白隠禅師の悟り
衣(ころも)やうすき
食やとぼしき
きりぎりす
聞きすてかねて
もる涙かな 白隠禅師
白隠禅師(はくいんぜんじ)-1686年(貞享2年)~1768年(明和5年)-は、臨済宗中興の祖と言われる江戸時代中期の禅僧です。
駿河国原宿(現静岡県沼津市)にあった長沢家の三男として生まれ、15歳で出家し諸国を行脚し、苛酷な修行を重ね病(神経衰弱と言われている)にかかります。何とか病を直そうと洛東(京都)白河山中の白幽仙人を訪ねたところ、「軟酥(なんそ)の法」を授かったといいます。
「軟酥」とはバター状の秘薬で、身を横たえながら軟酥が溶け出して頭の天辺から流れ伝い、全身をくまなく浸し、病や毒を洗い落としながら足のつま先から抜けていくようすを観ずるという行法のようです。現代的には一種の「イメージトレーニング法」と言っていいかもしれません。
白隠は白幽仙人に教わったとおり、繰り返しこの行法を行ったところ効果覿面、病がたちまち全快したというのです。
白隠は後に地元駿河に戻って布教を続け、衰退著しかった臨済宗を復興させます。当時「駿河には過ぎたるものが二つあり。富士のお山に原の白隠」とまで謳われたといいます。
さてそんな白隠禅師。大乗仏典最高峰の一つとされる「法華経」を若い頃から読み続けていたものの、その真髄を解ろうとしてもどうしても解らなかったそうです。
とここからは、松原泰道師著の『観音経入門』(祥伝社・NONブックス)の一文を引用してみます。
白隠が四十二歳の秋です。彼の傍らで一人の坊さまが「法華経」第二巻・第三章(品)の「譬喩品(ひゆぼん)」を誦(よ)んでいました。そのとき、たまたま石だたみの上で、一匹のコオロギの鳴く声が聞こえてきたのです。この声を聞いて、心中に深く閃くものがあったのです。「法華経」がほんとうにわかったのです。読めたのです。白隠だけが自覚した人生の真実です。どのように「法華経」がわかったのか、どのような内容であるかは、それからの白隠の言動に展開されています。しかし、その時点での白隠の心境は他からは窺(うかがい)知れぬ絶対なものです。
(中略)
とにかく、コオロギが無心に鳴く声を、ほとけの教えと聞けるところの、ほとけのこころが自分の心中に埋ずみこめられあるのに気づき、今までの疑いが解けました。白隠は思わずうれし泣きに声をあげて泣きます。
(中略)
誰もが、いつ・どこでも、いのちを抱くとともに抱かれている事実に、あるいは気づかせ、思い出させようとの、大きないのちの誓いと願いとが的確に受けとられたのです。 (転載終わり)
その時の心境を詠んだのが、冒頭掲げました歌です。なるほど味わい深い歌です。再度掲げます。
衣やうすき
食やとぼしき
きりぎりす
聞きすてかねて
もる涙かな
これが白隠が解った法華経の精髄を示した歌なのです。これを読めば、私たち凡俗にも『仏の慈悲とはこういうものなのだろうな』と、何となく解った気にさせられます。しかしこの時の白隠は、単に頭の知識として解ったというような生易しいものではなく、それこそ全身全霊で命のどん底から「豁然大悟(かつぜんたいご)した」ということだと思われます。
法華経を読み切った白隠の、それまでとその後は松原師ご指摘のとおり、言動がまるで違ったものになったことでしょう。違う教えで言えば「知行合一」(陽明学)。白隠禅師にとって、法華経の精髄である「慈悲、利他行」が当たり前の生き方になっていったのです。
一個の菩薩いな生き仏の誕生です。
【追記】文中ご紹介した「軟酥の法」がYouTube動画になっています。体のどこかに違和感がおありの方、是非お試しあれ !
http://www.youtube.com/watch?v=-M7hqjR-0ew
(大場光太郎・記)
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