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66回目の終戦記念日に

 -昭和天皇。そして吉田茂など取り巻き一派は国民を幾重にも欺いていたのか?-

 今年もまた8月15日が巡ってきました。66回目となる終戦記念日です。
 私は戦後生まれで私らが若い頃流行った歌の“戦争を知らない子供たち”世代ながら、この日は日本にとっての「大転換の日」という想いが強いらしく、当ブログ開設以来終戦記念日所感を毎年述べてきました。

 今年もまたそうするわけですが、今回は前回までとはいささか趣きが異なります。一つは3・11大震災と相前後して起った福島第一原発事故がやはり頭にこびりついて離れないことです。これらは「百年に一度」「千年に一度」などと言われる、激甚災害・激甚事故であり、またまるでそれは世界的某勢力の仕業であるかのように「第二の敗戦」といった形容まで為されたほどでした。
 それともう一つは、「昭和天皇に戦争責任はない」と無邪気に考えていた私に、鋭く再考を迫るような幾つかのネット文献に触れたことです。
 今回は「昭和天皇の戦争責任」問題を中心に、この一文を述べていこうと思います。

 思えば66年前の終戦の日まで、一部指導者以外は昭和天皇の実像に触れる機会は滅多になかったわけです。一般国民に天皇拝謁は適わず、「御真影」と称する昭和天皇の写真を配られ、神棚などに掲げて朝晩恭(うやうや)しく拝むことを強制されたのです。当時昭和天皇は「現人神(あらひとがみ)」だったのですから当然といえば当然です。
 ラジオが広く普及し出していたにも関わらず、国民は天皇の生の声すら聞けなかったのです。その肉声を聞いたのは皮肉なことに、66年前の終戦の日の「耐え難きを耐え、忍び難きを忍び…」で始まる歴史的な「玉音放送」によってでした。

 「現人神」であらせられる昭和天皇は、戦時中も記録映画で稀に画面に登場することがありました。その姿は「白馬に跨った大元帥」としての颯爽たる軍服姿です。そこから戦時中の国民は誰しも、当時の陸海軍は「天皇の軍隊」と認識し、そして「神」は無謬である道理から、天皇が指揮する戦争は負けるはずがないと漠然と信じきっていたのではないでしょうか。

 終戦後いち早く連合国司令長官のD・マッカーサーと面会し、その折り天皇は「自分の身はどうなっても構わないから、日本と国民だけは何とか守っていただきたい」と言い、その言葉に感動したマッカーサーは「天皇はキリストのようなお方だ」と感想を述べたという美談がまことしやかに報道されました。
 実際そういう事実があったにせよ、「天皇制存続」は戦争末期米国首脳間では規定事実だったのです。天皇・マッカーサー会見は単なるセレモニーだったと言うべきです。

 翌年(昭和21年)1月には「私は神ではない」とする「人間宣言」をし、その後よれよれの背広にボロ靴履いて、まだ40代半ばにも関わらず猫背の初老のような風体で、あたかも天皇自らも犠牲者だと言わんばかりに全国を行幸して回りました。そして「あっ、そう」が決まり文句として国民の間に定着していきました。
 戦時中の実像など知る由もない国民は、戦後天皇の呆けたような姿から、「天皇は軍部に利用されただけなのだ」「天皇も気の毒な被害者だったのだ」という「平和天皇」としてのイメージを植え付けられていったのです。昭和天皇こそは希代の名優だったのかもしれません。

 しかし深いヴェールに包まれた若き日の昭和天皇の実像は、事のほか聡明で、「戦争好き」の「ナポレオン狂」の「馬鹿ロマンチスト」だったというのです。言われてみれば日中戦争以前から「大本営」がなぜ宮中に置かれることになったのか、これですべてが氷解します。
 戦後さまざまに論議となった「天皇の統帥権」は、形式的なものではなく“実質的統帥権”だった。その下、昭和12年の日華事変(日中戦争の開始)や、昭和16年12月8日の真珠湾攻撃(日米戦争の開始)などにあたっては、昭和天皇自らが一々の作戦に深く関与していた、さらに言えば天皇の認可がなければ一々の作戦遂行は不可能だったのではないかとすら思われます。
 極東裁判の尋問で東条英機が「我々(日本人)は、陛下のご意志に逆らうことはありえない」と述べた証言は、文字どおりの真実なのではないでしょうか。

 驚くのは昭和天皇は、敵国である米国の戦争省最高幹部のドレイバーから兵器を大量に購入し、日本軍に高額で売りつけ、利益をスイス銀行に貯蓄していたとされる問題です。近代における戦争の「不条理」の一端を見る思いがします。
 日露戦争では米国ユダ金(ユダヤ国際金融資本)一派のヤコブ・シフ商会が日露双方に資金を融通し、第二次世界大戦時は、米国銀行家のプレスコット・ブッシュ(ブッシュ前大統領の祖父)が、ヒットラーのナチス・ドイツに裏ルートで資金援助していたのでした。
 アメリカ独立戦争、フランス革命以降の近代戦争は、皆悉くユダ金の筋書きによるものであり、決して偶発的に起きたのではなかったのです。その一環として昭和天皇も一枚かんで巨利を得ていたということなのでしょう。

 私の中の“定説”を覆されたこととして、昭和天皇自身の戦争責任の他に、日米戦争を主導したのは陸軍ではなく「海軍」だったという事実があります。これは裏を返せば昭和天皇の海戦重視の現われだったということです。
 「カーキ色のダサい陸軍」に対して「ホワイトカラーのかっこいい海軍」。「悪しき陸軍」に対して「善き海軍」…。戦後を通して流布したこのイメージは、海軍ひいては天皇の戦争責任のカモフラージュの目的があったわけです。
 そういえば日米戦争の主体は海戦であり、それを主導した山本五十六連合艦隊司令長官は若い頃駐米武官を務めた大の米国びいきでした。それのみか山本や米内光政ら海軍首脳はフリーメーソン員であり、米国からのプロトコールに沿って日本海軍の戦略を組み立てた可能性すらありそうです。

 また戦時中例えば開戦決定の御前会議など日本側の機密事項を米国に逐一伝えていた、吉田茂(スパイ名「ヨハンセン」)など、旧外務省首脳らの暗躍も見逃すことはできません。
 吉田茂、牧野顕伸、樺山愛輔、米内光政、白洲次郎ら「ヨハンセン・グループ」は、昭和20年6月に米国の「原爆投下」情報を受け取り、それを昭和天皇サイドに伝えていたというのです。自身の命乞いを願う昭和天皇は、ドレイバーとの密約で原爆投下が済むまで無条件降伏しないよう取り決め、さらに「原爆投下の場所と日時」を決めるように米国側から要請され「広島に8月6日午前8時頃」と回答したというのです。
 「フクシマ」が起きようが起きまいが、これは特に揺るがせに出来ない大問題です。もしこれが事実なら、吉田茂らヨハンセン・グループは大国賊、昭和天皇は無条件で「超A級戦犯」確定です。

 戦争末期「世界中でこの戦争に責任がないのは、唯一大本だけじゃ」と断言したのは、大本聖師・出口王仁三郎でした。何せ昭和10年「12月8日」、旧天皇制国家によって「2度目」となる、近代世界宗教史上類を見ないと言われる凄まじい徹底弾圧により壊滅させられたのですから、当然の話です。「世界の雛型の国・日本」の昭和天皇も、その世界拡大版としてのローマ法王(ナチスドイツに加担)も、第二次世界大戦では重大な責任があったのです。
 出口王仁三郎はまた、「祕密の「祕」とは「必ず示す」ということじゃ。いくら隠していても必ずいつかは露見するんじゃよ」と言ったといいます。今回の「昭和天皇の秘密」など、その最たるものと言うべきではないでしょうか。

 昭和天皇自らが戦争責任を曖昧にし、退位もせずに40余年も天皇であり続けたことが、戦後日本の腐れきった「無責任体制」の根っこにありそうです。それは現下の菅直人首相ら民主党幹部の政権居座りに見られるように、特に政治の世界で顕著です。
 これは何としても改めるべき由々しき悪弊です。それにはやはり私たち国民はタブーとせずに、「昭和天皇の戦争責任」という大テーマときっちり向き合う必要があるのではないでしょうか。

参考・引用
デイビット・バーガミニ著『天皇の陰謀』http://www.retirementaustralia.net/rk_tr_emperor_04_choshakara.htm
『昭和天皇の戦争責任(1)~(3)』(『真実の近現代概略史』カテゴリー)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/cat43851635/index.html
『日本雛型論』(正・続)
http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/post-af0e.html

 (大場光太郎・記)

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