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秋の夜汽車は…

              中村 汀女

  目をとぢて秋の夜汽車はすれちがふ

…… * …… * …… * …… * ……
《私の鑑賞ノート》
 中村汀女(なかむら・ていじょ) 略歴は『触るるばかりに春の月』参照のこと。

 同略歴の中で、「1920年(大正9年)に大蔵官僚の中村重喜と結婚。以後、夫の転勤とともに東京、横浜、仙台、名古屋など国内各地を転々とし、後に東京に定住した」とありました。
 今回の句は、そのうち昭和12年10月末、仙台から東京の下北澤(現北沢1丁目)に引っ越すことになった時に乗った夜汽車での事を詠んだ句であるようです。

 句そのものは至極平易です。「秋の夜に汽車に乗っていて、目を閉じていたら別の列車とすれ違った」という、ただそれだけのことを詠んだ句です。
 しかし表面的な平易さとは別に、句の奥に込められた余情はなかなか深いものがありそうです。

 「目をとぢて」とは、もう少し字数が許されていれば「目をとぢていて」ということです。どちらかというと「瞑目」さらに言えば「瞑想」の感じに近かったのかもしれません。
 仙台で暮らした過ぎし日々の回想、これから暮らすことになる東京での生活のこと。諸々の想いが去来し、浮かんでは消え、消えては浮かびしていた…。
 とそれらの想いが、高い轟音で突如破られることになります。思わず目を開けると、反対方面から列車がやってきてすれ違って行ったのです。

 汀女はこの瞬間を「俳句的場面」ととらえ、この句として成立させたわけです。汀女にとって極めて印象深い瞬間だったからです。

 どうしてなのか?それを考えるには、当時の「夜汽車」を想像してみる必要がありそうです。今でも「東京駅発-各地方行き」などの夜行列車は走っているそうです。しかし当時と今日の新幹線とは決定的な違いがあります。それは「スピード」です。
 昭和12年といえば戦前、今から70年以上も昔になります。だから夜汽車とは石炭をくべて走る蒸気機関車。今とは比べのにならないくらいのろのろだったことでしょう。

 この句のように他の列車と「すれ違ふ」場合、スピードの違いは決定的だと思われます。ゆっくりのろのろ走る汽車の場合、「すれ違ふ」ことによって、そこに余情が生まれる余地があると思うのです。あっと思う間もなく通り過ぎてしまう新幹線では、余情は生まれようがありません。
 
 それに「秋の夜汽車」です。10月末の「秋の夜」の持つ侘しさの気配がこの句にはまずあります。それに転勤という事情も加わって、汀女にはことのほか「旅情」が深かったかもしれません。

 そんな中での別の列車とのすれ違い。作者が乗っている汽車とは真反対方向に、その汽車は走り去っていったのです。その方向とは、たとえ何年間ではあっても汀女たちが過ごしてきた方向でもあります。
 作者の連想はなおも広がったことでしょう。向うの汽車にも多くの乗客がいる。仔細には知り得なくても、一人ひとりの乗客にはそれまでの固有の人生があり、固有の乗車の理由があり、固有の目的地がある…。

 「人生そのものが旅」。汀女の人生途上の秋の夜汽車でのつかの間のすれ違い。作者はそこに妙(たえ)なる「一期一会(いちごいちえ)」を感受したとしてもおかしくはないと思います。

 (大場光太郎・記)

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