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ディック・ミネ『上海ブルース』

 『上海ブルース』 作詞:北村雄三、作曲:大久保徳二郎、唄:ディック・ミネ

  (この歌の1976年ステージ版・Youtube動画のURLのみ表記します。)
   http://www.youtube.com/watch?v=zJAKSwmwJDU

 1939年(昭和14年)発表の流行歌です。歌ったのは、当時人気歌手だったディック・ミネ(1908年~1991年6月10日)。
 歌の舞台は1930年代の上海。まだ生まれてもいず、未だ行ったこともない異国の大都会。しかしこの時代の上海には、なぜか心魅かれノスタルジーを感じてしまうのです。

   涙ぐんでる 上海の
   夢の四馬路の 街の灯
 冒頭からこんな歌詞を出されてしまうと、もういけません。何の関係もないのに、同じ戦前のチャップリンのトーキーの名画『街の灯』のラストシーンがつい連想されたりもします。
 分けても「夢の四馬路」。これは当時の上海にあった街区の名前で、「中央から四番目の馬が通れる大通り」、NYでいえばさしずめ四番街といったところでしょうか。
 およそどんな街並みなのか知りもしないのに、セピア色した四馬路のようすが私の脳内で仄かに浮かび上がってきます。

 この歌の中の「今宵は …思い出す」「何んにも言わずに 別れたね」という「君」。私はこれまでずっと、訳あって上海に渡ってきた日本人男性が、恋仲になった美しいクーニャン(中国人の娘)と別れて、それを想い偲んでいる歌だと思っていました。
 しかし今回歌詞の意味を確かめてみて、『上海のどこかに君はいるのだろうか?』と疑問が湧いてきました。どうも上海に「君」はいないのではないか?
 なお2番の歌詞の中の「エトランゼ」とは、フランス語で「外国人」「部外者」「余所者」などの意味です。この歌の主人公の境遇を月に仮託しているようです。

 1939年といえば、1937年(昭和12年)7月7日の盧溝橋事件が発端となって、中国全土を巻き込む日中戦争へと発展していた時代です。だからこの歌の主人公は、軍服姿の日本軍下士官または上級士官だったなどという無粋な推測は止めにしましょう。
 これは歌に託した一つのフィクションです。日中戦争たけなわでも、戦闘以外の理由で大陸なかんずく上海にやってきた者がいたとしてもいいではありませんか。
 ディック・ミネ自身、日米開戦の1941年以降は当局から「敵性音楽を歌うヤツ」と睨まれ、日本では極端に活躍の場が得られず、上海に活動の場を移したという事情があったというのですから。

 この歌の「君」とは、クーニャンではなく、日本のどこかで「今生の別れ」をしてきた女性であるように思います。その傷心を深く潜めて、この男性は今遠く海を隔てた上海にいる…。

 ディック・ミネは、戦後の1947年(昭和22年)には『夜霧のブルース』も歌っています。

 ここでも「夢の四馬路」「虹口の街」が出てきており、同じく上海が舞台であることが分かります。訳あって戦前上海に流れてきた者がそのまま居留し続け、すっかり“はぐれ者”になってしまった、『上海ブルース』の後日譚のような歌です。
 なお租界(外国植民地)時代の上海にあって、四馬路は主として欧米列強の街区、対して黄浦江の対岸の虹口は日本人が多く居住していた街区でした。

 いずれの歌も、今のチャカチャカしたJポップなどには見られない、秋の夜長にしみじみ聴くに堪え得る、大人の哀愁漂う名曲だと思います。

YouTube『夜霧のブルース』(主演:ディック・ミネ、歌:不明)
http://www.youtube.com/watch?v=m1WzLuvhpNg

 (大場光太郎・記)

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