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聖母は名もなき者を嘉し給いて

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 今回ご紹介するのは、イタリアのサンダミアノという小さな農村で起った、一連の「聖母出現」のきっかけとなった出来事です。聖母マリアの示現を受けたのは、同村の一農婦のローザ。北イタリアの名もない貧しい農婦に、こんな感動的な奇跡物語が生まれようとは。しかも時代は1960年代と比較的近年の出来事なのです。
 出典は1985年刊の『聖母マリアはなぜ「出現」したのか』。著者はイタリア人で当時上智大学教授だった、S・フィナティリ神父です。なお漢数字の英数字変換と、適宜行空けを行っています。  (大場光太郎・記)
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●不思議な女の訪問者

 1968年にピークに達したイタリア、サンダミアノの「聖母出現」が始まったのは、その7年前の1961年にさかのぼる。
 サンダミアノは、北イタリアのミラノの南の町ピアチェンツァからさらに南へ20キロほど、人口わずか200人の小さな農村である。
 その村に、人々からマンマ・ローザ(ローザかあちゃん)と呼ばれる単純素朴な農婦が住んでいた。夫はジョゼッペ・クワットリーニ。2人の男の子と、女の子が1人いたが、ローザは長い間、重い病に苦しんでいた。腹膜に穴があき、手術を繰り返したが、すでにほどこす手だてもなく、救急車で病院から自宅に戻されていたのだった。

 家では寝たきりで、彼女や一家の世話をしていたのは、おばのアデーレである。
 ふしぎな出来事が起きたのは、9月29日、大天使ミカエルの祝日であった。その日のことを、ローザはロンバルディア方言なまりの強い言葉で、詳細に語っている。
「私はベッドに伏せっていて、体を動かすこともままなりませんでした。夫は栗ひろいに出かけており、家にいたのは私とおばの2人きりでした。とても暑い日だったことをおぼえています。お昼ごろでしたか、戸を叩く音がしたのです……」

 尋ねてきたのは若い女で、施しを請うているのだった。聖痕(せいこん 注-キリスト受難の時の手の平などの釘の痕がそっくり表われること)と預言と病者の奇跡で有名なピオ神父のいる南イタリアのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会に3本のろうそくをささげにいきたいので、500リラ恵んでくれというのである。

 応対に出たおばのアデーレは、この貧しい家には1000リラしかないこと、それも借金したもので、病の重いめいのローザのために使わなければならないことを説明して、すまなそうにことわった。女はローザのいる部屋まで入り込み、顔をのぞき込んで、「元気をお出しなさい」と励ました。

「もう私はだめなのです」とかぼそい声で言うローザに、女は力強く声をかけた。ちょうど教会の正午のアンジェラスの鐘が鳴りはじめたときだった。
「さあ、立ち上がるんです」
女は両手を差し出した。
「だめです。立てません」
「立つのです。私の手を持って」
言われるままにローザが、女の手を取ったとき、全身に鋭い衝撃が走ったという。

「その手にひっぱられるように私は起き上がり、つぎの瞬間には立ち上がっていました。“私は治ったのね”と思わず大声を出しました。女の人は“静かに。一緒に祈りましょう”と言って、2人で声を合わせてアンジェラスの祈りと、ピオ神父がすすめたという主の祈り、天使祝詞、栄唱5回ずつを唱えました……」

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(フランス)ルルドの聖母 膝まづいて祈っているのは示現を受けたベルナデット・スビルー


●奇跡が起り、女は本当の身分を明かした (注 この見出しは変えています)

 その女はローザの手術のあとに手を置いた。手術のあとは消え、後日、医者の調べによると腹膜の穴もふさがっていたそうだ。ちょっと簡単には信じられないような奇跡の事実を、この中年の農婦は淡々と語っているのである。

 その女の人は、貧しいみなりをしていたが、顔は気高いほど美しかったという。彼女はローザに、ピオ神父のところへ行くようにすすめた。ピオ神父がいるのは、南イタリアのサンジョバンニ・ロトンドというところである。
「私はお金を持っていません。とてもそんな遠いところまで行けません」
 ローザは首を横に振ったが、女は「心配ない。必要なものは与えられる」と言う。何回かやりとりをしている矢先に、ローザあてに無名の差し出し人から郵便物が届いた。その中に、旅に必要なだけの金が入っていたのである。

 女はおばのアデーレが差し出す500リラを受け取って、ローザの家を去った。そのとき、家のそばに近所の何人かの女と、ローザの末の息子、まだ幼いピエル・ジョルジョがいたが、ふしぎなことに女の姿を見たのはピエル・ジョルジョだけだった。女たちには、何も見えなかった……。

 (中略)  

 いずれにせよ、ローザは南イタリアへ旅立つ。そして、以下もすべて彼女の語るところによるのだが、サンジョバンニ・ロトンドに着いた日、教会前の広場であのふしぎな女と再会するのである。そのとき、女ははじめて自分の正体を明かす。
「私は慰めの母、苦しむ人々の母です。あなたはこのことを他の人たちに知らせなさい」
 女は「慰めの母、苦しむ人々の母」という表現で、自分が聖母マリアにほかならないことを告げたのであった。 (以下省略)


引用
『聖母マリアはなぜ「出現」したのか』 S・フィナテリ神父 徳間書店刊(1985年)

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フォレスタの「アヴェ・マリア(シューベルト)」
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コメント

本記事は2011年9月25日公開でしたが、今回トップ面に再掲載します。なお今回聖母画像を新たに挿入しました。

投稿: 時遊人 | 2016年12月26日 (月) 05時13分

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