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「夜店の句」三句

  父の背が記憶のはじめ夜店の灯     黒崎かずこ

  少年の時間の余る夜店かな        山根真矢

  さみしさに夜店見てゆくひとつひとつ   篠崎圭介

… * …… * …… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 「夜店」は花火などと共に夏の夜ならではの風物詩です。誰にでも夜店の懐かしい思い出があるのではないでしょうか。
 普段は何もない神社参道の道端などに、明るい電球に照らされたカラフルな夜店がズラッと立ち並ぶのです。それはありふれた日常的空間に突如出現した、「ハレ」の非日常的空間と言えそうです。子供ならずとも大人でさえもが、その猥雑で怪し気でありながらある種の呪術性を秘めた空間には思わず惹きつけられてしまいます。
 今回はそんな「夜店の句」を、時系列的に三句並べてみました。

 父の背が記憶のはじめ夜店の灯
 この句の作者にとって、物心つくかつかないかの幼少時の記憶の始まりが、父の背に負ぶさって見て回った夜店だと言いうのです。
 それは具体的光景などではなく、記憶全体を覆って彼方の世界に隠してしまうような煌(こう)たる「夜店の灯」。
 そしてこの世の初めのあえかな記憶を呼び起こすよすがとなるのが、がっしりした感触の残る「父の背」です。そんな父の背は、うんと幼い子供にとって、生きるための確かな安全保障のように頼りがいのあるものだったのかもしれません。
 この句からは、既に物故した父への追慕の情も感じられるようです。

 少年の時間の余る夜店かな
 少年期には少しずつ「この世のピント」が合ってきます。そうすると今度は、目にする珍しいものに次々と「何で?」「どうして?」と疑問を抱くようになります。作者はその傾向が人一倍強い少年だったのかもしれません。
 金魚すくいの店や綿菓子屋など、一つの店でジッとしておられず、次から次へと好奇心に急かされて見て回り、気がついた時にはもう夜店全体を見終わって、時間が余ってしまったというのです。

 ならばもう一度振り出しに戻って、今度は一つ一つ店内のようすや独特の口上で客の気を引く店主のようすなど、じっくり見て回ればいいものを。まだ年端のゆかない少年時の回想なのか、その時の山根少年には、「もう一度」などという賢(さか)しらなルールなどはないのです。
 この句で提示されている「少年の時間」とはどんなものだったのか。もう忘れてしまいましたけれども、「大人の時間」とは違う尺度を持っていたことだけは間違いありません。

 さみしさに夜店見てゆくひとつひとつ
 この句は、知恵分別が十分過ぎるほど身に備わった大人の夜店の句です。
 もはや少年時代の見るもの、聞くものすべてへのワクワク感、期待感といったものは奥に引っ込んでしまい、代わって「さみしさ」というまったく別な要素が新たに加わっています。
 人が脱少年期としての自我の形成を経るに従って、社会人としての「行動の拡大」は必然となります。「個」が「別の個」と触れ合う機会が多くなれば、そこに「さみしさ」が加わるのは避けがたいのです。

 この句の背景として考えられるのは、一人旅の途中でたまたま見て回った異郷の夜店といったところでしょうか。事情はどうであれ、作者は独りで夜店を見て回っています。
 「さみしさに」とはなるほど確かに。夜店に限らず夜祭、花火など周りは人混みでごった返す中、“独り”であることはひときわ「群衆の中の孤独」を感じるものです。
 旅情と隣り合わせにある寂寥感。この句はその感じをよく表わしているように思われます。

 (大場光太郎・記)

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