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鎮魂の物語の成立

 赤坂憲雄(あかさか・のりお)氏。何とも懐かしいお名前です。今から20年以上前、民俗学や文化人類学などの分野に興味を抱き、少し関係図書を読んだ中にこの人の著書も混じっていたのです。
 今でも書棚のどこかに、赤坂氏の『異人論』や『境界の発生』など読みかけの本がそのまま眠っているはずです。そもそも同氏に関心をもったのは、何かの専門雑誌の中の同氏の一文をたまたま読んだことでした。『この人は何と頭の良い人なんだろう』。その明晰な論旨の展開に驚嘆してしまったのです。

 赤坂憲雄(以下敬称略)は1953年東京都生まれの民俗学者です。近年すっかりそういう分野から遠ざかってしまったことにより同氏の消息も忘れていましたが、現在は青山学院大学教授、福島県立博物館長というお立場のようです。また多数の著書により幾つもの学術賞を受賞し、東日本大震災復興構想会議委員でもあるようです。
 今回久しぶりに赤坂憲雄の名前を目にしたのは、有隣堂の広報紙『有鄰』第516号の2面に同氏の一文が掲載されていたからです。

 赤坂は4月のなかば、3・11大震災で被災した岩手県太平洋沿岸の各地を訪れ、被害状況を『鎮魂の物語の成立』という一文として掲載しているのです。
 少し長い文なので前半の被災地ルポの部分は割愛させていただき、同氏の真骨頂である『遠野物語』に関係した後半部のみ今回転載させていただきます。
 なお既にお読みいただいた方もおありかと存じますが、当ブログでも昨年8月『寒戸の婆』『続・寒戸の婆』『「遠野物語」発刊100周年』の『遠野物語』関連記事を公開しています。 (大場光太郎・記)
 
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鎮魂の物語の成立 今もとめられる、聞き書きの旅   赤坂憲雄

 (前半省略)

大津波に流された妻の幽霊と田ノ浜で遭遇する『遠野物語』

 それから、田ノ浜へと向かった。船越に隣接する地区だ。ここもまた、甚大な被害を受けた。じつは、この田ノ浜は『遠野物語』の第九十九話に、とても印象深いかたちで登場してくる。主人公は福二という、『遠野物語』ではだれもがそうであるように、実在の人物である。この人は遠野から、縁あって田ノ浜へと婿に行った。そして、先年、つまり明治二十九年に大津波に遭って、妻と子とを失い、生き残った二人の子どもとともに、元の屋敷地に小屋を掛けて暮らしていたらしい。一年ばかりが過ぎた頃に、福二はこんな不思議な体験をしたのである。
 ここからは、『遠野物語』を引きながら、わたしの呟きを添えてゆく。

 夏の初めの月夜に便所に起き出でしが、遠く離れたる所に在りて行く道も浪の打つ渚なり。霧の布きたる夜なりしが、その霧の中より男女二人の者の近よるを見れば、女は正しく亡くなりし我妻なり。思はず其跡をつけて、遥々と船越村の方へ行く崎の洞ある所まで追ひ行き、名を呼びたるに、振り返りてにこと笑ひたり。

 幽霊との遭遇譚である。舞台は、夏の初めの月夜、まちがいなく旧暦のお盆の時期であった。死者たちが還ってくる季節だ。満月か、それに近い月が、波が寄せては返す渚を照らしている。この渚は民俗学的には、海のかなたより寄り物が漂着する、この世/あの世が重なり合う境界領域であった。まさしく、海に流された妻との再会の舞台としては、これ以外ありえない場所だった。船越村とのあいだには小さな崎があり、そこには洞がある。こうした海辺の洞穴にはしばしば、地蔵が祀られて、サイの河原などが見いだされる。ここで、ついに福二は妻の名を呼ぶのである。妻は振り返って、にこと笑った。しかし、妻のかたわらにはだれか、男がいる。

 男はと見れば此も同じ里の者にて海嘯の難に死せし者なり。自分が婿に入りし以前に互に深く心を通わせたりと聞きし男なり。今は此人と夫婦になりてありと云ふに、子供は可愛くは無いかと云へば、女は少しく顔の色を変へて泣きたり。

 まことに残酷な展開だ。男と女の二人連れが近づいてくる。女が妻であることには、すぐに気づいた。名を呼ぶと、妻は振り返った。同時に、連れの男も振り返ったにちがいない。よく見知った同じ里の男だ。津波で死んだ。福二が婿入りする前に、妻はその男と深く心を通わせあっていた、と聞いていた。噂か、いや、里のだれもが知る事実だったにちがいない。福二はずっと、子どもが何人も生まれた後になっても、そのことを気にしていた。妻の心はずっと、あの男の元にあるのかもしれぬ、と疑っていたのである。だから、妻は答える、今はこの人と夫婦になっている、と。思わず未練の言葉が口をつく。子どもはかわいくはないのか。禁句だった。そんな文句にすがったら、この男には惨めな敗北しか残らない。妻を泣かしたところで、心を引き戻すことはできない。

 死したる人と物言ふとは思はれずして、悲しく情けなくなりたれば足元を見て在りし間に、男女は再び足早にそこを立ち退きて、小浦へ行く道の山陰を廻り見えずなりたり。追ひかけて見たりしがふと死したる者なりしと心付き、夜明けまで道中に立ちて考へ、朝になりて帰りたり。其後久しく煩ひたりと云へり。

 死者と物言うとは思われず、しかし、ふと死者なりしと心付くと、もはや追いすがることはできない。福二は夜が明けるまで、道中に立ち尽くし、堂々巡りを考えあぐねる。その後、久しく病気になった、という。作家の三浦しをんさんが、遠野で対談したとき、この第九十九話には小説のすべてがありますね、と話していたことを思いだす。

たくさんの福二と妻の物語を記録に書き留める新たな聞き書きを

 この田ノ浜はこのたび、明治二十九年と昭和八年に続く大津波によって、またしても深刻な被害をこうむった。被災の状況が高台/低地のあいだで、くっきり分かれている。低地は土台しか残っていない。火災が起ったらしい。高台の一部も延焼でやられている。背後に広がる杉林のなかにも、点々と焼け焦げた跡が残り、さぞや怖ろしい一夜であったことだろう、と思う。ここでも、少し高台にある神社が生き残っていた。八幡様が祀られていた。拝殿のわきからは、木の間越しに海が見えた。あの静かな海が盛り上がって、どす黒い壁となって押し寄せてくる姿を思い描くことは、とうていできない。
 たくさんの福二と妻の物語がそこかしこにある。それらを聞き書きし、記録に留めねばならない。生き延びた者たちだけが物語りをすることができる。死者たちのゆくえに眼を凝らし、消息に耳を傾けながら。鎮魂のために。寄り添い続けるためにこそ、そんな聞き書きの旅が求められている。  (転載終わり)

 引用 有隣堂『有鄰』第516号2面より

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