」は浅はかな演出」
http://getnews.jp/archives/133579
『msn産経ニュース』-「【原発3首脳更迭】奏功するか、海江田氏の「差し違え作戦」」
http://sankei.jp.msn.com/politics/news/110804/plc11080421100028-n1.htm

 (大場光太郎・記)

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あつぎの文化財獨案内板

 先日の『蝉、鳴きました !』記事のとおり7月30日(土)夕方、当居住地近隣の妻田薬師にて蝉の声を聞いたのでした。同薬師を訪れた際、境内の盆踊り準備や出店のようすも同記事で記しました。
 その時、妻田薬師山門右隣石垣沿いに設置されてある「案内板」に目がとまり、その前に佇んで『これはただ読み流すだけではもったいない』と、同案内板の主要な部分を持参していたメモ用紙に書き込みました。
 今回はこの内容についてご紹介するものです。

 甚だローカルな内容で、これをお読みの多くの方には退屈かもしれません。ただ「土俗(ローカル)は普遍に通ず」。皆様が今お住まいの地域でも、現在では埋もれてしまった文化財などが必ずあるはずです。
 この一文をお読みになり、お住まいの地域の「古きを温(たず)ねて新しきを知る」よすがにでもなれば幸いです。

 さてこの案内板は「あつぎの文化財獨(ひとり)案内板」というものです。
 鉄製で縦90cm×横150cmくらいの頑丈で立派な案内板です。この最上部の標記の右下に小さく「厚木市教育委員会」と、製作機関名が記されています。ここで「獨(ひとり)」とは何を意味するのかよく分かりませんが、これはあまり気にしないことに致しましょう。
 案内板の中央には、この地域一帯の略図が描かれています。同図の右端は中津川で、これから以西一帯の図ということになります。通常の案内図などと違うのは、この略図に記されているのは一帯に点在する文化財の所在地の明示が主体であり、その他目印となる学校や公民館など公共施設、地域名のみ書き込まれていることです。

    
        妻田薬師の「あつぎの文化財獨案内板」  

 左右に、中央の略図に1番から8番までの番号が付された各文化財の概要が記述してあります。この左右上部に、それとは別なキーワードである「巡礼道」(左)「甲州道」(右)という街道についてもやはり概略が記されています。
 (私としては)かなり興味深い事が記されていますので、以下にこの2つを紹介してみます。

巡礼道
 厚木市内の行程は伊勢原から七沢に入り、巡礼峠を通り、坂東三十三札所第六番飯山観音を過ぎ、及川、妻田、金田、下依知を経て、相模川対岸座間の八番星谷観音へと至るルートです。

 上記中の「巡礼峠」とは、上古沢(かみふるさわ)という丹沢の麓の部落の先にある峠です。私の最初の仕事(測量)で、同峠のたもとに何度か行ったことがあります。この峠の向うは山また山で人家はまったくなくなります。
 また「飯山観音」は、ご存知の方もおありかもしれませんが、同じく当市の七沢温泉と共に飯山温泉のある所として、また春は桜の名所としても知られています。

 飯山観音が「坂東三十三札所」の第六番にあたることを今回初めて知りました。その次は、相模川を越えた隣市である座間の第八番星谷寺(しょうこくじ)に至るのだというのです。
 星谷寺は小田急線沿いで座間駅近くにある寺で、車でたまに通ります。飯山観音から星谷観音まではざっと三里(約12キロ)ほどあるでしょうか。それを野越え坂越え中津川、相模川越えして、巡礼者たちは巡礼していたというのです。往時の巡礼者たちの篤き信仰心が偲ばれます。
 その巡礼道の途中に妻田薬師があり、そのためこの案内板が同薬師に設置されたのかもしれません。

 なお「坂東三十三札所」(坂東三十三箇所)とは、
 「神奈川県、埼玉県、東京都、群馬県、栃木県、茨城県、千葉県にかけてある33か所の観音霊場のこと。源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として札所を制定したと伝えられている。
 第一番札所の杉本寺(杉本観音-神奈川県鎌倉市)から、第三十三番札所である那古寺(那古観音-千葉県館山市)までを巡礼すると、その道程は約1300キロメートルにもなる。
 巡礼者は全ての札所を順拝(結願)すると、善光寺および北向観音に「お礼参り」をする慣わしとされている(上記2寺を参拝して結願とする場合もある)。お礼参りの始まりは江戸時代とされる。
 また四国三十三箇所、秩父三十四箇所と併せて日本百観音といい、その結願寺は秩父三十四箇所の三十四番水潜寺となる。」  (『ウィキペディア』より)
 (以下「続」につづく)

(注記)本記事中の画像は、この中に映っているお二人には申し訳ございませんが、ネットで見つけて拝借したものです。

 (大場光太郎・記)

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昭和天皇の戦争責任(1)

 8月15日の終戦記念日までの半月くらいは、「戦争と平和」について考えるまたとない季節です。私は毎年恒例のように終戦記念日には、それについの所感を述べてきました。
 最近「阿修羅掲示板」で格好の資料が見つかりました。今日までタブーとされている「昭和天皇の戦争責任」「近代天皇家の裏側」などに光を当てた論考です。終戦記念日まで随時転載していきたいと思います。

 私は既に『天皇家3代の御名考(1)~(3)』『菅政権幹部らは両陛下の後ろ姿を見習え』などを公開しましたとおり、皇室に対する敬愛の念は人並み以上だと思っています。
 だから下記のような論考を読んだ時はかなりのショックでした。これは事実なのだろうか。どうも事実であるようだ。もし事実ならば、もうすべてを白日の下にさらすべき時なのではないだろうか。
 ただ真に事実かどうか、それは私も含めてお読みになるお一人お一人が慎重に判断すべきものと思われます。

 この論考は、今年1月13日に阿修羅掲示板に投稿された
 『あなたの知らない「天皇家」の謎 皇室の祖先にワニがいた !?』
 http://www.asyura2.com/10/bd59/msg/256.html
のコメントとして発表されたものですが、今回当ブログで公開させていただきます。

                        *                                 
   
01. 2011年1月13日 11:34:53: MiKEdq2F3Q

日本人はみんな,天皇家は精神薄弱の家系で昭和天皇も自分では何一つ決められない意志薄弱の知恵遅れだと思い込まされてきた.

しかし,それは世を欺く仮の姿だったのだ:

ある60才代の風変わりな華族は、私に英語で以下のように告げた。

「もちろん、貴君は私をたぶらかそうとしていると思う。貴君は私に何を言わせたいのかね。

私は裕仁を子供の頃から存じている。

彼は、戦争好きの馬鹿ロマンチストだったし、たぶん今でもそうだと思う。

しかし、もう数十年もご無沙汰している。私は、自分の古い時代に乱されたくはない。もし、貴君が私の名前をあげるなら、私が貴君には会ったこともないことにする。」
http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_04_choshakara.htm

昭和天皇は若いころから、宮中の書斎にはナポレオンの胸像が飾られていた(有名な話らしい)。パリを訪問したときに土産として自分で買ったもので、珍重していた。

「ナポレオンの軍隊は安上がりの徴集兵で」彼は「この軍隊を愛国心に燃える兵隊の群れに仕上げた。日本の軍隊は葉書一枚で徴兵された“民草”といわれる安上がりの軍隊で、ナポレオンの軍隊以上に愛国心に燃えていた。

ナポレオンは補給のほとんどを現地補給とした。天皇の軍隊はこれを真似た。

ナポレオンは参謀部をつくり、機動力にまかせて、波状攻撃を仕掛けた。天皇は大本営を宮中に置き、参謀部の連中と連日会議を開き、ナポレオンと同様の波状攻撃を仕掛けた。」

「あの真珠湾攻撃は、そしてフィリピン、ビルマ、タイ…での戦争は、ナポレオンの戦争とそっくりである。」と鬼塚氏は書いている。そう言われれば確かにそうだ。

 つまり、昭和天皇はナポレオンを崇拝し、彼にならって大戦争を仕掛けるという壮大な火遊びをやったのである。真珠湾攻撃が「成功した」と聞くと、狂喜乱舞したと言われる。2・26事件当時の侍従武官・本庄繁の『日記』には、天皇がナポレオンの研究に専念した様子が具体的に描かれているそうだ。

終戦の玉音放送が流れる日の朝、侍従が天皇を書斎に訪ねると、昨夜まであったナポレオンの胸像がなくなっており、代わってリンカーンとダーウィンの像が置いてあった、と…。

 この変わり身の素早さには驚かされる。つまりもう占領軍が来てもいいように、好戦的なナポレオンの像は撤去し、アメリカの受け(好印象)を狙って、リンカーンを飾り、自分は生物学に専念している(政治に無関心な)人間なのだとの印象を与えるためダーウィンを飾ったのであった。天皇は書斎からしてこうなのです…といえば、戦争責任が回避でき、マッカーサーに命乞いできるという思惑である。

戦後、天皇が海洋生物の研究家になったのは、ただひとえに自分が専制君主ではなかったというポーズであり、戦争中の責任を隠す念のいった方便だった。国民もそれに騙された。

 そして戦争指導の責任を全部、東条ら軍人(それも陸軍ばかり)に押し付けた。

大東亜戦争で米英と戦った主力は帝国海軍である。陸軍の主任務地は支那およびビルマやインドであって、太平洋を主任務地としたのは海軍であったから、あの太平洋での拙劣きわまる作戦で惨敗につぐ惨敗を喫し、国家を惨めな敗北に導いた直接の責任は、海軍にあった。

ところが、戦後は「海軍善玉論」がマスコミや出版界を席巻し、あの戦争は全部陸軍が悪かったという風潮が醸成された。多くの作家(阿川弘之ら)がそのお先棒を担いだ。

だから後年、阿川弘之が(あの程度の作家なのに)文化勲章を授賞したのは、海軍と天皇の戦争責任を隠してくれた論功行賞であったとしても不思議はない。

海軍の作戦を宮中の大本営で指導したのが、昭和天皇だったから、天皇としてはどうしても敗戦の責任を海軍に負わせるわけにはいかなかった。そこから「海軍善玉論」を意図的に展開させたのではないか。

佐藤氏は太平洋の作戦全般を大本営の服部卓四郎や瀬島龍三ら下僚参謀が勝手に指揮したと書いているが、知ってか知らずか、さすがに本当は昭和天皇が指導したとは書いていない。

東京裁判で収監された東条英機は尋問に答えて、

「我々(日本人)は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と言った。

これは当時としては真実である。

しかし東条のこの発言が宮中に伝えられると天皇は焦ったと言われる。責任が全部自分に来てしまい、自分が絞首刑にされる。

それで天皇は部下を遣わして、東条と軍部に戦争責任を負わせるべく工作をした。

 それから天皇は、なんと東京裁判のキーナン検事に宮廷筋から上流階級の女性たちを提供し、自分が戦犯に指名されないよう工作した。キーナンはいい気になって、しきりに良い女を所望したと鬼塚氏は書いている。

キーナンに戦争の責任は全部東条ら陸軍軍人におっかぶせるからよろしく、との意向を女を抱かせることで狙った。女優・原節子がマッカーサーに提供されたという噂は、噂ではあるが、当時から根強くあったのは有名である。おそらくそういう悲劇が多数あったのだろう。

みんな天皇一人が責任を回避するためであり、東条らが天皇を騙して戦争を指揮したというウソの歴史をつくるためであった。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/bd61d9d5c3085df3fddc6adf68c4c7d2

 (以下の部分、上記の重複があるので削除)

日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」
太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」とは吉田茂。
元自民党総裁選=麻生太郎の祖父。

また吉田茂元首相の再軍備問題のブレーンだった辰巳栄一元陸軍中将(1895~1988年)も、米中央情報局(CIA)に「POLESTAR―5」のコードネーム(暗号名)で呼ばれていた。

「吉田は1878年(明治11年)、土佐自由党草分けの一人、竹内綱の五男として東京に生まれた。幼児に横浜の富裕な貿易商、吉田健三の養子となり、東京帝国大学政治科を卒業後、外務省に入省した。大久保利通の次男、牧野伸顕伯爵の長女、雪子と結婚。天津総領事、奉天総領事、イタリア大使、イギリス大使を歴任した。

吉田茂は取り巻く人間を通して、ロスチャイルドの影響を受けていた。

吉田茂の養父である吉田 健三。
吉田 健三(吉田茂の養父)は帰国後、横浜に移って英国商社・ジャーディン・マセソン商会横浜支店長に就任。日本政府を相手に軍艦や武器、生糸の売買でめざましい業績をあげる。
ジャーディン・マセソン商会はロスチャイルド系であり、設立当初の主な業務は、アヘンの密輸と茶のイギリスへの輸出。
富豪であった健三の急死後、わずか11歳の吉田茂に50万円(現在の六十億円に相当)もの莫大な遺産が残される。

そして吉田茂の妻となった牧野雪子。
牧野雪子はアリスを通じてモルガン=ロスチャイルドの洗脳教育を受けた。
在日大使ジョゼフの妻アリス・ペリー・グルーは、名前の示す通り「黒船ペリー」の末裔として日本・東京で育ち・教育を受けていた。アリスの「幼馴染」であり、華族女学院=学習院女子部時代から、常に、アリスと共に3人で行動し、アリスから世界経済・政治について「レクチャー」を受け、侵略者ペリーと、ロスチャイルド=モルガンの「情報操作教育=洗脳教育」を受けていたのが、クリスチャン・鍋島信子、と九条節子であった。九条節子は昭和天皇・裕仁の母であり、アリスの親友・鍋島信子の娘は秩父宮妃である。

このアリスの母の旧姓はキャボット。黒人奴隷売買と、麻薬売買で富を築いたキャボット一族である。

吉田茂は妻となった牧野雪子により、天皇ともつながりを持つようになる。
吉田茂ー牧野雪子ーキャボット=アリスー九条節子(昭和天皇・裕仁の母)=天皇

吉田もモルガン=ロスチャイルドに寵愛され、出世街道を上昇して行く。雪子は麻生太郎首相の祖母である。

麻生の正体                                                             
 太平洋戦争の前夜に日本の対米英戦争を決定した1941.9.6の「帝国国策遂行要領」に関する所謂「御前会議」の内容を細大漏らさず、敵米国の駐日大使に通報していた、日本最大の売国スパイ=暗号名「ヨハンセン」こと吉田茂は、今の自民党総裁選の本命=麻生太郎の祖父だった(鬼塚英昭「天皇のロザリオ」上p403、成甲書房)。
 その功績で、トルーマン米大統領と占領軍最高司令官Dマッカーサーの決定で、吉田茂が戦後最長の長期政権の首相になった。
 麻生一族は、明治期に天皇が50万人の日本女性を拉致・連行して欧州へ女郎として売り払った時の石炭会社と石炭船運行会社のオウナーだった。それで儲けた麻生の会社は資本蓄積して発展した(「オルタナティブ通信)。

http://www.asyura2.com/09/reki02/msg/456.html

昭和20年8月15日には、実は広島にあった陸軍の半分を指揮する第二総軍司令部は、8月6日の原爆で既に壊滅していた。だからクーデターは起こせない状況にあった。天皇一派は、陸軍による戦争継続を求めるクーデターを一番警戒していた。そのために終戦決定に当たっては、陸軍の叛乱が絶対に起きないように手を打っておかねばならなかった。  広島にあった陸軍の第二総軍司令部が原爆で壊滅したのは、偶然ではなかったのだ。

 天皇一族は、なんと昭和20年6月の時点で(!)ヨハンセングループを通じて、原爆投下の情報を実質的米国権力者のスティムソン陸軍長官からの指令で受け取っていた。ヨハンセングループとは、米国機密文書に出てくる秘密名の日本側組織であり、参加者は、牧野伸顕・吉田茂・樺山愛輔・岡田啓介・米内光政たちであった。このグループは、当然ながら戦犯に指定されていない。

 スティムソン陸軍長官からグルー駐日米大使、さらにヨハンセングループへとルートがあり、そのルートを通じて天皇一派は戦時中も米英勢力と繋がっていたのである。
昭和天皇は20年6月にスティムソン側から、原爆投下の場所と日時を決めるよう要請を受けた。そして広島に、8月6日午前8時頃と回答したのは、天皇一派であったのだ。その仲介をしたのがヨハンセングループであった。

つまり天皇は敗戦によって自分の生命と財産が保全されることが連合軍に保障されたので、ポツダム宣言受諾という形で敗戦を決めたが、それを陸軍に邪魔されたくなかったので、米軍に頼んで広島の陸軍司令部を叩き潰してもらったのであり、広島市民40万人はその犠牲にされたのである。

 当時の陸軍大臣阿南惟幾は8月15日未明に割腹自殺を遂げているが、その直前に部下に「米内(海相)を斬れ!」と言い残している。阿南陸相は一連の原爆攻撃から終戦工作の経緯を知っていたのかもしれない。

 ヨハンセングループの連中は、戦後、口を揃えて、原爆投下は終戦のための「天啓」だったなどとヌケヌケと発言したのであった。 それにしても、天皇やヨハンセングループが原爆投下の場所・日時を指定していたことは、ソ連参戦をも承知していたのであろう。ソ連軍が満州に侵攻する準備が整うまで、戦争を引き延ばしていたとも取れる。
http://blog.goo.ne.jp/hienkouhou/e/6670188e626bc9a6e9269a37b1c57f5e
(転載終わり)

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8月「熱闘永田町」を強く望む

 -菅政権でいいと思っている国会議員はいないはず。ならば実際行動を起こせ !-

 7月は何ら目新しい動きのないまま8月に突入してしまいました。菅直人首相はのうのうと官邸の不法占拠を続けています。
 8月31日で今国会は会期末を迎えます。菅首相が退陣の条件とした「3条件」のうち、2次補正案は既に7月中に成立し、後は再生エネルギー特措法案と特例公債法案の成立を残すのみです。両法案は今月半ばまでに成立のめどとのことです。3条件クリアーを以って菅首相は、8月末までにすんなり退陣しくれるのでしょうか。
 小沢一郎元代表が「3法案が成立しても菅首相は辞めないだろう」と言っているとおり、異常な権力亡者のこと「退陣するとは一言も言っていない」と、9月以降も居座り続ける公算が大です。

 それを見越して与野党問わず全国会議員は、国難にあるこの国を先ず政治から再生させるために、遅くとも8月末には官邸を明け渡してもらうべく、今からあらゆる手段を講じておかねばなりません。
 先ず必要なのは、既に辞任を表明している海江田万里経済産業相が、ぐずぐずせずに早く実際辞任することです。そうしないで、国会答弁中泣きべそかいてどうするのか。一日も早い辞任決断が国益に適う道なのです。
 原発担当大臣の辞任は菅政権に大きなダメージを与える。各閣僚続々辞任という菅内閣ドミノ崩壊のきっかけにもなる。8月上旬には是非決断していただきたい。

 続いて岡田克也幹事長ら党幹部も一斉に辞任すべきです。仙谷由人代表代行のように「早期退陣が望ましい」などといくら口先で言ってみても、菅首相には夏の夜の線香花火のようなもの、痛くも痒くもありませんよ。
 後の2法案成立に筋道がついたのなら、岡田幹事長が言っていたとおり「お盆前まで」一斉に辞任すべきです。菅と同じで今まで主要地方選連戦連敗の責任など1回も取らなかったのです。最後くらいはきっちりケジメをつけるべきです。
 主要閣僚、党幹部一斉辞任。これは菅首相にとって強烈な一撃になるはずです。小沢・鳩山と党の半分を敵に回している現状では人材払底。それでなくとも泥舟政権に進んで協力する者などおらず立ち往生、いよいよ菅直人ご臨終が見えてきます。

 既に「脱原発」という取っておきのカードを切ってしまっています。8月6日の広島原爆の日、9日の長崎原爆の日での「脱原発解散」は、一先ず遠のいたとみていいのではないでしょうか。
 しかし“キチガイに何とか”で、いつ何時解散権を振り回さないとも限りません。鳩山由紀夫前首相が「このままなら、民主党がどうなったって私は構わない。潰れたって構わないんです。今のままでは結果として、国民の利益を大きく損なう状況になるのは間違いない」と言うように、いっそのこと早く総選挙で決着をつけてもらうのも一方法です。
 でもその間の政治空白、被災地などへの大迷惑、勝者なきその後のさらなる政治の空転などを考えると、あまり生産的ではないように思います。

 そこでここは、菅首相の解散権を予め防いでおく必要があります。それには両院議員総会を開いて、菅直人の党代表解任を決議するのが一番です。そうすれば首相辞任までは迫れないものの、いざ解散しても菅直人は総選挙の指揮を一切執れなくなります。
 それのみか党として菅を公認しないことにすれば、菅は無所属での立候補となり、裸同然で、菅批判で離党して菅と差しで勝負しようとしている横粂勝仁との一騎打ちとなります。菅直人の正体が知れ渡った今、東京18区では「次は菅を落選させる」と意気込む選挙民が増大していると言います。横粂の時の勢いで「菅直人落選」だって十分考えられるのです。

 小沢一郎は「お盆過ぎたらどんな手を使ってでも…」と言っています。もたもたして党幹部や主要閣僚が辞任せず、両院議員総会も開かれない、お盆過ぎても菅退陣のめどがまったく立たない、ということも大いにあり得ます。
 小沢元代表が考えているのは、自民党などが会期末に提出を検討している内閣不信任案再提出、参院問責決議案への同調のようです。自民党の石破茂政調会長がしきりに言っているように「一時不再議」は慣例に過ぎず、前回と菅内閣を取り巻く状況が大きく変わっている以上再提出は可能とみるべぎです。

 しかし両院議員総会の党代表決議を経ずに不信任案可決に至った場合、菅は苦し紛れに「自爆テロ解散」をする可能性が残されます。
 そうなると民主党に埋没していては小沢系議員は惨敗必至です。そこで解散に及ぶようなら小沢一郎の号令一過、小沢グループ、鳩山グループ100人以上が集団離党、改めて「国民の生活が第一」を掲げ直して新党結成というシナリオでしょうか。そうすれば「米官業の利益が第一」菅民主党との違いが鮮明となり、躍進できる可能性が広がります。

 小沢・鳩山グループが抜けた菅民主党は過半数も確保できない大惨敗、菅の政治生命はそこでジ・エンドとなります。小沢・鳩山新党がキャスティングを握って、民主党・自民党ガラガラポンの大政界編成が始まるのでしょうか。どうせなら思い切ってそこまでいってもらいたいものです。
 いずれにしてもこんな閉塞状態が延々とではたまりません。8月は与野党問わずすべての国会議員に、「日本再生」に直結する、熱闘甲子園ならぬ「熱闘永田町」を期待したいものです。

 (大場光太郎・記)

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