中沢新一『悪党的思考』
石川知裕衆院議員が7月に発刊した著書『悪党 小沢一郎に仕えて』の売れ行きが好調のようです。10万部に達するほどの勢いだそうですから、既にベストセラーと言っても過言ではありません。
ただ私自身は同著を読んでいませんので、何ともコメントしかねます。
若い頃読んだ当時著名な誰かの『読書論』の中に、「今売れているベストセラーは読むな。どうしても読みたかったら1、2年後にせよ」という忠告がありました。その心は、「時期をずらすことによって、その本が本当に読むに値するかどうか判別できる。それよりは“古典”を読め」ということだったかと思います。
と言って、教えに従って古典を読んできたなどとは決して言えません。ただ以来それが心に残っていたものか、石川氏の『悪党』に限らず、昨年大ベストセラーになった村上春樹の『1Q84』も記事として取り上げただけでまだ読んでいません。
と言うわけで、石川氏の『悪党』というタイトル自体どんな意味なのかよく分かりません。いわゆる辞書的な意味での、
あくとう【悪党】悪人。〔一人についても、おおぜいについても言う。〕 (三省堂版『新明解国語辞典第五版』より)
ということだったのでしょうか。石川氏は、師の小沢一郎を一般的な意味での「ゴロツキ」「ピカレスク」としての悪党と形容したかったのではない、「悪党」にまったく別の意味を込めたのだと考えます。
では一体どんな意味での「悪党」なのか。
それが今回取り上げる、中沢新一著『悪党的思考』の中で提起されている「悪党」なのです。
1ヵ月ほど前石川氏の書名がきっかけとなって、『そう言えば「悪党的思考」というのがあったよな。いい機会だから読んでみるか』となったのです。しかし私の所蔵にはありません。厚木市中央図書館に問い合わせたところ、「はい。書庫の中にありました」というご返事。今から20年以上前評判だった(つまりベストセラーだった)本も、今では書庫に埋もれてお眠りかよ。
ならば私の「読書ポリシー」(?)からしても適ったり。何かの所用で本厚木駅に出たついでに、同駅はずれの一角にあるビルの中の同図書館に足をのばし、同書を借りてきました。
ここで著者の中沢新一(以前からの著名人のため敬称略)の略歴を、簡単にご紹介しておきます。
中沢新一(なかざわ・しんいち)は、1950年生まれで山梨県山梨市出身。思想家、人類学者、宗教学者。明治大学野生の科学研究所所長、多摩美術大学芸術学部客員教授。
東京大学大学院人文科学研究科在籍当時、ネパールに渡りチベット仏教の一派の修行を経験し、帰国後その経験を元に『チベットのモーツァルト』(1983年)を発表しました。同書は構造主義以後の哲学思想をチベットの密教理論やイスラム神秘主義と対比しつつ、宗教・芸術・文学などのさまざまな領域に展開した本です。
同年浅田彰が出した『構造と力-記号論を超えて-』と並んで注目され、マスコミから「ニュー・アカデミーブーム」と呼ばれました。
1988年(昭和63年)、中沢をさらに有名にする“事件”が起きました。当時東大教養学部教授だった西部邁が中沢を同学部社会科学科助教授に推薦するも、教授会で異例の否決となり、西部は教授会に抗議して辞任した騒動です。当時ニュースでも「東大駒場騒動」「中沢事件」などと報道されました。
この時の教授会の対応は、今日の原子力問題における悪しき東大閥にもつながりそうな、旧弊なオールド・アカデミーの典型例と言えます。
その後は南方熊楠の包括的研究書『森のバロック』や『東方的』『はじまりのレーニン』など、反時代的、反社会的な人物や思想の書を書くことに熱中した時代もあったようです。また宗教学者として初期のオウム真理教を高く評価し、地下鉄サリン事件以降強い批判にさらされた時期もありました。
ざっとこう見てみると中沢新一は、最近はあまりメディアに取り上げられることがないので現在の思想的スタンスは分からないものの、あの頃は知的領域における「ラディカルな反逆児」だったとの感想を持ちます。
そんな中沢が、中沢事件の年の1988年に著したのが『悪党的思考』です。
一体どんな内容の本なのか。同著表紙のタイトルのすぐ下に次の一文があります。
「13-14世紀、日本の歴史はひとつの根本的切断を体験した。「日本的近世」なるものを準備したこの切断の意味を、自然=ピュシスの力と直接わたりあう「悪党」的人々を座標軸として解き明かす、歴史のボヘミアン理論」
何だか分かったような、よく分からないような。ともかく「そういうこと」だそうです。
「ⅠからⅣ」までこの主題にそって展開される同著ですが、そのうち直接的にこのテーマと向き合っているのが「Ⅰ 歴史のボヘミアン理論へ」です。
前掲文の中の、「日本的近世」を準備した13-14世紀に何があったのか。後醍醐天皇による「建武の中興」(1333年)です。よってここではその前後の後醍醐帝の人物像や時代背景から浮かび上がってくるものを、従前的史観ではなく独自の「中沢史観」として捉え直しているわけです。
と言っても後醍醐天皇時代にスポットを当て直したのは、中沢が初めてではありません。先人の細野網彦に『異形の王権』という画期的な後醍醐天皇論があったのです。
そして今回分かったことには、何と細野は中沢の義理の叔父に当たり、中沢は中学生の時細野の同著を既に読んでいたというのです。細野という優れた親族を持てた中沢は、学究としてずい分得していると思います。
それまでの古代王権を、一気に近代的王権へと組み換えを考えた「魔術王」後醍醐天皇は、従前の朝廷や鎌倉武士団が集めたことのない人々を集め、ネットワーク化しようと企てます。
供御人、商人、禅律僧、密教僧、悪党的武士、山の民、川の民、海の民(海賊的な武士も含まれる)、職人たち。
広義の意味ではこれら全部が「悪党」になるわけです。しかし狭義では、ここに出てくる悪党的武士ということになります。その代表的人物こそ、河内に勢力のあった楠正成に他ならないのです。
彼らの特徴とは何か。本文にいわく、
「彼らは流動し、変化する。「なめらかな空間」を生活の場とする人々だ。自然(ピュシス)の力と無媒介的にわたりあいながら、生きている人々だ。ガンダルヴァの民。「魔術王」がそれを捕獲し、組織する。」
「彼らの生のエートスは、本質においてボヘミアン的である。河がそういうボヘミアン的な生を結び合わす路となるのだ。乱流域を生活の場所とする人々の生の感覚のベースには、こういう運動と変化と野生に満ちた直接性がみなぎっていた。」
「その乱流域に、悪党的武士である楠氏があった。彼らは関東に発達した武士団のような、律令制度によって開拓されはじめた農耕地とそこに生きる農民の支配者として勢力をたくわえていった武士団とは、まったく違った特徴をもっているのだ。」
中沢の言う悪党とは、ボヘミアン的マージナル(辺境)なところに位置し、鎌倉武士団に脅威を与えた楠正成のように、既存の勢力を脅かす人物または集団を意味するのでしょうか。
むしろ今日的問題は、均質化されたこの社会には、悪しき旧体制の変革が叫ばれながら、それを為し得る「悪党的エネルギー」の持ち主がなかなか現われないことにありそうです。
以上ほんのさわりだけ紹介しましたが、『悪党的思考』、通り一遍に読んだだけでは理解しがたい難解な著書です。その分知的スリルに満ちています。
中沢は本文中で、後醍醐天皇時代を考察しそこからエキスを吸い取ることが今のこの時代にどうしても必要なのだ、というような意味のことも述べています。もう「古典的」と言っていいのかしれない、この著書。興味ある方は地元の図書館などでお借りになり、「灯火親しむ候」是非読んでみてください。
参考・引用
『悪党的思考』(中沢新一著、平凡社ライブラリー)
フリー百科事典『ウィキペディア』
(大場光太郎・記)
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