言葉とは断念のためにあるものを
佐佐木 幸綱
言葉とは断念のためにあるものを月下の水のきらら否定詞
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佐佐木幸綱(ささき・ゆきつな) 昭和13年、東京生まれ。近代短歌の先駆者の一人・佐佐木信綱は祖父。早稲田大学時代に父(佐佐木治綱)の死に遭い、「心の花」「早稲田短歌」に拠って作歌を始める。歌集に『群黎』(現代歌人協会賞)『金色の獅子』(日本詩歌文学館賞)他。評論集に『柿本人麻呂ノート』『佐佐木信綱』『作歌の現場』『東歌』など。歌誌「心の花」編集長。現代歌人協会理事。「朝日新聞」歌壇、「東京新聞」歌壇選者。早稲田大学名誉教授。 (講談社学術文庫・高野公彦編『現代の短歌』などより)
《私の鑑賞ノート》
「いやあ、参りました」と言いたくなるような見事な名短歌です。時としてこういう珠玉に出会えるから、詩文漁りは止められません。
まさに戦後歌人の面目躍如といった趣きです。寺山修司もそうでしたが、それ以前の歌人たちには見られない新しさがあります。『サラダ記念日』の略歴で触れましたとおり、俵万智は早稲田大学在学中に佐佐木幸綱と出会い作歌を始めるなど、後進の歌人にも強い影響を及ぼしました。
それにしても、「言葉」こそが唯一の武器であるはずの歌人が、「言葉とは断念のためにあるものを」などと詠んじゃっていいのでしょうか。
大乗仏典の各経文も、キリスト聖書の神の言葉も、シェイクスピアやゲーテなどの大文学も、バイロンやワーズワースなどの類い稀なる詩も、柿本人麻呂や松尾芭蕉の和歌も俳句も…。すべてが「断念のための言葉」だと言うのでしょうか。
しかし佐佐木幸綱にとって、その言葉はゆえ無くして出てきたものではなかったのです。先ず略歴にあるとおり、早稲田大学在学中の父・佐佐木治綱(歌人)の死があります。加えて佐佐木幸綱に大きな影響を及ぼした社会的出来事がありました。昭和35年の「60年安保闘争」です。幸綱が作歌を始めたのは60年安保の渦中で、しかも幸綱自身が同運動に関わっていたというのです。
60年安保闘争については、当ブログでも昨年6月『「60年安保」から半世紀(1)~(4)』シリーズとしてまとめました。結果として60年安保闘争の学生運動家たちは挫折し、敗北したのです。同運動にひたすら打ち込んでいた者たちにとってその傷がどれだけ深いものだったか、余人が測り知ることは出来ません。
佐佐木幸綱にとっても、そのことがその後の歌人としての活動に深いところで影響を及ぼしていたと考えられるのです。
一時は国民をも巻き込んだ全国的安保反対運動だったにも関わらず、日米新安保条約は発効してしまう、当時の日本を取り巻く得体の知れない国家間力学。このような巨大な力を前にしては、「言葉がいかに無力か」と思い知らされ、「言葉とは断念のためにあるもの」と心底実感させられたに違いありません。
これは何も我が国の60年安保闘争に限ったことではなく、第一次、第二次世界大戦を経てきた世界全体が直面していた問題だと思われます。従前ならば絶対視されていた「言葉」が、世界的に相対化され無化されつつあったのです。
「言葉の断念」という絶望感が心のどこかにある限り、その言葉を最も尖鋭的な形で構築する「歌人」としては、常に危機を抱えていることになります。
この歌が収められているのは、佐佐木幸綱の第3歌集『夏の鏡』(昭和51年刊)です。この短歌がその直前に作られたのか、ずっと以前に作られたのかはわかりません。しかしこの短歌の前半には、60年安保時の挫折感による「言葉の無力」という想いが底流にありそうです。
しかしそれは後半に大きな転調を来たしています。
「月下の水のきらら否定詞」
前半は作者の心の吐露だったものが、一転作者が身を置いている状況が詠まれています。肝心要の「言葉の断念」の想いに囚われながら月夜に戸外をさ迷っていると、ふと月の光を浴びてきらきら輝いて流れる水にハッとさせられたのです。
だが転調とはそれだけを言うのではありません。その鍵は「否定詞」という体言止めにあります。
この「否定詞」の解釈は少し難解です。一読すると前半を受けた「言葉に対するさらなる否定」という意味のようです。しかしどうやら違うようです。ややっこしくなりますが、「言葉の断念」に対する「否定詞」という構造なのです。平たく言えば「言葉を断念しなくてもいいんだよ」、つまり「言葉への肯定」ということです。
その逆転をもたらしたものこそ、「月下の水のきらら」に流れるさまです。この後半部こそがこの短歌全体の叙情性を担保しています。
政治状況、社会状況がどうあれ、日米関係がどうあれ、月夜に流れる水は月の光を浴びてきらきら輝きながらただ流れ下るのみなのです。
一般化してこの人間世界の営為がどう移り変われど、決して変わらない自然の「不易の実相」に、この時の佐佐木幸綱は触れたのです。
突如として開示された自然界の秘密の一端。その時月下を流れる水の精は、佐佐木幸綱にそっと告げたのです。「言葉を断念する必要などないですよ。その言葉を使って、お月様の光を浴びながらこうして喜んで流れている私の姿を活写してくださいね」。
(大場光太郎・記)
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